春香が宮部天花に(無理矢理)占われたその日。
「あー……何なのよ、あの人」
春香は、肩に掛けたタオルで髪の毛を乱雑にぬぐいながらぼやいていた。こっち
は運勢なんてどうでもいい(とりあえずそういうことにしておく)というのに、勝
手に占った挙句、仕事も恋も上手くいかない、なんて言いだして。おまけに、改名
まで。
「勝手に決めないでよね……ったく」
テーブルに置いていたグラスを手にとって、麦茶を喉奥に流し込む。喉を通って
いった冷たい液体が、少し熱くなりすぎた意識にちょうど良かった。
男性の男の字もない、などと言われたときにはカッとしたが、今にしてみればそ
れはどうでもいいことだった、と思う。何も、男だけが恋愛の対象でないといけな
いという決まりはないのだから。
「……なに、考えて……」
そう呟いて、ふと洗面所のほうへ視線をやる。もしそうなら、自分が女をも愛せ
るなら、同じ家に住んでいるあの子は、自分の恋愛対象になりうるのだ。入れ違い
で風呂に入ったあの子が。
思えば、彼女を一目見た時にアシスタントを付けよう、と決めたような気がする
。彼女が自分の意見に賛同してくれることが、何故か嬉しかった。シャワーヘッド
が取れ、二人して頭から水を被ったあの時も、彼女がやけに艶かしく見えて――…
…。
「……まさか、ね……」
そこまで考えて、春香は自分の考えを打ち消した。そんなの、気の迷いに違いな
い。望美はあくまでも、自分のアシスタントなのだから。もし、それが事実だった
としても、それを認めるわけにはいかなかった。
それからしばらくして、望美が風呂から上がってきた。
「椿木さん、まだ起きてたんですか」
「何よ、悪い?」
「いえ……私寝ますけど、どうします?」
「まだ起きとく」
「わかりました、おやすみなさい」
「うん」
半ば上の空で返事をし、もう一度グラスに手を伸ばす。口につけて中身を流し込
もうとして気付く。グラスは既に空だった。
バタン、と閉じられた寝室へのドアの音と共に、春香は大きくため息をつく。
(……)
何も考えたくなかった。背もたれに全身を預ける。望美が何かしているのだろう
か、控えめな物音だけが耳に届いていた。
……また今日も、ソファで寝入るのだろうか。そんな筋違いなことを少し考えて
、そして目を閉じた。
心の中で、望美におやすみ、と呟いて。