帝都に戻って数ヶ月。状況は特に変わりなく、いつものように彼女は自らの研鑽に励んでいた。
たった一つの例外を除いては。
「先輩、お邪魔しまーす」
長いポニーテールにでっかいトンカチ、髪に負けず劣らず大きなリボンがトレードマークの、能天気な後輩の声がする。
無遠慮に――逆を言えば、それだけ親しげな足取りで、パナビアの工房へと上がりこんで来る。
それを彼女は、仕方ないと言った様子で小さく息を吐くと、図面を引く手を止めてそちらに振り向いた。
「どうしたのナノカ?」
どうしたも何も、この後輩がうちを訪れる理由など、さほども無い。
そのことに小さく苦笑しながらも、返事を待つ。
「えと……お茶でも、どうかと」
そう言いながら、ケーキボックスを前に出す。
帝都でもそこそこ有名なブランドのロゴが、ボックスの隅に見えた。
「そうね、折角可愛い後輩がもって来てくれたんだから、少し休憩にしましょうか」
「や、やだもう、先輩ったら……」
柔和な笑みを浮かべるパナビアに、ナノカは嬉しそうに頬を紅潮させた。
そのナノカからボックスを受け取り、机の上に置く。
じゃあ、お茶を淹れますね、と言いながらキッチンに向かおうとする後輩を引きとめ、パナビアはその腕に抱いた。
「お茶もいいけど、先に、ね?」
「あ……せ、先輩、だめ……」
そう言いながらも、ナノカは抵抗らしい抵抗はしていなかった。ただ腕の中で頬を染め、期待半分といった視線を返す。
そのいじらしい姿に、パナビアは意地悪な笑みを浮かべた。
「二人きりの時は、何て呼ぶんだった?」
「あ……ぁぅ……お姉……様……」
蚊の鳴くような小さな声で、ぼそぼそとつぶやく。
その返答に、パナビアは満足したように笑みを返した。
「よく出来ました」
そう言って、ナノカの唇を――
がばり、と上半身を起こす。
そのまま周囲を見渡し、自分の状態を確認する。
動悸の治まらない胸を掴むように押さえ、パナビアはゆっくりと、大きく息を吐いた。
「……ゆ……夢……」
頬を、嫌な汗が流れ落ちるのを感じる。
「なんちゅー夢を……」
つぶやいて頭を振る。夢の内容などなかなか覚えていないものだが、今回は何故か鮮明に覚えていた。
最後――頬を染めながら目を閉じるナノカの顔を思い出し、頭を抱える。
いかん。おかしい。何もかもが激しく間違っている。
そもそもナノカと自分は、そういう関係ではない。そうなることも望んでいない。
それとも、あれが自分の深層意識下での願望なのだろうか。
よく考えれば、最近はほとんど夢の中と状況は変わらない――
「……頭痛くなってきた」
うんざりといった様子でつぶやき、時計を見る。
あんなことになってしまった昨日とは違い、今日はちゃんと朝に起きることができたようだ。
そして、そのことを思い出して再度気分が滅入ってくるのを感じる。
今日のように朝に起きることができれば、未だにネオスフィアにいることもなかっただろう。
しかも、朝に起きられなかった理由というのが――
「ええい、やめやめ! さっさと朝食食べて仕事に行く!」
ばふん、と布団を叩き、跳ぶようにベッドから降りる。
どちらにせよやることは変わらないのだ。今ここでうだうだしていても埒があかない。
頬を叩いて気合を入れ、パジャマを乱暴に脱いでベッドに放り投げ、いつもの制服に着替える。
愛用の工具、エンチャンテッド・ジーニアスを手に取ると、パナビアはよし、と気合の声を吐いた。
「さっさとお金貯めて、帝都に戻るぞ、と!
待っててね、フッケバイン。もうちょっとかかるけど、すぐ戻るから!」
そう言って彼女は、拳をぐ、と天井に向けた。
成果そのものは上々だった。
午前中だけで四件の修理を終わらせ、多少疲れはしたものの足取りは軽い。
うち一件は特に、得意分野の一つでもあるゴーレムの修理だったこともあり、気分は上々だ。
やはりゴーレムはいい。あれこそ正に、Eテク技術の結晶たる兵器だ。直したのは作業用だけど。
「蓄えもあるし、今回は早く貯まりそうね」
上機嫌でそうつぶやく。少なくとも、無一文から始めた前回よりは早く済みそうだ。
さて、昼食はどうしようかと、街道を歩いていると――
「あ。先輩」
「…………」
でっかいトンカチの後輩に出会った。
「これからお昼ですか?」
「え、ええ、そうだけど……」
ナノカの質問に答えながら、パナビアは彼女の隣に見知らぬ少女がいるのに気づいた。
年の頃はネネと同じかもう少し下くらいだろうか。ネオスフィアの学院風ブレザーに、長いハニーブロンド。
顔立ちは整っていて、もう何年かすれば美人になるだろう。
耳がとがっているところを見ると、貴族だろうか。
「あんた、貴族の友達なんていたのね」
「え? ああ、貴族と言いますかそのー……」
と、何やら言いよどむ。その態度に疑問符を浮かべていると、話題の少女が一歩前に出る。
「ナノカ、こちらの方は信用できる方よな?」
「え? うん、その辺りはバッチリだけど……」
「お主がそう言うのなら、言ってしまってよかろう」
何だかよく分からない会話の後、その少女が軽く一礼をする。
「初めまして、になるのかな? お主を見るのは、余は初めてではないが……」
「はぁ……」
何だか古臭い物言いをする子だなぁ、と、そんなことを考える。
「余の名は、エリンシエ・ヤースロップと申す。以後、お見知りおきを」
「はあ、パナビア・トーネイドで……え?」
聞いたことのある名前が脳を揺さぶり、パナビアはしばらく呆けることしか出来なかった。
「うむ、やはりネオスフィアバーガーはパンチが効いておって美味いのう」
もしゃもしゃと、口いっぱいにバーガーを頬張りながらエリンシエが舌鼓を打つ。
たまの外出にこうやって、ファーストフードをつまむのが彼女の数少ない趣味の一つらしい。
(どんな庶民派の王女よ……)
エリンシエの名は聞いたことがあるし、遠目に見たこともある。
若干十一歳でネオスフィア王位についた、稀代の才女――それが、世間での彼女の評価だった。
始めのうちは傀儡政治との声も上がったが、今までの王室の政策からは考えられない動きに、その声も次第に小さくなった。
そして何より、彼女が王位についてから、確実にネオスフィアは復興の道を辿っている。
ナノカという人材が、その要因の一つではあるのだが――それを早い段階で見出した彼女の目には着目すべきところだ。
「最近、巷で噂になっておってな。帝都の工房士が、あちこちを修理して回っておると」
ちゅるちゅるとオレンジジュースを飲みながら、そんな話を切り出す。
ぷは、と息を小さく吐いて、彼女は後を続けた。
「ナノカかとも思ったが、聞けば違うという話ではないか。
それで興味が湧いたのだ。何せ、直った所は以前より増して具合がいいということだからのう」
そう言ってポテトを頬張る。どうやらこの王女、ファーストフードがいたくお気に入りらしい。
あんまりにもおいしそうに食べているのを見ると、何だか微笑ましくなってくる。
「フルクラム帝国がうらやましい。こんな優秀な工房士を二人も輩出しておる。どっちか欲しいものよ」
「いやまあ、それほどでも……あるけど」
エリンシエの褒め殺しに、パナビアは上機嫌にそう返した。
おだてられると弱いのは相変わらずである。
「先輩ならネオスフィアのイベントで主催もしたことあるし、文句無しの手腕だと思うよ。
どうです、先輩。ネオスフィア王宮つきの工房士とか」
「……悪いけど、まだしばらくはフリーでやってくつもりなの。
若いうちに根を下ろすと、見かたが凝り固まって何もいいこと無いもの」
その返答に、エリンシエはこっそりとため息をついた。
自分の知る若くて優秀な工房士は、皆ひとところに留まろうとしない。
先ほどのセリフも、どっちか、というよりは――
「ケチャップついてるわよ、みっともない」
視線をナノカに戻すと、彼女の口の端についたケチャップをパナビアが拭っているのが見えた。
世間話がてらの食休みを終え、彼女らは何故か三人でノースファームへと向かっていた。
午後にも仕事をすると言ったら、何故かエリンシエがそれを見たいと言ってきたのだ。
何でも、市井の様子を確認しておきたいということだが、パナビアには珍しいものに興味を覚えた猫のようにしか見えなかった。
さすがに本人の手前、そんなことを言うわけにはいかないが。
「で、何であんたまで見に来るわけ?」
「いやほら、さすがにエリンシエ一人だけ放っておくわけにも行きませんし、私も何かお手伝いできるかもと。
他人の仕事ぶりを見ることで得られるものもあると、おじいちゃんも言ってましたし」
確かに、元々エリンシエの相手はナノカだったので、ここで自分に丸投げは不義理だろう。
とは言え、自分の技術を盗まれるというのもあまりいい気分では無い。逆も可能ではあるが。
そんなことを考えつつ、それでも口に出さずに生返事だけ返しておく。
言ったら聞かないのは、最近の騒ぎで骨身に染みた。無駄な体力を使うのも馬鹿らしい。
「いいけど、邪魔だけはしないでよね」
「はい、頑張ります」
最近は私も妥協が多くなったなぁと思いながら、ナノカの返事を聞く。
「けど、意外とあちこち故障してるんですねぇ」
「どうもネオスフィアは、置いてあるEテク機器と工房士のレベルが釣り合ってないのよね。
壊れたら壊れっぱなしなところが結構あるから、今後の事を考えるとあまりいい傾向とは言えないわね」
「一応、Eテク職業用の訓練プログラムは学院に導入してもらったんですけど、効果が出るのはもっと後ですしね……」
眉を寄せながら言うナノカ。ちゃんと後のことを考えていたのかと、パナビアは心の中でだけ感心した。
「ふむ……人を育てるというのは大仕事であるからな。
短く見積もってもあと一年は、現状でどうにかやりくりしてもらう他ないであろう……」
エリンシエが悔しそうにつぶやくが、こればかりは今すぐどうにかなるものでもない。
既に種も撒き、芽を出すための条件は整えてある。後は芽吹くまで待つしかないのだ。
「まあ、メンテを小まめにやっておけば現状でもまだまだもつわよ」
とりあえずパナビアは、そんな気休めを言っておいた。
ノースタウンを通り抜け、ノースファームにたどり着く。
牧歌的な雰囲気に、スキーに来る客のための宿泊施設が混在する、不思議な空気のエリアだ。
そのエリアの一角に、パナビアの目的の場所があった。
「助かります。農業プラントが水を汲み上げられないとなっては、死活問題ですから」
修理依頼をしたプラント責任者は、深刻な表情でそう言った。
何でも、ここの汲み上げ機は以前から放置されていたものを流用していたらしい。
そしてそれが突然の不調を訴えて機能を停止し、慌てて水道局がノースタウンの工房士組合に修理依頼を出したということだ。
そういうわけで、最近調子よく修理をして回っているパナビアにお鉢が回ってきたのである。
責任者と簡単な話をして、問題の汲み上げ機の修理に取り掛かる。
ちなみに、ナノカは手伝い、エリンシエは見習いという形で同行を許可させてもらった。
「大方こういうのって、基礎がしっかり出来てないから直せないのよね」
ガチャガチャと、故障部分を弄りながら言う。
Eテクノロジーは、現在の文明からすれば明らかにオーバーテクノロジーだ。
発掘された技術を体系化したプロスペロは確かに天才だっただろう。だが、その才が皆にあるかと言われればそれはノーである。
体系化されたと言っても、それを完全に扱える者は多くは無い。何せ今ある技術でさえ、手探りなのだから。
「ネオスフィアの工房士の大半は、自らが本流だと驕り高ぶっておるか、あるものを食いつぶしておるのが現状であるからな……」
「昔の人の遺産と偉業にあぐらかいてるってわけね。でもそれ、あなたが言ったらまずくない?」
「事実なのだから仕方あるまい。今と未来のためなら、過去の威光なぞ知ったことではない」
きっぱりと言い切るエリンシエに、確かにこの王女ならばネオスフィアを立て直せたのも偶然では無いと思った。
天は才あるものに啓を下す。運命というものを信じているわけではないが、必然はあるのだ。
「まあ、その姿勢は大事よね。向上心がなくなったら、人は堕ちてくだけだもの」
ナノカから工具とパーツを受け取り、息を吐く。自覚の無い落伍者。それが今のネオスフィアだ。
その態度を改めぬ限り、この女王がどれだけ身を削っても、落ち込むところは変わらないだろう。
今は単に、外からの手で作られた波に乗っているだけだ。それを維持できるかは、これからの彼らしだいである。
「よし、これでいいでしょ。すいませーん。水、出してくださーい」
工具をそろえ、係の人間に呼びかける。それにうなずいて、彼は水路の弁を開けた。
次の瞬間、がり、という嫌な音が聞こえ、彼女達の視界一杯に水が広がった。
「ぶえっくし!」
ずず、と鼻をすすり、パナビアはうんざりとした様子でため息をついた。
詰まっていたのか整備不良か、開通した水路は弁を吹き飛ばし、三人を濡れ鼠へと変身させた。
慌てて水を止め、吹き飛んだ部分を急いで直し、今はゆっくりと三人で風呂に浸かっている。
「何だか最近、いいとこないわ……」
「あ、あはは……ドンマイですよ」
拗ねたようにそう言うと、ナノカが苦笑いを浮かべる。
自分もよく失敗しますし、と言われても、あまりいいフォローにはなっていない。
「貴重な体験が出来ておるから構わんが」
何せ公衆浴場に入るのは初めてだから、と後に続けるエリンシエ。
依頼主が手配してくれたホテルは、スキー客も来るとあってそれなりのところだった。
何でも依頼主がオーナーと知り合いらしく、更にそのオーナーは帝都の工房士を贔屓しているとのことで、二つ返事で部屋を用意してくれたのだ。
曰く、ネオスフィアが立ち直ったのは、帝都から来てくれた工房士のおかげだとか。
間違いなくナノカのことを指しているのだろう。それを思うと、パナビアは少しこの後輩を羨ましく思った。
町興しでなくとも、自分ももう少し人のためになる仕事が来て欲しいものだ。
最近は町のあちこちを修理して回ったりと、それなりに満足してはいるのだが。
「根本的な解決になってないのよね」
「何の話ですか?」
ぽつり、とつぶやいた言葉に、ナノカが疑問符を浮かべる。
それには何でもないと答え、湯船から出る。
「もう上がるんですか?」
「まだよ。暖まったから髪を洗いたいの」
「じゃあ私が流しますよ」
そう言って、ナノカも後に続く。
その様子を、エリンシエは自分の顔を湯に沈ませながら見守っていた。
「うーん、相変わらず先輩の胸は羨ましいボリュームですね」
相変わらず? それはどういうことだ、と、思わずそんなことを胸中で問う。
普通に考えて、スパにでも一緒に行ったのだろう。少々羨ましいが、付き合いがあればそれほど不思議でもない。
水辺に遊びに行ったのかもしれない。そんな一言で動揺するほうがおかしいと、エリンシエは自分に言って聞かせた。
「いや、私より大きい人とかいるでしょ、フェアリ先生とか」
「いやまあそうなんですけど、今のところ一番身近なものですから」
身近? この話題で身近とはどういうことだナノカ?
思わず口をついて出そうになったその言葉を、湯船に埋めることで押しとどめる。
同じ帝都のアカデミーの、先輩と後輩なのだ。身近でないはずが無い。
「ふんふ〜ん。痒いところはありませんか〜」
「ん……もうちょっと上」
「ここか、ここがええのんか〜」
「……どこのエロオヤジよ……」
呆れたような、苦笑するような様子でそう返す。
仲がいい。率直な意見として、エリンシエはそう感じた。
まるで、仲のいい姉妹がじゃれあうようにも見える。同じ工房士同士、どこか通じるところがあるのかもしれない。
「仲が良いな」
「んー?」
ぽつりとつぶやいたその言葉に、ナノカが反応する。
パナビアは聞こえなかったのか、そのナノカにどうしたの、と尋ねていた。
「いや、まるで姉妹のようだと思ってな」
「そうかなー」
えへへ、と、何故か嬉しそうなナノカの下で、パナビアは今朝の夢を思い出して硬直していた。
自分の事を『お姉様』などと呼ぶナノカ。そして、そう呼ばせている自分。
想像したくも無いが、人に言われるよりも先に夢で見てしまった。正直勘弁して欲しい。
「うーん、でも姉妹かぁ。パナビアお姉ちゃん、なんちて」
「……勘弁してよ……」
ふざけてそう呼ぶナノカに、パナビアはうんざりとした表情でそう言った。
「大きなベッドだねぇ」
事前に指定された部屋に行ってみると、そこには大きなベッドがあった。
いわゆるキングサイズと言われるもので、枕もご丁寧に大きなものが備え付けてある。
「キングサイズか。
まあ、どうせ服が乾くまでの借り宿。丁度余っておったのがこの部屋だったのだろう」
ナノカの言葉を受けて、エリンシエがそう言う。
その言に間違いは無いだろう。何せ急の用立てである。すぐに用意してもらえただけでも、十分贔屓だろう。
だが、どうせ服が乾くまでの借り部屋なのに、こんないいところを使ってしまっていいのだろうかとも思う。
そんなパナビアの胸中などお構い無しに、ナノカはベッドにダイブした。
ばふん、と彼女の体が沈み込み、スプリングの反発力で軽く跳ね上がる。
「えへへー。ふかふかだぁ」
「……小さな子供みたいなことしないの。恥ずかしいわね」
「一度やってみたかったんですよ、大きなベッドにばふーんって」
非常に子供っぽい事を言うナノカに、呆れ半分で苦笑する。
「まあ、こんなところに泊まるなんて事、なかなか無いでしょうしね」
「うむ。折角じゃから堪能しようかのう」
上機嫌にそう言って、エリンシエもベッドに乗った。
ぽよんころんと跳ねて転んで、ナノカに抱きついて一回転。
「うむ、なかなか良いスプリングを使っている」
そう言って、ナノカの肩越しにこちらを見る。来いと言っているのだろうか。それにしては挑戦的な視線だ。
何故そんな視線を向けられるのか分からなかったが、とりあえずベッドに向かう。
一人だけぽつんと立っているのも馬鹿らしいし、自分もベッドの調子は気になっていた。
座ってみると、なるほど確かにこれは悪くない。
「結構いいベッドね」
「ええ。何だか眠くなっちゃいます」
ふああ、とナノカが小さなあくびを漏らす。
そんな彼女にパナビアは、起こしてあげるから寝ちゃえば、と言ってやった。
なんだかんだと疲れていたのか、ナノカは程なくして寝息を立て始めた。
無理も無い話だ。どれだけタフだろうと、まだ彼女は体が出来ていない。
そんな時期に、これだけ自分を酷使しているのだ。本人は大丈夫だと思っていても、疲労は確実に蓄積している。
だからこそスツーカもしつこく『休め』と言っているのだが、あいにく彼女は自分よりも優先しているものが多すぎた。
「……ナノカには本当に助けられておる」
ぼんやりと寝顔を見ていると、エリンシエがぽつりとそう漏らした。
ふとそちらを見ると、彼女もナノカに視線を向けている。その顔は、どこか申し分けなさそうだった。
「ナノカがいなければ、ネオスフィアはとうに落ちていたであろう。
余の政策もここまで上手くは行かなかったであろうし、もしかすれば今頃失脚していたやもしれん」
「それは――」
それは過大評価ではないか。そう言いかけて、やめた。
彼女がネオスフィアに来てから立ち直ったのは事実だろうし、目の前の少女の瞳には、唯の感謝よりも深い何かが浮かんでいたから。
「でも、失脚していたかも、は言いすぎじゃない?
ナノカがいなくても、話に聞いたあなたの才なら……」
「余の才など、どれほどあろうものか」
パナビアの言葉を遮るようにそう言う。
「お主やナノカに比べれば、余はいかほどの才を持っていたかも怪しい存在。
全て外からの貰い物よ。何せ余は、酷い反則行為でスタートラインを誤魔化しておるからの」
「よく分からないけど……」
分からないが、聞かないほうがいいのだろう、と思う。
何故かは分からないが、彼女から理由を言い出すまでは聞くべきではないとパナビアは思った。
だから。
「あなたがナノカに相当感謝してるってのだけは分かったわ」
そう言って、この話題はもう終わらせる。
むにゃ、と、ナノカが意味の無い寝言を漏らした。
「……仲の良いお主らを見ると、軽い嫉妬を覚える程度には感謝しておるよ」
「……もうその話題は勘弁してくれない?」
少し羨ましそうに言うエリンシエに、うんざりとした表情でそう返す。
仲がいい? 冗談ではない。確かに最近やたらと付き合いがあるが、ほとんど不可抗力だ。
いつも巻き込まれる身としてはたまったものではない……はずである。
「今日だって、仕方なく付き合ってるだけなんだから」
「ふむ……」
ため息混じりにそう言うと、何やら思案顔でエリンシエは黙り込んだ。
微妙に嫌な予感がするが、何ができるわけでもない。
どうしたものかと彼女を見守っていると、やがて小さく口を開いた。
「……まあ、自覚が無いなら別に良いか……」
「……はい?」
何だかよく分からないことを言われ、パナビアは眉根を寄せた。
その様子に、何故か彼女は呆れたようにため息をつく。
「何でもない。工房士という人間は、皆ニブチンなのかと思っただけだ」
そう言って、ころんと寝転がる。
何か言い返そうと思ったが、エリンシエは聞くつもりもなさそうだった。
もう聞く耳持たないといった様子で目を閉じている。
「何なのよ……」
つぶやくが、やはり返事は返ってこなかった。
仕方ないのでパナビアも寝転がってしまうことにする。何だか今日は妙に疲れた。
横になると、急に睡魔が襲ってくる。どうやら自分も、それなりに疲れがたまっていたようだ。
連日の騒ぎを思い浮かべれば、無理もないかと自分でも思う。
出来れば今朝のような夢は見ないことを祈ろう。
「……抜け駆けは許さんぞ?」
何か小さなつぶやきが聞こえたが、パナビアは気にしないことにした。
その後。乾いた服を持ってきた女性従業員が、ベッドで寄り添って寝ている三人を見て、
『仲がいいのね』
と、微笑混じりに評するが、それはまた別のお話。