上条当麻の再誕 前編
雲一つ無い夏の空の下、白い壁紙を基調とした、大学病院の病室に少年と少女がいた。
少年はベッドに上半身だけを起こした体勢で患者衣を着ており、頭には包帯が巻かれている。
少女は少年の傍らに立っており、白い修道服に金色の刺繍が織り込まれた
どこか豪華なティーカップを連想させる、シスターの格好をしていた。
堅い表情の少女が言葉を問いかけるが、少年の返事は短く、申し訳なさそうに首を振るばかりだ。
「……ねえ、覚えてない? とうまはね、私を助けてくれたんだよ」
少女の何度目かになる問いは、酷く張り詰めている。
「とうまって俺の名前……かな? ごめん……助けたというのも覚えてないんだ」
少女の唇が戦慄くように震え、抑えるよう強く引き結ばれる。
そうしなければ、出したくもない嗚咽が漏れそうだから。
ほんの一メートルも離れていない距離が、あまりに遠く感じられた。
それでも少女は問いを重ねるのを止めれない。
「……ねえ、覚えてない? インデックスはね、とうまの事が大好きだったんだよ」
それは過ぎ去った思い出を語るような、告白というにはあまりに透明な響き。
そこにはあるべき、少女の想いにはあってしかるべき、恥ずかしさや思慕が含まれていない。
理解しているのだ。
出会って十日にも満たない、色褪せるには短い記憶を、少年が永遠に失っているという事に。
少年の顔に迷いが浮かび、目線を少女から外す。
しばしの逡巡の後、しっかりと少女を見据えてから告げた。
「……ごめん。君がインデックスって名前で、俺を大事に思ってくれているのはわかった。でも、覚えてないんだ」
声にならない、呼気だけがヒッと音をたてて少女の唇から漏れ出す。
それを堪えるため、唇を閉じ無理矢理に端を上げて、目を細めた笑みの形だけを作った。
涙は見せない。見せれない。忘れられて悲しいから。
そんな自分勝手な想いで、少年に心配などかけたくなかった。
「ううん。とうまは悪くないんだよ」
少年を心配させないとした微笑みは、逆に、刺さりそうなほど痛々しい。
隠し事ができない少女の肩が、堪えきれない悲しみで、小さく震えている。
駄目だ、泣いてはいけない。
そう思っていても、目の奥が熱くなってきて、震えは全身へと伝わっていきそう。
「無理しなくていいよ」
決壊する直前、少女が造形し象っただけの笑みに、少年の右手が触れる。
暖かく大きな手が、少女の頬を慈しむように撫でた。
「君を忘れてる俺じゃ、説得力が無いかもしれないけど、そんな顔されると俺も辛い」
「う……ぁ……」
もう耐えられなかった。
少女の瞳から、大粒の涙が零れ落ちて、透明の滴が止め処なく少年の右手を濡らしていく。
少年の右手に自らの手を重ね、少女はすがりつくようにすすり泣き、溢れた嗚咽が静寂な空間へと響き渡る。
「ごめんなさ……い……! ひっ、ぅ……とうま! わ、わたしの、せいで……!」
「先生から少しだけ成り行きは聞いた。全然覚えてないし、気にしなくていい」
「いいわけ……ないんだよっ……! ぜ……んぶ! 全部とうまは忘れちゃったんだから……!」
少年は、医者から記憶を失った理由を聞いている。
でもそれは、少年を病院に運んだ魔術師と名乗る二人組みが医者に話したもので、又聞きにしか過ぎない。
失った記憶は、欠片も残っておらず、喪失した自覚すら少年には許されていない。
「でもさ、俺は君を助けれたんだろ? だったら、それでいいじゃないか。
きっと、そうしたかったから。そうしないといけない訳があったんだ」
「……駄目なんだよ……すんっ、とうまが犠牲に、なる理由なんて……ないんだよ」
少年は困ってしまう。
少女の言うとおりなのかもしれないが、失った意味そのものを無くした少年には、それがわからない。
どちらかと言えば自分の記憶よりも、少女が悲しんでる事のほうが、辛く思えるぐらいだ。
けれど少年が気にするなと幾ら言っても、少女の罪悪感は消えず、忘れられた悲しみは癒えやしないのだろう。
(……そんなんじゃ駄目だ)
以前の自分が何を考えていたかなんてわかる訳がない。
けれども、想像する事ぐらいはできる。
きっと上条当麻という少年はインデックスという名の少女に、泣いてほしくないと思ったはずだ。
ましてや、記憶喪失の責任を少女に背負わせたいなどと考えるわけもない。
「じゃあさ、俺達が初めて出会った時からの話をしてくれよ」
「ん、ぐすっ……話?」
「ああ。なんでもいいんだ。いい思い出でも悪い思い出でも
インデックスと俺が知り合ってからの話を聞きたい。
忘れてしまったのは悲しいけど、それで俺達の関係全部が駄目になるわけじゃないんだろ?」
「そ、そんなの当たり前なんだよ!」
まだ涙を流していて、頬は真っ赤になっているが、少女は意気込んで答える。
「安心した。これではいサヨナラですよーって言われたら、人間不信になっちまう」
「とうまにそんなこと言う訳ないんだから!」
怒っているような返事は、少し元気があって少年も安心する。
無理はしないで欲しい。でも泣いてばかりなのも見たくない。できれば笑っていてほしい。
混ぜこぜになった感情は今の少年自身のものか、以前の上条当麻が持っていたものかはわからない。
ただ少女を見ていると、そんな想いが沸いてくるのだ。
「だから思い出を話すだけじゃなくて、これから先の思い出も作ろう。
覚えてないからこそ、俺もインデックスを知りたいし、仲良くしたい」
少年は気づいていない。
記憶喪失になる前、少年と少女が最後に語ったものはそういう夢だった。
上条当麻がついた優しい嘘は、少年から真実の言葉となって放たれている。
「とうま……うん、うん……そうだね……私も思い出作りたい……」
ごしごしと少女は目元を袖で擦って顔を上げると、まだまだ瞳は赤く
涙の残滓が残っているが、顔には笑顔が浮かんでいる。
割り切れるものではないが、少年の言葉は確かに少女へと届いている。
「とうまと初めて会ったのは、とうまのお家のベランダなんだよ」
泣き笑いの笑顔のまま、語り出した声色は見違えるように明るくて、少年はそれが嬉しいと思った。
「……それで俺が先生から聞いた話に繋がるわけか」
「途中からはよくわからないんだけどね」
出会ってから、上条が記憶を失うまでの、短いようで長い話を語り終えたインデックスはそう締めくくった。
インデックスが怪我をしたり、魔術に蝕まれて気を失っていた時の記憶はないのだが
魔術師が残した言葉である程度の補完はできていた。
「でも実感が沸かないな。魔術なんてものがあって、インデックスが凄い力を出せて、それを俺の右手が消せるだなんて」
「私の力というのはわかんないけど、魔術は確かに存在するんだよ。
とうまも、その……魔術のせいで記憶喪失になっちゃったんだから……」
また振り返ってしまって、インデックスの瞳が潤んだ。
「あーいやいやいや、疑ってるわけでもインデックスを責めてるわけでもない。
なんでこんな力を俺が持ってるんだろうなーって。
えっとなんだっけ、歩く教会ってその魔術絡みの修道服壊しちゃったんだよな」
「…………」
適当に誤魔化そうとする上条と、何故か俯き無言になるインデックス。
「あれ? 服が壊れて……それをいっぱいの安全ピンで繋げてるから……」
慌てながらも上条は余計な事に気付いてしまった。
目の前の少女の格好は、服というよりはシーツっぽい布を巻きつけ止めているようにしか見えない。
右手で触った結果、安全ピンで縫いとめないといけない事態がインデックスに起きたという事は。
「……とうま」
「はいぃ!?」
悲しんでいると思っていたインデックスから、やたらと低くて、重々しい呼びかけ。
「とうまはやっぱりとうまなんだね。変わってないかも」
「あ、ああ……」
顔をあげたインデックスは微笑んでいるのに、強烈なプレッシャーを感じる。
さっきまではとても笑顔が見たくて、見れたら嬉しいはずなのに、今は酷く怖かった。
それは今とか前とかの自分とは関係ない、根源的な恐怖なのか。
「あえて軽く流した恥ずかしい部分に触れちゃうデリカシーのない所……」
笑顔の隙間からギラリと歯が輝いた瞬間
「変わってなさすぎるんだよ! がぶっ、がぶっ、がぶぅ!」
「ぎゃあぁぁ……! 何も覚えてないのに理不尽だあぁぁぁ……!」
生々しい咀嚼音が白い病室に響いたりしていた。
わりと洒落にならないぐらい痛いのだが、インデックスが元気なのが嬉しかったり。
「って無理! 嬉しくない! 不幸だー!」
「がうぅぅぅっ……!」
「上条ちゃん! ってあれーですー?」
そこへ医者から入院の連絡を受けたのだろう。
騒がしくしている所に、慌てて駆け込んできた月詠小萌が見た光景は、以前と変わらなく見える上条の姿だった。
「……先生を忘れちゃったのは、ぅぅ、すん……本当なんですねー」
「はい、すみません……」
「ぐすっ……上条ちゃん、色々出歩いて慌ててましたし、先生もついてあげるべきでした……」
「先生のせいじゃないですって。むしろ助けてくれたとインデックスに聞きましたよ」
「でもでもですねー……」
どう見ても小学生ぐらいにしか見えない、担任の先生である小萌は瞳を潤ませている。
先日、上条から脳と完全記憶についての電話を受けた後の事は何も知らず、アパートに
大穴が空いたのをどうしようかと考えていたら、生徒が事故で記憶喪失になったと連絡を受けたのだ。
負うべき負債などはないのだが、身近にいただけに責任を感じてしまっている。
なんと言えばいいか上条が悩んでいると
「こもえ。きっと大丈夫なんだよ。とうまはとうまなんだから」
インデックスが先に声をかけた。
「シスターちゃんは強いですねー」
「さっきは泣いてましたけど」
「とうまっ!」
「自分の記憶喪失をネタにして、からかうのは流石に悪趣味だと先生は思いますー……」
どうもこんなキャラのほうが、いいのではないかと上条は考えているのだが、小萌は複雑な顔を見せている。
「それは置いといてですね、確かに上条ちゃん、入学式で初めて会った時と同じ事言ってました。
なんで高校に小学生がいるんだ、迷子にでもなったのかって」
「以前も勘違いしてたんですね俺」
小萌の容姿を見ればしょうがないものがあるだろう。
記憶喪失じゃなくとも、初対面で先生とわかるほうがおかしい。
「本質的な意味で、上条ちゃんは上条ちゃんのままということでしょう。先生もそう信じたいですー」
「そうだったらいいんですが」
「はい。それでは改めて自己紹介しますね。先生の名前は月詠小萌といって
上条ちゃんのクラス担任です。よろしくお願いしますねー」
「えーっと上条……当麻です。よろしくお願いします」
「インデックスなんだよ。……自己紹介ってなんか面白いかも」
インデックスにつられるように二人も笑う。
小萌はまだ、瞳を濡らしている泣き笑いで。
インデックスは希望に満ちた笑顔で。
上条は二人が笑ってくれているのが嬉しくて。
インデックスの言うとおり、きっと大丈夫だと、上条は自然にそう思えた。
「こっちなんだよ」
「わかった」
数日経ち、上条とインデックスは第七学区にある寮への道のりを歩いていた。
少し曇り気味だが、強い夏の日差しが遮られている、散歩にはよい日で
インデックスが先導し、上条が後からついていくような形だった。
まだ通院する必要はあるのだが、一刻も早く日常生活に復帰するため、早い帰宅を上条は望んだのだった。
インデックスはインデックスで上条が記憶喪失なため、リハビリに協力する気満々で意気込んでいる。
「とうま。この扉開かないんだよ?」
「スイッチ式だって。ほれ」
とは言っても記憶喪失の上条以下の常識だったりするのだが。
二人は帰る途中、インデックスの退院ぱーてぃなんだよっという主張に引っ張られて手近なスーパーへ寄っていたのだった。
「インデックスは料理作れるのか?」
「ちっとも」
なんでこの子、外国人なのにカタカナがひらがなっぽいんだろうと思いつつも聞くと、力強いご返事。
「俺は作れそうだけど、自信ないな」
「料理の作り方は覚えてるの?」
「ああ、俺も医者から聞いただけなんだけど、エピソード記憶って言って脳の中の思い出を司る部分だけが壊れたらしい。
料理みたいに、手順が決まってる奴は思い出じゃなくて意味記憶か知識として覚えてるんだ。
でもそれがどんな味かは覚えてない」
「そうなんだ……しょうがないね」
「だから、色々食べて覚えてから今度インデックスに作ってやるから」
「うん! 少ししか食べさせてもらえなかったけど、とうまに作ってもらった野菜炒め美味しかったんだよ」
「お、おう……」
出会った直後、お腹を空かせたインデックスへ自分が作ってあげたと聞いている。
ただ酸っぱい味で、食べてる最中に上条が奪い取って全部食べたとの事だ。
味は覚えてなくても、知識として、野菜の状態が悪かったというのは想像がつく。
色々と自分にも葛藤があったのだろう。
深く問い詰めるのもなんなので、そこは流してみた。
上条にだって、敢えて触れない部分はあるのだ。
しかし、そんな事より上条にはもっと知っておくべきものがある。
「あの、インデックスさん? 惣菜を買うのはよろしいんですが、その量は一体?」
「主は仰っています。人はパンのみに生きるにあらずと……ぱーてぃだから、いっぱい食べないと!」
惣菜コーナーのワゴン棚から取り出された、骨付きチキン、唐揚げ、トンカツ、チキン南蛮
などなどの高カロリーな肉類が買い物カゴへと積み重ねられていく。
「待て待て待て。記憶喪失だからって適当言ってんじゃねえ。
知らないけど絶対違う意味だろそれ。大体こんなに幾つも食えるかよ」
「食べれるよ。うーんとね……」
インデックスがワゴンに並べられた惣菜らを指差してぐるぐると一回り二回り。
「二周分ぐらいなら」
「単位が違う!?」
財布を鑑みた上条は、すぐにも料理を作れるようになろうと、堅く誓ったのだった。
「……ホントに食べきりやがった」
「美味しかったねとうま!」
帰宅して夕食パーティを始めると、あれよあれよと言う間にインデックスは平らげてしまい
若干引き気味の上条を尻目に、食後のお祈りをしていた。
(俺んちなんだよな)
上条は、適当に食事の後片付けをしながら室内を見渡すが、これといった実感が持てなかった。
もちろん自分が住んでいた部屋だという証拠はある。
学生寮には上条と表札があるし、学生手帳には自分の写真も載っている。
けれども、他人の家にいるような居心地の悪さを感じてしまうのだ。
「……気にしてもしょうがないか」
誰からも文句がくる訳でもなし、すぐに慣れるものなのだろうと上条は結論づける。
「どうしたの、とうま?」
「なんでもねえよ」
返事をしながら上条は浴室に向かい、湯を張り始めるとインデックスもついてきて目を輝かせた。
「私もお風呂入るかも!」
「ああ、わかってる。先に入っていいから」
「うん! ありがと!」
湯が溜まる間、ずっとウキウキとしてるインデックスが微笑ましくて、上条もなんだか気分がよい。
「もう入れるぞ」
「わかったんだよ」
そう言いながらも座ったままインデックスは動かない。
「…………とうま」
上条が疑問を感じるほどの間があって、先ほどのテンションとはまるで違う、思いつめたような硬い声で、呼びかけられた。
「な、なんだよ」
「私ずるいのかも」
「へっ?」
突然の言葉に上条は疑問符を浮かべる。
「病室で、私の事は話したよね。一年前に気づいたら日本の路地裏にいて、魔術師から逃げまわってたって」
「……ああ。俺なんかよりずっと辛いんじゃないか」
とても苦しく、辛かっただろうという想像しかできない。
ゴールすら定まらず、ただ頭のなかの禁書目録を守れという、強迫観念にも似た動機で逃げるだけなのだから。
上条は病院で目覚め、インデックスと小萌と医者がついてくれたというのに、彼女には助力など一切なかった。
「比べるものじゃないかも。それでね、とうまと出会って初めて人に助けてもらって
すっごく嬉しくて。でもとうまは私のせいで記憶を失っちゃって……
魔術師が襲ってきたら、また巻き込んじゃうかもしれない。私はそれをわかってるけど、とうまと一緒にいたいんだよ」
「いいじゃん。巻き込んじまえよ」
「え……?」
即答すると、緊張と自省を含んだ表情が、きょとんとした顔へと変わるのが若干面白い。
「気にしすぎなんだって。忘れた俺が言うのも変だけどさ、やりたいからやった事まで
お前の責任になったら、前の俺が救われない。今、こうしてるのだって、俺とお前が望んだからだろ。
どんなに危なくても、魔術師と戦う事になっても、簡単には捨てれない。
もしお前が、私のせいで俺が危ないから、やっぱサヨナラつったら、それこそ責任逃れじゃねえか。約束破る気かよ」
「約束を破るのはよくないね……でも、とうまは怖くないの? もっともっと酷い事があるかもしれないんだよ」
「正直実感が沸かない。魔術師が怖いってのがよくわからねぇ。強いて言えば
インデックスが噛み付いてきたり、食い過ぎなのが、色々な意味で怖かった」
「もう! 真面目な話してるんだよ」
「一応真面目なんだって」
上条は嘆息して怖さというものを想像すると、たいした時間をかけることもなく、結論に達した。
「今はお前がいなくなるのが一番怖い。多分インデックスならわかるだろ。
お前と出会ったのが前の俺だったとしたら、今の俺が出会ったのもお前なんだぞ」
「あ……」
上条が自分をどう思っているか、インデックスには想像ができてなかったのだろう。
自分の中の感情と理屈を制御するのに精一杯で、そこまで気が回らなかったのだ。
一年前の自分と同じ不安と恐怖を、上条が感じているというのが、わかっているようで全然わかっていなかった。
目の前の少年が自分だと言う事に、インデックスは気づいていなかったのだ。
もしもインデックスが一年前に上条と出会ったとすれば、独りでまた逃げるだけの毎日にきっと耐えられないだろう。
だって、こんなにも離れ難く想っているのだから。
「いなくなったりなんかしない。ぜったい、ぜったいに、とうまと離れたくなんかないんだよ」
「……ありがとな」
自然に口から言葉が紡がれて、少しだけ弱気になっていた上条の顔が明るくなったように見える。
「ううん。私こそありがとう。辛いのはとうまなのに、私の事情ばかり考えてたんだよ」
「気にすんな。お互い様だ」
「……あのね。とうまは、もっと自分の事を考えたほうがいいんだよ。
記憶喪失になったばかりなのに、優しすぎるかも」
「何言ってんだ。目茶苦茶テメエの事しか考えてねえよ。たった今、ガキ染みた事言っちゃったし。
ボクを離さないでーってか。……うわ、思い返すとホント恥ずかしいな。忘れよう」
「ふふーん。完全記憶能力があるから、絶対忘れないんだよ。甘えんぼなとうま可愛いかも」
「ぎゃぁぁっ! これから先ずっとからかわれるぅぅぅー!」
上条が頭を抱えてしゃがみこむと、インデックスは微笑みながら背と頭を抱きしめ囁く。
「よしよし、とうま。いっぱい、いっぱい考えてね」
「あっ……あ、ああ」
「お風呂入ってくるんだよ」
不意の抱擁と、思いのほか真剣な声音に戸惑いながらも上条は頷きを返した。
インデックスが浴室に向うのを見送って、座ったまま上条は唸る。
「自分の事つってもなー、なにがある…………っていうか、こんなんで考えられるかよ……」
背中に感じるインデックスの残滓で、思考そのものがまとまらない。
胸の内に芽生えた感情は、忘れたくても忘れられない。
心を象ったパズルのピースは、自分ではない誰かで敷き詰められているようだった。
明朝のそろそろ昼間にさしかかろうとする頃、上条は自分が通っていた学校の教室にて、小萌とこれからについて話していた。
設備の確認や、同級生へ記憶喪失をどう伝えるか、授業勉強はどの程度覚えているのか。
当然ながら記憶喪失になった人間が、蓄えないといけない情報は沢山にあった。
「ひとまずこんな所でしょうかー」
「すみません。色々とありがとうございます」
「何を言っているんですか、私は先生なんですよー。当然の事です。
それよりもですね、上条ちゃん、なんだか顔色が悪いです。まだ退院は早かったのではー」
「いえ、体調が悪いとかじゃありません。ちょっと睡眠不足気味で」
それを聞いて小萌の表情が翳った。
「そうですか……記憶を失ったばかりなので不安なのも当然です。なんでも先生に相談してくださいね」
「……大丈夫ですよ。多分」
実際のところ寝不足と記憶喪失は、なんの関係もなかったりする。
昨夜、上条はインデックスにベッドを譲り、自分は床に布団を敷いて寝ていた。
そこで寝ぼけているインデックスが、寝床へ入り込んできてしまう事態が発生してしまったのだ。
しかも上条に真正面から抱きつくような形で。
暗闇に慣れた目は、長い睫毛や整った顔がはっきりと映った。
鼻や頬が触れ合うくらいに密着してる身体は、細くて軽いくせにやたらと柔らかい。
薄手のパジャマの隙間から触れた肌は、すべすべとしていて、指に絡む髪は絹のようにしなやか。
呼吸すれば、同じシャンプーとソープを使ってるとは思えないくらい、甘くていい匂いがする。
年下の少女と言えども、女の子という存在を如実に感じさせられた。
これは誘われてる!? みたいな妄想をしつつも、そんな訳がないと否定する。
いや大好きって言ってくれたから問題はないはずだ。
違う。それは前の俺だろうが、っていうか問題ってなんだよ。何するつもりだ。そんな事考えるわけないだろ。
自己問答をしつつも、このままぎゅっと抱きしめたいなとか思ったりもして。
ぐちゃぐちゃとした思考に襲われながらも、空が白むまで待って
起きそうなインデックスに合わせ、寝たふりしたのはきっと褒めるべきなのだろう。
驚きの悲鳴を上げインデックスが離れた後、たった今起きたかのようにおはようと告げた。
恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながらも、はにかんでおはようと返すインデックスに、自分は正しかったと確信していたものである。
「上条ちゃん、本当に大丈夫ですー?」
「ぜ、全然平気ですことよ!」
「だったらいいんですがー」
少しばかり思考がどこかに、飛んでいってしまっていたらしい。
寝不足も相まって、目を瞑れば今にも感覚や匂いが蘇って来て……
「寝ちゃ駄目ですっ」
「うぉっ」
幼いながらも、ピシャリとした声で呼びかけられ、今度こそ上条は我に返る。
「大事な話がまだあるんです。上条ちゃんのご両親と連絡がつきました。
先生の勝手な判断かもしれませんが、記憶喪失になったというのも伝えてあります。
明日学園都市に着くそうです」
「あ……」
想像もしていなかったのだろう。上条はぽかんと口を開き戸惑いの色を見せる。
生徒が事故によって入院して、記憶喪失にまでなれば伝える義務が学校にはある。
だが上条本人は、両親に伝えるどころか、自分に家族がいるということすら思い浮かばなかったのだ。
「忘れてしまっているので、会いにくいかもしれませんが……」
「……もちろん会いますよ。覚えてなくても俺は俺なんでしょう?」
「そうです。と簡単には言えません。けれど上条ちゃんなら大丈夫と先生も信じたいです」
二人の声には少しばかり力が足りていない。
上条は両親という大事な存在を、忘れてしまっているのを自覚して。
小萌は親子に起きてしまった不幸を想像して。
思い出の重みを感じながらも、小萌は話の続きを始めた。
上条は学校からの帰路を歩きつつ、悩んでいた。
両親に、なんと言って会えばいいのか、どのような対応をしていたかがわからない。
両親が子から忘れられているという心情も、想像できない。
もし記憶喪失でなければ、会うのに気負いも何もなかったに違いないのに。
そこまで考えた所で上条は顔をしかめた。
たかが会うだけで、対応だとか気負いだとか、身構えて親を迎えるのが申し訳ないと思えたのだ。
「どうっすかなー。まあ、いつも通りでいれば……ん、雨が降らなきゃいいけど」
なんとはなしに上を向けば、厚い雲が空を覆っていて、昼なのに薄暗くて夕方のよう。
「ちょっと待ちなさい! 無視すんじゃないわよ!」
唐突に後ろから呼びかけられて上条は後ろを向いた。
茶がかかった髪の女子中学生と思われる少女が、眼光鋭くこちらを睨みつけている。
わりと可愛いのだが、目つきが妙に怖い。
「あー……」
「あーじゃないわよ! 真正面の相手が見えないなら視力矯正しろやゴラァ!」
やたらとドスの効いた恫喝。
どうやら正面にいた少女の横を、知らずに通り過ぎてしまったらしい。
言われてみれば、視界の端で手か何かが動いていた気がするが、思考の範囲外にあった。
以前からの知り合いなんだろうけれども、このケンカ腰はよほど仲が悪かったのだろう。
全然覚えていないので、上条は説明のために口を開いた。
「えーとだな……最近事故にあって記憶喪失になったから、悪いけどお前が誰か覚えてないんだ」
告げ終わった後沈黙が続き、真面目な顔の上条を少女がじっと睨みつけて
「そう……そんな嘘をつくくらい、私が疎ましいってわけね……」
「あ、いや違う、ちょっと待て」
双眸が稲妻のごとき、蒼い輝きを宿す。
「上っ等じゃない! アンタの脳みそに、私の電流を刻みつけてやろう!」
なんだかラスボスっぽい怒声と共に、雷光とゴロゴロ音が少女から吹き荒れた。
「うわっ!」
「へっ?」
上条は無意識に動いた両手で身を庇ったまま、放電の衝撃に弾き飛ばされ、尻餅をついた。
痛みは一瞬でたいしたものではない。
けれど、電流を受けた両手はショックで、意思と関係なく痙攣している。
一緒に触れた左手はもちろん、右手もなんの自由も利かず、伸縮する筋肉の誤作動に逆らえていない。
「なんで……だ……」
上条は自分の右手を呆然と見つめる。
能力者と思われる少女の電気を受け、右手は動かせなくなっている。
この右手は、神様の奇跡だって打ち消せる、魔術師を退け、インデックスを助けた右手だというのに。
少女もまた、驚きで上条を見つめて動けない。
攻撃どころか牽制ですらない、ただの威嚇で上条を倒してしまったのだ。
上条をつけ狙っているのは、戦って倒すためという理由ではあるが、こんな勝利は望んでいなかった。
「……もしかしてアンタ、本当に事故にあったの?」
少女は労わりの眼差しで上条を助け起こした。
腕の痺れがまだ消えていない上条を、少女こと御坂美琴が喫茶店へと連れていった。
そうして自己紹介や以前出会っての話をし、上条のほうは魔術の説明は省いて
事故と部分的な記憶を失ったというのを伝え終わる。
「……しかし話を聞く限り、ガキ扱いしたからって、何度も喧嘩売られてる理由がわからん」
「アンタねー、人のプライドとかわかんないわけ。まあいいわ。記憶なくしたくせにそういうとこは変わんないのね……」
美琴は憂いを帯びた表情で上条を見つめている。
上条からすると、能力で喧嘩を売られていただけとしか思えないのだが、忘れられるというのは誰であれ、思う所があるのだろう。
先ほどの肉食獣っぽい形相とは大違いだとも、上条は思ったが言わないでおいた。
それぐらいの分別はあったりする。
「大方アンタの事だから、何かに首つっこんでそうなったんじゃないの?」
「そんな感じかもな」
「やっぱりね」
美琴はお見通しと得意げに笑う。
「前に事件があって、能力で爆弾を作る男がいたの。そいつが洋服店を爆破しようとして
友達と女の子が巻き込まれそうな所に、ちょうどアンタがいたのよ。
で、私はそいつを止めようとしたんだけど、ヘマしちゃって。爆発が起きたのをあんたが守ったわ」
「へー……」
自分が覚えていない上条当麻は、よそでも同じような事をしていたらしい。
「結局、私が爆弾魔を捕まえたけど、洋服屋の件は私が女の子を助けたみたいになっちゃってね。
いなくなったアンタを問い詰めにいったら、誰が助けたかなんてどうでもいい事だろって。
スカしちゃって。カッコつけてるのが蹴りたくなるぐらいムカついたわ」
「怒るとこじゃねえだろ」
上条も唇の端をあげた。
過去の自分の武勇伝染みた話は、他人事とも言えずむず痒い気分になる。
「だから今回もそうじゃないかって…………うん。私の話はもういいわ。
それより能力のほうが気になるんじゃない?」
美琴は頬を軽く叩き、何かを振り払うように軽く首を振ってから上条に問うた。
「ああ。自分でもどうしてなのかわからない」
「普通に考えると、事故直後で不調だと思うんだけど……」
「頭と身体が治れば右手も戻るかもしれないか」
「……ただ、アンタ本人が言ってたけど、身体検査では無能力者扱いらしいのよね。
私の電撃に対抗できるなら、そんな訳がないのに。……っていうかアンタの力はなんなのよ。覚えてるの?」
ずずっと美琴が上条へと顔を寄せ、近づきすぎたのか少しだけ引かれる。
「……俺の右手は幻想殺しと言って、学園都市の開発を受ける前から持ってて
異能とか超能力みたいもんなら、神様の奇跡だって消せるらしい」
「はぁっ?」
なんだか馬鹿にされてるような響き。
自分で言ってても可笑しく聞こえる。でも実際そうだったのは間違いないのだ。
「……うーん、そうね。どこの学校でも、能力を消す能力者なんて聞いた事ない。
アンタと戦ってた時、右手で触れられた瞬間に、私の操作している力も物も全て無力化されたわ。
そこらへんの不良から逃げてたのも、単なる喧嘩には役に立たないって訳ね。
でも……そうするとさっきの話は関係ないのかもしれない」
上条がよくわからないと首を傾げる。
「学園都市以外の能力機関で開発を受けてたのか、そんなものがあるのかは知らないけど……
それともそういう才能があるのか、どちらにしても、私の知識じゃアンタの能力を測れないし、治るかもわからないってことよ」
「そっか……」
沈黙が降りた後、美琴はグラスを持ってジュースを飲み、上条は握力がまだ弱いため、顔だけを近づけストローで吸う。
お詫びと言ってはなんだが、一応美琴の奢りになっている。
「まあ……あんまり深刻にならなくていいんじゃないの? 誰だって調子が悪い時もあるわよ。
大体記憶喪失になるだけの怪我しといて、すぐ出歩いてるほうがおかしいでしょーが。もう少し休んで様子を見なさい」
「むむむ……」
もっともな意見ではある。
身体に異常はないようだが、自分の記憶がわからないぐらい、自分自身をわかってないのも確かだからだ。
「それにね……」
ガタンとテーブルをずらしながら美琴が立ち上がると、瞳には挑みかかるような熱が感じられる。
「何かまた事件があったら、アンタは能力が使えなくなったからって、濡れた犬みたいな
情けない顔しっぱなしのまま、黙っているような奴じゃないでしょう?」
「てめぇ……人を暴発寸前の鉄砲玉みたいに言いやがって……」
買い被りすぎじゃないかと思う。
けれど記憶を失ったばかりの自分を、美琴は信じていてくれる。
ならば、上条当麻がそういう人間だと、上条当麻が証明しなくてどうするというのだ。
「どうなのよ?」
悪戯した子供のように美琴は笑っていて
「ドヤ顔してんじゃねえよ。言われなくてもやってやるぜ」
上条も立ち上がり、歯を剥き出し不敵な面構えで笑う。
「その意気よ。……なんならリハビリに私も付き合ってあげるから」
「それは断る」
「なんでよ!」
ビリビリと稲光が飛び散り、上条が身を伏せた。
「だって危ないだろ。さっきの話だけど、人に雷落とすとか普通しねーぞ。
なんかお前、死線を越えて力を取り戻せっ! とかいいそうだもん」
「なぐっ! リ、リハビリでそんなもんやるわけないでしょーが!」
元々、努力家の美琴は女子中学生にも関わらず、決闘とか修行とか少年漫画のノリが大好きだったりする。
興が乗ってシチュエーションが噛み合えば、言っちゃうかもとか自分を疑ってみたり。
「と に か くっ! 能力を確かめたかったり、聞きたい事があれば力貸してあげるから。ほら」
携帯が突き出される。
「記憶無くしても携帯ぐらいは使えるんでしょ? いつでもいいからかけてきなさいよ」
「あ、ああ」
勢いに押されて上条も携帯を取り出し通信で番号を交換する。
「これでよしと。さて私はもう行くわ。アンタも早く帰って休みなさい。
こうしてる間も、忘れちゃった脳に負荷がかかってるかもしれないわよ」
美琴は立ち上がって伝票を取った。
上条が壁にある時計を見ると、話し込んでいたためかおやつの時間が近くなっている。
昼には帰るつもりだったため、朝食しか食べていないインデックスがお腹を空かせているだろう。
「そうだな。俺も帰るよ。サンキューな御坂」
「なっ……! た、たいした事じゃないわよ」
追っかけっこばかりのせいか、名前を呼ばれたのは初めてで、慌ててしまう。
手を振って出て行く上条に、美琴は変な顔をしながらも手を振り返し見送った。
「うーなんか変な感じ……勢いで番号交換しちゃったじゃない……
ま、まあ、あいつも大変だから、助けてやらないとねっ」
なんだか言い訳してるかのように呟いてから
(にしても、記憶喪失か……)
美琴は上条について思考を巡らせた。
脳の異常や疲れで、演算や出力が低下するのはよくある。
けれども、健康体に見える状態で全く使えなくなる事はあるのだろうか?
美琴の知る限り、能力開発というのは新しい学問で、病に関した情報はそう多くはない。
記憶喪失が能力に影響した前例も、またない。
美琴は考えながらも会計を済ませて、外へのドアを開いた。
記憶と言えば、専門家といっていい能力者もいるのだが。
(無いわね。あんな奴に何かさせたら、能力どころか遊び半分に記憶を無茶苦茶に改竄されかねないわ。私の知り合いってだけでなんかしそうだし)
そこまで、考えた所で美琴は脚を止めた。
「記憶の改竄……アイツがアイツじゃなくなる……」
自分だけの現実『パーソナルリアリティ』
もしも記憶を失ったことで、それが改変されていたとしたら?
精神の変質に伴って能力そのものが変化・消失してしまう可能性が考えられるのではないだろうか。
前述の通り、能力開発の歴史は浅く、パーソナルリアリティを見出した先、それを変容させる所までは進んでいない。
突き詰めれば、能力を変えるために記憶と精神を操作するという非人道的な研究に辿り着くかもしれないが、美琴にはそこまでの発想はなかった。
慌てて携帯を取り出し連絡しようとしてる途中で、動作を止める。
推測というよりは、当てずっぽうな妄想でわざわざ不安にさせてもしょうがないからだ。
それに記憶喪失になった人間へする話でもない。
お前が別人になったから、能力が消えたとでも言えばいいのか。
(アイツの力は学園都市とは関係ない。考え過ぎよ。アイツは全然変わってなかったじゃない)
美琴は自分に言い聞かせるよう心の声にしがみつく。
けれど一度宿った不安は、鉛のごとく胸の中に重く沈み込んで、再び浮かび上がる事はなかった。
午後六時を過ぎた頃、上条は米袋と他食料品を両手に持って、一人でスーパーから学生寮へと帰る最中だった。
夏の空はまだ明るくて、人通りも多くにぎやか。
「米が安くて助かったな。インデックスがすげぇ食べるし」
最初は第一印象と結構違うなーとか思ったりもしたが、美味しそうに、嬉しそうに、食べている様子を見るのは嫌いではない。
病室で会った時の、脆さを感じさせる笑顔よりは、ずっとよかった。
昼間も素麺を作ってあげると、1kg近くは食べたものだ。
「でも、この米ホントに大丈夫かぁ……?」
『私たちが作りました!』と、大々的に写真が貼ってあったのだが、写っている場所は
どこかの研究所みたいなとこで、白衣とマスクとゴーグルで完全武装した人達が
稲をわんさかと握っているのは、なんというか洒落が効き過ぎてる感がある。
人工栽培100%という謳い文句が通じるのは流石学園都市と言ったところなのだろうか。
そんな益体も無い事を考えていると遠目に、学生寮が見えてくる。
上条はまだ、インデックスに右手が使えない事は伝えていない。
それを伝えるのは若干の恐怖がある。
魔術師との戦いに巻き込みたくないというインデックスが知ったら、上条を案じて離れようとするかもしれない。
それが間違いというのはわかっているのだが、言えない。
今は時間が解決するのを祈るばかりだった。
「久しいね。上条当麻」
「え」
そう考えていた矢先、赤髪の、黒衣を纏った長身の男が目の前に立っていた。
よく見れば上条よりは年下に見える。
けれど、そうとは思わせない異質な雰囲気を纏った異様な少年だ。
「誰だお前……!」
瞬きする間に、影から湧き出たかのような出現に上条は叫び買物袋を捨てる。
身体が勝手に動いて、そうするのが当たり前かのような無意識の行動。
「ふむ。そう答えるのか。……なら初めましてとしか言いようがないね。
僕はステイル=マグヌス。禁書目録に関わった魔術師の一人といえばわかるかい?」
「……話には聞いてる」
上条はそう言われても、睨むのをやめない。
その言葉が本当ならば、上条と戦ったものの最後は共闘してインデックスを助けたらしかった。
ただ、あまりに胡散臭い見かけと突然の登場に警戒が先に立っていた。
「悪くないね……いい緊張感だ」
「……お前があまりに怪しいからな」
「科学最先端の学園都市では、浮いているのを認めるよ」
「お前はどこでだって、浮くんじゃねえか」
白人で、2メートルはある身の丈を覆う漆黒の修道服に、五指にゴテゴテしく嵌められた銀の指輪。
染めた赤髪や、目の下にあるバーコードの刺青を持つ少年が相応しい場所など、上条の知識には存在しない。
人通りは多かったはずなのに、気付けば浮いたステイルの姿を見るものは上条以外いない。
「さて……世間話はどうでもいいんだ。君が記憶喪失になったのと同じくらいね」
「……なんだと」
記憶喪失を知っている事と、あまりな物言いに上条は気色ばむ。
「大事なのは、君が記憶と一緒に落っことした、右手の力さ」
「なっ……ッ……!」
反応できなかった。
ステイルの片手が振るわれ、右手へカードが飛び燃え上がったのだ。
炎は一瞬で消えたが、煙草でも押し付けたかのような、小さな火傷痕が残っている。
「ぐっ、テメェ……なにしやがる……!」
「やれやれ。情報通りか。本当に幻想殺しは使い物にならなくなったみたいだね」
「記憶喪失といい、何故、お前がそれを、知って―――」
「囀るなよ一般人」
「う……っ!」
冷たい声と共に、視界が赤く染まった。
爆音と共にアスファルトが焼け焦げて、辺りに熱気と悪臭を飛び散らせる。
ステイルが、上条の足元にカードを投げて炎の壁を作ったのだ。
業火はカードから絶え間なく噴き出して、二人の間を完全に遮っている。
仮に液体燃料か何かをカードに染み込ませていたとしても、こうは燃えないだろう。
上条の脳裏に、人払いや炎のルーンを使っているという知識が勝手に浮かび上がった。
謎の知識に混乱するが、ステイルの言葉は続いている。
「僕が一時でも、あの子を、インデックスを預けた理由は、君が魔術師を追い払う程度には
使えると判断したからだ。それが、これはなんだ? 子供騙しにもならない
かんしゃく玉程度の火で火傷するなんて。おちおち監視もしてられないよ」
つまり、上条がインデックスを守れないだろうから、現れたと言っている。
反論しようとするが、熱気に押されて、上条は数歩ほど無意識に後ずさった。
魔術による高い熱量は、並みの人間ではその場にいる事すら許されない。
炎の壁は、力有る者と無い者を、はっきりと分け隔ててしまっている。
上条の様子を見て、ステイルの口が皮肉げに弧を描いた。
「まあ……危機に対処する能力も何も無いなら、そんなものだろうね。誰だってそうだろう。君も例外なく」
笑っているのに、つまらそうな言葉の響き。それが何故なのか、上条にはわからない。
ステイルは軽く腕を振っただけで炎を収め、背を向け歩いていく。
「お、おいまて、テメェどうするつもりだ!」
「別になにもしないさ。君はあの子と適当に、仲良くやっていればいいよ」
揺れがある上条の問いに、ステイルは首だけで振り向き、どうでもよさそうに答えた。
「だって、お前は、俺が無力だから、インデックスを連れて行こうとしてるんじゃ―――」
「そうしたいならば連れて行ってもいいけど、そういう命令は出てないからね。
あの子も望んでいないだろう。君の力がチェックできたから、もう用はないよ。
あの子が魔力を感知して、来るかもしれないし」
「待てよ!」
「まだ何かあるのかい」
上条が更に呼び止めると、立ち去ろうとするステイルが面倒そうに向き直った。
「俺が力不足なのはわかっている。でも、インデックスを守りたいのは俺も同じだ。
今の俺だって、何かあれば手伝えるかもしれない。だから―――」
「ふうん……君は今にもあの子をさらおうとする魔術師にも、同じように訴えるのかい?
自分が何かできるかもしれないから、待ってくれと」
「なっ……!」
最後までステイルは言わせない。言葉にはなんの価値も無いと断ずる。
「君は何もしなくていいよ。敵の魔術師が来たなら、僕が処理すればいいだけだ。
役目が欲しいって言うならさ、せいぜいあの子のご機嫌でもとっておいてよ。
あの子は優しいから。君も楽しいんじゃないかな」
そのまま薄暗がりへと消えていくのを、上条は呆然としたまま、見送るしかなかった。
ステイルの言葉には皮肉の色がない。
本当に、それがいいと判断したからそう言った。そのように思えた。
だからこそ、苛烈なほどの事実に、上条は打ちのめされる。
お前はいらない。守れないなら、代わりに子守りでもしていろ。
危険は退けておいてやる。お前も楽でいいだろう。
そう言われてるも同然だからだ。
けれど、何も言えなかった。
俯いた目で見れば、地面のアスファルトは焦げ溶け、炎があった所は、真っ黒く抉れた溝を曝け出している。
もしも、先ほどの炎がアスファルトではなく、上条の真下で巻き上がっていたらどうなっていたか。
インデックスを狙う魔術師が敵だとしたならば、被害は上条だけでは済まないのだ。
「ち、くしょうっ……! 勝手な事ばかり言いやがって……!」
気持ちとは裏腹に、身体に力が入らない。
まだ熱気が残る道路は熱いのに、恐怖で凍えて震えている。
インデックスに、美琴に、大きな口を叩いてこのザマだ。
精神論や気持ちでは追いつかない、インデックスを守るどころか、自分の身すら覚束ない絶望的な戦力差。
力が欲しい。上条は無力な右手を強く、強く、握り締めた。