日も暮れたホテルハンプデンズ・ネオスフィア支店の大部屋。
完全貸し切りとなった宴会用の大部屋で、パナビアは呆然と――半ば諦めたような表情で佇んでいた。
いくつかあるテーブルの上には、料理やら飲み物やらが統率感無く乗っている。
ちゃんとした料理もあれば、そこらの店で買ってきたようなスナックの袋もある。
ワインボトルとビール瓶とジュースの瓶が混在し、奇妙な空気を作り出していた。
「なんでまたこんなことに……」
誰にも聞こえないようにそうつぶやく。
自分の右手にはジュースの入ったコップ。愛用の工具は壁に立てかけ、周りには知った顔ばかりが並んでいる。
皆の視線が集まる壇上には、このホテルのオーナーでもある後輩が立っている。
「今日は皆さん、ホテル・ハンプデンズにようこそいらっしゃいました」
見事なほどの営業スマイルで、挨拶を始める。
こんな宴会の延長でそこまでしなくてもとは思うが、ホームである以上手を抜かないということなのだろう。
こういうプロとしての姿勢は見習うべきものである。
「まあ、堅苦しい挨拶はさておいて、乾杯の音頭をナノカさぁ〜ん」
「え? 私?」
褒めた瞬間これか。
頭を抱えたくなるのをどうにかこらえ、こっそりとため息をつく。
最初の挨拶だけで、最低限の義理は終えたということなのだろうか。
まあ確かに、どうせ身内連中だけのいわゆる宴会だ。堅苦しい挨拶など、逆に野暮と言うものだろう。
そう自分を納得させて、壇上に引っ張り上げられたもう一人の後輩を見やる。
「ネネちゃん、本当に私がしていいの?」
「ええ。むしろこのパーティはナノカさんが主役ですから」
趣旨からすれば、それは間違いないだろう。
何せ『ネオスフィア復興お疲れ様パーティ』などと、垂れ幕が下がっているくらいだ。
少々気が早い気もするが、彼女の任期が終了するまであと数日。
今を逃せば、ここにいるメンバーで集まるようなことなど、もう無いだろう。
もっとも、これだけの顔ぶれが一堂に会するのはこれが初めてだったりするのだが。
「では、僭越ながら……かんぱーい!」
心持ち控えめに、パーティの主役はコップを掲げた。
「いざ!」
という掛け声と共に、料理が平らげられていく。
両の手に箸を持ってラーメンを交互にすするのは、サウスタウンの若き区長、ノキ・ウェルキンだ。
何故こんな場にラーメンがあるのかという突っ込みを、パナビアはぐっと飲み込んだ。
「こ、これはまさか、伝説の二丁食い!」
「片方を食べる間にもう片方を冷ますこの秘技を見る日が来るとは!
さすがはネオスフィアのスーパーグレートフードファイター! 略してSGFF!」
妙に白熱した様子で、エリンシエとナノカが早食いを解説する。
何でもいいが、いつ彼女にそんな二つ名がついたのだろうか。
程なくしてラーメンは食べ終えたようだ。今度はチャーハンを手に取った。いつの間に?
「更に!」
「な、なんと! チャーハンを四つのブロックに分けて一口ずつ!」
「たった十秒の早業! 恐るべしスーパーグレートフードファイター! 略してSGFF!」
……まあ、楽しんでいるようなので別にいいか。
さて、視線を別の方向に向けてみる。
「んふ〜。いいわねぇ、この若々しいハダ……お姉さん食べちゃいたいくらい〜」
「何言ってるんですかあなた! わたくしはナノカさんに操を立ててますの! ちょっと離して!
うぐ、お酒くさ……フェアリさん、あなた早速酔ってますわね!? この酔っ払いモレスター!」
「酔ってない酔ってない。ちょっと高級なワインがあったから拝借しただけよ〜。
ああ、いい気分だからフェアリ先生が保健体育の授業を実践したげる〜。ん〜おハダすべすべ〜」
「間に合ってます! 豪快に間に合ってますから止めて許して助けてナノカさぁ〜んっ!」
大人の階段を上ってしまいそうな後輩が見えたが、気にしないことにした。
下手にちょっかいを出して巻き込まれては困る。歴史に犠牲はつきものだ。
とりあえず合掌だけしておいて、パナビアはサラダにフォークを刺し込んだ。
瑞々しいレタスとシーチキンのハーモニー。久しく忘れた安心感が心の中に染み渡る。
「ああ……平和っていいものなのね」
「……サラダ食べながら何をしみじみと言ってんのよ……」
思わず漏れた心の声に、キャラット商会の会長が、呆れたようにそう言ってきた。
うるさいやい。私だってそういう時もあるのよ。
「はぁ。あんたも苦労してるのねー」
「そうよ。本当ならもう帝都で工房を再開してる頃なのに……」
ごめんねフッケバイン、などと言いながら、プチトマトを口に放り込む。
パナビアの愚痴混じりの苦労話を、フォーリィはうんうんと頷きながら聞いていた。
いつもいつもナノカにコンテストで一位を奪われていること。
よく分からないうちにナノカのコンパチ扱いを受けたこと。
ナノカのわがままに付き合わされて航空便に乗り遅れた――さすがに詳しい内容までは言わない――こと。
他にも色々とあるが、大体の原因はナノカにある、と、パナビアの愚痴大会は主張していた。
聞く人が聞けば、惚気に聞こえたかもしれないが――幸いながら、そんな関係を知る人物はここにはいない。
「まあまあ、それなら今日は嫌なこと忘れてぱーっと行きましょーよ。ぱーっと」
そう言いながら、フォーリィはパナビアのコップにワインを注いでやった。
あまり馴染みの無い、だが知識では知っている赤い液体に、パナビアの眉根が寄る。
「……嫌なことがあった中間管理職のオヤジじゃあるまいし……」
「……凄い例え方すんのね、アンタ……
じゃなくて、ほら、無礼講よ無礼講。ちょっとくらいなら誰も文句言わないって」
ワイン祭のあるトリスティアならばともかく、他の土地では馴染みが薄いだろう。
だがそれでも、折角の宴会なのだ。多少はめをはずしても、誰も文句は言わないはずだ。
というか、制止するべきはずの大人は早々に酔っ払ってセクハラを始めている。何も問題は無い。多分。
「んー。まあそうね。
酒飲んで忘れるって、なんだかダメな大人の典型みたいな感じだけど、今日はそれでもいいか」
そう適当に納得して、プチトマトをもうひとつ。
ぷち、と皮を破る感覚と、口の中に広がる程よい酸味が心を落ち着けさせてくれる。
うん、これはいいプチトマトだ。
「じゃあまあ、お言葉に甘えて一杯――」
「せぇ〜んぱぁ〜い」
なんだか酔っ払いのような声とともに、結構な質量が体当たりをかましてきた。
なんだか前にもこんなことあったなぁ。
などと、意味も無く感慨深いものを感じながら、床に倒れこむ。
赤い液体の入ったグラスが宙を舞い、慌ててフォーリィがそれをキャッチする。
ナイスキャッチ。あんたはいい野手になれるわね。ポジションはショートで決定。そんなどうでもいいことすら頭に浮かぶ。
まあ、それは本当にどうでもいい。それよりも――
「ナノカッ!」
急に抱きついてきた後輩の名を呼ぶ。
自分の胸に顔をうずめ、擦り寄ってくる後輩に視線を向けると、見事なまでに酔っ払っていた。
顔は真っ赤で表情はへろへろ。これが酔っ払いでなくて何なのか。
「え〜へ〜へ〜」
「誰よ、こいつに酒飲ませたのはっ!?」
そう叫びながら周囲に視線を向ける。
だが、ざっと見渡してみても、こことフェアリ以外にワインボトルを開けた様子は無かった。
ビールはフェアリが独占しており、あとに並ぶのはジュースのビンばかり。
「お酒なんか飲んでませぇんよぉ」
「黙れ酔っ払い! じゃあ何か、あんたはジュースで酔える特異体質か!? ファンタジーの住人か!?」
「いやあの、なんかナノカちゃん、この炭酸入りオレンジジュース飲んでたらいきなり……」
ぎゃいぎゃいとわめくパナビアに、ノキがおずおずとビンを持ち出してきた。
確かに、傍目にはオレンジジュースのように見える。
妙に凝った装飾のラベルが貼ってあり、パナビアはそのラベルに見覚えが無かった。
ただ、ラベルにはこう書いてある。スクリュードライバー。
「ああ、それあたしが持ってきたやつだわー」
「やっぱりあんたかぁっ!」
セクハラを続けながらのフェアリの言に、思わず怒号を上げる。
彼女の腕の中で熱病に浮かされたような顔の後輩が見えたが、見てないことにした。
見えてないやい。
「えーと、その……がんばって」
「何をっ!?」
よく分からないフォーリィの励ましに、反射的に聞き返す。
視線を向けると、何故か彼女は苦笑しながら及び腰で後ずさりと、よく分からない行動に出ていた。
「せんぱぁ〜い」
「何よ!?」
今の状況の元凶に呼ばれて振り向くと、何かが自分の口を問答無用でふさいできた。
眼前に迫るナノカの顔、それと共に自分の口をふさぐ柔らかい感触。
「あああああっ!? ナノカさぁぁぁぁん!?」
自分がナノカにキスをされていると気づいたのは、ネネが悲鳴を上げた後だった。
ああ、なるほど。フォーリィが逃げたのは経験済みだからか。
そんな微妙な真実にたどり着いてしまったことにちょっとした落胆を覚えるが、今はそれどころではない。
「んぅーっ!」
慌ててナノカを引き剥がそうとするが、意外に強い力で抵抗してくる。
それどころか、舌を入れて愛撫まで始めてきた。
妙に濃厚で、しかも慣れたその様子に、周りの皆――ネネまでもが息を呑んでそれを眺めていた。
最初は強かったパナビアの抵抗も、次第に弱まっていく。
そしてそのままナノカは、パナビアの口をたっぷり一分ほどかけて蹂躙していった。
「んふぅ……」
満足そうに熱い息を吐いて、ナノカが自身の唇を舐める。
その仕草は、既に十四歳の少女のものではなく、性を知った女の仕草だった。
「う、うわぁ、ナノカちゃん、だいた〜ん……」
「いや、酔うとああなるのよアイツ……いやまあ、なんていうか、今回はやけに濃かったけど……」
顔を真っ赤にしながら、ノキとフォーリィがそんなことを話している。
なるほど、こいつは酔うとキス魔になるのか、などと、よく回らない頭で納得する。
次からは気をつけよう。今回は不可抗力――じゃない。あの医者が狙ったに違いない。
そう思って視線を向けてみると、何故かサムズアップされた。黙れセクハラ医師。
「せんぱぁい、もういっかぁい」
「や、やめなさい……」
「先輩と私の仲じゃないですかぁ。んー」
妙な猫なで声と共に唇を向けてくる。そんなナノカを見て、エリンシエが慄くように口を開いた。
「お、お主ら……そんな仲だったのか。既に抜け駆けとか言う次元ではなかったのだな……」
否定しきれないことに、パナビアは少し悲しくなった。
否定しきれないが、ここは否定しなくてはならない場面である。
と言うか、こんなアホなことで人生の社会的終焉を迎えるのは御免だ。断固拒否する。
「い、いや、そーいうわけじゃ……」
「せぇんぱ〜い。ちゅー」
「あんたは黙ってなさいっ!」
空気を読めない状態のナノカに一喝して、頭を押さえ込む。
その一喝に、うむー、と、微妙な不満声を上げて、ナノカは動きを止めた。
とりあえず止まってくれたことに安堵して、どうこの場を治めようかと思案する。
「パナビア先輩……」
「な、何?」
思案を遮るように発せられた声に、恐る恐る視線を向ける。
案の定、そこにはネネがぼんやりとした表情で佇んでいた。見上げるような形になっているせいか、異様に怖い。
「どぉぉぉぉゆぅぅぅぅことっ! ですっ! のぉぉぉぉっ!?」
「いや、だからこれはね……」
「ズルいですわっ! わたくしだってまだなのに!
それなのにあんなに濃厚な! でぃーぷな! さっきのはあからさまに一歩進んだ恋人同士のキスでしたわぁぁぁぁっ!」
そうですね。その通りだと思います。許してくださいごめんなさい。
何でこんな状況になったのかと自問しながら、心の中でだけ謝罪する。
まあ、答えは結局ナノカにたどり着くのだが。
「んふふ〜。やっぱり先輩のおっぱいはやーらかくてきもちーなぁ」
「やっぱり!? やっぱりってどういうことですの!? 揉ませた事があるんですのね!?」
「ち、違うの、そうじゃなくて……あ、こ、こらナノカ、そんな……ぁんっ」
激昂するネネに弁解しようとするも、思いのほか上手いナノカの愛撫にそれどころではなくなってしまう。
下手に経験があるせいか、体が勝手に反応してしまう。それに相手もナノカだし。
「ほほう、慣れた手つきね。コレは実は今までに何度か揉ませてるな?
いつの間に無垢な天才ちゃんを教育したのかしら。お姉さん、その手練手管を知りたいわぁ」
「もう、もう我慢できません! わたくしの堪忍袋のHPは0ですわ!
放してくださいフェアリさん! HA☆NA☆SE!」
まるで怪獣のような形相で暴れるネネに、パナビアは自分の大切な何かががらがらと崩れていくのを感じた。
お願いですフェアリさん。そんな面白そうなものを見る目で猛獣を開放しないで下さい。
「ノキ・ウェルキン! 何故余の目を塞ぐ!? コレでは見えんではないか!」
「だ、ダメです陛下。陛下にはまだ早すぎます! うわ、うわあ……」
「なら思わせぶりな声を上げるでない! 気になるではないか!
大体それならハンプデン殿はどうなる!? 余と彼女はひとつしか違わんぞ!?」
「い、いやまあ、それはその、ほら、ええと……その一年が絶対的な越えられない一線というか何と言いますか……」
などという間抜けなやり取りも聞こえてくるが、そんなものを聞いている余裕はパナビアには無かった。
それよりも、どうにかしてこの後輩を引き剥がさなければ、今後の自分の人生に関わる。
もう手遅れな気がしないでもないが、まだ大丈夫だと思う。多分。きっと。
「てゆーか、キスしたいなら希望者がいるし、乳揉みたいなら私よりでかいのいるでしょーが!」
「そ、そーですわナノカさん! わたくしならば、思う存分キスして頂いて構いません! とゆーかプリーズ! モアプリーズ!」
「せんぱいのおっぱいがいい〜」
「ナノカさぁぁぁぁんっ!?」
パナビアの胸に顔を埋めながら答えるナノカに、ネネが何度目かの悲鳴を上げた。
悲鳴を上げたいのはパナビアも一緒だったが、そこは言わないでおくのが先輩としての最後の砦だ。
「いやー。あのさー」
と、泣きそうな気分になっているところに、割って入るようにフォーリィが口を開く。
そちらに視線を向けてみると、ワインボトルの中身が三分の一ほどになっているのに気づいた。
こいつ……酔ってやがる。いつの間に。
「そんなにしたいなら自分でしに行けばいいじゃん」
「はっ!?」
酔っ払いの正論に、ネネが声を上げて我に返る。
なんというナイスアシスト。もっと早ければ惚れていたと、パナビアは感謝の言葉を胸中で投げかけた。
「どーせ前みたいに何も覚えてないんだからさー。やっちゃえばー」
「そ、そうですわね。むしろ今こそがナノカさんと自然にキスできるチャンス……!
ありがとうございますフォーリィさん! わたくし、目から鱗が大フィーバーですわ!」
まるで彼女の中に神を見たと言わんばかりの清々しさで、ネネは祈るように手を組んだ。
何でもいいので、早く終わらせて満足して欲しいなぁと、パナビアはそんなことを考えていた。
「で、でわっ! いきましゅよナノカさん!」
微妙に噛みながら――まあ、つまりそれだけ緊張しているのだろう――ネネがナノカに向き直る。
相変わらずナノカはパナビアの胸に顔を埋めていた。
柔らかな感触に、とても幸せそうに包まれているナノカの姿に、ネネが小さく怯む。
だが意を決したように顔を近づけると、ナノカの頬に手を伸ばした。
(何というか、間抜けな構図よね……)
ネネを見上げながら、パナビアはそんなことを考えていた。
後輩に押し倒されながら、自分の上で繰り広げられる百合を見る。どんな間抜けな構図だ。
しかも自分を押し倒した後輩は、自分の胸を揉む手を止めようとしない。
酔っているはずなのに正確なので、先ほどから甘い快感が脳をゆっくりと侵食してきている。
とにかく早く何とかして欲しい。変なスイッチが入る前に。
「ナノカさ――」
「すかー」
…………
ナノカの意識は、既に忘我の彼方にすっ飛んでいた。
「また、またなんですかナノカさん!? これは新しい焦らしプレイですのおおおっ!?」
「いやあの、人の胸で泣かないで頂戴。あとプレイとかゆーな」
泣き崩れた後輩に、呆れたように言う。
元凶は何の収拾もしないまま、勝手に夢の世界へと旅立っていた。しかも胸を揉みながら。
なんという乳への執念。そんなに自分の貧乳が悔しいか。羨ましいだろう、こんちくしょう。
「そんなに、そんなにパナビア先輩のおっぱいが良いんですか!?
くぅぅ、悔しい……でも羨ましいっ! 先輩のサイズ詐称としか思えないおっぱいになりたい!」
「おっぱいおっぱいやかましいわ! 一緒になって揉むなっ! サイズ詐称なんかしとらんわ!」
ぜーはーと息を切らせながら突っ込むも、ナノカは全く起きる様子が無い。
それどころか、幸せそうにパナビアに抱きついて、離れようとしなかった。
「フェアリ先生!」
もうこうなったら誰でもいいと、手近にいたフェアリに声をかける。
視界の端ではエリンシエにワインを勧めるフォーリィと、それを止めようとするノキが見えた。
うん、ダメだ。あっちはもう手遅れだ。
「なぁに? 私にもして欲しいの?」
「じゃなくて! 助けてください!」
的外れな事を言う酔っ払いに即答し、後輩二人をはがそうと体を動かす。
そんなパナビアを酒の肴に、フェアリは意地悪な笑みを浮かべて口を開いた。
「うーん、でもねぇ。ほら、よく言うじゃない。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られてなんとやら、って。
馬に蹴られるのって、かなり痛いのよ、これが。アバラもってかれたことあるし」
「物理的経験は関係ないから! あと恋路じゃないから! むしろ邪魔してくださいっ!」
「……いいのね?」
びきゅーん、などという効果音を鳴らしながら、眼鏡が怪しく輝く。
そのままこちらを見下ろしながら、舌なめずりをしつつ何故か上着を脱ぎ始めた。ヤバい。変なスイッチが入ってる。
「……あの、フェアリ先生。邪魔というのはつまり、引き剥がして欲しいという意味でして」
「大丈夫、大丈夫よ。先生に任せなさい。都合上貴女の体を必要以上に触診するかもしれないけれど、それは全て医療行為だから。
いいわね、医療行為って言葉は。どんなおさわりも正当化される魔法の言葉だわ……ふふふふ……」
そんなわけはないのだが、彼女の中ではそうらしい。
眼前に突如生まれた淫獣『セクハライシャ』に、慌ててパナビアは視線を自分の下に向ける。が――
「ちょっと、ネネ! ネネ・ハンプデン! せめてあんただけでもどいて――って、寝るなあああっ!?」
「ううう……ナノカさんと同じ枕……今日はこのくらいで勘弁して差し上げますわぁ……」
「うははは! もはや私を止めるものなどいない! さあ三人とも、私の魔手で大人への階段をロケット推進で一直線よ!」
「ナノカーッ! まだその者といちゃいちゃしておるのかーっ! 余の嫉妬心が有頂天じゃーっ! 余も混ぜてくれーっ!」
「ああああ、陛下が面白な事に……陛下、落ち着いて、落ち着いてくださいいいいっ!」
「あははは。もうわけ分からん事になってきたわねー。これどうやってオチつけんの?」
「ああもうっ! やっぱりナノカなんて、大っ嫌いよおおおおおっ!」
宴会終盤特有のぐだぐだな空気の中、パナビアの悲痛な叫びが夜の闇に溶けていった。
何かが開く小さな音が聞こえ、ひゅう、と風が吹く。
閉じていた目を開き、そちらに視線を向けると、そこには緑の髪の少女が佇んでいた。
「やあ、スツーカ。退屈そうじゃないか」
「……そう言うお前さんは暇そうじゃないか。こんなところに足を運んで」
スツーカのその受け答えに、緑の髪の少女――ラファルーは、小さく肩をすくめた。
「酷いじゃないか。折角退屈しているだろうから、差し入れを持ってきたのに」
そう言って、肩にかけた手提げ袋からボトルを取り出す。
そのボトルのラベルに、スツーカはほう、と小さく声を漏らした。
「ま、器は色気も何もないけどね」
「構わんさ。酒なんてものは、形でやるもんじゃあない」
小さなカップを取り出したラファルーに、そう返す。酒はムードとハートでするものだというのが、彼の持論だ。
だからと言って、それ以外を否定するわけではないが。
「ところで、お前さんは参加しないのか?」
ここはホテルハンプデンズのホールだ。スツーカはナノカのお付きとして参上し、ここで留守番という事である。
折角友人連中をかき集めての大宴会なのだ。自分がいるのも気が引ける。
だが、スツーカのその問いに、ラファルーは小さく肩をすくめた。
「騒がしいのはちょっとね。それに、ナノカにはまた会える」
「まあ、そりゃあお前さんの勝手だがね。
だが、ちょっとでも人間社会に溶け込むつもりなら、嫌な事でも付き合い程度は出来るようになったほうがいい。
それとも、社会の歯車の真似事はもうやめたのか?」
「……そりゃあ、皿洗いくらいは割らずに出来るようになったけどさ。好き嫌いまではいいだろう?」
そう言うスツーカに、ラファルーは少し拗ねたような様子で返した。
「ほう。ちゃんと練習してたのか。感心だな」
「イジワルだな。差し入れはやめにしようか」
「すまんすまん。それじゃあ一杯やらせてもらおうか」
悪びれもせずにそう言って、器用に多目的義肢でカップを受け取る。
そのスツーカに、仕方ないと言った様子で小さく息を吐くと、ラファルーは大人しくボトルの中身をそのカップに注いだ。
「こういうときは、何かに乾杯するものらしいけれど」
「そうだな、なら――」
そう言い合いながら、互いのカップを軽く重ねる。
キン、という乾いた音が、未だ騒がしい宴会会場に捧げられた。