私の部屋の中には、香の放つ香りが淡く立ち込めていました。私がそうしておいたのです。ルームメイトが帰ってくる心配はほぼありませんでした。
鼻から脳に直接入り込んでくるような妙な香り。その中で、私は後ろから、座っているヒュマ君の首に抱きついていました。できるだけ体が密着するようにしながら。
彼が何故私の部屋にいるのか。それについては説明する必要はありません。半分の偶然と半分の意図、と言っておけば十分です。
彼は体を強張らせ、何だよ、と唸るように言いました。うろたえているのは明らかでした。すぐに部屋を出て行かなかったことを後悔しているようでした。もっとも、出て行かないように私が引き止めていたのですが。
本当に良いのか、という疑問がなかったわけではありません。しかし、そんな道徳心は最早ほとんど力を失っていました。(小さなものとはいえ)教えに背くような行いなど、今まで密かに、何度もしてきたのですから。ましてや、私の髪は赤いのです。
嫉妬の末に弟を殺したカイン。お金と引き換えに主を敵に引き渡した、イスカリオテのユダ。オーディンの統べる世界の破滅の引き金を引いたロキ。彼らは赤い髪だったという話もあります。私の頭は裏切りの色に染まっているのです。
私が神とか主とかいう抽象的な存在の力を本気で信じたことなど、恐らくそれ程ありません。模範的信者であった父の気を引きたかっただけです。
仮にも修道女の身でありながら、私は自分を律することを放棄しました。それを知れば、父はどんな顔をするでしょう。あの慈悲深く厳格な、天使という表現の似つかわしい表情をどう動かすでしょう。
離してくれ。彼は呻くように言いました。私は挑発するように言いました。離さなかったら、どうなるの。言いながら、彼の首筋に唇をあてがいました。
彼が身震いするのを感じます。ああ、やってしまいました。もう後戻りできません。私のしていることは、いわゆる“早まった真似”です。
彼は家出少年同然の身の上です。卒業後の展望も持っていないようです。しかし私を慈しんでくれていることは信じられます。今のままの彼なら、卒業後間違いなく途方に暮れるでしょう。
そんな彼を家(父の教会)に連れ込んで、父の前で誓いを立てればいいのです。理性的なヒュマ君は、それまで貞節を守ってくれるでしょう。彼はそれほど性欲は強くないようですから。彼が許せば、私達はスムーズに結ばれるでしょう。
……しかし、私の方が待ちきれませんでした。あの男に犯されたあとから、私はどこかおかしくなっていたのです。彼が私と似たような思いでいると、一刻も早く証明したくてならないのです。私の心臓が荒々しく訴えています。
“人は父母を離れて妻と結ばれ、二人は一体となる。二人は最早別々でなく、一体である。神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない”。(新約聖書 マルコによる福音書10章7〜9節)
繋ぎ止めてしまえ。今すぐに。私だけの彼にしてしまえ。優しい彼が、他の誰かに繋がれる前に。
「言っちゃあ悪いが、お前、あぶれ者か?」
私は躊躇いましたが、結局うなずきました。全くその通りだったのです。私は学校のにぎやかな雰囲気にまごつく田舎ものでした。ましてや実家では、司祭である父を見習う修道女でした。最初のパーティーの子たちにとって、私はあまりに堅物に映ったのでしょう。
「なら俺と組め。あぶれ者を集めてパーティーにしちまおうぜ」
そう言って、ヒュマ君は私の手を引っ張っていきました。見るからに途方に暮れていた私を見かねたのでしょうか。彼にはそんなところがあります。口が悪くて不真面目で、不良のように見られることもあるけど、基本的には親切なのです。
彼がいなければ、私はドラッケンに在学し続けられたでしょうか。雑多な若者たちのひしめく異様な熱気に気圧されて、逃げ帰ってしまったのではないでしょうか。彼はどういうわけか、会ったときから私にとても親切でした。
どうしてお前は、いつもそんなに真剣なんだ。彼は私を後ろから抱きしめながら、いつになく真剣な口調で、呻くように言いました。
頑張れって言えば、本当に何にでも全力でかかりやがる。手を抜こうとか思わないのか。誰が褒めてくれるってんだ。
決まってるよ。ヒュマ君に見放されたくなかったから。私はヒュマ君の親切のおかげで今もここにいられるの。怖いことはいっぱいあったけど、その度にヒュマ君が励ましてくれたの、知ってる。だから……。
彼の腕に力がこもりました。
お前がそんなんだから、俺も怠けらんねえんじゃねえか。いっつも、真剣な奴をからかって、自分のいい加減さを誤魔化してきたってのに。お前が頑張ってると、自分が情けなくなる。お前がどこか抜けてるから、尚更放っとけねえ。
彼の声は切実でした。彼がこんな危険の付きまとうところに転入してきたのは、ひとえにお父さんから離れたかったからだそうです。確固たる目的のために邁進できない自分を惨めだと言いたかったのでしょうか。
これは三学園交流戦の後のことだったはずです。彼がどこかのパーティーの人と喧嘩して、どちらが多くターゲットを倒せるか競うことになったのでした。結果的には私たちの勝ちでしたが、彼が無理な突撃を繰り返したので全滅しかけたこともしばしばでした。
そのことを私に謝っているうちに、こんな話になったんだと思います。初めて唇を交わしたのはこのあとでした。
このとき私は、珍しく本気で神の見えざる手の存在を信じたくなりました。家出同然でここに来たのは、私も似たようなものです。
父は優しく、美しい人でした。あんな人に娘として扱ってもらえる私は、恵まれているといっていいでしょう。正直に言うなら、恐らく父は私の初恋の人です。
孤児院に定期的に訪れ、聖書の物語と主の教えについて説くセレスティアの牧師。主は、天の父は、全ての人の救い主、創造主であり、全ての人を愛しておられる。もちろん、あなた達の事も。
主は目に見えなくても、いつもあなたの傍にいて、あなたの喜びや苦しみを知っています。自分を慰めてくれる人、助けてくれる人を思い浮かべることがありますか。それこそが、あなたの主、神なのです。主は決してあなたを見捨てることはありません。
私も人間である以上、私を産んだ親というものがいるでしょう。しかし、その人たちについて覚えていることなどありません。
辛いとき、悲しいとき、私がすがれるものは空想と物語だけでした。しかし、空想の中の救い主は具体的な姿を持ちません。私の傍には、常に寂しさが付きまとっていました。孤児院の子供は皆そうです。特定の一人として愛されることに飢えているのです。
私は牧師の教えに一際興味を示しました。主はいつも共に歩み、共に苦しみ、共に喜んでくれる同伴者。私がどれだけ惨めで落ちぶれていても、一緒にいてくれる人。私は牧師にしがみついて、そんな優しい物語を無心にねだりました。
それが高じた結果か、彼は私の父となりました。私にそれを告げたときの父は、まさしく私に遣わされた天使でした。痛いときは撫でさすり、寒いときは抱きしめ、悲しいときは慰めてくれる、私のメシア。
しかし正しい信仰者たる父の愛は、万人に向けられたものでした。特に、醜い人や落ちぶれた人に。美しいものを愛することは誰にでもできる。誰からも省みられない惨めな存在を見捨てないことこそが愛なのだと、父は説きます。
それは間違いなく父の美点ですが、私は気に入りませんでした。
だったら、もっと私に構ってくれないものでしょうか。私は親に捨てられた惨めな境涯の者です。あなたはそれを憐れんで、私を迎え入れてくれました。もっと長い間近くにいて、触れていてもらいたいのです。
苦しみも喜びも共にする、魂の同伴者としての主。しかし、飢えてばかりいた私にとって、現に存在しないものだけで満足するのは無理というものです。不寛容な旧約聖書も、統一性のない新約聖書も、私の心には響きません。私の信仰の対象は主ではありません。
父は私を、惨めで寂しい所から拾い上げてくれました。しかも、主や神と違って確かに存在しているのです。私は父を独り占めしたかったのです。見も知らない人たちのために祈り働く時間を、私を愛でることに使ってほしかったのです。
これでは孤児院にいた頃と大して変わりません。面倒を見てやっている餓鬼どもの一人が、愛すべき全ての人々の一人になっただけ。他の誰でもない特別な一人ではないのです。しかし、私の望むような扱いを、父は“差別”“偏愛”として戒めるでしょう。
所詮私は跡取りになることを期待されただけなのでしょう。しかし今となっては、白い翼を背負う誇りと責任など、どうでもいいことです。いくら天使を真似ても、私の脆弱な肉体は欲望を訴えるのですから。ああ、お父さん……。
あれは仕方のない取引でした。止め処ない敵の増援。前後も左右もない乱戦。全てが終わったときに立っていたのは私一人でした。魔力はほとんど残っていませんでした。
ヒュマ君達の亡骸を見下ろしながら、私は途方に暮れました。私の戦術はドクター/シスター。完全な支援役です。迷宮を一人で脱出できる気などしませんでした。札の類は用意してありましたが、敵の火炎攻撃でポーチごと焼け落ちていました。
そこに二人連れの男が現れたのです。恐らく本職の冒険家でしょう。私は即座に助けを求めました。男達は快く応じてくれました。すぐに一人が何人かの死体と共にバックドアルを唱え消えました。
私は残った一人と、払う対価について交渉しました。お金は思いの外ありましたし、戦利品もよりどりみどりでした。男はそれらに心を動かされなかったわけではなさそうでした。しかし最終的に彼が求めたのは、お金でも物でもない、私の体でした。
これは仕方ない取引でした。あのまま私も斃れてしまえば、本当の死人が出ていたでしょう。二十年ほど前までのような“ロスト”の脅威は稀になったとはいえ、死体を食べられれば蘇生の儀も役に立ちません。
大体、私に処女を重んじるこだわりはありませんでした。男達の手つきは気遣わしげで、不覚にも私は、多少なりとも感じてしまいました。避妊もしっかりしてくれたのですから、なんとも良心的なものです。たまに聞く酷い話を思えば、とても幸せな例でしょう。
まさか主(あるいは父)も、この取引を罪深い姦通だとは言わないでしょう。もし言うなら、私の脆弱な信仰は今度こそおしまいです。問題はその後の私です。
事件による憂鬱が冷めてきてから、私の思考に一つの妄念が侵入しました。私を犯すあの男がいつしかヒュマ君に入れ替わっているのです。
その妄想はひとたび現れると私の中にしつこく居座り、いつしか夢にまで見るようになりました。そして夢から覚めた私は、生臭く濡れた体を清めながら、痛悔の祈りを唱えるのです。夢の中とはいえ、淫らな悦びを貪ったことに。
しかし、私は生まれてからずっと信仰者として洗脳されてきたわけではありません。洗礼を受けた頃には、ある程度の自我を持っていました。白い翼に恥じない正しい人であろうと自分を律するほどに自覚するのです。欲望は満たされるまで尽きません。
父は私の望みを満たしてくれる人ではありませんでした。そしてヒュマ君が、私の願いに一番近いところにいます。彼は私をどう思っているでしょう。私に何を望んでいるでしょう。あの男でも、多少なりとも気持ちよかったのです。ヒュマ君だったら……ああっ!
図書室兼王立図書館の奥のほうであの本を見つけたのが運の尽きでした。学者が時々入るぐらいの図書室の深部で、私は古い蔵書を軽く物色していました。多くは旧弊だったり難解すぎたりで、さして気になるものではありません。
そんな中、ある棚の中で一際妙な存在感を放つ書が目を引きました。周りに並ぶ本に比べてやけに古びていますが、防腐処理がされている様子はありません。発行年や著者名さえ記されていないのは、異様と言うほかありません。
その異様な書を、私は意味もなく開きました。開かれたページには、レシピと図が記されていました。それは薬の調合法でした。材料は容易に手に入るものばかりで、大掛かりな設備や手順も必要としませんでした。
その効能を読んで理解したとき、私の中で例の妄念が渦巻きだしました。脳裏にある短編小説の一節が浮かび上がります。
私は天の父にわかって載かなくても、また世間のものに知られなくても、ただ、あなたお一人さえ、おわかりになっていて下さったら、それでもう、よいのです。
私は、ただ、あの人から離れたくないのだ。ただ、あの人の傍にいて、あの人の声を聞き、あの人の姿を眺めて居ればそれでよいのだ。
そうして、出来ればあの人に説教などを止してもらい、私とたった二人きりで一生永く生きていてもらいたいのだ。
あああ、そうなったら!私はどんなに仕合せだろう。私は今の、此の、現世の喜びだけを信じる。次の世の審判など、私は少しも怖れていない。
あの人は、私の此の無報酬の、純粋の愛情を、どうして受け取って下さらぬのか。(太宰治『駆け込み訴え』)
父は私に温かな慈愛と、安心できる場所をくれました。その恩はとても言葉では尽くせません。しかし、それ以上を求めることは許してくれませんでした。
父の温かな胸に身を預けながら、父の読む『賢者の贈り物』を聞いていたとき。あの時感じていた体温の心地よさを、私は忘れることが出来ません。
成長した今、父はむやみに体を触れ合わせることを避けます。揺り椅子に座る父に後ろから抱きついてみると、父は少し表情を曇らせてたしなめます。もう子供じゃないだろう、と。
ええ、子供じゃありません。血縁関係でもありません。密着した体から体温を感じると、硬く尖った乳首が下着に擦れて痛むのです。私の夢を乗っ取るインキュバスが誰の姿を借りているか、言ってあげましょうか?
ソドムとゴモラの町から逃げたロトが山の中で何をしていたか、ご存知でしょう。彼の娘達は妻を失った父に酒を散々飲ませて、父との間に子を成してしまいました。血筋を絶やさないためには、近親相姦も許されるのですか。
だったら、私がこの娘達の真似事をしたら、お父さんは許してくれますか?望むなら、何人でも産みますよ。そしてその子を、純然たる使徒として教育するといいでしょう。
……けれど、それは父の聖性を落とすことにもなりかねないことです。私の信仰の対象は、恐らく初めから天主やあの磔の人ではありません。あまりに綺麗な父を汚したくないという矛盾した思いが、私をドラッケンへ逃げさせたのでしょう。
『一人の天使が、先が火になっている長い黄金色の槍で、何度もこの身の一番深いところまで刺し貫きました。天使が槍を引き抜いたとき、私は彼が臓腑諸共もぎ取ってしまうのではないかと思いました。
天使が離れてゆくと、私は神への熱い愛の炎の中で燃えていました。痛みは時に呻き声を堪えかねるほど激しく、さらにその痛みの甘さは、何人もそれを失おうなどとは考えられぬほどに絶大でした』
信仰と恋愛には似たところがあります。どちらも相手が自分に絶対的な安心、満足を与えてくれることを期待しているのです。神/恋人は常に自分の味方であると。
だとすれば、この聖女の見た幻想が彼女の情欲の表れだと言っても、責められはしないでしょう。この神秘体験を言い表す言葉から、清らかなイメージを引き出せますか?緩んだ口から熱っぽい息を吐く、聖女のいやらしい姿が目に浮かぶようです。
とはいえ、さすがは神学博士です。私では、あの時ヒュマ君の腕の中で感じていたことを、こんな風に表現できません。
香の香りは随分濃くなり、室内の空気は淀んでいました。淀んだものがどろどろと鼻から入り込み、思考を溶かしていくようです。
私は火のように熱くなったヒュマ君の槍で、一番深いところを何度も貫かれていました。それが奥を突くと呻き、引き抜かれると喘ぎました。痛みは感じませんでした。幸か不幸か、すでに膜はありませんでしたし、その他の痛みも香の香りで麻痺していました。
醜いほどに膨れ上がったヒュマ君のあれは、私の中から溢れ出る蜜液でぬらぬらとしていました。それが私の中をゴリゴリと擦るたびに、私はあそこと脳髄を焼き切られるような感覚に襲われました。
口は酸素を求めて開いたままでした。ヒュマ君の激しい愛撫に体の震えが止まらず、声や唾液を漏らし続ける口は思わしい呼吸ができません。体は息苦しさと疲労に悲鳴を上げています。なのに、私はその二重苦が続くことをひたすらに望んでいました。
ヒュマ君は仰向けの私の上に覆いかぶさり、引き裂いた服の胸元からこぼれ出た乳房を弄んでいました。彼の手が粘土細工のように乳房を握りつぶすたびに、そこから甘い波紋が全身に広がっていくようです。
上では鎖骨や首筋、乳房をいいようにされ、下をひっきりなしに擦られている、まさにされるがままの状態。全身を襲う激しい震えと圧迫感の中、私は悲鳴を上げて気を失いました。
ヒュマ君には父のような高潔さも美しさもありません。講義への遅刻やサボりは日常茶飯事。実戦に出ているとき以外は、大体のんべんだらりとしているか、パーティー外の悪友とくだらない遊びに興じているかです。
お父様との冷えた関係で苛立っていたせいか、権威的なものに逆らおうとするような傾向が見られます。しかし個人的に困っているような人(特に女の子)には、それとなく助け舟を出してみたりするのです。
私と出会ったのも、そんなお節介の一つでした。一匹狼を気取りながら、なんだかんだでお人よしなのです。不良っぽく振舞ってるのに、可愛くて、頼もしい人。
私はヒュマ君にどれだけ助けられたんでしょう。彼に続く、パーティーの二人目にしてもらったこと。ヒュムちゃんに声をかけるよう背中を押してくれたこと。日々を楽しくするために色々と持ちかけてくれること……。
ヒュマ君のいないここでの生活など、想像もつきません。ここに来てからの私の思い出の半分以上にはヒュマ君がいます。冒険者らしいことをやり始められたのも彼のおかげです。私のドラッケンでの暮らしは、ヒュマ君のおかげで始まり、維持されているのです。
これはまさに父(を初めとした良き信者)にとっての主と天主に等しいものにすら思えます。誰にも醜さを見せない模範的な父は、堅い信仰によって成り立っている(ように見える)のですから。
ヒュマ君は私を“彼女”として扱っています。しかもそれは彼から言い出したことです。ディアボロスさんに私達の仲がばれてからかわれたとき、彼は開き直って言い放ちました。
「俺の天使を困らせるなよ」
……ヒュマ君にとって“天使”に大した意味はないでしょう。彼に信仰などないはずですから。そう自分に言い聞かせても、落ち着くことができませんでした。私にとっての天使のイメージとは、私を拾い上げてくれた父のそれに他なりません。
私にとって、ヒュマ君はあまりに都合の良い存在です。彼は私にとって父の代わりのような存在となっています。しかも、人間の匂いの薄い父よりも遥かに御しやすいのです。
『……そのように夫も、自分の体のように妻を愛さなくてはなりません。妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。(新約聖書 エフェソの信徒への手紙5章21節)』
私は誰かを独占し、かつその人に独占されることをずっと夢見ていました。誰とも同列にされない、特定の個人として特別扱いされたかったのです。そして“互いに仕え合い”たかったのです。父は一人だけに仕える気などありません。
父の人物と活動が国に認められ、家は国の支援を受ける正式な教会となりました。すると父は、私のような孤児を新たに何人か引き取ったのです。私は父にとって無二の存在(偏愛の対象)にはなれなかったようです。
私はその子達のお母さん役となりました。それはいいのです。子にとって母親は代わりの効かない重大な存在です。いつも父にいたわられていた身としては、“弟妹”たちに頼られ慕われるのは至上の喜びでした。しかし、彼らは独占されることを望みません。
ヒュマ君との健全な逢瀬を密かに重ねながら、私はじりじりとしていました。もっと強く求めて欲しいのに。いっそ強硬に無理やり襲ってきてもかまいません。それだけ私を欲しているなら。
私と自身を愛している、好きにしたいと、この身に容赦なく刻み付けて欲しかったのです。彼には自分自身を愛して欲しいのです。その上で、私を慈しんで、貪って欲しいのです。捨て鉢になった彼など、考えたくもありません。
私は甲高い叫び声を上げながらのけぞりました。ヒュマ君は立ったまま私を後ろから激しく貫いていました。手は私の手首を掴んでいます。
脱がされた服が腕や翼から抜かれず、手を後ろに縛られたようになっています。私は立ったまま上半身を後ろに反ったような態勢でされていました。
私の奥にはさっき出された熱いものが残っていますが、それが出きらないままに彼は再び挿し込んだのです。中の液体が彼のものでかき混ぜられてぐちゅぐちゅと音を立てています。
突き上げられるたびに、私の喉は恥ずかしいぐらい甘い声を吐き出し、乳房が衝撃で上下に揺れます。突き上げが激しくなるほどに声も揺れも大きくなります。
私のどこからこんな声が出るのでしょう。それは普段なら出そうとしても出せそうにないのに、紛れもなく私の声と思えるものでした。なんて緩みきった声でしょう。痛がっているのか悦んでいるのか分かりません。いや、両方なのでしょうか。
乳房はいろんな意味で敏感なところです。音さえ聞こえそうなほどに激しく揺れては、相当痛いはずなのです。なのにあの柔肉が大きく上下するたびに、私は狂おしいほどにその感覚を悦んでいました。痛みさえ快楽になっているのでしょうか。
お尻に彼の体重がかかり、私は倒れこむように膝をつきました。上半身がベッドの上に投げ出されます。あそこはつながったままです。膝への衝撃が結合部に刺激を与え、二人とも思わず悲鳴を上げました。
彼は私の拘束された腕の片方を取り、引っ張り上げました。ベッドに寝そべった上半身を横に起こした形になります。その態勢で律動が再開されました。
私はじっとりと汗ばんだ右手でシーツを掴みながら、されるがままになっていました。彼の前後運動が先にも増して激しくなります。私の体は無意識に震え悦び、びくびくがくがくと揺れています。
揺れの激しさのあまり、乳首がはみ出しました。散々弄られて乱れた下着は乳房の拘束を甘くしていたようです。硬く尖って突起のようになっています。死にたいほどに恥ずかしいです。
意識を揺さぶる激しい刺激が、爆竹のように炸裂してからどろどろと波及していきます。気持ちよくて恥ずかしくて、全身が溶けてしまいそうです。いっそこのまま溶けてしまったほうが幸せかもしれません。あっ、やだっ、ヒュマ君、ヒュマくん、ヒュマくぅん!
ヒュマ君はきっと心細いのでしょう。だって唯一の家族であるお父様との仲が悪いんですから。よほど苦しい状況にない限り、家族はその人を愛してくれます。さしたる理由がなくても良くしてくれます。
そういう人が自分の帰るところを確保してくれている。それがどれほど人の精神を安定させるか。分からないなら幸せすぎるか荒んでいるかです。
ヒュマ君は休暇中も家に帰ろうとしません。こっちにいるほうが楽しいから、休み中も鍛えたいからという人も確かによくいます。けれど、ヒュマくんの第一の理由は、お父様と顔を合わせたくないからでしょう。家庭の話になると、彼は暗い顔で口を閉ざします。
彼を一人根無し草にするのはあまりに危険です。私にとって彼は恩人ですから、むざむざ孤独の無間地獄に放り出したくはありません。人には帰る場所が必要なのです。自分をはっきりと肯定してくれる人がいなければ、この世は地獄以外の何者でもありません。
私は彼を独り占めにしたい、というより、独り占めにすることを認められたい。もし彼が自分を受け入れてくれる人を欲しているなら、私達の利害は一致します。
私は父に求めて得られなかった快楽を、彼に見出しました。父からは平安を、“弟妹”たちからは誇りを、ヒュマ君からはいたわりと個人的快楽を。
私はヒュマ君に平安を与えたいのです。彼を安らぎに満ちた家に迎え、お父様と仲直りさせたいのです。そして心置きなく、私と……。ああ、主よ。私の貪る卑しい悦びを、遊びのためだけの姦通などと思わないでください。
あの男達との行いを、私は悦んでなどいませんでした。肉体の快楽と精神の快楽は同じものではありません。私がはしたなく乱れるのは、私を弄んでいるのがヒュマくんだからです。他の誰でもいけないのです。
あの奇妙な書に記された薬の効能は、私の望みを具現化したようでした。服用した人同士が、相手に秘めていた感情を発露させるというものです。どのような感情を表すかは、調合する材料によって変わってきます。
私はこの薬を、嗅いで服用する香料のようにして調合しました。刺激するのは愛欲。“愛欲”には性欲の他に、対象(特に妻子)への強い執着という意味もあります。私をどうする気もなければ、何も起きません。
私は、ヒュマ君と私との精神的なつながりを確認したかっただけなのです。その夜の行いで彼の想いが冷めてしまうなら、所詮それだけのことだったということです。男性の恋愛感情は、性交を頂点としてその後は急降下……などという話もありますし。
しかし、ヒュマくんなら恐らくそんな不誠実なことにはならないだろうと信じていたのです。それがより確かに信じられれば……、彼の愛撫はどれほどの悦びをもたらすでしょう。それは体だけの悦びではないのですから、放埓には入らないはず。
ああ主よ、父よ。今回のことは、どうか大目に見てください。これは楽しみのためだけの試みではないのです。互いに人生を預けあう契約なのです。
……はぁ、はぁ、はぁ……。熱いよ……。
……可愛い?……私?……可愛すぎる?
……!
鏡に私が映っています。一糸まとわぬ姿で、ヒュマ君に後ろから抱きすくめられています。眉や目尻がだらしなく垂れて、締りのない口の端からよだれが流れ落ちています。肌は淡い赤に染まり、一目ではそれが自分であると思えませんでした。
何ていやらしい姿でしょう。垂れた翼の上から回された手に、意外と大きい乳房をむにゅむにゅとこね回されて息を荒くしています。時折指が敏感になった頂点を挟むと、あっと甲高い声を上げて、びくりと体を震わせます。彼は私の胸が随分気に入ったようです。
あそこに至っては見るに耐えません。ヒュマくんの腰に座るようにして後ろから突き上げられています。私の中からは、色々なものが混ざった白い半透明の液が止め処なく流れ出て、植え付けられた彼のものを伝って流れ落ちています。
汗をかきすぎてぬるぬると光る私の肌に、さらに赤みが差していきます。この体はどうして溶けないのでしょうか。あそこなんて、もう自分のものとも思えません。
こんな姿が可愛い?普段なら素直に嬉しくて、照れくさい言葉。彼はなかなか背が高くて男前ですから、私はどこか引け目を感じていました。けれど、こんなのは……。
見ないで……。恥ずかしいよ……、あっ!
いやっ、あっ、ああっ!だめ、だよぉ、こんなの、あっ、こんなの、わたしじゃ、ああっ!
つまんじゃ、らめぇ、あっ!つ、つ、つよ、すぎるぅ、はうぅぅっ!
はぁ……、こ、こんな、……おっぱい、ばっかり……やあ!あん!も、もう、だめ、き、きもちよ、すぎるのぉ!
あっ、ああっ!羽根は、あっ、はねは、はねは、やめてえ!ひゃうぅぅっ!
だめぇぇ!あん、はぁぁぁん!か、かんじゃ、らめなのぉぉぉ!
あ、あ、あ、あんんんんっ!ごりごり、するよぉ!
いや、やだ、いやぁぁぁ!こわれちゃうぅ!へんだよぉ!あっ、あっ、あっ、あっ……。
ヒュマくん、ヒュマくん、ひゅまくぅん!い、あ、熱い、あつい、あつい、あついよぉ!
死んじゃう、しんじゃう、あっ、しぬ、しぬ、しぬぅぅぅぅ!
だめぇぇ、ヒュマくん、ひゅまくぅぅぅん!
朝になると、ヒュマ君に起こされました。体がだるいです。動く気になれません。……講義?今日はないけど……、ああ、ヒュマ君はあるの。
……さすがに出る?サボりすぎてる自覚はあるのね。……うん、時間の余裕はあるよ。
……あれ、私ベッドで寝てる……。後始末してくれたの?ごめんね……。
……え?……まあ、出来るだけ大丈夫そうな日にしたし、避妊剤も用法どおりに……。……あとは、天に祈るだけね。
……ねえ、もし出来ちゃったら……。……そう、やっぱり?……うん、私も、まだ早いと思う。
……え?……言わせないでよ、そんなこと……。……その、何て言えばいいのかな……。
……よかったよ、凄く。夢みたいだった……。
……うん、そうだね。しばらくはいいや。
……え?私?……まあ、溺れなければいいんじゃないかな。他が手付かずにならなければ。うん、たまになら、ね……。
……ねえ、……えっと、……いいや。面と向かって訊くことじゃないし……。
……え?言うの?……うん、……そうだね。
……ねえ、……卒業しても、一緒にいていい?
全身を覆う疲労感に、布団の柔らか味は最高の組み合わせです。しかし心地良い二度寝の前に、いくつか現実的な心配が持ち上がってきます。
彼を私の部屋に連れ込んだのは正解でした。ここなら制服の替えがあります。後で破られた服を修理しなければなりません。
温かな笑みと言葉、そして香りを残して去っていったヒュマ君。……ですが、服の着方はいい加減で、髪もあまり整っていません。見るからに疲れています。
そんな姿で女子寮の中をうろつけば……。彼はただでさえ問題児として教官や生徒会に睨まれています。女子寮内でそういう人たちに見つからないことを祈るばかりです。それと、できればパーティーの女性方にも。
父はヒュマ君をどう思うでしょうか。彼はきっと洗礼なんて受けません。……まあ、大丈夫でしょう。私たちが心から互いを敬い、心配していると分からせればいいのです。それが紛れもない誠意なら、父は何も咎めずに祝福してくれるでしょう。美しい微笑と共に。
私はまだ、ヒュマ君の全てを知ったわけではありません。今日の甘美な記憶が後悔の前触れにならないとも限りません。けれど、それは今心配しても仕方がないことでしょう。
……主よ。とくとご覧ください。私たちは、少なくとも今は、共にいる幸せを共有しています。それが真のものであるなら祝福を。そうでないなら相応しい裁きを。
あなたは理不尽を許さず、常に公平であると、私はまだ信じています。その公正なる目で、私たちの行く道を照らしていただきたいのです。道を外れたならば、……御心のままに。
来るべき時、彼との記憶が甘美なものとして思い起こされますように。あなたの正義が、私たちの行く末を平穏にするものと信じて、アーメン。