夜の帳が下りたパルタクス学園の寮の入り口には掲示板が置かれており、学校からの連絡やロスト発生時の悼みなどは常にそこに書かれている。
生徒達は寮に戻る時は一度は確認するので誰もが一度は足を止める。しかし、その日は異様なまでに掲示板前は混雑していた。
「なんか相当混んでるな。なんの連絡だ? 皆がこんなに集まってるなんて」
寮へと戻ってきたバハムーンの少年がそう首を傾げ、一緒にいたディアボロスの少年も「そうだな」と頷く。
「いつもここまで混雑する事なんざそうそうないだろ」
「確かにな……しかし、これじゃ前も見えない」
ディアボロスがそう呟いた時、寮の入り口が開き、次はセレスティアの少年と少女が仲良さそうに寮へと入り、その混雑に驚いた様子で立ち止まった。
「ちょうどいい。おい、そこの二人こっち来てくれ」
バハムーンが呼び止め、二人がすぐに近づいてくる。
「なんなのですか、この混雑……これでは前に進めませんわ」
「相当重大な発表でもあったんですか?」
「ここからだと見えないんだ。お前さん達、飛べるだろ? ちょっと見てくれるか?」
セレスティアは浮遊能力を持つ数少ない種族であり、高い場所から遠くを見渡せるというのは迷宮探索をする上で意外と役に立つ。
しかし二人は同時に首を振った。
「ここまで遠くては流石に見えませんよ」
「前の方に聞いてみるのはいかがですか?」
「こっちの声が届くかどうかわかんねぇんだよ」
バハムーンの言葉にディアボロスは「それもそうか」と呟き、前にいるヒューマンの肩を叩き、掲示板の内容を前に聞いてくれと頼んだ。
ヒューマンは頷き、ヒューマンは前にいるクラッズへ、クラッズはフェルパーへ、フェルパーはドワーフに、ドワーフは前にいるディアボロスに、ディアボロスはノームに、と伝言ゲームのように伝わっていく。
そして最先端から再び折り返して掲示板の内容が帰ってくる。
「授業参観のお知らせぇ!?」
その内容を聞いて、バハムーンは呆れたような声を出した。
「今までそんな行事、ありませんでしたものね」
セレスティアの少女の言葉に、ディアボロスも頷く。
「ああ……授業参観って事は……」
「普段の授業を僕達の保護者が見に来るって事ですよね……」
「寮制の学校に普通そんな行事あるのか……?」
バハムーンが首を傾げた所で更に寮へと戻ってきた別の生徒が何事かとばかりに様子を探る。彼らもまた初耳なのか、驚いた様子だった。
「しかし授業参観か……俺達の保護者が泊まる場所とか、パルタクスには無いだろう」
ディアボロスがそう呟いた時、前にいたヒューマンが口を開いた。
「いや、親は寮のその生徒の部屋に泊まるんだと。それで、到着が早い親はもう何人か着いてるらしい」
「マジでか!? つーかヤバいな。俺、ヒューマンとパーティ組んでるなんて知られたらオヤジに殺されるぞ」
バハムーンが震え上がった声を出し、セレスティアの少年が「大変ですねぇ」と相槌を打つ。
「お前ならまだいいだろ……俺なんか親が問題だぞ……。出来れば来て欲しくない」
ディアボロスの少年がそんな声を出し、他の連中が「なんでだ?」と声をかける。しかし彼は「言いたくない」と言って答えなかった。
そして、その頃になってようやく身動きが取れない程に混雑していた寮の掲示板前が動き出した。
「まったく、急な話にも程があるっつーの……」
先ほど親に来て欲しくないとボヤいていたディアボロスの少年はルームメイトでもあるフェルパーの少年にそう声をかけた。
フェルパーの少年は「まぁいつもの事だよ」と相槌を返し、寮の部屋の前へと歩く。
「それにしても親に授業見られるってのもなんか恥ずかしいよなー……ほら、俺んトコ皆フェルパーだから恥ずかしがり屋多いし。立ってるだけでも恥ずかしいよ」
「ああー……フェルパーは人見知りするからな」
そして、ディアボロスが寮の部屋の扉を開けた時だった。
Tシャツにトレパン姿の女性がベッドに寝転んでいた。
二人は一瞬だけドアを閉め、そして再び開ける。
その時、フェルパーの少年はその女性が誰だとはっきり気付いた。
「あら、遅かったわね? 待ちくたびれたわよ?」
「で、でぃ、ディモレア!?」
そう、パルタクス学園だけでなく多くの冒険者養成学校の生徒達を恐怖に陥れた闇の魔導師ディモレアが何故かTシャツにトレパン姿でやさぐれ淑女を瓶ごと煽っていた。
「…………おい、母さん。なんつーカッコだ……てか、なに酒飲んでんだ!」
「……母さん?」
フェルパーはディアボロスを指さした後、ディモレアを指さす。
「ああ……信じられないかも知れんが」
「こう見えてもあたしだって1児の母なのよ?」
ディモレアはそう言ってフェルパーに笑いかけた。
「つーか、それより何で俺の寝巻き着てんだよ。普段のドレスはどうした」
「あんなカッコで寝れる訳ないでしょーが。長旅で寝巻き忘れちゃったの。いいじゃない、あんたのなんだし」
「テレポルでどこでも飛べる癖に何が長旅だよ……」
ディアボロスはそう言ってため息をつくと、寮の部屋へと入る。フェルパーも後に続いた。
「おい、母さん何時着いたんだよ?」
「今さっき。まぁ、可愛い一人息子の授業参観だもの。顔ぐらい出さないとマズいでしょ?」
「母さん、あんな事やらかしておいてよく此処に来る気になったな……。ウチの校長が卒倒しそうだぞ」
ディアボロスの呆れた言葉に、ディモレアはからからと笑う。フェルパーは自分のベッドに座ると、ディモレアは先輩パーティがハウラー地下道で討伐したんじゃなかったのかと思い出していた。
「ああ、まぁ確かに痛い目にはあったわよ? けど、それぐらいじゃ死なないの。お姉さんは」
フェルパーの思考を見透かしたかのようにディモレアは笑う。
「はぁ………で、母さん今日はここに泊まるのか? 変な事するなよ? 俺はともかくフェルパーに迷惑かけんなよな」
「バカねぇ、息子のルームメイトにそんな事する訳無いでしょ。この子が欲情するなら話は別だけど」
「それは無い。こいつは母さんみたいな年増に興味はふぐはっ!」
ディアボロスが言葉を最後まで続ける前にビッグバムが直撃し、壁へと突っ込む羽目になった。
「誰が年増よ。あたしはまだ若いの。あんたを生んだ時はまだ成人じゃなかったのよ」
「それは嘘だぐほぉっ!?」
二発目のビッグバムが放たれ、学生寮では地震かとばかりに少し騒ぎになっていた。
深夜。ルームメイトのフェルパーも眠ったのか、微かな寝息が聞こえている。
ディアボロスは起きていた。
ベッドの中に入ってはいる、だが目が冴えて眠れなかった。
明日の事が不安だ、とディアボロスは思う。
明日から授業参観である。ディモレアの事件で命を落とした生徒だっているし、入ったばかりの新入生だろうと少し探索を進めた上級生だろうと、そしてディモレアと直接戦った先輩達の中にだって、ディモレアは未だに恐怖の対象なのだ。
ルームメイトならともかく、他の生徒達はディモレアを母に持つ自分をどう思うだろう、と不安になっていた。
けれども。
それでも、母親なのである。ディモレアは。
ろくなことをしないけれど、お腹を痛めて自分を産んでくれた、ここまで育ててくれた、学費も出してくれてる。魔導師ではなく、錬金術士の道を進む自分を応援までしてくれている、母親を。
彼は、悪く思える筈が無い。何よりも、たった1人の、父親を知らない彼の、家族で、肉親であるディモレアを。
そして何よりも。
こうして、母親がすぐ近くにいるという事が、凄く落ち着くと感じている。
「……………」
ディアボロスはベッドから起き上がり、床のマットレスに視線を向ける。
寝息を立てる、母親。穏やかな寝顔。
とても、恐怖の対象であった闇の魔導師と同一人物とは思えないほど。
「母さん……」
「……眠れないの?」
そう呟いた時、ディモレアが目を開ける。まだ、起きていたのだろうか。
「あんたは、昔からそうだわ。何かあると、寝付けなくて、あたしを起こしてたわね」
まだ酒が抜けきっていないのか、ディモレアはとろんとした目つきで、ディアボロスに手を伸ばし、そのままマットレスの中へと引き寄せた。
こうして母親に抱きしめてもらうのも久し振りだ、とディアボロスは思った。
「……本当に、あたしに似ないで、あの人に似たのね。今じゃ、あの人そっくり」
ディモレアがディアボロスを撫でながら呟く。彼にはディモレアの言うあの人が誰の事か解らなかったが、知りたいと思わなかった。聞くのはまた野暮というものだ。
「……あんたには守りたいもの、ある? あの人は、守りたいものを守って消えてった。けど、消えてしまったら、遺されたあたしはどうすればいいのかって。
それで結局、ろくなことにはなってないわ………あんたはあの人に似てる。けど、消えるのだけは一緒にならないで。あんたは死なないで。どう足掻いても」
暖かい手が、身体が、母さんの息遣いが、鼓動がすぐ近くで聞こえる。
「あんただけは、生きて、ね」
ディモレアは、たった1人の息子を。今、すぐ側にいる自分の血を引く少年を、しっかりと抱き留めた。
闇の魔導師ではなく、1人の母として。