遠くの方で、鳥の鳴き声が聞こえる。  
 もう朝なのか、とサラが眼を開けた時、すぐ目の前に大きな背中がある事に気付いた。  
 昔何度も視た背中。今も時々視る背中。  
「ギル……もう、行くの?」  
「ああ」  
 かつての恋人はサラに視線を向けずにそう答え、制服に袖を通す。  
「あたしの事、怒ってる?」  
 今の彼の思い人を彼から奪ったある意味直接の原因はサラにあると、彼は夜の微睡みの中ではっきりと口にした。  
 そのひと言について触れただけで、それ以降彼は何かを話したりはしなかったが。  
「怒ってねぇよ。むしろ……感謝してるさ」  
「……どうして?」  
「あいつに嫉妬してあのディアボロスを半殺しにした所で、委員長が俺に振り向く訳でもねぇ。だいたいそんな事したらマックに悪ぃ」  
 生徒会長であるマクスターと副会長のギルガメシュ。ある一点を除けばセレスティアの鑑であるマクスターとその真逆を行くギルガメシュは性格が正反対だが、それでも彼らは1年生からの親友だった。  
 それはマクスターの弟である番長のタークにも代わらず、タークとも仲が良いサラに対しても同じだった。  
 だからサラは彼を好きになった。でも、ギルガメシュにはサラは映っていなかった。  
「そう。優しいんだね、ギルは。相変わらず」  
「優しくねぇさ。本当に優しかったら、こんな事を考えたりもしてねぇよ。けどよ……サラ。俺がお前に感謝してんのは、お前が俺にやるべき事を教えてくれたって事だ」  
「……どこが?」  
「あのイベントを企画したのはマックだ。けど、お前がマックやタークにあのディアボロスの事を言わなけりゃ、始まりもしなかっただろ? あいつを後押ししたのはお前らだ。  
 けど、お前らがしたのは後押しだけだ。あいつ自身が踏み出したから、あいつは手に入れたに過ぎねぇ」  
「そうだね……あたしが切っ掛け、だもんねぇ」  
「ああ。だからだ。欲しけりゃ、俺が自力で手に入れればいいだけの話だ。委員長が、俺に振り向くようにな」  
 ギルガメシュはベッドから立ち上がると、部屋を出ようとして一瞬だけ立ち止まった。  
「サラ」  
「……なに?」  
「ありがとな」  
 最後にそう告げると、ギルガメシュは素早く部屋を出ていった。  
 1人残されたサラは、ついさっきまでギルガメシュが座っていたベッドの縁にそっと触れる。  
 まだ、微かな温もりが残っていた。  
「……………本当に。自分勝手だよね、ギルは」  
 サラは、ベッドの縁に触れたまま、昨夜からの一糸纏わぬ姿のまま、そう呟いた。  
 
 
 ディアボロスは焦っていた。非常に焦っていた。  
 昨晩の行為の果て、目覚めたセレスティアはただひと言「これからよろしくお願いしますね」と告げて自室へと帰っていった。  
 それが明け方の事でそれから一睡もしていない。ついあんな事をしてしまったはいいが、果たしてそれで良かったのかと非常に焦っていた。  
 もしこのままセレスティアとそのパーティの仲間が激怒して襲撃をかけてみようものなら学園全土を巻き込んだ挙げ句に一夜で振られたとなれば生徒会役員の逆鱗に触れかねない。  
 特に苦労していた鬼の副会長ことギルガメシュ先輩なら確実にディアボロスを殺しに来るだろう。  
 そんな事を考えつつ怯えて自室に引き篭もっていたが隣りで寝ているルームメイトのフェルパーはぐっすりと安眠してそれが保たれていたので少なくとも学園が朝を迎えるまでそんな事は無かった。  
「………おはよう、フェルパー」  
「おはよう……頑張れよ。今日からも」  
 ルームメイトのフェルパーは眼を覚ましてそう告げると、さっさと出掛けてしまった。どうやら朝から迷宮探索らしい。  
 ディアボロスはともかく自分のパーティの元へ向かおうと、部屋を出た。  
 
 食堂に辿り着くと、既に他のパーティメンバーは揃っていた。  
「よう! 遅かったな」  
「おはよう、皆早いな最近……」  
 バハムーンは相変わらず元気そうに口を開き、その後同じパーティのフェルパーも「おはよう」と声をかけてくる。  
 ディアボロスがその間に座り、既に置かれていたお茶を啜り込んだ時、2人は左右で同時に口を開いた。  
「「昨夜はお楽しみでしたね?」」  
 ディアボロスは口に含んでいたお茶を真正面に座る盗賊学科のクラッズの顔面目掛けて盛大に噴き出した。  
「うわっ! 何すんのもー!」  
「お前、何してんだいきなり?」  
「ちょ……ごほっ、げほっ、お前らいきなり何を言いだすんだ!」  
「そりゃー、夜に2人ッきりつったらアレだろうがよ」  
 バハムーンは実にのん気にそう口を開き、フェルパーもうんうんと頷く。  
「おい、バハムーン。あれってなんだ?」  
 超術士学科の同族の女子がそう口を開き、バハムーンは「そりゃああれだよ。男女の営みだよ」と平気な顔で答えた。  
「変態」  
「助平」  
「鬼畜」  
 上からディアボロス女子、クラッズ、フェアリーの順である。何で朝からそんな事を言われなければならないのだろうか。ディアボロスは今すぐ首を吊りたい気分になった。  
「まぁまぁ、そんな酷い事じゃないですから。落ち着いて下さい、皆さん」  
 背後から声が響き、6人が慌てて振り向くととうのセレスティアが真後ろの席に座っており、その近くに同じパーティであろう上級生達が苦笑していた。  
「おいおい、セレスティア。まさかとは思うけど……」  
「彼、激しかったですよ?」  
 上級生のヒューマンの言葉に、委員長は平然と答える。勿論、男子全員の顔が紅くなったのは言うまでもない。  
「……い、いいんですの!? 相手ディアボロスですのよ?」  
「構いませんよ、私は。少なくとも、彼なら面倒を見てくれそうですし。優しく」  
「な、なんですってー!」  
 そのエルフの言葉に、食堂にいた全員が一斉に振り返る。ディアボロスは思わず頭を抱えたくなった。  
「……俺、どうすりゃいいんだ」  
 なにせここまでバレてしまったのなら、ある意味危険と言えば危険である。  
 何せ、セレスティアに好意を抱く男子は多いし、彼女とあまつさえ性交まで行ってしまったとあらば嫉妬はおろか闇討ちまでされかねない。  
 女子からは驚愕、男子からは嫉妬の感情を思いっきり受けながら、ディアボロスは視線を食堂の扉へと向ける。今すぐ逃げ出したい気持ちに駆られる。  
「……おい、何処に行くんだ?」  
 先ほどセレスティアに問いかけた上級生のヒューマンがディアボロスに視線を向け、逃げ出そうとしている事に気付く。  
「い、いえ。お茶噴いちゃったんでお代わりを」  
「今、俺持ってきたけど」  
 同じパーティのフェルパーが意外そうな顔を向けてくる。  
「いや、俺特殊なブレンドのハーブティーしか飲まないと決めてて」  
「お前の好みぐらい俺も知ってるから大丈夫だよ。あと、お前好き嫌い無いだろ」  
 フェルパーの言葉にディアボロスは咄嗟に考えつく。  
「俺、錬金術士学科じゃないですか。ドークス先生の朝の補習が……」  
「ドークス先生そこで朝飯食ってるぞ。ついでにお前、錬金術の成績、学年で10位以内じゃん」  
「この前知りあった一年生のクラッズにルー●ックキュ●ブを返して貰わないと……」  
「これだよねー。貸してくれてありがとー」  
 いつの間にか現れた一年生のクラッズの少女がルービ●クキ●ーブを差し出している。  
「ランツレートの学生に借りた10G返さないと……」  
「ああ、返してもらうぜ。ありがとな」  
 いつの間にか現れたランツレートの学生がディアボロスの財布から10Gだけを抜き取っていく。  
 昨日のイベントに来ていたランツレート生はまだ残っていたようだ。  
 
「……で、お前は何処に行く気だったんだ?」  
「逃げさせて下さい先輩お願いします」  
「あー。そうだろうなぁ。確かに委員長人気高いし、このままじゃ嫉妬の雨に晒されるぜ。俺も委員長とパーティ組んでるから時折嫉妬される」  
「ですよねー。解ってくれますよね先輩!」  
「だが断る」  
「あんた悪魔だ!」  
「悪魔はお前だ!」  
「おい、ディアボロス! お前逃げるのか? ズラかるつもりか? 待てやコラ」  
 上級生のヒューマンだけでない。同学年のドワーフがディアボロスの肩をしっかり掴み、逃がすまいと離さない。  
 嫉妬の焔に燃える男達が文字通り集まってきた、その時だった。  
 
「おい、ヒューマン! テメェ、何下級生相手に絡んでんだ!」  
 
 怒声と共に、1人の人影がディアボロス達の元へと突っ切ってくる。  
 誰もが知っているその顔。ある者は恐怖の象徴と呼び、またある者は鬼の副会長と呼び、またある者はパルタクス最凶の男と呼んだ。  
 副生徒会長、ギルガメシュ先輩である。  
「ぎ、ギルガメシュ? い、いやぁ、これはだな」  
「どけ。俺はそのディアボロスとセレスティアに話があるんだ」  
「……俺に?」  
 ディアボロスは同時に血が凍るかと思った。何せあのギルガメシュ先輩である。何をしでかす気だろうか、この人は。  
「ヤバい、ギルガメシュ先輩が朝からキレてるぞ! こいつはヤバいぜ!」  
「パルタクス最凶のお出ましだ。朝から食堂に血の雨が降るぞー!」  
「誰か先生呼んでこい! その前に保健委員も呼べ! 死人が出る可能性もあるぞ!」  
「下級生は指示に従って避難して! おかしもの言葉をよく守るのよ!」  
「下級生だけじゃねぇよ、俺達も逃げるぞ! 死にたくねぇー!」  
 周りが文字通りざわめくと同時に何が起こったのか理解できてない下級生の一部が泣き出したり慌てて逃げようとして転んだりと騒ぎ始めた。  
「静かにしろテメェら! 朝っぱらからんな事するかアホ! ただ話に来ただけだ!」  
 ギルガメシュの言葉に、食堂は一瞬で静まり返る。  
「あー……そうか。お前ら、本気なんだな」  
「いや、まぁ、そうです」  
「なんですか、ギルガメシュ君」  
 セレスティアがディアボロスを庇うように立った時、ギルガメシュは少しだけ視線をそらした。  
「俺もお前の事が好きだと言ったらどうする?」  
「「え?」」  
 2人と同時に、周囲も顔を見合わせる。あの破壊力溢れるギルガメシュの言葉とは思えない。  
「………つー事でだディアボロス。解るな? 俺はテメェに宣戦布告する……昔っから言うだろうが、恋は戦争ってな」  
 ディアボロスは文字通り頭が真っ白になりかけた。殺される、確実に殺される。  
「ギルガメシュ君、それはどういう事ですか?」  
「……言葉通りの意味さ。先に撃墜した方が勝ちだとは言うが、それをキャッチするのが撃墜した奴だとは限らねぇって事さ」  
 ギルガメシュはそう告げると、セレスティアとディアボロスに視線を向けて微笑んだ。  
「話はそんだけさ。じゃな」  
 ギルガメシュがくるりと背を向け、周囲は再び顔を見合わせてざわめき始めた。  
「こ、抗争だ……パルタクスが二つに割れるぞ……」  
「ギルガメシュ先輩が、先輩が、とうとう殺っちまうぞ! ど、どうしよう俺? どっちにつけばいい?」  
「俺、今年で卒業なのによりによって最後の年に殺し合い勃発かよ……」  
「嫌だぁぁ、俺死にたくないよ今まで生き残ってたのにー!」  
「だから何でそんな話になるんだテメェらはよぉぉぉぉぉぉ! 今、んな事言った奴前に出て来い! 出て来なけりゃこっちから行くぞ!」  
 文字通り全員を半殺しにしかねないギルガメシュの剣幕に、弾き出された発言者であろう男子達は青ざめた顔で逃げ出そうとするがそれをギルガメシュは逃す事無く叩きのめし始めた。  
「………なんなんでしょうね?」「さぁ……?」  
 セレスティアの問いに、ディアボロスはそう答える。  
 だがしかし、一つだけ気付いた事がある。この恋は、始まったばかりも多難だったが始まった今となっても多難だと。  
 
 

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