珍しい。  
あのチェルシーさんが、ぼーっとして考えごとをしているなんて。  
こうして近づいて、真後ろに立っていても声ひとつ発しないなんて。  
 
「何か用? メガネ君」  
「……気づいてたの?」  
 
いや、声に出さないだけで、ボクの正体はばれていたようだ。  
さすがはチェルシーさんだ……と思ったのだけれど。  
気づかないわけないじゃない、とか、あんたの気配なんて丸わかりよ、とか。  
予想したそんな威勢のいい返事はなくて、こうして縁側に座った後ろ姿もどこかしおらしい。  
うーん。やっぱりいつもの彼女じゃない。  
どうしても気になって――いや、気になるのはいつものことだけれど――、放っておくことができなかった。  
 
「どうしたの? なんか元気ないじゃない」  
 
ボクでよければ話だけでも聞くけど。  
そう言って、チェルシーさんと同じように、この留美奈の家の縁側に腰かける。  
チェルシーさんはしばらく黙っていたけれど、やがて、ぽつりぽつりと語り始めた。  
 
「……ルリ様が、ね」  
 
ああ、とボクは小さな相槌を打つ。  
予想はできていた。  
チェルシーさんの心配事って言ったら、たいていルリさんに関することだから。  
 
「ほら。今日はルリ様、あいつと一緒に出かけたじゃない」  
 
チェルシーさんの言うとおり、ルリさんは日曜日の今日、朝から留美奈と出かけていた。  
映画を見に行くと言っていたけれど、空にはすでに月が顔を出し、ボクの腕時計はもう二十時になろうかという時刻を示している。  
何もかもが物珍しいルリさんのことだ。きっと、あちこちをぶらぶら歩きまわっているのだろう。  
誰がなんと言おうと、それはもう完全にデートと呼べる行為だった。  
そんなときにどうしてボクが留美奈の家にいるのかというと、「金髪がオレたちの邪魔をしないように見張っててくれ!」というわけだ。  
 
「わかるのよ。ルリ様の中で、あいつの存在が大きくなっていくのが……」  
「うんうん。惚れてるんだろうね」  
「惚れ……ッ!?」  
 
隣に座るチェルシーさんの声がひっくり返る。  
でも、構わずボクは続けた。  
留美奈の言葉を借りれば、  
 
「そりゃあルリさんにとって、かくまってくれたり命がけで守ってくれたりした留美奈は『正義のヒーロー』なんだから」  
「…………」  
「だから、ルリさんが留美奈のことを好――」  
「それ以上言うなあっ!」  
 
Gを伴った重い拳が、顔面にクリーンヒットする。  
ボクには台詞を言い終えることさえ許されなかった。というより、言い終えられないようにしたんだろうけど。  
あまりの痛みに、たっぷり一分は畳の上でのたうち回ったと思う。  
チェルシーさんの情け容赦ないパンチは受け慣れているとはいえ、毎度毎度の激痛には未だ慣れない。  
ああ、眼鏡のレンズにもひびが入っちゃったよ……もう使い物にならないな。スペア持ってきてたっけ。  
まあ、それだけで済んだのならいいほうだ。  
視力を矯正するものがなくなってぼやける視界の中に、肩を震わせる女性の姿が見えた。  
 
「何が正義のヒーローよ! バカじゃないの、ったく」  
 
認めたくないんだな……。  
ああ見えて、留美奈も悪いやつじゃないんだけどな。  
もちろんチェルシーさんだって、そんなことはわかってるんだろうけど。  
まあ、いくら周りが反対したって、こういうことは結局当人たちの気持ち次第なんだし。  
むしろ反発されればされるほど燃え上がる、っていうのが常だし。  
 
「チェルシーさんは、恋とか付き合ったこととかないの?」  
「はっ?」  
「いや、だから。恋愛、したことない?」  
 
あるのなら、ルリさんの気持ちだってわかると思う。  
でも、正直に言ってしまえば男勝りなチェルシーさんの、いわゆる「恋する乙女」な姿なんて想像できない。  
見てみたいとは思うけれど。  
というか、ボクがその相手になれたらなあ……なんて思うけれど。  
いや、でも。想像できない。  
 
「そりゃあ……ないわけじゃ、ないけど」  
 
そんなボクの貧困な想像力を一蹴するかのように、意外にもか細い声が返ってきた。  
……へえ、そうなんだ。ふうん。  
気になる。  
チェルシーさんのタイプって、どんな人なんだろう?  
チェルシーさんって、どんな恋愛するんだろう?  
チェルシーさんの相手って、ボクじゃやっぱりふさわしくないんだろうか?  
――思考が脱線しそうになり、ボクは慌てて続きを切り出した。  
 
「そ、そう。だったらさ、ほら、ルリさんの気持ちも……」  
「あんたはどうなのよ」  
「え?」  
「メガネ君こそ、好きな子とかいないわけ? こ……恋、したことないの?」  
 
どうしてそんな話になるんだ? ボクの恋愛は関係ないじゃないか。  
けれど、自分が先に訊いた手前、「私は言ったんだからあんたも言いなさいよ」とでも言いたげな視線から逃れることはできそうにない。  
さて、何と言おうか。  
根が正直なのは人として良いことなのかもしれないが、人生の多くの場面において、たいてい不利だ。  
こういうときだって、ほら。  
 
「う、うん、まあ……いるよ」  
 
いない、とか、前はいた、とか、そんなふうに適当に言えばいいのに。  
つい本当のことを口にしてしまう。  
 
「へえ。……どんな子?」  
 
どんな子、と尋ねられ、ボクの視線は反射的にその発言の主をとらえる。  
そのまま言葉に詰まって、十秒はじっと彼女を見つめてしまった。  
 
「え、えと……しっかりしてて、芯が強くて、髪が長くて……凛々しくて、綺麗で……」  
「……そう」  
 
な、何を言ってるんだボクは! しかも彼女を見つめながら!  
これじゃあ誰のことを言ってるのかバレバレじゃないか。  
まあ、当人の顔がこちらを向いてなかったことだけが幸いだけれど。  
正直なら正直でいっそ「それはキミのことさ」なんて言えたらいいものの、生憎そんなことを言うキザな勇気も持ち合わせていない。  
 
「…………」  
「…………」  
 
……なんだ、この沈黙は。  
気まずい、気まずい、気まずい……。  
何か言わなきゃ。何か言わなきゃ。えーと、何か。  
 
「メガネ君」  
「へ?」  
「しよっか」  
「な、何を?」  
「……バカじゃない? あんた」  
「はい?」  
 
いきなり罵倒される意味がわからない。  
目をしばたかせてチェルシーさんをよくよく見たけれど、裸眼ではその表情を細かく観察することができなかった。  
そんなチェルシーさんの顔が近づいたと思うと、  
 
「こういうときに、しよう、って言ったら――」  
 
しっかり判別できる距離を簡単に通り越して、ゼロになる。  
……ゼロ? あれ?  
 
「――こういうことしか、ないじゃない」  
 
え? え? こういうことって、ええ!?  
すうっと離れていく、チェルシーさんの顔。  
ぼ、と火がついたように顔が熱くなる。ボクはすっかり混乱していた。  
 
今、き……キス、された? な、何かの間違いじゃないのか?  
けれど、唇に残る柔らかな感触が、夢でも勘違いでもないことを物語っている。  
ボクは呆然として、目の前の赤い唇を見つめていた。  
それと同じくらい赤く頬を染めたチェルシーさんが、ボクの胸にしなだれかかってくる。  
どうしてだろう、その体が少しだけ、ほんの少しだけ震えているような気がした。  
 
「……抱いて」  
 
は?  
だ、だだだ、だい……!?  
きゅ、急に何を言い出すんだチェルシーさん!  
ボクは目を白黒させて、眼下で艶めく金色の髪を見つめた。  
 
「お願い」  
「チェルシーさ……」  
「何も言わないで抱いてよ!」  
 
思いのほか大きな声での懇願に、びっくりしてしまった。  
抱いて、だなんて、チェルシーさんは一体どうしてしまったのか。  
冗談だろうって笑い飛ばせたらどんなによかっただろう。  
けれど、ボクの服の袖をきつく握りしめる拳が、笑うどころかかける言葉さえ迷わせた。  
 
「それとも、私は嫌? どんなにお願いしても、私じゃダメなの?」  
「そんなこと! そんなこと、ないけど」  
 
嫌なはずがない。  
むしろ、喜んで相手になりたいくらいだ。いろいろ順序を間違えているというか、すっ飛ばしているけれど。  
ボクだって男だ。好きな人の肌に触れてみたい、抱いてみたいと思うことだってある。  
でも、いくらなんでもこんなに唐突に迫られて、「はいそうですか」と素直に安請け合いできるはずがない。  
 
「ないけど……だけど」  
「だったら――」  
 
そんなボクの心情なんてお構いなしに、もう一度、チェルシーさんは唇を重ねてきた。  
すっかり混乱した脳みそをとろけさせるような甘い感覚に、呼吸を忘れる。  
 
「…………!」  
 
ぬるりとしたものが口の中へ入ってきて、舌を絡め取られる。  
こ、これ、チェルシーさんの……舌?  
そう思い当たると、途端に体中が一段と火照り、体中がしびれるような錯覚を覚えた。  
心臓が、ばくばくばくばくと異常な心拍数を叩き出す。  
初めてのキスは、何をされたのかわからないくらい唐突で。  
二度目はいきなり……こ、こんな濃厚な……。  
思いもしなかった展開についていけない。何もできない。  
頭がくらくらして、ボクは部屋のカーペットの上に倒れこむ。  
いや、正確には、チェルシーさんに押し倒されていた。  
それだけでも男として情けないのに、さらに情けないことに、口づけのせいでボクの息は上がっていた。  
見えなくてもわかる。きっと、今のボクの顔は茹でだこ状態だ。  
 
「ど、どうしたの? チェルシーさん……なんか変だよ、今日」  
 
返事はない。  
その代わり、抱きしめるようにして、ボクの胸に強く身を寄せるチェルシーさん。  
触れ合ったそこかしこから感じる女性特有の柔らかさを、どうしても意識してしまう。  
や、やばい……。  
そういう類の経験がないボクに、この刺激は強すぎる。  
 
「だ、ダメだよ……」  
 
震える声では、まるで力がないけれど。  
そんなボクの言葉に寂しそうに歪んだ間近にある表情が、やけに儚げに見えた。  
ごくり、と喉が鳴り、体の一部分に熱が集中していってしまう。  
どうにかしようにも、自分でコントロールができない。  
そして、体が密着していれば当然、それは相手にも伝わってしまうわけで。  
 
「……口と体とで、言ってることが違うみたいだけど?」  
「っ……!」  
 
す、と伸ばされた白い指が、主張を始めたボクのそれをズボンの上からそっとなぞった。  
思わずぞくんと全身が震え、そしてたちまち力を奪われる。  
あ、人にされるって、こんな感じなのか……ああ……。  
……じゃなくて!  
もう何がなんだかわからない。  
 
「な、なに、何し……」  
「ふふっ……気持ちいい?」  
「うあ……」  
 
目を細め、口角をにやりと上げた、そんな。  
見たこともない妖艶な笑みを前に、ボクは情けない悲鳴を上げた。  
ああ、いいように弄ばれて、なんでこんなに……!  
けれど、収まれ、興奮するな、といくら頭で命令を下してもまるで無駄だった。  
むしろそれは疼きながら大きくなるばかりで、自分の体なのにどうしようもない。  
 
「だ、ダメ……だって、そんな……あ」  
「へえ。可愛い顔してくれるじゃない」  
 
くすくすと愉快そうに息を吐くチェルシーさん。  
完全に遊ばれている。  
未知の感覚に喘ぐ僕を尻目に、いとも簡単に人のズボンの留め具を外して、下着ごとずり下ろしてしまう。  
 
「うわっ、ちょっと!」  
「ダメダメ言うくせに、こんなに元気になってるじゃない。ほら」  
「う……」  
 
なんだかもう、目の前で起こっているはずの出来事が、遠い世界のように感じる。  
チェルシーさんの頬がうっすらと赤く染まっているのは、少しぐらい羞恥心もあるのだろうか。あってほしい。  
その頬よりずっと赤くてつややかな唇に、グロテスクな男のモノが触れそうなくらい近づいて……って、く、口!?  
まさか口で!? あああ、いくらなんでもそれはダメだ!  
本格的に抵抗できなくなる前に、手を打たないと。  
 
「チェ、チェルシーさん!」  
 
ろくに立ち上がることもできないまま、ボクは慌てて後ずさりした。  
そのまま後ろ手で、何かから逃げるように、庭に面するガラス戸を閉める。  
ついでにカーテンにも手を伸ばし、力任せに引っ張る。  
外から隔絶された部屋の中、ぜえぜえと肩で息をしながら、ボクは力説した。  
 
「よ、よくないよこういうことは……やっぱりさ、ほら、好きな人とするべきだよ、うん!」  
 
好きだから、チェルシーさんとそういうことをしたいとは思う。  
でも、好きだからこそ、自分の体は大事にしてほしい。  
ボクなんかじゃなくて、もっと、本当に好きな人にだけ許してほしい。  
……説得力、全然ないけれど。こんな股間丸出しじゃ。  
 
何か難しい顔をしてボクをじっと見ていたチェルシーさんが、四つん這いでゆっくりとにじり寄ってくる。  
こ、これじゃあまるで猫に追い詰められたネズミだ。  
ひええ……このまま、また襲われてしまう……!  
けれど、意外にもチェルシーさんは、俯いてぽつりと小さくこぼした。  
 
「……好きでもない奴に、抱いてくれなんて頼まないわ」  
 
――一瞬、ボクの時間が止まった。  
 
「ん? す、好き……ええ!?」  
「う、うるさいわねっ! 悪い!?」  
「わ、悪かないけど! そうじゃなくて、その、今……なんて……」  
「私だって、あんたなんかに惚れるなんて思いもしなかったわよ!」  
 
ひょろひょろしてて、頼りなくて、けれど。  
たとえば、人の役に立ちたい、自分も戦えるようになりたいと願う姿は一生懸命で。  
たとえば、分厚い眼鏡の奥に隠された眼は驚くほど澄んでいて。  
今までに会ったことのないタイプだと思っていただけだったのに、いつの間にか気になる存在になって、気がつけば好きになっていた。  
――と、そういうこと、らしい……。  
ぼそぼそと真っ赤になって説明したチェルシーさんは、数分前までは想像もできなかった「恋する乙女」そのものだった。  
いつものような凛とした覇気がない代わりに、なんだかいじらしくて可愛くて。  
 
「……忘れて」  
「えっ?」  
「悪かったわね、急に変なことして。そりゃそうよね、私じゃそんな気も起こらないわよね」  
「そんなことないっ!」  
 
気がつけば、今度はボクのほうが声を荒げていた。  
きょとんとしてこちらを見上げる目に、しどろもどろになりながら言葉を続ける。  
 
「あ、あの、ボクだって……」  
 
どんなときも仕えた相手のためを思う、強くて頑なな忠義心。  
輝くような長い髪と、強気で男勝りなのに笑うと可愛いその顔。  
そんな魅力を持つ、チェルシーさんが。  
 
「ボクもチェルシーさんが、その、好きだよ」  
「……え」  
「ボクなんかじゃ相手にされないだろうって思ってたんだけど」  
 
ぽかんとして見開かれた二つの目が、じっとボクを見つめてくる。  
それがふて腐れたように反らされるまで、数秒の間があった。  
 
「……嘘なんか、ついてくれなくてもいいんだから。よけい惨めになるだけだわ」  
「嘘じゃないよ。そうでもなきゃ、わざわざ休みの日に出かけた友達の家に遊びに来たりしない」  
 
チェルシーさんの見張り役、っていうのは体のいい口実。  
彼女と二人きりで一緒にいられるなんて、願ってもいないチャンスだった。  
ボクの気持ちを知ってか知らずか、どちらにせよそんな相談を持ちかけてくれた留美奈に感謝したいくらいだ。  
 
「だから、好きって……そういうふうに言われると、ボクもその気になる」  
 
チェルシーさんがボクに好意を持っていて。  
気持ちを紛らわすためだけにとか、やけくそとか、相手が誰でもいいとか、そういうことではなくて。  
ほかの誰でもないボクとこういうことがしたいというのなら、話は別だ。  
今さらやめることなんてできない。  
 
縮こまっていたチェルシーさんの手を握って引き寄せて、今度はボクから口づけた。  
恐る恐る唇をくっつけ、しばらく動かないで、そのまま離すだけのぎこちない、そんなキス。  
 
「……へたくそ」  
「う……」  
 
ずばり言われた。き、傷つくんですけど。  
チェルシーさんはくすくす笑って、べつにいいけど、と手を振った。  
 
「まあ、下手なほうがあんたらしいわ。これから上手くなりなさい」  
「こ、これからって……」  
「いくらでも練習台になってあげるから」  
 
優越感と優しさを含んだ笑顔がにっこり眩しく向けられる。  
くらくら、めまいがした。  
練習台なんてとんでもない。チェルシーさん相手なら、ボクにはいつだって本番なんだけどな。  
ちゅ、と小さく音を立てて彼女の唇がボクのそれに一瞬触れて、去っていく。  
それだけでも、心地よさに惚けてしまうほどだ。  
 
「ま、とりあえず」  
 
夢見心地でいるボクと違って、チェルシーさんは現実的に言葉を吐き出した。  
彼女の目は外気に晒されたままの、その、元気いっぱいなボク自身に向けられている。  
その眼差しに先ほどまでの悪戯っぽさはなく、むしろ愛しげに見つめられていて、どきりとした。  
 
「ここまでしちゃったんだから、続きをしてあげないとね」  
「つ、続きって」  
「大丈夫よ。任せなさい」  
 
た、頼りになるなあ……うーん。  
 
ボクがどうすればいいかなんてわからないし、言われたとおり彼女にお任せすることにする。  
そんなボクに、にこ、と一度微笑むと、チェルシーさんは舌を這わせ始めた。  
 
「くっ!」  
 
力の行き場を求めて、カーペットを握った。  
今までに感じた快感のどれも比にならないほど、強い衝撃がそこを……というか、脳天を直撃する。  
……やばい。すっごい気持ちいい……。  
ただただ喘ぐことしかできないボクをよそに、チェルシーさんは口を動かす。  
ときおり舌でちろちろ先端をくすぐったり、すうっと裏筋を舐め上げたり、くわえこんで擦ったりした。  
……大好きな人が、ボクのそれを舐め上げている。口にくわえ、一生懸命に奉仕している。  
その光景だけでもたまらないのに、実際に与えられる快感はそれ以上で。  
ボクは早くも根を上げた。  
 
「ううっ、や、やば……出そ……」  
「ん……」  
 
独り言のように小さく呟いたけれど、本当は独り言のつもりじゃなかった。  
だって、このまま出したら、ねえ。とんでもないことになるじゃないか。  
それなのに、チェルシーさんは口を離そうとしない。  
むしろ、よけいに強く吸っているような……。  
 
「ち、チェルシーさん、聞いてる!? もう出る……ってばっ」  
「んんんっ」  
 
気のせいじゃなかった。  
頑として離れず、眉根にしわを寄せて舌の愛撫を続けている。  
ボクなんかが太刀打ちできるはずもなく、あっさりと限界に達した。  
 
「うあ……あああっ!」  
 
びくびくと自分が波打つのがわかる。チェルシーさんの口に出してしまった。  
この瞬間、視界が真っ白にスパークしていたから、彼女がどんな顔をしていたのかはわからない。  
気がついたときには。  
呆然と肩で息をするボクの目の前で、チェルシーさんは、ボクの出したものすべてを飲み干してしまった。  
 
「な、なんで……」  
「なんでって、口を離したらあんたのが飛び散るじゃないの」  
 
……そんな理由で飲んだのか。  
指先で唇の端を拭う姿を見て、なんだかとんでもないことをしてしまった気になる。  
いや、実際、とんでもないことをしたんだけれど。  
 
「ご、ごめん! 変なモン飲ませて」  
「ホントよね。こんな変なモン、飲んだことないわよ」  
 
やれやれ、とでもいうようにため息をついて言われた。  
自分で言うのとは別に、人に「変なモン」って言われると軽くショックだ。  
そりゃ、たしかに変なモンは変なモンだよ。でも、だからって。  
 
「……あんたのだって思ったから、飲めたんだから」  
 
って……あれ。  
ちょっと頬も赤いし、それってなんか、けっこうな殺し文句じゃないか。  
……う。ヤバい。  
弛緩した全身とは逆に、元気よく頭を持ち上げる、ボクの正直なそれ。  
 
「あ」  
「元気いいわね」  
 
くす、と悪戯っぽく笑うチェルシーさん。  
その通りだから反論できない。恥ずかしいけれど。  
 
「でも、あんたばっかり気持ちよくなってないで……私にもしてよ」  
 
熱っぽく潤んだ双眸で迫られて、断れるわけがなかった。  
 
体勢逆転で、床の上にチェルシーさんを組み敷いて。  
さてどうしよう、なんて思ったのは最初だけだった。  
白いシャツをたくし上げて手を挿し入れると、柔らかな膨らみにぶつかって。  
あとは本能のままに、したいことをする――  
 
「……んっ」  
 
指先でふみふみと揉んでみた。  
うわ、ホントに柔らかい。  
触ったことのない感触が面白くて、すごくどきどきして、興奮する。  
いつの間にかボクの手は、チェルシーさんの下着を押し上げて、てのひら全体でその山を揉んでいた。  
ちゃんと服を脱ごうと思わなかったのは、途中でこの家の主たちが帰ってきたら、と思ったから。……かな?  
それとも、早く触れたくて、早く先に進みたくて、裸になるわずかな時間さえ惜しかったのかもしれない。  
 
「あ、あっ」  
 
細くて短い声が断続的に上がって、何か痛くしてしまったのかと思ったけれど。  
チェルシーさんの顔を見れば、寄せられた眉根の下の瞳は潤み、頬は赤く染まっていて。  
何かに耐えているような、今にも泣きそうな表情が……すごくソソる。  
 
「ふあっ……あん、ん……」  
 
言葉にならない甘い声で喘ぎながら、チェルシーさんは脚を緩慢に動かす。  
もじもじと内股をすり合わせているようだ。  
その動きも扇情的で、上半身だけじゃなくてそちらにも俄然興味が湧いてくる。  
 
「こっちも、いい?」  
 
一応お伺いを立ててみた。チェルシーさんは黙ってこくりとうなづく。  
 
ジーンズのパンツを脱がせてしまうと、ぐっしょりと濡れきったシンプルな下着が現れた。  
 
「うっわ、すご……」  
「や、やだっ……バカ、何言ってるのよ……んっ」  
「え? だ、だって」  
 
こんなにびしょびしょになるものだなんて知らなかったから。  
でも、下着を眺めているだけじゃ物足りない。その薄い布も取り払ってしまう。  
……初めて見る女性のそこに、ボクの目は釘付けになった。  
 
「そ、そんなに……近くで見ないで……」  
「あ、う、うん」  
 
羞恥に掠れるチェルシーさんの声にもどきどきしてしまう。  
けれどどうしても視線はそらせなくて、やはりそこを見つめたまま、おそるおそる触れてみる。  
 
「ひぁっ!」  
「え? ご、ごめん」  
 
短くて甲高い悲鳴に驚いて、思わず手を引っ込める。  
い、痛かったかな? 変なところを触ってしまったとか?  
 
「な、なんで謝るのよ……」  
「へ?」  
 
豊かな胸を上下させて、涙目でボクを見るチェルシーさん。  
きゅ、と握った両の拳に力をこめて。  
 
「……やめないで。もっと、して……」  
 
かすかに震える声で懇願されて、ボクは彼女の悲鳴の意味を感じ取った。  
触ることも、触り方も間違っていたわけじゃないのだ。  
くぼんだところを、ぷっくりと充血している突起を、柔らかく撫でていく。  
そのたびに、  
 
「あ、あっ、ふああんっ……そこ、あっ!」  
 
悩ましい喘ぎ声を上げて、チェルシーさんは悶えた。  
その姿が今までに見たことがないほど色っぽくて、可愛くて、妖艶で。  
 
「ん、あう、んああん……!」  
「チェルシーさん……」  
「あん、あ……ひゃん、あ、ああ……っ」  
 
いつまでも触っているばかりじゃつまらないし、ボクも我慢できなくなってきた。  
ボクはいったん手を引っ込めて、自分の中心に持っていく。  
一度出したことなんてすっかり忘れてしまっているくらい、元気そのものだ。  
これを、今からチェルシーさんの中に……あ、あれ? あれ?  
 
「え、ええと」  
「何やってんのよ……っ」  
 
じれったそうに非難の声を上げるチェルシーさん。  
そ、そんなこと言われたって。  
緊張するし初めてだしよく見えないしで、なかなか上手く狙いを定められない。  
痺れを切らしたチェルシーさんの手が、ボクのそこに伸びてきた。  
う、触られるだけですごく気持ちいい……。  
 
「もっと、もっと近くに……持ってきて」  
「こ、こう?」  
「そう、それで……ここにっ、入れるの……」  
「ここ?」  
 
膝を折り、Mの字に両脚を開いたチェルシーさんに導かれるまま、先端をそこにあてがった。  
触れた瞬間に快感に耐えるようにきゅっと目を閉じ、ボクの言葉に小さく頷いたチェルシーさんに、ごくりとつばを飲む。  
いよいよだ。  
 
「い、行くよ、チェルシーさん」  
「ん……メガネ君」  
「……それ、やめようよ」  
 
がっくりと、脱力。  
名前を覚えてくれと、これまでいくら主張しても聞き入れられなかった。  
だから、普段の呼び名はもう「メガネ君」で諦めている。  
でも、せめてこんなときくらいはちゃんと名前で呼んでほしい。  
 
「それって?」  
「だから、名前。メガネ君じゃなくってさ」  
「……ああ……わ、忘れちゃったわよ。あんたの名前なんて」  
 
思わず笑いそうになる。  
いくらなんでもその理由はないだろう。好きな人の名前だよ? 忘れるものか。  
頭の回転の速いチェルシーさんがそんなとんちんかんな嘘をつくなんて、変なところで意外と恥ずかしがり屋だな。  
 
「銀之助」  
「そ、そうだったかしら」  
 
とぼけるように呟いて、視線をそらすチェルシーさん。  
ずっとリードされっぱなしだったのに、なんだか優位に立てたみたいで嬉しい。  
調子に乗ったボクは、教えられたとおりの体勢のまま、得意げに顔を歪めながら言い放った。  
 
「そう。銀之助、だよ。ちゃんと呼んでくれるまで先に進まないから。ほらほら、このままでいいの?」  
「な、何それ……サド、変態っ」  
 
何が変態だ。当然の願望じゃないか。  
チェルシーさんが真っ赤な顔で僕を睨んでくる。  
でも正直、ボクだって我慢はほとんど限界に達している。早く入れたいのだ。  
 
「わ、わかったわよ! 呼べばいいんでしょ、呼べばっ」  
 
ほとんどやけくそになって、チェルシーさんは声を荒げて降参した。  
 
「早くちょうだい……ぎん、銀之助……っ!」  
 
どきっ! と、胸が高鳴った。  
赤い顔で、潤んだ瞳で、ボクを欲しがりながら。  
名前を呼ばれて、こんなにもどきどきするものだとは思わなかった。  
これが、愛しいっていうことなんだろうか。  
 
「……いくよ」  
「ん……」  
 
左手を床につき、右手を自分のものに添えて。  
短い言葉を合図に、ボクはぐっと腰を押し進めた。  
直後に襲いくる狭さと、強烈な刺激。  
 
「ひあ、ああああ……っ!」  
 
そして、甲高い女の嬌声。  
悲鳴にも似た、けれど甘い歓喜の響きを含んだ悩ましげなその声が男を誘う。  
 
「あ、熱い……熱いの……っ」  
「チェルシー、さんの、中だってっ……!」  
 
中だって熱い。それに、すごくきつい。  
男の侵入を拒むように締めつけて、そのくせに離すまいと絡みついてくる。  
それが例えようもないほどに最高に気持ちよくて、ボクは快感をむさぼるために、より深くを目指して腰を動かした。  
 
「ふぁあん、あっ、あっ……ああっ」  
「く……、っ」  
 
どうしても動いてしまう体の安定を求めたボクの腕は、気がつけばチェルシーさんを抱きしめていた。  
彼女の腕もまた、応えるようにボクの背中を這う。  
 
「好きだよ、チェルシーさん……」  
 
返事を求めない独り言の呼びかけが、我知らず口からあふれる。  
でも。  
 
「わ……私も、好き、好きよ……あんたが好き……!」  
 
返ってきたのは、素直な言葉。  
こんなに正直で熱意ある告白を受けられるなんて、未だに夢のようで。  
ほとんど無意識のうちに、ボクはチェルシーさんに口づけを落とした。  
それからは角度を変えて唇をむさぼり合い、抱きしめ合い、求め合う。  
 
「う、チェルシーさんっ……ボク、もう、もう……!」  
「んっ……わ、私も、もうダメ……あああっ」  
 
ふたりとも限界が近かった。  
あとはただひたすらその高みを目指して、燃えるように熱い体を動かして、我慢できない喘ぎ声を上げて。  
 
「ああんっ! あ、はあああ、銀之介……!」  
 
びくん、と繋がった体が跳ねた。  
チェルシーさんが、ボクを強く強く締めつける。ボクの名前を呼びながら。  
……それだけで、もう。  
 
「くうっ……!」  
 
後を追うように、ボクも頂点に達した。  
…………あー……気持ちよかった。  
いや、なんだろう。  
気持ちいいだけじゃなくて、すごく満たされて、嬉しくて。  
どう表現すれば上手く伝えられるのかわからない、とにかく幸せな感情がボクを飲み込んでいる。  
動くことすらできなくて、ただ乱れた呼吸をするだけで精一杯。  
そんな状態のまま、しばらくその幸せの余韻に浸っていた。  
 
「……はあ……は、ああ……」  
「はあ、チェルシーさん……大丈夫?」  
 
何の確認なのか自分でもよくわからないけれど、とりあえず同じように息の荒いチェルシーさんに問いかける。  
痛くしてしまったかな、とか。最中にはそういうことまで考える余裕がなかったから。  
彼女の様子を窺いながら、だるい体を強引に動かして、ずるりとボク自身を引き抜く。  
 
「んっ……あ、あんたねえ……」  
「うん?」  
 
一瞬の間のあとに、追いかけるように白い液体がそこからこぼれ出た。  
 
「中に、出したでしょッ……!?」  
「え、だ、だってついっ……」  
 
ああ、そういえば……。  
気持ちよすぎて、もう何も考えられなかった。  
だけど、ボクだけが悪いなんて不公平だ。  
 
「だ、だいたいチェルシーさん、だって……ボクが中に、入れてる最中にイッた、じゃないか……」  
「バカ、そういう問題じゃない! あんたが中でイッたら妊娠しちゃうかもしれないでしょうがーっ!」  
 
本日二発目の重い拳が、ボクの顔に直撃した……。  
 
 
■■■  
 
留美奈とルリさんが帰ってくる前に、と這いつくばってカーペットを必死に掃除する姿はさぞ間抜けだっただろうと思う。  
でも、いくら拭こうがどうしようが、いわゆる……その、ボクとかチェルシーさんの、ええと、分泌物……は、簡単に落ちてくれない。  
こんなことなら普通に布団の上ですればよかったのに、やっぱりそこまで頭が回らなかったんだよな。  
結局、お茶をこぼしてしまったから、という言い訳を用意して洗濯機にカーペットを突っ込んできた。  
一息ついて、今はこうしてソファーに並んで座り、淹れたてのコーヒーを飲んでいる。  
さっきまで睦み合っていたのが、まるで夢を見ていたようだ。  
けれど、全身に残った気だるさとすっきりとした誇らしげな気分が、あれは現実だったのだと教えてくれている。  
 
「……何よ」  
 
ちらりと隣のチェルシーさんを見る。  
目が合うと、そんなふうにやや棘のある小さな声が聞こえた。  
きっと彼女も気恥ずかしいんだ。ボクだって、なんとなく落ち着かない。  
ごまかすように、ボクはボクなりに考えていた思いをぶつけてみた。  
 
「ええと、ほら。寂しかったんでしょ?」  
「何が?」  
「なんかさ、留美奈にルリさんを取られたみたいで、寂しいんじゃないかなって思ったんだ」  
 
だからこんな、急に迫ったりしてきたんじゃないか。  
ボクを好きだっていう嬉しい感情も確かにあったんだろうけど、ことに及んだきっかけはたぶん違う。  
今までルリさんにはチェルシーさんしかいなかったし、チェルシーさんもルリさんのために尽くしてきた。  
ところがルリさんには、留美奈というかけがえのない存在ができてしまった。  
二人の関係が変わっていくのが寂しくて、怖かったんじゃないかな。  
僕はそんなふうに思ったんだけれど。  
 
「バカ言わないで」  
 
チェルシーさんはふっと自嘲気味に笑った。  
 
「って、言いたいところだけどね。そうかもしれないわ」  
 
「え?」  
「ルリ様を守る人は私しかいない、ルリ様が頼るべき人は私しかいないって、そんな自負もあったのよね。  
 だけど、今は違う。悔しいけど、ルリ様にはあいつがいる。  
 その上、あんたは好きな子がいるって言うから……あんたも私のそばからいなくなっちゃうのかなって思ったわけよ」  
 
淡々と語る口調が、どこか強がりを含んでいるように感じた。  
いつもチェルシーさんはそうだ。弱いところを見せないように頑張ってる、そんな感じがする。  
女の子なんだし、そこまで強がらなくていいのにな。  
 
「寂しい、なんてね。平和ボケしたかしら。私も弱くなったもんだわ……」  
「弱くなんかないよ」  
 
弱いとか平和ボケとか、そんな悪い言葉で片づけてほしくなかった。  
ボクらくらいの年齢なら、そういう脆さはごく普通だろう。  
むしろ、今までが頑張りすぎていたのだ、アンダーグラウンドという環境の中にいたとはいえ。  
でも、ここは地上。彼女が生きてきた世界とは、まったく違う。  
 
「それに、べつに留美奈と恋人になったって、ルリさんの気持ちがチェルシーさんから離れちゃうわけじゃないよ。  
 どんなときだって、ルリさんにとってチェルシーさんは大切な人だから。  
 それに、その……ボクだって、そばにいるからさ」  
 
自分の発言に、むずがゆさを覚えて意味もなく頬を掻く。  
恥ずかしかったけれど思い切って言った台詞なのに、チェルシーさんは噴き出した。  
 
「カッコつけてんじゃないわよ。似合わないんだから」  
「……ひどいなあ、もう」  
 
そりゃあ、自分でも似合わないとは思うけれど。  
 
「ふふ……ありがと。少しは楽になった」  
「少しだけ?」  
 
まあ、少しだけでも彼女の役に立ったのならいいか。そう考えると満足できる。  
うんうんと独りで納得していると。  
 
「でも、寂しいからってだけで、あんたを求めたんじゃないこと。ちゃんとわかっててよね」  
「……うん。わかってる」  
 
思わず、顔がにやけてしまうのを止められなかった。  
チェルシーさんの視線がこちらを向く。  
何変な顔して笑ってるのよ、なんて睨まれるかと思ったけれど……意外にも、彼女もくすりと微笑んでくれた。  
 
「……やっぱり、笑ってるほうが可愛いな」  
「バカ。何を言い出すのよ、急に」  
 
額を軽く小突かれる。  
些細な触れ合いだけれど、今まで手に入らなかったそんなじゃれあいも嬉しくて、ボクはにやけたまま額をさする。  
と、そのとき、がらりと玄関の戸が開く音がした。  
続いて、ただいま、という鈴を転がしたような愛らしい声。  
留美奈とルリさんのお帰りだ。  
 
「あ、帰ってきた」  
「さて……ルリ様をこんなに遅くまで連れまわしたバカに、一発お見舞いしておかないとね」  
 
そんなふうに言って立ち上がるチェルシーさん。  
その口調にもう憂いはなくて、むしろ、どことなく上機嫌だった。  
 

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