一週間の遠征を終え、一行は久しぶりにパルタクスの寮に戻った。
消灯時間も近づく頃、セレスティアが廊下を歩いていると、不意に見覚えのある影が映った。
「おや、これはヒューマンさん。わたくしに何か、用事でも?」
「ああ……言わなくても、わかってんだろ?」
怪しげな笑みを浮かべて言うヒューマン。そして、再び口を開いた。
「やらないか?」
それに対し、セレスティアも呆れたような笑顔を返す。
「やれやれ。また、ですか?あなたも、元気な方ですね」
「まあな。今夜は、寝かせねえぞ」
「わかりましたよ。では、さっさと始めましょうか」
それから数分後、ヒューマンの部屋からは、彼の切羽詰った声が漏れ聞こえていた。
「お、おいセレスティア…!よせ、そこはやめろぉ…!」
「また、そんなことを。つまり、ここという事、でしょう?」
「違うっ!本当にやめろ!そこは触るなぁ!」
「やれやれ。いちいち聞いては、いられませんね」
セレスティアの落ち着いた声が響き、続いてパン、パンと、断続的に乾いた音が響く。
「ああっ!ダメだっ、よせ!それ以上はダメだぁ!」
「あなたから、言い出したことですよ?」
「わかった!もう降参だ!もうやめてくれぇ!」
「お断りします」
乾いた音のペースはさらに速まり、ヒューマンの切なげな声が響く。
「うああ……もうやめてくれ…!ほんともう勘弁してくれよぉ!」
「今更、何を。さあ、これで終わり、ですね」
「それだけはダメだって!それだけはやめてくれぇ!」
「ですから、言ったでしょう?これで、おしまい、です!」
一際大きく、パァンと乾いた音が響いた。
「あああぁぁぁ!!!!」
ヒューマンの悲鳴に似た声が、寮に響き渡った。
「〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!」
「……お姉さま?一体何をのたくっているんですの?」
エルフに言われ、バハムーンは慌てて姿勢を正した。
「あ、あ、いや、何でもない…」
「何か壁に耳をつけてると思ったら、急にのた打ち回ったり……何か、悩みでもあるんですの?」
「いやいや、そういうわけじゃないぞ。うん、本当に何でもない」
「くそっ!また負けた!」
ヒューマンは思い切り床を叩き、ギリギリと歯を鳴らす。
「わたくしは、21組。あなたは5組。本当に、弱いですね」
セレスティアは最後に残ったカードを、パァンと乾いたいい音を立てて、床に叩きつける。
「大体、神経衰弱で、そこまで声を出しては、相手にカードの位置を、教えているようなもの、ですよ」
「だぁって、しょうがねえじゃねえか!出ちまうんだから!」
「それに、最後に残った二組を取ったところで、あなたの負けは、確定でしょうに」
「気分が違うじゃねえかよ!くっそ〜、せめてその二組は欲しかったのにっ!」
「ポーカー、7並べ、そして、これ。どれ一つとして、勝てた試しが、ありませんね」
言いながら、セレスティアは慣れた手つきでカードを切っている。
「くそー!勝てるまでやるからな!マジで寝られると思うなよ!」
「やれやれ。赤ん坊をいたぶる楽しさがあるとはいえ、夜通しでは、さすがに体力が、持ちません」
セレスティアはヒューマンの顔を見ながら、にやりと笑った。
「さっさと叩き潰して、寝かせてもらいますよ」
「この野郎…!上等だてめえ!今度こそ俺の方が…!」
そこまで言った瞬間、突然凄まじい音とともにドアが蹴り開けられ、二人は驚いて身構えた。
「貴様らぁ…!」
「バ、バハムーン!?」
そこにいたのは、全身に殺気を漲らせたバハムーンだった。おまけに、なぜかその手には抜き身のエクスカリバーが下げられている。
「あ、あ、悪かったよ!うるさかったってんだろ!?それは謝るから…!」
「貴様らよくも!この私の心を弄びやがって!」
「は…?わたくし達が、ですか?いや、あの、一体何の話を…」
彼女の後ろの影に気付き、セレスティアの声が止まった。そこにいたのは、バハムーンと同じく殺気を纏い始めたエルフであった。
「今の言葉……聞き捨てなりませんわ。わたくしのお姉さまに、一体、何をなさったのかしら?」
もう何を言っても無駄だということは、二人にもはっきりわかった。じりじりと後ずさるセレスティアとヒューマン。それを追い詰める
バハムーンとエルフ。ついに窓際まで追い詰められたとき、セレスティアはスッと足を上げた。
「ん?おいセレ……どわぁ!?」
ヒューマンの背中を、思い切り蹴り飛ばすセレスティア。よろめいたヒューマンを、バハムーンがしっかりと受け止めた。
その隙に、セレスティアは窓を開け放ち、枠に足をかけると、ヒューマンに柔らかな笑みを向けた。
「て、てめえええぇぇぇぇ!!!!!」
「これで、ゲームの負けは無しにして、差し上げますよ。では、わたくしはこれで」
「セレスティア!ちょっと待っ…!」
ひらりと夜空に身を舞わせ、素早く飛び去るセレスティア。バハムーンの手が、ヒューマンの肩を砕かんばかりに強く掴む。
「さて……覚悟は、いいな?」
「報いは、受けてもらいますわ」
「ああぁぁ……お、俺が何をしたってんだぁぁぁ!!!!!」
ヒューマンの悲鳴が、夜の寮に響き渡った。
「なんか、隣がうっせえなあ。何してんだ?」
ディアボロスがそちらに顔を向けると、下から伸びた手がその首を抱く。
「よそ見しちゃ、や」
そう言い、ノームはディアボロスの顔を、裸の胸に押し付けた。彼女の拗ねた膨れっ面に、ディアボロスはささやかな幸せを感じる。
「あ〜、悪かった悪かった。そう怒るなよノーム」
体を抱き締めて頭を撫でてやると、ノームは嬉しそうに目を細める。
「……でも、ほんと何だろうなあ?なんかヒューマンの悲鳴が…」
「よそ見、だめ」
「わかってる、わかってるって。もうしねえから、怒るなよ」
隣の地獄絵図など知る由もなく、小さな幸せを噛み締めている二人だった。