波だつ金髪をかきあげれば、その下に青白く透ける皮膚があった。
衰えた筋肉と、細い骨で支えるには豊かに過ぎる主の金髪が、以前に比べて光の反射率を
落としつつあることを、忠実な猟犬はよく知っていた。病と苦悩が、主の髪から輝きを奪いつつ
あるのだった。
きっと自分が人間だったなら、その反射率の低下に気づくことはなかったのだろう。
猟犬は待機中、人に言う淡い眠りの狭間に、繰り返し主の映像を再生する――緋色と
金色に彩られた、佳人の夢を見続ける。不必要なほど正確に、彼は全ての「カテリーナ・
スフォルツァ」を記憶している。記憶の先の姿が痩せ、青ざめ、萎れ行く様を認識している。
(俺が機械でなかったら)
だがその仮定は、自身を含む様々なものへの致命的な裏切りだった。
「トレス」
神父トレス、とも、ガンスリンガー、とも、主は彼を呼ばなくなった。かすれがちとなった
その声は、静かに「トレス」とのみ呼ぶようになった。大声を出す力がないのだろう。
トレスは、後姿のままの主が、鏡越しに彼を見ていることに気がついた。ピンを手渡さなければ
いけないのだと思い至ったのは、その0.30秒後だった。
「ポジティヴ」
髪を片手で支えたまま、トレスはピンを差し出した。受け取ってから、主はその細いおとがいを
下げてうつむき、更に首筋をあらわにした。
まだシャツを着ておらぬその細い首に、すらり揃った凹凸が浮き、トレスはわずかに両眼を
見開いた。青白い皮膚、その下にはまっすぐな頚椎が胸椎へと続いていた。頚椎の大きさを
ひとつひとつ意味もなく測りながら、トレスの機械の眼差しは、続く胸椎へと落とされた。
身体と運命の重圧に耐え続けてきた、その儚い背筋はどこまでもまっすぐだった。
脊椎は、痩せすぎて咎って見える肩甲骨さえ、まるで翼の根元であるかのように、しっかりと
支えて揺るがなかった。この小さな骨の連結こそが、彼女に傲然と胸を張らせ続けているのだと、
トレスの両眼は再認識した。
「……お前でなかったら」
かすれがちな主の声に、不意に笑声と――人間なら「色香」と判断したであろう異物が加わった。
「その両眼を抉っているところよ、トレス」
弾かれたように、トレスの両眼は頚椎と脊椎の探索を中断し、鏡の向こうのミラノ公の、鋼色の
眼差しを見返した。だが、鋼の中に怒りは見られなかった。ただ、見たことのないような眼差しで
見られている、それだけをトレスは理解した。理解してから、理解できたことにまた少し、トレスの
機構は混乱を覚えた。
「発言の、」
自分でも理解しがたいことに、トレスの発言は一端中断され、1.05秒もの空白を生んだ。
「発言の‥‥意図が不明だ、ミラノ公」
返答はなかった。ただ、やはり関節の青白く浮いた細い指が、うねる黄金の上で小さく振られ、
新たなピンを催促しただけだった。トレスは視線を空に据えたまま、また、ピンを手渡した。
見つめていたら、その、踊る指の動きにさえ注視してしまいそうな気がして。