(駄目か、ビクともしやがらねえ……)
バハムーンの少年、フリードが拉致同然にテレポルで連れてこられたのは、学院に通う生徒たちが使用する寮の一室。
長い間独りで落ちこぼれて野宿を繰り返していた彼がその内装を見るのは久しかったが、今は懐かしさに感慨深くなっている場合ではなかった。
壁一枚隔てた向こうに、他の生徒が寝泊りしている可能性は大いにある。だが、彼らに聞こえることを望んで大声を張り上げようとした喉は、掠れた小声を搾り出すことが精一杯だった。
(喉にもパラライズが効いていやがるな……糞ッタレ)
麻痺に侵された肢体に感覚が戻る様子は無い。
抵抗そのものが出来ぬ状態のまま刻々と時は過ぎていき、ついに扉の鍵が回ってしまう。
勿論、都合よく他の誰かが来てくれるわけがない。
「待たせてごめんなさいね、思ったより刺された傷が大きくて……けれど、流石はリリィ先生ですわ」
後ろ手に鍵を閉め、ベッドに寝かされた状態の彼にも見えるところまで歩いてくるのはセレスティアの少女。アリスと名乗る彼女こそが、戦いの末少年をここまで連れてきた張本人。
彼女の両腕からは、先刻の決闘で槍に刺された傷が血痕ごと消えうせていた。もう、両腕が使えないというハンデもない。
「……このまま、依頼主に引き渡すハラかよ」
苦虫を噛み潰した顔で、フリードは吐き棄てる。
逆恨みか何かは知らないが、間もなく自分を痛めつけようとした奴がここに現れる……、彼はこの時までそう考えていたのである。
だが同時に、こう結論づけるには妙な所が多々あることにも気がつき始めていた。
「何か勘違いなさっていますわね」
「俺は頭が悪いんでな」
「そうかしら? 学内の噂ではむしろ逆と聞いていたのですが」
「…………昔の話だ。おつむってモンは、ちょっと使わないでいりゃすぐバカんなる」
彼が開き直って言うと、アリスは特に呆れた様子も無く笑い、ベッドの端に足を組んで座る。学院制服の短いスカートはそれだけで衣服の意味の大半を失い、色白の肌に覆われた太腿が露わになった。
フリードはそんなものには目を向けずに疑問符を浮かべる。彼女の態度に無様な敗北を喫した彼を嘲ったり、自身が勝利に酔ったような仕草が微塵も無いことについてだ。
かといって彼女は事務的に徹しているわけでもなく、他の何かで喜んでいるように見えるのである。
「先程のあなたのお言葉を使わせて頂くなら、『誰の差し金』でもありませんわ。誰かにあなたを連れてくるよう頼まれてもいませんの」
「何だと? ……オイ待て、話がまるで見えねえ。報復じゃ無えってんなら何のつもりで連れてきやがったってんだよ」
直接聞きはしなかったが、フリードにとって一番の疑問は目の前の少女が顔を赤らめていることについてだ。病気で熱が出ただけなら少しは苦しいはずで、こんな風に力の抜けた笑みを浮かべていられるとは考えにくい。
すると、少女が今度はうつ伏せに這うようにベッドに両手を付いて乗り上がり、片足がフリードの臍の上を跨いだ。
そして彼の両耳の隣に手を付けば、息のかかる距離で二人は見詰め合うことになる。彼もここまで来るとおぼろげながら理解してしまう。
理由が何であれこの少女が、何をしようとしているのかを。
「……今日は五本吸ったぞ」
「そうですか。けれど私、煙草味のベーゼも嫌いではありませんわ」
「チッ……背中の白い羽が泣いてるぜ、天使様」
大きく舌打ちしてフリードが皮肉たっぷりに言ったのを皮切りに、アリスが唇を重ねる。
否、重ねるだけではすまなかった。
最初から口を開いて重ねたそれは、初めからむしゃぶるためのもの。麻痺で弱った口をこじ開け、口腔を歯茎周りから広く嘗めなぞっていく。
「……ふぅ、っ…ちゅ……じゅるっ」
「……! くっ、ン………じゅ…ぶっ」
両足は腰に、両手は彼の頭に逃がさないとばかりに絡みつく。どのみち、目の前の獲物は痺れて動けないのにもかかわらず。
淫靡な水音が繰り返されていくにつれ、セレスティアの証ともいえるコメカミと背中の白い羽が、根元から黒に染まっていった。
世間では過去の事件やらの関係で、堕天使には裏切り者や悪人のレッテルがつきまとう。
現在は一職業として見直され理解されてきたとはいえ、こういう偏見のせいで彼らの烏のごとき漆黒の羽に生理的嫌悪感を持つ者は、どの種族にも根強く現れてくる。
そこで最近の堕天使学科は、白羽へカムフラージュする技の授業も受けられ るのである。
そしてこの技は無意識下の制御に慣れるのに時間がかかる上、感情の波や理性が突出した時に解けてしまうこともあるのだ。
「ふっ…! ぐっ……ぅ」
低い声に激しい鼻息を交え、フリードが呻く。口の中を蹂躙され続けていれば酸素は鼻から取り込む他ないためだ。
呼吸器官すら麻痺が蝕んでいることも手伝って、流石の体力自慢の竜騎士も息継ぎの苦しみに顔を赤紫色にしていた。息苦しいほどにアリスのキスは、激しい。
彼の動きの鈍った舌は奥に逃げる間もなく堕天使の舌に引きずり出され、絡められたり唇に挟まれたりを繰り返した。
そして、こんな濃厚な責めを絶えず続けていてなお、アリスの藍緑色の瞳は彼の金眼から目を逸らさない。
陶酔したように潤みきった瞳は、恋に落ちた少女のそれと変わりは無い。互いの口の中で行われている淫らな秘め事とは、あまりにかけ離れている。
「んっ…………はぁ。しあわ、せえ……」
五分ほど続いてようやく唇が離れると、アリスは唇からシーツに滴る唾液にも構わず恍惚とした表情で呟いた。
「ぷはぁっ、ハァッ、ハァッ……! ……そ…の、セリフ、何人の、男の前、で、言った、んだ?」
ようやく開放されたフリードは必死で息を整え、疲労に歪んだ顔を無理やり嘲笑に変えて問う。
「フフッ……あなたが初めてよ?」
「ほざきやがって……そう言って幾つ咥え込んだのか言ってみろよ売女」
「むしろ上客とおっしゃって頂きたいですわね。はてさて、あなたの貞操はお幾らかしら?」
投げつける侮辱の言葉は、彼女の笑顔の眉間の皺1つ増やすことすら叶わない。
「知るか、てめえが俺の体でオナってただけだろ」
「どうかしら……あなただって、しっかり愉しんでるじゃない」
手馴れた口責めの合間にも胸を押し付けたり、股間をすり合わせるように腰を動かしたりもしていた。
彼自身、『別嬪』と口にするくらいに目前の堕天使の器量が良いことは認めている。
いくら殺しあった相手とはいえ彼も若い男、そんな彼女に積極的に求められて耐えられるものではなく、彼のズボンには布地が張り詰めるほどの怒張が出来ていた。
アリスは彼の太股部分までずれるように移動すると、怒張に鼻先を近づけて言う。
「服の中で出してはお気の毒ですわね」
「余計なお世話だ、さっさと退きやがれ。尻軽のクセに重いケツ乗っけてんじゃねえよ」
怒張に手がかかり、チャックの摘み部分を探り当てるように指がなぞる。
「耳悪いのかコラ。くびり殺されてえかサノバビッチ」
「son of a bitch……売女の息子? これ殿方向けの喧嘩文句じゃないかしら」
「黙れ。退けっつってんだろうが」
「……何を焦っていらっしゃるの?」
間を置いて意味深に問うと、フリードが口をつぐんだ。
「……っ、犯されそうな奴が焦らないわけあるかよ」
「正論だけれど、あなた今嘘をつきましたわね? 何を隠していらっしゃるのかしら」
「オイてめえ、やめろ本当に殺……」
ジッパーが開かれ、中で自己主張を続けていた怒張の正体が、穴から起き上がるようにしてそそり立つ。
この瞬間、アリスは行為の中で始めて驚きに目を瞠ることとなった。
「……!」
「…………畜生」
フリードが、つい今しがたまでの噛み付くような表情を引っ込め、情けない顔つきになって目を逸らした。
皮かむりというわけではない。大きさもバハムーンとしての平均の域で、首の太さはヒューマンのモノとは比べ物にならないほど立派。
だが、形状が通常とは著しく異なっていたのだ。
「……奇形を見るのは初めてだわ」
「……元は普通だったんだ」
先端が二股に分かれた、切り口のグロテスクな『剛直』と言えぬソレ。
覇気の消えうせた声でポツリ、と彼が語り始める。
「もう一年も前だが……わけの分からない連中にとっ捕まって、奴ら散々汚い真似しやがったついでに何とかインジョンだとかほざいて切り刻みやがったんだ。
思い出したくねえほどの痛みの上にショックか何かで熱にもうなされて、ようやく我に返ったと思った時には手遅れだった。
回復かけても今や『この形状』に治っちまうだけだ。こんなスパナみてえなモンぶらさげてちゃ、ダチとの連れションすらロクにできやしねえ」
「……! まさか、あなたがパーティに所属していないのって……」
「小便も堂々と出来やしねえ、んな情けねえ状態で仲間持ったとこで隠し続けるのが辛えだけだからな……。くそ、死にてえ……」
自嘲するように毒づき続けるフリードに三白眼の強面は見る影も無く、今や泣き出す寸前の幼児のように歪みきっていた。
「……もういい、いっそあんたが殺してくれ。いくらお前だって、こんなイカレたモン受け入れられやしないだろ?」
と言ったのを最後に彼は毒づくのをやめ、太股にまたがった少女を眉を八の字に下げた顔で見つめた。
アリスは彼と少しだけ見詰め合うと、目前にある歪に変わり果てた性器を見下ろした。
一拍置いて、膝立ちに体を起こす。
彼女はスカートの中に手を入れ、自身の黒い下着に手をかけずり下ろした。
「何してんだ、着替えてる暇があったらさっさと……」
彼女は新しい下着をはき直すことなく、もう一度同じところに手を突っ込む。スカートにさえぎられ、フリードの目には見えない。
だが、さえぎられていない手首下部分から粘り気のある液体が伝っている。そして、彼女が徐々に腰を下ろし始めている場所は。
気がついたフリードの顔から血の気が一気に引いた。
「おいやめろフザけんなテメエ! 同情なんざいらな……むぐぐふぐぅぅっ!!!!」
喚く彼の口の中に、先ほど彼女が脱いだ下着……黒の紐パンツが押し込まれる。続けて、元から用意していたのか……手の届くところにあったガムテープで、そのまま口をふさいでしまった。
「んっく……うう、むぐうううっ!!!」
下着に染み付いていたのか、唾液とは違う粘り気と淫靡な香りが口の中に広がる。
彼は混乱して叫ぼうとするが、塞がれた唇は意味のある言葉を発せられない。
「……もう何もおっしゃらないで。ソレをセックスに使うことをあなたが罪だと思っているということは……私にもよく伝わりましたから」
「ンン!? ふぐぅ、ふぐぅぅぅぅっ!!」
「大丈夫、私に全て任せて頂戴……。あんな顔を見せられては、私も我慢できませんわ」
麻痺が解け始めているのか。彼は必死に首を振り、何かを伝えようとしていた。
アリスは、それら一切を無視し、指で開いた裂け目に二股を同時に包み込むように受け入れていく。
「ん……アッ。はああ……っ! 入っ、たわ……!」
「ング、ン、ンンゥゥーッ!?」
「あんっ……これ、す、すごい、奥で分かれて、当た、当たって……!」
体を弓なりに反らし、フリードの腰を腿で挟み込んでアリスは歓喜の声を張り上げる。
「あ……はっあ……いいわ、もっと……!!」
「ンンンーっ! ン、ンムンン!! ンンンンンンムー!!」
彼女は叫ぶが早いか、その姿勢のまま上下に腰を動かし始める。加減も休みも無く、その運動は初めから、パンパンと肌のぶつかり合う音がするほどに速い。
1つになった部分から漏れ出る愛液からは泡が絶えず出来ては弾け、粘りついた嫌らしい水音を響かせていく。
肉襞はただ挟み込むのではなく、出し入れするごとに形を変えて肉棒に絡みついてくるようだった。
それは甘美で目もくらむほどに刺激が強く、フリードは目を白黒させる。
「うっく……ま、まだ大きくなりますの!? こんなの裂けちゃ……ッ!」
アリスの側も、表情から余裕が消えうせていた。だが行為そのものはかえって激しさを増し、肌のぶつかり合いは更に騒々しくなっていく。
性器のコンプレックスのせいで長い間自慰に耽ることの無かったフリードは、瞬く間に限界まで上り詰めようとしていた。
「ン、ングゥゥ!! ングゥゥ!!」
もはや己の欲望をせき止めることはできない、それを目前の少女に知らせるためフリードは呻き、再び首を横に振る。これ以上、続けるわけにはいかないと。
「あはっ、あ、あなたも限界、なのですね!?」
アリスは、よがり狂ったように顔を弛緩させ舌を出しながらも、彼の意思を汲み取る。
「!?」
ただし、その答えは肉襞の締めをよりキツくすることだった。
まとわりつくものの締め付けが強くなり、彼の肉棒がビクビクと痙攣を始める。
「ングウ!? ンンン!!! ンムグウウウーッ!!!」
陰嚢に溜まり切っていた白いマグマは、とっくに道をこじ開ける所まで上り詰めている。
今更、彼がその衝動に打ち勝つことなど不可能だった。
「キャ、ああああ、わ、わたしも、もう、あ、あああ、ああああああああーっ!!!」
目前に、白い閃光が迸ったような錯覚と同時。
フリードは半ば白目を剥き、アリスは背骨が折れるのではないかと思えるほどに体を反らし、二人まとめて絶頂に達する。
形の歪な肉棒からはあちこちに精液が飛び出してしまうが、アリスの陰唇は彼のモノを丸ごと根元までくわえ込んでいたためそれらを丸ごと受け止める。
だがガス抜きの欠けていたフリードの欲望はそれでも全て収まりきることはなく、透明度の低い白色の粘液が、結合部からじわりとあふれ出していた。
*
彼が目を覚ました時、傍らにアリスは居なかった。
それどころか、ここは彼女の部屋ですらない。白いカーテンと壁に周りを阻まれた、鉄パイプによる骨組みのベッド。
竜騎士になりたての頃は、しょっちゅう『かばう』で攻撃を受けては倒れ通い詰めだった場所。
しかし、仲間や自分が蘇生技を覚えて以降、行くことが殆ど無くなった場所。独りになって落ちぶれてからは、この部屋に来たのは初めてだった。
「う……っ」
麻痺は完全に解けていたが、体は疲労感で上半身を起こすだけでも重苦しい。
淫乱な堕天使はあの最初の一度の絶頂だけでは飽き足らず、底知れぬほどの精力で腰を振り続け、途中で脱ぎ脱がされまた腰を振り、彼の溜めていたおよそ一年分以上の精液を奪っていたのだ。
多くの生徒に使い古されたベッドは重心が変化しただけでギィと軋む。
「やっと、お目覚めね……。お久しぶりね、フリード君」
音に気がついたのか、足音が近づいてきた。
静かな、悪く言えば暗い印象の声は、彼女の根も葉もない恐ろしげな噂を膨らませてしまうことに一役買ってしまっているのだろう。
フリードは、彼女の噂に惑わされない数少ない生徒の一人だった。
「……リリィ先生」
角のついた長髪……女性のディアボロスのシルエット。
一枚の白いカーテンを隔てて、お互いに影しか分からぬ状態で対面する。
「二日間、眠り続けていたわ。あの子も疲れ果ててたし、余程無茶をしたらしいわね……」
「…………その様子だと、全部知ってるらしいな畜生」
彼女より暗い声で諦めたようにフリードは言うと、「でも、先生はあの堕天使を知ってんのか?」とすぐに問う。
「ええ、勿論よ。アリスちゃんはよくここに遊びに来てくれるもの。色々と手伝ってもらったこともあるし、相談に乗ってあげたこともあるわ……」
彼女の声が若干明るみを帯びている辺り、先生はアリスのことをとても気に入っているのだろう。
「相談と言えば、あなたをここに運び込んだ時もだったわ……」
「俺が気絶したから助けてくれってか?」
「いいえ、あなたのペ○スのこと」
フリードの体がグラリと傾ぎ、傍の壁にゴツンと頭を打ち付ける。痛みに悲鳴もあげず、たんこぶが出来るのも構わず彼は項垂れた。
ちなみに、彼女が躊躇うことなく隠語を口にしたことについてはどうでも良かった。医学に精通したドクターなら一々気にしてはいられないだろう。
「眠り続けている間に全て終わったわ」
「ああ、終わったな俺の人生」
「本当に、そう思う?」
当たり前だ、とフリードは心の中で吐き捨てる。この先こうして徐々に事実が広まっていくと考えるだけで死にたくなった。
……が、ここでようやく彼は下腹部に違和感を覚えた。
今の彼は入院患者のような衣装を着せられていたが、股間の感触がどこか違っていたのだ。
「一応、私は後ろを向いておいてあげるから、脱いで確かめてみて。包帯は取って大丈夫よ……」
と、彼の心を見透かしたようなことを言うと、リリィ先生はキィと回る椅子ごと背を向けたようだった。
「……?」
意図は測りかねたが、言われた通りに下を脱いでみる。
股間にあるのは当然彼の肉棒。ただし、今は清潔な包帯が巻きつけられている。そして、まさかという期待と共にその包みを剥ぐと。
「……先生、これは一体」
キノコ型の、健康な肉棒が顔を出したのだ。
傷跡1つなく、忌まわしきスパナは見る影も無い。
包帯を剥がす瞬間の痛みは本物だった。よって、作り物ではない。
「性器のようなデリケートな部分を、回復や蘇生の魔法『だけ』で治すのには限界があるわ。
ここで皆勘違いしてしまうのだけれど……魔法的観点からではなく、人体の仕組みから回復について理解を深めていくドクターなら、勉強すれば元に戻すことは不可能じゃ無いのよ」
フリードは先生の話が聞こえているのかいないのか、信じられない様相であんぐり口を開け、自身の愚息を見つめ呆然としていた。
「一年前……優等生だったあなたが突然不良になってしまった時はビックリしたわ。けれど、原因がこんなことだとは思いもしなかった……。
どうせ私と話してくれる生徒なんて数えるほどなんだから、こっそり相談に来てくれたらよかったのに。まあ、言いにくいのは仕方が無いことだけれどね……
いずれにしても、あなたはこれで再出発が出来るんじゃない?」
「先生には大きな借りが出来たのは確かだが、今更俺にやり直すアテも目指すものもないぜ?」
「そうかしら……? いえ、それより先に、アリスちゃんにお礼を言ってあげて。
私は、学院の保険医としての仕事をしただけだもの」
「ケッ……ったく、天使みてえな悪魔も居たもんだ。話の筋は通ってるとはいえ、アイツとは真逆……」
その時控えめなノックの音が響き、フリードは話を止め、慌てて下半身の衣類を整える。
「失礼いたします。リリィ先生、頼まれていたお花の種ですわ」
「まあ、いつもありがとう……ちょっと待っててね、今お茶を淹れてあげるから」
「いえ、どうぞお構いなく」
カーテンを横に寄せるように引くと、一瞬、背を向けて戸棚に向かうディアボロスの女性の白衣姿が映った後……あの紫巻き毛のセレスティアが戸口に居るのを認めた。
目が合うと、彼女が一瞬戸惑ったように視線を逸らしたが、すぐにこちらに微笑みかけてきた。
「フフ、お目覚めはどうかしら?」
「誰かさんのせいで疲労困憊だ。……まあ、気持ちは軽くなったがね。
っつーかそれだよ、聞きたかったのは。何で俺なんかとヤったんだ? ここまでしてくれたんだ、ただ溜まっていて誰でも良かったわけじゃねえんだろ?」
「……、え、えっと、それは……」
演技だとするならそれでも見上げたものだが、フリードには彼女が恥じ入るように動揺し始めたのが信じられなかった。
これでは男と手を繋いだこともないような少女と、さして変わらないではないか。
「あの、あ、あなたのことが前から気になってて、いつかあんな……あんなコトをしたいってずっと考えていたからなんですけれ、ど……。り、理由まで言わないと……ダメ、ですか?」
しかし、彼はこの不可解さについて、何となく理解し始めていた。
性行為に慣れた様子と処女でなかったことから、彼女に男と体を重ねる経験があったことは間違いないだろう。
だが、行為のみならば売春などに代表されるように、愛が無くとも出来ること。彼女にとって、『愛する人』としたことがあの時で初めてであったとすれば。
そこまで考えて、フリード自身恥ずかしくなってきてしまった。有り得る事とは思いにくいが、この少女が普通でないことは分かっているため納得ならできる。
「……あー、なんと言うか、スマン。正直気になるとこだが、言いにくいなら無理すんな」
俯いて赤面する彼女の初々しい態度を見て、彼は頬に熱が浮き上がるのを抑えるのに苦心した。あの部屋で淫魔のごとくペ○スを貪っていた堕天使とはとても似つかわしくない態度。
彼は、それに合わせた照れ隠しのように指で頬を掻いた。これ以上この話題を引き伸ばすと更に恥ずかしいことをしでかしそうだったので、半ば強引に本題に入る。
「ともかく、俺は今後リリィ先生に足向けて寝れねえのは当然として……。果たして、アンタにどうやって恩を返したものか、方法に困ってる」
「え……?」
と、ここまではばつの悪そうに笑いながら言ったが、彼女が呆けたように顔を上げて目が合った時には、彼は出来うる限りの誠意を込めて真っ直ぐにその目を見つめる。
「アンタがここに連れてきてくれなけりゃ俺は、下手すりゃ一生あのコンプレックスと付き合ってくところだった。そいつを変えてくれた感謝してもしきれねえ。
何でも……と言うと出来ないこともあるかもしれんが、言ってくれりゃ最大限その期待に答えようと思ってんだよ」
フリードとて、不良となって続けていた助っ人は慣れはしても楽しんでいたわけではない。
自分の尊厳が傷つく可能性に怯え、大勢の生徒と関わっていく学院生活に戻るに戻れなかっただけなのだ。
彼女は経緯はどうあれ、その原因を打ち砕く道しるべとなってくれた。そのことについて彼は口にこそ出さなかったが、一生分の借りを作ったと感じている。
アリスはその思いの片鱗を彼の瞳から見つけることができた。
そして、何でも頼みを聞いてくれるというのなら……。否、たとえ聞いてくれずとも。
「それでしたら――――」
願うことなど、初めから決まっている。
学院の裏で煙草をふかして客を待つ、報酬次第でどんなパーティの助っ人にもなる腕利きの竜騎士。
ある日を境に、彼はその傭兵稼業を廃業し、二度とその場所に戻ることはなかった。
彼は一人の堕天使から恩義という名の報酬を受け取り、卒業の日まで彼女の力になることを承諾したのである。