凍り付いたような静寂に、熱のうねりが混ざるのはとても珍しいことだったろう。  
 空には、きっと今頃あの忌わしき輝きが我が物顔で居座っている時刻だ。  
 だから自分は、柔らかく上質なくせに、どこか冷たいシーツの上に身を横たえていた。  
一体幾百、幾千。否。 幾万の夜をこの寝所で眠ったか―――算出することも可能だが、  
そんな無益なことをする理由はない。美しき闇が世界を染め上げる頃、余計な考えで、  
浅い眠りのせいで判断が鈍ってしまうのは、醜態以外のなにものでもないのだから。  
 漆黒の空間の中でも、己の琥珀色の瞳はあたりの様子をありのまま映し出す。そう。  
映し出してしまうのだ。時々、情けなくなる腕の細さ。それを持ち上げれば、眼前に  
己の拳がさらされる。それを解けば、あの時…かけがえのない"相棒"を護れず、その  
命を、あっさりと離してしまった無力な掌が見えた。  
 もう、いつから、あの日の事を思い出して泣かなくなったのか。これは先程の疑問  
とは違い、算出出来そうになかった。  
 「………。」  
 寝返りを打って、装飾の施された天井と向かいあう。  
 自分は今、どれ程間抜けな面をさらしているのだろう。"眠れない"。…どれだけ、  
自分は心にあるべき余裕を失っているのか。  
 「…色々…あったな」  
 無意識に天井に差し出していた手をゆっくりと落として、口元をその手で覆う。…  
唇が捉えた自らの指の感触は、相変わらず頼りなかった。  
 この場に誰かが居たならば、この指が、何かを出来るということを示しただろう。  
出来るということを誓ったに違いない。だが、今は違う。とんでもなく、心細い。  
 「…相変わらず、余は余のままじゃ」  
 シーツの脇に手を下ろす。やはり、冷たいままだった。  
 寂しい。 幾万の太陽が沈むまで、自分がこの眠りの時間にそんな感情を覚えたの  
は、指折る程の数であっただろう。だが、今自分は確かにそう思っているのだ。  
 
 …目を閉じた。虚しくなってきた。  
 此処数日間。それだけだ。自分はきっと、それだけしか、"こんな眠り"をすごして  
はいない。…そう自分に言い聞かせて、  
 言い聞かせて…手で、するりと上半身を覆う薄いシャツへと、手を潜り込ませる。  
 薄着を好むことを、誰かに言われた気がする。だが仕方が無い。礼節は、可能な限  
りの時に払っているし、眠りに落ちるときにまで、あの衣を纏う必要もあろうか。  
 「……、」  
 だから、すぐに自分の素肌に触れることが出来る。  
 身を清める時にのみ触れていた部分を、やわりと解していく。  
 柔らかだ。男の大半は下卑た感情で之を好む。時折母性への欲求で純粋な感情故に  
好む者も居るようだが…却下だ。考えたくなかった。  
 「………はぁっ」  
 不規則にからだが痺れる。段々と熱くなっていくのも理解できる。  
 触れて、強くほぐす度に。硬度を持ってきた先端をその頼りない指で捏ね、抓る度  
に、強いそれと弱いそれが規則など持たずに襲い掛かってくる。  
 寂しさ故。そんな言い訳で、淫らで、惰弱なそれが欲求を満たす行為を、自分は続  
けてきているのだ。もう、両手の指では数え切れないほどに。  
 足が勝手に、互いをすり合わすように動く。シーツの上を這うように、勝手に体が  
動く。…そして、自分の思考は、勝手に…勝手に。  
 誰かを思い浮かべているのだ。  
 「……、んっ!」  
 一層薄い生地の下着の覆う秘された場所を、指先で布を退け、触れた。  
 今までで、一番強い痺れを感じる。だが、指は止めない。止まらない。  
 何が勇敢なものか。自分の欲に突き動かされるまま、好き勝手に自らを貶めている  
だけ。進み続ける指が立て、そして自分の中心部分が生み出す熱と湿り気にすら、誇  
りを穢しながら蕩かしていく。愚か極まりない。そう思いながらも。  
 
 「っ…あ、んぅ…ふ…」  
 濡れぬ片手は、何かを求めるようにシーツを手繰る。強く握りしめると、皺が集中  
するように形を変えた。  
 口元が冷たい。だらしなく流れた一筋を拭うことまで、体が追いついてくれない。  
白い肌が僅かに上気し、薄桃への変貌を見させることにも自分では気付くはずがない。  
激しい動悸。疼くからだ。零れる喘ぎ。溢れる愛液に…、求める声。  
 「アベ…ルッ」  
 その指も唇も声も。 心も、自分を中心に捉えてはいなかっただろう。  
 さて、自分もそうだった筈、なのに。  
 今この寂しさは、己のこの愚かな指のほかに、指以上に。あの男でしか埋められない。  
そんな気がしていた。…ずっとそんな気がしていた。  
 今まで過ごしてきた眠りたち。 その中で、「ずっと」などと称せぬ、例え瞬き程  
の間でも、自分はこうやって。漆黒の僧衣に映える銀髪を持つあの男を思い浮かべて、  
己の欲を鎮めている。 ずっと、忘れることもないだろう。  
 「はぁ…ああぁっ…ん、あ、あっ…!」  
 再び何かを求めて。自分は天井へと手を突き出していた。  
 あの手を握った時の感触も、忘れてはいない。己の弱さを包んでくれた、あの優し  
さを決して。  
 二人の相棒の事を想い。1人の男の事を、想い。 自分は、欲の化身である動きに  
追い詰められ、果てた。  
 「…は…はぁっ…は、ぅ…」  
 熱が逃げない体は、血への飢餓に似た渇きに苛まれ…。 眠りに誘われるように、  
沈んで行くのだろう。いつものように。そして、夢の中でまた自分は―――。  
 

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