ノキ・ウェルキンは多忙である。  
 齢16歳――未だ学生の身でありながら、ネオスフィア・サウスタウン区長の顔も持っている。  
 それだけ聞けば、まるでティーンズ向け小説のキャラクターのような設定である。  
 だが、これは事実であった。事実は小説より奇なりという言葉があるが、これこそその典型であろう。  
 そして、その二足の草鞋をふらふらしながらも履き続けている彼女は、今とても忙しかった。  
「あ〜う〜……終わんないよ〜……」  
 筆記具を放り出し、ノキは机にぐでーっと体を広げて呻いた。  
 目の前にあるのは、学校の宿題。区長の仕事である、書類へのサインやチェックなども残っており、ノキは久しぶりにピンチだった。  
「手が痛い〜。肩が痛い〜。ついでに頭も痛いよ〜……」  
 弱音をこれでもかと吐きながら、ノキは机の上で体をよじった。  
 ごろごろと机の上で上半身を転がしてみるが、宿題はちっとも進まなかった。まあ、当たり前だが。  
「……ナノカちゃん、今何してるのかなぁ……」  
 ぼんやりと、そんなことを考える。  
『だめだめ。ノキは区長さんなんだから、お仕事優先です』  
『……宿題があるなら、なおさら無理させられないよ。大丈夫、こっちで何とかするから』  
 昼間に尋ねてきたナノカとの会話を思い出す。  
 あるイベントのキャンペーンガールに誘われたのだが、ぽろっともらしてしまった一言で、向こうから取り下げられてしまったのだ。  
「はぁ……区長の仕事が嫌ってわけじゃないけど、ちょっとは息抜きしたいなぁ」  
 大きく上体を反らし、今度は椅子の背もたれに体重を預ける。ギ、と小さくきしむ音が聞こえた。  
 椅子にもたれながら息を吐くと、不意に部屋の静けさを感じる。しばらくそのまま沈黙。  
(……今なら誰も来ないよね……)  
 そんな確認をして、彼女はゆっくりとスカートの中に手を――  
「区長」  
「ひゃはいっ!?」  
 ノックの音に、心臓が飛び跳ねるような錯覚を覚えながら、ノキは変な声で返事を返した。  
 ドアを振り向くと、怪訝そうな声が返ってくる。  
「どうしました?」  
「い、いや、その、ちょっとびっくりして……」  
 律儀にドアを開けずに待っている自分の秘書に、ノキはそんな返事を返した。  
「あ、どうぞ、入って」  
「はい」  
 短い答えと共に、ドアノブが回された。  
 
「失礼します」  
 律儀にそんな断りまで入れて、彼女は部屋に足を踏み入れた。  
「お疲れのようですね」  
「うん、さすがにちょっとね」  
 たはは、と、苦笑するノキに、彼女は少し憂鬱な気分で机に視線を移す。  
 うずたかく積まれた書類と宿題は、ノキでなくとも悪戦苦闘することは必至だと感じる。  
(まだまだ敵が多すぎる……)  
 あの工房士の少女――ナノカの働きで、これでも相当動きやすくはなった。  
 今までこちらを通しもせずに決定されていた事が、いくらかこちらにも回ってくるようになり、区役所としての機能も回復しつつある。  
 しかし逆に、そのせいで今まで隠蔽されていた問題が明らかとなってしまった。  
 結果、今度こそ本当にサウスタウンの区長となったノキのところには、今まで放っておかれた問題が押し寄せてきたのだ。  
 更に、区長の地位を奪えなかった元老院からの、意図的な圧力もある。  
(今度は仕事量を増やし、根を上げさせて能力の無さを問題視させる……よくもまあ、思いつくものですね)  
 そこまで考え、もう一度こっそりとため息をつく。  
 疑問符を浮かべる年下の上司に、彼女は自分の無力さと申し訳なさを感じた。  
 自分がもっと有能ならば、この子にこんな苦労をさせることも無かったのではないだろうか。  
 せめて、区役所の仕事を減らして、学業に力を傾けさせてやりたかった。だが、今は区長でなければダメな仕事が多すぎる。  
 それに――と、陰鬱な気分で彼女は口を開いた。  
「お疲れのところ、まことに申し訳ないのですが……緊急区長会議の日程連絡が来ました」  
「うむぅ……」  
 差し出された書類を受け取り、ノキは小さく呻いた。  
 日程は丁度、ナノカがキャンペーン予定として教えてくれた日にちと合致する。これで完全に手伝えなくなってしまった。  
「手伝えなくなっちゃったなぁ」  
「……まずは御自分の事を心配してください」  
 ナノカとの会話は横で聞いていたので、何を惜しんでいるのかはすぐに分かった。  
「そうでした……でも、いい加減疲れたよ……」  
「無理もありません。一旦休憩して、お風呂にでも入ってきてはどうでしょう。用意はできていますので」  
「うん、そうする……」  
 ノキはそう返事をして、のろのろと立ち上がった。  
 
「お湯加減はどうですか」  
「ばっちり〜。う〜ん、効く〜」  
 湯船の中でだらりと体を弛緩させながら返事をする。  
「それはよかった。折角なので、お背中も流しましょうか」  
「え。いいの? じゃあ、お願いしちゃおうかな」  
 ノキがそう言うと、脱衣所の扉が開いてタオル一枚になった彼女が入ってくる。返事は分かっていたのだろうか。準備のいいことだ。  
 その彼女がイスを用意して膝をつく。ちょっとした王様気分になりながら、ノキはそのイスに腰掛けた。  
「ではまず髪から」  
 その一言を告げると、彼女はノキの髪につけたシャンプーをゆっくりと泡立て始めた。  
 頭皮や髪に負担をかけないよう、ゆっくりと丁寧に揉み洗う。  
「ん〜。気持ちい〜」  
「恐れ入ります」  
 指で丁寧に髪を梳き、全体に染み渡らせてから一度シャワーで洗い流す。  
 ノキの髪は、少し癖がある代わりに、さほど長くは無い。そのまま手で押すようにして軽く水を切ると、今度は丁寧にリンスを染み渡らせていく。  
 全体に染み渡らせると、一旦手を洗ってリンスを落とし、スポンジを手に取る。  
 泡立てたボディソープを背中から全身へと、丁寧に擦り込み洗っていく。  
「んふ〜。ちょっとした王様気分〜」  
「区長という仕事は、ネオスフィアにおいては領主みたいなものですから、あながち間違ってはいませんよ」  
 それは、真実でもあり、彼女なりの元老院への皮肉でもあった。  
 各地区の長は、その権限において地区の領主とさほど変わらない。地区の一切を取り仕切るのだから、当然ではある。  
 問題は、それが直接王国執政への権力になりうるということだ。そして実際、貴族連盟のとりなす元老院は、権力として使用してきた。  
 民を治めるのではなく、国を押さえる手段としてきたのだ。  
「まあそうなんだけどね。でも、やっぱり王様じゃないし」  
 そんなノキのなんでもない一言は、元老院とは一線を隔する意思の表れでもあった。  
 彼女に自覚は恐らく無いだろう。だが、その一種の謙虚さとも言える考え方は、自らの分をわきまえた、彼女の自己判断力を表している。  
(この人は、人を使う才能がある。個人の持つ能力を、正しく見極める目を持っている)  
 その才能は、人を引っ張って導いていく父性的な才能ではない。人を包み、皆で進む母性的な才能だ。  
「その考え方は大切ですよ」  
 ノキの言葉にそう答えながら、彼女は自らの上司を誇らしく思った。  
 
 体も洗い終わり、リンスと一緒に泡を洗い流す。  
「ふぃ〜。ありがと〜」  
 全てが終わり、ノキは満足気に息を吐いた。とてもさっぱりした気分になり、心なしか疲れも取れた気がする。  
 だが、彼女の秘書は、それだけでは自らの献身に納得しなかった。  
「肩も、凝っておられますね」  
 きゅ、と、擬音にすればそんな感じで軽く肩を握る。  
 確かにそこは、若い少女に似つかわしくなく凝り固まっていた。  
「え? い、いいよ、そこまでしなくても」  
「いえ、これから区長は、しばらく多忙な日々を送ることになるでしょう。取れる疲れは取れるうちに取っておくべきです」  
 あの女王がいくら優秀で切れ者だと言っても、未だ元老院を抑え切れているわけではない。  
 特にノキは、エリンシエ女王の側近であるウェルキン宰相の一人娘だ。元老院が目をつけていないわけが無い。  
 実際、サウスタウンへの圧力や嫌がらせは、他の区と比べても追随を許さない。  
 特に先月の区長選挙など、露骨にノキ潰しをしてきたくらいである。これからも、元老院の力が残っている間は続くだろう。  
 彼女の立場は、彼女が考えているよりも重要で、しかも厳しいものなのだ。  
「ですので、取れるうちに取っておきましょう」  
「う〜ん……了解。体調管理も区長の仕事だしね」  
「ええ。というわけで、うつ伏せになって下さい」  
 至極自然な口調で放たれたその言葉に、ノキは一瞬何のことかよく分からなかった。  
 ゆっくりと視線を虚空に泳がせ、たっぷり時間をかけて意味を考える。  
 彼女の秘書は、そんな彼女を律儀に待っていた。  
 とりあえず、自分の理解力の無さで彼女を待たせるのもどうかと思い、ノキは口を開いた。  
「……ええと……なんで?」  
「最近、オイルマッサージというものを覚えまして。全身の疲れを取るいい機会ですので」  
「そ、そおですか……」  
 自分の秘書はとても有能だ。有能すぎて自分に釣り合わないのではないかと思っていた。  
 だがこの人も、案外と変な人なんだなぁと、ノキはそんな事を考えながらうつ伏せになった。  
 
 割と変な人ではあるが、その能力は一級品だった。  
 非凡な才能を、うぬぼれることなく磨いていくその姿勢は、自分のアドバイザーでもある工房士の友人にも似ている。  
 そういえばその友人も、あちこち変なところがある。  
 天は二物を与えずと言うが、二物以上を与えられた者は、その代わりにどこか取られてるのだろうか。  
 まあ、それはともかく――  
「どうですか?」  
「はふぅん……気持ちいい〜……」  
 このオイルマッサージとかいうものは、想像以上に気持ちよかった。  
 彼女の腕もあるのだろうが、体が芯から温まってくると共に、疲れが抜けていく快感を自覚できる。  
 何より、このオイルで滑る肌の感覚がなかなか気持ちいい。  
「それはよかった。私も、本格的にやるのは初めてでしたので」  
「初めてでこれは凄いよ〜。  
 う〜ん、私は有能な秘書を持って幸せ者だぁ」  
「ありがとうございます」  
 そう答え、マッサージを続ける。しかし、こんなもの一体どこで覚えたのやら。  
 そんなことを考えていると、ノキは自分の背の上を滑っているはずの手が止まっていることに気付いた。  
「前面も行うので、仰向けになっていただけますか?」  
 なるほど、そういうことか。  
 とはいえ、自分だけこんなに楽になっていいのだろうか。彼女も秘書業務で疲れているだろうに。  
「私は大丈夫ですので、お気になさらず。正直に告白しますと、これを覚えるために体験してきましたので」  
「あ、そうなんだ」  
 いつ体験してきたのかはともかくとして、それならばと仰向けになる。  
 まるでこちらの頭の中を覗き見たような反応に関しては、気にしないことにした。  
 何せ自分は単純なので、顔にでも出ていたのだろう。嬉しいような恥ずかしいような。  
「では」  
 そう一言だけ断って、彼女はノキの腹部に手を置いた。  
 
 運動もしているし、あちこち精力的に出歩いてもいるノキの体には、余分な肉はあまりついていない。  
 そもそも、学業をしながら区長の仕事もするということが既に脅威なのだが、彼女はそれに輪をかけて動いていた。  
 正直な話、外に直接出て区内を自らパトロールする区長など、このネオスフィアには彼女一人しかいない。  
 まあ、そんなわけで、彼女の体は程よく引き締まっていた。  
 ゆっくりと丁寧に、ノキの腹部から胸部へとマッサージの手を伸ばす。  
 彼女の意外に大きな乳房を、ゆっくりと揉みしだくように――  
「……ぁんっ」  
 思わず漏れた声に、ノキは慌てて口を閉じてあることを確認する。  
 だが、視線の先の彼女は気付いた様子も無く、黙々とマッサージを続けていた。  
「どうしました?」  
「い、いや、なんでも……」  
 こちらの様子に気づいたのか、疑問符を浮かべてくる。適当にお茶を濁すと、彼女はそうですかとだけ答えて、マッサージを再開した。  
(……よかった。気づいてない……う〜、さっきやろうとして止めたからかなぁ……)  
 意識し始めると、そこから先はすぐだった。丁寧なマッサージに、今までとは違う快感を覚え始める。  
(……勃ってきちゃった……)  
 目を閉じて、せめて顔は見ないようにして羞恥に耐える。今まさに触っている彼女は気づいているはずだ。  
 だから、これは自分を誤魔化すための行為でしかない。  
(あ、でも……もうちょっと強く……って、ちっがーうっ! どうせ後ででき……それも違うっ!?)  
 脳内で繰り広げられる一人相撲に、ノキの顔がぐにぐにと変化する。  
 声に出さずとも、声以上にモノを語っているその顔に、さすがの彼女も怪訝な様子で口を開いた。  
「……どうしました、区長」  
「へっ!? あ、いや、何でもないの、何でも! あはははっ!  
 いや、気持ちいいからちょっと我慢してると顔がねー! わはわは!」  
 首と腕をぶんぶか横に振りながら、ノキは自分がドツボにはまっていくのを感じた。  
 これでは何かあったと宣言しているようなものだ。いや、実際何かあったのだが。心の中で。  
「そうですか。そういえば――」  
 そんなノキにも、彼女は冷静に返答を返した。本当に優秀な秘書である。ただ――  
「こちらも、ほぐしておいたほうがよろしいみたいですね?」  
 そう言う彼女の手は、ノキの下腹部を愛しげに撫でていた。  
 本当に優秀な秘書である。優秀すぎるのもどうかと思うが。  
 
「……え?」  
 彼女が一体何を言っているのか分からず、ノキは疑問符を浮かべた。  
 頭のどこかで警鐘が鳴っているが、何故それが起きているのかが分からない。  
 そんなノキに対し、彼女は至極冷静に口を開いた。  
「いえ、先ほどは邪魔をしてしまったようですので」  
 先ほど? 先ほどって何?  
 などと胸中で問うが、それが聞こえるはずも無い。  
 困惑するノキを尻目に、彼女は宣言通りに指を下へと滑らせた。  
「ぁふぅっ!?」  
 全く覚悟が出来ていない状態だったため、思わず声を出してしまう。  
 巧みな技でノキのそこをほぐし、高みへと導いていく。  
 既にマッサージの影響で敏感になっていたこともあり、ノキはさほどもかからず限界へと近づいていった。  
「とりあえず、一度イッておきましょう」  
 ノキの反応に限界を感じ取り、攻めを強くする。  
 入り口を指で押し広げ、充血した肉芽を擦りあげる――  
「は……ぁ……っ!?」  
 その瞬間、声にならない声を発しながら、ノキの身体が大きく反り返る。  
 痙攣するように身体を震わせ、息が止まるほどの快楽に、ノキの視界が白く染まる。  
 どうにか落ち着くと、彼女は大きく息を吐いて余韻に震えながら、焦点の合わない瞳で呆けたように口を開いた。  
「なん……で……?」  
「マッサージの一環です」  
 さらりと言ってのける彼女に、ノキはそっかぁとよく回らない頭で納得してしまった。  
 マッサージなら仕方ない。仕方ないよ……ね?  
「大丈夫です。破らないように気をつけますので、安心して任せてください」  
 何を、と聞くより早く、彼女の『マッサージ』が再開される。  
「ぁふ……あ……っ! ま、まだびんか……ふぅ……っ!」  
 有能な秘書は、こんなところでも有能だった。  
 
 未だ敏感なそこを攻め立てられ、身体をくねらせる。  
 それでも本格的な抵抗をしないのは、その技が巧みゆえか、それとも彼女もそれなりに溜まっていたのだろうか。  
 実際のところは本人にもよく分からないが、ノキはその一切を自分の秘書に預けていた。  
「は、ひぅ……ま、またぁっ!」  
 二度目の絶頂の予感に、ノキの腰が浮く。  
 がくがくと体を震わせ、こらえきれないほどの快楽の波に、意識が一瞬白く染まる。  
 限界に際し緊張した体を弛緩させ、浮いた腰が下ろされると、ノキは絶頂の余韻に小さく体を震わせた。  
「はぁ……はふ……は……」  
 乱れた呼吸を整えようと、大きく肩を上下させる。  
 そうやって息を整えながらゆっくりと目を開くと、そこにはこちらを覗き込んでいる視線があった。  
「満足、していただけましたか?」  
 ノキにあてられたのか、うっすらと頬を紅潮させて聞いてくる。  
 その顔に少しだけ見惚れてから、質問の意味を考える。その意図に気づき、ノキはさっと顔を赤らめると視線を外した。  
 何かしらの言い訳を考えて――だが、その顔と行動が、彼女の気持ちを代弁していた。  
「別に、恥ずかしいことではありません」  
 とは言っても、恥ずかしいものは恥ずかしかった。大体、その質問は卑怯だ。  
 肯定すれば十分感じていたことになるし、否定すればまだ足りないということだ。そして、自分の本音は――  
「大丈夫、ここにいるのは私とあなただけです。  
 誰も見ていませんし、誰も聞いていません。必要があれば忘れましょう。ですから――」  
 そこまで言って、一旦言葉を切る。そしてそのまま、耳元に口を近づけ――  
「今だけ、素直に」  
 そう囁く。  
 ずるい、とノキはそう思った。先にあんなことをしておいて、今更そんな風に言うなんて。  
 そんな誘惑されたら――  
「……もう、ちょっと……」  
 素直になるしか、ないじゃない。  
 大丈夫。だってこれは、マッサージだもん。  
「かしこまりました」  
 そう答えながら、彼女は柔和な笑みを浮かべる。  
 何故かノキは、その笑顔に大きな期待を抱いていた。  
 
 それから少し経ったある日。  
「あう〜、終わんないよ〜。ナノカちゃん手伝って〜」  
「ダメだよノキ、さすがにそういう書類は自分でやんなきゃ」  
 机に突っ伏しながら弱音を吐くノキに、ナノカは諭すような口調でそう返した。  
 みんなでスパに行こうと、割と突発的に誘いに来たのだが、どうも区長会議で渡された書類が沢山あるらしい。  
 それの処理と宿題に追われ、ノキはグロッキー寸前だった。  
「うん……分かってる。やっぱダメだよね。はぁ〜……」  
 とはいえ、それでごねるほどノキはワガママでもなかった。  
 ちょっと弱音を吐いて、叱咤して欲しかっただけである。素直にそう答えると、ナノカは幾分か満足したようだった。  
「でも、宿題くらいなら……」  
「ご心配なく。そちらも私がフォローしますので」  
 ナノカがいつものお人好しを発揮しようとした瞬間、まるでそれが分かっていたかのようにそう答える。  
 身近にいる人間にやると言われてしまっては、ナノカもそれ以上言うわけにもいかなかった。  
「ですので、安心して楽しんできてください」  
 しかも、こちらへの気遣いも忘れない。そこまで言われては、下手に心配するのも失礼に当たる。  
 結局ナノカは、その言葉に素直に従うことにした。それでは、と、軽く会釈して扉に向かう。  
「そういえばナノカちゃん」  
「うん?」  
 不意に呼び止められ、疑問符を浮かべる。  
「ええと、その……急な話でアレなんだけど、オイルマッサージって知ってる?」  
「うーん……一応、全身マッサージの方式の一種だって事くらいは知ってるけど……それがどうかしたの?」  
 本当に急な話に、ナノカは疑問符を浮かべた。また何か、そういったサービス的なものを立ち上げようという話になったのだろうか。  
 となれば、詳しく聞く必要がある。確かにネオスフィアにはまだまだサービス業が少なく、何事も貪欲に試していく必要があるのだから。  
「ああ、いや、なんでもないの。ちょっとそういうのがあるって、小耳に挟んだだけだから。  
 ナノカちゃんなら知ってるかな〜って。あは、あはははは……」  
 だが、ノキは何かを誤魔化すかのようにそう答えた。その反応に、ナノカは眉根を寄せるが――ノキにも何か事情があるのだろうと、それ以上聞くことはやめた。  
「そっか。でも、サービス系を開拓するのもいいかもね。ちょっと勉強してみようかな」  
 ヒントありがとう、またね。と言って、ナノカは部屋から出て行った。  
 それをノキは、曖昧な笑みを浮かべながら見送るしか出来なかった。がんばって自然な笑みを作ろうとするが、どうしても顔が引きつる。  
「区長」  
 不意に、声がかかる。その声に、ノキはそのままの表情と姿勢で動きを止めた。  
「また、しましょうか?」  
 自分の秘書のそのセリフに、ノキは小さくうなずいた。  
 

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