その日は朝から、遺跡への道にじとじとと雨が降っていた。石畳の地面に水滴が踊り、土の地面は水が溜まり、ぬかるみと化している。
かつての栄光を窺わせる朽ちた遺跡は、灰色の雨と相まってひどく陰鬱に映る。
ひたり、ひたりと、小さな足音が響く。雨の中を傘も差さず、たった一人で歩く男。体中に巻きつけた呪符と、口元まで隠すマントを
身に付け、周囲の景色以上に陰鬱な雰囲気を纏い、しかし眼光は鋭く、辺りを油断なく窺っている。
ゆっくりと歩く足が、不意に止まる。それと同時に、前方の土がぼこぼこと蠢き、ガイコツナイトが這い出てきた。
ディアボロスの目がスッと細くなる。そしてゆっくりと身構え、懐から一枚のタロットを取り出す。それを顔の前にかざし、勢いよく
腕を振り下ろすと同時に、まるで扇子を広げるように指を動かすと、たった一枚だったはずのタロットが、何枚にもなって広げられる。
ガイコツナイトが剣を振りかざし、走った。それを見ながら、彼はタロットを掲げた。
「迷いし腐った魂よ、肉体と共に滅びて消えろ」
タロットの一枚が浮かび上がり、直後、ディアボロスは右腕を振り下ろした。瞬間、空中に浮かんだタロットからいくつもの魂が現れ、
ガイコツナイトの体に吸い込まれていった。ガイコツナイトの動きが止まり、一瞬の間を置いて、ガイコツナイトの体は灰となり、
土の中へと消えていった。
そのまま腕を振りぬき、円を描いて左頬の横で止める。そこに先ほどのタロットが吸い込まれるように戻ると、扇子を畳むように
指を動かす。タロットはたちまち一枚に戻り、彼の懐に納まった。
何事もなかったかのように、彼は再び歩き出す。が、またすぐにその足が止まる。
前方に、二体のマインドスピリッツが見える。相手はまだこちらに気付いていないらしい。
そっと、タロットを取り出す。しかし攻撃に出ようとして、ディアボロスはふと手を止めた。
どうも、様子がおかしい。近くには他のマインドスピリッツの死体が転がっており、残る二体は怯えたように辺りを見回している。
一体何をしているのかと訝しんだ瞬間、空中から黒い塊が襲い掛かって行った。
湾曲した刃が一閃し、マインドスピリッツの首が落ちる。残る一体がその異変に気付いたときには、既に黒い塊は消えていた。
とうとう、マインドスピリッツはその場を逃げ出した。が、その先に黒い塊が回りこみ、直後、刃の描く曲線そのままに、鎌が獲物に
突き刺さった。断末魔の悲鳴が上がり、マインドスピリッツが痙攣する。やがて、その動きが止まると、ようやく鎌の刃が引き抜かれる。
それはセレスティアだった。ただし、一般に見られる純白の翼を持つセレスティアではなく、禍々しい黒い翼を持った、異形の
セレスティアである。見たところ女らしいが、その情け容赦ない戦いぶりは、とてもそうは見えない。
ついつい物珍しさから眺めていると、彼女が気付いた。
「……誰かと思えば、魔族のディアボロスですか。不快ですので、さっさと消えてください」
ひどく冷たい物言いではあったが、ディアボロスは気にする風もなく笑う。
「お前こそ、いるべき場所から追われた、醜い堕天使じゃないか。人のことを魔族だ何だと罵る前に、まずは自分の姿を鏡で見たら
どうだい」
その言葉に、セレスティアは顔を歪める。
「死者の魂を弄ぶ死霊使い風情が……あなたの命、この場で刈らせていただきます」
「やる気かい、いいだろう。お前も、俺の眷属にしてやるよ」
二人はお互いを睨みながら武器を構えた。が、ディアボロスがふと視線を横に滑らせる。
「……っと、ちょっと待て。その前に戦うべき相手ができた」
見ると、こちらに向かってセイントゴーレムが近づいてきている。この場で彼女と殺しあえば、二人とも共倒れになるだろう。
「ふん。運のいい方ですね。では、わたくしは…」
そう言って立ち去ろうとしたセレスティアの足が止まる。後ろからは、ファイアードレイクが迫っていた。
「……よくよく、お互い運がないようだな」
「お生憎ですね。わたくしには、翼があります」
背中の翼を大きく羽ばたくと、セレスティアはふわりと浮かび上がった。
「ずるいぞ、おい」
「何とでも言ってください。とにかく、わたくしはこれで失礼……きゃあっ!?」
突然、空中の彼女に何かが飛びかかった。セレスティアは危ういところで攻撃を防ぐが、地上に叩き落されてしまう。
「いたたた…!」
「ポランクドラゴンと、空飛ぶ黒板消し、か。一人で逃げようとするからだ」
「もう、何なんですかぁー!!こんなのが出るなんて、聞いてませんよぉー!!」
今までと違い、まるで少女のように喚くセレスティア。そんな彼女を、ディアボロスは呆れたように見つめる。
「制空権を奪われては、翼をもがれたも同じだな。晴れて俺の仲間入りってわけだ」
冗談っぽく言うと、ディアボロスは目元だけで笑う。
「ともかく、殺し合いはお預けにしようじゃないか。こいつら相手では、俺一人ではきつい。お前もそれは同じだろう?」
「こ、こんな相手ぐらい、わたくし一人だってっ……で、でも、仲間はいた方が、心強いかもしれませんけどねっ!」
「だろうな。不本意だが、ここは共闘しようじゃないか」
ゆっくりと、モンスター達が二人を囲む。武器を構えながら、二人は背中を合わせる。
「いくぞ」
「命令しないでください!」
セレスティアが鎌を振りかざし、ポランクドラゴンに襲い掛かる。しかし、大振りの一撃はあっさりとかわされる。
「穢れた偽りの魂よ、かりそめの器が残せるは、貴様の終焉の叫びのみ」
腕を振り抜き、空中に浮かんだタロットから魂が呼び出され、空飛ぶ黒板消し達に吸い込まれる。その全てがただの物体となって
落ちるのを見届けると、ディアボロスは後ろを振り返った。
セレスティアが空中に飛び上がる。しかし、ポランクドラゴンに邪魔され、飛び立つことが出来ない。その間にセイントゴーレムが
間合いを詰め、セレスティアは辛うじてその攻撃を避ける。そしてまた飛び立とうとするが、やはりドラゴンに邪魔されている。
「あぅ……うぅ〜…!」
「おい、何をしてる!?真面目に戦え!!」
「こ、これでも真面目ですー!!」
「ふざけるな!!さっきからお前何がしたいんだ!?」
「そんなに言うんなら、このドラゴンをどうにかしてくださいよぅ!!これじゃ何もできません!!」
顔を見る限り、どうやら本気で言っているらしい。そのまま逃げられるのではという疑念もあったが、ともかくも協力してやろうと、
ディアボロスは再び詠唱を始める。
「まったく、手のかかる…!力に驕りし蜥蜴の王よ、今貴様を滅ぼす咆哮を聞け」
ポランクドラゴンに死霊が襲い掛かり、たちまちその命を奪っていく。その隙に、セレスティアは空中に飛び上がり、あっという間に
姿を消した。
「……やはり逃げたか。まあ、いい囮にはなってた、か」
だが、残るのはセイントゴーレムとファイアードレイクである。決して楽観できる相手ではない。危険な相手と倒しやすい相手と、
さてどちらから戦うかと首を巡らせる。その瞬間、突然ファイアードレイクの体がざっくりと切り裂かれた。
「……逃げたわけじゃなかったのか」
「ちょっ……話しかけないでくださ…!」
セイントゴーレムが後ろにいるセレスティアに気付き、腕を振り上げる。
「きゃああぁぁ!!!」
「悪かったな。止めは任せろ」
ディアボロスは素早く魔法を詠唱し、間一髪でセイントゴーレムを破壊する。ようやく動く相手がいなくなり、ディアボロスは軽く
溜め息をつく。セレスティアの方は、ぺたんとその場にへたり込んでしまった。
「おい、大丈夫…」
「ひ、人がせっかく隠れたのに話しかけるとか、何考えてるんですかっ!?おかげでわたくし、死ぬところだったじゃないですかっ!」
「だが生きてるだろう。ならいいじゃないか」
「よくないですっ!!また同じようなことがあったら、どうするつもり…!」
「ん?『また』?お前、また俺と一緒に戦うつもりなのか?」
「あ…」
セレスティアはハッと口を押さえた。そして見る間に、顔が真っ赤に染まっていく。
「しょ、しょうがないじゃないですかっ!!!そんなことがないとも限らないし、いや、ない方がいいんですけど!!でもその…!」
「とりあえず落ち着け。とにかく、もう殺し合いはしなくていいということだな?」
「え?あ……ああ、そ、そうですね。きょ、今日は見逃してあげますっ!ふんっ!」
どうもよくわからない奴だと、ディアボロスは心の中で笑った。性格はよくないらしいが、その分彼としては、話していて面白い。
「それより、お前の戦い方を見る限り、まだ実力不足じゃないのか?死角から不意打ちでもしないと、当たりもしないじゃないか」
「う、うるさいですっ!しょうがないじゃないですかっ!!転科してから、まだそんなに経ってないんですっ!!」
よくよく聞いてみると、彼女は元魔法使いで、『色んな事情があって』堕天使学科に転科したのだという。助ける義理はないが、
何だか放っておくことも出来ない相手である。実力もさほど高くなく、おまけに多少抜けているのでなおさらだ。
「お前、俺と一緒に来る気はないか?」
「わ、わたくしがどうしてディアボロスなんかとっ!?」
「だろうな。じゃあ、また…」
「ま、待ってくださいよ!!誘っておいて、一回断ったらすぐさようならとか、これだからディアボロスは…!
「………」
「べ、別にいいですよ!わたくしとしても、まだ一人だと不安……いえっ!ひ、一人よりは二人の方が心強いですし!」
「はは。そういうことにしといてやる」
「しておいてやる、とは何ですかっ!!」
その声を無視し、ディアボロスはタロットを取り出すと、慣れた手つきで切り始め、やがて一枚のカードを引いた。
「……なるほど、面白い。じゃあ行くぞ」
「あ、待ってくださいよ!それ、何の意味があるんですかー!?」
さっさと歩き出すディアボロス。それを慌てて追いかけるセレスティア。
彼の引いたカードは、運命の輪の正位置。
その意味は、転換期や好機、そして、運命の出会いを示していた。
ディアボロスとセレスティア。相反する種族の二人は、主に反発しつつも二人での冒険を続けた。セレスティアはディアボロスに何かと
突っかかり、ディアボロスも当然の如く応酬する。それでも、ずっと二人でいれば少しずつ、ひどくゆっくりではあっても、打ち解けて
くるものである。
「……死神、か。あんたに似てるな」
「ふざけないでください、この死霊使い!!あなたの方が、よっぽど似てるじゃないですかっ!!……で、何を占ってたんですか?」
「いや、この先の、漠然とした未来をね」
「じゃあ、よくないって事ですね、そんなカード引いたんですから」
セレスティアが言うと、ディアボロスは笑った。
「そうでもない。確かに死神は悪い象徴だが、これは逆位置だ。つまり、逆にいい意味だってことだな」
「そんなのもあるんですか……その、それって他のことも占えます?」
「今日の運勢でも占うかい。気になるならやってやるが」
「あ……う……や、やっぱりいいですっ!あ、悪魔なんかに占いを頼む人が、どこにいるんですか!?」
「あんただって堕天使じゃないか。それとも、運命は神のみぞ知るって方が、性に合うかい?」
笑いながら、ディアボロスはカードを切り、その中から一枚を引いた。
「……節制の正位置。ま、良くも悪くも安定だってことだ。無理しなきゃな」
「そうなんですか〜。じゃあ、今日は悪くない日……って、いいって言ったじゃないですか!!どうして勝手に占うんですかっ!!」
「俺が気になったからだ」
初対面のとき、いきなり殺し合いになりそうだったとは、誰が聞いても信じられないであろう。今では二人とも、お互いに
いいパートナーである。もっとも、セレスティアはそれを全力で否定するが。
二人はお互いのことを知らない。知ってることといえば、二人とも以前は魔法使い学科だったこと、一人で探索をしていたこと、
そして現在の学科と力量ぐらいのものである。それでも、別に不都合もなく、また知る必要も無いと思っていた。
時が経ち、力をつけ、極々ゆっくりと打ち解ける。
元々、性格の違いから、お互いにそれほど強い嫌悪感があったわけではなく、一般に考えられるセレスティアとディアボロスよりは、
二人の仲が深まるのは早かった。
「ディアボロスさん、今日の占いはどうでした?」
「吊るされた男の正位置。我慢の日ってことだな」
「じゃ、気をつけないといけませんね」
「ああ、そうだな。それから、今日の君の運勢は星の正位置。恋愛運は悪魔の逆位置で、金銭運は節制の正位置。ラッキーカラーは緑だ」
「……ラッキーカラーとか、適当に言ってませんか?」
「気のせいだ」
二人とも、今まで一人で過ごしていたためか、仲良くなるまでには時間がかかったが、一度仲良くなれば、打ち解けるのは早かった。
暗かったディアボロスの顔も、笑顔がよく浮かぶようになり、セレスティアも時々は笑顔を見せる。
一人は孤独ではあったが、気楽だった。他人の絡む楽しみもない分、それと同じか、あるいはそれよりずっと多い苦しみがないからだ。
ディアボロスという種族柄、人との関わりは苦痛の方が多かった。だからこそ、彼は一人を選んだ。それがどういうわけか、今では
最も苦手なはずのセレスティアと、たった二人で旅をしており、しかも彼女と一緒にいるのが、とても楽しく思えている。
「……なあ、セレスティア」
「何ですか?」
「呼びかけに誰かが答えてくれるってのは、いいもんだなぁ」
しみじみと、ディアボロスは言った。
「あなたなら、死霊ともお話できるんじゃないですか?」
「いや、できなかぁねえが、こいつらは俺の眷属だ。ただの話相手ってのは、ちょっと違う」
そう言いつつも、彼はまとわりつく死霊と指でじゃれている。
「そもそも、こいつら死んでるからな。温もりってもんがねえ」
「つまり、わたくしが温かいって言いたいんですか?だとしたら、あなたのこと馬鹿だと思いますけど」
「ずいぶん温かいと思うがな?何しろ、頭ん中がいっつも春のお花畑だ」
たちまち、セレスティアの顔が真っ赤に染まる。
「な、何を言うんですかっ!?これだから、ディアボロスは性格が悪くって頭も悪いって言われるんですっ!」
「いや、頭はいいだろ。性格も君よりはずっといいと思うが」
「そうだとしても、あなたは馬鹿です!!それにわたくしにとっては、性格悪いです!!おまけに勘も…!」
「ん?勘?」
「いえいえいえ、何でもないですっ!!!と、とにかく、わたくしはあなたが思うほど温かくないですし……そ、それに馬鹿じゃ
ありませんっ!!!」
「ああ、そのようだ。少なくとも、馬鹿にされたってことがわかるぐらいには利口だな」
「……嫌いっ!」
そんな会話をしつつも、二人はやはり、仲が良かった。ディアボロスはもう、今では彼女がいない日々など考えられなくなっていた。
一人では決して得られない幸福。それは彼にとって、もはやなくてはならないものとなっていた。
そんな、ある日のことだった。
グラニータ雪原を越え、氷河基地を経由して氷河の迷宮に入る。そこで二人は探索を続けていたが、どうもセレスティアの様子が
おかしい。時折、ひどくボーっとしていることがあるのだ。
「おい、どうした?大丈夫か?」
「……え、ええ。大丈夫です。気にしないでください」
そうは言うものの、ボーっとするだけならまだしも、時にはうつむいたまま動かなくなったり、彼女は明らかに調子が悪そうだった。
さすがに心配になり、ディアボロスは何度も戻ろうと言ったのだが、セレスティア自身が頑強に拒否する。
性格が悪に分類される者は、主に自分本位の考えをする。ならば、そうひどいことにはなるまいと、ディアボロスはそう考えていた。
それが、致命的な失敗となった。
どさりと倒れる音。後ろを振り返ると、セレスティアが倒れていた。
「おい、セレスティア!?どうした、大丈夫か!?」
「さ……触ら……ない、で…」
彼女の言葉を無視して抱き上げた瞬間、ディアボロスはゾッとした。彼女の体は、冷え切るどころか、異常なほどに熱い。
「……おい、これはどういうことだ!?すごい熱じゃないか!どうして言わなかったんだ!?」
しかし、セレスティアは目を逸らし、答えない。
「いや、今はそれどころじゃない!帰るぞ!」
「……い、嫌…」
帰還札を取り出そうとすると、セレスティアはその手を押さえた。
「わたくし…………あなたの……邪魔に、なりたく……ない…」
「お前……まさか、そんな理由で…!?」
よくよく考えてみると、グラニータ氷原から、彼女はおかしかった。最近では珍しく、攻撃をよく外し、よく食らっていた。寒さと
敵の強さゆえだろうと思っていたのだが、恐らくはその時点で体調を崩していたのだろう。それを、彼女は隠し続けた。
理由はただ、自分の足手まといになりたくないが故に。
例え倒れることになろうとも、邪魔になりたくないがために。
彼女は本当に、自分本位でしか、物事を考えなかったのだ。
「……馬鹿だ馬鹿だとは思ってたが、ここまで馬鹿かよ…!ここまでこじらせる方が、よっぽど迷惑だろ!!」
「ごめんなさい…………ごめん……なさい…!」
震える声で呟き、セレスティアは涙を流した。その涙の軌跡が、迷宮の寒さにたちまち薄氷となる。
「くそ、話は後だ!すぐに帰るぞ!!」
有無を言わせず、ディアボロスは帰還札を使い、グラニータ氷原基地へと戻った。
外は猛吹雪であった。必死の思いで治療所にたどり着き、彼女を寝かせる。だが、そこの医者から聞かされた話は、彼を絶望のどん底に
叩き落した。
吹雪のせいで、薬が届けられない。在庫は尽きている。飛竜召喚札も売っておらず、転移札を利用しようにも、迷宮にたどり着くまでに
凍死するほどの吹雪である。そして、彼女の容態は一刻を争うほどに、重い。
それでも、ディアボロスは何とか彼女を助けようと、転移札を買って基地を飛び出した。しかし吹雪に方向を見失い、彼はその転移札を、
自分が生き残るために使う羽目となった。
再び治療所に戻った彼を、セレスティアは弱々しい笑顔で迎えた。
「おかえり……なさい…。無事で……よかった…」
「君が無事じゃねえと、何ら意味がねえんだがな……くそっ!」
もう、出来ることはなかった。彼に出来ることといえば、せいぜい彼女の側にいてやることぐらいである。
吹雪が納まる気配はなく、そのまま夜になった。
「……また、明日来る」
そう言って席を立った瞬間、セレスティアは彼の服の裾を、しっかりと掴んだ。
「いや……行かないで……一人にしないで…」
その力は思いのほか強く、その目は真剣だった。
「もう……一人は、いや……一人に、なりたくない…」
「……わかった」
再び椅子に座りながら、ディアボロスは密かにタロットを引いた。
引かれたカードを見て、一瞬彼の表情が強張る。だが、すぐに何事もなかったかのように、無表情に戻った。
「……わたくし……本当は、一人じゃなかったんです…」
セレスティアが、弱々しい声で喋り始めた。
「セレスティア、あまり喋らない方が…」
「でも、性格も悪くて…………戦う方が、好きで……魔法使いから、堕天使学科に、転科したんです……でも…」
彼女は苦しげな顔に、胸の痛くなるような笑みを浮かべた。
「わたくし……何の役にも、立てなくなりました…………戦士の方より、弱くて……魔法使いより、魔法が使いこなせなくて……それに、
隠れ方も……教えて……もらってないから……襲撃の仕方は、知ってても…………見つかっちゃって…」
「………」
「役立たずって……呼ばれたんです…。それで、喧嘩して……わたくしは、一人になっちゃったんです…」
それを聞いて、かねてからの疑問がようやく解消された。初めて会ったとき、彼女は実力に見合わない迷宮にいたが、それは仲間と一緒に
そこまで来たからなのだ。
「でも、あなたは……わたくしを、必要としてくれて……大っ嫌いなのに、大好きになって…」
「セレスティア、もういい。それ以上喋るな。体に障る」
静かに言うと、そっと彼女の手を握る。すると、セレスティアは何がおかしいのか、ふふっと笑った。
「……そんな宣言して、触る人……初めて、見ました…」
「……ばぁか。体に触れる、じゃなくて、体に悪い、の意味だ」
きっといつもなら、ここで噴き出しただろう。しかし、今の彼女を見ていると、とても笑うことなどできない。
「っ!……し、知ってましたよ…!た、ただ、えっと……あなたが、暗い顔してるから……笑わせようと思って…」
「嘘つけ。とにかく、もう喋るな。俺はずっとここにいるから、ゆっくり休め」
「……嘘じゃ、ないですもん……本当に、どこにも、行かないでくださいね…」
それから、ディアボロスは彼女が眠るまで、ずっと手を握っていた。そして、セレスティアが小さな寝息を立て始めると、その手を
祈るように額に当てる。
さっき引いたカードが、彼の瞼にしっかりと焼き付いて離れない。
それは死神のカード。そして正位置。事態は望まない方向へと、進んでいる。
それから三日。吹雪は未だ収まることを知らず、基地では食料の心配もされ始めている。セレスティアの容態はますます悪くなり、
もはや誰の目にも、限界が近いことは明らかだった。そんな彼女の隣に、ディアボロスはずっと付き添っていた。
「セレスティア、大丈夫か。着替えなくて気持ち悪くないか」
「ふふ、エッチですね……着替えるとこ、見るつもりですか…?」
セレスティアは時折、軽口を叩く。しかし、今まで彼女が軽口を言うようなことはほとんどなく、それが逆に彼女の容態が危険だと
いうことを物語っている。
「や、そういうわけじゃないが…」
「それに……確か、ラッキーカラー……ピンクでしたよね…?これ、ラッキーカラーですし…」
「ああ、だからそのリボン……って、それはあくまであの日のラッキーカラーであって、今日はまた……いや、まあいいか」
今はもう、二人は宿屋に来ていた。手の施しようもなく、病気の人間が治療所にいれば、他の患者に感染の危険があるからという、
極めて無情な判断によるものである。いわば、二人は宿屋の一室に隔離されているのだ。だが、おかげでずっと二人でいられることは、
セレスティアにとっては喜ばしいことだった。
「静かですね…」
「……ああ」
外は風が轟々と唸り、窓はガタガタと揺れている。彼女の意識は、少しずつ混濁し始めているらしい。
「ディアボロスさん……もし、わたくしが死んだら…」
「おいセレスティア…!」
「そうしたら……わたくしを、あなたの眷属に……してくださいね…………そしたら、わたくし……一人ぼっちに、なりません…」
「……治せばいいさ。そうすりゃ、そんな手間も省ける」
頭を優しく撫で、ディアボロスは優しく語り掛ける。しかし、セレスティアは首を振った。
「わたくしの、体ですもん……わたくしが、一番……よく、わかってます…………もう、長くは……ありません…」
「……言うな、そんなことは」
辛かった。彼女を失うなど、想像するだけで胸が張り裂けそうだった。しかし、恐らくそれは現実のものとなる。
「わたくし、幸せです……仲間と、別れても……あなたが、いてくれた…。こんなになっても……側に、いてくれる…」
「………」
「ディアボロスさん…」
セレスティアは一度大きく息を吸い込み、口を開いた。
「わたくし、あなたが好きです…」
掠れた声で、しかし確かに彼女は言った。
「っ…!」
「ほんとに好きで、大好きで……本当に、いつ死んでもいいってくらい、幸せでした……でも、一個だけ、心残りが…」
「……なんだ?何でもしてやる。言ってみろ」
ディアボロスが言うと、彼女はそっと上目遣いに彼を見つめた。
「じゃ……わたくしを、抱いてください…」
「……え?」
一瞬その意味がわからず、ディアボロスは思わず聞き返した。しかしセレスティアが答える前に、彼はすぐ口を開いた。
「ば、馬鹿なこと言うな!そんな状態で、そんなことしたら…!」
「嘘つき……何でもしてくれるって……言ったじゃないですかぁ…」
「い、いや、それは言ったが……けどっ、そんな状態でしたら、君はっ…!」
「……そうじゃなくっても……もう、長くないんです……でしたら……その前に、あなたの体を、感じたい……わたくしに、
あなたの体の、消えない印……つけてください…」
その言葉に応えることは、即ち彼女の生を諦めるということに繋がる。しかし、このまま吹雪が止まなければ、応えずとも彼女は死ぬ。
なら、せめて彼女の言葉に応えたいという思いも、少なからず生まれる。
一瞬の間に、頭の中を様々な思いが駆け巡った。これまでの彼女との旅。出会い。倒れた彼女の姿。一人で旅をしていた頃。彼女と
話したこと。今まで共に過ごした、大切な記憶。
彼の口に、今まで一度も言ったことのない言葉がこみ上げた。
「……俺は、君が好きだ」
セレスティアが、僅かに目を見開く。
「だからこそ、迷った。俺は、君を失いたくない。だけど……だけど、君を失うしかないのなら……そして君が望むなら……俺は、
君の言葉に、応えよう」
そっと、頬を撫でる。セレスティアは嬉しそうに目を細め、そこに自分の手を重ねる。
「嬉しい、です…」
「……失いたく、なかった…」
こみ上げる涙を堪え、ディアボロスはそっと顔を近づける。セレスティアは目を瞑り、自分からも顔を近づける。
唇が触れると、二人は少し驚いたように顔を引き、やがておずおずと、再び触れ合う。
最初は、唇だけで怖々と。少しずつ、お互いに唇を吸うように深く。いつしか、お互いに相手の首を掻き抱き、舌を絡める。
貪るような激しいキスを交わしながら、ディアボロスはそっと彼女の服に手をかけた。一つ一つボタンを外し、全てのボタンが外れると、
セレスティアは首に回した手を引き、自ら服を脱ぎ捨てる。
胸元が露わになると、むっと熱気が立ち上る。セレスティアはどこかぼんやりした笑顔で、ディアボロスを見つめている。
ゆっくりと、白いブラジャーに手を伸ばす。その上から胸に触れると、彼女の柔らかさと、異常なまでの熱が伝わる。
「ん……誰かに、そんなところ触られるの、初めてです…」
「……俺も、触るのは初めてだ」
そっと、指に力を入れる。そのまま指が沈み込むような感触に、ディアボロスはしばらくそれを楽しんでいた。が、セレスティアが
口を開く。
「あの……もっと、強くていいですよ…」
「痛くないか?」
「それくらいだと、あんまり、感じないですから……そ、それ、に…」
不意に口ごもると、セレスティアは恥ずかしげに視線を逸らした。
「い、いつも……あなたを思って…………一人で……して……ましたし…」
「……こ、光栄だ…」
普段なら絶対に言わない言葉。もう彼女に先はないのだと、改めて思い知らされる。
ディアボロスはさらに力を入れ、胸を握り潰すように揉み始める。一瞬痛がるかと思ったが、セレスティアは苦しげな表情の中で、
うっとりとした視線を投げかける。
「それ……んんっ……いいです…!」
もはや、まともな感覚がないのだろう。今の彼女は、もう繊細な刺激を感じることは出来ないのだ。
ブラジャーを外し、大きな胸に直接触れる。セレスティアは胸を隠しはしなくとも、恥ずかしげに身を捩る。
強く胸を揉みしだき、乳首をつねるように摘む。それでも、セレスティアは痛みを訴えず、それどころか快感の吐息を漏らす。
「ふぅ……あっ…!い、いいですぅ…」
どこか甘えたような声を出すセレスティア。正直なところ、こんな状態の彼女に、ディアボロスのモノはほとんど反応して
いなかったのだが、彼女の声と、手に伝わる感触が、徐々に男としての欲望を目覚めさせる。
一度胸から手を離すと、スカートに手をかけ、彼女の顔を見る。
「こっちも、いいか?」
「もう、ですか…?ふふ……エッチ…」
そう言ってから、セレスティアは彼に微笑みかけ、小さく頷いた。
スカートにかけた手に、グッと力を入れる。すると、スカートの下からは、可愛らしいピンク色のショーツが現れた。
「……ここもか」
「ふふ……だって、ラッキーカラー……ですから…」
堕天使でありながら、こんなにも無邪気な一面を持つ彼女。他愛もない占いを、純粋に信じてくれた彼女。
萎えかける気持ちを全力で奮い立たせ、ディアボロスはそこに手を伸ばす。
なだらかな膨らみに指を当て、つぅっと下に滑らせる。やがて、薄布越しにぷっくりとした膨らみを感じ、少し力を入れれば、
指が吸い付くように沈み込む。同時に、セレスティアの体がピクッと跳ねた。
「ふあ……そ、そこ、もっと強く……んん…!して、ください…!」
指を軽く沈み込ませ、ゆっくりと前後に擦る。さすがにここは多少敏感らしく、さほど強く刺激しなくとも、セレスティアは
可愛らしく鼻を鳴らす。
じわりと、ショーツに黒い染みが広がる。ディアボロスが指を離すと、それはねっとりと指に絡みつき、彼女との間に糸を引く。
「……脱がせるぞ」
「はい…」
少し気持ち悪かったのか、ディアボロスがショーツを下げると、セレスティアは腰を少し浮かせてそれを助ける。とはいえ、さすがに
直接見られるのは恥ずかしいらしく、セレスティアはぴっちりと足を閉じている。
太腿の間に手を割り込ませ、秘裂に直接指が触れる。
「ふっ……ん、あっ…!」
ビクリと体が跳ねる。ディアボロスはそのまま、ゆっくりと彼女の中に指を埋め込んでいく。
「うっ……あぁっ…!は、入って…!」
指に、ぬるぬるした感触と、彼女の異常な体温が伝わる。しかし、その熱さは快感にも繋がり、そこは彼の指を、ぎゅうぎゅうときつく
締め付けてくる。
辛うじて欲望を押し止め、ディアボロスは彼女の中をじっくりと解していく。ゆっくりと突き入れ、指を曲げて内側を撫で、そのまま
指を引き抜く。その度に、セレスティアは可愛らしい喘ぎ声を出し、快感に身を震わせる。
不意に、セレスティアがディアボロスの肩に翼で触れた。
「ん?どうした?」
「あの……ごめん、なさい。ほんとなら……わたくしも、お返ししたいん……ですけど…」
苦しそうに息をしつつ、申し訳なさそうに言う彼女の頭を、ディアボロスは優しく撫でた。
「気にするな。その気持ちだけで、十分だ」
声を聞く限り、彼女は既にかなり消耗している。できれば、もっとじっくり慣らしてやりたいのだが、時間をかければ、それだけ彼女の
負担は増大する。
「それより……そろそろ、いいか?」
「え…?あ、えっと…」
熱のためか、羞恥からか、耳まで真っ赤に染まった顔で、セレスティアは注意しないとわからないぐらいに頷いた。
服を脱ぎ捨て、そっと彼女と体を重ねる。セレスティアは僅かに震えながらも、嬉しそうに微笑んだ。
「体……冷たいですよ…」
「それは……あ、いや、そうだな。なら、君が温めてくれ」
震える手を伸ばし、セレスティアはディアボロスの顔を撫でる。
「ずっと……口元、隠してましたけど……思ったより……かっこいい、顔、ですね…」
「ありがとう」
ディアボロスは慎重に、自身のモノを彼女の秘部に押し当てる。セレスティアは少し怖がっているようだったが、彼を拒みはしなかった。
「……いくよ」
「……はい」
ゆっくりと、腰を突き出す。それに従い、ぬめった彼女の中の感触と、体温と、そして肉を強引に押し分ける感触が伝わる。彼女の中は
かなりきつく、緊張からか、さらにきつく締め付けてくる。その熱さと締め付けに、ディアボロスは強い快感を覚える。
「んあっ……う、く…………うあっ!」
一瞬、何かに引っかかった感触があり、その抵抗がなくなると同時に、ズッと根元までが入り込んだ。
「セレスティア……大丈夫か?」
ディアボロスが尋ねると、セレスティアは弱々しくも嬉しそうな笑みを浮かべた。
「はぁ……はぁ……はい、ちょっと……びっくり、しました……けど……思った、より……痛く、なかったです、よ…」
本来なら、痛くないわけがない。現に、結合部には血が伝い落ちている。しかし、もう彼女は、ほとんど痛みを感じることが
できないのだ。彼女の感覚は、どんどん失われていっている。
「そうか。なら、動いても、平気か?」
「ええ……あなたのこと、いっぱい……感じさせて……ください…」
念のため、ゆっくりと腰を動かす。一瞬、セレスティアの体がピクッと震えたが、痛みによるものではないらしかった。
最初こそ、反応を探るように、ゆっくりと動いていた。しかし、すぐに中の熱さと締め付けに、彼の動きは速く、荒くなっていく。
「ふあっ……あん…!ディアっ……ボロス、さんっ…!」
それでも、彼女は痛みを訴えなかった。もう彼女は苦痛を感じることがなくなっており、残った数少ない感覚の、快感だけが
生きていた。
「ディア……う、ううぅぅ…!」
突然、セレスティアが涙を流す。それに驚き、ディアボロスは一度動きを止めた。
「す、すまない。痛かったか?」
「ち、違うんです……わたくし、嬉しい、です……わたくし……本当、に、あなたに……すきって……初めてが、あなたで……わたくし、
いま、あなたに抱かれて…」
「……わかった、わかったよ。無理に喋らないでいい」
並べる言葉は文にならず、舌も時折回っていない。思った以上に、彼女は消耗していた。
そんな彼女を、ディアボロスは強く抱き締めた。
「……君を、失いたくない…!ずっと、一緒にいたかった…!」
「……わたくし、も、です……ずっと、ずっと、一緒にいて……いさせて……ください…」
「ああ、ああ…!絶対、放すもんか…!」
混濁する彼女の意識とは裏腹に、体は正直に反応している。締め付けがさらに強くなり、結合部には多量の愛液が滴り落ちる。
それに比例して、彼の快感もどんどん高まり、再び腰を強く動かす。やがて、腰の辺りから強い快感が湧き上がり、ディアボロスは
セレスティアを強く抱き締める。
「セレスティア……セレスティア…!もうっ…!」
その声に応えるように、セレスティアも強くディアボロスにしがみついた。それと同時に、ディアボロスは彼女の中に
思い切り精を放った。
「……中、動いて……ますぅ…。ディアボロス……さんの…」
どこか虚ろな、それでいて陶然とした声で、セレスティアが呟いた。そんな彼女を、ディアボロスはただただ、強く抱き締める。
強い快感と共に、何度も彼女の中に精液を注ぎこむ。セレスティアは嬉しそうに微笑みながら、ディアボロスにしがみついている。
やがて、全てを彼女の中に注ぎ込むと、ディアボロスはゆっくりと自身のモノを引き抜いた。
その時、ふと二人の目が合った。セレスティアの目には、さっきまで失われていた理性の光が戻っている。
「……セレスティア、疲れただろう?」
「はい……ちょっと、だけ…」
そう言って微笑む彼女の頭を、ディアボロスは優しく抱き寄せ、撫でてやる。
「ずっと、こうしててやる。今日はもう、ゆっくり眠れ」
「ふふ……嬉しい、な……気持ちいい…」
少女のような笑みを浮かべ、セレスティアは目を瞑った。
「……ディアボロス、さん…」
「ん?」
「ずっと……ずっと……一緒にいて…………くださいね…」
「ああ、約束する。安心しろ」
安らいだ笑顔を浮かべ、セレスティアは静かに息を吐いた。そして、ディアボロスに体を預け、彼女は静かに眠った。
それから、もう二度と、セレスティアは目を覚まさなかった。その顔は安らかで、今にも目を開けて、いつものように
微笑みかけてきそうだった。しかし、その胸は既に呼吸を忘れ、心臓が音色を立てることもない。
ディアボロスはずっと、彼女の体を抱いていた。一晩経ち、二晩経ち、そして一週間が過ぎた頃に、ようやく吹雪は止んだ。
窓の外を覗けば、今までの吹雪が嘘のように、外には明るい日差しが降り注いでいる。
「……もう少し、早ければ…」
ぽつりと、そう口にする。しかし、もう全ては過ぎたこと。今更何を言おうと、現実は変わらない。
セレスティアの体を抱きかかえ、ディアボロスは宿を出た。病気の人間がいなくなることで、宿の主人は少なからずホッとしている
ようだったが、彼女の悲惨な末路に、心を痛めてもいる様子だった。いずれにしろ、彼を責めることは出来ない。
氷河基地を出て、ディアボロスは歩き続ける。その腕には、セレスティアが横抱きに抱かれている。
「……君の気持ちは、嬉しい」
もはや何も答えぬ彼女に、ディアボロスは話しかける。
「だけど、君の気持ちを裏切ることになるけど、俺は君を眷属にはしない」
彼はゆっくりと、氷河の迷宮へと歩を進める。
「君を使役するなんて、俺にはできない。俺、君のことが好きだ。君は、俺の奴隷じゃない」
迷宮に入ると、彼はフロトルを唱え、足元の雪を気にせず再び歩き出す。
「好きだ。大好きだった。俺は、ずっと一人だった。仲間なんて、いなくていいと思ってた。そうすれば、人間関係のしがらみもないし、
気を使うこともなく……こんなに悲しい思いを、することも、ない」
セレスティアは答えない。あの熱かった体は既に凍りつくほど冷たく、白い肌はより一層、白く映える。
「だけど、俺は君に会ったこと、後悔はしていない。俺は、ただ生きることだけが目的だった。君に会って、俺は君と共に生きる
喜びを知った。それだけでも、俺は君との出会いを、後悔しない」
ディアボロスは立ち止まり、愛用のタロットを取り出した。そして、セレスティアを抱いたままで、器用に一枚のカードを抜き取る。
そのカードを見て、ディアボロスは笑った。
「……世界の正位置。目的の成就、成功、完成、新たな出発……さすが、よく当たる」
じっと足元を見つめる。そこは、氷の迷宮にあって、凍らずに原形を止める水溜り。底の見えないほどに深い地底湖、ディープゾーン。
「セレスティア。君を眷属には出来ないけれど、俺は君との約束を違えたりしない」
横抱きにしていた体を、まるで抱き合うように抱え直す。力なく揺れるセレスティアの体を、ディアボロスは力いっぱい抱き締めた。
「君が思うほど、俺は強くない。君が思うほど、俺は冷たくない。セレスティア……決して、一人にはしない。俺も……もう、一人には
なりたくない。セレスティア……ずっと、一緒だよ」
そして、ディアボロスは魔法を詠唱した。それは死霊魔法ではなく、魔法使いの使う魔法。
全ての魔法効果を打ち消す、解呪魔法、インバリル。
静寂の支配する氷の迷宮に、水音が響いた。それは一瞬のことで、迷宮はすぐに、いつもの静寂を取り戻す。
未だ波紋の残るディープゾーンのすぐ近く。雪の残る地面の上に、何かが落ちていた。
一つは、ひとひらの黒い羽根。その傍らには、一枚のタロットカード。その絵柄は、恋人。
その二つは、まるで恋人同士が仲良く寄り添っているように、静かな迷宮の中で、重なり合っていた。