誰も来てくれない。誰も助けてくれない。誰も何もしてくれない。
この小さな家の中で、母と二人、死を待つばかりの毎日。
毎日来てたのに、困ったら助けてくれるって言ってたのに、今は薬も売ってくれない、あとは何を話したっけ。
「恨んではダメ。これも、神がお与えになられた試練なのよ」
優しい笑顔。額の濡れタオルを替えながら、それでも納得できずに食い下がる。
「でも、病気だからって……こんなところ閉じ込めて、みんなお母さんに助けてもらってたのに」
ただでさえ血色の悪い顔が、よりひどく見える。角に触れるとぐねっと凹み、信じられない感触に背筋が寒くなる。
「お母さんが……ディアボロスだからって…」
それでも、優しい笑顔を向けてくれる。その笑顔が、何よりも好きだった。
「仕方ないことよ。いい?あなたはいつまでも覚えていて。人を恨んではいけない、憎んではいけない、全ては神の御心のままに…」
全部覚えてる。何も言わなくても全部わかってる。だから、もう喋らないで。口から血が…。
「神が許されたことは、全て許される。だから、いい?これは、神が――」
もう聞きたくない。何も言わなくていいから。全部全部言うことは聞きます。だから神様、お母さんを連れて行かないで。
お母さんお願い、死なないで。
「……お母……さん…!」
苦しげに呟いて、セレスティアはハッと目を開けた。頬に伝った涙はまだ温かく、枕元ではペットが寝息を立てている。
隣に視線を移せば、いつものようにドワーフが寝ている。ただし相変わらず、寝息は聞こえない。
セレスティアは大きな溜め息をつくと、腕で涙を拭った。
「やれやれ……どうにもこれだけは、いつになっても慣れませんねえ…」
そう呟き、再び目を閉じる。そして十分ほど経ち、セレスティアの寝息が聞こえるようになると、そこでようやくドワーフの寝息が
聞こえるのだった。
少しずつ大事へと発展していく天空の宝珠争奪戦。いつしか彼等は異世界の魔女達、そしてそれを復活させた伝説の生徒、ラプシヌとの
戦いに身を投じていた。
一年前にアゴラモートと戦った先輩も含め、多くの生徒がこの戦いに参加していたが、その中でも彼等の活躍は群を抜いていた。それは
モンスターとの戦いのみならず、人である魔女との戦いにおいても躊躇いや憐憫の情などがなかったというところが大きい。
時に教師陣や先輩と協力し、ストレガ、ディモレアとの戦いを勝利で終え、そして彼等は今、偽りの神パーネと死闘を演じていた。
「この虫けら風情がっ……虫けららしく、這いつくばっていろ!」
戦況は拮抗していたが、どちらも相当に追い込まれている。偽りとはいえ、神に匹敵する力を持ったパーネの魔法は、信じがたいほどの
威力を持って彼等に襲いかかる。
「ぐああっ!ド、ドリアードでこの威力かよ…!」
「うぅ……い、痛いぃ…!」
強靭な蔦に絡め取られ、あるいは棘の付いた蔦に巻かれ、動きが止まる。辛うじて全員耐え抜いてはいたものの、あと一撃でも受ければ
一人残らず倒れるだろう。
「ははは!これで終わりか!?」
高笑いするパーネを、セレスティアが睨みつけた。
「はぁ……はぁ……か、神を騙るあなたを……神が、お許しになるかどうか…!」
未だ闘志を失わない目でパーネを見据え、魔法を詠唱する。
「神に、問うてみるとしましょうか!」
詠唱が完成し、魔法が発動する。その力を感じ取り、エルフが苦しげな表情の中で、ニヤリと口角を持ち上げる。
「神に、聞くまでもないよ…!天使は、お前を許さない!」
セレスティアの唱えた魔法は、奇跡を呼び起こすラグナロク。呼び起こされた奇跡は、魔法効果倍増。
「行け、セラフィム!」
光が天使の形を作り、見たこともないような輝きを放ちながら、偽りの神に飛びかかっていく。その光に包まれた瞬間、パーネの口から
凄まじい悲鳴が上がった。
悲鳴と共に形が崩れ、堕天使の姿へと変わっていく。それでもなお地面を這いつくばって逃げようとする彼女の前に、同じセレスティアの
教師達が立ち塞がった。そこまでは見届けたものの、もはやその先を見る体力は残っておらず、一行はそれぞれ地面に倒れ込んだ。
「き……きつかった……この勝利は、まさに奇跡だね…」
エルフの言葉に、セレスティアは疲れ切った笑みで答える。
「全ては、神の思し召し……わたくし達の勝利は、神が望まれたことです。であれば、不思議なことなどありませんよ」
「セレぇ〜……話より、回復ぅ〜…」
「ああ、それもそうですね。ですが、フェアリーさんも手伝ってくださいね」
言いながら、セレスティアはフェアリーにルナヒールを唱え、次にドワーフの元へと向かった。
「大丈夫ですか、ドワーフさん。すぐに回復を…」
すると、いつもなら当然のようにそれを受けるドワーフが、そっけなく目を逸らした。
「いい。フェアリー、回復」
「あ、はーい」
回復技能を持つ者が二人しかおらず、セレスティアはルナヒールまでしか使えないため、ヒーリングを使えるフェアリーが担当するのは
理に適ってはいる。しかしこれまでドワーフは、回復はほとんどセレスティアからしか受けていなかった。
「……そうですか?では、そちらはお任せしますね」
代わりに、セレスティアはエルフの回復に取りかかる。全員の回復を終えると、一行は早々に帰還札を使い、中継地点へと戻った。
「さすがに、疲れましたねえ。ドワーフさん、体は…」
「セレスティアさんに関係ない。もう部屋行く」
「え、あ、そうですか?あ、ではわたくしもご一緒しますよ。夕飯のこともありますし……では皆さん、すみませんがこれで」
去っていく二人を見ながら、エルフが首を傾げる。
「うーん……なんか最近、ドワーフの態度おかしくないかい?」
「うん、セレスティアに随分冷たい」
ここ数日、ドワーフはセレスティアに対してそっけない態度を取ることが多かった。他の仲間に対してはともかく、これまで
セレスティアとは普通に接していたのだが、何の脈絡もなく突然今回の事態になっているため、全員が疑問に思っていた。
「……ま、たぶん俺等が心配するようなことでもねえさ。それに、あいつならうまくやるだろ」
「そうだといいけどねえ…」
不安げなエルフの言葉は、四人全員の意見を代弁していた。
しかし実際のところ、ドワーフとセレスティアとの関係は、単純に悪化しているというわけではなかった。
それから数時間経ち、拠点で動くものはクマレンジャイやドリルウサギなどの人形くらいになった頃、セレスティアとドワーフの部屋では
荒い息遣いが響いていた。
「はあっ、はあっ……気持ちいいっ……んんっ…!ぐりぐり来るぅ…!」
「くっ……ドワーフさん、少し加減…!」
「ダメ、もっとするの…!んんんっ…!」
セレスティアに跨り、激しく腰を振るドワーフ。動く度に尻尾がばさばさと揺れ、その顔には強い快感からか笑みが浮かんでいる。
結合部には愛液が溢れ、ぐちぐちと音を立てる。欲望のままに腰を振っていたドワーフだったが、その動きが突然止まった。
「んっ!?んあっ……あ、あっ…!」
普段からは想像できないような高い嬌声を上げ、しばらくセレスティアの胸に手をつき、ぶるぶると体を震わせる。やがて、呼吸が
少しずつ落ち着いてくると、ドワーフは大きく息をついた。
「はー、はー……危なかった、目の前白かった…」
「……いつも思うのですが、そのまま続けては…?」
「やだ。なんか、体とか制御できない感じで怖い」
何度も関係を持ちながら、未だにナイフを携帯する彼女のことである。一瞬でも無防備になるのが我慢できないらしく、これまで彼女が
達したことは一度もない。それでも、ドワーフ自身は十分に満足できているようだった。
「それより、また動くからセレスティアさんも少し動いて」
返事を待たず、ドワーフは再び激しく腰を動かし始めた。不意打ちで襲ってきた刺激に、セレスティアは思わず呻き声をあげつつも、
何とか彼女の言葉に応え、出来る範囲で腰を動かす。
「んあっ!いい、いいよ!気持ちいい!」
「ぐ、うっ……ド、ドワーフさん、もうっ…!」
「あ、出る?うん……出して、中……中いっぱい…!」
嬉しそうに言うと、ドワーフはセレスティアのモノをぎゅっと締めつけた。
「うあっ!そんな強くっ……も、もう出ます!」
思わずドワーフの太股を掴むと、ドワーフはすぐにその手を外し、ベッドに押さえつける。それと同時に、セレスティアが腰を突き上げ、
ドワーフの中に精液を流し込む。
「あっ……来てる、中……あったかいの、セレスティアさんの、いっぱい…」
うっとりと呟き、押さえた腕をぎゅっと握るドワーフ。そうしてしばらく、自身の中で動いているモノの感触を楽しみ、やがて動きが
なくなると、押さえていた腕を放し、腰を上げた。
くち、と小さく水音が鳴り、精液がどろりと溢れ出す。それを拭き取ると、ドワーフは自分のベッドに戻った。
「気持ちよかった。またしてね」
「あ……はい…」
気だるい感覚を覚えながら、セレスティアは何とか体を動かし、べとべとになった下半身を丁寧に拭く。もはやペットも飼い主もこういう
事態には慣れたらしく、黒い翼を持った羊はベッドの下の枕でぐっすりと寝ている。
それをペットごとベッドに引き上げ、セレスティアは布団をかけた。ドワーフは寝ているように見えるが、やはり寝息はない。
「……おやすみなさい、ドワーフさん」
いつものように挨拶し、目を瞑る。そしてペットと主人の寝息が仲良く聞こえ出すと、比較的すぐにドワーフの寝息が混ざるのだった。
翌日は、新たな迷宮に向かう予定となっていた。ところが、それを中断せざるを得ないような事態が起き、一行は大騒ぎだった。
「おいっ、そっちにもいねえのかよ!?セレスティア、ほんとに覚えねえのか!?」
「いえ、まったく……朝起きた時にはもう…」
「とりあえずさ、前ぼく達がお世話になった、あのヒューマンに話して了解してもらったけど……通信魔法も反応ない?」
「フェアもやってみてるけど、全然ないよー。ドワ、どこ行っちゃったんだろうねー?」
ドワーフが、朝から姿を消していたのだ。突然の行方不明というだけでも一大事だが、彼女が欠けると戦力が大幅に下がる。回復手段に
乏しい一行にとって、爆発力のある彼女の力は貴重なのだ。
「お前の通信、相当範囲広かったよなあ?それで反応ねえって…」
「わたくしも試みてはいますが、何とも…」
そこまで言って、セレスティアの表情が不意に変わった。
「……もしかして……可能性としては…」
ぼそりと呟き、セレスティアは道具袋を漁りだした。
「ん、どうした?何か手掛かりでもあった?」
フェルパーが尋ねると、セレスティアは顔を上げた。そして、信じられないような言葉を口にした。
「すみません、皆さん。ちょっと探しに行ってきますね」
「ぅおい!?探索どうすんだ!?」
「彼女が欠けては支障がありますし、ヒューマンさん達が行ってくれるのでしょう?一つ心当たりがありますので、そこを当たってきます」
何を言ったところで、ドワーフがいなければ探索は苦戦する上、セレスティアまでいなくなれば不可能に近い。こうなっては、誰も彼を
止めることなどできなかった。
「しょうがねえなあ……ちゃんと、連れ戻してきてくれよ?あっちのお嬢さん達も実力は申し分ねえが、宝珠を譲るわけにもいかねえしな」
「ええ、そのつもりです。それでは、また」
テレポルを唱え、その場から消えるセレスティア。残された四人は、仕方なく拠点での後方支援に徹するのだった。
ボルンハーフェン近く、天機ある山道。その一角で、激しい獣の息遣いとエンジン音が響いていた。
「くっ!」
レイザーオックスの蹴りが飛び、咄嗟にそれを斧で受ける。それでも、巨大な獣の蹴りは小柄な彼女を吹っ飛ばすほどの威力があり、
ドワーフは何とか転ばないよう体勢を立て直し、地面を滑って着地した。
一旦、お互いに様子を窺う。お互いに無傷ではないが、まだどちらも余裕がある。一気に勝負を決めようと、ドワーフが超鬼神斬りの
構えを取ろうとした瞬間、不意に柔らかい光が彼女を包み、痛みが消えた。
「さすがに、あなた一人では苦戦するのではないですか?」
大鎌を携え、にっこりと笑いかけるセレスティア。そんな彼に、ドワーフは不機嫌そうな顔を見せた。
「セレスティアさん、邪魔しないで」
「邪魔をする気はありませんよ。それに、横取りする気もありません。わたくしはただ、狩りのお手伝いに来ただけですよ」
「………」
ドワーフの表情はしばらく変わらなかったが、やがていつもの無表情に戻った。
「脊椎切らないでよ」
「ええ、そうします。それでは、狩りましょうか」
チェーンソーのエンジンを全開にし、獲物に突進するドワーフ。その上をセレスティアが飛び抜け、二人は獲物へと斬りかかって行った。
一時間ほど後、ボルンハーフェンの食堂からのっそりと出てきたドワーフに、外で待っていたセレスティアが笑いかけた。
「どうです?堪能できました?」
「……六杯」
のそのそ歩くドワーフの隣に並び、セレスティアもゆっくりと歩き出す。
「よく、あれをそんなに食べられますねえ。わたくしは一杯が限界でしたよ」
「あっそう。誰もセレスティアさんのことなんか聞いてない」
冷たく言い放つと、ドワーフはゆっくり深呼吸した。ラーメンの味を思い出しているのか、吸いきったところで息を止め、軽く目を瞑る。
「……ふ〜」
無邪気な笑顔を浮かべ、息を吐く。その笑顔は実に幸せそうで、彼女の性格を知っている者が見ても可愛いと思えるようなものだった。
以前、この濃厚魔獣背脂ラーメンの副産物からペットの餌を作るクエストを受けた時、ドワーフは食べきれなかったエルフやフェアリーの
分だけでなく、タンポポの残した分まで汁も残さずきれいに食べていた。しかしネコマやタンポポが代金を払っていることと、数をそんなに
作れないことからお代わりができず、それからしばらく不機嫌そうだったことがあった。そんなわけで、最終決戦に挑む前にこのラーメンを
存分に食べてみたかったのだろう。
「それでは、少し急ぎで帰ろうと思いますが、いいですか?」
「………」
ドワーフは答えず、口の周りの毛に付いたラーメンの汁を舐め取っている。
「恐らく、ヒューマンさん達が作戦を進めていると思いますが……たまには、後方支援もいいものですよね」
「………」
相変わらず返事のないドワーフに、セレスティアは少しだけ困ったような表情を浮かべた。しかし拒否はされていなかったため、山道の
入口に着くとすぐにテレポルを唱える。そうしていくつもの迷宮を通り、再び地下世界へと到達すると、意外にも仲間達が使った後の
武具の手入れをしていた。
「おや、皆さん。戦闘が?」
「おお、セレスティアにドワーフ。帰ってきたか」
叱ろうが諭そうが絶対に言うことを聞かないのがわかりきっているため、もはやドワーフの勝手な行動については誰も何も言わない。
「いやな、普通はこんなとこまで来ねえんだろうけどよ……幸い、入り口で食い止めたけどな」
「でも、びっくりした。僕達が残ってて良かった」
「いなくてもよかった気はするけどね……リコリス先生の人形、あんな強いと思わなかったよ…」
「もうフェア、ドリルうさぎ前みたいに見れない…」
真っ赤に染まった兎の人形を見つめ、セレスティアもフェアリーとまったく同じことを考えていた。
「ああ、そうだ。こっちはさっき動きがあってな、かなり厄介な敵と会ったそうだ」
「この上、これ以上厄介な敵がいるんですか?」
「ああ。アガシオンっつってな、何でも物理、魔法共に攻撃が効かねえんだと。んで、その対策だとか言ってフォルティ先生がさっき
迷宮に入ってった」
「フォルティ先生が!?何をしようと死んでしまいますよ!?」
「いや、先生達が相談して出した結論だからな?つうかお前、ちょくちょくフォルティ先生に対して失礼だよな」
次の報告があるまでは動きも取りにくく、一行は休憩所へと戻ることにした。急ごしらえの設備とはいえ、冒険者基準で見れば十分に
寛げる水準である。
「ああ、そうでした。これ、お土産です」
「うおう、ムーンウォークか!結構なもん持ってきたじゃねえか!こいつは靴の中でも…!」
「暇ー。さっきみたいなのないと暇ー。バハの話も暇だし、セレ何か面白い話ないー?」
バハムーンの言葉を即座に潰し、フェアリーが尋ねる。バハムーンはがっくりとうなだれていたが、誰も彼には注意を払っていない。
「面白い話ですか……そうですねえ。では小さい頃に、母からよく聞いた話でもしましょうか?」
「あ、そういう話っていいよね。ぼくも小さい頃にお母さんから聞いたお話って好きだよ」
「いわゆるおとぎ話というよりは、訓話のようなものですけどね。これは、優しい悪魔のお話です」
話が始まったと見て、セレスティア以外の仲間はじっと耳を傾ける。ペット達は興味がないらしく、部屋の隅に集まって遊んでいる。
「ある小さな村に、一人の女の子がいました。女の子はお母さんと二人暮らしでした。お母さんは薬草の知識や魔法の知識を使って、
村の人の病気やけがを治してあげていました」
何度も聞いた話であるらしく、語りは淀みなく、それこそ母が子供に聞かせるような口調でセレスティアは続ける。
「ある日、女の子はお母さんに言われ、山の奥まで薬草を取りに出かけていました。しかし、言われた薬草はどこにもなく、女の子は
途方に暮れてしまいました。もう日が傾き、これ以上探すのは無理だと諦めて帰ろうとしたとき、女の子は異変に気がつきました」
ごくりと、エルフが唾を飲む音が聞こえた。
「街の広場に、大きな火が燃えていました。そしてその中心には十字架があり、誰かが縛りつけられています。それが誰であるか、
女の子には遠くからでもはっきりとわかりました」
「……なんか、気分悪くなりそうな話だ…」
フェルパーの呟きに柔らかな笑みだけで応えると、セレスティアは再び続ける。
「走って、走って……途中、何度も躓いて、木に引っかけて切り傷を作って、女の子は必死に走りました。そして日が暮れ、ようやく
広場に辿りついた女の子が見たものは、黒焦げになった母の亡骸でした。その時村では、病気が流行っていたのです。女の子の母にも
治すことができず、不安に駆られた村人達は、彼女を魔女としてしまったのです。今まで何でも治してきたのに、これが治せない
はずはない。治せないのは、彼女がこれを振りまいた張本人だからだ……と」
「ありそうで嫌な話だな、まったく…」
既にエルフ、フェルパー、バハムーンの顔は非常に険しいものになっている。フェアリーは子供のように興味津々といった顔で
聞き入っており、ドワーフはいつもの無表情である。
「母親はそれを知って、女の子を山へ逃がしたのです。それを知って、女の子は泣きました。そして亡骸を家に運び、庭に埋めると、
彼女は天に叫びました。『神様でもいい、悪魔でもいい。私に力をください。母を殺した人達を、同じ目に遭わせてやれるような力を、
どうかお与えください』と。彼女のドロドロに濁った心に引かれ、近くに来た一匹の悪魔がその叫びを聞いていました」
そこで一旦話を切ると、セレスティアは仲間の顔を見回した。
「さて、皆さん。この悪魔は、この後どうしたと思いますか?」
「復讐ぐらいしてくれないとすっきりしない」
即座に答えたのは、すっかり不機嫌そうな顔になったフェルパーだった。
「でも、優しい悪魔っつったよな?てことは、願いを叶えるだけ叶えて魂は解放してやったとかか?」
「あるいは、そもそも契約してないことにして魂を取らなかったとかじゃないかな?」
「それより続きは?続きー」
「……そんな喚くだけのガキ、無視すればいい」
一行の顔を見回し、ドワーフの顔をしばし眺めてから、セレスティアは再び口を開いた。
「では、その悪魔がどうしたかというと……悪魔は彼女を見守り続け、やがて力を乞い続けた女の子は痩せ細り、死んでしまいました」
「……はぁ!?」
明らかに納得いかないという表情で、常識人三人が同時に言った。
「ちょっ……そこは普通、何らかの形で村人を改心させるとかさあ!」
「聞かなきゃよかったってぐらい、気分悪りい話なんだが…」
「そうですか?実に正しい行動だと思いますよ」
反応自体は想定にあったようで、セレスティアはいつもの笑みで答えた。
「仮に悪魔が力を与えてしまえば、契約として魂を奪われます。まして、人を殺すなどという行為、神がお許しになるはずはありません。
ですが何もしなければ、彼女は清いまま天へ召されることができます。ですから優しい悪魔は、何もしなかったのですよ」
「こんな話を子供にするって……お前の母ちゃん何もんだよ…?」
「シスターでしたよ。まあ確かに、教義は世間一般のものと些か違うようでしたが」
ピクッと、バハムーンの眉が動いた。
「あ〜……だからお前、牧師をメインじゃなくてサブで取ってるのか?」
「それもありますね。どちらかというと、堕天使学科の方がわたくしの教義と合ってる面もありますし。あとはタカチホの自然信仰も、
少し近い面がありましたねえ」
「ん〜……難しくてよくわかんなかったけど、神様の考えることってよくわかんないねー」
「おや、神の方に考えが行きましたか」
どことなく嬉しそうに、セレスティアは尋ねた。
「だってさー、その話ってそれで終わりでしょー?だったらさー、村人もそのまんまなんだよね?ってことはさー、天罰とか何も
なかったってことでしょー?」
「そう、そういうことです。理由はわかりませんが、神は彼等の行いを許されました。わたくし達には理不尽に思えることがあっても、
神は必ず何がしかの意志を持って、試練をお与えになったり、お許しになることがあるのですよ」
「ちょ、ちょっと待った」
そこで、不機嫌そうに黙っていたフェルパーが口を開いた。
「それ、おかしくない?人を殺すって行為を神は許さないのに、村人が女の子のお母さんを殺すのは許されるのか?」
「神がお許しになっていなければ、そもそも殺すことすらできません。現に、女の子は誰にも殺されなかったでしょう?」
「そりゃ……まあ…」
「そして、神は自ら助く者を助く。努力せずただ喚くだけの者を、一体誰が助けましょう?必死に足掻き、努力し、自身の力で叶えようと
する者にこそ、神も人も、初めて力をお貸しくださるのですよ」
「……ほんっと、変わった教義だったんだな…」
もはや呆れ顔に近いエルフとフェルパーだったが、バハムーンは少し難しい顔をして黙りこんでいた。そして会話が途切れたと見ると、
静かに口を開いた。
「その、お前の母ちゃんは、今どうしてるんだ?」
すると、セレスティアの表情が僅かに曇った。
「……流行り病にかかり、数年前に亡くなりました」
「そうか……もし、天空の宝珠を手に入れたら、願うのはそれか?」
「お、おいおいバハムーン!先輩達が自分の願いを諦めて、この世界のために道を開いてくれたのに、ぼく達はその道を通って平然と
自分の願いを叶えるのかい!?」
少し怒っているらしいエルフに、バハムーンはむしろなぜそんなことを聞くんだとでも言いたげに答えた。
「気兼ねするこたぁねえよ。元はそのための戦いだ。それに、勝者が手にした宝珠に何を願おうが、勝者の勝手だろ?」
「いや、でも……う〜ん…」
「わたくしは、それを叶えたいと思います。ですから、この戦いは何としても…!」
「立派な願いで結構じゃねえか。それこそ、宝珠に願うにふさわしいと思うぜ。俺なんか、どっちかってぇと宝珠を手に入れること
そのものが願いだからなあ。あんなレアなもん、この先二度と手に入らねえだろ?」
「僕は、色んなペットと一緒に過ごしたい。けど、六人全員叶えてもらえるのかどうか」
「えー。みんなでパーティ組んでるんだから、みんなの願い叶えてくれなきゃ不公平でしょー?フェアもお願いしたいことあるしー」
いつの間にか自身の願いを発表する場になりつつあったところへ、不意に通信魔法が入った。聞けば、ヒューマン達のパーティが見事に
アガシオンを打ち倒したとのことだった。とはいえ、やはり相当な激戦だったらしく、ドワーフを除く一行が出迎えに行くと、迷宮の
入口からよろよろと這い出して来る六人の姿があった。
「ヒューマンさん、ディアボロスさん、お疲れ様でした」
「ああ、セレスティア……ごめん、荷物持っ…」
「セ、セレスティアさん!わざわざお出迎えに来てくれたんでしゅか!?」
相変わらず少し噛みながら、ディアボロスが嬉しそうに声を掛けてきた。
「ええ、かなりの激戦だったと聞きましたよ。よく、無事に帰ってきましたね」
「こ、これぐりゃい大丈夫ですよ!?全然元気でしゅから!」
「……に、荷物…」
「お嬢さん、大丈夫かい?そこの鉄塊もな」
ひょいっと荷物を持ち上げ、バハムーンが声を掛ける。それだけでもかなり楽になり、ヒューマンはようやく一息つけたようだった。
「僕は平気だよ。だから、他の仲間を頼むよ」
「うっへぇ……疲れたぁ……オレ、もう死にそ…」
「あいあいお兄ちゃん、妹さんが元気なんだからシャキッとしてくださいねー。だらしないですよー」
もはや足元が定まっていないドワーフに、クラッズをおぶったバハムーン。それを見るだけでも、相当な激戦だったことが窺い知れた。
「荷物はぼく達が運ぶよ。君達は戻って休むといい」
「あ〜……ありがと……ほんと、助かるよ…」
「私は一応、先生に報告に行かなきゃ……ノーム、ついて来てくれる?」
「いいよ、一緒に行こう」
セレスティア一行に手伝ってもらいつつ、ヒューマン一行はそれぞれの行動に移っていく。その時、セレスティアが辺りをきょろきょろと
見回し始めた。
「ところで……フォルティ先生は…」
「あ、フォルティ先生ですか?ちょっとダメージ大きかったですけど、ちゃんと無事でしたよ」
「無事だったんですかっ!?」
「ひっ!?そ、そんな驚くことですか!?」
「いえ、だって……フォルティ先生ですよ!?」
「セ、セレスティアさん、それはさすがに失礼ですよ…」
バハムーンと似たような突っ込みを受けつつ、セレスティアはまだ納得いかないようで『あのフォルティ先生が…』とぶつぶつ呟いている。
「え〜っと……セレスティア、さん?」
「……あ、はい。何ですか?」
「あの……ちょっと、いいですか?」
セレスティアの耳に、何事かを囁くディアボロス。だがその姿は、疲れ切った他の仲間には気付かれていなかった。
「……ええ、構いませんよ。時間はいつぐらいに?」
「えっと……夕飯後、くらいで」
「わかりました。ではとにかく、あなたも休んでください。でないと、体がもちませんよ」
言いながら、セレスティアはディアボロスの荷物を持ってやろうとした。が、そこにドワーフが割り込み、それを奪い取る。
「あ、兄貴として妹の面倒は見なきゃいけねえからな!お前は、その……バハムーンとかクラッズの手伝ってやってくれよ」
「あ、はあ。ですが、あなたもかなりふらふら…」
「い、いいんだよ!兄貴ならこれぐらい、と、当然…!」
二人分の荷物を抱えて歩き出そうとした瞬間、その体がぐらりとよろめく。それを慌ててディアボロスが押さえた。
「もう、お兄ちゃんったら!無理しないで、セレスティアさんに手伝ってもらおうよ!」
「いや、その、それは……あ、兄貴としての沽券にだな…!」
何だかんだと言いつつ、二人は休憩所へと歩いていく。それを見送ると、セレスティアはバハムーンらに顔を向けた。
「そちらは……エルフさんとフェルパーさんで足りてそうですね」
「あいあい、人出は十分ですよー。それじゃ、またあとで会いましょうねー」
種族柄なのか、それとも本人の体力がずば抜けているのか、彼女だけはやたらと元気そうであり、クラッズを背負ったまま軽い足取りで
去って行った。
その後、彼女達の荷物を休憩所に運び込むと、ちょうど教師陣からの連絡があった。
曰く、次の課題が最終決戦となり、そこで全てに片を付けるということだった。つまり、天空の宝珠争奪戦も、クシナ奪還も、
ラプシヌ打倒も全てをこなすのだ。
そんな大仕事を前に、体調を崩しているわけにはいかない。そんなわけで、一行はそれぞれに休息を取っていたのだが、バハムーンが
部屋で寛いでいると、不意にドアがノックされた。
「ん、誰だ?」
「わたくしですが、入ってもよろしいですか?」
「セレスティア?こりゃまた珍しい客だな、開いてるから入れよ」
いつも通りの柔らかい笑みを浮かべ、一言断りを入れてから、セレスティアは部屋に入った。その頭の上には、ペットがちょこんと
乗っかっている。しかしもはや見慣れた光景のため、今更バハムーンも気にはしない。
「んで、お前がわざわざ俺のところなんぞに来るってことは、何か用事だよな」
「ええ、その通りです。実は、相談したいことがありまして」
「大体想像つくけど、言ってみな」
「ええ……ドワーフさんのことです」
「やっぱな」
軽く息をついて、バハムーンはセレスティアに椅子を勧めた。
「バハムーンさんも気付いていると思いますが、最近どうにもそっけない感じで……ですが、これまでは今までどおりでしたし、
夜……えー、時々はいつも通りになることもあるんです。ですが、わたくしはその理由が見当もつきませんので…」
「なるほどな、それで相談役は俺が適任だと思って来たわけだ。実にいい判断だな」
バハムーン自身、その変化には興味を持っており、実はこれまでじっくりと二人を観察していた。その結果、ある程度の答えは既に
彼の中で出されている。
「理由とかの前に、まずお前に質問する。大切なことだから、真面目に答えろよ?」
「はい、何でしょう?」
一瞬の間を置いて、バハムーンは口を開いた。
「お前、ドワーフのことは好きか?」
「……直球ですね」
ほんのり顔を赤らめつつ、セレスティアは頭を掻いた。
「好きか嫌いか……で言うならば、好きです」
「男女の仲で言うと?」
「え、う……そう、ですね……ちょっと難しいのですが、やはり好き……です」
「だろうな」
そっけなく言って、バハムーンは心を落ち着けるように大きく息を吐いた。
「まず、アドバイスの一つ。お前、もっと自分に正直になれ」
「え、わたくし……ですか?」
「わたくしです。お前にとっちゃ、あいつに関して色々思うこともあるだろうよ。けどな、男女の仲なんて、そう複雑なもんはいらねえよ。
お前の中の純粋な気持ちを、あいつに伝えることだな」
バハムーンの言葉を、セレスティアは信託でも聞くかのような神妙な面持ちで聞いている。
「伝えるにも、言葉だけじゃねえ。行動で、見えるように示してやりな。あいつは言葉なんか信じねえような奴だからな。これが
アドバイスの二つ目だ。そして三つめ、あいつは不安なんだ」
「不安?」
思わず聞き返すと、バハムーンは頷いた。
「お前もわかってると思うが、あいつに常識は通用しねえ。なぜかってぇと、感情がないに等しいからだ」
「感情が、ですか?ですけど、よく怒ったり…」
「まあ、それはあるんだけどな。正確に言うと、感情に偏りがあって、怒り以外が異常に薄いんだ。その上、あいつが何でも平気で
殺そうとする理由は、見た感じ、善悪の概念が理解できねえらしい。だから、悪いことだからしないっていう常識が通じない」
「……はあ」
「あいつにとっちゃ、他人は訳のわからないことを言って自分を言いくるめようとする詐欺師ばっかりなんだよ。そんな中で、善悪とかいう
訳のわからん概念を損得に置き換えて説明してくれて、自分に好意を持ってくれて、何でも許してくれる奴が出たらどう思う?最初こそ、
便利な奴だって思うかもしれねえけど、だんだん不安になるだろ?こいつはもしや、信頼を得てから裏切るつもりなんじゃねえかってな」
「そんなつもりはないんですが…」
「そんなの、あいつはわかんねえよ。見たまましか信じられねえんだから。それに、あれであいつも女の子なんだぞ?今まで不快な奴しか
いなかったのに、そんな感じがしねえ奴が出てきたら、自分に対してだって不安になるだろうが。だから男らしく、きちっとあいつに
伝えるべきことを伝えてやんな。以上、アドバイスは終わりだが、何か質問はあるか?」
セレスティアは言われたことを反芻するようにしばらく俯いていたが、やがて顔を上げた。
「……いえ、大丈夫です。本当に、バハムーンさんは色んな人をよく見てるんですね」
「癖みてえなもんさ。女の子に優しくっつっても、きちんと見とかなきゃエルフみてえな例もあるからな」
「なるほど、わかりやすいですね」
楽しげに笑って、セレスティアはバハムーンを正面から見つめる。
「相談に乗ってくださって、ありがとうございました」
「気にすんな。俺だってお前には何度も助けられてる。お互い様さ」
それからしばらく、他愛のない話をしてから部屋を出る。夕飯は既に各自で終えており、時計を見れば消灯時間が迫っている。
ふと、セレスティアは目を瞑り、意識を集中した。それが済むと、部屋に向けていた足を休憩所の出入り口へと向ける。
そのまま歩いていると、不意にドワーフが姿を見せた。意外な人物に驚きつつ、セレスティアはいつも通りの挨拶をする。
「おや、ドワーフさん。こんなところでお会いするとは、奇遇ですね」
「………」
ドワーフは何も答えず、黙ってセレスティアの姿を見つめる。
「え〜……すみませんが、わたくしはこれから用事があって、しばらく部屋に戻れませんので……もしお休みになるのでしたら、
窓の鍵でも開けておいていただけると助かるのですが…」
「………」
やや不機嫌そうな顔のまま何も答えず、ドワーフは懐を探ると、いきなりセレスティアに何かを投げてよこした。
「おっと!これは…?」
「……あげる。あの女と何かあるんでしょ」
「あ、それは…」
セレスティアはそれについて説明しようとしたが、ドワーフは聞こうともせずに部屋へと戻って行ってしまった。変な勘違いを
生んでいなければいいなと思いつつ、セレスティアは休憩所を出ると、飛ばされぬ夢の回廊へと向かった。
テレポルを使い、中層辺りまで移動する。その先に、見覚えのある人物が待っていた。
「お待たせしてしまいましたか?」
「ひゃいっ!?い、いえっ、私もさっき来たばっかりでしゅ……ですよ!」
顔を真っ赤に染めつつ、ディアボロスはぶんぶんと首を振る。それを落ち着かせようとするかのように、セレスティアは優しげな笑顔を
向け、静かに声を掛ける。
「それならよかったです。それで、話というのは何でしょう?」
セレスティアの言葉に、ディアボロスの表情が硬くなった。一度気持ちを落ち着けるように深呼吸し、静かな、しかしある種の決意が
篭ったような声で話しだす。
「はい、それなんですけど……明日のクエスト、私……あ、えっと、ヒューマンさんと私達のパーティに、任せてもらえませんか?」
「……理由を、聞いてもいいですか?」
その問いに、一瞬言葉に詰まる。しかし、ディアボロスはやはりしっかりとした口調で答える。
「質問で返しちゃう形になりますけど、セレスティアさん達は……天空の宝珠に、自分達の願いを掛けるつもりですよね?」
「ええ、そのつもりです。こればかりは、あなたでも譲れません」
「そうですよね……私も、叶えたい願いがあります。でも、私は別に、天空の宝珠なんかなくてもいいんです」
「ではなぜ…?」
ディアボロスはセレスティアを見つめ、強い口調で言う。
「セレスティアさんの、仲間の方……あんな人に、宝珠を任せたくないんです。自分以外がどうなろうと構わない、自分が良ければ
それでいいなんて人には…!」
それが誰を指しているのかは明白だった。それに対し、セレスティアは優しげな笑みで答える。
「ですが、それ故の強さを彼女は持っています。あのパーネやディモレア、アガシオンなどを配下に従えるラプシヌは、恐ろしいほどの
強敵でしょう。ですが、わたくし達はそれにも打ち勝てる自信があります」
「自信なら私達だって!」
普段からは想像もできないほどの大きな声で、ディアボロスが言い返した。しかしそれに自分で驚いたのか、ディアボロスはあっと口を
押さえると、再び元の声で喋る。
「確かに、一人一人の力は、セレスティアさん達には勝てないと思います。ですが、結束の強さは……あと、パーティのバランスは、
私達の方がずっといいです」
「ふふ……否定は、できませんね」
本心から思っているらしく、そこに皮肉のような響きはなかった。
「しかし、私達は指を咥えて見ている気はないです。叶えたい願いのため、クシナさんの救出のため……戦うつもりです」
それ以上は話すこともないだろうと判断し、セレスティアは踵を返した。そこに、ディアボロスの声が響く。
「待ってください!」
「何です?これ以上、あなたとわたくしで話すことはないのではないですか?」
「……ごめんなさい……今のが、本題じゃないんです…」
意外な言葉に、セレスティアは文字通りに目を丸くした。
「え、違うんですか?で、では一体、こんなところで何の話を…?」
「そ、それは…」
大きく二度、深呼吸をする。そして、ディアボロスは震える声で言った。
「わ、私……セ、セレスティアさんがっ……す、好きです!」
「………」
突然の思わぬ告白に、セレスティアは呆気に取られていた。
「初めて会った時も、その後も、優しくしてくれて……それで、私…!」
「……すみません、あなたには申し訳ありませんが、その想いを受けることはできません」
柔らかく、しかしはっきりとした拒絶に、ディアボロスは大きなショックを受けたようだった。
「えっ……そ、そんな…」
「わたくしは、この胸に決めた方がいるのです。ですから、あなたの想いは受けられません」
「……あの人、ですか…?」
暗い、どこか怒りを感じさせるような声で、ディアボロスが尋ねる。
「そう、あのドワーフさんです」
「あんな……あんな人の、どこがいいんですか!?」
涙を浮かべながら、ディアボロスが叫んだ。
「いきなり人を殺そうとしたり!平気で嘘ついたり!なのになんであの人なんですか!?ただ一緒にいたってだけでっ……私っ……私、
ずっと……セレスティアさんのこと、す、好きっ……だった……のにぃ…!」
ぽろぽろと涙をこぼすディアボロスに、セレスティアは取り成すような笑みを浮かべた。
「その言葉を、否定はしません。ですが、神はお許しになられています。それに彼女は……え〜……説明はし辛いのですが、美しい心を
持っているんですよ。それこそ、神の御心に等しいような心を、です」
「ひっく……うそだぁ……そんなの……ひっく……ぐす……そんなの、ない…」
その場にくずおれ、泣き伏してしまったディアボロスに、セレスティアはどう声を掛けたものかと考えていた。本来はそっとしておくのが
一番なのだろうが、放っておくには場所が危険すぎるため、帰るわけにもいかない。
深呼吸するように、ディアボロスが大きく息をつく。その時、セレスティアはなぜか寒気を感じた。
「……わかり、ました」
気の抜けたような声。しかしそこに、言いようのない不安を感じる声だった。
「わかりました、セレスティアさん。わかりました」
「……ディアボロスさん?」
「どうしても……私のものにならないのなら……私の想いが届かないなら…」
ディアボロスが顔を上げた。見開かれた真っ赤な目が、セレスティアをまっすぐに見つめていた。
「誰にも、渡さない」
「っ!?」
魔力が急速に収斂していくのを感じ、セレスティアは身構えようとした。しかし不意打ちの分、ディアボロスの方が早かった。
「イペリオン!」
まばゆい光が迷宮に満ち、セレスティアの元で大爆発を起こした。吹き飛ぶセレスティアに、ディアボロスはさらに詠唱を重ねた。
「イペリオン、イペリオン、イペリオン!!!」
詠唱の度に光の爆発が起こり、その衝撃で迷宮が大きく揺れる。
「生き返らせればいいんですもんね!それに、セレスティアさんがいなければ天空の宝珠は私達が手に入れられます!誰にも渡さない!
誰にも渡しませんから!!イペリオォン!!」
滅茶苦茶に叫び、涙を流し、何度も何度も最大攻撃魔法を唱える。まともな生物であれば原形を留めぬほどの攻撃を加え、ようやく
疲労しきったディアボロスが詠唱を止めた時、セレスティアはぼろぼろになって床に倒れていた。
その頃、セレスティアの仲間達はドワーフとフェアリーを除き、フェルパーの部屋に集まっていた。そこを選んだ理由は、単にペットが
寝る準備を終えていたため、あまり移動したくないからという理由だった。
「それにしても、今日のセレスティアの話、ありゃあ衝撃的だったなあ」
「あ〜、あの優しいんだか優しくないんだかわからない悪魔の話。あれ、僕はなるべく忘れたい」
「けどな、あれのおかげで、あいつがどうしてドワーフに固執するかわかったぜ」
「あれで!?」
驚いてエルフが聞き返すと、バハムーンは頷いた。
「ああ。あいつな、何でもかんでも『神の思し召し』って言うだろ?神が許さなきゃ死んだりしねえとかよ」
「あ〜、言うねえ」
「一般的に考えて、だ。ドワーフの振る舞いって、明らかに許されるもんじゃねえだろ?」
今までの彼女の行動を思い返し、フェルパーとエルフは同時に頷いた。
「なのに、あいつは生きてる。てことは、セレスティア理論で考えると、あの行動は全て神が許してるってこった。じゃ、なぜ許される?」
「なぜって……なんでだろ?」
「あの胸糞悪りい話の、女の子に対して悪魔がどうすると思うかって言った時の、ドワーフの言葉、覚えてるか?」
「あー、そんなの無視しろって言ってたねえ」
「結果はどうだった?」
「無視……というか、見守ったというか…」
我が意を得たり、というようにバハムーンは頷いた。
「つまり、それが優しさなんだよな。てことは、ドワーフは神のようなっつうか、神にも認められる優しさを持ってるってことになる。
そんな馬鹿なって思うかもしれねえが、結果としてドワーフはピンピンしてる。まして、行動しなきゃ結果は伴わねえってあの教義。
行動しねえ奴は無視しろってのが教義にも則ってる。つまり、誇張とか抜きにして、セレスティアにとっちゃドワーフは女神にも等しい
存在なんだよ」
「武神なら納得だけど…」
フェルパーの呟きを無視して、バハムーンは続ける。
「ただ、同時にこれが危険でもある」
「どの辺が?」
「何でもかんでも神の思し召しとか言う奴が、神を貶されたらどう思うよ?そして、あいつが平気で敵を殺せるのはなんでだ?」
「………」
セレスティア自身には何も言わずとも、あのドワーフの行動を考える限り、彼女にうっかり暴言を吐いてしまわないとも限らない。
気付かずにいた思わぬ落とし穴に、エルフとフェルパーは身震いした。
「あいつは狂信者だ。それに、あいつが母ちゃんについて語った時の顔……あれは、まともじゃねえ。お前等も感じてたかもしれねえが、
あいつは紛れもねえ狂人なんだよ。もし、万が一にもあいつの気を損ねることがあったら…」
そこで一呼吸置き、バハムーンは言い切った。
「あいつは、相手が誰だろうと殺すだろうな」
飛ばされぬ夢の回廊に、荒い息遣いが木霊する。それまでの騒々しさは鳴りを潜め、聞こえるのはディアボロスの呼吸音だけだった。
未だに呼吸の整わない主人に、ペットが不安げにスカートを引っ張る。それを優しく窘めつつ、ディアボロスは呟く。
「はぁ……はぁ…!ごめんなさい、セレスティアさん……はぁ……でも、これで宝珠は……はぁ……セレスティアさんは…」
「……まさに、ド級の攻撃でしたねえ…」
「えっ!?」
確実に死んだと思ったはずのセレスティアが、ゆらりと立ち上がった。全身から血を流し、それでもいつものような笑みを浮かべ、
ディアボロスを見つめている。
「そ、そんなっ……生きてるはずが…!?」
「全ては、神の思し召し。そして、ドワーフさんに感謝です」
ガシャンと音を立て、いくつもの空き瓶が転がる。それは明らかに、神秘の水が入れてある瓶だった。
パタパタと羽音を立て、小さな羊がセレスティアの頭に乗る。そして主人と同じく、敵を見るような目つきで目の前の相手を睨んだ。
「他者を悪しざまに罵り、我欲のためにわたくしを殺そうとする。どうやらわたくしは、あなたのことを勘違いしていたようですね」
「っ…!」
「一撃分はもらいましたが、わたくしは生きています。ならば、あなたはどうでしょう?あなたを、神はお許しになるかどうか…」
大鎌と武器のような盾を構えるセレスティアに、ディアボロスも杖と盾を構える。
二人はそのまま睨み合い、そして同時に動いた。
「メア!」
「バフォ!」
メェ、と似たような鳴き声が響き、それぞれのペットが動く。黒い翼の羊からはどす黒いオーラが放たれ、セレスティアの体に吸収される。
一方の悪魔のような山羊は小さな槍を振りかざし、鳴き声を魔力に変えて主人へと分け与える。
それとほぼ同時に、セレスティアが大きく羽ばたき、ディアボロスに迫る。あまりの速度に反応が追いつかず、ディアボロスが
気付いた時には鎌の刃が首に迫っていた。それを咄嗟に盾で受けるが、思った以上の衝撃に、ディアボロスは呻いた。
「ぐっ……な、なんて力…!?」
直後、槍の穂先が自分を狙っていることに気付き、ディアボロスは咄嗟に身を投げた。直後、今まで顔があった部分を槍が飛び抜けた。
「シャイ…!」
「させませんよ!」
大鎌がくるりと向きを変え、再びディアボロスに迫る。下から突き刺すように襲ってきた刃に、ディアボロスは辛うじて顔を反らして
かわした。その鎌が巻き起こした刃風は、それ自身が切れ味を持つかのようにディアボロスの顎を冷たく撫でていった。
「くっ、シャイン!」
「ダクネス!」
光と闇が交錯し、二人は互いの魔法を盾で受ける。一見すればディアボロスが有利だったが、戦局はどちらに転んでもおかしくない。
考えなしに最大魔法を連発したディアボロスは、もうほとんど魔力が尽きていた。一方のセレスティアは、イペリオンの一撃分を
受けているが、白兵戦となればその力は術師などの比ではない。まして、ペットから受けた狂撃により、理性のたがが外れたその攻撃力は
さらに上がっている。
セレスティアが羽ばたき、距離を詰める。その瞬間、ディアボロスの手が動いた。
「くたばれぇ!」
「おっと!」
咄嗟に逆に羽ばたき、動きを止めたセレスティアの鼻先を、カドケウスの杖が通過した。術師とはいえ、彼女も実戦で鍛えられた
冒険者である。その杖術は、駆け出しの戦士などを遥かに上回る。
「やりますねえ。ですが、わたくしはそんなものでは死にませんよ」
「なら、これは!?」
素早く杖を握る位置をずらし、棒尻で突きかかる。それを、セレスティアは盾で受けた。必然的に、盾に取りつけられた刃がディアボロスに
突きつけられる。
直後、セレスティアが羽ばたいた。体勢を崩され、そこに鋭い刃が迫る。
「きゃあっ!」
すんでのところで直撃は避けたが、右腕を刃が滑った。たちまち血が溢れだし、そこから痛みが広がっていく。
「うう、腕がっ…!」
主人の危機に、ペットが再び槍を振りかざした。そこに一声鳴いて羊が飛びかかり、鼻面に噛みついてそれを阻止する。
「ああっ、バフォ!」
「メア、そのまま頼みますよ!」
詠唱の隙を与えぬほどの連撃。鎌による横からの突きを避ければ、アダーガが一直線に襲い掛かる。それを盾で受ければ、
盾をかわす軌道で鎌が振られ、懐に飛び込めばアダーガに付けられた剣がそれをさせない。
思い切り鎌が引かれる。背後から迫る刃の気配を感じ、ディアボロスは思い切り体を反らした。そのまま地を蹴ると、靴の爪先部分を
切り裂いて鎌が飛び抜ける。地面に手をつき、何とか回転して着地すると、ディアボロスは素早く魔法を詠唱した。
「シャイン!」
「ぐっ!」
光がセレスティアを包み込む。まだ戦えるとはいえ、セレスティアの傷は深い。このまま一気に押し込もうと考えたディアボロスだが、
直後に絶望の表情が広がる。
「そ、そんな…!?」
「イペリオンというド級の魔法ならまだしも、そんなものではわたくしは倒せませんよ」
セレスティアは傷ついていないどころか、むしろ若干怪我が治っていた。恐らくシャインを受けつつも、ルナヒールで回復したのだろう。
「わたくしは、負けるわけにはいかないんですよ。わたくしには、母を取り戻すという願いがあります」
「お母さんを…?」
「これまで、わたくしはずっと母の言い付けを守ってきました。誰も殺さず、誰も憎まず……そして、わたくしの今の姿を、母を見捨てた
者達がどうなったかを、全てを見てほしいのですよ」
このままでは負けると、ディアボロスの直感が告げていた。そこにこの言葉は、またとない好機と言えた。
「……そ、そんなことをしても、お母さんは決して喜びませんよ」
「……はい?」
「す、少なくとも私がお母さんならっ……こ、子供が誰かを殺したなんて、嬉しくないです!それに、見捨てた人を殺したなんて、
そんなの誰も望まなかったはずです!言いつけを守らなかった子なんて、見たいはずがないじゃないですか!」
見捨てた者を殺したというのは、完全な当てずっぽうだった。しかし、セレスティアはそれを聞いた瞬間、動きを止めた。
「母は……嬉しくない?わたくしが、言いつけを……誰も望まなかった…?」
隙だらけになったセレスティアを見つつ、ディアボロスは腕にヒールを唱え、そして杖を振りかぶった。
無防備な頭に振り下ろす。それで、戦闘が終わるはずだった。
ガツッと硬質な音が響き、ディアボロスの腕が弾かれる。驚いてセレスティアを見ると、彼は今まで見たこともないような笑みを
浮かべていた。
「……そんなはず、あるわけないでしょう?それに、あなたがたかだか数秒で考えたようなことを、わたくしが考えなかったとでも?」
ゆらりと鎌が振り上げられる。慌てて盾をかざすと、セレスティアはお構いなしに鎌を振り下ろした。
「うあっ!?ぐっ…!」
「愚かですよ……まったくもって、愚かな考えです。わたくしは、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も考えましたよ!」
「ひっ!?」
明らかに気配が変わった。もはや普段の面影など微塵もなく、狂気じみた笑顔を浮かべ、襲い来る武器は異常な重さを持っている。
「神がお許しになれば、何があろうと死にはしません!ほら、わたくしも無事じゃないですか!?神がお許しにならなければ、
何人たりとも死は免れませんよ!しかし行動をしないならば、神に問うこともできはしない!」
狂ったように叫びながら、セレスティアは武器を振り回す。重く、速く、確実に急所を狙ってくる攻撃に、ディアボロスは必死に
避けることしかできない。
「ですから、わたくしは神に問うたのですよ!母を一番迫害した者が許されたのは意外でしたがね!しかし井戸に毒を流してなお
生きたのですから、それは神の思し召し、認めねばなりませんよね!?ですから、わたくしは許したのですよ!誰一人恨まずに!!」
ああ、と、ディアボロスは思った。自分は最も触れてはいけないものに触れてしまったのだと、今更ながらに理解した。
そして、彼の本当の姿を見極められなかったことを、そして自身の軽率な行動を、心の底から後悔した。
避けきれず、腕を切られ、腹を切られ、そしてとうとう足を切られ、ディアボロスはその場にうずくまった。
「う……う、あ……あぁ…」
怯えきった表情で見つめるディアボロスを、セレスティアは狂気じみた笑顔で見つめる。
「もう終わりですか?最初の威勢はどこへ行ったのです?……ああ、魂もすっかり弱り果てたようですねえ」
彼の持つデスサイズヘルが、小さな音を発しているように見えた。もはや戦う力も気力もなく、ディアボロスは狩人に追い詰められた
獲物のように震えていた。それを察知し、ペットが慌てて駆け寄ろうとするが、セレスティアのペットに顎を蹴り飛ばされ、昏倒する。
「そこまで弱っては、もう生きているのも辛いでしょう?ですから、神の御慈悲に身を任せてください」
セレスティアが鎌を振り上げる。それに体を切り裂かれるのだと思うと、ディアボロスの中に凄まじい恐怖が湧きあがった。
「や、やだぁ!!」
思わず頭を両手で庇い、それと同時にセレスティアが鎌を振り下ろした。直後、ガシンという音が響いた。
「……ん?」
振り下ろした鎌は、たまたまディアボロスの盾に当たったらしく、軌道を逸れて地面に突き刺さっていた。しかしディアボロスが
助かったと思う間もなく、セレスティアはアダーガを引いた。
「ひぃ!!」
それに怯え、後ろに尻餅をついた瞬間、セレスティアがアダーガを突き出した。その穂先はディアボロスの頭を捉えず、僅かに前髪を
切り落としたに過ぎなかった。
「……戦意も、力も失った相手に、二度も外すとは…」
呆然としたように呟くセレスティア。ディアボロスはまだ震えていたが、不意に気配がいつものセレスティアに戻った。
「どうやら、神はあなたを生かしたいと思し召しのようですね。ならば、わたくしはそれに従いましょう」
武器を納め、セレスティアは踵を返す。そして肩越しにディアボロスを振り返ると、静かな声で言った。
「明日の戦いは、わたくし達にお任せください。そして、万が一、わたくし達が破れることがあれば……その時は、お願いしますよ」
そこで一度言葉を切り、セレスティアははっきりと告げる。
「さようなら、ディアボロスさん」
テレポルを唱え、消えるセレスティア。それを見届けると、ディアボロスは全員がしぼむような溜め息をついた。そこでちょうどペットが
目を覚まし、慌てて主人の元に駆けつけた。
「バフォ…」
優しく、ペットの頭を撫でる。
「ダメ、だったね…」
全てにおいて、失敗してしまった。そんな考えが頭を満たし、ディアボロスはただ一人、迷宮でうなだれていた。
それとほぼ同時刻、アガシオンとの激戦を終えたヒューマン達は、それぞれ休憩所で休んでいた。その中のドワーフが、一人難しい顔をして
廊下を歩いている。
「あいつ、どこ行ったんだ…?部屋いねえし、クラッズも見てねえって言うし…」
「おやおやお兄ちゃん、なにか悩みごとですかー?」
突然声を掛けられ、驚いて顔を上げると、バハムーンがいつもの制服のように張り付いた笑みで見下ろしていた。
「うおう、びっくりしたあ!いや……そうだ。お前、ディアボロス見てねえか?あいつ、なんかどこにもいなくてよお…」
「ん〜、大切な妹がどこ行ったかわからないなんて、ダメダメなお兄ちゃんですねえー」
「ぐっ……オ、オレだってずっとあいつのこと見てるわけじゃねえだろ!?大体そんなことできねえし…!」
「しかし、どうしましょうかねー。ディアちゃんには、誰にも行き先告げるなって言われてますしー」
その言葉に、ドワーフの表情が変わった。
「何だと…?おい、どういうことだ!?あいつはどこ行ったんだ!?」
「それはいくらお兄ちゃんでも言えませんよー、約束ですからねー。でも、そうですね〜、ディアちゃんがいなくなったのと同じくらいに、
あっちのパーティのセレスティアさんが飛ばされぬ夢の回廊に行ってましたね〜」
「セレスティアの奴が!?あ、あいつまさかっ…!」
思わず自分にとっての最悪の展開を思い浮かべたドワーフに、バハムーンは突然真面目な顔を向けた。
「行くなら早めにお願いします、お兄ちゃん」
「え?な、何だよ急に…?てか、お前のそんな顔初めて見…」
「ディアちゃんは、暴走しがちなとこがあります。そしてあっちのセレスティアさんは、ディアちゃんの想いは受け入れません。その結果が
どうなるか、詳しくはわかりませんけど、ろくでもないことになるのは目に見えてます」
サブでジャーナリスト学科を取っている彼女は、こういったことには異常に鋭かった。リーダーはヒューマンでも、バハムーンの助言には
全員が迷わず従うほどに信頼がある。
「マジかよ…!?どうしてそれで止めなかったんだよ!?つか、お前は行かねえんだよ!?」
「想いを燻らせたままいるより、結果はどうあれ行動を起こした方がすっきりしますし、成長に繋がります。それと後の質問の答えですが、
辛いときに支えてあげるのは、メイドより適任がいるじゃないですかー」
最後の方はいつもの調子になり、バハムーンは再び笑顔に戻った。
「……行き先は、間違いねえんだな!?」
「ないですよー。ですから、早めに行ってあげてくださいねー。あ、ちなみにこの情報料は貸しにしておきますからねー」
「貸しでも何でも……いや、お前から聞いたってあいつに言わねえから、それで帳消しだ!」
ちっ、と後ろから舌打ちが聞こえた気がしたが、この女に借りを作っては後がどうなるかわからない。ともかくも一刻を争う事態に、
ドワーフは休憩所を飛び出し、迷宮へと走った。
入り口で気配を探るが、何の気配もない。さすがに群がる敵を相手にするのは辛く、ドワーフは最低限の敵だけを殴り倒し、奥へ奥へと
進んだ。やがてちょうど中間点というところまで来た時、周囲のモンスターの気配が変わった。異常な興奮状態を感じ取り、直感で
ここにいると確信する。そこを走り、中心部分に到達したとき、ドワーフの目にへたり込むディアボロスと、それに襲いかかる
モンスターの姿が映った。
「てめえら、そいつに触るんじゃねぇー!!!」
迷宮を震わせるような怒号を上げ、ドワーフはモンスターに殴りかかる。突然の襲撃に驚いたモンスターを蹴りつけ、拳の一撃で
吹き飛ばす。標的を変え、次々に襲い掛かるモンスター相手に一歩も引かず、ドワーフはその全てにカウンターを叩き込み、一匹残らず
叩きのめしてしまった。
「お……お兄ちゃん…?」
どこか呆けたように呟き、自分を見上げるディアボロスに、様々な感情が湧き上がる。
「お前……お前なあっ…!」
怒鳴りつけて叱るか、優しく諭すか、そんなことを一瞬考える。しかし気付けば取っていた行動は、そのどちらでもなかった。
「……心配かけやがって…!」
その場に屈みこみ、強く抱きしめる。ディアボロスはしばらく唖然としていたが、やがてその目に涙が溢れてきた。
「う……うぅ〜…!お兄ちゃ……ごめっ……ごめん、ねぇ…!私っ……私、全部ダメで……全然ダメでっ…!」
言葉になったのはそこまでで、あとはもう、ディアボロスは子供のように泣きじゃくった。
「うああぁぁーん!!好きだったのぉ!好きだったのにぃっ……私のこと、嫌いになっちゃったぁー!!うわぁーん!!」
「……よく、頑張ったよ、お前は」
複雑な気分だったが、そうとしか言えなかった。今の彼女には、兄以外の立場で声を掛けることなど、とてもできなかった。
ただただ子供のように泣き続けるディアボロスを、ドワーフは優しく撫で続けていた。