街には花火と、爆竹の音が響いていた。  
「すごいねぇ!」  
 涼がこの音で目を覚ますのは二度目のことだ。  
 一度目は二週間前の元宵節でのこと。  
 そのときの香港の浮かれようもすごいものだったが今回はまた一段だ。  
 あの時は美しく彩られていた本島と新島。  
 今もその美しさは変わらないとはいえ、恐ろしい暗黒のクリスタルとの戦いの爪あとはまだ  
残っている。  
 ―――――それでも、たった一週間ちょっとでここまで復興させるなんて、香港仔ってすごいな!  
 荒れ狂う傭兵たちが破壊した街角を見ているものにとっては驚異の光景だろうが、この街を  
知るものにとっては当たり前のことだった。  
「涼、なんたって、ここは香港なんだよ!」  
 どれほど荒れ野原になろうとも、そこに香港仔がいる限り生き延びて―――美しさを取り戻す!  
 それが彼らの意地であり、生き様なのだ。  
 辛いことがあったことは忘れないけれど、嘆くよりもまず前を向いて駆け出そう。  
 そんな空気は涼にとって圧倒もされるけれども憧れも呼ぶ。  
「巧猿、今日は失敗しちゃだめだよ?」  
「当たり前だ。従姉妹殿に恥をかかせるわけにはいかないだろう? 女性にとって、たった一度の  
主役になる日なのだから」  
 暗黒のクリスタルの闇を払った五星家の二人の当主の一人、レン・巧猿はあれ以来、すっかりと  
落ち着きと貫禄を備えた様子で、かつてであれば想うだけでうろたえ素っ頓狂な言動に走っていた  
麗しの従姉妹のことを話しても、奇抜な仕草の一つも見せなかった。  
 今日、香港に生きるすべての人間が祝っているのはこの男ともう一人の五星家の当主、  
アリエナ・ライルの結婚式である。  
 暗闇は去ったとはいえ、同時に、守りであったレーテア騎士団も香港を離れていった。  
 失われた命は多く、傷跡の深い香港で、白きクリスタルの継承者二人の結婚の発表は、熱狂的な  
歓呼で迎えられた。  
 暗黒のクリスタルの作り出した影の城に囚われていたアリエナは、自分が長官を務める  
香港警察の部下を守るための護法に自らの一部を贄として差し出した。  
 片目も、指も、髪も。  
 美を尊ぶ香港に生きるものにとって、それがどんなに苦痛か分かりつつもためらうことのなかった  
彼女の勇敢な振る舞いに、美以上に勇気と強さを貴ぶ香港仔が喝采を送ったのはいうまでもない。  
 そのアリエナと、彼女を求めて黒い波を乗り越えていった巧猿の結婚式だ。  
 香港自治区の復活をこれ以上体現する事柄があるだろうか!  
 自身、生粋の香港仔である巧猿はこの催しにすべての私財をなげうっても惜しくないと思い、事実、  
そうしていた。  
 華やかに祝え!  
 香港は、けして死なない!  
「すごいパーティーになるんだよねえ」  
 うっとりと宙に視線をさまよわせる黒髪の少年を見て巧猿はにこっと笑った。  
 美しいこの子こそ闇の皇子アルディーン。香港のほかの人間はほとんど知ることのない、  
もう一人のこの街の救世主だ。  
 彼を飾り立ててお披露目すればパーティーがさらに華やかになることは分かっていたが、  
巧猿はそうしようとはおもわなかった。  
 少年の心はネオ・ナリタの赤毛の少女の下にあるのだ。  
 意に染まぬ場所に引っ張り出すことはあるまい。  
「ああ、最高のパーティーで、最高の料理も出すからね。涼も気が向いたら顔を出すといい」  
 なにせ、今日は祝い事だから、香港にいるすべての人に参加の権利があるのだからね。  
 巧猿の言葉に涼は、この街に住む二人の親しい人の面影を思い浮かべていた……。  
 
「ねえおまえ、これは夢ではないのね?」  
 月光のように白い指先に一枚の紙を握り締めて、銀鈴を転がすような声が呟いた。  
 すらりと立つ姿の後ろに控えた男は、頭を下げたまま女主人に肯定する。  
「本日早朝、ナサニエル・ゴードンの名で届けられたものです」  
 あの狂乱の中でも死力を尽くして守り通された屋敷の一角の東屋で、黒髪の美しい女が  
濡れた星のごとき目で淡い青の紙に書かれた言葉を追っていた。  
 
 ――『約束は果たす。今宵、黄金の針にて』  
 
 今宵のレン・巧猿とアリエナ・ライルの結婚式は表の香港だけではなく、裏の香港でも慶事である。  
 香港を代表する女賊、威梨花は同時にその美しさでも香港に君臨していた。  
 その彼女がこれほどの祭事に顔を出さないというわけにはいかない。  
 だが、半ば義務のようであったそれが一枚の紙、一つの言葉によってにわかに違う意味を  
帯び始めていた。  
「約束というのは、私が思っていることで間違いはないのかしら? ああ、おまえどうしよう、  
もし思い違いであったら!」  
 その美しさで数多の男をとりこにし、ひれ伏せさせてきた美女は少女のように困惑した面持ちで  
珊瑚の色をした爪をかむ。  
「奥様。それを届けたのはナイトハンドの腹心といわれる執事です。その際、「前回の非礼をお詫び  
する」という言質を取り付けておりますので、間違いはございませんでしょう」  
 男は淡々と言った。  
 その瞬間梨花の頬がばら色に染まる。  
「ああ……!」  
 ため息すら色づいて消えていくようだった。  
 美しい香港の威梨花。  
 彼女が愛するのは黒髪に浅黒い肌を持つ強靭な青年。  
 香港の裏社会に生きるものであれば頬を歪め、忌まわしきものとして名を吐き捨てるクライム  
ハンター「ナイトハンド」だった。  
 かつて敵同士として何度も邂逅した二人は、遠く離れたネオ・ナリタでの一件でがらりと関係を変えた。  
 いや、心が変わったのは梨花だけだ。  
 蝶のように恋から恋へとさ迷い歩いていた彼女を、とうとう愛という名の鎖が捕らえてしまったのだ。  
 ひたむきにナイトハンドへ愛を捧げる梨花を、しかしナイトハンドは冷笑とともに切り捨てた。  
 強靭で罪を憎むナイトハンド。  
 彼は同時に、過去に負った心の傷で女という生き物自体を蔑んでいた。  
 女であり、犯罪者である梨花など、どれほど切ないまなざしで、あまやかな声でかき口説かれても  
ナイトハンドにとってはわずらわしい害虫に過ぎなかったのだ。  
 彼はほんのひと時前にも、彼女の愛に少しも心が動いていないことを証明して見せた。  
 よりにもよって多くの香港仔が見守る中、巧みな誘導で彼女の自慢の黒髪を切り落とさせた姿を  
愚弄して見せたのだ。  
 仇魔刀という呪具を制御するために、どうしても梨花の元にある魔力を持った紅玉が必要だった  
涼たちはナイトハンドをダシに無事梨花から紅玉を借り受けることが出来た。  
 そのときにした約束が、一夜、ナイトハンドが舞踏会に同行するというもの。  
 どれほど梨花がその夜を心待ちにしたか、乙女のように胸を高鳴らせて日を待ったか、この  
青年にはどうでもいいことだったのだろう。  
 少しでもナイトハンドの好みにそう女になりたいと、青年と親しい涼を通して彼の好みを聞き出そうとした  
梨花は、そのたくらみを邪悪な意図で悪用したナイトハンドの罠にまんまとはまった。  
 長く、夜の海のように美しかった髪を少年のように切り落とし、堕天使のような紅のドレスで装った  
梨花を彼は多くの人が集まるトーナメントの席上であざけったのだ。  
 
  ――――なんと惨めな姿だ、と。  
 
 愛する男の仕打ちに梨花は涙し、美しい女首領を愛してやまない部下たちは憎悪の雄たけびを  
上げた。  
 ……それでも、梨花はナイトハンドを愛していた。  
 氷の槍のようにその言葉が、仕草が彼女を貫いてもあきらめることなど出来なかった。  
 
 

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