「ただいまー」
「…………」
いつもなら帰宅早々じゃれ付いてくる筈の後輩が、今日に限って無言のままベッドへ倒れ伏している姿に、美琴は怪訝そうな顔を浮かべる。
「どうしたの黒子、いつもと逆で気味が悪いわよ」
「わたくしにも落ち込む時だってあるんですの、うぅ……」
そう言いながら枕に顔を埋めている同居人に、美琴は溜息を一つ付くと彼女の傍らに腰を下ろした。
「何があったのよ、悩み事ならこの美琴さんに話してみなさい」
「まるであの殿方みたいな口振りですわへぶっ!?」
予想外の言葉に、美琴は思わず黒子の延髄へチョップを叩き込んでいた。
「な、な、何いきなり話題をぶっ飛ばしてるのよアンタは!」
「イタタタタ……ぶっ飛びそうなのはこちらの意識の方ですわお姉さま」
黒子は後頭部を擦りながら気だるく体を起こすと、机の上に散らばっているUSBメモリを指差した。
そのどれもが、心なしかうっすらと水気を帯びている。
「それがどうしたのよ?」
「どうしたもこうしたもありませんわ。お姉さまとわたくしの睦まじくも激しい愛の物語が詰まったメモリへ、今日初春がお茶をぶっかけて台無しにしてくれやがったんですの。
おかげでデータは全損。今回のは二ヶ月掛けて書き溜めた力作でしたから、SS投稿掲示板でも絶賛間違い出来だったのに……」
「そんな厨二病全開なシロモノがこの世から消えて、逆に安心したわ。
というかわたしの名前をしょうもない事でネット上に晒すなアンポンタン」
「その点はご安心を。登場人物は偽名にしてありますし、初春に頼んでIDからも投稿者が誰なのか探られないよう細工してありますから。
それにほら、お姉さまは現役の中二なのですから、バレたところで全く無問題ですの」
「厨二病なのは私じゃなくてアンタじゃないの!
大体そんな現在進行形な黒歴史を人目に触れさすんなや、このおバカ!」
「ええその通りですわ、わたくしは恋に狂った大馬鹿者ですの!」
瞳を爛々と輝かせる『空間移動』の姿に、『超電磁砲』は頭痛いと言わんばかりに首を横に振った。
「駄目だこいつ、早く何とかしないと……」
「何を今更、いうのが半年程遅いんですの」
文字通り手遅れな狂信者へ溜息を吐きつつ、美琴は卓上にあったまだ無事らしきメモリを一つ手に取った。
「一体どんなの書いてるのよ……?」
そう呟きながら、美琴は『電撃使い』の能力でその無駄に豪勢な金ぴかメモリの中身を読んでみる。
『お姉さま、今日もお美しいですわ』
『ふふふ、ありがとう。黒子はいつも可愛いわね』
お姉さまはにこやかに答えながら、わたくしを優しく抱えてベッドに横たわらせた。
『でも本当に綺麗よ黒子、女の私でも嫉妬するくらい肌が輝いてるわ』
『あらお上手だこと。でもお姉さまの方がずっとずっと綺麗ですの』
そう言ってお姉さまの頬に手を伸ばしたわたくしへ、彼女は妖艶な笑みを浮かべながら見下ろす。
『それで、これからどうするんですの、お姉さま?』
『あらあら、こんなあられもない格好にされながら、わざわざ聞く必要があるの?』
その言葉通り、わたくしの肢体は優しい手付きで服を剥がされ、いつの間にかあられもない姿へと変えられていた。
『そんな、いけませんわお姉さま、こんな日の高いうちからふしだらな真似なんて』
『おやおや、嘘を吐くなんて悪い子ね。身体と顔は全然そんな事言ってないじゃない』
『ではわたくしが今何を考えているのか、お分かりなんですの?』
『そうね、せっかくだからその身体と唇に、直接聞いてみる事にするわ』
そう言ってお姉さまは妖艶な笑みを見せると、そのままわたくしの唇へ自らのそれを――
「なんじゃこりゃああぁぁぁっ!?」
「何っていやですわ、何度も言っているようにわたくしとお姉さまの愛の物語だと」
「私がいつこんな三流百合小説みたいな真似をしたのよ!?」
「これからしてもらう予定ですの」
「そんな予定は未来永劫無いわよっ!」
そう言って美琴は怒りのあまりメモリを力一杯床に叩きつけたが、白井はさして気にも留めず再び溜息を吐いた。
「今お姉さまがご覧になられたのは最初の頃に書いた習作ですから、あまりよい出来ではありませんわ」
「そんなテキストが腐るほど並んでたように見えたけど、一体どれくらい書いてるのよ?」
「さあ、総容量が一〇メガバイト超えた時点で数えるのを止めましたわ。
しかし管理しやすいようシチュエーション毎にメモリを分けていたのが幸いして、全て消去するのだけは免れましたわ」
「消えてしまえそんなもの!」
そんな激昂する姿も素敵と言わんばかりにうっとりする後輩の姿に、美琴はこいつやっぱもう駄目だと言わんばかりに項垂れた。
「何はともあれお姉さま、この程度の見え見えなフィクションで一々うろたえてもらっては困るんですの。
最終的にはこれ以上の仲になるんですし」
「これ以上って何がよ!?
いや待って、やっぱ言わなくていい」
瞳を爛々に輝かせながら口を開こうとした後輩を片手で遮りつつ、空いた方の手で美琴は顔を覆った。
「それにしてもアンタ、常日頃からあんな駄文を考えてる訳?」
「駄文とは失礼な、せめて二次創作と呼んで下さいお姉さま」
「勝手にその二次創作とやらのモデルにされる方がよっぽど失礼な気が……」
これ以上何を言っても無駄だと諦観しながら頬杖を付こうとしたその時、黒いメモリが美琴の肘に触れた。
「あれ、これも濡れてないわね。
こっちにもやっぱり別の駄文が入ってる訳?」
何気に掲げたそのメモリを見た瞬間、それまで平然としていた白井の顔が慌てふためきだした。
「え? あ、そそそれはその、中に入っているのは先程のものと作風が違うというか、何というか……と、とにかくそれはお姉さまとは全く全然これっぽちも関係無い物ですので!」
「ふーん」
突如うろたえだした後輩の姿に、少しばかり好奇心と悪戯心が湧いた美琴は早速メモリの中を覗いてみる事にした。
「急にそんな反応して怪しいわね、一体何が入ってるのよ?」
「お、お姉さま、ちょっ――」
『お待たせしました、って、まだ脱いでいなかったんですの?』
『ああいやその、何というか、上条さんこういう事にはまだ慣れてなくて……』
ベッドでわたくしを待っていた彼は、こちらがシャワーに入る前と全く同じ姿勢のまま手をもじもじしていた。
いつもなら頼もしいその無骨で傷だらけな右腕も、こういう時はまるで頼りにならない。
『全く、わたくしとあなたがこうして肌を重ねるようになってからどれくらい経ったとお思いなんですの?』
『そうは言われてもなあ、お前とこういう仲になってるのが未だに信じられなくてな』
『その点は同意しますけど、まあなってしまったものは仕方ありませんわ。
それともやっぱり、わたくしの告白へ好きだと答えてくれたのは嘘だったんですの?』
『そんな訳無いだろ! たださ、本当に俺なんかでいいのかなって思うとな……』
語尾を濁らせながらツンツン頭をしょげさせる殿方に、わたくしはおかしさを堪え切れなかった。
どうもこの殿方は、未だに自分の魅力を自覚できていないらしい。その気になればハーレムを作る事さえ不可能では無いにも関わらずだ。
鈍いにも程があるとは思うのだが、一方でそれが彼らしいと納得してしまう。
『相思相愛だったのですから、それでいいではありませんか』
『いやでも』
『デモもストもありませんわ。そんなに嘘だとお思いなら、わたくしの体に聞いてみればいいんですの』
そう言ってタオルを脱ぎ捨てながら飛び付いたわたくしに、彼は戸惑いながらも背中に腕を回しゆっくりとその唇を――
「黒子、これもフィクションよね?」
「…………」
「目ぇ逸らさずこっち見ろ」
爆発寸前な怒気を瞳に秘めた美琴は、目が笑っていない笑顔を浮かべながら白井の両肩を掴んだ。
「そ、、そそ、それはその……」
「なんであんな見え見えのフィクションでキヨどってんのよ。
あくまでフィクションなんでしょ、フィクション?」
「ええまぁその、フィクションはフィクションでも、ノンフィクションだったりするんですの……」
そう呟きを耳にした途端、学園都市第三位は手中にあるメモリを消し炭に変えていた。
「ひっ」
「うん、よくできたフィクションよね。さっき見た私とあんたが出てくる駄文に比べたら出来が雲泥の差だったから、本当にあった事かと思ったじゃない。
うんそうよ、きっとそうに違いないわ。
全くもう、黒子ってば冗談キツいわ。ウフフ……」
ノンフイクションという言葉を敢えて聞かなかった事にしたらしい『超電磁砲』は、電撃を迸らせながら消し炭と化したメモリを握り潰した。