モンスターの追跡を振り切り、ギルガメシュは壁に背をもたれて一息ついた。
パルタクス学園に入学してはや数ヶ月。大抵の生徒ならパーティを組んでいる時期だが、ギルガメシュは組んでいなかった。
特別ずば抜けている訳では無いがセレスティアにしては力のあるギルガメシュにパーティの誘いが無い訳では無かったが、それらは全て断り、ギルガメシュは1人でいる事を続けた。
何処までも、1人でやれる所まで強くなりたかったからだ。そう、1人で、いける所まで。
だがしかし、こんな現状を見ていると恥ずかしくなる。
手にしているロングソードは刃こぼれが起きている。肩や脇腹に出来た傷口はさっきから血が止まる様子は無い。血が抜けてきたせいか意識も朦朧としている。
「……クソ」
ギルガメシュは呟く。
ずっと昔の記憶。幼い頃、ほんの少しだけ憧れた強い人に。
いつも1人だったけれど。それだけ強かった彼に少しでも近づきたくて。
そしてもう1つ。冒険者であった彼が死んだ時に姉が流した涙を、もう見たくなかった。
だから、たった1人でどこまでも強くなろうと思った。
それなのに、今はどうしてこんな所で。そんな昔の事を思い返していたのだろう。
「……死ぬ前に、昔の事を思い出すって、迷信、だよ、な……?」
ごふ、と口元から血が漏れた。
せめて血を止めよう、と道具袋を探ったが持ち込んだアイテムが昨日の夜に尽きた事を思い出した。
がらくたと金では血は止められないし、ここで死んだらもう意味のないものだ。
「…………死ぬ、のか?」
嫌だ、とギルガメシュは思う。こんな所で、死にたくなんか無い。けれども。
モンスターの唸り声が響き、足音が迫ってくる。ぼんやりとする視界の隅に、モンスターの姿が現れた。
「……おでまし、か…………」
口の中に溜まった血を吐きだし、ロングソードを真っ直ぐに構える。
「いい、度胸だ! この俺を、殺ってみろ!」
だが、そのロングソードが振られる事は無かった。
横の通路から飛びだした魔法がモンスターの一体を吹っ飛ばし、雄叫びと共にバハムーンの少女が先頭にいたモンスターにその大剣で斬りかかった。
続いて飛びだしたセレスティアの少女が槍を振るうと2体目が串刺しになり、三体目は後衛に控えていたノームの魔法で蹴散らされる。
4体目、5体目と十体近い数だったモンスター全てが倒されるまで、そう長い時間は掛からなかった。
「…………………」
最後のモンスターが倒される時、ギルガメシュは膝をついて荒い息を吐いていた。
「大丈夫ですか?」
セレスティアの少女が、そう声をかけてくる。
「あれ、あんたまさか……」
先頭に立っていたバハムーンの少女が思い出したように呟く。
「あんた確かギルガメシュじゃない? ちょうどいいや、よいしょっと」
バハムーンはギルガメシュに手を伸ばすと、そのまま引っぱり上げて肩に担いだ。
「……なにしやがる」
「あんたを探してくれっていう依頼が出てたんだよ」
バハムーンの言葉に、ギルガメシュは「はぁ?」と呟く。そもそも誰が自分を心配してそんな依頼を出したのかが謎だ。
「マクスター君ですよ」
セレスティアの少女がそう答えると同時に「あ。バハムーンさん待って」と口を開く。
「どうした?」
「ギルガメシュ君、怪我してるから……」
「ああー………」
バハムーンが足を止め、セレスティアがギルガメシュに近づいてヒールをかける。
傷ついた身体が、癒されていくのが解る。
「……………別に、保健室にでも置いてくれりゃいいんじゃねぇのかよ?」
「え? まぁ、そうと言えばそうなんですけど……」
ギルガメシュの言葉にセレスティアは困ったように言葉を濁す。
「……まぁ、その、同じセレスティアのよしみです」
「………………」
「でも、ギルガメシュ君凄いですね。1人でこんなダンジョンに潜って何日も経つのに、生き延びてるなんて」
「バカ言え。こんな無様な姿で凄い訳ねぇさ」
セレスティアの言葉にギルガメシュはぶすりと答える。
「いえ、でも凄いですよ。私にはきっと出来ませんもん」
「けどなー、こんなレベルのダンジョンに1人で潜るとはなー。まぁ、死にかけてたのもいい薬じゃん? あんた、腕はいいんだからどこのパーティでも歓迎されるよ?」
バハムーンが笑いながら呟き、他の面々もそうだとばかりに頷く。
「放っとけ。俺は1人でいる方が性にあってる」
「…ディアボロスじゃないんですからそんな事言わないで下さい。今みたいに危なくなったらどうするの?」
セレスティアはギルガメシュの言葉に心配そうに声をかける。
「死ななきゃいい」
「…今の現状見て言える台詞かそれ」
バハムーンは呆れたようにため息をつくと同時に、ギルガメシュを抱え直す。
「とにかく学園に帰るぞ。あんたの親友が首を長くして待ってるんだから」
「……………」
「ギルガメシュ君はどう思うか解りませんけど……誰か頼れる人が側にいる事は、凄くいい事だって、私は思いますよ?」
「………………」
「誘ってくれるなら、私でもいいですけど」
セレスティアはそう言って微笑んだ。
その言葉を聞きつけたノームが「あなたは彼に気があるのですか?」と問いかけ、それを聞いた他の面々も笑う。
その時、セレスティアとしてはほんの些細な冗談だったのかも知れない。
だが、ギルガメシュという男に、その言葉は一筋の光のように見えた。
パルタクスに入学して以来、極力孤高の存在であり続けたギルガメシュ。だが、そんな彼に対して頼れる人に自分がなっても構わない、そう宣言した彼女の言葉。
セレスティアはもう覚えていないのかも知れない。
だが、6年に渡る学園生活の中でギルガメシュはそれを忘れた事は無い。
腕を磨き、4年生にして『学園最凶』と畏れられ、親友のマクスター共々生徒会に入って5年生では副会長、及び学年トップの成績を手に入れ、マシュレニアやランツレートでもその名を知られるようになった。
孤高の存在である事に代わりは無かったがそれでも友人と呼べる存在を多く創ったし、生徒会副会長としてそれなりに慕われ、後輩達からの信頼もそれなりに得ている。
いつの頃からか、彼女の姿を追うようになった。自分に道を示した彼女の姿を。
しかし、学園最凶と呼ばれても孤高の存在であった彼に、学園のアイドルに等しくなるほど美しくなった彼女に声をかける事を躊躇わせていた。何時の日か、何時の日か、と先延ばしにして、誤魔化していた。
自分らしくないとギルガメシュも思っていた。だが、勇気が無かった。側に行って、話しかけて好きだと言う。たったそれだけの勇気が出てこない。学園の誰よりも強い存在だと言うのに。
そんな自分が、情けなかった。
そして彼女をあっさり奪われた事が悔しかった。自分の方が、ディアボロスよりもずっと優れている筈なのに。
悔しかった。悲しかった。憎いと思った。
そして、そのディアボロスがディモレアの息子だと知った。
学園を震撼させた宿敵であるディモレアに、セレスティアの弟が殺された話は偶然知っていた。だから、敢えてディモレアの元へ向かい、ディアボロスがやってくるように仕向けた。
セレスティアがやってくるアクシデントはあった。しかし、それでもディアボロスにセレスティアを諦めさせれば、それで良かった。
卑怯だと思ってはいた。だが、彼ではセレスティアを幸せに出来ないと、そんな些細な話で解っていた。だからだった。
後悔は、しなかった。
ギルガメシュが喋り終えた時、遠くの方に夕陽が沈もうとしていた。
サラは黙っていた。マクスターも黙っていた。そして、ユーノがゆっくりと口を開いた。
「……マクスター。この一件、お前にも責任があるって事は解ってるな」
「……はい」
「けど、1番デカいのはギルガメシュ。やはりお前だよ」
ユーノの言葉に、ギルガメシュは視線をあげる。
「醜い。ああ、醜いよギルガメシュ。情けないって自分で解ってる。そして諦めきれない。そんな気持ちは、あたしにも解る。けどねギルガメシュ。お前のやった事は本当に醜い。
お前がどんな奴であれ、くっついた者同士を無理に傷つけ合わせたのは本当に醜くて、卑怯だ。平たく言えば、お前は最低だ」
「……………」
「ディアボロスがセレスティアに自分がディモレアの子供だって黙っていたのは本人に聞かなきゃ解らない。それがあいつら自身だけの問題で決着がつけば、それはそれで良かったんだと思う。
けどな、その問題を第三者であるお前が煽った挙げ句に火をつけちまったのが問題だ。ディアボロスを刺したのがセレスティアでも、そんな風にさせてしまったのはお前だ」
ユーノは淡々と、だが静かな怒りが刻まれた口調で言葉を続ける。
ギルガメシュは答えない。
「恥を知れ」
「………………」
「……どうするかは、お前が決めろ。ただ」
ユーノはギルガメシュに視線を合わせると、強い口調で続ける。
「人の恋を壊して、そうやって奪った恋愛なんかにまともな結末は待ってないよ」
ユーノはそう言い放つと、屋上から離れていった。
残された三人は顔を見合わせる。
「……どうするんだ、ギル」
「………………わかんねぇ」
ギルガメシュは小さく呟いて首を振る。そう、誰にだって、解る筈が無かった。
どうなってしまおうと、どうなろうと。どんな結末が待っているのか。
「…………おおっと」
ギルガメシュは何かを思い出したのか、屋上の片隅に拙い字で『立ち入り禁止』と書かれた看板の元へと向かった。
「どうしたんだ、ギル?」
「この前漬けた漬物がちょうど食べごろだと思い出した」
立ち入り禁止の看板の先には封をされた瓶が幾つも置かれており、それぞれ『梅干』『浅漬け』などと書かれた紙が貼られていた。ギルガメシュのささやかな趣味として漬物作りがあげられる。
「やれやれ、ギルらしいなぁ」
マクスターは苦笑しつつ呟く。答えに詰まった時や何かに悩んだ時、ギルガメシュは決まって漬物の事を話題にするのだ。
ギルガメシュは神妙な面持ちのまま封を開けた時、ギルガメシュは「げ」と呟いた。
「……どうした?」
「マック。福神漬けが誰かに喰われた。犯人を探すぞ! 俺の福神漬けを盗み食いしやがった奴を殴りに」
ギルガメシュがそこまで叫んだ時、屋上の扉が開いて2人の人影が顔を出した。
「ギルガメシュ、何を怒ってるんだ?」
戻ってきたユーノと、その後ろから現れたのは戦術担当にして、ギルガメシュやマクスターの担任でもあるライナ教頭だった。
「ギルガメシュ君、随分と大変な問題を起こしたものですね……あれ、どうしました? 怒っているみたいですが」
「ライナ先生、俺の福神漬けが誰かに盗み食いされまして」
「……その漬物は君のだったんですね。美味しそうな匂いにつられて屋上に来たら漬物が沢山あってちょうど食べごろな福神漬けがあったのでつい」
「だからといって一瓶全部食べ尽くす事無いでしょう! 福神漬けは俺の好物なのに! てか。明日から学食のカレーにつける福神漬けが無くなるじゃないですか!」
腹ぺこの呪いをかけられた為に常に空腹に悩むライナ先生はギルガメシュの怒声にもすました顔で「まぁまぁ。とても美味しゅう御座いました」と答えていた。
「そうそう、柴漬けも少し頂きましたけどギルガメシュ君、漬物屋でも始めたらどうでしょう? とても美味しかったですよ」
「進路として考えときます。で、何の用ですかライナ先生?」
「ああ、そうでした。忘れてましたね。ギルガメシュ君にお説教をしに来たんです」
ライナはギルガメシュの肩をたたくと、これまでない程の笑顔を向けた。
「今夜は眠らない事を覚悟してください」
ギルガメシュは天を仰いだ。
ずきり、と身体に痛みが走った。
ほんの少しだけ意識が戻り、ディアボロスはゆっくりと目を開ける。
見慣れた実家の寝室。窓から月の光が差し込んでいるあたり、時間は夜のようだ。
どれぐらい眠っていたのだろう。セレスティアはどうしたのか、先輩達は……。ディアボロスがそう思いつつ身体を起こそうとする、身体に再び痛みが走る。
「っ………」
ふと、すぐ脇の椅子に誰かが座っているのが解った。
暗闇に目を凝らすと、母親だった。目も閉じられ、頭が時折揺れていることから眠っているのだろう。
一晩中、すぐ側で看病してくれていたのだろう。
幼い頃に病を患った時も、母親は必死になって看病してくれたのを覚えている。
「母さん……」
「……ん? ああ、起きた?」
ディモレアは目を覚ますと、ディアボロスに視線を向ける。
「大丈夫?」
「大丈夫、だと思う……どれぐらい、経ったの?」
「ちょうど、1晩ぐらいね」
「そう、なんだ……」
ディアボロスはゆっくりと身体を起こしかけ、ディモレアは慌ててそれを止める。
「無茶しないで。まだ、傷口塞がりきってないわよ」
「……平気だよ。母さん、それより……」
「……なぁに?」
「ごめん……迷惑ばっかかけて」
「ううん、いいのよ」
ディモレアはベッドに横たわる息子を優しく撫でる。
息子が傷ついたのも、ひとえに自分が起こした惨劇が原因だと解っている。そう、息子は。
好きになった相手に、刺されてしまった。自分のせいで。
「……ごめんね。悪いお母さんで」
ディモレアは小さく呟いた。
「母さん」
ディアボロスは少しだけ声の調子を落とす。
「俺さ、もう……いいよ」
「え? 何がいいの」
「母さんが行かせてくれたけど……母さんにだって迷惑かかるよ、きっと。だから俺、もう学校辞めるよ。友達も、好きになった人も、もう要らないよ。
母さんにこんな心配かけすぎるの、俺、嫌だよ。もう、多分学校いられないだろうし……俺、もうパルタクス辞めるよ」
「……………」
ディモレアは絶句する。息子の言葉が、あまりにも意外すぎた。
けれども、納得出来る言葉ではあった。自分の事が知られた以上、息子が学園に残り続けると余計な問題も発生してしまうかも知れない。
だが……。
「いいの? それで」
ディモレアはゆっくりと口を開く。
「やっと手に入れた、好きな人なんでしょ?」
「……………」
ディアボロスは首を左右に振った。
「もう、いいよ。もう……」
忘れてしまおう、とディアボロスは思った。
何もかも、忘れてしまえば良かったのだ。そう、何もかも。友人も、恋人も。何も、かも。全てを。
屋上ではライナの説経がまだ続いていたが、もう夜も遅いからという理由でサラとマクスターはユーノと共に屋上から降りる事にした。
「………しかし、ギルガメシュの奴が嫉妬に狂った事するなんて、また意外というか意外だな」
「ああ見えて、ギルは結構熱い奴なんですよ。ユーノ先生。ところでそこでしっかり抱きしめてる瓶は?」
「ん? ああ、柴漬けをちょっと。酒のつまみにちょうどいいっつーか」
「……漬物作りはギルの数少ない趣味なんですから、後でどうなっても知りませんよ」
マクスターはため息をつき、サラは「ギルの漬物美味しいもんね。ご飯進むし」と言葉を合わせる。
ユーノが苦笑しつつ足を進めた時、「おろ」と呟いた。
「お前ら、そこで何してるんだこんな時間に?」
ユーノが声をかけた先に立っていたのは、ディアボロスのルームメイトのフェルパーだった。
「サラを探してたら、ここで見たって奴がいたから……」
「あたしに?」
フェルパーは頷くと、サラに真剣な顔で口を開いた。
「なぁ、あいつの家の場所、知らないか?」
「………えーと」
サラは迷う。確かに知っていなくも無いが、昨日の夜のディモレアから逃げてきただけに、もしかしたら下手に行けば殺されるかも知れない。
「やっぱりさ。皆、心配してるし……連絡取れないし。だから一旦家に行った方がいいかなって」
「彼のパーティ仲間は?」
マクスターの言葉に、フェルパーは返事をする。
「皆すっごく心配してる。何処にいるか解らないからって、あちこち探し回ってた奴もいたし」
「……噂については、聞いたか?」
「聞きましたよ。ユーノ先生。そしたら、バハムーンの奴が激怒して。『何で話してくれなかったんだ、俺らの事信じて貰ってないようなもんじゃないか』って。
びっくりですよ。まぁ、俺だって思いますよ。あいつがディモレアの子供だろうが、あいつはあいつで俺のルームメイトですから」
フェルパーの言葉に、マクスターとサラは顔を見合わせる。
「……彼、すっごく心配されてるんだね」
「ああ」
サラの言葉に、マクスターは頷くと、フェルパーの肩をたたいた。
「もう1日だけ」
「え?」
「もう1日だけ、様子を見てやろう。それから考えても遅くはない」
「……はい!」
フェルパーが去っていき、マクスターはため息をついた。
「さて、次はセレスティアの方だな。どうしたものか」
「……マクスター。何か考えた?」
「何も考えてない」
直後、マクスターの後頭部にユーノの拳骨が降ってきた。