ギルガメシュが目を覚ました時、時刻は昼を回っていた。
もっとも試験休みなので寝坊をしても特に何かを問われることは無い。だがしかし、学園内が騒がしいなとは思った。
普段は学生寮はそこまで騒がしくは無い。食堂や校庭は騒がしくとも学生寮で騒ぐ生徒はいない為、珍しいことだ。
「………ああ」
そう言えば、昨日の夜ディモレアに襲撃をかけ、その息子のディアボロスが乱入し、そして―――――。
ディモレアが学園まで追い掛けてきたりはしていないようだ。運が良かったというか何というか……。
起き上がり、まずは朝飯、というより昼飯の時間なので食事をしに行こうと、ドアを開けた時、数人の生徒がギルガメシュに注目した。
「どうした?」
「……いえ、何も」
「なら、どけ。俺は寝起きなんだ」
生徒達を避けつつ、食堂へと向かう。
昼食の時間だというのに生徒の数が少ないのは試験休みで遊びに行ったからだろうと勝手に解釈する。
「おばちゃん、ラーメンセット1つ」
「では、僕も同じのを」
「……マック。いつからそこにいた?」
「今さっきだ」
突き出されたラーメンセットのトレイを抱えてギルガメシュとマクスターは近くの席に並んで座った。
「あれから、何かあったか?」
「いいや。あのディアボロスからの連絡も無い……と、いうのも僕が今さっき起きたからだけど」
「お前もか……俺も、起きたの今だ」
「珍しいな、ギルが寝坊なんて」
マクスターはセットに付属するチャーハンをラーメンの中にぶち込みつつそう答える。
「だからマック、テメェなぁ。チャーハンをラーメンの中に入れるんじゃねぇ」
「いいだろそんなの! 好き好きだよ!」
「ったくよぉ、テメェは本当に舌が狂ってるよな。コーヒーには砂糖を何杯も入れる癖にミルク入れないなんて」
「僕は牛乳が嫌いなんだ。大体、ギルだって酢だこにマヨネーズなんてかけてるじゃないか!」
「何だとぉ!? カレーにソースなんかかける奴に言われたくねぇよ!」
「カレーにタルタルソースを混ぜて喰う奴が言う台詞か!」
「……あの、会長、副会長、何を……」
マクスターとギルガメシュがその声に振り向くと、生徒会書記を担当するセレスティアの少年が困った顔で見ていた。
「ああ、お前か。マックの奴な、酢だこにマヨネーズをかけるのがおかしいとか言いやがるんだ」
「ギルだってカレーにソースをかけるのが変だと言うんだ! 普通だよな?」
「あの、普通はカレーとか酢だこに何もかけたりしませんけど……」
「「こんの邪道がぁぁぁぁぁぁっ!!!!」」
「それが普通ですって!? てか先輩方なんでそんなに気が立ってぐぐぐぐぐぐ」
「生徒会書記が会長と副会長のコンビに苛められてるぞー!」「誰か先生呼べー!」
たまたま昼食に来ていたユーノ先生がマクスターとギルガメシュに拳骨を浴びせて止めるまで、哀れな書記はジャイアントスイングで壁に突っ込む羽目になった。
「……ったく、お前達なぁ、熱くなるのはいいが他人を巻き込むんじゃないっての」
「……すんません」
「面目ないです」
ユーノは出席簿の角で2人の頭を小突くと、ため息をついた。
「それと、ギルガメシュとマクスター、お前達帰り遅かったけどどうしたの?」
「え? まぁ、野暮用です。なぁ、ギル?」
「ああ」
「……そうか。ならいいんだけどさ。それともう1つね。生徒が1人行方不明になってるんだけど、何か知らない?」
「誰ですか?」
「錬金術士学科5年のディアボロス。ほら、この前のイベントでラストを飾った奴だよ。覚えてるだろ?」
マクスターとギルガメシュはそれを聞いて思わず顔を合わせた。
どうやら学園に戻ってきていない、というとなるとまだディモレアの元にいるのだろうか。
「それと、そいつに冠して変な噂が飛び交ってんだよ。あのディモレアの子供だなんて、ね。そんなバカな話が……」
「有り得たら、どうします?」
「……マック?」
ギルガメシュは思わず、そんな事を呟いたマクスターに視線を向けた。人との和を重視するマクスターにしてはある意味珍しい発言だった。
「………そうだね。そいつがあたしの生徒であれば、あたしの生徒だよ。そいつがあたしに剣でも向けてこない限りはどんな奴であろうと生徒だよ。
だから教えられる事、全部教える」
「……そうですか」
「で、なんでそんな事を聞くんだいマクスター?」
「………その噂、事実だからです」
「そうかい」
マクスターの返答に、ユーノは興味無さげに呟いた。
「失礼します」
「おう」
ギルガメシュとマクスターは職員室を出ると同時に、顔を見合わせた。
「で、ギル。お前はどうする気だこの事態? 相当マズい事になりそうじゃないか?」
「…………放っとけ」
「おい、ギル」
マクスターが追い付くより先にギルガメシュはさっさと行ってしまい、マクスター1人が残された。
「まったく参ったな……」
そんなマクスターの背中を、叩く1つの手。
「で、昨日何があったんだマクスター? あらいざらい吐かなかったらどうなるか解ってるよな?」
ゼイフェアのニーナ校長以外に対して1度もキレた事が無い筈のユーノ先生が凄まじい怒気を発しているのを、マクスターは6年間の学園生活の中で初めて遭遇した。
「ギル、戻ってこい今すぐ」
夢の中で、彼は笑っていた。
けど、どうして笑っていたのだろう。彼は、もしかしたら、私がこの手で殺してしまったのかも知れないのに。
「――――――ッ!」
セレスティアが目を開くと、見慣れた学生寮の天井が視界に飛び込んできた。
昨夜、戻ってきてからそのまま眠ってしまったのだろう。いや、もしかしたら昨日の事は夢だったのかも知れない。そう思って、身体を起こす。
手にこびりついた、乾いた血糊が、それが現実であった事を語っていた。
「……夢じゃな、かったの…………」
夢じゃない。彼がディモレアの子供である事も。弟がディモレアに殺された事も。そして自分の手で彼を刺した事も。
どうすればいいのか、解らなかった。
「お、起きた?」
部屋の扉が急に開き、ルームメイトのエルフが顔を出した。
「大丈夫? 顔色悪いよ?」
「え、うん……」
「それとさ、何か大変な事になってる」
「……何!?」
セレスティアが慌てて立ち上がると同時に、エルフは一瞬その様子に驚いたがすぐに言葉を続けた。
「うん。君のトコの彼氏がディモレアの子供だったとかで、凄い噂になってる………」
「知ってる……」
「そう? え?」
エルフは思わず耳を疑った。勿論、エルフもセレスティアの事情を知らない筈がない。
なのにどうして、と言いかけて彼の方が秘密にしていたのかな、と思い直した。
「……………それで、どうするの?」
「……どうしよう。ねぇ、私、さ……」
「どうしたの?」
「刺しちゃった」
「え?」
「刺しちゃった。昨日……私、彼刺しちゃったよ……」
セレスティアの言葉に、エルフは思わず「え」と呟く。
「……ディモレアが、敵だって解ってた。だから、ディモレアを刺す筈だった……だったけど………」
「彼が、割って?」
エルフの言葉にセレスティアは頷く。
「その時……ディモレアが彼に駆けよって必死に助けようとして、それで…………私、それで、私、そんな怖い事しちゃったんだって!」
「……………」
「私にもあの子がいた……ずっと側にいてくれたから、あんなお別れが来るなんて思ってなかったけど……けどさ、それだけ大切なものって、彼にもあるんだよ……。
私にとってはあの子の敵でも、彼にとっては大切なお母さんだったんだから…………」
「……………」
「どうしよう、私、彼刺しちゃったよぅ………」
落ち着いて、とか安っぽい言葉なんか言えなかった。
エルフはただ、黙って涙を流すセレスティアの背中を優しく撫でる事しか出来なかった。
「………まず最初ッから説明してもらおうな、テメェよぉ……」
学生寮の一室。即ち、ディアボロスが普段寝起きしている部屋で、殺気が込められたバハムーンの声が響き渡ったのは、その日の昼下がりだった。
バハムーンに殺気をぶつけられた挙げ句、部屋の中心で締め上げられているのはこの部屋の住人の片割れのフェルパーである。
2人部屋の狭い部屋に、ディアボロスと同じパーティを組むバハムーンとフェルパー、そしてディアボロスの女子とクラッズ、フェアリーのパーティ仲間と部屋の主のフェルパー。
そして、その隣室の住人であるエルフとヒューマンの少年までと合計8人がひしめき合う中で部屋の主はつるし上げを食っていた。
「いやだから、俺が聞いたのはこの前の授業参観の時だって。実際来たんだから……」
「いや、それは解ってる。で、問題は何でテメェはそれを黙ってたんだ? ああん?」
バハムーンの言葉に部屋の主は真っ青な顔になり、慌ててフェルパーが仲裁に入った。
「バハムーン、落ち着けって」
「これで落ち着かずにいられるか」
「……そんなに腹が立ったのか? ディモレアの子供だったって事を隠してた事」
「ああ。それを俺らに話してくれなかったっつー事に腹が立つ! 俺ら信じてもらってねぇようなもんじゃねぇか!」
バハムーンの怒声に、パーティの面々もそうだとばかりに頷く。
「……ああ、そっちなんだ」
部屋の主であるフェルパーは彼がパーティの面々に信頼されているんだなぁ、と理解して勝手に頷く。
「で、問題の彼はいまどちらにいるのでしょう?」
「知らん」
口を挟んだエルフに、ディアボロスがそう答えた。
「少なくとも昨夜以降、完全に連絡が途絶えているからな。昨日の事を知っている者がいれば良いのだが」
「俺、聞きまくったけど解んない」
「あたしもー。図書委員のサラも知らないって言ってた」
クラッズの言葉にフェアリーが首を傾げる。
「ええー? サラが知らないなんて珍しいよねー」
「いや、幾らサラでも知らない事ぐらいあるだろ……」
ヒューマンの言葉の後、沈黙が部屋を支配する。
仲間の行方が解らない事が、こんなにも空気を重くするのかと彼らは思った。
「「「「「どこに行ったんだ、あのバカはぁーッ!」」」」」
しかしそれでも。仲間の行く末はわかっていないのだった。
「こんな所で寝てると、風邪ひくよ?」
「……あ?」
太陽が西に傾き始めた頃、パルタクス学園の屋上で寝転がるギルガメシュに、サラはそう声をかけた。
「なんだ、サラか……」
「………昨日の事、というより、彼の事、学校中で話題になってるね」
「らしいな」
「……何とも思わない?」
サラの言葉に、ギルガメシュは視線を少しだけ上げる。
「いずれ、解る事だろうが。それでどうするかは、俺らがどうこうする事じゃねぇだろ」
「でも、彼いないよね?」
「ああ。今、ここにいねぇなぁ」
「…………………で、どうするの? ギルは」
「何をどうするんだ?」
次の瞬間、サラの平手が、ギルガメシュの頬を打った。
「何の責任も無いとでも思ってんの!? このままだと彼、ここにいられなくなっちゃうかも知れないんだよ!?」
「んな事ぁ知ったこっちゃねぇ。あいつが俺に剣向けてディモレアの盾になった以上、あいつは俺らの敵だって事だろうが」
「……そんなの」
淡々と続けるギルガメシュに、サラは震える声で呟く。
「そんなの納得出来る訳ないでしょ!? だって、同じ生徒なんだよ! 同じ学校に通う、仲間なんだよ!?」
たったそれだけの事で、傷つけあう事なんかないとサラは続けたがギルガメシュは興味なさげに空を見ていた。
「……ギル!」
サラが怒りを露にしかけた時、屋上に疲れた顔のマクスターと珍しくこめかみに青筋を浮かべたユーノが顔を出した。
「ギルガメシュ、お前そんな所にいたのか」
「何スか、ユーノ先生」
「お前なぁ……その態度は無いだろ」
ユーノはギルガメシュの頭を軽く小突く。
「相当マズい事になるぞ、この調子じゃ。あの美化委員長……あのディアボロス刺しちゃったって、事実か?」
「事実ですよ」
「……………で、その後は誰も確認してない。そうだな?」
「確認しようがないでしょう」
「お前が蒔いた種なのに収拾つける気あんのかテメェはぁーッ!」
ユーノの強烈な膝蹴りが炸裂し、ギルガメシュは1度宙に舞う羽目になった。
サラは「天罰だね」と呟きマクスターは「恐ろしい」と呟く。
「そもそもギルガメシュ。お前、何で急に襲撃をかける気なんてなったんだ? お前、最近色々と問題起こし過ぎだぞ。美化委員長に一件に然り」
「……………」
「言いたくなければ、と言ってやりたいけどそういう訳にも行かない。つまり……」
ユーノは、ギルガメシュに顔を近づけた。
「全部話せ」
ユーノの言葉に、ギルガメシュは視線を少しだけ伏せると、今よりほんの少しだけ昔のことを思い出した。
まだ、彼が入学したばかりのことを。
「……先生は知らねぇ時期だろうな、まだ俺らが一年のころだ」
ギルガメシュは、ゆっくりとそう呟くと昔のことを思い返し始めた。彼が、初めて恋をした瞬間の日を。