世界の命運をかけた激戦が終わって二週間が経過した。  
今ではどの学園も平穏を取り戻し、だんだんといつもの日常へと戻ってきている。  
そんなモーディアルの昼過ぎ。授業のある生徒が学食から出ていき、空席が目立つ時間になってきた頃、カツンと杖をつく音が聞こえた。  
その音に、中にいた三人の生徒が振り返った。  
「やあ、セレスティア。だいぶ良くなったみたいだね」  
「ええ。いつまでも、寝ているわけにもいきませんからね」  
まだ右の翼に包帯が巻かれ、右手には杖を持っているものの、セレスティアは比較的しっかりした足取りで歩いている。  
「エルフさんこそ、大丈夫なのですか?まだ松葉杖を使っているようですが…」  
「もう無くてもだいぶ歩けるんだけどね、一応ってところ」  
「君達は戦闘でも痛手受けてたから、しょうがない」  
「………」  
それに比べ、フェルパーはすっかり元の調子に戻っているようであり、肩のペットに餌をやっている。久しぶりに三匹集まったためか、  
ペット達はそれぞれの定位置を離れると、テーブルの下に潜り込んで顔を突き合わせ、何事かを話しているらしかった。  
「それで、ドワーフの調子は?まだよくない?」  
「そうですね……本調子には、まだまだ遠そうです」  
そんな会話を、フェアリーは硬い表情で聞いていた。彼女も比較的元気ではあるが、顔色はすこぶる悪い。  
「ま、しょうがないか……変身解くの、体力使ったもんねえ…」  
彼等の惨状は、戦闘が直接の原因ではない。確かに激戦ではあったのだが、問題はその後だった。  
ラプシヌは野望が叶わぬと見ると、全ての夢を道連れに滅びようとした。それを止めるためには、天空の宝珠の力を全て使うしか  
手はなかった。それはすなわち、自分達の夢を諦めることを意味していた。  
ここでもまた、ドワーフは状況に構わず願いを叶えようとしていたが、そこはセレスティアが必死の説得に当たった。  
「世界がどうなろうと、私には関係ない」  
「ですが、世界そのものが滅びてしまうのなら、わたくし達個人の願いを叶えたところで、まったくの無意味です。それに、個人の願いを  
受け入れた上で、世界を救うような力はありません。ドワーフさん……気持ちはわかります。ですが、どうか、わかってください」  
そう言うセレスティア自身、世界と引き換えにしてでも叶えたい夢は持っていた。しかし実際にそれを天秤に掛けられると、  
世界を取らざるを得なかった。  
「……まあ、私も死にたくはないし。しょうがないか」  
「話はまとまったか?じゃあ、エルフ。お前が一番まともに言えそうだ。俺達は、お前の言葉に従う。宝珠に、願いを掛けてくれ」  
バハムーンは宝珠に手をかざし、目を瞑った。それに倣い、他の仲間も同じように意識を集中した。  
次の言葉に、全ての想いを込める。そして、エルフが口を開こうとした時だった。  
「不死身の怪物になって世界を支配したーい!!」  
まったく突然に、フェアリーがそう叫んだ。極めて間の悪いことに、仲間達はエルフの言葉を心に刻み込むため、何も考えずにただ  
耳にだけ全神経を集中させていた。そこに聞こえた言葉を、彼等は心の中で復唱し、その具体的な姿を思い描いてしまった。  
「ちょっ!?てめっ……ぐぅ、あああああ!!」  
「な、なんてことをっ……ぐうううう!!」  
「えっ!?嘘っ!?フェア、ただっ……う、うああああっ!!」  
周囲で騒ぐ生徒の声など耳にも入らなかった。心は黒く染まっていき、元仲間達ですら獲物としか認識できなくなっていく。  
しかし、一行は膨れ上がる悪の心を押さえつけ、強引に元の姿へと戻ることに成功した。  
それぞれ戻った理由はまったく違い、おまけに個人的な都合で戻った者が多かったのだが、そこは全員が何となく感じ取っており、お互いに  
その時のことを語るのは何となくタブー扱いとなっていた。  
 
ただでさえ激戦で消耗したところに、この怪物変異未遂事件である。強引な変身解除は肉体にも精神にも多大なダメージを与え、その結果  
セレスティアとエルフがしばらく寝たきりになり、フェアリーは四日ほど目を覚まさず、ドワーフもそれ以降調子を崩している。  
元々体力のあったバハムーンと、激戦でもほぼ無傷だったフェルパーは他の仲間ほど深刻な被害は被っておらず、その後の報告などは  
主に二人が担当していた。それからフェアリーが目を覚まし、エルフが出歩けるようになり、そしてようやくセレスティアが外出できる  
ようになった。  
「ところで、フェアリーさん」  
「ひっ!?な、何!?」  
セレスティアが声をかけると、フェアリーはビクンと全身を震わせた。  
「その後バハムーンさんとは、お会いしましたか?」  
「………」  
フェアリーはぶんぶんと首を振る。どうやら、さすがにとんでもないことをしでかしてしまった自覚はあるらしく、バハムーンからは  
逃げ回っているようだった。エルフとフェルパーも、今回ばかりはバハムーンに殺されてしまうかもしれないと思っており、彼に  
引き渡すのをやめているらしかった。  
「そうですか……謝りに行く気も、起こらないのですか?」  
「だ、だ、だって……あ、謝っても、許してくれないかもしれないし……こ、怖いんだもん〜…」  
「そうですか。そういうことでしたら…」  
一瞬、セレスティアは言葉を切った。そして小さく息をついたと思った瞬間、突然学食のドアが勢い良く開けられ、バハムーンが  
飛び込んできた。  
「ひいぃっ!?バ、バハ!?」  
「……逃げ回ってくれたなあ、お嬢ちゃん?」  
「い、いや、いやぁ…!セ、セレ、助けてぇ…!」  
真っ青になって震え、セレスティアにしがみつくフェアリー。そんな彼女を優しげな笑顔で掴むと、セレスティアはそのままバハムーンの  
前へと突き出した。  
「え、えええぇぇ!?ななななんでぇ!?やだっ、助けてよぉ!!」  
「さすがに今回ばかりは、神のお許しがあるかどうか、問うべきだと思うのですよ。では、バハムーンさん、よろしくお願いしますね」  
「ああ、手間掛けさせて悪かったな」  
フェアリーの引き渡しを終えると、バハムーンは彼女を脇に抱え、学食から大股で出ていった。  
「た、助けてぇぇぇ!!もうしません!!もうしませんからぁ!!許して!!お願い助けて!!誰かぁぁぁ!!!」  
フェアリーの泣き声が遠ざかっていき、やがて聞こえなくなると、セレスティアはホッと息をついた。  
「セ、セレスティア……もしかして、バハムーンとグル…?」  
「ええ。こちらに来る前に、いたら教えてくれと言われまして」  
「君にしては、結構容赦ないね」  
「反省こそしていたようですが、犯した過ちを償う気がないのですから、それは神に問わねばなりませんよ。もっとも、きっと彼女は  
許されるのでしょうけどね」  
楽しげに笑うと、セレスティアは昼食を取りに行った。その背中を追いかけてペットが飛んでいき、いつもの頭の上へと納まる。  
それを見送ると、二人はフェアリーが残した料理に視線を送る。  
「……プリンもらっていいかい?」  
「じゃあ僕はハンバーグもらう。あと、ミールに付け合わせのブロッコリー」  
「あ、じゃあフェネは……パセリ?変なの好きだねえ」  
多少不安に思ったとはいえ、結果がどうなろうと自業自得である。既に二人の中で、フェアリーの心配など跡形もなく消えているのだった。  
 
冒険者学校の中で賑わう施設には、学食の他に保健室がある。あまりお世話になりたくない施設ではあるが、体が資本である冒険者にとって  
保健室は重要な場所である。怪我や毒の治療、また健康診断や相談事、そして一部が授業をサボるため、といったように大抵は誰かしらが  
利用している。  
この時は珍しく利用している生徒がおらず、校医であるモミジは生徒からもらった天使のピザを頬張っていた。至福の表情で  
プリシアナ名物を味わっていた彼女だが、不意にその耳がピクンと動き、続いて視線が扉の方へと注がれる。  
直後、ガラリと扉が開かれ、それに寄りかかるようにして一人の生徒が入ってきた。  
「んぐっ……大丈夫ですか!?」  
「き、気持ち悪い……吐きそう…」  
普段からは想像もつかないほど弱り切った声で、ドワーフは呟くように言う。慌てて袋を渡すと、ドワーフはそれを奪い取るように掴み、  
即座に吐き始めた。  
「うえっ…!う、おええっ……かはっ、はあ……はあ…」  
「わふん、少しは落ち着きましたか?」  
返された袋を受け取りつつ、モミジは彼女の背中をさすってやる。普段であればそれを打ち払うドワーフだが、まだ気持ち悪いようで  
大人しくさすられている。  
とりあえず椅子に座らせ、落ち着くまで待ってから、モミジは刺激しないよう静かな声で尋ねる。  
「まだ体調すぐれないんですね、わふ〜ん。今どんな感じか、聞かせてくれますか?」  
「……朝とか、食事後とか……変に気持ち悪い…。あと……う、うぷっ…!」  
「大丈夫ですか?」  
「……ピザ、匂い……う、ぐっ……それ、嫌……どっかやって…!」  
「匂い、ですか?」  
ピクッと、モミジの眉が動く。とりあえずピザを元通り箱にしまい、その他のお土産が山と積まっている棚に押し込むと、注意深く  
ドワーフの様子を見てみた。  
「……頭痛いとか、ありますか?」  
「それはない…」  
「そうですか、わふ〜ん。じゃあ、眠いとかはどうですか?」  
「ん……最近起きられないし、起きても眠い」  
少し気分がよくなってきたのか、ドワーフの声はだんだん元の調子に戻ってきている。  
「他はどうですか?」  
「あと、おしっこよく行くようになった。あとだるさ、ずっと続いてる」  
この短い間に、五回唾液を呑み込んでいる。いよいよもって、疑いは確信へと変わりつつあった。  
「……何か、最近特に食べたいものってありますか?」  
「濃厚魔獣背脂ラーメン」  
再び、確信が疑いへと格下げになった。  
「おいしそうな響きですよね、わふ〜ん……はっ、いけないいけない!えーと、それじゃあどこか痛いとかありますか?」  
「ん〜……今は別にないけど、昨日まで足の付け根辺りがちょっと痛かった」  
多少予想外の答えもあったものの、恐らく間違いはないだろう。  
「それじゃあ、確認のために最後の質問なんですけど…」  
その質問の答えは、やはり予想通りのものであった。そこから導き出される答えを、モミジは彼女にはっきりと伝える。  
保険医の宣告を、ドワーフは表情一つ変えずに聞いていた。そして聞き終えると、いかにも形式的な礼を一言言い、再び自室へと  
帰って行った。その姿を、モミジはどことなく寂しげに見守っているのだった。  
 
セレスティアが食事から戻ると、ドワーフはぼんやりとベッドに腰掛けていた。いつも通りに挨拶をすると、彼女はそっけなく返事をする。  
まだ体調もよくないのだろうと思い、魔法科学の勉強でもするかと教科書を取り出すと、不意にドワーフが声をかけた。  
「セレスティアさん、話がある」  
「おや、どうしました?」  
随分珍しいなと思いつつ、セレスティアは教科書をしまって自分のベッドへと向かう。しかしドワーフが隣に座れと言うようにベッドを  
ぽんぽんと叩いたので、それに従い彼女の隣に座る。  
「………」  
「……どうか、したのですか?」  
優しく話を促すと、ドワーフは一つ息をついた。  
「体調、あれからずっと悪いし、気持ち悪いから、保健室行った」  
「そうなのですか。それで、何かわかったのですか?」  
「妊娠してるって」  
一瞬、その言葉の意味がわからず、セレスティアは返事ができなかった。  
あまりにもさらっと告げられた重大な事実に、言葉の意味がわかったあともセレスティアの頭は状況が掴み切れていなかった。  
「えっ……あ、え、そ、それはつまり、わたくしと、ドワーフさんの子が…?」  
「それ以外、誰がいるの」  
「あ、いえいえ、それはわかるのですが……そう、ですか。いえ、喜ばしいことですよ」  
本心から思っているらしく、セレスティアはそう言って笑いかけたが、ドワーフの表情は変わらなかった。  
「……うん。私もね、嫌じゃない。学校辞めるのも構わない。でも…」  
無表情ではあったが、彼女の心情は大体読み取れるようになっている。いつになく深刻そうな口調に、セレスティアは黙って話を聞く。  
「私ね、好きって感情がわからない」  
「………」  
「親父も、お袋も、一緒にいた子供も、今のパーティの仲間も、セレスティアさんにも、特別な感情持ったことなんてない。見ても、  
一緒にいても、別に何も感じない。全員一緒。セレスティアさんは大事だと思うけど、でも好きって感情はないの」  
好きではないと言われたことより、むしろ『親父』と『お袋』という言い方の意外さに、セレスティアは驚いていた。  
 
「今まで誰も、好きになんてなったことない。だからね……だ、だから……だからぁ…!」  
不意に、ドワーフの目に涙が溢れた。  
「も、もしっ……この子のこと、好きになれなかったらどうしよぉ〜…!」  
涙はあとからあとから溢れ、頬を伝って毛に黒い筋を残し、固く握りしめた拳へと落ちていく。  
「ひっく……わ、私のっ……ひっく……私と、セレスティアさんの子なのにぃ…!好きになれなかったらっ……どうしよぉ……ぐすっ……  
そんなの、やだよぉ……ふええぇぇ…!」  
まるで子供のように泣きじゃくるドワーフを、セレスティアは呆然と見つめていた。やがて、その顔に慈愛に満ちた笑みが浮かび、そっと  
ドワーフの体を抱き寄せる。  
「……そんなことには、なりませんよ」  
子供をあやすように優しく背中を撫でながら、セレスティアは続ける。  
「生まれる前の子を、これほど気遣えるあなたが、どうして好きになれないことがありましょう?あなたは既に、立派な母親ですよ。  
それに……もしも、万が一にそんなことがあったとしても、心配はいりません。わたくしは、あなたの分まで、その子を愛しますよ」  
ドワーフはしばらくの間、セレスティアの胸の中で泣いていた。やがて少しずつ落ち着きを取り戻し、たまにしゃくりあげる程度になると、  
自分からそっと体を離す。  
「くすん……セレスティアさん、キスして…」  
セレスティアはそれに応え、ドワーフの首を掻き抱くと、そっと唇を重ねた。  
軽く吸ってから唇を離す。尻尾が二回、パタパタと振れて止まる。同時に少しだけ、ドワーフの表情は明るくなった。  
「……ありがと」  
慣れない感じで笑いかけるドワーフ。それに笑顔を返しながら、セレスティアはこの学園を去る覚悟を固めていた。  
 
その日の夕食は、学食ではなくセレスティア達の部屋で取ることとなった。理由としては、ドワーフとセレスティアの二人が他の仲間に  
話さなければならないことがあったことと、二人部屋なので他の仲間の部屋より広いという理由からだった。  
「ひっく……くすん……えっく、えっく…」  
泣き腫らした目のフェアリーが、セレスティアのベッドの上でもそもそとパンを食べている。久しぶりに制服を身につけているが、  
その理由はあえて誰も尋ねない。  
「フェアリーさん、大丈夫ですか?」  
「う、うん……くすん……死んじゃうかと思った……まだすごく痛いよぉ……しばらく座れない…」  
そう言いつつも、ヒーリングを使わずにいる辺り、彼女の性格というより性癖がよく表れていた。  
「で、話ってのは何だ?全員集めるからには、重大な話なんだろ?」  
「そうですね、とても重大です」  
ドワーフは自身も話の中心であるにもかかわらず、我関せずといった感じでビーフシチューをゴクゴクと飲んでいる。保健室で薬を  
もらったため、少なくとも気持ち悪さはだいぶ治まっているらしい。  
「では、要点だけお話します。今日、ドワーフさんの妊娠が発覚しました」  
「っ!?」  
全員が、ドワーフから聞いた時のセレスティアのような反応をした。しかしすぐに、フェアリーが我に返った。  
「うそぉ!?ドワ、妊娠!?子供!?赤ちゃん!?えっ、じゃあなになに!?つわりとかきてんの!?他にもなんか妊し…!」  
パッと飛んできたフェアリーを実にうざったそうに睨むと、ドワーフはまとわりついてきたフェアリーの尻をバシッと引っぱたいた。  
途端に羽がビンッ、と突っ張って止まり、フェアリーはあえなく床へと墜落した。尻を押さえてうずくまるフェアリーを一瞥すると、  
ドワーフは再びビーフシチューを飲み始める。  
「あ……そ、そうなんだ。おめでとう……って、言っていいのかな、この場合」  
それが何を意味するのかを察し、エルフは少し躊躇いながらも祝福の言葉を口にする。  
「あ〜、つまり……身重で学園にいるわけにもいかねえし、お前も孕ませちまった以上は、それについて行く。てことは、二人とも  
パーティから抜けるってことだよな?」  
バハムーンがまとめて話すと、セレスティアは頷いた。  
「ええっ!?ドワとセレ抜けちゃうのーっ!?やだなー、やだなぁー!フェア、二人と一緒がい……わわっ、ごめんなさーい!」  
またドワーフの前に飛んで行った瞬間、再び彼女が手を振り上げたため、フェアリーは慌ててセレスティアのベッドへと戻る。  
「てことはお前、身重でラプシヌ達と戦ってたのか……すげえな」  
「でも、ドワーフ、君生理来なくて変だとか思わなかったのかい?」  
「来なくて楽だと思ってた」  
「そ、そうか…」  
それぞれに言いたいこと、聞きたいことが交錯していたが、バハムーンとセレスティアは極力、必要のある話だけを話すことにした。  
「パーティきってのアタッカーと、貴重な全体回復係が消えるとなると……こりゃ、かなり厳しいな。けど、だからってお前等に残れ  
なんて言えるような事情でもねえよなあ」  
「ええ、申し訳ありません」  
「今更責めたって始まらねえ。今後、エルフとフェルパーには気を付けてもらうとするか」  
「おい、こら」  
フェルパーは顔を赤くしてバハムーンの腕を肘でつつく。しかし、バハムーンは無視した。  
「けどお前……お前の願いを叶える手段は、探せなくなるがいいのか?」  
その質問に、セレスティアは一瞬苦しげな表情を見せたが、すぐにいつもの笑みを浮かべた。  
 
「いずれにしろ、あと千年以上は宝珠の復活もないでしょう。となると、その頃には学園に留まっていてもとっくに卒業してますし、  
その気になればゲシュタルト校長のような手段もあります。母には孫を抱かせてあげたいですし、学園を去るとしても、夢を諦めは  
しませんよ」  
彼等の中でフェルパーのみ、ほとんど何も喋らずに話を聞いていた。しかし、そこで彼が口を開いた。  
「……野放しになる、とも言える」  
「え?」  
意味の掴みきれない一言に、全員の視線がフェルパーに集まる。それを受けながら、フェルパーは低い声で話しだした。  
「僕は、時々考えてた。このパーティが解散されるとき、ドワーフとセレスティアはどうなるのかって。片や、明らかな危険人物。  
片や、潜在的な危険人物。しかも、二人とも尋常じゃない力を持ってる。この二人を……野放しにするのは、どうなんだ」  
ドワーフはまだ少し残っていたビーフシチューを飲むのをやめ、その皿を掴み直した。セレスティアも、表情こそ困ったような笑顔だが、  
その目はまったく笑っていない。  
「おい、フェルパー…!」  
「君も、考えたことはないのか。この二人を放っておいたら、いつかどこかで事件を起こすんじゃないかって。そして、それを止められる  
奴なんて、ほとんどいないって。それなら……対抗できる力がある奴が、そうなる前にって」  
「それは…」  
どうやらバハムーンも覚えはあるらしく、言葉に詰まった。しかしそこで、意外な声が上がった。  
「はぁー!?何言ってんの!?馬鹿じゃない!?馬っ鹿じゃないの!?フェルだってバハだって、セレとドワにいっぱい助けられて  
きたじゃない!それが何!?今更何言ってんの!?」  
「……僕は元々、ドワーフには騙されたりとかで印象よくない」  
「そんなこと言ってんじゃないのフェアはー!何よ何よー!都合のいい時だけ力借りまくって、いざ離れるってなったら正義面して  
殺すつもり!?ふざけんな、馬鹿ぁーっ!!フェア、絶対そんなことさせないもんね!」  
言うが早いか、フェアリーは制服を一瞬で全て脱ぎ捨て、そしてまた一瞬でいつものレオタードを身につけた。状況ゆえに、その小さな尻が  
真っ赤に腫れあがり、いくつものミミズ腫れが付いているのに気付いたのはドワーフだけだった。  
「おい、お嬢ちゃん…!」  
「バハの大馬鹿ぁー!!さいってー!!大体二人とも、仲間に子供ができたのに『おめでとう』の一言もないじゃんー!!」  
「……お前もそれは言ってねえん…」  
「大体さ、二人殺すってことは子供も殺すってことだよね!?フェア、そんなの絶対やだ!絶対させないから!バハが何言ったって、  
フェアはこっちつくからね!!」  
初めて会った頃のように、一行は三人ずつに分かれた。  
フェルパーの懸念は、口にこそ出さなかったがエルフもバハムーンも考えていたことではある。しかしそれはまだ先のことと、考えるのを  
先延ばしにしていただけにすぎない。  
しかしながら、フェアリーの言葉も胸に来るものがあった。確かに、ドワーフもセレスティアも仲間であることに変わりはなく、しかも  
ドワーフは身重である。それを手にかけるということは、生まれてくる無垢な命をも手にかけるということだった。  
睨み合う六人の状況は、一種の膠着状態だった。  
エルフの魔法が発動すれば、フェアリーとセレスティアには大きな痛手を与えられ、ドワーフ一人ならばフェルパーとバハムーンで何とか  
できる。しかし、素早さではセレスティアとフェアリーの方が勝っており、そのどちらもエルフを一撃で倒す可能性を持っている。  
おまけに、フェアリーとドワーフは一度溜めを入れることで恐ろしい攻撃力を発揮するスキルを持っている。初動で仕留められなければ、  
バハムーンらは返り討ちに遭うのは明白だった。かといって、セレスティア達が有利かというと、フェルパーが庇えばエルフを仕留めるのは  
難しい。だが首をはねてしまえば、いかにフェルパーといえども死は免れない。  
 
動くことができないまま、一行はしばらく睨み合った。が、やがてエルフが呆れたような笑いを漏らし、不意に両者の間に割って入った。  
「もうやめよう、みんな。こんな馬鹿馬鹿しいことで、争う理由なんかないだろ?」  
即座に後ろからドワーフが襲いかかろうとしたが、同じぐらいに素早く動いたセレスティアによって押し留められた。  
「エルフ、けど…!」  
「けど、じゃない。フェアリーの言うとおり、君に赤ん坊を殺す度胸があるのかい?これまで世話になった仲間を、手にかける覚悟は?」  
「………」  
「困ったことに、あっちはそれぐらい訳もないだろうね。だからこの時点で分が悪いし、そもそも君の言うことは全部が仮定だ。  
予想はできるとしても、事実として起こってはいない。それに、ドワーフ一人だと危なくても、セレスティアがついてる。セレスティアが  
いたら、ぼく達だってそれほど危ない目に遭わなかっただろ?だったら、そこを仲間として信じてやることはできないのかな」  
エルフの言葉に、二人は言葉を失っていた。やがて、部屋に満ちていた殺気が少しずつ薄れていく。  
「それもそうだ……悪かったな、セレスティア、ドワーフ」  
「いえ、いいのですよ。結果としては、誰の血も流さずに済んだのですから」  
セレスティアが答えると、ようやく室内は元の平穏な空気を取り戻した。ただしドワーフだけは、警戒態勢を解く気がないようだったが。  
「フェアはー?フェアにはー?」  
「あ〜、お前には悪かったっつうか、ありがとうな。色々と軽はずみな行動起こさなくて済んだ」  
「……十分、行動したと思うけどねー」  
さりげなくセレスティアの毛布を拝借し、フェアリーは再び制服へと着替え始めた。とんでもない速度の着替えができるとはいえ、やはり  
一瞬でも裸を見られるのは恥ずかしいらしい。  
「ねえ、みんなさー、話終わったら部屋帰らない?なんか、ドワとセレの食事邪魔しちゃってるみたいだしさー」  
言われて見ると、セレスティアはまだほとんど食事が手つかずであり、ドワーフはスープとして飲んでいるビーフシチュー以外に、  
まだまだたくさんの食糧を抱えている。それでも、一度戦闘状態になったためか、ドワーフはそれ以上食事を進める気配がなく、  
彼女を止めているセレスティアも食事を進められない。  
「……ごめん、変なこと言って」  
「思ってもいない癖に、よく言う」  
棘のある口調でドワーフが返すが、フェルパーは取り繕うような笑顔を浮かべただけだった。  
「それじゃあともかく、君達とはもうすぐお別れなんだよね。名残惜しいけど、だからって食事の邪魔するわけにもいかないし、  
お腹の子にもよくないからね。また明日、学食ででも会おう」  
最初にそう言ってエルフが部屋を出て行き、それにフェルパーが続く。  
 
「まあ、その……なんだ。二人とも、頑張れよ」  
「何を」  
「ドワーフさん…」  
いちいち食ってかかるドワーフを苦笑いしつつ窘め、セレスティアはバハムーンに軽く頭を下げた。  
「お気遣い、感謝しますよ」  
「ドワとセレの子、フェアも見たいなー!生まれたら教えてねっ!」  
着替えを終えたフェアリーが毛布からパッと飛び出し、ドアの前で止まる。バハムーンが開けると、彼より早くそこに滑り込み、  
あっという間に見えなくなった。最後に、そのフェアリーに何事か言っているバハムーンの姿がドアの向こうに消えると、セレスティアは  
ホッと息をついた。  
「また明日……ですか」  
しみじみと呟き、ドワーフの方へ視線を送る。ドワーフはようやく落ち着いたらしく、残っていたビーフシチューを一気に飲み干した。  
「多少の悶着はありましたけど、無条件で信頼してくれる仲間はいいものですね」  
「別に、私はそうは思わない」  
「そうですね……あなたは、それで構わないのだと思いますよ。誰一人として信じない……すなわち、誰にも隙を見せない。それは  
責められるべきことではありません。あなたはそうして今まで生きてきて、それはつまり、神がお許しになっているからです」  
自然な動作で、セレスティアはドワーフの隣に座った。そして、そっとドワーフの手に両手を重ねる。  
「……わたくしはずっと、あなたと一緒にいますよ」  
「……死が二人を分かつまで?」  
相変わらず表情の読めない声ではあったが、セレスティアが笑って頷くと、ドワーフの尻尾がパタパタと数回揺れた。  
「私も……セレスティアさんには、ずっといてほしい」  
そんな仲睦まじい様子に嫉妬したのか、それともからかいたくなったのか、不意にセレスティアのペットが勢いを付けて、飼い主の頭に  
飛び乗った。  
「うあっと!?やれやれメア……もちろん、あなたも一緒ですよ」  
それを聞くと、ペットは満足そうにメェ、と短く鳴いた。  
「ね、セレスティアさん。今日は羽根布団」  
「ええ、いいですよ。ただ、左の方でお願いしますね」  
幸せそうに笑うセレスティアと、無表情ながらも心安らいだ様子を見せるドワーフ。彼等はこの時、一つの決断を下していた。  
それは誰一人として信じないドワーフの意向でもなく、先程の騒動によって不意に呼び起こされたものでもない。  
二人はもはやただの学生ではなく、紛れもない父と母だったのだ。  
 
「……二人とも、遅いな」  
翌朝、人の増えだした学食でエルフがぽつりと呟いた。  
「最近ドワ寝坊多いよねー。あ、それも妊娠中だからなのかなー?」  
「お、大きな声で妊娠とか言わない…」  
比較的早くから来ていたエルフは、もうとっくに食事を終えており、一番遅くに来たフェアリーですらデザートを頬張る時間になっている。  
それでも、まだセレスティアとドワーフが来ていないのだ。  
「昨日のあれのせいで、ドワーフを無駄に警戒させちまったか?」  
「だとしたらフェルのせいだからねー。変なこと言うからー」  
「……悪かったとは思う。でも、僕は今も間違ってたと思わない」  
とはいえ、やはり気にしてはいるらしく、その尻尾は落ち着きなくふらふらと動いていた。  
「こうも遅えと、飯の時間も終わっちまうぜ。ちっとあいつら叩き起こしてくるかぁ」  
そう言い、バハムーンが席を立つ。かなりの早食いである彼は、最も早くに食べ終わっていたせいで暇だったのだ。  
多少の決まり悪さはあったものの、バハムーンは極めて平静を努め、部屋のドアをノックする。しかし、中からは何の返事もなく、  
気配もない。  
「おーい、セレスティア、ドワーフ?もういい加減起きろー」  
声をかけても、やはり返事がない。何となく嫌な予感がし、バハムーンはドアノブに手をかけた。  
力を込めると、何の抵抗もなくドアが開いた。  
「っ!?」  
慌てて首を突っ込み、中を見る。  
昨日まで二人がいたはずの部屋は、そんな痕跡など残っていないほどに片付いていた。そして当然、二人の姿はない。  
すぐさま、バハムーンは通信魔法を使い、他の仲間を最大音量で呼びだした。  
『だぁぁぁ!!うるっさいなーっ!!何事ーっ!?』  
『バハムーン、少しは加減してくれ!頭の中が焼き切れるかと…!』  
『お前等!すぐに生徒名簿調べろ!ドワーフとセレスティア残ってるか!?』  
『は…?おいおい、嘘だろぉ!?』  
予想もしなかった事態が起こったと悟り、フェルパーが職員室に走った。フェアリーは二人に通信を試みるが、返事はなかった。  
『いない!昨日付けだ!』  
『昨日!?じゃ、あの後すぐに届け出したってことか!?』  
その後、エルフが校長室に走ると、ソフィアール校長は全て分かっているかのように話しだした。  
曰く、事情が事情ゆえに、二人は誰の目にも付かないうちに学園を去りたいと言っていたらしい。校長自身、退学者がどのような目で  
見られるか、またどれほど目立つかは知っている。まして、二人は数いる生徒の中でも間違いなく最高に目立つ部類である。そんな二人が  
人目につく時間に学園を出ては、どんなトラブルが起きるかわからない。それを避けるためにも、二人の申し出を受けるのが最善だと  
判断したらしかった。  
その経緯をエルフが仲間に伝えると、一行は自然と校門前に集まっていた。もはや誰が見えるわけでもないのだが、それでも二人の背中を  
探すように、学園の外に広がる景色をじっと見つめる。  
 
「……まさか、こんな別れになるなんてね…」  
「こればっかりは、俺も読めなかったぜ……思い切ったことしやがって」  
「これ、確実にフェルのせいじゃないのー?」  
「………」  
すっかり意気消沈し、耳も尻尾も力なく垂らすフェルパーの肩を、バハムーンがポンと叩く。  
「いやあ、どうだかなあ。あいつらは、子供を守る義務があるからな」  
学生である彼等には理解できない部分も多かったが、少なくともそれが仲間との絆より優先されるものだったのだということは理解できた。  
「待ってほしいなんてのは、俺達のわがままだしな。あいつらとしちゃ、早えとこ落ち着くとこ見つけてゆっくり…」  
その時、後ろから誰かが走ってくる音が聞こえ、一行は振り返った。  
「はっ、はっ、はっ……セ、セレスティアさん、退学って……ほ、本当なんですか!?」  
「ちょっ……君、どこでそんなの…?」  
「すみません、通信魔法盗聴しました!それで、本当なんですか!?」  
さらりと何言ってやがるんだと全員が思ったが、そこにはあえて誰も突っ込まなかった。  
「ああ、名簿見たけど消えてる。ドワーフも一緒だった」  
「……そう、ですか…」  
ディアボロスはがっくりと肩を落とし、大きな大きな溜め息をついた。  
「せめて、一言……お別れ、言いたかったなあ……ぐすん…」  
セレスティアから話を聞いており、またエルフとフェアリーが共に行動したこともあるため、彼女がセレスティアに恋心を抱いているのは  
全員が知っていた。  
「それは、ぼく達も同じだよ。でも、たぶんだけど、あっちも同じだったんじゃないかなあ」  
その言葉に、ディアボロスは顔を上げた。  
「や、もちろんドワーフは除くけど。でも、そんなことして未練が残ったりしたら、別れが辛くなるだろ?だからセレスティアも、  
何も言わないまま行ったんじゃないかな」  
「そう……なんでしょうか?」  
「確信はないけどね。でも、セレスティアならあり得そうだなって思ってさ」  
一行は再び、学園の外へと目を向けた。空はどこまでも青く、空には太陽が輝いている。セレスティアとドワーフは、きっと今頃二人で  
どこか静かな場所にいるのだろう。ここにいたときとは全く違う、ひどく穏やかな空気の中で。  
 
「ま、もう去っちまったもんはしょうがねえやな。これで俺達も、晴れて四人パーティになったわけだ」  
重い空気を取り払うかのように、バハムーンが明るく言った。  
「つーわけでだ、お嬢ちゃん。俺達のパーティに来ねえか?歓迎するぜ?」  
「え?い、いえ、私はヒューマンさんのところにいますし、その……お兄ちゃんとかもいるし…」  
「バハムーン、他のパーティの人に迷惑かけない。大体君、女の子なら誰でもいいんじゃないの?」  
「フェアも歓迎するけどねー?きひひ!いっぱい弄り甲斐ありそうだしー!」  
「フェアリーもそういうこと言わないの。困ってるだろ?」  
「だから面白いんじゃーん!ねー、うち入ればいいのにー」  
「……え、遠慮します…」  
「てめえフェアリー!お前のせいで逃げられたじゃねえか!」  
「フェアのせいじゃないもーんだ!きっひひひ!」  
「やれやれ……仲裁係が一人消えたってところは、結構痛手かもねえ」  
 
仲間との別れ。それはどんな形であれ、いつかは訪れる。時にはパーティの解散であったり、時には異動や追放。また時には、  
死別ということもあり得る。そういった意味では、彼等の別れも学園の中では変わったことではない。  
むしろ、彼等の別れは常識で考えると異常に遅い方だとも言えた。  
共に同じ夢を追ったわけでもない。性格が合っていたわけでもない。むしろそれらは反発しあうほどであり、ただ、お互いの持つ力に  
惹かれて組んだだけの縁が、これほど持ったのは奇跡に近い。  
それが今、とうとうその時が来た。  
しかし、まともに挨拶すらせず消えた二人を、仲間が責めることはない。  
たとえ仲間との別れを惜しめなくとも、そのために騙すような形になろうとも、それでも守りたいもの、それでも叶えたい夢が  
あっただけのことである。  
冒険者は、夢を追い続ける者達である。その夢のために行動した者を、誰も責めなどしない。  
そして、彼等は日常に戻る。願わくば、いつか仲間との再会がかなえばという、新たな夢を抱きながら。  
 
 

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