マシュレニア学府の卒業式が終わった後、エドワード、ディモレア、カガリの三人は歴史上から一時的に姿を消した。
あくまでも表向きの歴史書からである。事実、卒業直前まで彼らの側にいたパーネとダンテはその先がアイザ地下道の先だという事も知っていた。
そう、三人は誰も踏み込まない地であるアイザ地下道の先を、新たな拠点として選んだ。
誰も踏み込まないが故に、誰にも知られない地。
まるで人目を避けるかのように。
「…………くぁー……」
適当な部品を錬成して作っただけの掘っ立て小屋から大規模な実験施設をも兼ね備えた研究所へと錬成し直すのに、エドの腕前にとっては大した労働では無い。
自分が作ったとはいえ、大したものだとエドは思う。
三人で住むには広すぎるような気もするが、それだけの規模でも無ければ魔導師と錬金術師の二人が同時に研究など出来ないだろう。
エドは大きく伸びをすると、内装を確認するべく中へと入る。
地下道や迷宮の出入り口には大抵街が形成されており、それは大きな規模にもなりうるがそれらの街にもひけを取らない広さ、というより街が一つそのまま中に入りそうな広さである。
「……好きなだけ実験出来そうだな」
「それより前に見取り図が必要よ」
エドの呟きに背後から声が響く。
「ディモレアか」
「なかなかやるじゃない。いい感じに出来てるとは思うわよ? でも、見取り図無いとカガリが困るわよ」
「ん? ああ、そうだな」
カガリは地図を作りながら進むというタイプでは無いので道しるべや地図が無いと確実に道に迷って行き倒れかねない。
エドやディモレアは例え迷ってもそこが迷宮や室内であれば壁を壊すなり錬金術で地形を変えるなりして進めるがカガリには出来ないのである。
「で、ディモレア。お前はカガリと一緒に買い物に行ったんじゃないのか?」
「行ってきたわよ? で、帰ってきたらこうなってたからアンタを探しに来たの。中の構成解るのアンタだけでしょ?」
「あ、そうか」
ディモレアとカガリが必要な物資を買いに外に行った時はまだ掘っ立て小屋のままだったので確かに中を知る筈が無い。
「で、カガリは何処にいるんだ?」
「外で待ってるわよ? 後、風吹いてきたから早く入れてあげないとマズいわよ」
道そのものは決して複雑ではないのでエドはすぐに外へと出ると、山と積まれた荷物の中でカガリはうずくまっていた。
「! おい、カガリ?」
「ん? ああ、エド殿か……心配するな、少し疲れているだけだ」
カガリはエドの声を聞くなりすぐに立ち上がると、山と積まれた荷物を担ぐ。
「大丈夫か? 無理そうならやっておくが」
「なに。案ずるな。これでもお前達よりは体力があるつもりだ。侍学科だからな」
エドが止める脇でディモレアは可笑しそうに少し笑うと、自分も荷物を担いだ。
「カガリ、馬鹿にしなくていいわよ。こいつは無いけどアタシは体力あるから」
「おい、ディモレアそれはどういう」
エドが最後まで続けるより先にディモレアは山と積まれた荷物の中から牛乳の瓶を取り出し、エドの口へと押し込む。
まるでそれでも飲んで待ってなさいと言わんばかりに。
エドが黙っている間に二人は荷物を担いで中へと消えていき、エドが一人残された。
「……………俺、牛乳は嫌いなんだけどな」
とにかく牛乳を飲みつつ、カガリになるべく無茶をさせないようにしないととエドは考えていた。
そしてエドはその頃、卒業前にカガリと寝ていた事をすっかり忘れていた。
当面必要な物資を倉庫に運び終え、防衛用のセキリュティ代わりに罠を仕掛け、カガリが道に迷わないように詳しい地図を作成し、とその日一日でやれるだけの仕事を終える頃にはとっくに日も暮れていた。
適当につまめるものをつまんだだけの夕食の後、それぞれの私室で休むか、というエドの言葉に二人が頷き、それぞれが部屋へと戻っていく。
そしてエドも、作ったばかりの自室へと戻った。
「……ふぅ。くそ、自分の研究所を造るのがこんなに忙しいとは思わなかった」
マシュレニア学府にいた頃は大規模な実験こそ出来ないものの、研究に必要な素材や資料も揃っていた。
しかし、卒業して独り立ちした今では素材集めこそ在学中も行っていたが器具作成や資料集めも自力で行わなくてはいけない。
そして自分一人ではなく、ディモレアの分も集めなくてはいけない。
何せ、今の二人は研究仲間なのだ。協力し合わなくては互いに精進する事も難しいだろう。
「……にしてもな」
そして、そこで疑問に思う事がある。
カガリは何故自分達についてきたのだろう。
マシュレニア学府は術士系に力を入れているとはいえ、それでも冒険者養成学校であるから術士系以外の学科も存在はする。
そして、術士系以外の生徒は大抵は冒険者となる事を選ぶ。最近は冒険者以外にも騎士団や衛兵隊、術士系であれば今のエドのように研究者やはたまた国家付きの研究員や学者になる事だって出来る。
最近の就職事情は厳しいらしいが術士系学科はまだマシな方だと言える。
カガリの腕前ならば、冒険者として期待のホープと言っても過言ではないレベルだろう。それなのに、何故一銭にもならないエド達と共に来る事を選んだのか。
「……カガリは、俺達と一緒にいるのがいいのかな」
そう考えるのが自然なのだろうか。でも、それで、本当にカガリは良かったのか?
本当は、このアイザ地下道を踏破した時のように、俺達と一緒に冒険したかったんじゃないか?
けど、今の俺達は―――――。
「ええい、何考えてやがる」
エドは自分の頭を軽く小突く。
今さら後悔して何になる。研究者として、錬金術士として、錬金術を更なる高みに――――俺はその為に。
いや、それよりも。
エドはベッドから立ち上がり、整理が終わっていない荷物の山の一番上、厳重に梱包された小箱を手にとった。
梱包を一つ、また一つと解いていく中で、手が震えているのが解った。
そりゃそうだ。こんな所で下手に暴走させたら命がないに決まっている。
「……………」
アイザ地下道で見つけた、紅の石。
錬金術であろうと魔術であろうと、その全てを増幅する。
「こいつを見つけてからだよな……」
エドが錬金術で、破壊と創造について考えるようになったのは。
共に精進する。
ディモレアとそう約束して、卒業後ここに移ってきたまではいい。
世界を壊す事じゃなくて、世界を救うと約束した。
でも。
「……この力を借りたとしても、どこまで行けるかが気になるんだよな」
何せ一度でもその力を知ってしまったからには。
世界すらも壊せると気付いてしまったからには。
でも、それは。
裏切り。
今、この場所に辿り着いた仲間達への。
「……………」
小箱を、もう一度だけ閉じ、そしてもう一度開いた。
紅の石が変わらぬ輝きを放っていた。
「それ、持ってきてたの?」
いきなり背後で声が響き、エドは文字通り飛び上がる程驚いた。
慌てて背後を振り向くと、シャツと短パン一枚という女子の寝巻きにしてはワイルドな、ついでにいうとかなり薄着のディモレアがエドの手元にある石を覗き込んでいた。
「な、なんだよいきなり……」
「別に。なんとなく来てみただけよ。部屋、隣りだし」
規模が大きいにも関わらず、三人の部屋が隣接し合っているのはやはり側にいた方が落ち着くからかも知れない。
それはその分、下手に騒げば隣りに筒抜けだという事でもある。
エドが考え事をしながら独り言をしゃべっていたのを聞きつけたのかも知れない。
「それ、確かこの前隕石呼び寄せるのに使ってなかった?」
「ん? ああ、そうだな。それだけの力はあるな」
ディモレアの言葉にエドはそう答えると、小さく首を振る。
「……下手に捨てて悪用されるってのも悪ぃしな。ただ……どうしたもんか迷ってたりはする」
「そもそもそれ、何処で見つけたのよ?」
「アイザ地下道だ」
「へぇ?」
その意外な場所にディモレアは驚きを隠さないで呟く。
「アイザ地下道は未だによく解ってない所が多いからかしら? 錬金術や魔術を増幅する石が産出するなんて知られたら大変な事になるわよ?」
「だろうな。それこそ、ろくな連中が集まらん。おおかたそれぞれ身勝手な事にしか使わないだろうさ」
強大な力を持つ事は、その力を使う責任が伴う。
その力を全て自分の為だけに使うのも決して、道理としては通っていないわけではない。問題はその力で何をするかだ。
「でしょうね。アンタがここに来たいって言った理由、それを誰かに使わせないため?」
「それもある。でも、そうは言っても俺もこれを持て余してはいるけどね……」
何せ、この物体そのものが構築式を有しているようなものだ。
錬金術や魔術をちょっとかじっただけの者が使っても膨大な力を発揮出来るだろう。
「……………まぁ、でも、これだけ大規模な施設作ったんだから、研究用にはいいんじゃない? アタシにも使わせてくれる?」
「そのうちな」
暴走の危険でも無ければ、の話だが。
エドは小箱の蓋を閉じて備え付けの机に慎重にしまうと、ベッドへと向かった。
その後ろに、ディモレアが続く。
「……部屋に戻らないのか?」
「気になることが少しあってね」
ベッドの隅に腰掛け、エドに視線を向けつつ口を開く。
「カガリの事よ」
「カガリの?」
エドが首を傾げると、ディモレアは顔をずいとエドに近づける。
「アンタがあの子をどう思ってるか知らないけど、あの子……アンタの事、意識してると思うわよ?」
「お前じゃなくてか?」
「んな事はどうでもいいわよ」
「おいおい……」
何回目かになる似たようなやり取りだな、とエドは思いつつベッドに座り直す。
すぐ隣りにディモレアが座る。本当にすぐ近くである。
息が届くほどの、距離。
その時になってエドは自分の中で鼓動が速くなるのを感じた。
いつの間にか、こうやってすぐ近くにいるのが恥ずかしい。でも、側にいたい。
出来れば、こうやって自分の事だけを見て欲しい。ずっと、ずっと。
エドがそんな事を考えていると、ディモレアは口を開いた。
「アンタはどう思ってるの? カガリの事」
「…………」
エドはすぐには答えられなかった。
あの日の夜――――確かにカガリを抱こうとした。でも、あの時既に、エドの興味は、ディモレアの方にあった。
すぐ脇にいる、息が届く距離の彼女に。
昔嫌いで、色んな出来事の果てに気がつけば気になっていて、一緒にいるのが嬉しくなって。
側にいると恥ずかしいけれども、それでも一緒にいたくて。
カガリよりも、目の前にいる彼女の方が気になる。
「答えてよ」
「…………あの日、カガリを抱いてたのは……カガリが訪ねてきてからだ。俺が、アイザ地下道に、行こうとしていたのに気付いていた。あの頃俺が考えてた事に……。
世界をやり直そうとしてた事に、真っ先に気付いたのはお前だけど。カガリも言わないで気付いていたさ。だから、あの日訪ねてきたんだ」
その時の自分と今の自分は違う、とエドは思う。
だがしかし、今でも時折このままの世界でいいのかと思う時もある。自分に手を下す力があるのに、このまま燻らせておくのかと。
でもその度に考え直す。
あの日、カガリは。
「俺を止めに来た。俺が世界を壊す権利など無いってな。そう考えてみりゃそうだ。俺達は神様じゃない。ただ一人の、錬金術士さ。破壊と創造の中で悩んでただけの。
破壊と創造のどちらが先かを考えて。創造の方を望んでたのに破壊の事を考えてた、な」
「…………破壊と創造のどちらかが先ねぇ……そんなの決まり切った事じゃない」
ディモレアは呆れたように口を開く。
「創造する方が先に決まってるでしょ。ものが無きゃ破壊なんか出来るわけが無い」
「……………」
黙り込んだエドに、ディモレアは更に言葉を続ける。
「だって……創造が無ければ、アタシ達だって存在すらしないわ。この世界が創造されなければ、今、この世界も無い。
そして世界を作った誰かさんが創造したから、破壊だって有り得る。でも、それはアンタの役目じゃない」
「…………」
「破壊も創造も、確かにアタシ達が出来る事の一つではあるけれど。世界だけは、アタシ達に手出し出来るものじゃない。この世界をアタシ達みたいに生きてる連中がどれだけロクな連中じゃないとしても。
この世界はアタシ達のオモチャじゃないから。アタシ達に許された―――――魔術とか錬金術で出来る限りなんとかして、それでどうにもならなくてもどうにかなるように頑張るしかないのよ。
それしか出来ないぐらい、アタシ達なんて小さい存在なんだから」
「……………」
「アンタだって、それぐらいは解ってるでしょ」
自分が世界と比べてどれだけ小さくて、無力な存在かという事を。
ディモレアは続けなくても、そう言っていた。
「……ああ」
解ってるさ、それぐらい。
でも、だからこそ自分にどこまで出来るかと思うのが、エドワードらしさでもある。
「俺は結局……自分で決めて果たせなかった事に未練を残し続けてたのかな……」
「でも、それは果たさない方がいい事だと思うわよ。アンタがどんな思惑でも―――――他から見ればただの極限の破壊でしかないんだから」
エドの呟きに、ディモレアはそう答えた。
「………………そうか」
「………………そうよ」
「………………なぁ」
「………………なに?」
すぐ隣り、ほんの少しだけ首を曲げてエドはディモレアを見ながらゆっくりと口を開く。
「俺らは……色々あったよな」
「ん? まぁねー。アンタとクレパスに落ちた事もあったし」
ディモレアは懐かしそうに「あはは」と笑う。
その時初めて、すぐ届く距離にいた。あの時と同じように、手を伸ばせば届く距離に、いる。
初めてキスをした事も憶えている。暗闇の中、弱り切った彼女を手にかけようとした唯一の記憶。
でもあの時、お互いに拒否をしようとはしなかった。
あの時からずっと、二人は出来る限り一緒にいるようになった。最初はなし崩し的に、続けて仲間として、そして最後に――――。
「あの時、俺さ……お前に、キス、したんだよな……」
「え? ああ、そう言えば……」
ディモレアは少し恥ずかしい事を思い出したのか、慌てて視線をそらす。
だがエドはその視線を追い掛けていた。
「あの時の続き」
「してもいいか」
「え?」
ディモレアが答えるよりも先にエドはディモレアの身体を抱き寄せ、ベッドに押し倒していた。
「エド……?」
そう呟いたディモレアの口を塞ぐ。
学生の頃から豊満な彼女の肢体に、本人も気にしている小さめの体格のエドはアンバランスに見える。
しかしエドはディモレアに覆いかぶさるようにベッドの上へと上がり込むと口の中へと自らの舌を出した。
ねっとりとした唾液が唇の間から溢れる程、深い接吻を交わす。
雫を引いて唇が離れた時、エドの手はディモレアの身体へと伸びる。
「………下着、付けてないのか?」
「……ね、寝るだけだったからね……」
恥ずかしそうにディモレアが呟く中、エドはシャツをまくりあげ、上へとずらしていく。
シャツの下の、豊満な乳房が露になる。
学生だった頃、ディモレアの豊満な乳房に憧れを抱く男子はそれなりにいた。何せ従弟であるダンテですら気になると言っていたのを聞いた事があるぐらいだ。
その乳房を、ゆっくりと揉み下すと、ディモレアは小さく声をあげた。
普段まず出さないような―――――あえて言うならクレパスに落ちた時に見せた弱みのような、そんな感じのする声にエドは少しだけ笑む。
「おいおい、お前そんな声出せるのか?」
「アンタが出させて……るんじゃない……」
何度か揉み下した後、視線はまくったシャツからその下の、短パンへと移る。
ゆったりとした感じだった短パンは汗で張り付き、ちょうどその下に在るパンティの形ですら見えるほどだ。
エドは小さく口笛を吹く。
胸を揉み下していた手を身体をなぞるように下へとスライドし、短パンのホックを外す。
外された短パンが足へとずれ、汗と何かで濡れたパンティが露になる。
「……で、何で濡れてるんだ?」
楽しそうに言い放つエドの言葉にディモレアは答えない。
ただ、ベッドの上に投げ出されていた両手をエドの背中へと回した。
無言の、サイン。
その日、エドはディモレアを初めて抱いた。
「……んっ…………」
ディモレアも処女では無いのか、挿れた時に特に出血は無かった。
エドの分身はやはりその体格に似てあまり大きいものではなく、奥まで特に抵抗も無く入ってしまった。
「……ここまで抵抗無く入るってのも珍しいな」
「アンタだからじゃない? でも……それでも、アンタが中にいるって解るわよ……こう、目を閉じてても」
目を少し閉じたディモレアはそう呟く。
「アンタと今一緒になってるのって……なんか不思議ね」
確かにそうだな、とエドは思う。
ほんの一年前までは思ってもいなかった。嫌いだった。この世界ごと壊してしまうかも知れなかった。
でも、今、実際にしている事は―――――。
今、目の前にいる彼女を愛している事。
「ぁ……んっ……!」
奥へと届くように、エドは少しだけ腰を振る。
先端が奥に触れ、ディモレアが小さく声をあげる。それほど大きくは無かった分身が彼女の中で強くそそりたち、すぐにでも精を放ちそうな状態にまで来ていた。
「あんっ……んむっ!?」
ディモレアの上へと覆い被さり、エドはその胸を舌で刺激していく。
下で繋がっているだけでなく、胸への刺激も銜えてディモレアは少しだけ意識が遠のきかけた。
「…ぁ……んぁ………ん」
「っ……出す、ぞ」
その直後、エドが力強く腰を打ち付け、同時に先端から熱いものがディモレアの中へと吐き出される。
ディモレアが意識を持ち直したのか、手を伸ばしてエドの背中に手を回す。
自らの胸へと顔を埋めているエドの額に接吻をし、その温もりを確かめるかのように舌を伸ばした。
性を交わしたのは二人とも決して初めてではないが、まるで特別な事でもしたかのように思っていた。
その理由は、二人はまだ気付いていない。
でも。
お互いの中で、それぞれが特別な存在であるという思いだけは、更に大きくなりつつあった。
そう、彼女の事を差し置いて。
その扉一枚向こうに、カガリがじっと息を潜めていたのを二人は気付いていなかった。
最初にその異変に気付いたのはディモレアだった。
「……ねぇ、カガリ?」
「なんだ?」
研究生活を始めてはや二ヶ月ほど、カガリがようやく道に迷わなくなったある日の朝。
ディモレアがカガリの用意した食事が明らかに前よりも増えている事に気付いた。
「最近、食べる量増えた?」
「にゃうっ」
文字通り痛い所を突かれたのか、カガリは尻尾を逆立てて驚く。
「……この年になるともう胸より腹に行くわよ?」
「む……、で、ディモレア殿ほどスタイルが良くないのだ。別にかまわんだろう。私はまだ伸びる!」
カガリはそう言って胸を張ると、山と積まれた朝食に取り掛かる。牛乳やらおにぎりやらを両手で食べていくその姿は普段のカガリとは大分かけ離れていた。
「……後で太っても知らないわよ? フェルパーは素早い種族なのに鈍くなってどうするのよ」
ディモレア個人として彼女を心配した警告だったのだが、何故かカガリは食べていく手を止めた後、コップを掴む。
「ふにゃー!」
珍しくカガリが癇癪でも起こしたのか、手にしていたコップをぶん投げ、ディモレアが投げられたコップを回避する。
そして扉が開き、寝惚け眼で顔を出したエドに直撃する。
「ふごぉっ!?」
「あ、すまないエドワード殿」
「朝から何やってるんだお前ら?」
とりあえず飛んできたコップを拾ったエドが椅子に座ると、ディモレアがすぐに口を開いた。
「いや、カガリが食べる量増えたから太るわよって言ったんだけど……」
「ディモレア殿のようにスタイルを良くしたいだけだ」
「…………」
エドはカガリとディモレアを見比べた後、ため息をついて口を開いた。
「あのなぁカガリ」
「なんだ?」
「人はスタイルじゃないぞ」
「……………」
「ついでに言うがお前が俺に言った事だぞ」
相も変わらず学生時代からあまり身長が伸びてないエドはそう言って胸を張る。
「………………」
「ま、でもぶくぶく太るよりは今のままの方がいいが」
エドがそう口を開いた時、文字通りカガリは椅子を蹴飛ばして立ち上がった。
「……そうか解った」
「……カガリ?」
「それでエドワード殿がディモレア殿を選んだとしても文句は言えないと言う事か」
珍しい事だ、とエドは思った。
カガリが滅多に無い自己主張を、強い口調で言っている。
「ちょい待ち。カガリ、話が見えないんだが」
「…………エドワード殿?」
カガリの額に青筋が浮かび、その剣幕にディモレアが思わず後退し、エドも躊躇わず少し後退する。
「私が何故ここについてきたか知っているか?」
「……いや、解らない」
その理由をエドは知らなかった。気になってはいたが、聞けずじまいだったから。
「……くだらない事かも知れないがエドワード殿と離れたくなかった」
「……あー……ま、そりゃ確かにな。一年……あるかないかとはいえ、あんだけ色々と皆でやってりゃな」
エドと、ディモレアと、カガリ。ダンテとパーネ。
共にパーティ仲間としていたのは一年にも満たないのに、それでもその中で結ばれた絆は太い。
前人未到のアイザ地下道ですら踏み越えるほどに。
「……そう考えるとな」
カガリはエドに視線を向けると、少しだけ顔を近づける。
「エド殿と共にいたい、というのは駄目か? ディモレア殿の方が、私よりもいいのか?」
「べ―――――」
エドは言いかけてふと停まる。ディモレアの空気が変わったと感じたからだ。
そう、ディモレアがまずカガリに向けた事の無い感情を、怒りを向けている。
「カガリ」
「……なんだ、ディモレア殿?」
「アンタ、おかしいわよ? 別にエドはアンタ一人のものじゃないでしょ?」
「別にディモレア殿のものでもないだろう。私が気にかけて悪いか」
「それはそうだけど……」
ディモレアが口ごもった時、カガリは何かを言いかけて急に―――――顔色が変わった。
「おい、カガリ?!」
慌ててエドが駆け寄り、ディモレアも近づく。
「大丈夫か? 立て、る……?」
エドがカガリを助け起こそうとした時、その時になって気付いた。
カガリの腹部が、明らかに膨らみかけている事に。
それが無駄な脂肪や、ましてや鍛えた筋肉ではない事は解る。
そう、明らかに妊婦の膨らみだった。でも何故――――とエドは思いかけて思い出す。
「……………………なぁ、カガリ。それ、もしかして……」
エドが震える声で呟き、ディモレアも思い出したようにエドとカガリを見比べる。
「………そうだ、あの時、エドワード殿に抱かれた時に、出来た子だ」
まだマシュレニア学府にいた頃。一度だけエドはカガリを抱いた事があった。
胎児の育ち具合から逆算すればその時と辻褄が合う。
「…………なんてこったい」
エドは思わず呟き、ディモレアはディモレアで視線をエドに向ける。
「……これじゃあしょうがないわね」
「しょうがないって何がだ?」
「言った通りの意味よ」
エドの問いにディモレアは首を振る。
「せいぜい幸せになりな―――――」「ちょっと待て」
エドはまず椅子に座り直すと、頭を軽く抑えてから再び口を開いた。
「……ともかく。カガリの中に俺の子供がいるとして、だ」
「うむ」「ええ」
「だが問題はここからだ」
そう、あの時そうであったにせよ。エドの興味は既にディモレアに向いている。
でもカガリはカガリでエドから離れたいとは想わないし、それはエドだってついさっき理解した。
そこまで必死になっているのなら、何を離れる必要があるのか。
でも、それはカガリだけでなくディモレアも同じこと。
「カガリは…俺と、離れたくないんだな……それだけが理由じゃなくて、カガリが本当に離れたくないっても解る。けどな。俺にも言わせて欲しい」
そもそもエドが此処に来た理由はただ一つである。研究の為だ。
その為にはディモレアと共にいる事も理由だった。だがしかし。
ああして、疑問に思ったにせよ、なんだかんだ言ってカガリも仲間である。共に潜り抜けた、仲間だ。
「俺は――――――」
「まさかとは想うけど、どっちとも離れたくないなんて言うの?」
「……ディモレア、俺の台詞を先に言うな」
まさか言われるとは思っていなかったが、事実そうである。
エドが息を吐いた時、ディモレアはため息を吐いた。
「けどねぇ、エド。そりゃマズいわよ」
「何がだ?」
「カガリとアンタに子供が出来てるのにアタシがここにいるって事よ」
「それは問題無いだろう。ディモレア殿はエドワード殿と研究を続ける上でのパートナーだろう? だから、これとは」
「無関係、と言いたいの?」
ディモレアの言葉に、カガリはおずおずと頷く。
「でもそれは無いわね」
「どうしてだよ?」
「幾ら研究に都合が良いからって理由だけで、同居したり寝てたりするような女だと思ってたのアンタら?」
「………………」
そういう事か。カガリと同じ理由である。
「……そりゃそうだよな。俺だってそうだよ」
エドは天井を仰いだ。
確実に成長していく、カガリの中の子と。
でも、ディモレアへの思いもまた、エドの中で大きくなっていくのだった。
その頃、それは既に始まっていた。
地下道も通っていない小さな街の青年が熱に倒れた時、家族も本人もただの風邪だろうと思っていた。
しかしそれが新種の熱病だと言う事に気付くのに、一ヶ月余りかかった。その頃には最初の患者である青年は死んでいてその家族に感染していた。
爆発的な感染力と、手の施しようが無く進行していく症状。
その小さな街から近隣の街、そして地下道や街道を通る冒険者達に乗って様々な街へ。患者はあっという間に広がっていった。
その治療法は見つからず、症状を遅らせる事は出来ても進まない。
医術に精通する者達は、魔導士や錬金術士の力を借りた。しかし彼らもまた、どうする事も出来ないまま事態が進んでいった。
そしてその魔の手は、彼らの棲む地にも近づこうとしていたのだった…。