夏の蒸し暑い夕暮れ 
 
 
 
 剣士科の夏休みの補習授業を終えたロッシ先生は、学生寮の片隅にあるトレネッテさんの部屋の居間でくつろいでいた。 
 
 生徒達を巻き込んだ盛大な茶番劇の末、お互いの気持ちを確かめ合った二人。 
 
この事件を通じて二人の仲は全校的に公認されたものとなったため、 
 
今ではこうして一日の仕事を終えたロッシ先生がトレネッテさんの部屋を訪ね、夕食を共にすることが日常化していた。 
 
 
 
♪たらりらったら〜ん.. 
 
 
 
 キリッっと冷えた冷奴と冷酒で晩酌をするロッシ先生。厨房からは可愛い寮生達と、 
 
未来の素敵な旦那様の食事を作るトレネッテさんの楽しそうな鼻歌が聞こえてくる。 
 
 
 
-トントン- 
 
 
 
 その時部屋のドアがノックされる音が聞こえた。続いて厨房からトレネッテさんの声が聞こえてくる。 
 
「あなた〜、玄関出てくださいまし〜」 
 
("あなた"って..まだ祝言も挙げちゃいねぇのに..) 
 
と思いつつ、その言葉の響きにそこはかとない幸せを感じながら腰を上げるロッシ先生。 
 
 ドアを開けると、そこには子猫と見間違えそうなビースト科の新入生のフェルパーが数人立っていた。 
 
 
 
♪ろーそくだーせーだーせーよー だーさーないとーかっちゃくぞー おーまーけーに噛み付くぞー.. 
 
 
 
ロッシ先生を見上げながら、かわいらしく歌い出す生徒達。 
 
 一瞬あっけに取られたロッシ先生だが、すぐに玄関の周りを見回した。 
 
「ろうそくか?ちょっと待ちねぇ..んーと、こん中にありそうだな..」 
 
玄関の棚の上に非常避難袋を見つけると、その中からろうそくを取り出した。 
 
「ほれ、ろうそくだ。これから花火か?火の始末には気をつけるんだぞ」 
 
そう言ってろうそくを差し出すロッシ先生。 
 
 差し出されたろうそくを見て、生徒達はしばらく目を丸くして呆然とたちすくんでいたが、 
 
やがて目を潤ませて泣き出しそうな顔になり、そして一斉にロッシ先生に飛び掛った。 
 
「ぎゃー!!いてててて..何しやがるてめぇら!!」 
 
 訳もわからないまま、生徒達にめちゃくちゃに引っかかれるロッシ先生。 
 
そこへ玄関先の騒ぎを聞きつけたトレネッテさんがやってきた。生徒達はトレネッテさんの姿を見ると、 
 
ロッシ先生から離れ、また歌い出した。 
 
 
 
♪ろーそくだーせーだーせーよー だーさーないとーかっちゃくぞー おーまーけーに噛み付くぞー.. 
 
 
 
「あらあら、今日は七夕だったのね。ちょっと待っててね..はい、お菓子」 
 
 そう言って生徒一人一人にかわいらしくラッピングした菓子包みを配るトレネッテさん。ズタボロにされ、 
 
へたり込んだロッシ先生は、訳わからん、といった顔でその光景を眺めている。 
 
ニコニコしながら包みを受け取ると、生徒達はトレネッテさんにペコリとお辞儀をして去っていった。 
 
 
 
「..ごめんなさい、最初に言っておかなくて。あれはあの子達の田舎の七夕の風習なんですって。毎年この日になると、 
 
その地方から入ってきた新入生が、あの歌を歌いながら上級生や私の部屋に回って来るんです」 
 
 くすくすと笑いながら、ロッシ先生の手当てをするトレネッテさん。 
 
「大昔は本当にろうそくをあげていたらしいですけど、今はお菓子をあげるんですって。ハロウィンのようなものですね。 
 
..でもあの子達もびっくりしたでしょうね。本当にろうそく出されるなんて..はい、おわりましたよ。さあ、お夕食にしましょう」 
 
救急箱を片付け、食卓を囲む二人。 
 
「..しかし、寮母ってぇのも大変なものだなぁ..。寮生の田舎の習慣まで覚えてなきゃならねぇとは..」 
 
「そうでもないですよ。毎年のことですからそのうち覚えますし..」 
 
特製のきゅうりの糠漬けをかじりながらしみじみと問いかけるロッシ先生に、穏やかに微笑みながら答えるトレネッテさん。 
 
「私たちも楽しみながら応対すれば、生徒さんたちも早く打ち解けてくれますから」 
 
そう言うと、戸棚の中から分厚い日記帳を取り出して、ロッシ先生に見せた。 
 
「私、ここに来るまで日記をつける習慣は無かったんですが、今はこういう年中行事を書き留めるようにしてるんです。 
 
この学校は全寮制で、いろんな土地からいろんな子が集まってきますから、少しでもアットホームな雰囲気を出したくて..」 
 
ロッシ先生がめくるページの全てに、生徒達の出身地の習慣とその内容、郷土料理のレシピなどが細かく書き込まれていた。 
 
 他人の子の命を預かる身として、ロッシ先生も教師としてだけでなく親代わりとしても生徒と接してきたつもりではあったが、 
 
学園を生徒達の"家"と考え、生徒達全員を"家族"として接して来たかどうかについては自信がなかった。 
 
ガツンと頭を殴られたような衝撃を受け、日記帳から顔を上げてトレネッテさんを見つめるロッシ先生。 
 
そこにある微笑みは、"聖母"にも勝るとも劣らぬ慈愛に満ちた"寮母"の微笑みであった。 
 
 
 
 夕食を終え、ロッシ先生は居間で晩酌の続きを、トレネッテさんは厨房で洗い物をしていると、 
 
再びドアがトントンとノックされた。 
 
「あなた〜、玄関出てくださいまし〜。お菓子は靴箱の上に出してありますから〜」 
 
未来の素敵なお嫁さんの頼みに、よっこらしょと腰を上げるロッシ先生。 
 
 ドアを開けると、薄い桜色のイブニングドレスで着飾った可愛らしいエルフの少女と、 
 
彼女に寄り添うようにタキシードに蝶ネクタイ姿のバハムーンの大男が立っていた。 
 
すぅっと大きく息を吸い込むと、例の歌を歌い出す二人。 
 
 
 
♪ろぉそっくだっせぇ〜だぁ〜せぇ〜よぉ〜 だぁ〜さぁ〜ないとぉ〜かっちゃくぞぉ〜.. 
 
 
 
とても二人だけとは思えない声量で、まるでオペラでも歌っているかのように格調高く歌い上げるアイドル科の二人。 
 
「..いやいやいや、素晴らしい歌声だな。この歌歌うにはもったいなさ過ぎだろ」 
 
苦笑いしながら、お菓子の包みをエルフの少女に差し出すロッシ先生。笑顔で包みを受け取る少女。 
 
「..てか、おめぇさん、二年生じゃなかったか?バハムーンや」 
 
「そうなんですけど、今年うちの田舎からアイドル科に入ったのがこの子だけなんで、付き添いで..」 
 
照れくさそうに頭を掻くバハムーン。 
 
「そういうことか。しっかりしろよ、先輩,,。おめぇさんもお菓子、いるか?」 
 
にこっと屈託の無い笑顔を浮かべて両手を差し出すバハムーン。 
 
その大きな手のひらにお菓子の包みを載せてやると、二人で並んで手を繋ぎ、 
 
カーテンコールのようにうやうやしくお辞儀をして去っていった。 
 
(,,可愛い奴らだ) 
 
七夕の夜、生徒を見守る自分の目から一枚鱗が落ちたことを実感したロッシ先生であった。 
 
 
 
「..あの、今日はこれでお帰りになるのですか?」 
 
 夜も更け、自分の宿舎に帰ろうとするロッシ先生の着物の袖をトレネッテさんが引きとめた。 
 
振り返ると、トレネッテさんが真っ赤になって俯いている。 
 
「..今夜は七夕です。彦星様と織姫様が年に一度逢える日なのに、私たちが離れ離れになるのは寂しく思います..」 
 
蚊の鳴くような小さな声で一語一語押し出すトレネッテさん。 
 
その声の小ささが逆に振り絞っている勇気の大きさを感じさせた。 
 
一つ軽く咳払いをすると、無言でトレネッテさんの華奢な両肩を掴むロッシ先生。 
 
また一歩、彼女との距離を縮めたような気がしたロッシ先生も、今日はこのまま帰るのが惜しいような気がしていた。 
 
心持ち顔を上げ、目を閉じて待ち受けるトレネッテさんの顔にロッシ先生の顔がゆっくりと近づいていった..。 
 
 
 
 先に一風呂浴びたロッシ先生が、トレネッテさんが用意してくれた浴衣に着替えて居間に戻ると、 
 
布団が二組しつらえてあった。 
 
「あ、お上がりになりましたか?では、私もお風呂いただきます..」 
 
頬を赤らめ、ロッシ先生と目を合わせないように、そそくさと浴室へ向かうトレネッテさん。 
 
並べられた二組の布団を眺めながらため息をつくロッシ先生。 
 
(..さすがに初めてのお泊りからいきなり..ってぇのはねぇか..) 
 
苦笑いしながら、さてどうしたものかと、そわそわ考えているうちに、トレネッテさんが風呂から上がってきた。 
 
「..今日はロッシ先生に合わせて、私も浴衣にしてみました..」 
 
普段のエプロン姿とは一味違った艶っぽさに息を呑むロッシ先生。 
 
 しばらく布団の上で照れくさそうに無言で向かい合っていたが、特段話題もなく、 
 
だんだんと落ち着かなくなって来てしまった。 
 
「..それでは、休みましょうか。明かり、落としますね」 
 
部屋の明かりが落とされ、それぞれの布団に入る。 
 
「..今日はありがとよ」 
 
 しばらく続いた暗闇の中の沈黙を、ロッシ先生が静かに破る。 
 
隣の布団からごそごそと動く気配がした。なんとなく視線が向けられた気配を感じたが、構わずに続けるロッシ先生。 
 
「..あっしもそれなりの誠意をもって生徒達に接してきたつもりだが、今日おめぇ..いや、トレネッテさんの日記帳を見て、 
 
まだまだ修行がたりねぇなぁ..って思っちまった。あっしもこの学校は好きだ。生徒も同僚の先生もみんな大好きだ。 
 
でもなあ、トレネッテさんの好きさ加減に較べれば、まだまだ小せぇ小せぇ..」 
 
布ずれの音一つ立たない隣の布団。しかし、そこから注がれる視線はしっかりと感じる。 
 
「だから、これからもっともっとこの学校のことを好きになる。んで、もっともっとトレネッテさんのことも好きになる。 
 
剣しか生きる道を知らねぇ、ぶきっちょでがさつで気の利かねぇ野暮なあっしだが、それでも好いてくれるってぇのなら、 
 
これほどありがてぇことはねぇ..。だから..その..なんだ、これからもよろしくな..」 
 
-..くすんくすん..ううっ..ぐすっ..うっ..うっ..- 
 
それまで物音一つ立たなかった隣の布団からむせび泣くような声が聞こえてくる。 
 
「..こっち、来るけぇ?」 
 
そう言って、布団を開けるロッシ先生。しばらくためらっているかのような沈黙の後、 
 
大きくて柔らかいぬくもりがロッシ先生の懐に入り込んできた。 
 
 
 
-ろーそくだーせーだーせーよー だーさーないとーかっちゃくぞー おーまーけーに噛み付くぞー..- 
 
 
 
 やがて、ロッシ先生の懐から小さな歌声が聞こえてきた。穏やかな気持ちで、 
 
歌声に合わせて懐のトレネッテさんの肩を優しく叩いて拍子をとるロッシ先生。 
 
 しみじみと幸せを感じていると、トレネッテさんの体が布団の奥へと潜りこんでいく。 
 
-ろーそくだーせーだーせーよー 大人のろーそくだーせーよー- 
 
いつの間にか歌詞が変わっている。"大人のろーそく"ってなんだ?と思っている間にも歌は続く。 
 
-だーさーないと吸い付くぞー おーまーけーに噛み付くぞー- 
 
「..ちょ、待った待ったまさか噛み付くっておい!!おわっ!!あふぅっ!!」 
 
 ロッシ先生が歌詞の意味を「大人の頭で」解釈したその瞬間、 
 
情熱の炎がギンギンに灯されているロッシ先生の太くてたくましい”ろうそく"に、 
 
暖かく柔らかいしっとりとした何かが吸い付いた..。 
 
 

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