あの旅を終えて、一週間が経った。ヒューマンは約束通りパーティから抜け、そして二度と姿を見せなかった。  
この日、彼女達が地下道探索を終え、それぞれの部屋に戻った時、部屋の前に見慣れない手紙が置いてあった。  
差出人の名前はない。だが、内容はすべて同じだった。彼女達は部屋に戻ると、手紙を開封して読み始めた。  
 
『この手紙を読む頃には、俺はもう目的を果たしているだろう。こんな形でしか、君達に別れを告げられなかった俺を、許してくれ。  
俺は、本来既に死んでいるべき人間だった。俺が生まれたのは、160年も前のこと。だが、年老い、朽ち果てることを恐れ、地下道の  
力で生き永らえていたんだ。だが、その結果は、半永久的な若さと命を手に入れた代わりに、幸福な死を失った。』  
エルフは手紙を読み終えると、静かに顔を伏せた。  
「本当に、風のような方ですわ…。突然現れ、花を揺らすだけ揺らして……勝手に、手の届かないところへ行ってしまうなんて…!」  
一人呟くと、エルフは顔を両手で覆い、静かに泣き始めた。  
 
『仲間が、親友が、その子孫達が、俺より先に死んでいく。それを見て、俺はようやく気付いた。俺は、ただのヒューマン。何かを  
手に入れるには、代償が、必ず必要だということを。だが、その頃には地下道に一般人は入れなくなり、俺は地下道の力で死を  
取り戻すこともできなくなった。そして、そのまま寿命を待つことも、よしとしなかった。』  
手紙を丁寧に畳むと、セレスティアは窓から空を見上げた。  
「そう……ようやく、手に入れたのですね。本当に、欲しかったものを。本当なら、喜んであげるべきなのでしょうけど…。  
ああ、神様…!どうか、あの方を……あの方を、天国へお召しください…!」  
両手を固く組み、目を固く閉じるセレスティア。空へ向かって祈りながら、彼女は、はらはらと涙を流した。  
 
『無為に生き永らえ、やがてこの学校ができた。俺は生徒として入学し、今度こそ失った時間を取り戻そうと決めた。君達のパーティに  
誘われた、あの日。俺は、最後の晩餐となるはずの食事をしていた。そこに、君達のパーティへの勧誘だ。既にかなりの年を取り戻した  
俺には、きついもんがあった。だが、放っておくこともできず、俺は君達とパーティを組んだ。それには、本当に感謝している。』  
手紙を放り投げ、フェアリーは枕に顔を埋めていた。既に、枕は絞れば涙が出そうなほどに濡れている。  
「うえぇーーん!!こんなの……こんなの、勝手すぎるよぉー!!!ほんと……本当に、大好きだったのにぃ…!!ふえぇーん!!  
ヒューマンの……ヒック……ヒューマンの、ばかぁー!!!!!」  
どんな事があっても、言うことのなかった罵倒の言葉。それを吐き出しながら、フェアリーはいつまでも泣き続けた。  
 
『だいぶ遅くはなったが、君達と行動することで、俺はかつての自分に戻ったような気がしていた。未知の地下道の探索。強くなる実感。  
新しい道具。君達のおかげで、俺はあの頃の感覚を取り戻すことができた。それに、君達からもそれぞれ、思い出をもらうことができた。  
俺自身は、かなり君達に対して非礼があっただろう。許してくれとは言わない。しかし、本当に感謝している。』  
フェルパーは手紙を持ったまま、大きなため息をついた。  
「こんな事なら……あの時、本当に子供でも作っちゃえばよかった…。でも、ダメか…。それじゃまた、彼を苦しめる。でも……ねえ。  
勝手だけど……そうすれば、こんなに……悲しい思い……なんてっ…!う……ううっ…!」  
溢れる涙。それを拭おうともせず、フェルパーはただ一人、涙を流し続けた。  
 
『こんな俺が、君達に対して何かお願いをするなんていうのは、おこがましいことだろう。それでも、一つだけ頼みがある。  
どうか、俺が消えることを、悲しまないでくれ。俺はようやく、本当に欲しいものを手に入れるんだ。できる事なら、それを喜んでくれ。  
最後になったが、君達の行く先に、幸運があることを。そして、もう一度言う。本当に、本当に、ありがとう。』  
つまらなそうに手紙を読み終えると、バハムーンはベッドに寝転んだ。  
「今更、だな。既に聞いたことなのに……律儀な男だ。いや……男だった……か…。」  
目を閉じるバハムーン。が、すぐにその目を開けた。  
「しかし、こんな手紙を出しておいて、悲しむなとはよく言えたもんだ。今頃、あいつらは泣いているだろう……な。」  
窓から外を見上げる。空には、今にも落ちそうな夕日が輝いていた。  
「あの日の夕日は、あの時だけのもの……か。今になって、お前の言ったことがよくわかる。だが、これではお前があまりに報われない。」  
涙を堪え、バハムーンはしっかりと空を見据えた。そして目を細め、静かに口を開く。  
「お前の願い……とうとう、叶ったのだな…。おめでとう…。」  
そう呟き、弱々しく空に向けて笑ってみせる。  
最後に聞いた、岬での笑い声。バハムーンの耳には、あの笑い声が、また聞こえたような気がした。  
 
 
 
季節は夏になった。一行もようやく、あのショックから立ち直り、それぞれの道を歩き出していた。  
「わたくしならば、あの程度の腕になるのに10年もかかりませんわ。」  
そう語るエルフは、狩人学科に転科した。元々弓使いとして優れた資質を持っているため、その言葉はあながち誇張でもないかもしれない。  
が、転科のためにしばらく座学が続いたため、今のところは勘を取り戻すのに躍起になっている。  
フェアリーは司祭学科に転科した。  
「いつか、傷ついた心も治せるような司祭になる。絶対に、死にたいなんて言わせない。」  
それが、彼女の口癖である。以前はわがままで身勝手な面もあったが、今では司祭としての姿も、だいぶ板についてきた。  
セレスティアはそのまま僧侶の道を歩み続けることを誓った。元々の性格からして、彼女にはこれ以外の道はないと言っても過言ではない。  
「わたくしは、迷いません。いつか、あの方よりもずっと、優しい人になれるよう、頑張ります。」  
彼女の笑顔は優しく、どこか達観したような感もあり、その顔を見れば誰もが毒気を抜かれてしまう。そんな天衣無縫の笑顔を身につけた  
理由を、彼女が語ることはない。  
誰もが彼の影を、少なからず追っていた。そんな中、フェルパーだけは比較的淡白だった。  
「お前は、どうするんだ?」  
「どうするって、別に何も変わらないわ。今までどおり、侍として腕を磨くし、リーダーとしても頑張る。……また、そのうち仲間を  
探すわ。今度は女の子で、ずっといてくれる子を、ね。」  
見ようによっては、薄情とも取れるほどあっさりとしていた。しかし、誰もそれを責めることはない。  
彼女の腰に下げられた、二本の刀。一つは、鬼丸国亡。それと、今の実力では場違いに見える白刀秋水。それは紛れもなく、あの旅で  
手に入れた刀である。以前、宗血左文字を拾ったこともあるのだが、彼女はそれを後輩にやってしまった。ある意味では、彼女が一番、  
彼のことを引きずっているのかもしれない。  
「それで、あなたこそ、戦士のまま?今のあなたなら、侍にも修道士にも、神女にだってなれそうだけど。」  
「ああ。私には、これが一番合っている。それに、前衛が二人も転科しては、お前の負担になるだろう?」  
「それもそうね。」  
フェルパーは小さく笑う。バハムーンも笑顔を返してから、フッと遠くを見つめる。  
「さて……また全員揃うのは、一月後か?」  
「そうなるわね。フェアリーとエルフなんか、もう帰っちゃってるし。セレスティアも、明日発つそうよ。」  
「私も、明日か明後日だな。お前はどうするんだ?」  
「私は、リーダーだもの。みんなが無事、出発したのを見届けてから、発つわ。」  
「細かい奴だ。だが、それでこそ、なのだろうな。」  
「ふふ、あなた、変わった。」  
「私だけじゃないさ。みんな、変わった。」  
二人はまた、遠くを見つめた。そして、仲間とのしばしの別れに、思いを馳せるのだった。  
 
それから数日。彼女は長期休暇を取り、ふるさとへと戻っていた。久しぶりの家はどこも変わっておらず、戻るだけで心が休まる。  
「ずいぶん、逞しくなったね。見違えるわ。」  
母が、声をかける。だが、逞しい、という言葉があのヒューマンを思い出させ、少し気分が暗くなった。  
「はっはっは。そりゃ、あたいの孫だからねえ。まだまだ強くなってもらわないと。」  
豪快に笑うのは、彼女の祖母である。祖母とはいえ、元々寿命の長いバハムーンのこと。まだまだ女としての魅力は十分に残っており、  
その顔もかなりきれいな方である。ただし、他種族からすれば3メートルに近い女性に魅力を感じるかというと、また別の話ではある。  
「にしても、何だか暗い顔してるねえ。なんか悩みでもあんのかい?」  
「いえ……そういうわけでも、ないです。」  
彼女は祖母を尊敬していた。かつて冒険家であった祖母の話は、幼少の頃の彼女には夢のような話ばかりだった。巨大なドラゴンとの  
戦いや、飛竜に乗って旅をするなど、どれも幼かった彼女の心に大きな憧れを抱かせた。その祖母に倣い、家族の反対を押し切って  
学校に飛び込んだ彼女を、祖母はいつも応援してくれていた。  
祖母は、彼女のいい理解者だった。だからこそ、彼女は聞いてみたくてたまらなかった。  
「……お婆様。」  
「ん、何だい?」  
「その……冒険家、だった頃……恋は、しましたか…?」  
「なぁんだ。恋の悩みかい?そりゃあ、いっぱいしたよ。」  
「で、では…。」  
一度深呼吸をし、勇気を振り絞って言葉を押し出した。  
「ヒューマンに……恋をしたことは…?」  
「お前、なんて事を言うの!?」  
その言葉に、母が声を荒げる。母から見れば、やはりヒューマンとは低俗で下等な生き物なのだ。だが、祖母は優しく笑った。  
「あんたを、子供の興味を潰すような子に育てた覚えはないけどねえ?」  
「で、ですけど…!」  
「ま、落ち着きな。答えとしては、ある。……そうだな、ここじゃ話しにくい。少し外に出ようか?夫に聞かれても、面倒だしね。」  
そう誘われ、彼女は祖母と連れ立って外に出た。母は相当その言葉が意外だったらしく、半ば呆然としたようにそれを見送っていた。  
見晴らしのいい野原に出ると、二人は揃って腰を下ろした。  
「あんた、ヒューマンに恋をしたね?」  
バハムーンは、黙って頷いた。  
「それで悩んだんだろ?それは、よくわかる。あんな下等な生き物に、本気で惚れちゃうんだからねえ。あたいも、最初は  
認めらんなかったもんさね。」  
「どんな……方だったんですか?」  
「そうさねぇ。パーティの仲間だったんだけど、まあいい男……って、言えるかねえ?ちょっと軽かったけどね。気障だったし。」  
また豪快に笑い、祖母はフッと遠くを見るような目つきになった。  
「腕のいい狩人でねえ。つっても、罠の解除はへったくそでさ、あいつのおかげで、何度全滅しかかったことか。でも、弓の腕は  
確かだった。サジタリウスの弓って、知ってるかい?あれを手に入れてからは、立て続けに四本も矢を射るんだから、凄まじかったよ。  
こう、いっつも咥えてるキセルも、気障ったらしいけど、似合ってた。」  
「………。」  
「でもね、あたいはいっつもそいつに突っかかってた。貶したこともあった。それを、あいつは皮肉っぽく言い返してきてさ、いっつも、  
あたい達は大喧嘩。他のみんなには、迷惑かけたもんさ。あっははは。」  
何か、バハムーンの胸にもやもやしたものが湧き上がっている。何かが、気になる。  
「でもねえ……ある時、ドゥケット岬でだった。まぁた、気障ったらしく、夕日なんか見てやがってねえ。でも、何かその姿見てたら、  
魔が差したんだろうね。柄にもなく、『貴様は強いな』なんて言っちまった。」  
「それは……一体、い……いつの話……ですか…?」  
「あ〜、はっきり覚えてるよ。今日でちょうど、140年、2ヶ月と13日前。」  
2ヶ月前といえば、あのヒューマンと旅をしていた時期である。そして彼も、同じようなことを言っていた。  
「実際、強かったんだよ。あたいが安心して背中を預けられたのは、あいつだけさ。でもね……あの捻くれもんは、『お前には、どう  
足掻いたって敵わねえよ』なんてさ。だから、あたいは言ったのさ。」  
「……弱い者は、嫌いだ。だが、強いくせに弱いふりをする奴は、もっと嫌いだ…。」  
「おや、言ったことあったっけね?そう、それだよ。それからだったなあ、あたいとあいつが、公認の付き合いになったのは。」  
 
信じられなかった。むしろ、信じたくなかった。  
間違いない。彼が惚れていた相手というのは、事もあろうに自分の祖母だったのだ。  
よくよく考えてみれば、彼女はよく『祖母の若い頃に生き写しだ』などと言われていた。そしてヒューマンも『恋人に似すぎている』と  
言っていた。当たり前だ、その相手は血縁だったのだから。  
「でもねえ……やっぱり、ヒューマンだからねえ…。あいつは、寿命が短い。それを恐れて、あいつは道具に頼って生き延びようとした。  
でも、わかるだろう?そんなことをすれば、あいつは他のヒューマンと違う時間を生きちまう。それが目に見えてたから、人が親切で  
叱ってやったのに……ま、あたいも言葉が、足りなかったんだけどね。」  
もはや、ほとんど祖母の言葉など聞こえてはいなかった。だが、祖母は構わずに続ける。  
「それからパーティ抜けて……どうなったやら。しばらくして、あたいは今の夫と会って、冒険家からも足を洗っちまったけど、あいつの  
ことはちっとも聞かなかったねえ。どっかで野垂れ死んだ可能性も、なくはないけどね。」  
「もし…。」  
「ん?」  
「もしも……今でも、そのヒューマンが生きていたら……お婆様は、どうしますか…?」  
「生きてたら?……そうさねえ…。」  
祖母は困ったように笑った。  
「この手で、あの世に送ってやるよ。いい加減、生き飽きた頃だろうしね。だとしたら、それもまた、元恋人としての務めさ。」  
楽しそうに笑う祖母を尻目に、彼女はひどく暗い気分になった。  
「お話…。ありがとう……ございました…。」  
「こんな話でよけりゃ、いつでもしてやるさ。でも、夫がいる前では、勘弁しておくれよ?」  
それから少しして、二人は家に帰った。だが、ろくに挨拶もしないまま、バハムーンはすぐ自分の部屋に行くと、鍵をかけて閉じこもった。  
ベッドに転がり、じっと天井を見上げる。そして、ポツリと呟いた。  
「私の入り込む隙間なんか……なかったな…。」  
祖母は、彼をよく知っていた。彼もまた、祖母の事を思い続けた。その間に、彼女が入り込む余地など、最初からなかったのだ。  
他の仲間は、まだ種族も違い、容姿も違ったから、ひと時とはいえ、彼の愛を受けることができた。だが自分は…。  
そこまで考え、バハムーンは首を振った。むしろ、愛されすぎたのだ。だからこそ、かつての恋人の影と重ねてしまうことを恐れ、  
彼はバハムーンを抱くことができなかった。  
「……最初から、わかってれば…。」  
そう呟いたところで、結果は変わらなかったに違いない。というより、恋人の孫なんか抱けるわけがない。  
「まさか、血族二代で惹かれるとはな……それもまた、血筋……か。」  
いずれにしろ、彼女は戦う前から負けていた。あまりに大きな影のせいで、彼は彼女を彼女として愛することが出来なかった。  
彼の愛は、きっと本物だっただろう。しかし、元々のきっかけが過去の幻影である以上、彼は彼女への愛を幻影として見ることを  
余儀なくされた。だからこそ、彼はその愛ゆえに、彼女を愛せなかった。  
彼女の恋のライバルは、あまりに強く、大きく、そして深く彼と繋がっていた。  
「初恋は破れるためにあるなどと……一体、誰が言ったんだっけな…。」  
ポツリと、一粒涙が零れた。そして、後から後から涙が流れ出す。  
「今更、気付くなんてな……くそっ!勝手に逝ってしまって……卑怯者め…!」  
腕を目元に押し当て、バハムーンはただ一人で泣いた。今更になって湧いた、失恋の痛み。それに、抑えていた、彼を失った悲しみ。  
まるで子供のように、彼女はいつまでもいつまでも、泣き続けた。  
 
ドゥケット岬で交わした、あの口付け。その記憶が、彼女の胸をちくりと刺す。  
恐らくは、ずっとこの記憶と痛みを、持ち続けて生きていくのだろう。  
100年経とうとも、まるで昨日のことのように、思い出しながら。  
ただ一つ。失われることのない、恋の記憶と共に。  
 

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