静謐な空間に、ペンを走らせる音だけが流れる。
図書室には僕とカレリアだけがいた。
他の生徒達はオリーブの『ダンテ先生に一泡吹かせよう!』という依頼に乗って体育館に行っている。
だから、図書室には僕とカレリアしかいないというワケだ。
今回は僕が無理矢理にカレリアの勉強を見ている状況だけど、カレリアは嫌がってはいない。
でも、僕が一緒に勉強をしている事に戸惑っているみたいだ。
さっきから見ていると、解らない所があると僕の方を見てくる。僕が教えてあげると嬉しそうにする。
解る部分については絶対に頼らない。
僕が休憩しようと席を立つと、途端に耳が下がって寂しそうな顔をする。でも、何も言わない。
で、僕が休憩から戻ると耳が立ち、表情も戻る。
どうやら僕は、カレリアのテリトリーでの活動を許されたようだ。
この場合のテリトリーは、精神的な距離も含む。多分、今ならパーティーを組もうと誘っても、手酷く断わられる事は無いだろう。
いくつかの設問を解いた所で、僕は意を決した。
「ねぇ、カレリア。僕とパーティー組まない?」
「!」
カレリアは僕の言葉に一瞬とても嬉しそうな表情をした。
でも、次の瞬間には悲しそうな表情になり、うつ向いてしまう。
僕もカレリアも黙ったまま暫く動かなかった。
この沈黙はいつまで続くんだろうと、僕が思い始めた頃になってカレリアがゆっくりと顔を上げた。
その表情は複雑な思いを浮かべていた。
何か言おうとしているけれど、決心が着かない感じ。
カレリアは口を開くけど、何も言わずに再び閉じてしまう。下がった耳と落ち着かない瞳、また下を向き始めた顔が、僕をじらす。
承諾の言葉も拒否の言葉も出ない。ここまで来たら我慢比べだ。
僕はカレリアが何か言うまで待つ姿勢を固めた。
暫く待って、ようやくカレリアが顔を上げて何かを言おうと――
ガラガラガラ
「っ!」
誰かが引き戸を開けて入って来た。
「お前達か」
「ダンテ先生?」
図書室に入って来たのはダンテ先生だった。
「お前達。体育館に転がってる奴らを回収しといてくれ」
「は? 体育館……」
どうやら、オリーブ達は返り討ちにあったみたいだった。
「いやはや。まさかあの人数で返り討ちに合うなんてね。ダンテ先生って強いんだね」
「うん。そう……だね」
夕方の食堂で僕とカレリアは向かい合って食事をしていた。
ダンテ先生により返り討ちにされた同級生達をガレノス先生と一緒に保健室まで運び、
目が覚めたオリーブから生徒達が凶悪無慈悲なダンテ先生の攻撃により殲滅される様子を聞いていたら丁度良い時間になっていた。
ショウンは未だ起きないから置いてきた。夕飯を奢ってもらうつもりのヴェンジャンが貼り付いていて、起きたら知らせてくれる。
「……」
「……」
僕達の間には再び沈黙が戻ってきた。僕は待つ姿勢に戻り、カレリアはまた決心が鈍ったのか、悩んでいる。
このままでは夕食を食べ終わってしまう。そう思い始めた時、カレリアが躊躇いがちに言った。
「あの、カナタ君。お願いがあるんだけど」
「うん。なに?」
「消灯後、屋上に来て」
カレリアは苦しそうにそう言って、僕の返事を待たずに席を立っていた。
「……リアル?」
少し考えてしまう。
恋愛? いや、ひょっとしたら、カレリアは僕の事を疎ましく思っていて屋上に呼び出したのかもしれない。
消灯までの時間、僕は暇を持て余した。課題は出ていたけど、普通科の課題は基本的な旅の知識……殆んどが算数と理科の範囲……だから、僕は軽く片付けた。
同部屋のショウンは戻らず、ヴェンジャンも来ないままで消灯時間をむかえ、僕はカレリアとの待ち合わせのために学生寮屋上に向かった。
月明かりの照らす屋上に、白いネグリジェを着たカレリアは唯一人立っていた。
その顔が少し驚いた表情を浮かべているのは多分、僕がしっかり制服を着て、念のためにダガーまで持っていたからだろう。
「ごめん。待たせちゃったね」
「ううん。私も今、来た所だから」
まるで恋人みたいな会話を交わしながら、僕達は歩み寄った。
「話しって、なに?」
「うん。パーティーへのお誘いなんだけど……」
これは断られるパターンかと思ったけど、それなら別に屋上に呼び出す必要もないし。
とにかく僕はカレリアの話を聞くことにした。
「私ね、人見知りだし、周りにうまく馴染めなくて困っていたの。そんな時にカナタ君が声をかけてくれて、嬉しかった」
まあ、そうだろう。だって、そういう人間を狙ったんだし。
僕の考えを知らずに、カレリアは話を続ける。
「……でも、私が同族にまで避けられる理由を知ったら、カナタ君も私を……」
話しながら、カレリアはいきなりネグリジェの裾を捲りあげ始めた。
「えっ!? カレリアさん?」
「カナタ君、これでも私を誘ってくれる?」
僕の戸惑いをヨソに、カレリアは真っ白いお腹が見える程に裾を捲った。純白のショーツに僕の目は釘付けになった。
下着がどうかしたのかと思いきや、カレリアは半回転して僕の方にお尻を突き出すような体勢になった。
形の良いヒップに思わす生唾を……。
「え?」
「やっぱり変、だよね」
形の良いヒップの少し上。ショーツの少し上。背中とお尻の境……。
そこに、猫耳と並ぶフェルパーの特徴たる細長い尻尾が……無い!?
代わりに、直径5センチ程のフワフワした毛玉が乗っていて、カレリアの脈拍に合わせるかのようにピクン、ピクンと小さく動いている。
(まさか、コレが?)
僕のいぶかしがるような視線にカレリアが頷いた。
「ウチの一族、みんな尻尾がこうなの。……変だよね」
瞳に涙を溜めているカレリアを見て、僕は……
サワ
「きゃっ!」
「あっ! ご、ゴメン!」
気が付くと、僕はカレリアの尻尾を撫でていた。慌てて手を放す。
「本っ当にゴメン! 悪気は無いんだ」
あれ? おかしいな。手を放そうとしているのに、逆に握ってしまうぞ?
「ひんっ! ちょっ、カナタ君っ!?」
変わった感触だ。外はフワっとした毛に覆われ、中心におそらくは骨だろうコリコリした感触がある。
「カッ、ナタ君!」
「ああっ! ごごごゴメン!」
涙目のカレリアに本気で睨まれた。慌てて理性を総動員、手を離す。
「ひどいよ。カナタ君」
「いやマジでゴメン! 可愛くってつい!」
「可愛くて……?」
両手をすり合わせ、頭を下げる僕に、カレリアが尋ねてくる。
「変だと思わないの? みんな、気味悪がって近付かないのに」
「いや、だって一族皆がその尻尾なら、変な病気や呪いってわけじゃなさそうだし、それに……」
僕は涙目を通り越し半泣きになっているカレリアの両手を取った。
「さっきも言ったけど、僕は可愛いいと思った! カレリア、僕達のパーティーに入って!」
「カナタ君!」
ガバッと、カレリアが抱きついてきた。
そのまま、僕に頬擦りをするカレリア。あの、締め付けがきついです。
「カナタ君、ありがとう」
「いえ、どういたしまして……」
「明日から、一緒に頑張ろうね!」
カレリアはニッコリ微笑んで言った。
翌日
「うぅ、戦士科のパワーを甘く見てた」
カレリアは僕の勧誘に乗ってくれた後、顔を赤くしてモジモジしながら部屋に戻った。よっぽど僕がカレリアを受け入れた事が嬉しかったのだろう。
僕も喜びを噛み締めながら部屋に帰ると、ショウンが寝ていた。朝になってもまだ寝ているので、僕は起こさないように外へ出た。
歩き出すと、あちこち痛みが走る。どうやら、昨日抱きつかれた時に痛めたらしい。
我ながら貧弱過ぎる。「どうかしたんです?」
「え? あぁ、パーネ先生」
急に声をかけられて振り向くと、パーネ先生が立っていた。
「辛そうですよ。顔色も悪いですし、呪いですか?」
隣のクラスの担任なのに、パーネ先生は僕のことを心配してくれている。
「いえ、呪いではないんですけど……あ、そうだ」
呪いで思いついた。もし、カレリアの尻尾が呪いなら、解呪のエキスパートであるパーネ先生は何か知ってるかも。
僕はパーネ先生にカレリアの尻尾の事を説明した。
「まあ、それは可哀想に……」
パーネ先生はしばらく考え込んでいたけど、やがて目を瞑り首を横に振った。
「残念ですが……私にも解りません」
「そうですか……」
「……ですが」
ガッガリしかけた僕にパーネ先生は微笑みかける。
「擬似的な尻尾なら、装備可能ですよ。丁度、一つ余ってますから差し上げます」
僕はパーネ先生から『尻尾(?)』を受け取った。
「では、頑張って下さいね」
パーネ先生は去って行った。
「……どうやって装備するんだ、コレ」
先生が去った後、僕は尻尾(?)を眺めた。
尻尾である。取り付け器具などは無く、尻尾のみである。いや、よく見ると、尻尾の一端はゴム製で、見慣れた形をしている。
「まさか、お尻に?」
僕は、パーネ先生の去って行った方向を眺めた。
先生、どうしろと言うのですか? まさか、お尻に挿す、なんて言いませんよね、先生?
僕は尻尾(?)を、倉庫の一番奥、誰も触れない位置に封印することに決めた。
(濡れてる)
カナタと別れたカレリアが部屋に戻って最初に行ったのは、下着を確認する事だった。
傍目に見ても分かる程に、下着は湿っていた。
「どうして」
今までも尻尾に触れられた事はあった。イジメられる時は大抵、尻尾を引っ張られたり掴まれたりした。
自分で触れた事も幾度かはある。だが、どの場合も気持ち良さとは無縁だった。
だが、カナタに触れられた時は違った。まるで電流が流れたかのように、全身に快感が走った。
「カナタ君……っ!」
カレリアは暗闇の中、ベッドに横になると自分の右手がカナタの右手であるのつもりで尻尾に触れた。
撫で、揉み、捩る。
尻尾に様々な刺激を与えていると、空いていた左手がいつの間にか胸を揉みしだいていた。
「あぅぅ、ひぅんっ!」
目はきつく瞑られ、息は荒くなり、右手は段々と尻尾から前方に移動していった。
一番敏感な部分を何度か往復し、しかし、唐突にその動きが止まる。
「フーッ! フゥーッ!」
息は荒いままで、閉じていた瞼がゆっくりと開かれた時――
「カナタ君が……欲しい」
闇の底から染み出すような声が響き、獣の瞳を持つフェルパーがいた。
「それはジパング・ボブテイルだよ」
朝の食堂の喧騒の最中、ショウンは山盛りの食事を処理しながら解答を示した。
「ジ……パングだと?」
「そ。幻の国ジパング原産の猫で、名前の通り短い尻尾を持ち、とがった耳、毛色に準じた瞳の色をしている。……どうだ?」
確かに、カレリアの瞳は髪と同じ黒色だ。
「なら」
「呪いや病気じゃないよ。立派な種族さ」
ショウンの言葉に僕はホッとした。この事をカレリアに教えてあげればきっと喜ぶだろう。
僕はショウンの肩を叩くと、拳を握り親指をビッ!と立てた。
「ショウン、グッジョブ!」
「どういたしまして」
その頃
職員室に生徒の一団がいた。どこか他の生徒とは違う雰囲気を纏い、周囲に緊張を強いながら自分達はゆったり構えている。
周囲の教師は彼等をイノベーターと呼んでいた。
そのイノベーターの一団に、魔法使い学科の制服に身を包んだピコの姿があった。
(待っててね、カナタ。すぐに追い付くからね)
ピコの編入、そしてカレリアの覚醒に、カナタはまだ気付いていない。