長く降り続いていた雨がようやく止んだが、代わりに顔を出した太陽は容赦なくパルタクス学園を照らしていた。
そしてこの日、パルタクス学園は前期試験の日程を全て終え、夏休みに入ろうとしていた。
「いやぁ、今日は暑いな、ギル!」
最上級学年の教室の扉から出たセレスティアの少年――――生徒会長のマクスターは副会長を務める親友ギルガメシュにそう声をかける。
「ああ、暑いなぁ……雨の次は暑さかよ、ったくよぉ、俺ぁ雨も嫌いだが暑さも嫌いだ」
「そりゃそうだ。暑さが得意な奴もそうそういないだろう」
ギルガメシュの言葉にマクスターはけろりとした顔で答える。試験が終わった、という独特のテンションの高さもあるのだろう。
「ところでマック。お前、部屋の掃除はしたんだろうな?」
「大丈夫だよ、ちゃんとした」
「ちげぇよ。この前床が抜け落ちたテメェの部屋じゃねぇ、生徒会室だよ」
ギルガメシュの言葉に、マクスターは視線をそらす。生徒会長であるマクスターの悪い癖、それは重度のネコミミマニアであるという事だった。
そしてマクスターの寮の部屋の床が抜け落ち、すぐ下のギルガメシュの部屋が大被害を被ったのは先日の事。床は修復されたがその際に出て来たネコミミグッズをマクスターは捨ててないだろうとギルガメシュは確信している。
そしてその行き先は恐らく、生徒会室だろう。
「ははは、心配するな……まぁ、キノコの一つでも生えているかも知れないが大丈夫だろう」
「待て、何でキノコが生えるんだ生徒会室に!」
「雨のせいだよ」
「………掃除しろよ」
ギルガメシュがため息をついた時、マクスターは「キノコの一つぐらいいいじゃないか」と口を開く。
「何せあのクリデに至っては頭にキノコが生えたんだぞ」
「何ぃぃっ!? おい、クリデ………って本当にキノコ生えてるじゃねーかテメェ!」
「何? 呼んだ?」
変態ヒューマン戦士のあだ名を持つクリデがギルガメシュとマクスターに振り向いた時、彼の頭上から見事なキノコが生えていた。
「お前、頭どうした頭!」
「え? ああ、これね。イメチェンだよ、イメチェン。ほら、俺がモテない理由ってこの天然パーマにあると思うんだ」
「天パのせいじゃねぇだろ、テメェの場合は女に見境なく声をかけるのが原因だこの変態が。ああ、あとあのセレスティアに手ぇ出したら……」
「死にたくないから安心してくれ。ほら、わりといい形しててイカしてると思わないか?」
「色といい形といいどう見ても毒キノコだろーが! いいから引っこ抜くからこっち来い!」
「いや、ほら頭だけじゃなくて身体にも生えてきたんだよ、ほら」
クリデが上衣を脱ぎ捨て、その肉体に生えたキノコを披露するが暑い夏の昼、校内の廊下で半裸になる彼の姿はどう見ても変態である。
「いいから引っこ抜け! その前に服を着ろ! そして死ね! 死んでも死ね!」
ギルガメシュがクリデに掴みかかり、文字通りキノコを引き抜きつつ足蹴にするという器用な行為を始めた。勿論、クリデは悲鳴をあげたがギルガメシュはそれを黙殺出来る男である。
何故なら彼はパルタクス最凶だからである。
「ところでギル」
マクスターは鞄からとりだした下敷きで自分を煽ぎながらクリデを足蹴にし続けるギルガメシュに声をかける。
「なんだマック?」
「ところで、そろそろだろう? 毎年夏の恒例、ハウラー湖畔花火大会」
ハウラー湖畔花火大会。毎年夏になると行われる、ハウラー湖畔で打ち上げられる花火は毎年多くの生徒達を魅了している。
同時に、それは大きな恋のチャンスでもある、祭りの日だ。年に一度のお祭りである。
「例の彼女に声をかけるチャンスじゃないのか?」
例の彼女、それはギルガメシュが密かに思いを寄せる美化委員長のセレスティアの事だ。
今は美化副委員長を勤める一学年下のディアボロスが彼女の恋人という事になっているが、ギルガメシュは先日彼の前で彼女を振り向かせてやると啖呵を切ったばかりである。
男子たるもの、啖呵を切ったからには実行しなければ男が廃るというものだ。
「まぁ、それもそうだな……けど、あのディアボロスと行くんじゃねーの?」
「別にいいんじゃないか? 何人かで行くというのもありだろうし………」
「……悪くねぇな」
確かに、単独で行くよりは幾人かで行くというのもアリだろう。それに、どうせ多くの生徒が花火見物に出て来るのだ。学園の秩序を守る為にも行くべきかも知れない。
「じゃあ、行くか」
「ああ、ならついでなんだ。サラとユマが浴衣を欲しがっててね。買いに行こうと約束したはいいが生憎と手持ちだけじゃ足りないんだよ。買い物に付き合ってくれ」
「…………ユマっつーと保健委員のあいつか……。まぁ、いいさ。俺も付き合うぜってお前なぁ! 金足りないならそんな約束するなアホ!」
「いいじゃないか、結果オーライだ」
「どこが結果オーライだよ!」
ようやくクリデを遠くへと盛大に蹴飛ばしつつギルガメシュが怒鳴り、マクスターは微笑みを浮かべて「じゃあ行こう」と親指を立てる。
ギルガメシュはそれを見て諦めたようなため息をついた。
「……そろそろ茹で上がるな」
学生寮の一室で火にかけられた鍋の様子を見たディアボロスの少年はそう呟いた。
美化委員会副委員長。錬金術士学科所属で闇の魔導師ディモレアを母親に持つディモレアさん家の息子さんである。
「試験が終わるとメシ創る余裕があっていいなやっぱ……」
「それはそうとして茹で上がったのか、ディアボロス?」
彼の呟きに口を挟んだのはルームメイトのフェルパーの少年である。部屋の真ん中にあるテーブルに皿と箸の用意をし終えて、どうやら食べる準備は万端のようだ。
「ああ、出来たぜ。見ろよ、これ」
「わお。これは見事な……極彩色のそうめん」
ディアボロスが抱えた鍋の中で茹でられていたのは赤、青、緑に紫、橙、黒、黄色と見事に極彩色のそうめんだった。
「なんか強烈に旨そうに見えないんだが」
「仕方ないだろう。この前ルー●ック●ューブを貸した一年生のクラッズの女の子がマシュレニアの新名物だって言ってくれたんだから。食べない訳には行かないだろ」
「あいつこの前土産物屋の前から離れないと思ってたら……こんなの買ってたのか」
フェルパーは心当たりがあるのが渋い顔をする。
「……あの一年、お前のパーティだったのか?」
「ああ。ウチのパーティは学年混合だからな……お前のトコみたいに一学年で統一されてるのが珍しいだろ」
「まぁ、それもそうか……。ほい、つゆ」
「ありがと」
ディアボロスとフェルパーはテーブルに座ると、皿に山と盛られた極彩色のそうめんを啜る。
「……不味いな」
「ああ、不味い。その生姜取ってくれ」
「海苔でも入れてみるか? 少し変わるかも知れない」
「なら天かすも入れてみるか……あ、天かすもう無いな。隣りから借りるか?」
「隣りの奴が天かすを持ってるとは限らんだろ……まぁ、行ってくるけど」
フェルパーが立ち上がり、部屋を出て隣りへと向かう。ディアボロスはそうめんに嫌という程の生姜を入れていると、フェルパーの机の上にある一枚のチラシに気付いた。
『夏の風物詩 ハウラー湖畔花火大会のお報せ』
「ああ、もうそんな時期か……」
ディアボロスはチラシを摘み上げながら呟く。毎年夏に行われるイベントだがディアボロスはあまり参加した覚えはない。
パーティの仲間に誘われて行きはしたが女子の財布係だったり荷物持ちだったりとあまりイベントとしての感覚は無かった。だが。
「今年は先輩がいるからな……」
先日、密かに好意を抱いていた恋が成立して晴れて美化委員長のセレスティアと恋仲になった。
だが先輩はもうすぐ卒業である。そして告白した際、短い間でもいいからと言ってしまったし、マクスターからも「学園生活の思い出」をと言われている。
誘ってみるのも悪くないかも知れない。ディアボロスはそう思っていた。
「天かす貰ってきた……ついでに隣りの奴も食いたいって」
ドアが再び開き、ルームメイトのフェルパーが顔を出すと同時に、隣りの部屋の住人であるエルフと告白イベントでノームに対し三秒で玉砕したヒューマンが顔を出した。
「おっす。おお、見事な極彩色のそうめん」
「これはこれは……また奇っ怪なもの食べてますねぇ」
「よう……待ってろ、つゆと箸用意するから」
ディアボロスが人数分の箸とつゆを用意する間、フェルパーはそうめんに天かすを山ほどぶち込みつつ、先ほどのチラシが動いてる事に気付いた。
「ああ、それ読んでたのか?」
「ああ」
フェルパーの問いにディアボロスが答え、エルフとヒューマンもチラシを覗き込む。
「ディアボロスは今年はどうするんだ? パーティの連中と行くのか?」
「いや、委員長を誘ってみたいと思う」
「わーお、委員長越えを達成した男、やるねぇ」
「おいヒューマン、お前の口に大量の生姜をぶち込むぞ。そういうお前らはどうするんだ?」
「まぁ、僕は同じパーティのフェアリーさんと行く予定です」
「俺はパーティ皆で行く予定」
「………俺だけかよ1人はよぉ……」
ヒューマンが頭を抱え、フェルパーが元気出せと背中を擦る。ただしヒューマンが抱えたつゆの中に大量の生姜を突っ込んでいたが。
「夏の風物詩ですからねぇ。まぁ、明明後日ですからまだ余裕あるでしょう。誘ってみては如何ですか?」
「それもそうだなぁ」
「俺も委員長を誘いに行く」
「……ところでディアボロス。お前、さっきから黄色い麺しか喰ってない気がするんだが」
「赤とか緑のそうめんは確かにあるがここまで極彩色じゃねぇからな」
「待て待て待て。紫とかどう見ても毒々しい色じゃねーか! 俺に処分させるのか!?」
「いや処分してくれる奴いるだろ? ヒューマンが」
「「あ」」
「そこで納得するなよ2人共ってうぉいフェルパーもエルフもなにをす」
哀れなヒューマンは大量に残る極彩色のそうめんをフェルパーとエルフの手によってつゆも無しに流し込まされる羽目になった。
試験最終日にジョルー先生のお世話になるとは哀れである。
「………あ」
「ああん?」
ルームメイト達と別れたディアボロスがセレスティアを探しに食堂まで来た時、会いたくない人物と遭遇した。副会長ギルガメシュである。
「………こんにちは、先輩。試験、どうでした?」
「まぁまぁだな……テメェは?」
「まぁ、そこそこは」
ディアボロスはそう答えると、とにかくセレスティアを探すべく視線を逸らす。それを見逃すギルガメシュでは無い。
「どした? 目が泳いでるぞ」
「……美化委員長を探しに来たからですよ。先輩と世間話する為に食堂に来た訳じゃないですし」
ディアボロスはそう答えると同時に、セレスティアの姿を発見した。向こうも2人の存在に気付いたのか、顔を上げる。
ディアボロスがセレスティアの方に向かおうとした時、ギルガメシュも同時に歩きだした。同じ方向に。
「先輩、何で真似するんすか」
「俺もあいつに用があるんだよ」
「俺の方が先ですって」
「勝手に順番決めんじゃねぇ」
「……2人とも喧嘩しないでください、どうしました?」
ディアボロスとギルガメシュが押し合いへし合いもみ合いながらセレスティアの元へ辿り着くと、彼女は首を傾げながら口を開いた。ある意味2人が喧嘩しながら同時に接近してくる理由が解らない。
「ああ、実は頼みたい事があるんだ」
「俺がこんな事言うのもなんだがな」
「「ハウラー湖畔花火大会に、一緒に行こう」」
文字通り、同時に口を開いていた。
そして同じ理由。ギルガメシュとディアボロスは思わず視線を合わせる。
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙する、三人。
セレスティアと一緒に昼食中だったセレスティアと同じパーティの仲間達も思わず沈黙。
「……なぁ、ギルガメシュ。ちょっといいか?」
セレスティアと同じパーティのヒューマンが口を開き、ギルガメシュが視線を向ける。
「なんだ?」
「一応……セレスティアはディアボロスの恋人って事になるんだから、お前が誘っちゃマズいんじゃねぇの?」
「何でだ?」
「いや、そう言われても他人の恋を横取りするというのも」
「俺だってこいつが好きだ」
ギルガメシュは見事な迄にきっぱりと言い切る。
「……お前、あれ本気だったのかよ」
「冗談で言える事だとでも思ってんのかテメェ」
「……まぁ、言えないな」
ギルガメシュの声に怒気が混じり始めた時、ギルガメシュの背後に釘バットを持った人影が現れた。
「ギル〜、いつまで待たせてるの? 会長が待ってるからさ、ほら遊んでないで」
「あ? ああ、サラか……なんだその釘バット」
「乙女の嗜み」
「釘バットのどこが乙女の嗜みだよ!?」
サラは釘バットで素振りを一回した後、セレスティアに視線を向けた。
「ごめんね、ギルがまた何か言ってた?」
「え? ええ、まぁ……」
「おい、サラ」
「ほら行くよギル。じゃあ、頑張ってね〜」
サラはギルガメシュを半ば引き摺るようにして引っ張ると、釘バットを片手にしたまま食堂を出ていった。
「学園最凶が年下の女子に引き摺られる構図ってなんなんだが……って、うわ、戻ってきやがった! すまんギルガメシュ、別に悪口でもないからやめ」
ヒューマンが言葉を最後まで言い終わらないうちにギルガメシュの強烈な拳骨がクリーンヒットし、そのまま床に叩き付けて蹴りを連発する。
「だーかーらー!」
再び戻ってきたサラがギルガメシュの後頭部に釘バットを振り下ろして昏倒させた。
「……はぁー」
「サラ、お前苦労するんだな……」
ディアボロスの言葉にサラはため息をつく。
「まぁね。本当にさ……てか、ギルがこうなっちゃったの、あたしのせいでもあるかも知れないんだけどね……」
「え? 何で?」
「いや、君と委員長をくっつけた間接的な原因ってあたしが君に聞いたからじゃない?」
確かにそうだ。ディアボロスがサラに半ば脅迫的に喋らされ、それがタークへ、マクスターへと伝わってあの一大イベントである。
結果的に成功したはいいが、ギルガメシュ個人が美化委員長の事が好きだと言っていた以上、ある意味ギルガメシュには面白くない話だろう。そして何よりも。
「大体、サラってギルガメシュ先輩と付き合ってたんじゃ?」
「うん、そうだね。けどね………好きって言ったはいいけど、その後あたしの方から振っちゃったんだよね」
「うわぁひでぇ」
「あたしとデート中に他の女の子の事考えてたからね。けど、まぁギルらしいと言えばギルらしいけどね」
「………………」
孤高の男ギルガメシュがサラと付き合った、というニュースは学園内では語りぐさだがその後の展開を知る者は殆どいない。2人とも話さないからだ。
告白したのはサラだが、別れ話を切り出したのもサラ。
「………その他の女の子が、私だったのですか?」
「かもね」
セレスティアの言葉に、サラは寂しそうに呟いた。
ディアボロスはその時、初めて気付いた。どうしてサラが自分とセレスティアの恋を後押ししたのかという事に。
「……なぁ、サラ。お前ってもしかしてさ。まだ、ギルガメシュ先輩の事好きなのか?」
「さぁね」
彼の言葉にサラはそう答えた。
「ま、ともかくあたしは出掛けるからさ。マクスターとユマが待ってるし」
サラはギルガメシュの襟首を掴んで引っぱり上げ、そのまま去っていく。
「………………」
「………………」
セレスティアとディアボロスは思わず顔を見合わせる。
ギルガメシュが好きなのはセレスティアだが、ギルガメシュを好きなのはサラだ。もし、サラがディアボロスのセレスティアへの好意を知らなかったら。
サラがギルガメシュの事を諦めていたら。
あまり想像したいとは思わなかった。
「………どうしたもんかな」
ディアボロスは、思わずそう呟かずにはいられなかった。
「……花火」
セレスティアが口を開き、ディアボロスは視線をセレスティアに戻す。
「え?」
「花火、一緒に行きましょう?」
セレスティアは、そう言ってにっこりと微笑んだ。そう、今は。
今は、彼女との恋がまだ続いている。今は、そっちに専念するべきだとディアボロスは思った。