夜が明けた。
「……ん……」
セレスティアが目を開いた時、ディアボロスは部屋の隅に置かれた椅子に座り、ただひたすらルー●ックキ●ーブを続けていた。
「……おはようございます、先輩」
「おはよう、ディアボロス君……。あれ? それ、何か変ですね?」
「え? ああ。通常の二倍の大きさなんですよ、これ」
本来3×3×3のルービッ●キュ●ブだが、ディアボロスが解いていたのは6×6×6面になっていた。通常よりも揃えるパターンが更に多くなり、難易度は跳ね上がっている。
「ディアボロスの男の子って、結構やってますね。それ……」
「ディアボロス男子のトレンドみたいなものなので。流行ってるんですよ」
「流行ってるんですか……」
ディアボロスの言葉に、セレスティアは苦笑する。元々彼がパズル好きだとは聞いた事あるが、まさかそこまで難解なものまで所持しているとは思わなかった。
「………それにしても、昨日はとても賑やかだったのに、静かですね」
「ええ……」
祭りの後の静けさ、というのだろうか。本当に、静かだ。
一昨日の夜は、悲しさと悔しさで一杯だったというのに。昨日の夜は幸せの絶頂にいた。
果たして、この差は何なのだろうとディアボロスは思う。
「………けど」
けれども、もうセレスティアを苦しめようとは思わない。彼女の泣き顔も、見たくない。
「よし、完成!」
「え? 完成……凄い、本当に6面全部揃ってる!」
「1晩続けた甲斐がありましたよ!」
ディアボロスはそう言って笑うと、セレスティアも拍手を送った。
そう、こんな風にセレスティアに恥ずかしくないような自分にならなきゃと、ディアボロスは思った。
「………ふふ、それにしても凄いですね。昨日の夕方まで、ディアボロス君、凄い暗い顔してたのに。そんなに嬉しそうにしてて」
「………そうですね。先輩のお陰ですよ」
正確には他の色んな皆の後押しがあったから、だけど。
もしも廊下でクラッズ達に会わなかったら、きっとパルタクスを退学して今はもうこの場にいなかっただろうから。
「……皆にも、感謝しないとな……」
ディアボロスは少しだけ目を閉じる。
同時に、ふと脳裏にギルガメシュの事が過った。
「あの、先輩」
「なんですか?」
ディアボロスは着替え始めたセレスティアの方を見ないようにしながら口を開く。
「ギルガメシュ先輩の事なんですけど」
「……ギルガメシュ君の?」
「はい……多分、先輩は納得してないだろうから」
あのギルガメシュなら有りえなくもない。ディアボロスはともかく、ディモレアの事を彼は決して許しはしないだろう。
だから次は、どんなカタチで動くか解らない。
「そう言えばギルガメシュ君、今どうしてるんでしょうね」
「停学処分になったとは聞きましたけど……でも、ギルガメシュ先輩は諦めないでしょうね。何があっても」
「………そう言えば、この前思い出したんですけど、ギルガメシュ君の事」
「え?」
セレスティアは恥ずかしそうに言葉を続ける。
「いえ、一年生の時にですね。ダンジョンで危なかったギルガメシュ君を助けた事があるんです。で、ギルガメシュ君は自尊心が強い人ですから、1人でパーティも組まないじゃないですか。
でも、私、そんな彼に『頼るなら頼ってもいい』なんて事を言ってたなぁって。もしかしたら、それが原因かも知れないですね」
「…………」
ギルガメシュ先輩、それはまた凄い思い込みでは無いでしょうか。
「……もしかして、ギルガメシュ先輩、6年間ずっと覚えてたとか」
「彼、結構頭いい人だから覚えてたのかも……」
ギルガメシュについての知識そのいちとして執着心が強いな、とディアボロスは思った。
何せ一年生の時に言われた事を覚えていたのなら相当な記憶力だ。
魔法球を使って学園に戻り、教師に見つからないように部屋に戻ってから数時間後。
ギルガメシュが目を覚ましたのは既に夕方になろうとしている時間だった。
「やべぇ、もうこんな時間か……」
徹夜でポーカーに興じていたのはいいが、どうやらその後眠りすぎたらしい。
身体を起こし、同時に脳裏を過ったのは。
サラの事と、ディモレアの事だった。
「ディモレア……」
前に先輩パーティ達が倒した時と、自分がこの前戦った時とはまるで違う。
そう、まるで先人達と戦った時に彼女は本気を出していなかったかのような。自分と戦った時こそが本番というか。
「……死ぬかもな、俺」
ギルガメシュは本気で戦えば自分が死ぬかも知れない、とも思う。今まで死を覚悟した事は何度もある。
だが、それは迷宮に中で追い詰められた時だけで、今、こうして次に戦う相手をイメージして死ぬかも知れないと思ったのは初めてだ。
首を左右に振る。
「バッカ野郎、何考えてやがんだ」
頭を軽く小突く。戦う前から死ぬことなんて考えてどうする。
「だよな、そりゃ負けたら死ぬよな……」
そして何よりも。ディモレアと戦う前に、ディアボロスを倒したいとも思う。
いや、そっちの方がディモレアも明確な殺意を持って向かってくるだろう。数日前、ディアボロスが刺された後のディモレアは文字通り凄まじいものだった。
再び世界の危機が戻ってきてもおかしくないほどに。
だがもし、自分が死んだら……サラは、泣くのだろうか。
「……サラ」
イマイチどうなのか解らない。いつも笑ったり怪しい笑みを浮かべたり教師を脅迫したりしている付き合いの長い下級生の事は。
けど、彼女の涙なんて、見たくも何ともない、とも思った。
「……クソ。俺もヤキが回ったか?」
頭を抱えそうになった。何で今さら、サラの事ばっかり?
けど、もし……。
サラが今でも自分に思いを抱いているなら。どうすればよいのだろう。
「……やっぱ言った方がいいか? 止められる可能性もあるな……」
だがしかし、それは男として言わなきゃいけない事なのかも知れない。
実家を飛びだした時、誰にも何も言わずに出ていった事とは違って。
「そういやぁ……」
幼すぎる妹は、周りの煩い幼なじみ達と元気にやっているだろうか。
資産家で故郷の町と同じ名前を付けられた娘とそれと張り合う少女、姉の旦那の弟で事実上の義兄弟になったバハムーン、ヒーローに憧れているおバカな毛玉とそれを心配する少女。
ほんの数年前の事なのに、凄く懐かしい気がする。
「………けど、あのままあそこにいたら、俺はパルタクスにはいなかったな」
ギルガメシュは昔の事を思い出してそう苦笑する。
でも、今はもう戻れない。何も知らない、ただ純粋で笑うだけで良かったあの頃に。
ギルガメシュは、もう戻れない所まで来てしまっているのだから。
「おい、ギル公。反省文は書き上がったか?」
夕食の準備が終わり、多くの生徒が食堂へと急ぎ始めた頃、彼女はギルガメシュの部屋を唐突に訪れた。
「誰がギル公だ。で、何の用だ? 風紀委員長」
学園の秩序を取りまとめる風紀委員会をまとめる風紀委員長のバハムーンは「来ちゃ悪いか」とばかりにギルガメシュに視線を向ける。
……ただ、彼女の身長は極端に低いのでギルガメシュを見上げるようなカタチになっているのだが。
「そりゃお前が反省文を書き上げたか見に来たんだ。風紀委員長だからな」
バハムーンはギルガメシュの机を覗き込むと、山と積まれた原稿用紙の大半が白紙である事に気付いた。
「なんだ、全然書いてないじゃないか」
「そりゃ三〇〇枚も出されればな」
「昨日1晩何してたんだよ、お前は……」
バハムーンはため息をつくと、ギルガメシュの机にペンや書きかけの紙が放置されたままなのを見てため息をつく。
「そもそも、今回の一件。お前が原因なのに何でお前は反省してないんだ」
「失礼な、少しは反省してるさ」
「ほう? なら少しは書き進んでいるべきじゃないのか? 生徒会の副会長として」
「肩書きは関係ねぇだろ」
ギルガメシュの言葉に、バハムーンはため息をつく。
「いや、要は他の生徒の模範になれって奴だよ……って言っても、お前は他の誰よりも不良っぽいけどな」
「やかましい。ああ、ついでに聞きたい事があってな」
「何だ?」
「遺書ってどうやって書くんだ?」
バハムーンはこの時、一瞬だけ文字通り全身真っ白になってフリーズしかけた。
「……はぁ? 遺書ぉ?」
「知らねぇならいいか」
「ちょいと待ちなさいギルガメシュ。遺書なんて書いてどうするの」
「死ぬかも知れねぇからな」
「!?」
バハムーンは思わずギルガメシュの首をひっ掴むと、思いきり前後に揺さぶった。
「今すぐ説明しろ! 何があったギルガメシュ!?」
「落ち着け、少し説明させろ」
「だーかーらー、その説明を要求し―――――はぐぅっ!?」
「よーし、これで頭は冷えたか?」
興奮したまま収まらないバハムーンに強烈な拳骨を叩き込んだ事で黙らせると、ギルガメシュは息を吐いた。
「あいつの母親がディモレアだっつー事ぐらい知ってるよな?」
「……ん、まぁそれは噂に……てか、事実なのかそれ」
「ああ。で、だ。ディモレア相手に一戦やらかす事にする。前に散々学園を脅かしたんだ。それが生きてたとなりゃ、それなりに大きな問題だ。解るだろ?」
「あ、まぁ、な……そりゃ、先輩達が倒したって言って、あたしらが安心して学園生活送ってた訳だし……」
ディモレアが討伐されて、学園の空気は本当に明るくなったのだ。
「……この学校をこれからも守る為さ。仕方ねぇのさ。けどな」
「………ディモレアを、倒すのかギルガメシュ?」
「ああ」
ギルガメシュの手が、珍しく震えていた。
「だからだよ」
「バカかお前は」
バハムーンはギルガメシュの頭を軽く小突いた。
「そんなんだったら遺書なんか書くな。自分から死ぬ心配させてどーする」
「……………」
「お前はそんな奴じゃない。だったらこの部屋に延々と閉じ込めてやる」
「…………悪かった。そうだな。死ぬこと考えるなんざ、俺らしくもねぇ」
まったく。随分と困った奴だな、俺も。
ギルガメシュは小さく呟いて笑う。
「勝ってくる」
「ちょっと待て、今から行くのか!?」
「バカ。準備に色々とあるだけだ」
ギルガメシュは部屋の扉を開けると、バハムーンに視線を向けて言葉を続ける。
「んじゃ、またな」
扉が閉じる。
「………あ。反省文……」
バハムーンは追跡をしよう、と思ったが諦める事にした。今、そんな事を言うのは無粋というものだ。
「ギルが逃げた」
その日の夕食後、職員室を訪れたサラはマクスターからそう告げられた。
「え?」
「だから言っての通りなんだ」
「……あのバカ、ディモレア相手に一戦やらかすって言って部屋から逃げたらしい。停学中なのに」
マクスターに続けて近くの席に座っていたユーノが頭を抱えながらそう呟いたが、ギルガメシュの担任であるライナは案外すました顔をしていた。
「まぁ、彼なりに何か考えているのかも知れませんね。……感心は出来ませんけど」
「だからと言って部屋から逃げ出すとは……ああ、そうだ。あのディアボロスにも伝えないと。ちょいと出て来ます」
ユーノが職員室を出ていき、職員室に残った教員達も「しかし彼もこの時期に」「処分更に重くなるぞ」と議論を始める。
ギルガメシュは成績で見ればかなり優秀な部類に入るので、実際彼の将来を期待している教師は多い。
「………ギル」
サラの脳裏に過ったのは、セレスティアがディアボロスを刺した夜に見た殺意と憎悪に溢れたディモレアだった。
ギルガメシュが如何に強いとはいえ、あのディモレア相手に1人で、とサラがそこまでイメージした時だった。
「風紀委員長の話によると、奴は遺書の作成まで考えてたらしいぜ」
「!?」
「おい、サラ?」
サラは思わず真っ青になり、マクスターが慌てて駆け寄る。
「……サラ、大丈夫か? 部屋に戻った方が……」
「……う、うん」
けれども、どうしようとサラは思う。
ギルガメシュとディモレアが戦っても、例え勝ったとしても無事ではすまないだろう。そしてディモレアを母に持つあのディアボロスもきっと。傷つくに違いない。
でも、ここの所ずっと。
ギルガメシュは誰かが傷つく事を望んでいるかのような。
元々強さへと執着はあったけれど、それ程までに強さに執着するのに何が彼を動かしているのか。それが解らない。
「サラ、部屋に戻ろう」
マクスターに支えられ、サラは部屋に戻る事にした。
「ありがと……」
「ぐっすり眠ればいい。とにかく、明日までに何とかする」
マクスターが部屋を出ていき、サラは部屋のベッドに座る。その時だった。
「マックはもう帰ったか?」
ちょうど扉からは死角になるクローゼットの前に、ギルガメシュが立っていた。
「ギル!?」
「あんま大声出すな、バカ。夜だぞもう」
「〜!〜!〜!」
とにかく言葉にならない声で、サラはギルガメシュの体をポカポカと殴る。
「……ディモレアと戦うって」
「マジだ。けど、その前にお前に言わなきゃならねぇ事がある」
ギルガメシュはサラのすぐ横に座ると、視線を向けた。
「お前には悪い事してた。本当に、すまなかった」
「……へ?」
「………………鏡、見てみろ。お前凄い顔してるぞ。お前にそんな顔は似合わないけど、そんな顔にしちまったのは俺なんだからな。少しは責任取らねぇと」
サラが慌てて手鏡を見ると、確かに普段無いような自分の顔が映っていた。
そう、そこには歳相応の。
「……死ぬかも知れないってのは本当だ。幾ら俺でも、今回ばっかしはな」
「………なら、今すぐにでもやめれば」
「けどな。家出た時に、どこまでも強くなるって決めた。だから、決めちまったからには引けねぇ」
「………ギルって本当にガンコだよね」
人の気持ちも知らないで、とサラが続けようとした時、ギルガメシュは口を開いた。
「ああ。だから約束させてくれ。必ず俺はお前の所に戻る。だから、俺が戻ってくるまで、待っててくれ」
「…………」
「約束する」
ギルガメシュの言葉に、サラは思わず戸惑う。
今までギルガメシュがそんな風に搾り出すような声で話してきた事は無かった。
けど、中身は本当にしっかりして、ずっしりして、重すぎるほどだった。
「……本当に」
「本当だ。俺は死なない。絶対に勝ってこの場所に戻ってくる。だからその時は」
「もう一度、俺の事を好きになってくれるか?」
ギルガメシュの誓いに近い言葉に、サラは少しだけ笑う。
「その返事は、帰ってきた時に答えるよ」
「……了解」
ギルガメシュも笑った。
思い残す事は、これで無い。
後は戦って、勝つだけなのだ。
戦いへの、扉はゆっくりと開こうとしていた。
To be NEXT Episode…『ディモレアさん家の決戦事情』