それから一年の月日が流れた。  
 カガリの死は二人に影を落としたが、彼女が遺した子供はすくすくと育ち、また半年後にディモレアの子供が生まれた。  
 二人の子供を育てつつ、二人は研究にいそしむ毎日を送る。  
 それは、ある意味幸せな時間であった。  
 いつ病が再び襲い来るか解らない、だが何も見いだせずに迷っていた時期とは違う。  
 今はカガリの代わりに子供を育てる事と、自分たちの子供への愛情を向ける事がエドにとっての生き甲斐になりつつあった。  
 そう、壊れた世界をなんとかしたいという思いは、またしても消えかけていた。  
 否、むしろそれが当然であったというべきか。そうであった筈だというのに―――――。  
 
「再流行してる? なんで?」  
 久しぶりに麓の街に買い出しへと出掛けたエドが戻ってくるなり発した言葉に、ディモレアは首を傾げた。  
 カガリの死の後、流行病はゆるやかに終息へと向かって行った。  
 明確な治療法は相変わらず見つからないままだったが、流行が収まったのならそれでいいと何処の街でも考えていたらしく、エド達もまたそう考えていた。  
 しかし、実態は違った。  
 またしても街から人の姿が消え、家に引き蘢り怯える日々が続いているのだ。  
 
「で、医者とか魔術師とか、なんか言ってるの?」  
「何も言っとらん。ただ用心しろとしかな…おい、俺のズボンにジュースこぼすな」  
 エドは自分の足下で義姉のカテリーナと遊ぶ息子にそう注意した後、ディモレアに視線を戻した。  
「だからあの研究、続けようと思う。実はいうとあの赤い石…全然解っちゃいないしな」  
「まぁ確かにね……」  
 カガリの死後。あの石を使った研究はカガリの死が切っ掛けで停まってしまった。  
 彼女を救うのに間に合わなかった事が、どうでもいいと思ってしまったからだろうか。  
 結局の所処分も出来ずにそのままにしてある…下手に捨てると何処かで災害が起きそうだからかも知れないが。  
「……しょうがないわね」  
 ディモレアはため息をつく。  
 カテリーナと、息子は真剣そうな二人を見て不安げな顔を見せるがすぐにエドは笑みを浮かべた。  
「心配するな。ちょいと仕事してくるだけだから。お休み、坊主」  
 エドはニヤリと笑い、ディモレアを促して研究室へと向かった。  
 そう、少年の父親の一番古い記憶。もう顔も覚えていない。だけど、そうやって怪しげな笑みを浮かべて、天才的な腕前を持っていた、その笑みが自信から来ているものだという事だけは。  
 少年もしっかりと覚えていた。  
 その日の夜に、本当の悲劇が起きる迄は。  
 
 アイザ地下道の先。  
 誰も住まない、誰も足を踏み入れなかった土地。  
 それ故に。例え何か起こっても、助けを呼びに行くのには困難が付きまとう。元々、誰も足を踏み入れないアイザ地下道より更に先の場所なのだから。  
 その日の夜。  
 
 構築式を描くこと。これも問題は無かった。  
 素材を用意すること。これもまた問題は無かった。  
 そう、問題は。幾度となく使用してきた赤い石の欠片を、普段よりやや大きめのものを使用したこと。  
 そしてもう一つ。これは……悲劇だったのだろうか。  
「ディモレア、配列間違えるなよ」  
「大丈夫よ、いつもやってる事だから……あれ? ねぇ、エド」  
「なんだ?」  
 ディモレアの言葉に、エドが振り向いた直後だった。  
「構築式、途中で消えかかってない?」  
「へ? さっきちゃんと書いた筈…」  
 そう、エドはちゃんと構築式を書いていた。あくまでも書いた時点では。  
 そこに一人の人影が紛れ込んでいたのだ。好奇心を抑えられなかった、カガリとエドの子が。カテリーナが、研究室に入り込んでいた。  
 まだ幼い彼女は上手く歩く事も出来ない。よちよちと歩く彼女の足が、構築式に何度か入り込み、そしてその時。  
 エドはちゃんと書いた、と言いかけたその時に。手に持っていた赤い石を、落としてしまった。  
 そう、これは悲劇だった。悲劇だったのだ。  
 人為的なミスではない、起こる筈も無いミスが。  
「…カテリーナ! そんな所に入っちゃ…」  
 ディモレアがカテリーナの存在に気付き、怒鳴りかけた時、構築式は中途半端なまま作動した。  
 
 火花が散り、奇麗に円を描いた構築式が完結せずに内部でその力を暴走させようとしていた。  
 そして運の悪い事に、普段エドがその手で作動させる錬金術ならまだ良かったものの、今日はその効力を数倍、時にそれ以上に引き上げる赤い石を使っていた。  
「やばっ…!」  
 エドがカテリーナを抱え上げた頃には火花は火柱と化し、周囲に膨大な魔力が溢れんばかりに発されていた。押さえ込むのは、困難。  
「ディモレア! カテリーナと、子供を連れていけ! 早く!」  
「わかった! アンタも早くね!」  
 カテリーナを文字通りパスして渡し、ディモレアが外に出て行くのを確認するとエドは魔力を押さえ込むべく、構築式に取りかかる。  
 とてもじゃないが、抑えきれない。  
「糞っ、なんてこった…!」  
 何でこうなったのか、検討もつかない。とにかく抑えなくては、研究所ごと爆発してしまう。  
 構築式が中途半端なまま作動しているのなら、行き場を無くして回転するエネルギーを別の方向に分散させればいい。その為には、まず構築式全体を更に派生させるカタチで新たな構築式を作る事他ならない。  
 どのような方向に向けるか。エドは一瞬だけ考える。  
 時間にして一秒も経たずに新たな構築式を作るべく、エドが手を伸ばしたその時だった。  
 
 エドの周囲に、一つの構築式が浮かび上がった。  
 
「え?」  
 エドは気付く。その構築式が何を意味しているのかを。否、それは構築式だけではない。  
 魔術回路を組み込んだ、魔術と錬金術の応用をした技術。あの夜、エドがこの秘石の効果に初めて気付いた時のあの式が。  
 まるで記憶を浮かび上がらせるかのように、エドの周囲に現れた。  
 赤い石と、エドを中心として。  
 
「おい、嘘、だろ……!」  
 エドは呟く。この構築式が浮かべば、あの夜よりも数倍大掛かりな構築式を使っている以上、あの時以上に巨大な隕石を誘因させる事もありえる!  
 ヤバい、とエドは判断した。  
「ディモレア! 早く子供を連れて行け! 早く!」  
 エドがそう叫んだ直後、屋根を突き破り、その隕石が飛来した。  
 
 カテリーナを抱えて研究室を出たディモレアは、寝ている息子の元までようやく辿り着いていた。  
 まだ幼い息子は完全に眠りこけており、目を覚ます気配は無い。  
 ディモレアは息子を抱き上げると追ってくるであろうエドを探すべく、背後に視線を送った。  
 直後、激震が一瞬だけ部屋を揺らした後、衝撃が起こった。  
「っ!?」  
 息子を抱きしめ、降り掛かる土ぼこりや瓦礫から咄嗟に守る。今の衝撃は…。  
 嫌な予感がする。  
「エド?」  
 声をかけるが、返事は無い。おかしい。嫌な予感がする。  
 ディモレアが慌てて研究室まで戻ろうとした時、衝撃の第二波が襲って来る。  
「!」  
 バランスを崩しかけるが慌てて持ち直し、研究室へと向かう。やはり、衝撃の発生源は研究室だ。何が起こった。  
 何なのだ、この胸騒ぎ。  
 ディモレアが研究室の前まで辿り着く頃には、三度目の衝撃があった。  
 そして、壊れかけた壁越しに見える、空の暗い色に、幾つかの流星が光っているのも見えた。こちら側に向かう、流星が。  
「……エド!」  
「ディモレア…!」  
 壁を開けるべく、手をかけても瓦礫か何かで崩れているのか開かない。そしてその向こうから、エドの声が響いた。  
 弱々しい声の。  
「エド、どうなったの!? 待って、今…」  
「とてもじゃないが……間に合わない」  
「間に合わないって何がよ!」  
 エドの奇妙な言葉に、思わず彼女は声を荒げる。だがしかし、エドは言葉を続ける。  
 
「バカ、子供二人抱えて戻って来てどうする気だ……頼む、急いで逃げてくれ。俺はここでなんとか抑えてみせる」  
「はぁ? 何言ってんのよ、そっちこそバカじゃない! 別にアンタだけがやってた事じゃないでしょーが」  
「これを拾ったのは俺だ。それと、始めたのも俺だ……なんつーかな、最初に考えてた事が実際に起こってるってのに……なんか嬉しくない」  
「そりゃそーよ」  
 世界を壊してまた作り直すだなんて。  
 そんなの、神様でもないのだから出来る訳が無いし、許される訳でもない。  
 でも……その代償は、彼自身の命だというのだろうか。  
「やっぱそんなよこしまな考え持つんじゃねーな。ハハ、自業自得で身を滅ぼすたぁ、この事だ」  
「何笑ってるのよ!」  
 笑い事じゃない、とディモレアは言いたかった。  
 そう、だって。この扉の向こうでエドが死んで行くのを、黙って見ていろというのが辛かった。出来れば後を追うぐらいに。  
 でも。  
 この手の中にいる子供は、きっとそれを許さない。  
 カガリに続いて、エドまでも自らの手から離れて行くのが、物凄く辛い。でも。この子は、まだ、残っている。  
 ディモレアは自らの腕にいる子供を一度だけ抱きしめた。  
「……ねぇ、エド」  
 ディモレアが呟いた直後、四度目の衝撃。  
「いてて……くそ、ヤバいな、下半身が動かねぇや……おう、どうした?」  
 ゴホ、という小さな咳と共にエドが口を開く。  
「今まで、ありがとうね」  
「何をいまさら……俺もだよ」  
 二人は、完全に開かなくなってしまった扉越しに、声を出して笑った。  
 
 学生時代は喧嘩ばかりしていた。  
 でも気がついたら側にいる事が当たり前になっていた。  
 卒業後は二人で色々と取り組んだ。  
 辛い事もあったけど。  
 それでも二人で、いや、仲間達も含めて、一緒にいる事が楽しい時間であった事だけは解っている。  
 もしも仮にも人生最良の期間を決めるとしたら。  
 生まれてから今日この日までの全てを、エドと、カガリと、ダンテと、パーネと…そしてカテリーナと息子と、皆でいれたこの時が。  
 人生で、世界で一番尊くて、幸せな時間だった。  
 その時期を、決して忘れはしない。そしてそれが今日終わる事を、忘れはしない。  
「バイバイ」  
「ああ。じゃあな、ディモレア」  
 ディモレアはエドの返事を聞いた後、息子を抱きかかえて外へと駆け出した。  
 もう、決して足を止める事も、ここに戻る事も無いだろう。最愛の人の、亡がらを弔いに来る事ですらも…。  
 でも、もう迷わない。  
 これからは、この子を守る為に生きるのだから。  
 
 エドはディモレアに別れを告げた後、痛む身体を引きずり、どうにか構築式へと向かった。  
 幾つか隕石を呼び寄せたお陰か、先ほどよりはパワーも収まっているようだ。  
「幸運、なのかな、こいつぁ…」  
 手をかけ、エネルギーを抑えるべく必死に取りかかる。血をだいぶ失い、意識も朦朧としているが思い出せ。俺は立派な錬金術士。  
 
 たかだがその程度の事など簡単に出来た…はず。  
 だいぶエネルギーが分散してきた。  
 そういえば、と思い出してみる。錬金術士として頑張ってきたはいいが、結局の所身を滅ぼすのが自分自身というのは何とも間抜けな話だ。  
 ただ、この世界に生きていて一つだけ良かった事があるとすれば。  
 ディモレアと出会った事なの、だろうか。もしも途中で彼女に停められもしなかったら、世界を壊した狂人で終わっていたのかも知れないから。  
 俺は、幸せものだ。  
 赤い石がその暴走を停めた頃、アイザ地下道の先にあったその建物は全てを破壊し尽くされていた。  
 たった一人の亡骸と、少し離れた部屋で泣く幼い少女だけを残して。  
 
 
 ディモレア達の物語がこの後にどうなかったか。  
 残されたカテリーナはダンテとパーネが自らの手元へと連れ帰った。その後、彼らは女帝バルバレスコの元に身を寄せる事になる。  
 それが正しい事だったのか、そうではなかったのか。  
 それは誰にも解らない。  
 ただ、この物語にはもう少しだけ続きがある。壊れてしまった後の、アイザ地下道のその先で起こった。  
 ある、一つの事実だけが。  
 
「…はぁ」  
 エドの死から既に十五年の月日が経ち、ディモレアは久しぶりにアイザ地下道を訪れていた。  
 勿論、一人でだ。息子は今は冒険者養成学校のパルタクス学園に通い、それなりに好成績を収めている。それは良い事だ。  
 ディモレアがアイザ地下道を訪れたのには理由がある。  
 十五年前に出て行って以来、一度たりとも戻らなかったかつての研究所。そこに放置されたままのエドの亡骸を弔う為と、エドが残した赤い石を処分する為だ。  
 あれだけ膨大な力を保つ石を、あのまま放置しておく訳には行かないと思ってはいた。しかし、出来なかった。訪れる事自体が辛かったからか。  
 でも。  
「いつまでも、逃げ続ける訳には行かないものね」  
 ディモレアはそう呟いて笑う。打ち捨てられて久しい門をくぐり、完全に壊れた瓦礫の山を進んで行く。  
 ただ、その時になってディモレアは気付く。  
「…?」  
 前人未到のアイザ地下道を、何者かが抜けた形跡があるのだ。  
 ダンテ達かな、と思う。しかし、何度も歩いて来たであろうその足跡はダンテ達とはまた違う足跡だった。では、誰か。  
 いや、この靴の足跡は何処かで見覚えがある。  
「…なぁ、ところでさ」  
 直後、話し声が漏れ聞こえて来た。決して遠く無い。否、エド達が研究室としていた場所の周辺からだ。  
 誰だ、と思いつつディモレアは咄嗟に身を隠す。瓦礫の隙間からそっと様子を伺うと、濃暗灰色とベージュを基調とした制服姿が見えた。  
 間違いない。パルタクスの生徒だ。  
 
「こんな所に、パルタクスの生徒が? 何か、拾ってる…」  
 もう少しだけ、瓦礫の隙間に目を近づけて目を凝らす。  
 すると、彼らは何かを拾っているようにも見えた。何なのだろう。そして、喋っている言葉も今度は鮮明に聞こえた。  
「で。こいつを使えば、なんとかなるってのかよ?」  
 もうすぐ卒業を控えるであろうフェルパーの少年の言葉に、セレスティアの少年ともう一人、フェアリーが大きく頷いた。  
「ええ。それさえあれば、願いは叶う。きっと……」  
「俺は正気とは思えないがな」  
「ランスロット。それは結果論だ」  
 フェルパーの返事に、セレスティアは切り返す。  
「お前がどう思おうと、俺の気持ちは変わらん。王は一人いればいい。俺という王がな」  
「へいへい、解ってますよ……キング・アーサー」  
「……キングは余計だ。俺の名前はアーサーだ」  
 そのパルタクスの生徒達が拾っているもの。それは、赤い石に間違いは無かった。  
 彼らがそれを使って何をしようとしているのかは定かではないが、ただ。  
 やり取りから見るに、彼らは何をしようとしているのか?  
「……パルタクス、か」  
 息子がいる。関わらない訳には行かない。  
 けれども、どうする。あの子に、彼らをなんとかさせようにも、彼らは相当な手練。そして。  
 一人だけではない。  
 
 ディモレアは首を左右に振る。そして、思いついた事は、ただ一つだった。  
 パルタクスに、攻撃を加えて彼らを沈黙させる事だった。  
 
 子供の為に作ったライフゴーレムを尖兵代わりとして戦闘能力を持たせ、何度か交戦させた。  
 そしてその後に、かつて学生時代に発見した迷宮の遺産まで投入して。あの生徒達と交戦した。  
 だがしかし、勝つ事は出来なかった。  
 向こうから見れば、否、息子から見てもディモレアの方が一方的に攻撃を仕掛けて来たと見るだろう。  
 だがしかし、本当は違う。  
 彼女がエドが残した世界を守ろうと、そして最愛の人が作ってしまった罪の結晶を無くす事だったというのに。  
 どうしても、果たす事は出来なかった。  
 どうしても、だ…。  
 
 そしてそれから二年後に、ギルガメシュと彼女の息子が決闘を行なったのだがそれはまた別の話。  
 
 

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