「――局長。お呼びですか?」  
声をかけ局長室の中に入るが、ペテロの姿はどこにも見あたらなかった。  
そう広くない部屋の左手中央には、主(あるじ)の座らぬ大きな椅子が、デスクの後ろに  
ぽつんと置かれているだけだ。  
人を呼びつけておいて本人が不在とは失礼にも程があると思うが、もはやそれに慣れて  
しまった自分がいる。  
その事に少し苦笑しながら、パウラは手に持ったファイルを抱え直した。  
 
まあ、彼が取るだろう行動の選択肢は、そう多くない。  
待ちきれなくて探しに出たか、もしくは呼んだこと自体を忘れているか。  
他にもふたつ三つ考えられたが、大方この辺りだろうと判断して、とりあえず上司が  
帰ってくるまで待つことにする。  
幸いにして、今のところ急ぐ用件は入っていない。  
はっきり暇だと言い換えてもいいほどだ。  
多少ここで無駄な時間を過ごしても、後の作業にしわは寄らぬだろう。  
 
応接用のソファに歩み寄り、腰を下ろす。  
スプリングのきいた革張りの椅子は、彼女の体を柔らかく受けとめた。  
座った弾みに巻き込んだスカートの裾を直してから、ファイルを膝の上に置く。  
ふう、とひとつ息を吐いて、パウラは窓の外を見上げた。  
数ヶ月前まではじりじりと熱く肌を焼いていた日の光も、季節のうつろいと共に  
すっかり勢いを衰えさせていた。  
戸外では冬の訪れを感じさせる、身を切るような冷たい風が木立を揺らしている。  
その一方、天井から床まである大きな窓は寒気を完全に遮断して、室内を外界の厳しさとは  
無縁にしていた。  
午後の白い日射しが斜めに入り込んで、毛足の長い絨毯の上に四角い窓枠の影を落とす。  
陽光はパウラの座っているソファにも注がれて、本来ならば熱を持たぬはずの革に  
温もりを与えている。  
 
自室以外でゆっくり腰を落ち着ける事ができたのは、本当に久しぶりだった。  
こうして黙って座っていると、市街の喧噪が嘘のように思える。  
ドアの向こうで局員達が立てる物音も、まるで子守歌のようだ。  
瞼を閉ざすと、頬に当たる暖かさがより増した気がする。  
湿度の調節された室内に、部屋の主の香りがわずかに混じっている。  
その空気に、仕事中だからと気を張っていた意識が、ゆっくりと溶かされていく。  
 
パウラの膝からファイルが滑り落ちて、ソファの上でぱさりと音を立てた。  
それにも気づかず、彼女の頭がことんと椅子の背へもたれかかる。  
眠りの淵に漂い始めたパウラを、冬日が静かに照らしていた。  
 
 
「思わぬところで時間を食ったわ、全く」  
ぼやきながら、男は自分の執務室のドアノブに手をかけた。  
扉を開くとまず目に入るのは、応接用にしつらえられたテーブルとソファだ。  
その皮張りの広いソファに、こちらへ背を向けて座った人物がいる。  
顔を確認するまでもなく、被っている深紅の頭巾を見れば、それが誰なのかは  
察しがついた。いつもならば大抵デスクの前に立って自分を待っているのに、  
今日は珍しくも椅子に掛けている。  
「遅くなってすまんな、副局長」  
黙って立っているのも辛いほど長い時間待たせてしまったのかと、申し訳ないという  
気持ちを込めてそう言うと、ペテロは扉を閉めソファへと歩み寄った。  
 
彼女に局長室へ来るようにと連絡を入れたのは、三十分ほど前のことだ。  
通話機の向こうで落ち着いた声が「はい」と答えるのを聞いた、そのすぐ後に、  
別の用件で席を外した。  
早く戻るつもりが出掛けた先で意外と手間を取らされて、気を揉みながら戻ってみると、  
案の定。またしても彼女に待ち惚けを食わせてしまったというわけだ。  
 
「……シスター・パウラ?」  
礼儀正しい尼僧から言葉が返ってこないことを不審に思い、ソファの前へと回り込む。  
返事もしたくないほど気分を害しているのか、それとも呆れて言葉も出ないのか、  
それとも――  
一瞬のうちにいろいろと予想を巡らせるが、用意した言い訳を口へ昇らせる前に  
椅子へ座った尼僧を見下ろして、予測はすべて覆された。  
 
ソファの背に体を預けるようにして、女が眠っていた。  
普段座る時にきっちりと閉じられて乱れることのない脚は、斜めに崩れて  
スカートの裾を広げている。  
ファイルが太腿へ立てかけられているのは、おそらく膝に乗せてあったものが  
滑り落ちたのだろう。中の書類が少しはみ出ている。  
そのファイルの上に乗せられていたはずの手も、一緒に脇へ落ちてしまっていた。  
小首を傾げる姿勢で寝息を立てるパウラの前に、ペテロはそっと片膝をついた。  
 
局長職を預かってからこの方、役職を持たなかった頃とは段違いで仕事に  
明け暮れる日々となった。  
デスクワークが苦手な己と違い、彼女は退屈な事務作業も、異端共を  
排除するための聖務と同じように淡々と――そして確実に処理してゆく。  
自分が一枚書類を仕上げている間に、パウラは複数枚の指示書やら報告書やらを  
苦もなくこなして机に積み重ねてしまう。そんな鮮やかな手つきを見慣れるにつけ、  
有能な副官が自分の仕事を手伝ってくれるのもまた当たり前となっていた。  
 
――己の力量不足から、彼女を疲れさせているのではないか。  
反省をしながら改めて尼僧の顔を見ると、目の下に化粧では隠しきれぬ隈が  
薄く浮いていた。その白い頬はわずかにこけているように感じられたし、  
細く描かれた眉の根元も常より寄せられているようだ。  
疲労を蓄積させたそぶりも見せず、気丈に振る舞う彼女が、健気に思えた。  
 
「苦労をかけて、すまぬ――」  
起こすのが忍びなくて、小さな声で詫びる。  
心持ち傾いたパウラの顔に、一部だけ伸ばされた前髪がかかり、細い吐息にあわせて  
ふわふわと揺れている。  
彼女の右目を隠すその髪を静かに払う。  
そのまま耳の後ろへかけてやった弾みに手が頭巾へ触れた。脱げかけていたそれが  
ぱさっと乾いた音を立て、女の頭の後ろへ落ちる。  
直してやらねばと思いながら、指の間を通り抜けるさらりとした髪の感触が  
手袋越しにも心地よくて、ペテロはそのまま尼僧の髪を梳き続けた。  
 
見守っていたほんの短い間にも、パウラの顔は徐々に穏やかになっていった。  
己の手の感触が、彼女に安らぎを与えているのだろうか。  
髪を梳いていた手は、いつしか彼女の頭を優しく撫でていた。  
 
――この手を介して、胸の内にある慈しみが伝わってくれたならいいのだが。  
もとから口達者な方ではないから、言葉にしようとしても、きっと正確に  
伝える事はできないだろう。  
だから、触れているこの手へ万感の思いを込める。  
せめて眠っている間だけでも、彼女に安息が訪れてくれるように、と。  
 
本当に思いが伝わった訳でもないだろうが、不意に女がほほえんだ。  
普段見せる抑えられた微笑とは違う、あどけなく純粋な笑みを浮かべている。  
「夢を見ているのか?」  
一瞬、目を覚ましているのかと勘違いしたが、見下ろしている彼女の体は椅子に  
もたれたままくたりと弛緩している。  
ただ表情だけが、幼い子供のようににっこりと笑っていた。  
どんな夢を見ているのかは推測するしかなかったが、おそらくは幸福なものなのだろう。  
笑わせてやれたことに満足して、ペテロはようやくパウラの頭から手を離そうとした。  
 
その時、彼女が何かを囁いた。  
ほとんど聞き取れぬ声で、脈絡のないことを呟いているようだ。  
戯れに、何を言っているのか聞き取ろうと、顔を彼女の口元へ寄せる。  
心から嬉しそうに笑みを刻んだその唇が、かすかに己の名を呼んだ。  
 
『ピエトロ』と――  
 
はっきりと声に出されたわけではない。  
いや、声が出なかったからこそ、名前を発音する時の口の動きだけが、  
鮮明に脳裏へ焼きついた。  
白い石のような歯もすぼめられた赤い唇も、艶めかしい舌の動きも。  
 
「……っ!」  
思わず息を呑んでいた。  
胸の内にあった柔らかく暖かだった思いが、俄にねじれて欲望の熱へと変わる。  
その熱が背筋を伝い降りて腰の奥に火を灯す。  
灯った炎はたちまち激しい勢いとなって腹を焼いた。  
つい先程までは、彼女を傷つけようとする何者からも守ってやりたいと思っていた。  
そのはずなのに、今は己の欲に任せ、この唇を心ゆくまで貪りたくてたまらない。  
 
周りの物音が、音量を絞られたように静かになっていく。  
意識が女の口元に集中する。  
頭に乗せていた手を頬へと当てる。  
両手で彼女の顔を包むようにして上向かせる。  
 
「は……」  
親指を顎に当てて少し口を開かせると、仰け反ったために首が苦しくなったのか、  
空気を求めてパウラが喘いだ。  
吐かれた女の息に誘われて、ペテロはゆっくりと己の唇を近づけた。  
 
 
――頬に当っていた日の光が、急に陰った。  
 
太陽が雲に隠れたのだろうか?  
誰かがすぐ近くに立っている気配がする。陽光が遮られたのはそのせいか。  
誰だろう。目を開けなければ。  
ああ、でも、眠くて仕方がない――  
 
瞼を上げることができぬままでいると、目の前の人物が身を屈めたのか、  
また頬へ日が当たるようになった。  
「――――」  
何か話し掛けられたけれど、返事をしなくてはと思うその考えすらも  
ぼんやりとしてまとまらない。  
今はただ、この安らげる空気の中で微睡んでいたかった。  
日向の乾いた空気の匂いがする。  
優しく包みこみ温めてくれる、安心する香り。  
――あの人のにおい。  
ふっとその匂いが強くなる。  
頭へ誰かが触れたのが解った。  
目の上に落ちた前髪を静かに払われる。耳へと掛けてくれた弾みにその手が  
頭巾を引っかけたのか、脱げて頭の後ろへ落ちた。  
 
そのまま穏やかに髪を梳かれ続けて、パウラは再び眠りに落ちていった。  
 
 
 
浅い眠りの中で夢を見ていた。  
私は小さな子供になって、日だまりの草原の中に座り込んでいる。  
秋の終わりに近づいた空は高く、雲が幾筋もたなびいている。  
少し枯れた色の混じり始めた草の間に腰を下ろしていると、  
乾いた空気の香りが鼻先をくすぐった。  
薄い陽の光で暖まった空気に、乾燥したハーブのような匂いが立ちこめる。  
 
――いいにおい。  
気分が良くなってにっこりと笑う。  
胸一杯に息を吸い込もうとして上を向いたその頭を、撫でる手があった。  
 
――だれ?  
確認しようと振り向いたが、太陽を背にしているその人の顔は  
逆光のせいで影になって、よく解らなかった。  
ただ私の頭を撫でる掌だけが、大きく暖かい。  
触れてくる動きは優しくて、されるにまかせてじっとしていると、  
とても心地が良かった。  
筋雲が晴れて太陽がすっきりと顔を出した。  
明るさを増した光が、草原と私とその人を照らし出す。  
光の当たった長い髪が、空の色を透かせて青く輝いた。  
私はこの髪の色を知っている。  
とてもよく、知っている。  
 
――ああ、あなただったのですね。  
 
秋の空気は乾いた草の香りを含んで私を包みこむ。  
雲間から照らす陽の光を浴びて、彼が笑っている。  
胸の奥から暖かい思いが広がってゆく。  
笑いかけてくれるその事がたまらなく嬉しくて愛おしくて、  
私は彼の名前を呼んだ。  
 
「ピエトロ」と――  
 
 
 
自分で出した声に反応して、意識が眠りの淵から表層へ浮上した。  
ほんの少し休むだけのつもりだったのに、どれくらい眠ってしまったのだろう。  
起きて時刻を確かめなくては。  
 
瞼を開けようと努力するパウラの頬に、誰かの手が触れた。  
そのまま顔の両側を押さえられて、上向きにされる。  
仰け反った喉が苦しくて、空気を求めてわずかに喘ぐ。  
 
――誰?  
疑問に思って、重たい瞼を無理やり開ける。  
霞が掛かってぼやけたパウラの視界に、薄青い色の髪が映った。  
――この髪の色は、もしかして。  
「……局長?」  
不審と猜疑が目一杯混じった声が出た。  
一瞬どんな状況にあるのか解らなかったが、すぐ目の前にある男の顔が硬直したのを見て、  
何となく今の流れが掴めた。  
仕事中に女の寝込みを襲うとは、と呆れて思い切り眉をひそめる。  
「何をしていらっしゃるのですか」  
声を尖らせぬよう気をつけてパウラが問いかけると、ばつの悪そうな表情を浮かべて  
ペテロは身を引いた。  
 
「……起きていたのか」  
問いかけに答えず、ペテロは場をごまかすために自分の髪をかき回した。  
色の薄い直毛がくしゃくしゃになる。その様子を見ながらパウラは身体を起こした。  
脱げてしまった頭巾を被り直す。  
もうそこには幼い笑顔を見せて眠っていた女はおらず、異端審問局の副局長としての  
パウラがいた。  
「いえ、目が覚めたのは今ですわ。――もしかして、お待たせしてしまいましたか」  
「いや、待たせてしまったのは某の方だ。部屋を空けておって、すまん」  
男が謹直に頭を下げると、もつれた髪が揺れた。  
直してやろうとペテロの頭に手を伸ばしかけたパウラは、継いでかけられた男の言葉に  
動きを止めた。  
 
「所用であったのだが、まさか君がうたた寝をする暇があるほど、時間が掛かるとは  
思わなくてな」  
「……その寝ている女に、何をしようとしておいでだったのです?」  
穏やかに藪から蛇が出た。  
余計な言い訳をして藪をつついてしまった男が、途端に耳を赤らめる。  
「いや、その、君があんまりあどけない顔で寝ていたものであったから、つい出来心で」  
視線を泳がせて口ごもるペテロを、パウラは半ば諦めたように眺めている。  
唇から漏れそうになったため息を押し殺して、ファイルから落ちかけた書類を入れ直す。  
膝の上で軽く叩いて紙を整えていると、男がぼそりと言葉を発した。  
 
「だが、君とて悪いのだぞ」  
「私がですか?」  
意外な反撃に、女が上司を見上げた。  
被害にあったのはパウラの方だ――正確には未遂だったけれども。  
彼女の表情には批難や詰問といった厳しいものはない。  
だが、その顔にどこか「なぜ私が悪くなるのだ」と言いたそうな色が浮いているように  
見えて、ペテロは邪推を振り切るように頷いた。  
 
「寝言を口走っていたであろうが」  
「――言ったような気もしますが、でも」  
「あんなに無邪気に微笑まれた上に、名前を呼ばれては、たまらぬわ」  
 
弱り切った顔でペテロは再び頭を掻く。  
せっかく落ちかけていた直毛が、またもつれて跳ね上がった。  
 
困った様子の男に笑いを誘われたパウラは、今度は喉の震えを押さえねばならなかった。  
――無意識の悪戯、か。  
夢だとばかり思っていたが、実際に声を出して彼を呼んでいたようだ。  
知らぬうちだとはいえ誘っていたのなら、確かに自分にも責任がある。  
「それは申し訳ないことを致しました」  
「別段、謝られる事でもないがな。……しかし、惜しかった」  
 
心底残念そうに呟かれて、パウラはとうとう吹き出した。  
書類の入ったファイルごと腹部を抱えて、ソファの上で身体を曲げる。  
肩を揺らして苦しそうに笑う彼女を、ペテロが気分を害した顔で見下ろす。  
「……そこで笑ってくれるな」  
「申し訳……ありま……」  
かろうじて笑声は抑えたが、喉の奥から湧き上がる波に邪魔されて、滑らかに喋ることすら  
できなかった。  
 
「涙が出るほど笑うこともなかろう」  
むう、と口を曲げて眉根を寄せたペテロが腕を伸ばしてきた。  
パウラの顎を持ち上げて、目尻に浮いた雫を拭う。  
男のはめた手袋の白さが、女の目に染みた。  
ふわりと漂う、日なたの草原の香り。  
 
――今だけはこの人を感じてもいいのではないか。  
なにしろ今日は、暇なのだから。  
多少無駄な時間を過ごしたところで、後の仕事に皺は寄らぬはずだから。  
 
「局長」  
「うん?」  
「そんなに残念でしたか?」  
「……まあな」  
ようやく笑いの発作を静めたパウラは、手を伸ばして男の跳ねた髪をなでつけた。  
癖のない長髪は、わずかに触れただけでするりと背中へ収まる。  
手櫛で男の髪を梳き終わると、パウラは頬へ触れたままのペテロの手に自分のそれを  
重ねてそっと握った。  
 
「では、続きをどうぞ」  
「続き?」  
「ですから」  
尼僧の意図を掴みかねて、ペテロは首を傾げた。  
合点のいかぬ顔をしている男を見上げながら、パウラはソファに寄りかかる。  
眠っていたときと同じ体勢になると、上司にも理解できるように言葉を繰り返す。  
「私はこのまま眠ったふりを致しますので、続きをどうぞ」  
そう言って、パウラは目を閉じた。  
 
「………………」  
瞼を伏せて顔を傾けた尼僧を見て、ペテロの時が少々止まった。  
 
――これはもしかして『据え膳』という奴だろうか。  
悪友どもにつけられた知識が脳裏を巡る。  
確か、饗された膳は手を付けねば失礼に当たるのではなかったか。  
どう考えても男に都合のいい言いぐさにしか思えぬが。  
食べずに我慢をすることもできるはずだ。  
 
だが、どんなにためらってみせた所で、結局は口にせずにいられないのだ。  
彼女が最上の美味である事を、既に己は知っている。  
 
腹に灯った火は燻っている所に新鮮な空気を送り込まれて、再び勢いを取り戻してきている。  
熱と共に上昇する欲に煽られて、ペテロは親指で女の頬をそっと擦った。  
柔らかい感触。染みのない滑らかな肌へ己の指先がわずかに沈む。  
なかなか肝心の場所を攻めてこない男に焦れたのか、パウラが口を細く開けて息をついた。  
赤い唇から覗く、白い歯。艶めかしい舌の動き。  
鼻先に吹きかけられた甘い吐息。  
女が見せる仕草の全てに誘われる。  
 
堪え性のない己に苦笑しながら、ペテロは再び女の顔に唇を近づけた。  
しっとりと潤ったそこに軽く触れる。  
その瑞々しさをもっと鮮明に感じたくて目を閉じた。  
彼女のつけている紅が二人の唇同士を密着させる。  
下唇をわずかに吸って離す。  
ちゅ、という小さな音がして、離れた後に女の唇が震える。  
それが思いのほか心地よくて、何度も同じ事を繰り返す。  
続けるうちに開いた口から唾液が滲んできた。  
滑る唇の感触を舌先で愛でてから、中へと入り込む。  
 
「ん……」  
パウラが鼻から息を抜いた。  
入れた舌を迎えて絡めてくる。  
口腔に湧いた液体をたっぷりと舌に乗せて女の中へ送り込む。  
男が舌のざらりとした表面や滑る裏側を楽しんでいるうちに、あっという間に唾液は  
溢れかえって、女の唇の端から伝い落ちる。  
交じり合った互いの唾液を、パウラは音を立てて飲み下した。  
嚥下する喉の動きが触れあう皮膚を伝って、密やかな刺激となる。  
たまらず彼女の頭をかかえ肩に手を回し、細い身体を抱き寄せる。  
ペテロが絡めあっているものを深く己の内に吸い上げると、鼻に掛かる声で女が呻いた。  
 
「ン、うんっ」  
耳に聞こえる甘い音と口で感じるなめらかな質感が、更にペテロの欲望を煽っていく。  
肩に回した手をなだらかな稜線の背中へと滑らせる。  
そのまま掌でさすっていると、パウラも応えて両手を伸ばしてきた。  
腹の横から脇下を通って腰に回される。  
背筋に沿って幾度も撫で上げられた。うなじの毛が逆立つような感覚に襲われる。  
すがりつき背についた筋肉を探るような動きに、彼女もまた己を求めているのが解る。  
 
――唇だけでは飽きたらぬ……このまま全てを吸い取って貪りつくしてしまいたい。  
抱き寄せた身体を更に隙間なく重ねあって、二人してゆっくりとソファに倒れ込んだ。  
せっかく被り直したパウラの頭巾が脱げ落ちる。  
横倒しになった身体にファイルが下敷きになる音がした。  
女が手探りでそれを引っぱり出し、頭上に置いたのが解った。  
書類が折れるのを嫌ったのだろうが、些末なことに気を取られた彼女が面白くなくて、  
伸ばした腕の脇の下から手をとらえて己の首に回させる。  
意図を察した彼女は素直に従って、頭ごと抱きかかえてきた。  
髪を撫でつけ指を差し入れ、軽く握って梳いてはまた撫でられる。  
 
男の胸には大振りの乳房が押し当てられている。体と体に挟まれ潰れた双球は、  
厚手の布地越しであっても柔らかいと感じられた。  
女が髪を撫でる動作にあわせてほんのわずかずつ乳房が形を変える。  
ペテロは上体を少し浮かせて空いた隙間に手を入れ、丸く張り出した塊をそっと包んだ。  
弾力のあるそれは、彼の大きな掌にも余ることなく収まった。  
五指を開いてゆっくり回すように揉んでやると、パウラの舌が動きを止めた。  
「ッふ、う……」  
感極まった声にペテロが薄く目を開ければ、紅潮した顔が愁眉を開いてとろりと弛緩している。  
 
――気持ちがいいのか?  
改めて聞くまでもなく、吸い上げた女の舌は乳房を揉む手に合わせて口の中で震えている。  
言葉を尽くして語られるよりもよほど雄弁な反応に、男の腹の底が熱くなる。  
強張りだした下腹のものを彼女の秘所に押しつける。パウラはそれを拒まなかった。  
それどころか、自分から擦りつけるように腰を揺すり上げてくる。  
スカートに深く入ったスリットから片足を露出して、ペテロの脚と絡ませる。  
白いブーツの踵が男のくるぶしに当たって滑る。滑った勢いのまま尖ったヒールが膝裏から  
腿を這い上がり、また降りる。脚を走る硬い感触に、ますます強張りが熱くなる。  
乳房から手を離してあらわになった女の太腿に伸ばし、ブーツを吊っているベルトに沿って  
上を目指す。  
指先がスカートの中へと入り、下着の縁に辿りつく。足と身体との境目に食い込んだ布地の  
線を伝って、内腿のくぼんだ皮膚の柔らかみを楽しんでから、女の中心へと移動させる。  
既に潤った秘唇を布越しに探ると、女の身体が大きく仰け反った。  
「んっ……!」  
反り返った身体に、ソファのスプリングが軋んだ音をあげた。  
 
その時、たわんだソファの座面からファイルが滑った。  
ばさばさと音を立てて書類が下に散らばる。  
紙がひるがえって床に落ちる小さな音は、二人の耳に響いて聞こえた。  
「!」  
驚いて同時に書類の行方を追いかける。弾みで離した唇の間に、絡め合わせて粘度を増した  
唾液が細い糸を引いた。  
絨毯の上で広がった惨状に、互いに顔を見合わせる。  
やがて苦笑が彼らの顔を彩るまで、それほど時間はかからなかった。  
 
「……書類を、拾わなくてはいかんな」  
「そうですね」  
やれやれ、と言ってペテロが身を起こした。  
パウラもそれを追って起きあがり、口元に残った唾液の跡を拭う。  
ソファから脚を下ろしながら、ペテロは内心で首を傾げていた。  
 
最初は二人とも口付けるだけのつもりだった。  
こんな真っ昼間から、しかも仕事場で睦み合う気などさらさらなかったのだ。  
そろって理性を飛ばしたきっかけは何だったのか。  
女が零した無邪気な一言か。  
男が漂わせた暖かな香りか。  
――それとも、その両方なのか。  
 
ともかく、今は散らばった書類を集めることが先決だ。  
正気に戻ると共に、扉のすぐ向こうで局員たちが立てる作業の物音が次第にはっきりしてきた。  
それを何とはなしに耳に入れながら、男は足元の方から順に紙を拾い上げてゆく。  
ソファから降りた際に踏んでしまい、靴の跡がついた紙面を見て、ペテロは顔をしかめた。  
「……ピエトロ」  
「うん?」  
呼びかけられた本名に、男が生返事で答える。  
更に返された女の声は、普段と変わらぬ静かさだった。  
 
「いまの続きは今夜でよろしいですか?」  
 
思わず書類を握りしめてしまったペテロは、落ち着いた口調の女を振り返った。薄い青色の髪が  
逞しい背中でひるがえる。  
穏やかに男を見つめるパウラの緑眼は、確かな笑いを浮かべていた。  
「……うむ。それで、構わぬぞ」  
 
朗らかに笑い返して、男が力強く頷いた。  
 
 
 終  
 

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