キッチンにある、申し訳程度の高窓から、月影が入り込んできている。
満月。
カーテンのない窓は、太陽の反射光を遮らない。
「……」
夜闇の中に浮かんだ光の道を、布団から半身を起こした上条はぼんやりと見つめていた。
「ん……」
左手側から、小さく声。
視線を落とせば、自分が起き上がったせいで掛け布団から肩を出した形になった姫神が、寒そうに眉を潜めていた。
季節は晩春。
気温は決して低くないが、温もりを失えば、それを人は寒いと感じるのだろう。
姫神は右側を下に、胸の前――まるで裸の乳房を隠すように――で、両手を組み合わせるようしている。
長い黒髪が白い肌持つ肩にかかり、薄明かりの中で艶やかに浮かび上がっていた。
「……」
しまったな、と彼はそのツンツン頭を掻いた。
すぐに寝転がると、姫神の頭が自分の胸元に来るようにしてから、掛け布団を引き上げた。
温もりが戻ったためか、少女の口元にも微笑が浮かぶ。
暗闇に慣れた目がそれを捕らえ、ふっ、と彼は彼女と同じように微笑んだ。
週に一回。ないしは、二回。
適当な口実で禁書目録を担任の家に預け、姫神の部屋で夕食を摂り、同衾する。
こんな関係になって、3ヶ月だから、もう二桁ほどになるだろうか。
最初は、一服盛られた。
次はその件で話があると言われ、押し倒された。
その次に警戒して行ったら、魔法のステッキとやらで動きを封じられた。
4回目からにようやく理由を聞くと、ただ微笑まれた。
以来、恒例でも習慣でもないが、一つの夜として彼の日々に組み込まれている。
「……」
右手で、姫神の肩にかかった髪を一筋、弄ぶ。
4回目の時、もしも告白されたり、身体の関係だけでも、などと言われたら、断っていたに違いない。
前者であれば、心が明確ではなく。
後者であれば、目に見える破滅の関係を忌避して。
だがあの時に彼女が浮かべた微笑は、今のような夜の月影に照らされていてもなお、闇に消えていきそうな昏いものだった。
引き上げられるのは自分しかいない。
自惚れかもしれないが、そう思ったのだ。思っているのだ。
「……」
髪一筋から指を離し、丸い肩を撫でる。
しっとりとした、肌理細やかな肌は、手のひらに吸い付いてきているよう。
今も、明確な理由は聞いていない。
それじゃあいけないと思う自分と、話してくれるまで待てと言う自分がいる。
その迷いを表すかのように、ゆっくりと、ゆっくりと。
手を、背中側に回す。
「んんぅ……」
むずがるような声を出す姫神。
しかし声は不快に歪むことなく、むしろ先ほどまで己が下であげていた嬌声の名残を帯びていた。
無意識でも拒否のない彼女に喜びを感じ、同時に、彼女の中に吐き出したはずの情欲が微かに動いたのも、感じる。
背中に回した右手が、円を描いて裸の背を撫でてから、腰に、そして、丸みと柔さに満ちた尻へと滑っていった。
「んぅ……ぁ……んぁ……んぅ?
胸の中の少女が半分だけ、目を開ける。
「あ、すまん。……起こしちまったか?」
返事がくれば、問いそのものに意味はないことを尋ねながら、上条は右手の動きを止めた。
「ん……。うん。起こされた」
姫神はぼんやりとした口調でそう言った後、ふと、首を傾げた。
「この手は。なに?」
胸の中から向けてくる視線にも、声にも、険はない。
ただ単に疑問を投げかけてくるだけのものだ。
「あ〜、いや、その」
だがそれが逆に答えづらい。
寝ている間にいたずらしようとしたことを咎めてくれれば、謝って終わるのに。
しかし疑問だけを与えられては、きちんと答えなければならないではないか。
「……」
姫神は答えをまっている。
仕方がない。勝手に触れた、バツだ。
「姫神が、さ」
「うん」
「寝てても、俺の手を嫌がらなかったから。だから、嬉しくて触っちまったんだ」
頬が熱くなるのがわかる。本心だから。
「……それならなぜ。お尻に手が降りていってたの?」
もっともな質問であった。
「な、お、起きてたのか!?」
狼狽して、なぜか汗が背中に浮いた。
こういう関係であるので、別に多少触ろうが何しようが、というかほんの数時間前には触るどころの騒ぎではないことをしていたのだが、寝込みを、という部分が効いている。
しかし姫神は、上条の表情と声に、ニヤリ、と唇を歪めた。
カマをかけられた。
そう気がついたときには遅い。
「残念無念。上条くんがそんな人だったとは。いくら身体を許していても。寝込みを襲うことはないと思っていたのに」
「いや、それは、えっと、姫神? 俺は別にやましい気持ちがあったわけじゃ」
「上条くんは自然な気持ちで。女の子のお尻を触るんだ?」
「申し訳ございませんやましい気持ちがありました」
もし身を起こしていたら、そして姫神が胸の中にいたら余裕で土下座していたであろう。
「うん。許してあげる。……でも」
と、姫神は組んでいた手を解き、そのまま上条の首に回した。
「寝込みを襲った罰。今夜は。もう一度」
そして上条が反論する前に引き寄せ、唇を重ねる。
するりと彼の唇を彼女の舌が割り、だが次の瞬間には、彼の舌が絡まった。
上条の右手は、尻に添えられたまま姫神の身体を引き寄せ。
上条の左手は、あまり大きくはない姫神の胸を包み込む。
姫神は両手で彼の髪を撫でまわし。
姫神は左脚を曲げて、己の太ももを彼の右脚に擦り付ける。
「ん……んん……ちゅっ、んむぅ……ぁむ……」
そしてお互いの舌は対極図のごとく絡みあい、水音を響かせた。
理由の見えない闇の中で、それでも相手の温もりを感じ。
夜が、もう一度始まる。