科学の街「学園都市」にまた、異能の力を持つ者の企みが横行する……。  
   
   
「仕事……ですか?」  
イギリス清教、必要悪の教会本部の一室。  
窓辺に佇む長身の日本人女性、神裂火織が、振り向いた矢先に赤い髪の神父の姿を認めた。  
もっとも、この漂う紫煙の匂いを嗅いだ時点でおおよそ誰であるかは分かり、目で見て確かめるまでもないのだが。  
「ああ、そうだ。再び日本の学園都市へ潜入するようにと最大主教の勅令が出ている。今回は神裂、君が単独で向かえとのことだ」  
一筋の煙が静かに上る小さな円筒形の物を指に挟み、魔術師ステイル・マグヌスは事務的な声色でそれだけ言うと、手にしていたその煙草をまた口にくわえ直す。  
それに対する神裂の態度もあくまで無感動、無関心といった様子だ。軽く頷くと、傍らの壁に立てかけていた七天七刀を手に取る。  
「潜入の目的は?」  
問いながら、いつものように愛刀を腰の定位置に収める神裂。  
キン、と鞘と柄がぶつかり合う小気味よい音が奏でられる。  
「一言で言えば調査だ。こいつのな」  
ステイルは、先程まで衣服のどこかしらに突っ込んだままだった左手を、手のひらが上を向くようにして手前に出していた。  
その上には、白一色のただの錠剤ともとれる小さな円盤が一つ。  
「……口で説明するよりは、実際に見てもらったほうが早いだろう。こちらに来てくれ」  
ステイルが軽く指した後ろには、水が満たされたグラスが置かれていた。  
   
「こいつだけをよく見ておいてくれ」  
机に置かれたグラスの水面スレスレに、ステイルは錠剤を摘んだ手のひらをかざす。  
机を挟んで向かい合った位置から、神裂はそれを覗いていた。  
「入れるぞ」  
ステイルが摘んだ手から力を抜くと、一瞬水面を破裂させ、錠剤はグラスの中をゆらゆらと落下していく。  
構成物質が水溶性だからか、沈むにつれて泡を噴きだし、半分沈んだ頃には既に粉状になって広がっていた。  
が、それでも重力には逆らわず、それは底へと向かっていく。  
「……!」  
この辺りで神裂が大きく目を見開いた。  
ステイルのほうもこの情景を見る目の眉間に皺が寄っていた。  
やがて、錠剤の粉は底に落ち着いたが、同時に有り得ない現象を起こしていた。  
沈殿した粉が、グラスの底に見事な魔法陣を描いていたのだ。  
 
「日本で捕らえた魔術師が持っていた物だ。水と一緒に服用すれば、見ての通りこいつは飲んだ人間の体内で自動的に魔法陣を形成するらしい。  
 信じられないが泡の音が呪詛の役割を果たし、術式が発動する仕組みとのことだ。ただし、これは一定の温度の中、すなわち人間の体内でなければ何も起こらない……と。  
 ここまでの情報は本人への尋問で得られたが」  
「肝心の、この魔法陣自体が何を起こすのかまでは話そうとしない。おまけに、奴はこれを風邪薬と称して格安で売っていたらしい。  
 どうやら安すぎる値を怪しまれたせいで殆ど売れなかったそうだが、目的は達成したと笑っていたよ。あの少年は見事にかかったのだ、とも言っていた」  
   
「何故か……今はあの少年、と言われただけで思い当たる奴が居る。神裂、君の考えていることはあながち間違いではないだろうな」  
ステイルはさぞ不本意である、とでも言いたげに顔をしかめた。  
神裂はそれを見て軽く息をつくと、  
「そうですね」  
と、同意した。   
   
   
   
本来、薬とは科学側の産物。  
ゆえに科学の分野で、しかもこれほど緻密に計算された構造をした物が魔術師のみの手で作られたとは考えられない。  
だからこそ推理した。捕らえた魔術師には科学側の協力者が居ると。それも、かなりの手錬が。今回の任務はその調査だ……。  
(体内でその力を発揮する魔術……制作者が口を割りたがらない点からして、単純に内蔵器官を破壊する術式ではなさそうですね)  
潜入に成功した神裂は手始めに情報収集がてら心当たりのある「少年」の無事を確認するため、インデックスの滞在する寮の在る地区を訪れていた。  
歩きながらも、頭の中で今回の件について思考することは忘れない。  
(そうなると、破壊ではなく変換……いえ、影響を与える対象は何も目に見える肉体とは限りません。ともすれば精神……心? あ、あの建物に間違いありませんね、間もなく……)  
   
「風邪薬はいかがかな?」  
その時、突如後ろから声がした。  
…違う。かけられたのだ。  
「待っていたよ、『必要悪の教会』」  
すかさず、柄に手を置いて振り向く。  
すると、数メートル先の角から、黒いボロきれにしか見えない何かを全身にまとった男が現れるところだった。  
「貴方が……」  
「そう固くならずともいい。用があるのはコレだろう?」  
男が握り拳を広げて手のひらを見せると、あの錠剤が数個、そこに転がっていた。  
 
「服用した人物の、上辺の理性や性格という名の『化粧』を取り払い、その者のすっぴんの本質を暴き出す秘薬『アゾットの鍔』。これが、君が今ここに調べに来たものの正体だ」  
男は得意気に、加えて全てを知っているかのような口調でペラペラとまくしたてた。  
拍子抜けするほどあっさりと分かってしまった事で初めは反応に困る神裂だったが、落ち着いてくると疑問が生まれてくる。  
単純に、何故そんなものを作る必要があったのか、という。  
「ちなみに、この薬が暴き出すのは人間の心理関係に限るわけではない」  
なぜ、と言おうとした神裂の声は男の声に阻まれた。男はよほどのお喋り好きか、または会った瞬間話すことを計画していたのだろう。  
嬉々とした表情から、前者の可能性がが高いようだが。  
「人々の真の才能、真の力……埋もれたまま気付かず発揮できない『真実』を見つけることが、この一粒にはできる。素晴らしいとは思わないかね?」  
爛々と目をかがやかせる男の様子は、顔つきが貧相なだけに目だけに生気が漲っているようで不気味だ。  
「成功していたなら、今頃あの少年は内に眠る『本質』を思う存分発揮していることであろう」  
「……誰に、飲ませたのですか?」  
「くくっ、すまないな。真の力の発揮などというのは建て前だ。私の見る先には、もとよりレベル0にして全てを打ち消すあの力……」  
「!!」  
 
「焦ることはない、あれは精神への効き目は早いが、能力に関する効き目は緩慢なものだ。まあ、いずれ『幻想殺し』の本質は……」  
 
 
 
続かない。  
 
 

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