幼い頃の記憶を探っても、僕はお父さんとお母さんの顔を思い出せない。
お父さんもお母さんも冒険者で、僕は家具職人のお祖父ちゃんに預けられていた。
たまにしか家に帰って来ないお父さんとお母さん。でも、僕は寂しくなんてなかった。
隣に住むフェアリーのピコと毎日遊び回り、隣の地区に住むショウン(ノーム男)と一緒にお祖父ちゃんの工房を手伝ったりしていたから、寂しくはなかった。
でも、そんなある日……
僕が8歳の時。
いつもの通りにピコとアチコチ駆け回り、疲れ果てたピコを抱き抱えるようにして僕は家に帰った。
すると、家には区長さんと見た事のないバハムーンの男女が訪れていて、お祖父ちゃんと話をしていた。
お祖父ちゃんは僕に気が付くと駆け寄って、僕を抱き締めた。
そのとき、僕はお祖父ちゃんが泣いているのを初めて見たんだ。
その日の夜。お父さんとお母さんのパーティメンバーだったらしいバハムーンの二人から、お父さんとお母さんががロストしたのだと告げられた。
僕の両親がロストしてから6年が経った。両親不在の6年間に僕がひねくれなかったのは祖父ちゃんとピコ、そしてショウンが側にいてくれたからだ。
祖父ちゃんは仕事をしつつ、僕をよく構ってくれた。
ピコは少し疎ましいくらいに僕にまとわりつき、孤独に陥らないようにしてくれた。
ショウンは色々な書物を家から持って来ては知らない国の話、不思議な出来事を話して聞かせてくれた。
僕は感謝してもしきれない。いや、僕がこれからする事を考えると、僕は感謝することすら出来ていないかもしれない。
「祖父ちゃん……」
工房で家具に装飾の紋章を彫っている祖父に声をかける。チラリと振り返った祖父の瞳に映る僕は、旅装に身を包んでいた。
「祖父ちゃん、ごめん。親不幸たよね、僕は」
育ての親である祖父が、僕を家具職人にしたいことはわかっていた。でも、僕はお父さんやお母さんと同じ冒険者になろうとしている。
「カナタよぅ、オメェは親不幸なんかじゃねぇさ」
不意に、祖父が口を開いた。
「自分の親の事を知りてぇってのァ、当然だわな」
祖父の言葉に、涙が溢れる。
「まあ、あれだ。愛されてたかどうか知りたいってェのなら、答えは出ちまってるけどな」
祖父はそう言うと作業の手を止め、工房の金庫から何か取り出した。
それは黒い革張りの箱だった。祖父の視線に促されて受け取ると、ズシリと重い。
「これは」
「6年前のあの日に届けられたモンだ。開けてみな」
恐る恐る開けてみると、中には拳銃が1丁と、薄汚い紙切れが入っていた。紙には銃の名前らしきP―08という文字と、取り扱いの説明が書かれている。
「オメェの親からのプレゼントだ。自分達で錬成したみてぇだな」
確かに、この手書きの説明書は父の筆跡だ。
「お父さん……」
「あと、俺が出来るのはこれぐらいか」
祖父は棚から磨石と硬石を出して持たせてくれた。
そして、手拭いで僕の涙をぬぐう。
「ほらほら。せっかくの旅立ちに涙は似合わん。涙を拭いていけ」
「ありがとう、祖父ちゃん」
僕は手拭いを受け取って首に巻いて、三度笠をかぶった。
「祖父ちゃん、行ってくるよ」
「おぅ。気を付けて行けや」
祖父は仕事に戻り、僕は工房を後にした。
涙を落としても、足を止めはしない。
町の出口の門に差し掛かると、見知った人物が門に体を預けて立っていた。
「カナタ、君は一人で行くつもりかい?」
「ショウン……。お前もクロスティーニに行くのか?」
ショウンはゆっくり頷くと、門から体を離して言った。
「一人より二人の方が寂しくないだろ」
「僕はそんな寂しがり屋じゃあ……」
ない、とは言えなかった。
そんな僕を見て、ショウンは笑う。
「そういう強がりだけど正直な所、嫌いじゃない」
「フン。好きだって言い切れよな」
僕はそっぽを向いて町から出る。その後ろにショウンが続く。
「で、僕を退屈させない為の話題はあるんだろうな?」
「寂しがらせない為の話題ならね」
ショウンはおにぎりの具材についての小咄、豪華な弁当の具材についての話、ピザまんは肉まんかピザかの議論をして僕を楽しませてくれた。
カナタが旅立った後のカナタの部屋。主のいないはずの部屋に、微かな物音がたつ。
カナタの祖父は気が付かないが、カナタの使っていたベッド、その上で一人のフェアリーがカナタの枕を抱き締めて泣いていた。
「カナタ……なんで、なんで行っちゃうのよぉ。カナタぁ」
彼女の名前はピコ。カナタの幼馴染みであり、隣に住んでいる。いや、カナタが旅立った以上はカナタのお隣さんではなくなっていたが。
「カナタ、ぐすん。カナタぁ……」
枕を抱き締め、泣いていたピコだが、やがてその様子に変化が起きた。
除々にだが、ピコは枕に体を擦り付けるように動き始めた。
「あぅ、くぅ。カナタ……」
いつの間にか泣き声は止み、代わりに雌の鳴き声が部屋に満ちていく。
「は、ぁん、っくぅ……」
体長40センチ程の妖精は必死に枕にしがみつき、胸を擦り付け、枕の角を秘所に当てがい、時にゆっくり優しく、時に激しく大胆に刺激していく。
「あぁんっ! カナタぁっ!」
カナタが寝ている間にかいた汗や垂らした涎が染み込んだ枕に、ピコの愛液や涎が染み込み、新たなシミをつくる。
「くっ、ふぁああっ!」
『ソレ』を絶頂と呼ぶ事をピコはまだ知らなかったが、昇りつめる感覚は幾度となく経験していた。
「あ、あ……カナタぁ」
全身が震え、背が反って羽が極限まで開いていく。体が自分の物でないように感じる程の快感を感じながら、ピコはカナタの名前を呼び続けた。
「置いてかないで……。私も、一緒に……。行かないで……側に……」
ピコはカナタの使っていた枕を抱き締めたまま眠りに落ちた。
枕には愛しい相手の匂いは残っていても、すでに温もりは消えている。
その事は、此処にカナタがいないという事実をピコに突き付け、また、ピコにある決意を促した。
「私も……行く」
ただ一人取り残されたベッドの上で、ピコはクロスティーニを目指す決意を固めたのであった。
「……そして遂に、『蒸すという調理方を使う以上はピザまんは肉まんの仲間』という結論に至ったわけだ」
「やっぱりそうか。そうだろうと思ったよ」
僕とショウンは話しながら歩いていた。話の内容は『ピザまんは肉まんかピザか?』
「ちなみに、この話の一番凄い所は、この議論を行ったのが数学博士と哲学の教授だって事だ」
「……本当に?」
「本当さ。だからこそ、記録にも残されているんだ。っと、見えてきた」
「……本当に食べ物の話題だけで辿り着いちゃったよ」
ここはクロスティーニ学園の正門前。遂にショウンと共にここまで辿り着いた。
住み慣れた町から丸5日。その間には退屈などする暇はなかった。
初めて体験する旅は刺激に満ち溢れ、危険と隣合わせだった。一人では途中で諦めていたかもしれない。
でも、つらい旅でもショウンがいたから楽しく乗り越えられた。ショウンがいてくれて本当に良かった。
「ショウン、一緒に来てくれてありがとうな」
「それはコッチのセリフさ。君の御両親にも感謝しないとね」
僕がショウンを助けた場合は、武器の性能に依る所が大きいけど。
「おーい! 君達新入生ー?」
二人で正門前にいると、校舎の方にいた女生徒が声をかけてきた。
「入学式、体育館だって。みんなで一緒に行こう?」
オリーブと名乗ったその少女も新入生で、僕達は彼女のグループと一緒に体育館へと向かった。
「……では、学園生活を楽しんでください」
「以上をもちまして、入学式を終わります」
フライドチキンが似合いそうな校長の話が終わり、短い入学式が終わる。
「こんな短くて良いのかな」
僕は式というともっと堅苦しいイメージがあった。
「入学式は毎週やってるらしいからね」
「毎週? 毎週3百人とか入学するの!?」 ショウンの言葉に驚いて周りにいる生徒達を見回す僕に、オリーブが説明を追加する。
「今回は特別に多いんだよ。一月ぐらい校長先生が留守だったから、顔合わせの意味もあって数週間の新入生を集めたみたい」
「……それでも多いなぁ」
「まあ、パニーニやブルスケッタに移る人もいるしね」
「あと、やっぱり冒険者ヤーメタって人とか、ロストしたりもして多少は減るみたい」
……ロスト。それだけはイヤだ。
図書委員の仕事があるというオリーブと別れ、僕達は10人ほどで職員室へ向かった。
「入学手続きが入学式の後ってさ…ウワッと」
「わぁ!」
隣を歩くショウンの方を向いていた僕は、誰かにぶつかってしまった。
「イタタ……」
ぶつかった相手のディアボロス少女は尻餅をついてしまった。
「ご、ごめん。大丈夫?」
「え? あ、うん」
ディアボロス少女に僕は手を差し出した。でも、なぜか彼女は僕を見つめたまま手を取らない。
「よっと」
仕方ないので手首を掴んで引き起こす。
「大丈夫? ケガはない?」
「あ、ありがとう」
ディアボロス少女は顔を伏せて走り去ってしまった。
「……うーん。怒らせてしまったかな」
「いやいやいや。カナタって鈍いよね」
ショウンはクスクスと笑う。
「ノームでもないただのヒューマンが、下心もなくディアボロスに手を差し述べられる。素晴らしい事だよ」
「種族で相手を判断するのは思考停止と変わるないって、僕の両親は言ってた」
ショウンは僕を持ち上げるけど、僕は記憶にある数少ない親の教えを守っているだけだ。
別に誇る事でもない。
喋っている僕達の横をクラッズの男子生徒が走り抜け、ソレを何人かのセレスティアが刃物を振り回しながら追い掛けて行く。
「確かに。物騒なクラッズやセレスティアもいるしね」
ショウンは小さく笑った。
入学手続きを済ませた僕達は、食堂に向かった。
「コレとコレと、それからコレもだな」
「ショウン、お前さ、どんだけ食べるの?」
食堂では、明らかにオーダーし過ぎなショウン。君はいつからドワーフになった?
疑問を向けると、ショウンはペロリと舌を出した。
「うぃふぁふ……味覚の精度を上げて見たんだ。試したくてね」
「最近食べ物の話題が多かったのはそのせいか」
ようやく、ふに落ちた。
僕達がテーブルに着き食事をしている間にも次々に生徒が食堂にやってくる。
堂々としたバハムーン、和やかなノームやドワーフの集団。
そんな賑やかな食堂の入り口に溜っている集団に気が付いた。
フェルパーの集団だった。
フェルパー達は食堂の雰囲気が苦手なのか、中々入って来ない。
それでもたまに、コソコソと一人で入って来る者がいたり、何人かで一塊りになって入ってきてはいた。
でも、よく見ると何人かは諦めて回れ右をして帰って行き、他の何人かは入り口付近でウロウロしている。
「フェルパーって本当に人見知りなんだね」
「カナタから見ればね。でも、彼等にはアレで普通さ」
見渡せば様々な種族が食堂にはいて、それぞれが好きなように食べている。
種族毎に普通のという感覚は異なるのだろう。
午後。僕達新入生は学園の設備を見学して回った。
学生寮、購買、実験室、保健室、図書室、職員室。
一通り見て周って食堂にやって来た時にはもう夕食の時間になっていた。
そこでクラスは解散。各自で食事という事になったのだけど、やっぱりフェルパーの生徒が落ち着かない様子でウロウロしている。
僕は、そのフェルパーの中で一番端っこにいた女生徒に声をかける事にした。
「君、一人なの?」
声をかけた相手、黒髪のショートカットのフェルパーはビクリと体を震わせ、
上目遣いに僕を見上げた。
ヤバイ。可愛い。
艶のある黒髪と漆黒の瞳が怯えたように揺れる様は、僕の心に住むナニかに火を着けそうだ。
「あのさ、僕の連れが大量に注文した食べ物の処理に困ってるんだ。同級生を助けると思って一緒に来てくれない?」
僕は少し強引に事を運ぶことにした。
少し目を避らしながら頼むと、フェルパーの女生徒はオズオズと頷き、僕に着いてきてくれた。
「あ、そうそう」
僕は肝心な事を忘れていた。
「僕はカナタ。普通科。これからヨロシクね」
自己紹介は大切だ。
「わっ、わたし……カレリア……戦士科……です」
カレリアの自己紹介は最後の方は声が小さくて尻切れトンボみたいだった。
僕がもう一度『これからヨロシク』と言って右手を出すと、戸惑いながらも握り返してくれた。
ショウンの居るはずのテーブルには、大量の料理とテーブルに突っ伏したオリーブ。
そしてバハムーンのルオーテ君が口を押さえてうめいていた。
「うぅ。せめてコッパが居ればもう少し減らせたんだが……」
「ごめん。メニュー上から下まで全部は流石に無理だったね」
ショウンのセリフに呆れながら席に着く。いったい幾ら使ったんだか。
「あほショウン、新たな協力者を連れてきたよ。……カレリアさん、紹介するね。コイツがショウン。」
「やあ。僕はショウン。見ての通りノームでレンジャー学科……アホじゃないからね」
「かっ、カレリアです。……よろしくお願いします」
二人が自己紹介をしあっている間に僕はルオーテに頼んで更に援軍を呼ぶ。
たまたま通り掛った同級生のドワーフとフェルパーが参戦。皆でうずたかく積まれた料理に立ち向かった。
「いやぁ、昨日は楽しかったね」
「……まだ胃が重いんだけど?」
翌日、僕は胃もたれと一緒に起きた。
ショウンは何かメモしながら『味覚って素晴らしい』と、言っているけれど、付き合わされる僕達は身がもたない。
顔を洗おうと共同の洗面所に行くと、昨夕のドワーフとフェルパーがいた。
「昨日はどうも」
「こっちこそごちそうさま」
二人とも胃もたれとは無縁そうだ。
「オイラはヴェンジャン。いつでも御馳走になるぞ」
昨夕は一人で料理の3割近くを平らげていたドワーフのヴェンジャンが小さい体を豪快に反らして余裕をアピールする。
あの体の何処にアレだけの料理が収まったんだろう?
ツンツン、と、僕は腕をつつかれてソチラに振り向くと、フェルパーがはにかんだ笑顔を見せる。
「僕、ビルグリムっていうんだ」
「うん。僕はカナタ。ビルグリム、今後ともヨロシク」
右手を差し出すと、ビルグリムはニパッと笑って飛び付くように握手をしてくれた。
しばらく3人で話していたけど、食事の時間がなくなりそうだと、二人は食堂に向かった。
その時、ビルグリムが不意に真面目な顔をして言った。
「昨日のあのコ、カレリア……さんはちょっと苦手だな」
「え?」
何で? と、訊く前に二人とも行ってしまった。
僕は首を捻って突っ立っていた。
「……ですから、破傷風や敗血症にならないために、小さい傷にもヒールは必要です。……キシキシキシ」
最初の授業は保健。担当の先生はガレノス先生で、全学科共通の授業だ。
今は負傷時の応急処置の教育中。
僕はカレリアの事を考えていた。休み時間に見ていたけど、ビルグリムだけじゃなくて他のフェルパーも彼女を避けているみたいだった。
「キシキシキシ……。では、カナタ君。この場合の処置はどうしましょうか?」
「はい。直接圧迫止血法で止血します」
「キシキシキシ……。そうですね。止血法にも種類があり……」
僕はカレリアの方をチラリと見てみた。
カレリアは勉強が得意ではないみたいで、ノートに書いては消し書いては消しを繰り返している。
ショウンの件での借りもあるし、僕はカレリアに勉強を教えようかと考えた。
うまくいけば僕のためにもなる。
担任のダンテ先生の話だと、僕みたいな普通科の生徒が一人で冒険に出るのは自殺行為らしい。
僕はショウンと組み、他にルオーテとコッパ、委員会の仕事が無い時ならオリーブも一緒に冒険に行くと約束してくれた。
でも、ルオーテもコッパも、それぞれに自分の目的があって冒険者を目指している。
いつでも一緒に来てくれるとは限らない。
だから、僕はカレリアに目をつけた。カレリアはクラスでも少し浮いてしまっている。
ここで僕が声をかけて勉強も見てあげるとなれば、カレリアは僕のチームに入ってくれるだろう。
即戦力となる戦士、しかも可愛いフェルパーの加入となれば、釣られて加入する人が出るかもしれない。
そうなれば、冒険はずっと楽になる。
「そうそう。来週は魔法使い学科の生徒が編入するとか。また賑やかになりますねぇ」
僕は、その魔法使いもチームに入ってくれないか考えをめぐらせるのだった。