電灯が頼りない光を灯し、人も車も通らない深夜を通り過ぎた時間。  
一方通行と住んでいるマンションで寝ていた打ち止めは微かな音を聞き、目を覚ました。  
(……?)  
音は小さいがはっきりと聞こえる。  
身を起こして耳を澄ますと、隣の部屋から低く届いてくる声なのがわかる。  
「……ぁ、うっ……くゥ」  
音を立てないように薄暗闇の中を歩き、隣の部屋のドアを開けると苦しそうな声が鼓膜を震わせた。  
見れば、ぼんやりとした闇でもわかるほどに、寝ている一方通行が苦悶の表情を浮かべているのだ。  
被っていたシーツは千々に乱れて、熱くもない気温なのに大量の汗をかいている。  
身を強張らせて自らを掻き抱き、搾り出すように唸き声をあげる。  
密着する肌着は苦しみに比例するかのよう、汗で濡れて、柳のような細いラインが浮き出てしまっていた。  
尋常ではない様子に、打ち止めが駆け寄ろうとして  
「わりィ……」  
言葉に足が止められる。  
ゆっくりと歩み寄り、見下ろした先には泣きそうな一方通行の素顔があった。  
 
(あなたはまだ苦しんでいるのかな……)  
哀切と後悔に満ちた表情。一万と三十一の生贄。背負った罪。  
苦しまないでと伝えた所で意味なんて何もなく、救いなんて求めてもいない。  
憎まれ口を叩き、何も気にしてないとでも言うように仮面を被って、一人で苦しみを抱えてる。  
自業自得と断ずるのは容易い。  
けれども、うなされている顔を覗き込むと、その表情はあまりに無防備だ。  
飴細工のように繊細で、指先で触れただけで砕け散りそう。  
悪夢に震える姿は幼子のようで、打ち止めよりも小さくて脆くて儚く感じられた。  
けれど苦痛も罪も背負ってはあげられない。  
きっと望んでもくれていない。  
差し出した手は邪険に払われ、必要ないと嘯くに違いない。  
「それがあなたの選んだ道だから。……でも、傍にいるのはいいよね。  
 それぐらいならあなただって許してくれる、とミサカは信じてみたりする」  
 
さしあたって、少しでも苦しみを和らげてあげれないかと  
「タオルを持ってきてあげるから、とミサカはミサカは洗面所に行ってくる」  
寝苦しそうな汗を拭くために出て、戻ってきた。  
ベッドの傍に立って、白い髪を湿らせるほどの汗をタオルで拭き取り始める。  
人は寝ている時、コップ二杯分の汗をかくとは言うけれど、喉元まで拭いただけでタオルがもう湿っぽい。  
「汗を拭きたいけど、あなたのシャツをどうしようかなって  
 ミサカはミサカは焦ってみたりする……」  
恥ずかしげに小声で呟いた。  
べったりと薄い胸板に張り付いたシャツは汗で濡れ透けていて  
陽に焼けていない白い肌が本人の知るところなく、晒されている。  
体臭が薄い一方通行だが、ここまで汗を掻いていれば匂いが漂いもする。  
揮発した汗を鼻で感じたのか、打ち止めの顔が少し赤くなった。  
普段は一緒にお風呂へ入ったりしていて、気にならない裸を今夜は不思議と意識してしまう。  
苦しそうに震えている一方通行が可哀想という想いに加えて、打ち止め自身にもわからない気持ちが胸に宿っている。  
「えーい、ままよーってミサカはミサカはシャツ越しに汗を拭いてみる!」  
一応小声に抑えつつ、肩や胸板へタオルを滑らせた。  
シャツと一緒ではあまり効果がみられないのだが、打ち止めが必死に拭いてる最中  
「ひゃ」  
指が素肌に触れて、思わず声をあげて離れてしまう。  
慌てて自分の口を両手で塞ぐが、当然意味はない。  
見ると一方通行は起きなかったようで、心なしか、汗を拭いた分表情が安らいでいるように思えた。  
視線を外して、触れた指先をじっと打ち止めは見つめる。  
まるで火傷したかのように熱く感じたのだ。  
触れた瞬間に、熱が染み込んできたと思った。  
確かめるため、また一方通行の胸元へ恐る恐るとした動作で指をくっつける。  
 
「熱く……ない……」  
それどころか、汗の気化熱で若干冷えていると感じる。  
拭いた素肌はしっとりとした感触で、浮き出た鎖骨は筋肉や脂肪が薄く痩せているというのがわかった。  
無意識に一本の指を二本にして、三本にして、掌を載せて  
「冷たいんだねってミサカは、ミサカは……」  
言いよどんだ。  
言葉にする前から、もう打ち止めは行動に移していて、一方通行の傍らに脚を乗せ真横へと座る。  
ふっくらとした頬を赤く染め、どこか陶然とした表情で少年の胸元をさすっている。  
その瞳が情欲に色づいてるのを、本人は気付いていない。  
撫でるような、くすぐるような動作は愛撫によく似ているが、無意識なものだ。  
もし一方通行が起きていれば、何をしてでも止めていただろう。  
だが、しかし皮肉にも一方通行本人が、打ち止めの行動を加速させてしまう。  
「ふぁ……!」  
眠ったまま、不意に動いた左手が腿辺りに触れたのだ。  
さきほどの熱とはまた違っており、ピリッと弱い電流が流れたかのよう。  
驚きはあるのだが、初めて享受したその刺激は酷く甘美なものに打ち止めは思えた。  
 
「これはなんだろうってミサカはミサカは自分で触ってみる、ぁ……」  
くすぐったさを強くしたような感覚。  
指を動かすと膝側よりは付け根側のほうが強く、脚の外側より内側のほうが感じるものがあった。  
小さな手の、指だけを立てて自らの脚を撫でていく。  
「んっ、やぁ……!」  
そうしてる内に指が感じるほうに進んでいって、ついにはコットンの下着の中心へと触れた。  
「ここ、なんか変なんだよって、んぅ……」  
わからないままに指で撫でる。  
ソフトな動きだが十分に刺激があるようで、打ち止めは口をあの形に開いて荒い呼吸を繰り返す。  
自慰という単語の意味を知らずとも、身体は反応しているのだ。  
指を動かしていると、少しだけ声が高くなった。  
下着が小さな縦線の形に浮いていて、指がそこに引っかかったのだ。  
ピリピリとした感覚がまた流れたと感じた。  
「でもさっきと違うってミサカはミサカはあなたの手に触れてみる……」  
熱っぽい眼差しと手が一方通行の指を捉えた。  
爪が少し伸びている。指は白くて細長く、痩せているためか少し節ばった印象がある。  
普段、何気なく繋いだりしている手が酷く魅力的に思え、打ち止めはこくりと唾を飲む。  
身を乗り出し膝立ちになってそれに跨った。  
何かわからないけれど、悪い事をしているんではないかという罪悪感がある。  
けれどもそれ以上に、触れられたいという欲求が増していって。  
 
「ぁっ……!」  
両手で一方通行の片手を握ったまま、腰を下ろすと押し殺した嬌声が放たれた。  
尖った爪先が掠ると、自分の指とは全然違う硬い感触に、打ち止めの身体がブルブルと震える。  
(そうか、これ気持ち……いいんだ……)  
ある意味子供らしいと言えるのか、理解した打ち止めは快感に逆らわないまま、身体を前後に揺らし始めた。  
クロッチに、立てた爪がひっかかり、指の腹がすじの部分にわずかに沈んで、湿った音を立てる。  
それだけで腰が浮き上がり、大きく声をあげそうになる。  
飲み下して、一方通行の顔を打ち止めは見つめた。  
険は残っているが落ち着いてきている表情を見ると、愛おしい気持ちと抗いがたい誘惑に囚われる。  
好意と性欲を併せ持った感情を理解しないまま、逆らえないまま、一方通行の指先を使った自慰を続けてしまっている。  
包皮に覆われた小さな豆に指を押し当てる。  
コットン越しでも快感は大きく、引き締めようとしている口元は震え、うっすら開いた唇からは甘い吐息が漏れ出す。  
身体の中が熱くなってきて、幼い秘裂からわず  
打ち止めの手が刺激にブレて、でもその動作自体が更に快感を増幅させる。  
「あ、んぅ……なにかきちゃうって、ミサカはミサカは、おしっこする所をクチュクチュって、んあぁあ……」  
何かが迫ってくる。  
そんな切迫感に急かされるまま、擦らせる動きは止まらずにいると  
「ふ、ぅぁっ……!」  
一方通行の指が微かに動いて、打ち止めの全身が痙攣した。  
上体が伸び上がり、握った両手に力が篭る。  
暗い視界に一瞬光が走って、涙でぼやけ散っていく。  
指を咥えたすじはきゅんきゅんと収縮して、甘噛みするように締め付ける。  
恍惚とした表情のまま打ち止めは一方通行の横へと、軽い音を立てて倒れこんだ。  
しばし、一方通行の安らかな寝息と、打ち止めの荒い呼吸だけが室内に響いている。  
たいした時間も経ってないのに、泥が纏わりつくような疲労を打ち止めは感じていた。  
それでも、のそのそとした動きで一方通行へ寄り添い、顔を見ると打ち止めの頬が真っ赤に染まる。  
苦しそうな表情は引いていて、静謐な寝顔だけがあったからだ。  
(いけない事をしたんじゃないかって、ミサカはミサカは罪悪感に囚われてみる……)  
今更ながらそう思ったのだが、愛おしい人の手で(勝手に)初めての絶頂を迎えた幸福感と  
倦怠感に包まれる打ち止めには、深い思考ができるわけもなく。  
「明日謝ろうって、ミサカはミサ……すぅ……」  
頭のどこかでそれはしないほうがいいぞ、という声もあったのだが、打ち止めにはもう聞こえてなかった。  
 
「……クッッソあちィいっ」  
朝になって、一方通行が目覚めたのはそういう理由だった。  
「……新種のコアラがいるからここは熱帯ですかァ」  
身体を起こそうとすると、半身が重く、見れば左腕に手と足をがっちりと絡めている、打ち止めの姿がある。  
「おいクソガキ。動けねェだろうが」  
抱きついているというよりは、全身で締め技でもかけているような体勢で  
打ち止めの両腕と両膝、両腿に挟まれた左腕は動かせない。  
左手の甲がきわどい所に当たっているのだが、特に一方通行は気にしていないようだ。  
「……チッ」  
幸せそうな寝顔の打ち止めを見て一方通行は起こすのを諦める。  
無理矢理持ち上げようと思えばできるが、行動には移せなかった。  
打ち止めのいかにも何も考えていませんという寝顔を横目で見た後、右手で自分の顔を隠して嘆息する。  
悪夢――実際に一方通行が起こした一万と三十一回の出来事だが――を視ていた。  
繰り返す虐殺を行っている一方通行と視ているだけの一方通行。  
光景は凄惨なもので、シスターズが一人、また一人と失われる度に二人の自分は、返り血に塗れていく。  
止めようとしても、視ている一方通行には手出しができないままだ。  
いつしか、血は冷たく寒々しくなっていき、纏った赤は凍えと変わって、寒さで夜が明ける前に何度も起きてしまう。  
一方通行にとって珍しいものではなく、何度もみた夢だった。  
嫌だし、好んで見たいとは思わないが、悪夢を見ることはストレスや不安の発散に成りえる。  
夢も見ずに溜め込むよりは落ち着くものだろう。  
そう夢を分析すること自体が、一方通行には罪に思えたが、今日は事情が違っていた。  
冷たかったはずの血液がだんだんと暖かく感じてきて、暗い路地裏や廃墟の風景が切り替わって  
気付けば引っ張られる感覚と共に、血まみれの空間から抜け出していた。  
陽だまりだけが差しているそこは安らかで暖かく、不安は何時しか消えてしまっていた。  
途中で暖かいから暑いに変わっていったとはいえ、朝までぐっすりと寝ていたのだった。  
何時からかはわからないが、打ち止めコアラの影響なのは想像に難くない。  
「はァ……情けねェ。ガキに子守されてるようなもンじャねェか」  
まず夢で殺している自分と視ている自分を、わざわざ分けているのが業腹ものだ。  
今は違うとでも言いたいのかと一方通行は思う。  
そのうえ、夢の中まで打ち止めに助けられているようでは、甘ったれているとしか言いようがない。  
「クソッ、にしても、あちィなァ……汗くせェンだよクソガキ」  
誤魔化すようにぼやく一方通行が、汗に混じった別の匂いに気付く事はなく  
本人から昨夜の行為を知らされるのは、数時間ほど後の事であった。  
 

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