フライパンの上で炒められるベーコンとジャガイモの上にハーブとチーズが乗っかり、実に美味しそうな匂いを部屋中に漂わせる。
テーブルの前に座ってフライパンの様子を眺めていたバハムーンの少女がごくっと唾を飲むと、料理をしている人影に向かって口を開いた。
「なぁ、まだか?」
「まだだ。もう少し位待て。バハムーンは我慢という言葉を知らんのか?」
料理をしていたこの部屋の主―――――ディアボロスの少年はそう答えるとフライパンの隣りにある鍋の中身を塩コショウで味を整える。
鍋の中身はキャベツとニンジンとソーセージがスープの中でぐつぐつ揺れていた。
パルタクス学園の学生寮は基本的には複数人の相部屋だが、希望者には個室が割り当てられる事があり、この部屋もその個室の一つで、簡素ながら調理場がついている。
ディアボロスが晩ご飯の支度をしているのも食堂で食べるよりも作った方が安上がりだからだ。
「だいたい、お前にはルームメイトがいるんだから一緒に食堂で喰えばいいだろう」
「やだ。同じ部屋のセレスティアとかエルフがうるさいから」
ディアボロスの問いに、バハムーンは大きく首を横に振ってからナイフとフォークを掴んだ。
「で、まだなのか? そろそろあたしは待ちきれないんだけど」
「今、出来た。……人の所に晩飯をたかりに来るぐらいだから皿と飲み物ぐらい用意してくれるんだろうな」
「VIPに皿の用意をさせるんか? トンでもない男だな」
「誰がVIPだ………。もういい、わかった。俺が用意しとく」
バハムーンという種族は基本的にプライドが高い者が多い。その為、その高圧的な態度が日常生活に出ている者も少なくない。
彼女のそんな言動にため息をつきながらも、ディアボロスは諦めて皿に料理を盛りつけ、二人分の食卓を調える。
今日の献立はベーコンとジャガイモのハーブチーズ焼きにポトフー。そしてパンを添える。飲み物は保健室から失敬してきたワインだったりするのだが二人ともいつも校則を守るほど真面目ではないので流す。
「今日も今日とて美味そうなんだけどさ……あたし、ニンジンは嫌いなんだよな」
「好き嫌いばっかするな。てか、ケチを付けるなら喰うな。帰れ」
「わかったよ、ちゃんと残さず食べるよ」
バハムーンはそう答えるとフォークを手に取り、メインのジャガイモ料理を口に運んで嬉しそうな顔を向ける。
ディアボロスもそれを見て大きく頷くと、お互いに少しだけ微笑んだ。
「そう言えば、あたしいつも思うけどお前って何で料理上手なんだ?」
「ん? 大した理由じゃない。親から料理覚えておけば便利だからって聞いて習っただけだ」
ディアボロスがそう答えた時、ちょうどバハムーンはテーブルの上に乗った保健室から失敬したワインの栓を抜くべく、格闘し始めた。
力強いバハムーンとはいえ、ワインの栓を抜くには割と力が要る。栓抜き無しで栓を抜こうとするのがそうそう無いように、ワインの栓を抜くには栓抜きが必要だ。
だがしかし栓抜きなど学生寮に常備してある筈が無いので、手で開けるしかない。そして、ディアボロスである彼よりもバハムーンの彼女の方が力強いのである。
「堅い……!」
「大丈夫か? 手伝ってやりたいがお前の方が筋力あるしな……」
「うるさい、黙れ! くそ、あたしの力で抜けない栓なんてある筈無いんだ!」
「頑張れ。期待してる」
「他の部屋から栓抜き借りに行くとかそういう気配りは出来ないのか、お前は……これだからディアボロスは」
「それは種族関係ないだろう」
「あたしがそう思うだけだ。あ、抜けた」
ちょうどワインの栓が抜けたので、二つ並べたコップそれぞれになみなみとワインを注ぐ。そして―――――コップがカチンと鳴った。
ワインを飲んだ後、アルコールが入った勢いもあってだろうか、ディアボロスもバハムーンも先ほどより冗舌になった。
「ドークス先生の授業が今日休講だったんだが」
「ユーノ先生が酔っ払った挙げ句ドークス先生の集めてたマジックアイテム壊した事に激怒して大げんかしたんだってさ。バカな話だよな。ユーノ先生に酒飲ましたジョルー先生も酷いと思うけど」
「俺らはその先生の所からワインを頂いたんだが?」
「あたしもお前も悪くない」
「どんな理論だ」
ディアボロスがそう突っ込みを入れた時、バハムーンがふと思いだしたように口を開いた。
「あのさ……図書委員のサラ先輩に彼氏が出来た話って聞いた?」
「聞いた。あれだろ? 副生徒会長のギルガメシュ先輩だっけか?」
「ホラー小説の殺人鬼にラブレター書いたあのサラ先輩がリアルの人を好きになるとは思わなかったぜ、あたしも。あ、ソーセージ旨い」
「よく味が染みてるからな。ああ、確かにな。サラ先輩、長続きすればいいんだが」
「そう、それなんだけどさ。なぁ、あたしらって……付き合ってるのか?」
バハムーンの問いに、ディアボロスはフォークの手を止めた。
「………………突きの鍛練ならよくやってるけどな」
「その突きあうじゃねぇよ、バカ!」
「バカはないだろ。冗談だ………どうなんだろうな。俺はそんな実感湧かないんだが」
「そりゃそうだろうね。あたしもそう思う……でも、部屋の連中はお前の事をあたしの彼氏だと思ってるらしくてこの前『貴方みたいな人が実は彼氏持ちだなんて信じられませんわ!』とか言われたよ」
「…………外から見れば俺達はそういう関係なのか? そもそもキスの一つも無いのに……」
「だよねー……」
ディアボロスの言葉にバハムーンはそう頷いてお互いに「ハァ」とため息をつく。
お互いに残った料理を片付けようと手を動かしていたが、じきに止まった。
「で、一つ聞きたいんだけど。お前は誰が好きなんだ?」
「ぶっ!? いきなり何を言いだすんだお前?」
バハムーンの急な問いにディアボロスがちょうど飲みかけのワインを口から文字通り噴き出してからそう答える。
そこまでストレートな聞き方もそうそう無いと思うだろうが。
「気になるんだよ、何となく」
「何となく気になるってなんだ、何となくって」
「あー、それじゃ何? 盗賊学科のクラッズの娘? それとも、僧侶学科のノームか? あ、まさかマシュレニアの生徒会長とか……」
「会長には悪いが俺はあの人は嫌いなんだよ。高飛車だからな」
「意外だな。あたしはお前らってああいうのがタイプだと思ってたけど」
「外見だけだ。ディアボロスは見てくれを重視する奴らばっかりだからな」
「ふぅん………外見なぁ」
バハムーンが顎に手を充ててそう考え込みかけた時、ディアボロスは更に言葉を続けた。
「ま、俺は別に見掛けは気にしないけどな……おい、何を言わせる気だ」
「お前が勝手にあたしに喋っただけだろ!」
「話振ってきたのはお前だろーが!」
お互いに既に椅子を蹴飛ばして立ち上がり、文字通り怒鳴りあう寸前になった所で視界に飛び込んできた時計に注目。
もう既に、就寝時間直前である。
「あー! もう、お前のせいでもう寝る時間じゃないか!」
「何で俺のせいになるんだ! いいから部屋帰れ!」
バハムーンにディアボロスはそう言い放つと、彼女は部屋のドアを開けて即座に出ていった。
「明日覚えとけよ!」
という言葉を残して女子寮の方へと走っていくバハムーンの後ろ姿を眺めた後、ディアボロスは背後を振り向いて一人、呟いた。
「………後片づけしなきゃ寝れないじゃないか、俺……」
しかし、バハムーンが最後に言った『明日覚えとけよ!』という言葉が耳に残っている。
「明日、何をする気なんだあの女……?」
ディアボロスはそう呟いたが、諦めて眠る事にしたのだった。
パルタクス学園の生徒は基本的に早起きな生徒か遅めに起きる生徒で二分される。
男子は大抵遅めに起きるのが普通だが、この部屋の住人であるディアボロスはいつも早起きで、日が上ってしばらくのウチに起きてしまう。
その理由の一つに、自分と毎晩のようにやってくるバハムーンの為の弁当を作らねばならないという理由がある。
「ああ、朝か……」
朝はいい。鳥の囀る音、窓から差し込む太陽の光、規則正しく響く包丁の音……。包丁?
「ん? 起きたか? お前いつも早起きなんだな」
部屋の隅の簡素な調理場に、バハムーンの少女が包丁とトマトを片手に立っているが見えた。
制服の上からエプロンを付けていると何とも奇妙な感じに陥るが可愛い。バハムーンだけど、可愛い。
「………色々と言いたい事がある。何時からいた、あとどうやって入った」
「一時間ぐらい前かな。ドアは開いてなかったからな。隣りの部屋の人に言って窓伝いに入ったんだよ」
一時間前というと夜明けの頃ぐらいだろう。そんな朝早くから叩き起こされた隣りの部屋の住人には後で謝っておこう。
そもそも隣りの住人が誰なのかディアボロスは見た事が無いので知らなかったが。
「とりあえず後で隣りの部屋の奴に謝っておこう。よく入れてくれたな」
「生徒会長は話が解っていいよ。いつも食事を用意してくれる相棒に今日はあたしが料理するって言ったら『僕は応援してるぞ! 何か困った事があったら裏番長に言え!』って指まで立ててくれたからな」
「次の生徒会役員選挙であの男には絶対投票しねぇ。てか、隣りの部屋の住人は生徒会長だったのか!?」
ディアボロスが驚いた声をあげると、バハムーンは笑いながら答えた。
「まぁなー。いやー、あたしもびっくりしたんだけど」
「そりゃそうだろ……。この前窓からネコミミグッズが溢れて外に落ちてたからどんな奴がいるんだと思ってたんだが……」
「ああ、あいつネコミミ好きだからなー。生徒会長」
生徒会長マクスターのネコミミ好きは有名だ。ネコミミを見て電撃を浴びたように麻痺する様子を何度か目撃されている。
ある者に至ってはネコミミを付けたニャオミン先生を押し倒した挙げ句ハグしてキスした様子を見たとまで言っていたが。これは別の話。
「で、何を作ってるんだ?」
「ラザニア。それしか知らない」
バハムーンはそう答えると巨大なパスタの塊を器に盛る。ミートソースは長く煮込んでいたのか、既に美味しそうな匂いを出していた。
「料理、意外と出来るんだな……」
「あたし、ばっちゃんの作ってくれたラザニアが好きだった。でもそれしか出来ない」
「ばっちゃん直伝か。歴史があって旨そうだな」
「実際旨いんだよ。喰えば解るっての」
ディアボロスの問いにバハムーンはそう返して笑うと、口を開いた。
「ま、あれだよ。たまにはさ、あたしが料理してもいいかなって思ったんだけど……」
「ん? いいと思うぞ。旨そうだし」
「不味かったらどうするんだよ」
「怒る。そして料理を教えてやる」
ディアボロスはそう答えてからテーブルの前に座った。昨日とは逆で、今度はバハムーンが調理場に立っている。
バハムーンの料理を食べるのは初めてだな、とディアボロスは思った。
「………昨日の」
「何か言ったか?」
「昨日の明日覚えてろってのはこれの事か?」
「うん」
バハムーンは恥ずかしそうに答えると、料理が出来上がったのかやたらと巨大サイズのラザニアが乗った皿をテーブルの上に置く。
待て。弁当じゃないのか。
「…………朝から、ラザニア?」
「そう、朝から、ラザニア」
「喰いきれるのか? 美味そうだから残すと勿体ない気がする」
「喰え。残さずに全部喰え。残したらあたしが許さん」
「悪魔かお前は」
「悪魔はお前だ」
確かにバハムーンとディアボロスならディアボロスの方が悪魔だが。
ディアボロスはため息をつくと、フォークを手に取った。
巨大なラザニアは、確かに美味しかったが二人の間で会話が交わされる事は殆ど無かった。
バハムーンの少女は味に関して気にして緊張しているのか喋らず、ディアボロスの方はそんな彼女に話しかけづらい。
ラザニアがどんどん小さくなっていく中で会話が殆ど無い。
その静寂を破ったのは、ラザニアの最後の一口がディアボロスの腹へと収まった時だった。
「御馳走様。美味かった………意外と料理上手なんだな。お前も」
「そ、そうか……? あたしの料理を美味いって言う人、あんまいなかったからな……ていうか! 今日のラザニアがたまたま成功しただけであって普段決して料理ばっかしてる訳じゃなくて!」
「ああ、解った。作りたい料理があるなら言え。作り方教えるか調べてやるから」
「あ、ありがと………」
バハムーンがそう呟いた時、ディアボロスはふっと笑って口を開いた。
「なるほど。確かに勘違いされてもおかしくないな」
「は? 何がよ?」
「俺達が付き合ってるという話に関して、さ。確かにここまで息が合ってれば付き合ってると思われても過言じゃないか」
「あんたなぁ!」
バハムーンがそう怒鳴り声をあげかけた時、ディアボロスは悪戯っぽく笑った。
「だけど、俺もお前もお互いの事を嫌いじゃない、そうだろ?」
「まぁ、そうだけどな…………はぁ。とにかくあたしは恋人だなんて認めないからな、あたしはお前にメシをたかるだけだ」
「はいはい」
料理を作るディアボロスと、料理が好きなバハムーン。こんな二人の関係が今一度、変わるのはまた別の話。
ただ、不器用な二人が一歩前進した、ただそれだけの事。