全員がバラバラになった日から、半年が経過した。  
ドワーフとセレスティアの活躍は、パルタクスから遥か遠くの、空への門にいるクラッズの耳にも届いていた。  
「あなたが、自分のパーティの中じゃ弱い方だって言う理由、よくわかったわ」  
同じく彼女達の活躍を聞いたフェルパーが、笑いながら言う。  
「クイーンスパイダーも、ダイオウバサミも、災いの大樹だって一撃で倒しちゃう人と一緒じゃ、弱いわけよね」  
「周りもお前と同じ、化け物揃いか。同じ学校にいた生徒とは、とても思えないな」  
「でも、最初はボク達だって弱かったんだよ。バットンの群れに、みんな瀕死に追い込まれたことだってあるんだから」  
「ふふ。なら、その強さは絆の強さ、でもあるんですね」  
セレスティアが言うと、フェアリーがバハムーンに皮肉っぽい笑みを送る。  
「私達じゃ、一生追いつけないかもねー」  
「……うるさい、言うな」  
「ん?何かあったの?」  
クラッズが首を傾げると、エルフがそっと耳元に囁いた。  
「以前は、あなたと同じクラッズの女の子がいたんですの。でも、バハムーンと喧嘩して、その子はもう今じゃ別のパーティですわ」  
「そうだったんだ。それでねえ…」  
半年もいると、クラッズはすっかりこのパーティに馴染んでいた。さすがに元のパーティにはかなわないが、これはこれで居心地のいい  
パーティだと思っている。また、エルフにやたら気に入られており、同じ盗賊系学科ということもあって、罠の解除を教えたりするのも  
なかなか楽しいものだった。  
とはいえ、目的を忘れたりはしない。一行は来る日も来る日も地下道に潜り、体力の続く限り宝箱を漁り続けていた。それでも、やはり  
伝説といえるほどのアイテムは、そう簡単に出はしない。天使の涙も、求めると見つからないもので、クラッズはそこに至るまでの  
全ての交易所を覗いたが、一つとして売ってはいなかった。  
「それにしても、空への門の交易所って、何か特別な仕入れルートでもあるんでしょうか?」  
「いきなりどうしたの?」  
「だって、気になりませんか?前にバハムーンさんが、アスカロン買って使ってみて、やっぱりオルナがいいって売り戻したら、  
買値より高く買い取ったじゃないですか。あれ、どうしてでしょうね?」  
「……地下道みたいに、人智の及ばないものがいきなり現れることだってあるんだから、他にそんなことがあっても不思議じゃないわ」  
緊張感のない会話を交わしつつ歩くのは、ハイント地下道の中央部である。かつてここに来たときは、一周するのが精一杯だったが、  
今では余裕を持って歩き回ることが出来るほど、彼女達は成長していた。  
中央部を軽く突破し、折り返しのL5へと入る。今回はマップナンバー58番で、棺桶から飛び出すモンスターを薙ぎ倒しつつ、  
反対側への道を開いていく。  
「ここ、面倒で嫌だよねえ」  
「それに、アンデッドばっかりで嫌になりますわ。こんなところ、早く抜けたいですわね」  
そんなことをぼやきつつ、一行は中央のアンチスペルゾーンへ足を踏み入れた。ここは危険ではあるが、宝箱も多い。その一つも  
逃さないつもりで、一行は次々にモンスターと戦う。普段はエルフがアンロックを使うことも多いのだが、こういう場所ではクラッズが  
それこそ水を得た魚の如き活躍を見せる。  
「まずは音だね。ガスの場合はさ、音の響き方が違うんだよ」  
今、クラッズは敵を倒して得た金の宝箱の前にしゃがみこみ、エルフに罠の判別の仕方を教授していた。  
「全部同じに聞こえるかもしれないけど、ま、これは慣れだよね。これはガスじゃないから、別の罠。開ける時に引っかかる感じが  
あったら、石つぶてが多いね」  
「でも、開けるなんて危ないんじゃなくて?」  
「だから最初に、ガスかどうかを判別するわけ。たまに、開けると何かが混ざって、ガス発生させるのもあるけどね。でも、これは  
そういうのじゃなさそうだし……うーん、ワープかな?」  
いまいち自信が持てないらしく、クラッズは慎重な手つきで宝箱に触れる。そして何やらあちこちいじると、不意にかちりと音がした。  
「……うん、やっぱりそうだった。もう、これで罠は発動しないはず」  
「こういった罠の解除は、わたくしの手には余りますわ…」  
あとはもう何の警戒心もなく、クラッズは箱を開けた。そして、中に入っていた物を取り出す。  
 
「……ん?何だろこれ?実?」  
「実、みたいですね。命の果実でしょうか?」  
「ここから出たら、私鑑定するよー。それまでは、ちょっと待ってねー」  
そんな調子で残りの宝箱も片付けると、一行はアンチスペルゾーンの外へと出た。そして、手に入れたアイテムを、フェアリーが  
順次鑑定していく。  
アイテムを鑑定している彼女を見ると、クラッズはどうしても恋人であるフェアリーを思い出してしまう。錬金術師と司祭という  
違いはあるし、身長もだいぶ違うが、やはり同じ種族だけあって、似ているのだ。ただし、性格は似ても似つかないが。  
不意に、フェアリーの動きが止まった。一瞬恐怖状態に陥ったかと思ったが、どうもそういうわけではないらしい。  
「……おい、フェアリー。どうした?」  
バハムーンが声をかけても、反応はない。五人はふと、フェアリーが持っている物に視線を送った。それは、先程金の宝箱から出た  
実のようだった。  
「おいフェアリー、返事ぐらいしろ。その実がどうかしたのか」  
「……出たよ…」  
呆然とした声で、フェアリーが呟く。  
「出たって、何が?」  
「……正直ね、嘘だと思ってた…。でも……でも、これ間違いないよ…」  
「だから、それがどうしたの?一体それは何?」  
痺れを切らしたフェルパーが尋ねると、フェアリーは顔を上げた。その顔には、驚きとも歓喜とも付かない表情が浮かんでいた。  
「だから、出たんだってば!!ずっと探してたのが!!ただの言い伝えだと思ってたのが!!これ、間違いない!!蘇生の果実だよ!!」  
一気にまくし立てたフェアリーの言葉を、最初は誰も理解できなかった。あまりに唐突過ぎて、それを理解するだけの心の準備が  
なかったのだ。ゆっくりと、時間をかけてその意味を理解するにつれ、それぞれがようやく反応を示し始めた。  
「本当に……本当に、蘇生の果実なんですか!?それじゃ、これでクラッズさんの仲間が、生き返らせられるんですね!?」  
「おい、本当なのか!?なら、これでようやく、半年間休まず地下道に潜り続けた苦労が報われたってわけだな!」  
「ついにやったわね。でも、それじゃあ……これで、この旅は終わりね」  
「とうとう、この時が来てしまったんですのね……これでもう、お別れですのね…」  
純粋に喜んでくれるセレスティアにバハムーン。一抹の寂しさを見せるフェルパー。そして、あからさまに寂しげなエルフ。  
彼女達一人一人の顔を見回し、クラッズは口を開いた。  
「みんな、本当にありがとう。その、こんな時になんて言えばいいのかわからないけど……みんなには、色々お世話になって、本当に  
感謝してるよ。ここでお別れになるけど、ボク、絶対にみんなのこと忘れないし、本当に楽しかった」  
もう一度、全員の顔を見回し、クラッズは笑った。  
「でも、この場でお別れって言うのはひどいよね。ここを出るまでは、ボクはこのパーティの一員だよ」  
「いっそ、この地下道に駐留しませんこと?」  
「ダメよ。エルフ、あなたが寂しいのもわかるけど、彼には彼の帰る場所があって、そのために私達といたのよ」  
「わかってますわよ。でも……はぁ、寂しくなりますわ…」  
「エルフ、懐きすぎ。ほんと、惚れっぽいんだからー」  
「ヒューマンなら誰にでも惚れるあなたに、言われたくはありませんわ」  
この地下道を出れば、あとはもう別れるだけである。やはり名残惜しいものがあり、少しでもその時間を引き延ばそうと、  
一行は地下道の隅々まで探索する。普段なら行かないような部分にまで足を踏み入れ、ついでに未完成だった地図を書き足していく。  
L5を回り、L4を制覇し、L3を踏破し、L2を越える。そして最後のL1も、もう目の前まで出口が迫っていた。  
クラッズ自身も、その足取りが軽いとは言えなかった。もちろん、すぐにでも飛んで行って、みんなと会いたいという気持ちはある。  
だが、半年間ずっと一緒にいた彼女達と別れるのは辛い。おまけに、こちらはそのお礼だってしてはいない。  
 
複雑な気持ちを抱え、それでも出口に向かって歩く。やがて、ゲートが見え始めたとき、その前で誰かが揉めているのが目に入った。  
「ん?どうしたんだろ?」  
「喧嘩……でしょうか?」  
ただの喧嘩だと気まずいので、一行は目立たないようにそっと近づいてみる。  
どうやら、同じパルタクスの生徒らしかった。が、様子がおかしい。ヒューマンとセレスティアが、ドワーフの女の子の腕を握り、  
無理矢理ゲートの外へ連れ出そうとしている。そのドワーフは、泣きながらそれに抵抗している。その周りでは、クラッズとフェルパーの  
女の子が、沈痛な面持ちでそれを見つめていた。  
「嫌だぁ、嫌だぁ!!あたいはここに残るんだぁ!!」  
「そんなこと言ったって、もうどうしようもないだろ!?もう無理だ、諦めろ!!」  
「そうですよ!あなたが残ったところで、彼が喜ぶわけでもないでしょう!?」  
「ふざけんな!!だって、あいつは……あいつはぁ…!」  
二人の腕を強引に振り解くと、ドワーフはその場にへたり込んだ。  
「畜生……ずっと、ずっと一緒じゃなかったのかよ…!これじゃあたい、何のためにてめえの名前聞いたんだよ…!くそ……くそぉ!!」  
「ねえ、しょうがなかったんだよ……だって、もう同じ間違い、したくなか…」  
「ふざけんじゃねえ!あたいを守って、それでてめえがロストすりゃ満足なのかよ!?あたいは、あいつの元恋人の代わりじゃねえ!!  
……ちくしょぉ…!こんなんだったら……あいつの名前なんて、聞くんじゃなかったぁ…!」  
話を聞く限り、彼等は仲間をロストしたらしかった。ぼろぼろと涙を流すドワーフを見ていると、彼女達も心が痛んだ。  
ふとクラッズを見ると、彼は非常に険しい顔でそれを見ていた。その顔からは、ある種の覚悟のようなものが見て取れる。  
それが意味するものに、バハムーンが真っ先に気づいた。  
「おい、余計なことを考えるな!」  
言うなり、バハムーンはクラッズの前に立ち塞がった。  
「お前は、何のために今まで探索を続けてきたんだ!?大切な仲間が待っているんだろう!?決して、見ず知らずの他人を  
助けるためじゃないだろう!?」  
その言葉に、クラッズは悲しげな笑みを浮かべた。  
「……ありがとう。でも、ダメだよ……無理だよ…」  
歩き出そうとしたクラッズの前に、フェルパーが並んで立ち塞がった。  
「あなたは、半年間の努力を無にしようとしてる。あなただけのじゃない。それは、私達の努力でもあるの。それはわかってる?」  
さすがに、その言葉は効いた。クラッズは口を固く結び、ぎゅっと目を瞑った。が、やがてその顔が、寂しげに微笑む。  
「ごめん。でも、見過ごせないよ」  
しばらくの間、クラッズと二人は睨みあった。他の三人はどうしていいかわからず、固唾を呑んでそれを見守っている。  
やがて、フェルパーがフッと笑い、道を開けた。  
「おい、フェルパー…!」  
「仕方ないわ。これは、彼の問題。それに……あの子も、大切な人をなくしたみたいだし、ね…」  
「……ありがとう」  
クラッズは蘇生の果実を道具袋から出すと、二人の間をすり抜けて彼等の元に向かった。  
「あの、ちょっといい?」  
「……誰だ、てめえ…」  
突然現れた人物に、泣いていたドワーフを含めた全員が訝しげな目を向ける。そんな彼女に、クラッズは蘇生の果実を差し出した。  
「まだ、戻らないで。これ、あげるから」  
「……何のつもりだよ、てめえは!?こんな変な実が何だって…!」  
「ちょ、ちょっと待ってください!!」  
それを地面に叩きつけようとしたドワーフの腕を、仲間のセレスティアが慌てて抑えた。  
「これは……蘇生の果実じゃないですか!?こんなものを、一体どこで…!?」  
「蘇生の……何だよ、それ…?」  
きょとんとしているドワーフに笑顔を向けると、クラッズは仲間の元へと戻った。  
 
「クラッズさん…」  
「……さ、行こ。今日は、何だか疲れちゃった」  
気の抜けた声で言うと、クラッズは一足先にゲートを潜った。他の仲間も一度顔を見合わせ、小さく溜め息をついてゲートを潜る。  
外に出ると、バハムーンが真っ先に口を開いた。  
「馬鹿だ、お前は」  
「………」  
「一体、この半年間は何だったんだ。徒労もいいところじゃないか」  
「バハムーンさん、もうやめましょうよ。それに、クラッズさんは、間違ったことをしたわけじゃないじゃないですか」  
「どっちが正しいとも、言えないけれど、ね」  
「でもさー、あの状況で無視しろって言うのもひどくない?助けられるんなら、やっぱり助けてあげたいよー」  
「惜別の時は伸びましたけれど、複雑な気持ちですわ……素直には、喜べませんわね」  
クラッズはしばらくうつむいていたが、やがて大きな溜め息をついた。  
「みんなには、悪いことしちゃったと思う。でも……あの子、ドワーフでさ……うちのドワーフと、重なっちゃって……ごめん…」  
しばらくの間、誰も何も言えなかった。  
やがて、フェルパーが重い空気を取り払うかのように、明るい声を出した。  
「まあ、仕方ないわね。あげちゃった物はしょうがないし、また探し出せばいいじゃない。その間は、彼もここにいてくれるしね」  
「……はあ、そうだな。その分、私達にもいい物がもらえるよう、願っておくか」  
苦労して得た物はなくなってしまったが、ともかくも別れの時は先延ばしになった。一行は何とも複雑な思いを抱え、明日の探索に  
備えて宿へと戻っていった。  
部屋に戻ったクラッズは荷物を床に投げ出し、ベッドに寝転んだ。後悔というほどのものはないが、かといって割り切れるわけでもない。  
おかげで、仲間が揃う日も、フェルパーを取り戻す日も、また見えなくなってしまったのだ。  
何度も溜め息をつき、ベッドの上をゴロゴロと転がる。そうして一時間も経った頃、不意に部屋のドアがノックされた。  
「ん?だぁれ?」  
「あ、やっと見つけた。その、あたいだよ。ハイントで会った…」  
名乗った覚えもないので、宿帳を見たわけではないだろう。どうやら、宿の部屋を片っ端から回って探していたらしい。  
クラッズはベッドから飛び降りると、ドアを開けてやった。すると、そこにはハイントで会ったドワーフと、一人のエルフが立っていた。  
「あの時、ありがとな。おかげで、こいつ取り戻せた」  
「君が、僕の恩人なんだね。どうも、ありがとう」  
そんな二人を、クラッズは意外な思いで見つめていた。恋人をなくしたのだとは知っていたが、それがまさかエルフだとは  
思いもしなかった。もっとも、フェルパーとドワーフという組み合わせも、あまり見るものではないが。  
「でも、その、後で話聞いたんだ。お前、あれずっと探してたんだってな……なのに、そんなのあたいにくれちまって…」  
「ああ……いいよ、気にしないで。いつかまた、見つかるよ」  
「そうそう。僕も聞いたんだけど、君のパーティは他が全員女の子らしいね。両手に花どころか、花束の中で冒険できるなんて、  
そりゃあ羨まし…」  
キュッとドワーフの靴が鳴り、続いて膝が回る。腰がエルフの方へ向き直り、それに引っ張られるように上半身が回転し、最後に  
それらの勢いと体重を全て乗せた拳が、躊躇いなくエルフの鳩尾へと飛んだ。  
「ぐぼぁっ!!」  
ドッと鈍い音と共に、エルフの体がくの字に曲がる。  
「うぜえんだ、てめえは!黙ってろ!!」  
どうやら、性格的にはうちのフェアリーに似ているようだと、クラッズは苦笑いしつつ思った。  
「だから、その、さすがに、あんなの探し出すのはできねえと思うけど、なんかあたいができることねえか?少しでも、お前に何か  
お礼がしてえんだ」  
「ん〜、そうは言われても、別にそんな…」  
そこまで言って、クラッズはふと思い出した。  
 
「……あ、それならさ。君、天使の涙持ってないかな?」  
「天使の涙…?大天使とかでもいいのか?」  
「いや、天使の涙。それ持ってたら、譲ってくれると嬉しいんだけど」  
「そっか……でも、ごめん。あたいは持ってないんだ…」  
その時、うずくまっていたエルフが、掠れた声を出した。  
「ぉ……ぁ……れ、なら……くが…………って…」  
「ん?何だよ、何か言ったか?」  
エルフは苦しげに息をしつつ、何とかヒールを詠唱した。痛みが消えると、エルフはすっくと立ち上がる。  
「天使の涙だろう?それなら僕が持ってる。一つでいいのかい?」  
「あ、できればいっぱいあると嬉しいな」  
「そうか。三つしか持ってないけど、それでもいいかい?」  
「一個でも嬉しいぐらいだから、十分だよ。ありがとう」  
エルフから天使の涙を受け取ると、クラッズは二人に笑顔を向けた。その笑顔に、二人とも少しホッとしたような表情を見せる。  
「ほんとに、ありがとな。他にも何か、あたいにできることあったら言ってくれよ」  
「ありがとね。じゃあ、その時はお願いするよ」  
「ああそうだ。よければ君の仲間を紹介してもらってもいいかい。可愛い女の子達を独り占めするなんて、もったいな…」  
それ以上の言葉は、彼の股間共々、ドワーフの足に蹴り潰された。  
「――――っっっ!!!!っっっ〜〜〜〜!!!!」  
声なき悲鳴をあげ、床に倒れるエルフ。それを見ていたクラッズまで、大事なところが、とても痛くなってくるようだった。  
「え〜と……できれば、そのエルフ君のこと、もうちょっと大事にしてあげてね…」  
「ん、ああ。こんな野郎でも、大事な奴なんだ。大丈夫、これぐらいじゃ死にやしねえし、もう死なせもしねえから」  
「いや、大丈夫じゃないよそれは…」  
「とにかく、ほんとありがとな。あたいが何かできるなら、いつでも呼んでくれよ」  
そう言い、ドワーフは床に倒れるエルフを引きずって、部屋へと帰っていった。エルフは引きずられながら、何とか手を上げて  
クラッズに手を振っていた。  
満面の苦笑いでそれを見送ると、クラッズはまたベッドに戻った。このまま寝てしまおうかと思っていると、隣の部屋から壁を叩く  
音が伝わってきた。それを聞くともなしに聞いていたクラッズは、突然跳ね起きる。  
驚いたような目でしばらく壁を眺め、壁を叩く音が消えると、今度はクラッズが壁を叩き返した。それは聞こえてきた音と同じく、  
不規則に聞こえて、ある一定の規則性を持ったリズムで鳴らされる。  
クラッズが壁を叩き終える。ややあって、やはり向こうから同じような音が返ってきた。  
「やっぱり…!やっぱりそうだ!」  
一人呟くと、クラッズの顔に、ぱあっと明るい笑みが広がった。  
それは、彼とフェアリーだけが知る暗号だった。彼女が盗賊だった頃に、二人で秘密の会話をするときのために作ったのだ。  
『どうしてここがわかったの?』  
『宿帳にあんたの名前があったから。部屋調べたら隣空いてたからね』  
壁一枚を隔てて、フェアリーがいる。それだけで、クラッズはいても立ってもいられない気分になる。  
『フェアリー、元気でやってる?どんなパーティにいるの?』  
『元気。パーティはあんたに関係ないでしょ。そういうあんたはどうなのよ』  
『ボクも元気だよ。パーティのみんなとは仲良くやってる』  
色々聞きたいこともあり、話したいこともたくさんあった。だが、いざ話せる状況になると、それはなかなか言葉に出来なかった。  
『ところで、例のアイテムは見つかった?』  
突然の質問に、クラッズは一瞬うろたえた。見つけたには見つけたが、それを他の人にやってしまったなどと言ったら、フェアリーは  
本気で怒るかもしれない。  
『まだだよ』  
『嘘だ』  
即答で返され、クラッズは血の気が引く思いだった。  
 
『一瞬、間があったでしょ。それにね、変な噂してる奴がいたんだよね。仲間をロストしたパーティに、蘇生の果実をただでやった  
お人よしがいるってさ。言い訳があるなら、一応聞くよ』  
クラッズは大きな大きな溜め息をついた。やはり彼女には、嘘など通用しないらしい。  
『その子、ドワーフでさ。ロストした人が、恋人だったらしいんだ。だから、うちのドワーフと重なっちゃって……ごめん』  
それに対する返事は、しばらくなかった。たっぷり1分ほども経ってから、壁越しにもわかるほどに、大きな溜め息が聞こえた。  
『ノームとかセレスティアじゃあるまいし、お人よし発揮すんのも大概にしなさいよ。もう無いものはしょうがないけどさ。で、何か  
収穫はないの?』  
どうやら、一応はわかってくれたようで、クラッズはホッと息をついた。  
『お礼ってことで、天使の涙三つもらったよ』  
『へえ、こっちは天使の涙四つある。これで七個だから、あと三つね』  
『ねえ、フェアリー』  
今まで浮かんでいた笑顔が消え、クラッズは力なく壁を叩いた。  
『……会いたいよ』  
それに対し、ややあってから返事が来る。  
『あたしは、会いたくない』  
彼女との付き合いは長い。その言葉が、そのままの意味ではないことは、クラッズにはよくわかっていた。クラッズとて、一度会えば、  
もう離れられなくなってしまうだろう。  
『わかってる。早く会えるように、頑張らないとね』  
『そのチャンスを、どぶに捨てたあんたには言われたくないっての。それから、天使の涙はあたしが預かるから、部屋の前に置いといて』  
『わかった。置いたらドアノックするよ』  
クラッズはベッドからポンと飛び降り、天使の涙を道具袋に入れ、部屋を出た。そして隣の部屋の前に置き、ドアをノックするとすぐに  
部屋の中へと戻った。  
ドアが閉まると同時に、隣のドアが開く音がする。続いて道具袋が床に擦れる音が響き、ドアの閉まる音がする。  
それを確認してから、もう一度ベッドに戻る。そこで耳を澄ましていると、比較的すぐに返事があった。  
『確かに三つ、預かったよ。あと三つ探すのが先か、他のアイテムが先か。どっちにしろ、あんたも頑張りなさいよ』  
『わかってるよ。フェアリー、絶対一緒に、帰ろうね』  
『言うまでもないこと、いちいち言わないでよ。それじゃ、おやすみ』  
以後、ノックの音は消えた。直接言葉を交わしたわけではないが、それでも嬉しかった。久しぶりに、彼女と話が出来たのだ。  
それに、彼女の無事も確認できた。それだけでも、クラッズは満足だった。  
ベッドに寝転び、目を瞑る。今日はいい夢を見られそうだと、クラッズは半分眠りかけた頭で思っていた。  
 
パルタクスから飛竜が飛び立ち、空への門へと向かって飛んで行く。さすがに距離があるため、いくら飛竜とはいえ、多少は時間が  
かかる。そこに至るまでの景色もすっかり見飽きている一行は、それぞれ思い思いに過ごしていた。  
「なあエルフ。最近、ファインマン校長はボケてきていないか?」  
「いくらお姉様がヒューマンを嫌いとはいえ、校長をそんな風に言うのは…」  
「いや、違う違う。この前、総合カリキュラムの特級を受けただろう?その前に、校長に挨拶しておこうと思って校長室に行ったのだ。  
そうしたら、『卒業証書はどうしたのですか?』とか言われてな……勘違いだとは言いにくいから、そのままもらってしまった…」  
「……きっと、総合カリキュラムを受ける前から、校長はお姉様が無事に終えられると信じてたんですわ」  
「そうだといいんだがな……あの卒業生達と間違われたんではないことを祈ろう」  
そんな話をするエルフとバハムーンを尻目に、他の仲間は怪談で盛り上がっていた。  
「でな、デーモンズの奴等とか、俺等生徒にそっくりな奴がいるだろ?その見た目に騙されて、不意打ち食らって、殺されたパーティが  
あるんだよ。でだな、そのリーダーだった奴が、最初に後ろから叩き潰されたらしいんだ。だから、そいつは自分が死んだことにも  
気付いてねえんだよ」  
「おい……やめろ。もうやめろ。やめてくれ。それ以上はいい。言うな」  
ディアボロスは耳を塞ごうとするが、ノームがニヤニヤしながら両手を掴んでいるため、それもできない。  
「他の奴は、その後にやられたから、あの世にちゃんと行ったんだろうな。でも、そいつは仲間がいきなり消えて、そいつらを  
探し回ってるんだ」  
「やめろ。よせ。ノーム放せ、放してくれ。おい、ほんとに放せってば!」  
「セレスティア、手伝って。私だけじゃ押さえ切れない」  
「ええ、いいですよ。あるいはパラライズでも、唱えましょうか?」  
「先に魔力使ったら、リーダーに怒られる」  
セレスティアはディアボロスの左手をがっちりと押さえ、ノームは右腕をしっかりと掴んだ。  
「こら、セレスティア!ノーム!放せってばぁ!!!」  
「でな、自分が死んだことにも気づいてないもんだから、そいつは地下道から出てくるんだってよ。それでな、空への門の宿屋の、  
どこか一室が、そいつらが使ってた部屋なんだ。そこに泊まるとな、もうだ〜れも起きてないような夜中にな、音が聞こえるんだよ。  
廊下をゆっくり歩く、ぎしぃ……ぎしぃ……って、小さな音がな。それがだんだん近づいてきて…」  
「うぅおおおおぉぉぉあああぁぁぁ!!!やぁぁめぇぇろぉぉ!!!」  
「やれやれ、うるさいですねえ。少し静かに、していただきましょう」  
さすがにうるさかったため、セレスティアは精神の石をぱちんこにかけると、至近距離から撃ち込んだ。ディアボロスは一声呻くと、  
ブルブル震えながら黙り込んだ。恐怖の震えか痛みの震えか、また痛みで黙ったのか特殊効果で黙ったのかは不明である。  
「足音はな、部屋の前で止まるんだよ。それで、コンコンってノックが聞こえてな『俺だよ、開けてくれよ』って声がして、  
それでも出ないと、鍵をかけたはずなのに、ドアがゆっ……くりと開き始めるんだってよ。そんでな、その向こうには、頭を砕かれて  
血塗れになったそいつがいて、笑いながら部屋に入って…」  
「おい、いつまでくだらない話をしている。もうすぐ着くぞ」  
バハムーンの声に前を見ると、確かに空への門が見え始める頃だった。しかし、着くにはまだ少しかかる。  
「何だよ、いいところなのに。お前はこういうの嫌いか?」  
「アンデッドなど怖くもない。それより、着く前にそいつを何とかしておけ」  
バハムーンが顎で示したのは、両手を押さえられながら無言でのたうち回るディアボロスである。しっかり沈黙効果は出ていたらしい。  
「はいはい、わかったよ。ちゃんと回復しとくって」  
「それから、少し気を引き締めた方がよろしいですわ。これから戦う相手が、誰だかわかってまして?」  
「わかってますよ。ですが、例えエンパスといえど、負ける気は、しませんがね」  
とはいえ、そう言うセレスティアの表情は少し硬い。やはり、過去にロストした者が出ているということで、不安はあるのだろう。  
それは全員同じらしく、以後はあまり会話もなかった。ただ、近づいてくる空への門を見ながら、それぞれの準備を整えていた。  
 
パーティとしての力だけなら、卒業生を凌ぐといわれる彼等の戦いは、そう言われるに相応しい高次元での安定を見せる。  
最初に魔法壁を張り、その間にバハムーンとノームを除く全員がラグナロクを詠唱し、一気に体勢を整える。例えインバリルを  
唱えられても、必ず一人が魔力回復の効果を起こしているため、そこから崩れることもない。非常に手堅く、安定した戦いをし、  
エンパスを討ち取ったときも、全員ほとんど傷らしい傷はなかった。  
「みんな、無事だな」  
「何も落とさなかったね。つまんない」  
「次の機会に、期待しましょう」  
死者も出ず、ホッと一息つく一行。その時、ディアボロスが何気なく部屋の中を見回すと、何かが落ちているのに気付いた。  
「……ん?何だありゃ?」  
気になって近づくと、少しずつそれがはっきりと見えてくる。そしてその正体に気付いた瞬間、ディアボロスはその場に立ち竦んだ。  
それは物ではなく、ノームの依代だった。生きているのか死んでいるのか、この暗い地下道の中で、糸の切れた操り人形のように  
座り込むその姿は、異様に不気味に映る。  
「おい、どうした?」  
「い、い、いや、あれ……だ、誰だ?つーか、生きてるのか…?」  
ディアボロスの言葉で全員が気付き、そちらに視線を送る。  
「……さすがにわからんな。ノーム、お前はどうだ?」  
「私だって、わからない。中身が入ってるかどうかまでは、同種族でもわからないもん」  
「なら、確認してみるか。ディアボロス、頼む」  
「え、えええっ!?お、俺ぇ!?」  
「一番近いからな。怖いなら私も一緒に行ってやるが?」  
「う……わ、わかったよ!行きゃいいんだろ!?……でも、なるべく近くにいてくれ…」  
ディアボロスはおっかなびっくり、生死不明のノームに近づく。元々が人形であるため、もちろん生命反応はない。  
そっと前に回りこんで見ると、目は虚ろに開かれたまま、微動だにしない。  
何だか怖いのでまた後ろに回ると、ディアボロスは溜め息をついた。そこに、バハムーンとエルフもやってくる。  
「どうだ。わかったか?」  
「ずいぶんいるみたいで、えらく汚れてるな。生きてるか死んでるかはわからねえけど、でも、死んでるなら無事でいるわけもないし…」  
ギギ、と、微かな音が鳴った。ディアボロスの背中に、冷たい汗が流れる。  
ゆっくりと、後ろを振り返る。  
ノームの首が、体はそのままに真後ろを向き、ディアボロスを虚ろな目で見つめていた。  
「ぎゃーああああぁぁぁ!!!!」  
「きゃあっ!?やだ、やめてよっ!!」  
「お姉様に何するんですの!?」  
「ばかぁっ」  
ディアボロスは咄嗟に、近くにいたバハムーンに抱きついてしまった。直後、女三人の声と共に、それぞれがディアボロスを強打する  
音が響く。彼はそのまま地面に倒れ、半分意識を失っているらしい。  
「……すみません、驚かせるつもりはなかったのですが。誰かが来るのは、久しぶりですね」  
ギリギリと音を立てながら、ノームが体を動かす。  
「なんか、一瞬えらく可愛い悲鳴が聞こえたような気がするんだが…」  
ヒューマンが言うと、バハムーンはドラゴンそのもののような目で彼を睨んだ。  
「……気のせいだよな、は、ははは…」  
「あら……もしかして、あなた、卒業生の方ではなくって?」  
エルフが尋ねると、ノームは静かに頷いた。そして、体も首の方向へ向け、倒れているディアボロスにヒールを唱える。  
「ええ、その通りです。あなた方は、パルタクスの方ですね。とても強い方々だと、よく噂を聞きましたよ」  
ノームの言葉に、セレスティアが鼻で笑った。  
「皮肉、ですかね。あなたのような卒業生から見れば、わたくし達など、取るに足らないでしょうに」  
直感で、バハムーンは危険だと感じた。話を聞く限り、ノームは善の思考を持っている。だが、こちらは悪の思考を持つ者が三人もいる。  
このまま話していれば、喧嘩が起こることも十分にありえる。  
 
「おい、もう話は終わりだ。帰るぞ」  
「もうかよ。ま、いいけどな。にしても、なかなかいい土産話もできたよな。卒業生のお方が、こんな所で一人でみすぼらしい姿を  
晒してますってな。校長に聞かせてやりゃ、大喜びだろうよ」  
「セレスティア、ヒューマン、いい加減にしろ。無駄話などしていないで、さっさと帰るぞ」  
「おやおや。何をそう、慌てているので?……ああ、仲間を失って、他の仲間にも見捨てられた彼を見るのが、不快だと、いうこと  
ですかね。それなら、わたくしもわかりますが」  
既に、お互い言葉と行動で、性格を把握している。彼のような善人が、この仲間達は気に入らないのだ。  
「さっさと行くぞ!無駄話はそれで終わりだ!」  
「……うぁ、頭が痛てぇ……大声出すな…」  
ディアボロスがようやく起き上がり、辺りを見回す。バハムーンは、なおも何か言おうとしていたセレスティアとヒューマンの髪を掴み、  
出口に引きずっていく。エルフもその隣にいる。が、ノームは彼の前にしゃがみこみ、何やらニヤニヤと笑っていた。  
「……ふーん、待ってるんだ。帰ってこないかもしれないのに」  
「必ず帰ってくると、信じています」  
「馬鹿じゃない。どうせみんな、あなたのことなんか忘れてる。あなたは舞台に置き去られた人形。舞うこともなく、喋ることもなく、  
来ない主人を待ち続け、そのまま朽ちる、哀れな人形」  
「……決して、そんなことはありません。ドワーフさんも、クラッズさんも、フェアリーさんも、セレスティアも、必ず戻ってきます」  
その一言で、彼女は気付いた。何気なく聞き流してしまいそうな、たった一言に、彼女の女の勘が働いた。  
「へえ、好きなんだ。そのセレスティアが。ただの人形のあなたが」  
「……ええ」  
「あはは。人形がどう恋をするの。人形をどう愛せるの。その子があなたを好きって言うのは、所詮ただの同情。哀れな人形を可哀想に  
思って、好きになってあげてるフリをしてるだけ。それにも気付かないなんて、あなた、ほんとに可哀想」  
「………」  
「人形が」  
吐き捨てるように、彼女は言った。そこには、普段抑揚のない喋りをする彼女の言葉とは思えないほどの、強い侮蔑の響きがあった。  
「その子も可哀想。あなたみたいな人形に好かれて、それに付き合ってあげなきゃいけないなんて。それとも、その子もあなたみたいな  
馬鹿なのかしら。あはは、だとしたら、すごくお似合い」  
彼は無表情に、喋り続ける彼女を見つめている。  
「でも、やっぱりそれはない。だって、その子もあなたを捨てて、パルタクスに戻っちゃったんだから。どうせあなたは、みんなから  
捨てられた…」  
「おいノーム、いい加減にしろっ!!!」  
突如、凄まじい怒鳴り声が響いた。彼女が驚いて振り向いた瞬間、パァンと乾いた音が辺りに響いた。その衝撃で彼女は地面に倒れ、  
頬を押さえて唖然とした顔でディアボロスを見つめる。  
やがて、眉が寄り、唇がわなわなと震え、たちまちその目には涙が浮かんだ。  
「う……う、うわあ〜〜〜んっ」  
まるで子供のように泣き出した彼女を苦々しい目で見つめ、ディアボロスは彼の前にしゃがみこんだ。  
「その……悪かった。これで勘弁してやってくれねえか」  
「彼女は、泣けるのですね」  
相変わらず無表情に、彼は言った。  
「は?」  
「いえ。それより、逆にあなたに辛い思いをさせてしまったようで、申し訳ありません」  
「あ、いや、そんな……こっちこそ、悪かったよ。もう、あんなこと言わねえように、きっちり言っとくから」  
「あまり、辛く当たってはいけませんよ。彼女は彼女で、抱えているものがあるのですから」  
「は、はあ……と、とにかく、俺等はこれでな!おいノーム、行くぞ!」  
「ふえぇぇ。ぶつなんて最低っ。馬鹿っ。もう知らないからっ」  
差し出した手も取らず、ノームはディアボロスを置いてさっさと飛んで行ってしまった。  
「って、おいおいおいいぃぃ!!みんなまだ行くなよ!!俺を置いていくなぁぁ!!」  
大慌てで仲間の後を追うディアボロス。その彼もいなくなると、辺りはまた静寂で満たされる。  
彼はまた、元のように座ると、静かに目を瞑った。そしてポツリと、呟いた。  
「……セレスティア…」  
 
一行はパルタクスに帰らず、そのまま宿に泊まった。明日はアイザ地下道に行こうという話になっていたためである。  
「やれやれ、とんだ騒動を起こされるところだった」  
ベッドに倒れこみながら、バハムーンがぼやく。そんな彼女に、エルフがそっと近寄る。  
「でも、大事に至らなかったのだから、良しとしなければいけませんわ。……ふふっ、それより、お姉様」  
エルフの手が、バハムーンの大きな胸に触れた。途端に、バハムーンはビクリと体を震わせる。  
「んあっ!エ、エルフ、待てっ!ちょっと……あっ!ちょっと待てぇ!!」  
何とか身をよじり、エルフの手を掴むと、エルフは不服そうな顔でバハムーンを見つめる。  
「あ、あのな、いいか!?その、するのは構わないが、タチは私でネコがお前だ!いいな!?」  
「タチ……猫…?」  
「あ、うー、その、あれだ!攻めが私で受けが……じゃない、する側が私で、される側がお前だ!いいな!?いいよな!?」  
「嫌ですわ」  
「言うことを聞けってば!わ、私はリーダーだぞ!」  
「二人でいる限りは、リーダーも何もありませんわ」  
「ずるい、そんなの!」  
ぐるりと腕を回して、エルフがバハムーンの腕を解く。そうして掴みかかろうとした瞬間、不意にノックの音が響いた。突然の事に、  
二人とも思わず身構える。  
「こんな時間に……誰だ?」  
外は既に暗く、もう起きている者もほとんどいないだろう。そんな時間に来訪者が来るなど、普通はありえない。  
「どなたですの?」  
「……俺だよ……開けてくれ…」  
か細い声が聞こえ、二人は一瞬顔を見合わせた。脳裏に、昼間ヒューマンが話していた怪談が蘇る。  
「あんな話……嘘……だよな…?」  
「……お姉様、もしかして怖い話も苦手ですの?」  
「こ、怖くなんかないっ!馬鹿にするな!」  
「じゃあ、どうして震えてますの?」  
「……お化けは嫌い…」  
「アンデッドとどう違うと…」  
「全然違うじゃないかぁ!」  
再びノックが響き、バハムーンはますます激しく震えだす。仕方なく、エルフは刀を携え、ドアへと向かった。  
「おい……早く、開けてくれよ…」  
いよいよ、話が真実味を帯びてきたような気がして、エルフは静かに鯉口を切る。そして、鍵を外すと勢いよくドアを開け、  
同時に刀を抜いた。  
「うおわっ!?」  
「……なんだ、あなたでしたの?」  
「な、な、なんだじゃねえ……こ、こ、殺す気か…!?」  
首筋に刀を突きつけられ、冷や汗を流しているのはディアボロスだった。エルフは気の抜けた溜め息をつくと、刀をパチンと納める。  
「あの怪談の真似をして、怖がらせようというつもりでして?」  
「違うわっ!怖いのは俺の方だってのっ!せっかく、死ぬほど怖いの我慢してここまで来たのに、おまけに刀突きつけられるとか…」  
ディアボロスもようやく人心地ついたらしく、全身の萎むような溜め息をついた。そこに、いつの間にか威厳を取り戻したバハムーンが  
声をかける。  
「それより、こんな時間に何の用だ?非常識にも程があるだろう?」  
「あ、ああ、それは悪かったよ。でも、ちょっと頼みがあってな…」  
「何かあったんですの?」  
「あ〜、二つあってな。一つは、ノームを説得してほしい。あいつ、完全にへそ曲げちまってさ、謝っても聞いてもらえねえし、  
お菊人形けしかけられるし……んでもう一つは、どっちかゼイフェア地下道についてきてほしいんだ」  
ノームの方はともかく、彼の意外な頼みに、二人は目を丸くする。  
 
「ゼイフェア地下道に?それはまたなぜ?」  
「……あの、エンパスの部屋にいたノームと、話をしたい。きっちり謝りたいってのもあるしな」  
「どうしてわざわざ…?」  
「当たり前だろ。喧嘩吹っかけて、あいつをぶち切れさせたのは俺達だ。それを、ろくに謝りもしないなんてこと、俺にはできねえ」  
本来は善の思考を持つディアボロスである。中立的になったとはいえ、今でもたまに、こういった善寄りの思考が出るときがある。  
「ぶち切れ…?あいつは、そんなに怒っていたか?私には、特にそうは見えなかったが」  
バハムーンが言うと、ディアボロスは少し溜め息をついた。  
「なあ、エルフ。お前ならわかるんじゃないか?人間、本当にぶち切れたときって、どうするよ?怒鳴るか?騒ぐか?」  
「……いえ、恐らくはその前に切り捨てるか……それ以前に、真の怒りの前には、言葉など出ませんわ」  
「だろ?あいつもそうだったんだよ。あのまま放っておいたら、それこそ殺し合いにだって発展しかねなかったかもしれない。  
それを、ノームに言っても聞いてもらえないんだよなあ……でも、あの場面じゃ殴るのもしょうがねえじゃねえかよ…」  
ぶつぶつ言って頭を抱えるディアボロスを前に、二人は顔を見合わせた。  
「こいつの言うことも、わからんではないが……どうする?」  
「でも、どうしてそれをわたくし達に?あなたなら、一人でもたどり着くことはできるんじゃなくって?」  
「え?だって、ほら、そりゃあその……怖いじゃねえかよ……あのデーモンズの奴等とか、幽霊なんだぞ!?」  
「………」  
今度は違う意味合いで、二人は顔を見合わせた。お互い口には出さずとも、呆れ返っているのはすぐにわかる。  
「ま、それなら仕方ないな。私がついて行って…」  
「あ、お姉様。それならわたくしが地下道に行きますわ」  
「えっ!?」  
バハムーンとディアボロスが、同時に声をあげた。それもそのはずで、元々エルフは種族柄ディアボロスを嫌っているし、  
男と接するのが平気になった後も、過去の記憶からディアボロスにだけはなかなか慣れなかったのだ。それが、彼とたった二人で  
地下道に行くなどとは、どういった心境の変化なのか。  
そんな心を読んだかのように、エルフがそっと、バハムーンに耳打ちする。  
「お姉様も、怖いのは苦手なのでしょう?それに、ノームもリーダーであるお姉様の言うことなら、きっと大人しく聞きますわ」  
「う、それは……むぅ、それもそうか…」  
一瞬悩んだものの、バハムーンはすぐに頷いた。  
「わかった。なら、ついて行くのはお前に任せる。二人とも、十分に気をつけろよ」  
「わかってますわ。それじゃあ、早く行きましょう」  
探索が目的ではないため、最低限の装備をすると、エルフとディアボロスは部屋を出る。その後に、部屋着から制服に着替えた  
バハムーンも続く。  
「悪いな、こんな時間に面倒なこと頼んで。でも、感謝するよ」  
「問題が起これば、それを何とかするのもリーダーの役目だ。気にするな」  
「それじゃあ、お姉様。また後で」  
最後に軽く手を上げて挨拶すると、三人はそれぞれの場所へと向かって行った。途中、遠ざかるエルフの背中を見て、バハムーンは  
少しだけ心配そうな顔をし、そして大きな大きな安堵の溜め息をついていた。  
 
エンパスの部屋に、ポツンと座るノーム。その耳に扉の開く音が聞こえ、彼はゆっくりと振り向いた。  
「よお。昼間は、悪かったな」  
そこには、数時間前に見たディアボロスとエルフが立っていた。  
「それと……今のも、ちょっと悪かったな。期待、させちまったか?」  
「いえ、いいんですよ。わざわざ、二人だけでここにきたのですか」  
「ああ。あの……昼間、うちの奴が迷惑かけちまって、ほんとごめんな」  
「いえ、こちらこそすみません。仲間のことを言われたもので、つい」  
あくまで無表情に、しかし優しく答える彼に、エルフは少し興味を持った。男は今でも得意ではないが、彼はさほど嫌な感じがしない。  
「それにしても、意外でしたわ。あなたのような、森の中の、深き湖の如き心を持った方が、あれほどの怒りを見せるなんて」  
そう言われると、ノームはエルフの顔を見つめ、少しの間を置いて答えた。  
「いかに高い木々に囲まれた湖といえど、風が吹けばさざなみも立ちます。嵐となれば、周りの木々すら押し流す、荒れ狂う濁流にも  
なりえますよ」  
意外な答え方に、エルフは少し驚き、同時にこのノームに対し、大きな好感を抱いた。  
「素敵な方ですわね。あなたのような方、嫌いじゃなくってよ」  
「おいおい、エルフ、どうしたんだ?お前、男は苦手じゃないのかよ?」  
「あら、女性でも苦手な方はいますわ。同じように、殿方でも最初から好感を抱ける方だっていますわ」  
「へえ、まあいいけど。……ああ、それで、その」  
ディアボロスはまた、ノームに視線を移す。  
「お前は、ここで仲間を待ってるのか?」  
「ええ」  
「ずっと?一歩も動かないでか?」  
「ええ」  
「……こんなこと聞くの、失礼かもしれないけど言わせてくれ。お前はどうして、そこまで仲間を信じられるんだ?」  
ディアボロスの問いに、ノームはすぐには答えなかった。しばらく答えを探すようにうつむき、やがて顔を上げた。  
「さあ、なぜでしょう。理由はいくらでも付けられますが、彼等を信じることに、理由などないのかもしれません」  
「……やっぱ、お前らには敵わねえな…」  
溜め息と共に、ディアボロスはそう呟いた。その言葉に、エルフが口を開いた。  
「わたくしは、何となくわかりますわ。わたくし、お姉様のことは全て信じられますわ。例え、どんな事があっても」  
「セレスティアとかヒューマンはどうだ?」  
「……微妙ですわね。でも、信じられないかと聞かれれば、それは違いますわ。少なくとも、リーダーを裏切るような真似は、  
絶対しないと信じてましてよ」  
「リーダーねえ……あ、そうだ。リーダーで思い出したんだが、お前のとこ、パーティをまとめるリーダーっていないのか?あ、いや、  
答えたくないなら答えなくていいんだけど…」  
そう尋ねると、ノームは少しだけ首を傾げた。  
「特に、いませんね。常に先頭にいたため、フェルパーさんがリーダーだと思われることも多かったようですが、決してそういうことは  
ありませんでした。誰が上でもなく、下にも立たず、それ故に、僕達のパーティはここまでこられたのだと、僕は思っています」  
「上がいないからこそ……か。俺達とは大違いだな。もっとも、俺達が横並びになったら、あっという間にパーティ崩壊だな」  
「僕達の形が、最善とは限りません。あなた達が最善とも限りません。その場その時、その人次第で、最善などいくらでも変わります」  
それはいかにもノームらしい、客観的な言葉だった。  
「やっぱり、ノームってのはすげえよなあ。うちのはちょっとあれだけど」  
ディアボロスがぼやくと、ノームの雰囲気が僅かに変わった。  
「……彼女は、特別です」  
「はい?」  
「先程のことで、あまり責めてはいけませんよ。彼女の気持ち、僕にもわからないわけではありません」  
「そういや、それ昼間も言ってたな。よければ、それ、もうちょっと詳しく聞かせてくれねえか?」  
 
ノームは少しうつむき、目を瞑った。やがて、意を決したように目を開くと、抑揚のない声で話し出した。  
「僕達は、生身の体を持ちません。それが、時にありがたくもあり、憎らしくもあり。生身を持たない故に、抱えるものもあるのです。  
生殖すら必要としない僕達に、その機能はなく、それ故に愛し、添い遂げることも必要としない。他種族と交われば、それはより大きな  
引け目となります。体をいくら真似たところで、僕達は生身ではない」  
言うなり、ノームは首だけをぐるりと真後ろに回した。  
「うわ…!」  
「生身を模した体ではあっても、この通り、所詮は人形です。僕達はどう足掻いたところで、生身の人間にはなれない。それに大きな  
劣等感を覚える者も、実はとても多いのです。僕自身も、そうでした」  
首を元に戻し、ノームは変わらぬ声で続ける。  
「恐らくは、彼女もそうなのでしょう。あの依代は、限りなく生身に近い。しかし、どこまで近づいても、本物にはなれない。  
近づけば近づくほど、むしろそれを遠く感じる」  
彼の言葉に、ディアボロスは彼女の体を思い出していた。あれほどまで精巧な体をもってしても、結局は生身ではない。  
どんなに精巧であっても、それはやはり『人形』の体なのだ。  
「そんな体を持つ僕達が、あなた方と同じ心を持つという保証はありません。元々アストラルボディしか持たない僕達は、感覚すら  
あなた方と違う世界にいる。だけど、それでも僕達は、誰かを愛することがある」  
ノームの手が、記憶の誰かを抱き締めるように、自分の胸を抱く。  
「彼女は、特別です。限りなく生身に近い依代を持ち、あなたを愛することが出来た。彼女は、それが誇りであり、プライド。  
だからこそ、人形そのものの僕が、彼女と同じ愛情を持っていることが許せなかった。人形は恋などしない。自分は人形ではない、と」  
「……そんなの、間違ってますわ!」  
ディアボロスが口を開くより先に、エルフが叫んだ。  
「生身だとか、そうじゃないとか、そんなことはどうでもいいはずですわ!人を愛する心は、誰しも平等にあるはずでしょう!?」  
「そう、それは理屈ではわかっています。ですが、そう簡単に、割り切れはしないのです。理屈と心は、違う」  
他ならぬノームである彼の言葉は、ひどく重く響いた。そして、ディアボロスが口を開く。  
「俺は……あいつが人であるための、道具か?」  
怒っているような、悲しんでいるような、とらえどころのない声だった。  
「俺……俺は、ほんとにあいつが好きだよ。あいつも、そうなんだと思ってた……けどっ…!それじゃ、俺は何なんだ!?それこそ、  
俺は道化の操り人形じゃねえかよ!愛された気になって、恋人気分になって、それは全て、あいつが人でいる気になるための道具か!?」  
「いえ、それは違います」  
はっきりと、ノームは言った。  
「彼女は、人であるために、あなたを愛したのではありません」  
「じゃ、何だって言うんだ!?お前がそう言ったんじゃねえのかよ!?」  
「誤解を与える言い方をしたことはお詫びします。ですが、いくら人の真似と言っても、誰かを愛することは、そう簡単に出来ません。  
彼女は、人となるためにあなたを愛したのではなく、あなたを愛したから、人になれたのですよ」  
その言葉に、ディアボロスは一瞬身を固くした。やがて、全身の萎むような溜め息をつき、首を振る。  
「……そんな童話、あったっけな。白馬の王子様ってのも、楽じゃあねえもんだ…」  
「先程、あなたは操り人形と言いましたが、その糸を操るのは彼女なのでしょう。なら、愛するように仕向けられた人形とはいえ、  
そう仕向けたのは他ならぬ人形遣い。彼女があなたを愛する気持ちに、偽りはありませんよ」  
無表情に言い終えると、ノームは静かにうつむいた。そんな彼を、エルフはどことなくうっとりした目で見つめている。  
「やはり、あなたは素敵な方ですわね。いつか、ゆっくりお話でもしたいですわ」  
「ありがとうございます。僕も、その時が来ることを願いますよ」  
もう話すこともなく、二人は軽い挨拶をすると、ノームと別れて部屋を出た。  
 
扉が閉まると、ディアボロスはエルフをしげしげと眺めた。  
「何ですの?そんなに人のことをじろじろと…」  
「いや……お前、あのノームのこと好きになったのかなーって」  
「そうですわね。でも、わたくしの彼に対する『好き』は、愛や恋というものとは別物ですわ」  
「そうか。でも、話してみたらそっちの意味で好きになるとか、ありそうじゃねえか?」  
「絶対にありませんわ。確かにいい方ですけれど、愛情を抱く相手にはなりえない方ですわ」  
「そうかなー?でも、絶対なんてのは言い切れねえんじゃねえか?」  
「ないったらないですわ、しつこいですわね!彼は話し方が素敵だと思っただけで、大体わたくしにはお姉様が…!」  
そこまで言って、エルフはハッと口を押さえた。それに対し、ディアボロスはきょとんとした顔で彼女を見つめる。  
「バハムーン?あいつがどうしたんだ?」  
「い、いえ……あの、その…」  
「ん?……あ〜、わかった」  
ディアボロスはエルフの顔を見ながら、にんまりと笑った。  
「リーダー差し置いて、彼氏作りたくねえとか思ってんだろ」  
「え?」  
「いや、お前があいつに懐いてるのは知ってたけど、ほんと懐いてんだなー。女同士の友情って奴か?」  
そう言って笑う、超が付くほどの鈍感男を見つめ、エルフは苦笑いを浮かべた。ここまでくると、ある意味ではこの男も  
好きになれそうな気がしてきた。  
「でもさ、お前はお前で、あいつはあいつなんだし、そんなところには気を使わなくってもいいと思うんだけどなー」  
「……ま、いいですわ。きっとお姉様も、これだからあなたをパーティに入れたのでしょうね」  
そして、恐らくはノームも、これだから彼を好きになったのだろう。鈍感で、純情で、頭は悪くないくせに、どこか抜けている。  
だからこそ、彼は彼女の劣等感にも気付かず、それ故に無用な同情もせず、ただ一人の女の子として扱ってくれるのだ。  
以前ほどは痛まなくなった記憶の傷を覗き、エルフは溜め息をついた。  
「……わたくしがもっと慎重で、初めにあなたに出会っていれば、もしかしたら今頃は……ね…」  
「ん?何か言ったか?」  
「何でもないですわ。さ、早く戻りますわよ。あまり遅いと、お姉様が心配しますわ」  
「はいはい、ほんとお前はバハムーン好きだな。でも、ま、それも確かだし、さっさと戻るか」  
軽い調子で言うと、ディアボロスは懐から帰還札を取り出す。その指にはまった友好の指輪を見て、少しエルフの心が痛んだ。  
装備に頼ってまで、彼は仲間でいてくれている。ほぼ全員に嫌われつつも、それでも彼は仲間としてずっと頑張ってくれているのだ。  
帰還札が効力を発揮する寸前、エルフはもう少し、この男に優しくしてやろうかと、ぼんやり考えていた。  
 
「あー、痛てえ……くそ、俺達が何したってんだよ…」  
「やれやれ。何もあそこまで、怒ることは無いと、思うのですがね」  
頭にできた瘤にヒールを唱えながら、ヒューマンとセレスティアがぼやく。二人とも、あの後バハムーンに鉄拳制裁を食らい、頭に  
いくつもの大きな瘤を作っていた。  
「まして、仲間でもない相手に、どうしてあそこまで気を、使うのか……わたくしには、理解、できませんね」  
「俺もだ。くそ、絶対お前より俺の方が怪我ひでえぞこれ…」  
「そんなことより、ヒューマンさん」  
不意に、セレスティアの表情が変わり、ヒューマンは訝しげに彼を見る。  
「ん?何だよ?」  
「……あなたは、このパーティに入って、後悔はしていませんか?」  
「後悔ぃ?なんでそんなこと?俺は別に、後悔なんかしてねえよ」  
「そうですか」  
どうでもよさそうに言うと、セレスティアは、ふう、と息をついた。  
「わたくしは、少し、後悔しています」  
「……どうして?」  
「あのノームを、見たでしょう?わたくしは、ああはなりたく、ありません」  
いつもの彼からは想像も付かない表情で、セレスティアは続ける。  
「よく、言われますね。人は、何かを守るためなら、より強くなれる、と。故に、仲間がいる者は、強くなれる、と」  
「ああ、よく言うな。で?」  
「ふざけた言葉だと、思いますよ。誰しも、弱味があれば、それを全力で、守るでしょうに。仲間に限らず、ね。わたくしからすれば、  
仲間など、弱味にしか、なりません」  
仲間の目の前で、セレスティアははっきりと言い切った。  
「確かに、弱味を攻められれば、全力で守るでしょう。ですから、守るものがある人間は、強いと言われる。しかし、はなから全力を  
出せるなら、弱味など、ない方がいい。本当に強いものは、失うもののない人間、ですよ」  
「………」  
「例えば、仲間を人質にされれば、どうです?そうなれば、仲間などただの、足枷です。それに、彼のような…!」  
忌々しげに顔を歪め、セレスティアは吐き捨てるように言う。  
「仲間が、戻ることを信じていると。よくできた、お涙頂戴の美談ですよ。ですが、仲間にとって、それは美談たりえますかねえ?  
仲間の信頼に応えるには、彼等はまた、あそこに戻らねば、ならない。戻る戻らないは自由。しかし、戻らなければ、非難される。  
何とも、馬鹿げた話です。信頼、友情、善意。それらは人を、否応なく束縛する、優秀な鎖ですよ。だからわたくしは、そんなもの、  
ほしくはなかった」  
そこまで言うと、セレスティアはフッと笑った。それは、自嘲の多分に混じった笑みだった。  
「彼等のような善人は、わたくしには、理解できない。モンスターが減れば、それだけ被害は減る。それは目に見えてわかることなのに、  
敵意のないモンスターを見逃す。こちらの善意が通じるモンスターも、いないとは言えないでしょうよ。ですが、それは全体の何割  
いますかねえ?一握りの中の、さらに一つまみ程度でしょうに。彼等は奇麗事ばかりを口にして、現実など、見ようともしない。  
自分の理想と違えば、悪人と悪し様に罵る。善意を盾にした悪意ほど、恐ろしいものはない。まったく、彼等は大した、悪人ですよ」  
「おいおい、お前どうしたんだよ?いきなり語り始めちまって。あんまり頭殴られて、少しおかしくなったか?」  
ヒューマンが茶化すように言うが、セレスティアは完全に無視した。  
 
「だからわたくしは、彼等のような人間を見ると、腹が立ちます。理想で生きていけるなら、これほど楽なことはない。そうは出来ない  
からこそ、苦しいというのに。卒業すれば他人となる仲間より、お金を。善意の通じる、数少ないモンスターの命より、力を。それで、  
わたくしはよかったんですよ。ですが、ねえ…」  
そこで一旦言葉を切り、セレスティアは首を振った。  
「わたくしが腹立たしく思うのは、あのノームの考えを、少し、理解できてしまうと、いうことです」  
「どの辺がだよ?」  
「きっとわたくしも、パーティの誰かがロストすれば、必死で生き返らせようと、するでしょう。それこそ、自分の命を、賭けてでも。  
リーダーのバハムーンさんや、男嫌いのエルフさん、あの薄気味悪いノームさんに、そしてあなたのような仲間など、わたくしは、  
ほしくなかった。友人と言えるようなものなど、いらないものだったんですよ」  
「……あれ?一人抜けて…?」  
「ですが、今のわたくしは、それらを大切なものと思ってしまっています。これはもう、どうしようもないこと、なのでしょうね」  
セレスティアは大きく息をつくと、窓際に近づき、満天の星空を見上げた。  
「ですけれど、やはり、彼のようにはなりたくない。わたくしは、彼とは、違います」  
「んで?どうするんだ?今からすげえ勉強でもするのか?」  
「弱味を、作った以上は仕方、ありません。それを、守りきればいい。……転科でも、してみますかね」  
そう軽く呟くセレスティアの目には、強い決意が宿っていた。  
「……お前、素直になれねえ奴だよな。俺を守りてえから転科するって言ってみろよ?」  
「気持ち悪い。死んでください」  
「即答かよ、ひでえな。ま、いいけどよ。お前に守ってもらうなんて、寒気がするぜ」  
「あなた以外を守れるよう、努力しますよ」  
軽く言ってはいるが、今までずっと司祭を続けてきた彼にとって、これは相当勇気のいる決断だったはずである。今転科すれば、  
また努力が一からのやり直しになるからだ。  
しかし、彼の目に迷いはなかった。  
欲しくもなかった、手に入れてしまった仲間を守るため。あのノームのようにならないため。  
新たな一歩を踏み出す決意を、セレスティアは、はっきりと固めていた。  
 

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