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黒・田村は回復を始めた。
ふたたび、あのたくましい黒い筋肉をまとう黒人の姿に変貌していく。
同時に、おれは、黒・田村から 突き刺すような強烈な殺意を感じた。
鋭い刃物のような殺意だ。
手が、指先が震え、胃の中が重くなり、頭がぼおっとする。
怒りにわれを忘れ、黒・田村は本気でおれを亡き者にしようとしている。
黒人のあの力を持ってすれば、老衰したおれをひねり殺すくらい、いとも簡単な事だろう。
しかし、敵対する相手とはいえ、おれは黒・田村のかたわれだ
もしも自分のかたわれを亡き者にしたら、一体どんなことが起こるのか?
田村という存在自体が無くなってしまうかもしれない。
きっと、黒・田村が、すぐにおれを始末しなかったのはそれを恐れてだ。
・・・・それならまだいい、美寿々は助かる。
もう、自分のことなどどうでもいい、美寿々さえ助かってくれれば。
問題は、黒・田村がおれを殺し、それでもあいつが現実世界に生き残れた場合だ。
見かけは田村勝弘以外の何者でもない、その男。
DNA鑑定でも、間違いなく本人だ。
しかし中身は・・・・・・それは、黒・田村だ。
魂を違えた、まがいものの田村。
想像するだけでも恐ろしい。
黒・田村の正体を、その悪意を、知るものは誰もいない。
美寿々は現実世界で、黒・田村の性の奴隷にされてしまう。
いや、もっと不幸な、社会を巻き込むような恐ろしいことが起こるかもしれない。
美寿々!起きてくれ!美寿々!
チャンスは、今しかないんだ!
おれはありったけの思念を美寿々にぶつける。
身体の機能だけを衰えさせ、脳をはっきりさせたのは、黒・田村の底知れぬ悪意だ。
美寿々への辱めをしっかりとおれに見せ付け、絶望させ、弱らせるつもりだ。
おれは心の奥底に、自分自身を否定するような、そんな恐ろしいものが潜んでいたことにりつ然とした。
黒人は身体を起こし、しかし足腰が上手く動かないのか、手でこちらへ這い進んでくる。
憤怒に狂った、悪鬼のような表情だ。
みるみるうちに間が縮まり、手を伸ばし、おれのしわくちゃな首をつかもうとする。
もう少しでつかまる!
死のあぎとが、今にもおれを捕らえようとする!
もう一度だ!
「勝弘ッ!」
雷鳴と衝撃!
ふたたび黒・田村は部屋の端まで吹き飛ばされた。
しかし、最初のようなダメージは与えることが出来ない。
すぐに動き出そうとする。
このままでは・・・。
なにか白いものが、おれの視界をさえぎった。
細く、愛らしい白い影。
美寿々だ!失神から回復したのか。
美寿々は目に涙を浮かべて、おれのしわくちゃなほおに両手をそえる。
天使のような顔は、年老いたおれをただ、まっすぐに見つめている。
長い放浪の旅の果てに変貌した男を迎えいれる、その恋人のように。
・・・おれは生まれてから今まで、こんな慈愛に満ちた表情を見たことがない。
うっとり見とれている場合ではない。
美寿々!逃げるんだ!
早く!時間が無いっ。
おれはうめき声のような声をふりしぼった。
しかし、美寿々は動かなかった。
美寿々は裸のままで、やさしくおれを抱きしめた。
あわれな醜い、年寄りのおれを。
美寿々がやさしく語りかける。
「大丈夫よ・・・・・どうしようもない事なんて無いよ・・・・・」
動けないおれの股間を、なめらかな優しい肌が触れた。
「あなたは勝てるわ・・・・だいじょうぶ・・・・あなたはステキよ」
萎えたおれのものを、細く、たおやかな指が優しく愛撫している。
「彼が・・・あなたのことを助けて欲しいって・・・・」
美寿々は優しく愛撫を続ける。
彼・・・・って?
おれの頭に、美寿々の前夫の、車椅子の青年のことがよぎる。
「私のことを、たのむって・・・」
美寿々の目に涙がうかんだ。
次第に自分の内側から、暖かいものが沸きあがってくる。
欲望ではなく、生気が、蘇えってくるのを感じる。
ミイラのように萎み、ひからびた腕に、足に、筋肉のふくらみがよみがえる。
老人班が消え、しわが伸び、肌がつややかさを取り戻す。
体が軽くなり、目は、美寿々の美しい顔がはっきりと見えるようになった。
耳は美寿々のやさしい声を聞くことができる。
髪は、黒く、ふさふさと伸び、股間の愛撫を受けているものは元気を取り戻してきた。
ああ、美寿々はおれのものを口に含んだ。
優しく愛撫する。
笑ってもいい。
そのとき俺は、美寿々の裸の背中に一対の白く輝く羽が生まれるのを、確かに見たよ。
天使の羽を。
とても、きれいだ・・・・。
おれは、もとの姿を取り戻した、そして、もとの心を。
ペニスを口にしている美寿々を、やさしくひきはなし、しゃがんで顔をよせる。
そして、まだ夢の中を漂っているような、まるで妖精のような顔のそのくちびるにそっとキスをした。
やさしく、しっかりと、愛をこめて。
こちらへにじり寄る黒人の顔が、変貌をはじめた。
田村の顔ではない、父・鷲塚を鬼のようにデフォルメした顔に変貌を遂げていく。
目には、目をということか。
もう、その手は使えないということか。
認めたくない自分の姿とは、よくぞ言ったものだ、グロテスクで見ているのがつらい。
「正義感ヅラして、このわしにたて突いた、その代償は支払ってもらうぞ」
父の顔をした黒・田村は蜘蛛のように床を這い、すぐそこまで迫ってきた。
黒・田村の動きを封じる。
それが出来ることは、もうわかっている。
美寿々を抱きしめたまま、おれは右腕をあげ、黒・田村の方にこぶしを突き出す。
父の顔をした黒・田村の動きが止まる。
指を広げ、そしてゆっくりと何かを握り締めるように指を曲げ閉じてゆく。
黒・田村の存在がゆらぎはじめた。
風向きが変わった、美寿々が変えてくれた。
今度はおれが、この場の主人だ。
見よう見まねで、黒・田村の動きを、つぶやいた太古の言葉をなぞる。
見えない力が黒・田村の存在を変えてゆく。
黒・田村は、父・鷲塚の姿から、黒人へと変貌をとげる。
黒人は見えない力に動きを封じられ、顔をゆがめながら、おれに言う
「・・・どんなに言葉を並べても、目覚めた美寿々はもうお前を許してはくれまい」
おれの呪文は、さらに続く。
そして、もう一人の田村の姿に変貌をとげる。
黒・田村は自由をうばわれた声をふるわせ、おれに言う
「法律は・・・あなたを・・・・許しませんよ」
おれは苦笑した。
「それ、おれの決めゼリフだよ」
こんどは黒・田村の体を、幼くさせてゆく・・・弱く、小さく、無垢に、そして・・・。
しょせん、おれはおれ。
お互いのやり方は手の内にあった。
黒・田村はとうとう赤ん坊の姿になった。
あの黒・田村はもういない。
そこにいるのは、やすらかに寝息を立てている無垢な赤ん坊だけだ。
つづく