レイグレット・クタニエの朝は――あまり早くない。  
 もちろん、市長となった今でも朝の祈りは欠かしていないし、朝食も抜かないように気をつけている。  
 朝の祈りは、自分を引き取ってくれた司祭様と、めぐり合わせてくれた主への感謝を忘れないため。  
 朝食を抜かないのは、一日の始まりに、生きるための活力を手に入れるため。  
 一度死を垣間見た、そしてそこから救われた自分に出来ることは、生きるための努力を怠らないこと。  
 それが自分の務めだと、彼女は信じていた。  
「ねえ、ヴァル」  
 皆に生かされている。そして皆は、自分が生きていることに感謝してくれている。  
 だから、自分もその想いに応えなくてはならない。だからこそ――  
「この書類の量は、何?」  
 だからこそ、この立場を受け入れ、戦ってきた。  
 とはいえ。  
「仕事場では、言葉にお気をつけを」  
 しれっと言い返す幼馴染に、彼女は大きくため息をついて口を開く。  
「じゃあ改めて聞くわ、ホイットリ市長補佐」  
「何でしょう、クタニエ市長?」  
「この、明らかに異常な量の書類――いえ、紙束は、一体どういうこと?」  
 そう言って指差した先には、確かに異常な枚数の紙束が積まれていた。  
 その彼女に、やれやれと言った感じで肩をすくめる。  
「もちろん、街からの上申書やら意見書やら諸々……全て市長宛の書類さ。  
 まあ、ざっと目を通すだけでいい。そろそろトリスティアも軌道に乗り始めたから、それもあってどっときたんだろうしね」  
「……生活が安定すると、人間って現状に満足できなくなるのね。  
 あんまり人のことは言えないけど、贅沢な話ね」  
 全く生活が安定していなかった頃を思い出し、うんざりとつぶやく。  
 食べられる雑草を探してまで飢えをしのいだ時期を思い出し、無理やりその記憶を奥底にねじ込んでふたをする。  
 あの頃の経験は人生の糧にはなったが、好き好んで思い出すようなものでもなかった。  
「とりあえず市長宛のものを全部まとめただけだからね。意見書以外も多分に含まれてると思うよ」  
「……そうみたいね」  
 書類の間からこぼれてきた、何の変哲もない便箋を手に取り、レイグレットはそうつぶやいた。  
 
『しさいさまいつもありがとう。おしごとがんばってください』  
「……こういうのをもらうと、がんばろうって気になるわね」  
 子供が書いたと思われる、お世辞にも上手いとは言えない、だが想いのこもった文字を眺めながら、そうつぶやく。  
 トリスティアに住む子供たちからたまに送られてくる手紙は、彼女の宝物の一つだ。  
「感慨にふけってないで、お仕事がんばってくれないかな、司祭様」  
「……分かってるわよ」  
 横からの茶々入れに、レイグレットは頬を膨らましてそう答えた。  
 眼鏡を一旦外して、目じりを軽くほぐす。大きく息を吐いて気合を入れ直し、彼女は書類に掴みかかった。  
「てゆーか、せめて先に分類分けくらいして欲しいんだけど」  
「それについては謝る。まさかそんなに届いてるとは思わなくてね。  
 まあ、今日は他の仕事も無いし、君は椅子に縛り付けておかないといつの間にか外に逃げてるからな」  
「人聞きの悪いこと言わないで頂戴。より良い街づくりのために、直接足を運んで街を見てるんだから」  
 不満気に言い返すレイグレットに、ヴァルは肩をすくめた。  
 そのまま半眼になって口を開く。  
「そして、交友と称して何本エールをあけてきたっけ?」  
「失礼な。ちゃんとワインにしてるわよ」  
 そういう問題ではないと、ヴァルは呆れ気味に嘆息した。  
 彼女のいいところは、その開けっぴろげな性格だが――同時に、欠点でもあった。頼むから開き直らないでくれ。  
「まあ、君にとって酒は命の次に大事なものだから、飲むなとは言わないよ。  
 けど、せめて表では控えてくれ。君も今は、トリスティアの顔なんだぞ」  
「今更スタイルは変えられないわ。今も昔もこれからも、私はこのままよ」  
 そう返して、掴んだ書類をひらひらと振ってみせる。その仕草に、ヴァルは仕方ないといった感じで息を吐いた。  
 なんだかんだ言って、彼女のそのスタイルが住人には好評ではある。一応、という気持ちで言っただけなので、彼も無理に変えさせるつもりは無かった。  
 それに、別に仕事を放り出してまで外に出ているわけではない。だからこそ、あまり強く言えないのだが。  
「そう言うだろうとは思っていたけどね。せめてこう、ふらふらになって帰るのはやめたほうがいい。君も一応女性なんだ」  
「あら、意外に紳士なのね?」  
 面白いものを見るような、ただ、どこか少し嬉しそうな様子で、レイグレットが頬杖をつく。  
 それに対して、ヴァルは冗談めかした様子で肩をすくめた。  
「面倒ごとを避けたいだけさ」  
 それが彼なりの気の使い方だと、レイグレットはよく知っていた。  
 
「通常業務しゅーりょー!」  
「……声に出して喜ばないでくれ」  
 書類を処理し終え、勤務時間の終了を知らせる鐘がなると同時、レイグレットは心底嬉しそうに大きく伸びをした。  
 頭を抱えて呆れるヴァルを尻目に、いそいそと帰る仕度を始める。  
「そういえば、今でも神殿に住んでるんだな」  
「そりゃそうよ。あそこは唯一私が帰る所だもの」  
 何の気負いも無く、さもそれが当然といった様子でそう返す。  
 その返事に、ヴァルは二の句をためらったが――しかし、結局は口を開いた。  
「寂しいと思ったことは無いのか?」  
 彼の言葉に、レイグレットはあからさまに不機嫌な様子で顔をしかめた。  
 こういう質問をすれば自分が気分を害するということが分かっているはずなのに、何故この男はわざわざ聞くのだろうか。  
「急に何よ?」  
 そして、憎まれ口は叩いても、本当に嫌な話は業務以外ではしないはずの彼に、少し憤りを感じる。  
 だが彼は、少し――ほんの少しだけ、苦い顔をして口を開いた。  
「いや、すまない。忘れてくれ」  
「……そりゃあ、少しはね」  
 何かを振り払うかのように視線を外したヴァルに、ポツリともらす。  
 顔は見えない。だが、どんな表情をしているかは分かった。彼は――顔を渋らせて、後悔しているのだろう。  
 悔やむくらいなら、最初から言わなければいいのに。  
「今でもたまに思うのよ。朝が来ないんじゃないか……これが最後の夜なんじゃないかって。  
 もう体の調子はいいわ。あの頃に比べたら、まるで背中に翼が生えたみたいに体が軽いの。  
 それでもね。だからこそ、今が夢なんじゃないのかって、もしかしたら、死ぬ直前の甘い夢が長く続いてるだけなんじゃないかって思う時もある」  
 言わなければいいのに、言ったからには、聞いてもらう。自分の、他の誰にも言わない弱音を。  
 幼馴染なのだ。それくらいの責任は取ってもらおう。人の心に入ってきた罰だ――  
「だから……寂しいと思うことは、実はしょっちゅうあるのよ。人肌が恋しい事だって、ね。  
 バカみたいよね。死の病にかかってた時は諦めてたのに、それが治ると今度は怖くなるなんて」  
 自嘲気味に苦笑する。ヴァルは何も言わない。  
 ただ彼は、レイグレットの言葉を無言で受け止めていた。  
 
「ほらほらどうしたの? 私の酒が飲めないってーの?」  
「……君という奴は……」  
 神殿に引っ張っていかれ、酒を酌み交わす。  
 先ほどまでの陰鬱な気分は、目の前の酔っ払いのおかげで多少は楽になっていた。  
 何かを誤魔化そうとする時、酒に頼るのは彼女の悪い癖だ――そんなことを思いながら、コップに口をつける。  
「いいじゃない。寂しい夜を思い出させた罰よ。今日はとことんまで付き合ってもらうからね?」  
「……まあ、僕が付き合うことで不安が紛れるなら、いくらでも付き合ってやるさ」  
 く、とコップの中の酒をあおって視線を戻すと、ぽかんとした表情でレイグレットがこちらを見ていた。  
 手にある酒に口をつけようともせずに、こちらを呆然と眺めている。  
「どうした?」  
「……そんなに不安そうに見える?」  
 どうやら今日は酔いが早く回っていたようだと、ヴァルは自分の失態を罵った。  
 それとも、今日垣間見た彼女の弱さに酔っているのか。  
 だが、言ってしまった言葉を引っ込める手段は無い。意を決して口を開く。  
「……親しくない連中は気づかないだろうがね。今の君は、酒で何かを紛らわせようとしてるように見える。  
 それも、昨日今日の出来事に対して、じゃない。もっと長期的なことだ」  
 でなければ、こんなところでたった二人で酒盛りをしたりはしない。  
 昨日今日のことを紛らわしたいなら、酒場で酒をあおるだけでも事足りる。  
 いくら憎まれ口を叩き合う幼馴染といえど――いや、そんな間柄だからこそ、分かることもあるのだ。  
「……やっぱり分かっちゃうか……こういう時、幼馴染って不便よね」  
「吐き出すところがなければ、人は潰れるだけさ。酒の席だ、忘れることも出来る」  
 そう言って、酒を注ぐ。今日はさっさと酔ってしまおう。  
「そうね……酒の席だもの」  
 すぐ近くから聞こえてきたその声に、ヴァルは慌ててそちらに視線を戻した。  
 酔って顔の赤い幼馴染が、まるでしなだれかかるように近づいている――  
「だから、忘れてくれて、いいわ……」  
「ま、待て――」  
 制止の声を振り切るように、二人は床に倒れ込んだ。  
 
 酔っているんだ、と、自分に言い聞かせる。  
 だから、これは酔った勢いでのことだ。素面でこんなこと――恥ずかしくて出来やしない。  
「だめだ、レイグレット」  
「人肌が恋しい事もあるって、言ったでしょ?」  
 頬を紅潮させ、囁くように言う。  
 少し困ったような表情。押し倒されるような形のままで、ヴァルはその顔を綺麗だと思った。  
 だが――  
「だめだ。今の関係を保つ自信が無い」  
「忘れてくれていいから」  
「君に迫られたら、忘れられないかもしれない」  
「じゃあ、それでもいいわよ?」  
 こういう時、度胸があるほうはやはり女性なのか。  
 そうぼんやりと考えながら、近づいてくる顔を無抵抗に受け止める。  
 そ……と、添えるように唇を重ね、ゆっくりと離すと、レイグレットの顔は先ほどよりも赤みが増していた。  
「本当は、もうちょっとロマンチックにしたかったんだけどね……」  
 苦笑しながらそう言う。  
 そんなロマンチストでもなかろうに、と言いかけてやめた。  
 彼女の一大決心を茶化すのも、少々無粋だ。  
「……僕らには、これくらいが丁度いいんだろうさ。  
 こんなことでもなければ、いつまでも変わらなかっただろうし」  
 そうね、と、苦笑気味の返答を受け、ヴァルもそれに倣って笑った。  
「僕は、君ほど度胸が無いからな」  
「あなたほど意志が強くて度胸もある男を、私は見たことが無いんだけど?」  
 そう答えて、長い髪をかきあげる。光栄だね、と答えるヴァルに、レイグレットは小さく微笑んだ。  
「ねぇ、もう一回……」  
 そう言って、もう一度唇を重ねた。  
 
「実を言うとね、ずっと不安だったの」  
「……市長になったこと、だな?」  
 唇を離して言うレイグレットに、そう聞き返す。  
 こんどは驚かずに、彼女はええと肯定した。  
「みんな私が適任だって言うけど……」  
「僕もそう思うけどね」  
 そう言うも、レイグレットの気持ちは分からなくもなかった。  
 神殿の司祭でしかなかった時とは違い、今は彼女の決定がトリスティアの全てを決めると言っても過言ではない。  
「ズリアーニ前市長は、確かに優秀ではなかったかもしれないけど……その責任感と我慢強さは見習うべきだと本気で思ったわ」  
 それに関しては、ヴァルも同じ気持ちだった。  
 あそこまで傾いていたトリスティアの、全責任を背負った上で働いていたのだ。  
 たまに頭に血が上りすぎて錯乱することもあったが、常に自分にかかる責任を自覚し、それに耐えていた。  
 それは、他の誰でもなく、トリスティアを心の底から愛している彼だったからこそ出来たことだろうと、ヴァルはそう思っている。  
 他の人間では、潰れるか逃げ出すかしていたのではないだろうか。  
「それに比べて私は、立ち直ったトリスティアのバランスを取ってるだけ――」  
「神が本当にいるとして」  
 自嘲気味に続けるレイグレットを遮るように、ヴァルが口を開く。  
 レイグレットが一瞬息を呑んだ隙に、彼は後を続けた。  
「運命という、誰にも抗いがたいものを神の指が操っているとしたら」  
「それを、神の信徒である私に説くの?」  
「君が選ばれたのは『そういったもの』に求められたからだ。  
 少なくとも、君を選んだ人達はふさわしいと信じているし、君が選ばれたのもその結果だよ」  
 不満気に聞くレイグレットに、結論だけを言ってやる。  
 所詮はちょっとした、哲学にもならない屁理屈だ。別にとうとうと語るつもりもなかった。  
「……あなたは?」  
「最初に君を推薦したのは僕だぞ?」  
 そう言ってやると、彼女は満足したようだった。  
 
 嬉しそうに目を細め、三度目の口付けを交わす。  
 今度は深く重ね、どちらとも無く舌を絡めあう。  
 ゆっくりと丹念に、互いの舌を撫でるように優しく、しかし奪い合うように濃厚に。  
 たっぷり一分ほどかけて愛し合うと、二人の口を銀の光が繋いでいた。  
「ね、ねえ、ヴァル。その……」  
 と、普段見せない、何かを恥じるような表情でちらちらと視線を外す。  
 何事かと思って、ヴァルはあることに気づいた。  
「あー……その……」  
 どう答えたものかと、返答に詰まる。  
 酒のせいか、それとも彼女に酔ったのか。  
 どちらかは分からないが、自分の体の一部がレイグレットの下腹を押し上げている。  
 意識すると、更にそこに血が集まっていくのを感じ、ヴァルはどうしたものかと軽く頭を抱えそうになった。  
「……すけべ」  
「うぐ」  
 責めるようにそう言われ、思わず呻き声を上げる。  
 だがレイグレットは、そんな彼を見て小さく微笑んだ。  
「けど、いいわよ」  
 そう言いながら、下腹をぐ、と押し付けてくる。  
 充血したヴァルのそこに乗るようにしてレイグレットが体を起こし、ぐりぐりと押しつぶす。  
「お、おい、レイグレット……」  
「私だって、そういう気分だもの」  
 少し拗ねたような口調でそっぽを向く。  
 その仕草が妙に可愛くて、ヴァルは思わず吹き出した。なんて似合わない。  
「あ、ちょっと。何で笑うのよ」  
「いや、聖職者からそんなセリフが聞けるとはね」  
「司祭だって人間よ。それに、女神アトレリアは愛の営みを否定してはいないわ」  
 それもそうかと、ヴァルはそう返した。  
 
「ところで、そろそろどいてくれると嬉しいんだが」  
「ダメよ。これからは公私共に思いっきり下に敷いてやるんだから」  
「予行演習ってわけか……」  
 はは、と、苦笑いを浮かべる。いつの世も、女性というものは強いものだ。  
 それに、自分もどちらかと言えば下から支えるほうが性に合ってはいる。悪い話ではない。  
 が、やはりそこは何というか、男の自尊心的に、せめてこういう事の時くらいは上位でありたいと思う。  
 そんなわけで――  
「じゃあ、敷かれたままで色々しよう」  
「ひゃ……っ!?」  
 不意に伸びた手に、レイグレットが小さい悲鳴を上げる。  
 乳房を下から持ち上げるように揉みながら、ヴァルはその反応に小さく苦笑した。  
「下に敷くつもりなら、これくらいで動じてちゃいけないんじゃないか?」  
「し、仕方ないじゃない。こういうことは、その、初めてなんだから」  
 かあ、と頬を赤らめながら言う。全く、そういう仕草は本当に似合わない。  
 そんな似合わない仕草は僕以外には見せられないな、と、ヴァルは誰も聞いていない胸中で惚気て見せた。  
「あ、ちょっと。何笑ってるのよ?」  
「いや、なんでもない」  
 そう言って、上半身を起こす。腰の辺りまで下がっていたレイグレットは、その勢いで後方に倒れこむが――  
 それはヴァルがしっかりと支え、そのまま逆に押し倒し返す。  
「ただちょっと、似合わないと思っただけさ」  
「……その『似合わないこと』をさせてるのは誰よ」  
「……光栄だね」  
 そう返して、唇を塞ぐ。もう何度目になるのか。レイグレットは数えるのを止めた。  
 どうせこれから、何度も重ねるのだ。何度も、何度も――  
「キスで誤魔化すの、禁止」  
「君もすればいいのさ」  
 そう答えて、ヴァルは彼女の服に手をかけた。  
 
 薄く汗ばんだ肌が外気に晒され、ふるり、と小さく震える。  
 いくら暖房をかけているとはいえ、現在のトリスティアの季節は冬だ。やはり少し寒いのか。  
「……あ、あんまりじろじろ見ないでよ」  
「あ、ああ、すまない」  
 恥ずかしそうに自身の乳房を隠すレイグレットに、ヴァルは慌てて視線をそらした。  
 先ほどの震えは、寒さが故ではなく、内心の恐怖が出てしまったのではないだろうか。  
(……まったく、意地っ張りなところは治る気配が無いな)  
 胸中で苦笑して、彼女の首筋に唇をつける。ぴくん、と彼女の肩が跳ねた。  
「あ……は……ヴァルぅ……」  
 そのまま、つつ、と胸元へと舌を這わすと、彼女は乳房を隠していた腕を下ろした。  
 ヴァルはそれに従うように右の乳房へと舌を這わせ、その先端に唇を重ねる。  
 小さい声が漏れ、その体が小さく跳ねる。舌で先端を転がしてやると、彼女はたまらずその手で自分の口を押さえた。  
「もうこんなに硬くなってる」  
「ば、ばかっ。そういうこと言うんじゃ……ぁんっ」  
 抗議の声も、嬌声に遮られて満足に発せない。  
 アルコールが入って、多少は鈍くなっているはずなのに、自分はそんなに敏感なのか。  
 それとも、ヴァルが上手いのか。上手いなら、自分より前に経験があるのだろうか。だとすると相手は誰だ。  
「ねぇ、ヴァル……もしかして、経験、あるの?」  
「……そういう付き合いが無かったといえば嘘になる」  
 彼らしい、回りくどい言い方だ。その返答を聞いて、レイグレットは顔も知らないその相手に、黒い感情が沸き起こるのを感じた。  
 嫉妬。その黒い感情の名前に、レイグレットは悔しさ半分、驚き半分で口を噤んだ。  
「……もしかして、嫉妬してるのか?」  
「……してる」  
 憮然とした様子でそう返す。  
 悔しいが、認めるしかない。多分自分は、自分が思っている以上に、彼にぞっこんなのだ。  
 
「それは何というか……光栄だけどね」  
「……いいわよ。そういうのが必要な時があることくらい、理解できるもの」  
 困ったように言うヴァルに、憮然とした表情のままでそう返す。  
 理解は出来るが、納得は出来ない。だが、理解できる以上、強くは言えない。  
 感情に押し流されたら負けだ。感情で物事を決定すれば、絶対に破綻する。  
 責任ある立場にいる以上、時には自らの感情を押し殺すことも必要だ。とはいえ。  
「理解できるけど……悔しい。このままでは業務に差支えが出るかも」  
「……勘弁してくれ」  
 何という脅しか。すさまじい言い分に、ヴァルは思わず頭を抱えそうになった。  
 その様子に、レイグレットは先ほどまでの仕返しが成功したと、満足気に微笑んだ。  
「ちゃんと愛してくれたら許してあげる」  
「……実はそれが言いたかっただけとかいうオチじゃないよな」  
 それには、さあ、と、とぼけてみせた。  
 確かに一度言ってみたかったセリフではあったが、別に意図したわけではない。  
 嫉妬した、というのは本心なのだから。  
「まあいいさ。それじゃあ遠慮なく」  
 そう言いながら、レイグレットの下腹に手を伸ばす。  
 そのままさらりと一撫ですると、彼女は反射的に脚を強張らせた。ああは言っても、やはりまだ抵抗があるのだろうか。  
 そんな彼女の緊張をほぐすように、ゆっくりとその大腿を撫でさする。  
 彼女の濡れた唇からため息の様な声が漏れ、力が抜けていく。それを確認して、ヴァルは彼女の核心へと手を伸ばした。  
 腰が小さく震え、再度脚に力が入るが――ゆっくりと撫でてやると、すぐに大人しくなった。  
「……手馴れてる。踊らされてるみたいで何か腹が立つわ」  
「子供みたいにむくれないでくれ」  
 顔をほんのりと紅潮させながら眉尻をあげるレイグレットに、ヴァルは困ったように返した。  
 どうしろと言うんだ。  
「……でも、気持ちいい……」  
 どうやら、このままで良いらしかった。  
 
 少しずつ水気を帯びていくそこをゆっくりと撫でさすり、充血した肉芽を指の腹で押しつぶす。  
 上下に動かすたびに、抑え切れなかった声が漏れ、羞恥と快楽に彼女の頬の赤みが増す。  
 少女のように閉じられた肉壁を押し広げ、指を這わせば、可愛らしい嬌声が耳を刺激する。  
「あ、や、だめ、ヴァル……許して……!」  
 切羽詰った様子で顔を隠すように手で押さえ、レイグレットは許しを請う子供のように懇願した。  
 限界が近いのだろう。しかしそんな懇願に、ヴァルは無視を決め込んだ。  
 それどころか、より激しく彼女を追い詰めていく。  
「ひぅ……ん、んぅあぁ……っ!」  
 びくん、と背を反らし、一際大きな嬌声を上げる。  
 余韻に体を痙攣させながら、泣いているような怒っているような中途半端な表情で、彼女はヴァルを睨みつけた。  
「この鬼畜ぅ……」  
「君が可愛いのがいけないんだ」  
 そう言ってやると、彼女は顔を真っ赤にして視線をそらした。  
 全く、普段と違って、このじゃじゃ馬のなんと可愛いことか。  
「だから、責任を取ってもらわないとな」  
「……それって普通、女が言うセリフじゃない?」  
 そう聞き返すレイグレットに、にやりと口の端を歪める。  
「いや、こういう場合は男が言うのが正しいのさ」  
 そう言って、ヴァルはベルトに手をかけ、自らの滾りを外気に晒した。  
 脈打つほどにいきり立ち、天を突かんばかりに怒張した剛直に、レイグレットは思わず息を呑んだ。  
 久しぶりに見た幼馴染のそこは、まるでグロテスクな魔物のようにすら見えた。  
 これから、あんなものが、自分の中に入るのか――?  
「え、あ、う……?」  
「こんなにした責任を取ってもらわないとね?」  
 得意気なヴァルの顔の下で、彼の欲望がはちきれんばかりに自己主張していた。  
 
「え、ええと……」  
 ぎんぎんに張り詰めた彼のそこを凝視しながら、レイグレットは恐怖に慄いた。  
 話が違う。絶対無理だ。あんなもの、入るわけがない――  
「無理なら、止めるかい?」  
 だが、そんなことを言われてしまっては引き下がるわけにはいかなかった。  
 意地、というのもあったが、この機会を逃してしまえば、ずるずると先延ばしにしてしまいそうだった。  
 そんなのは嫌だ。大丈夫、赤ちゃんが出て来る所、そんなにやわじゃないはずだ。  
「だ、大丈夫……来て」  
 強がりだが、無いよりマシだ。そう自分に言い聞かせて、脚を開く。  
 そのまま指で、自分の入り口を開いてやる。顔が燃えそうなほど恥ずかしいが、大サービスだ。  
 どうせ彼以外に見せる予定は、今のところ無い。  
「なら、遠慮せず……」  
 そう答えて、先端を宛がう。熱く充血した肉同士が触れ合い、その熱を伝え合う。  
 ぐ、と一瞬の抵抗の後、その抵抗を引き裂くように、ヴァルはレイグレットの中へと一気に侵入した。  
「ぅあ……っ!」  
 肉が千切れるような痛みが一瞬走り、思わず上げた声は、息と一緒に詰まってしまう。  
 ぐらり、と視界が揺らぐが、下腹部に走る痛みがすぐに我を取り戻させた。  
「……大丈夫か?」  
「だ、大丈夫……涙出てくるくらい痛いけど、大丈夫、我慢出来る……」  
「それは大丈夫って言わないと思うんだが……」  
 自分の背中を削る彼女の爪を思えば、相当痛いのだろう。  
 破瓜の痛みというのは想像がしにくいが、彼女のは随分とヘビーだったようだ。  
「大丈夫だけど……」  
「うん?」  
 涙を拭こうともせずに続けるレイグレットに、そのままの体勢で聞き返す。  
「……キス、して……」  
 そう言う彼女の唇を、ヴァルは有無を言わずに奪ってやった。  
 
「ぅん……は……」  
 切れ切れの吐息を漏らすレイグレットに、ヴァルは押し付けるようにして唇を重ねた。  
 息苦しさでせめて痛みがまぎれるならば。そう思い、彼女の口内を蹂躙する。  
 ふと、背中を掻く手が止まったのに気付き、ヴァルはゆっくりと口を離した。  
「……背中……」  
「気にしなくていい」  
 落ち着いてきたのだろうか。他人のことを気にかける余裕が出てきた彼女に、ヴァルは優しく返してやった。  
 少なくとも、彼女の痛みに比べれば、自分のそれは、それほどのことではない。  
「こんな傷は、君のと違ってすぐ治る」  
「ば、ばか……!」  
 急に気恥ずかしくなったのだろうか。痛みに紅潮した顔を、今度は羞恥に染めて言い返す。  
 その様子に、ヴァルは仕方ないなと苦笑した。  
「わ、笑わないでよ……それより、動いて」  
「大丈夫か?」  
「まだちょっと痛いけど……もっとあなたを感じたいもの」  
 そう返すレイグレットに、ヴァルは、そうか、とだけ答えて腰をゆっくりと動かし始めた。  
 彼女は卑怯だ。反則だ。あんな事を言われたら、動かずにいられるものか。  
 胸中でそんなことを考えながら、もっと早く動きたい衝動を必死で押さえ込む。  
 彼女が苦痛に顔を歪める姿など、あまり見たくない。この時ばかりは、自分が経験者だということに感謝した。  
 もし彼女のように初めてならば、彼女を気にかける余裕など無かったかもしれない。  
 だがそこで彼は、とても大事なことに気がついた。致命的と言ってもいい。  
 動揺が極力声に出ないように注意を払いながら、ヴァルは小さく口を開いた。  
「……レイグレット、すまない」  
「……な、に……?」  
「ゴムをつけてない」  
 声に出ていたと思う。どうやら、自分で思っているよりは余裕が無かったらしい。  
 そんな彼に、レイグレットは久しぶりの――本当に久しぶりの意地悪な笑顔で、口を開いた。  
「……責任、取ってくれるんでしょ?」  
 しばらくこのネタで尻に敷かれそうだと、ヴァルはそんな事を思った。  
 
「それに……」  
 もう会話が出来るほどに痛みは退いたのだろうか。  
 今度は先ほどとは違い、満たされたような笑みを向けて続けてくる。  
「無くて、良かった」  
 やっぱりその笑顔は反則だ。レッドカードだ。  
 胸中でそうつぶやいて、誤魔化すようにストロークを強くする。  
 早くなった腰の動きに、強くなった快感か、まだ残る痛みか、レイグレットは体を反らして声を漏らした。  
 入り口を擦り付けるように押し広げ、ほぐすようにして責め立てる。  
「ん、ふ……」  
 苦しげな喘ぎの中に、艶やかさが混じり始める。  
 初めての異物の侵入に緊張していた彼女の内壁は、気付けば程よい締め付けになり始めていた。  
 もっとも、自分のほうは少しでも気を抜けば、すぐにでも限界を迎えてしまいそうだったが。  
「ちょっと、気持ちよく、なってきた、かも……」  
 そいつはよかった。と、軽口を返す余裕も無い。  
 先ほどから思ってはいたのだが、彼女の喘ぎ声はいささか強力すぎる。まるで凶器のようだ。  
 そう、胸中で考えるとほぼ同時、下腹部に込み上げてくるものを感じる。  
「く……レイグレット……っ」  
 限界を告げるヴァルに、レイグレットは自分の脚で彼の腰を抱え込んだ。  
「中に、頂戴?」  
 せめて外に出そうとしていたヴァルだったが、幼馴染の甘えた声に折れてしまう自分を自覚する。  
 そうだ、観念してしまおう。もし出来たとしても、責任を取ればいいだけの話じゃないか。  
 そう考えた瞬間、まるでたがが外れるのを待っていたかのように、限界が訪れる。  
「くぅ……っ!」  
 強烈な開放感に顔を歪め、彼女の最奥へと白濁の精を流し込む。  
 どくんどくんと注ぎ込まれる愛欲の証に、レイグレットはとろんとした表情で口を開いた。  
「ヴァルのが、いっぱい……」  
 そう言って、彼女は嬉しそうに目を細めた。  
 
 レイグレット・クタニエの朝は――あまり早くない。  
 更に言ってしまえば――今日に限っての話ではあるのだが――むしろ遅かった。  
「ん……」  
 ゆっくりと意識が浮かび上がり、目を開ける。  
 直接肌の上を滑るシーツに、下腹部に残る違和感。その二つが、昨晩の事実を思い出させてくれた。  
 シーツで胸元を隠しながら、その時のことをゆっくりと思い出す。  
「……ふふ♪」  
 再度湧き上がってきた悦びに、だらしなく破顔する。  
 一度は得ることを諦めたものを手に入れたのだ。その分、嬉しさも一際だった。  
「ようやくお目覚めかい、お姫様?」  
 そんな軽口を叩きながら、ヴァルがコップを片手に部屋に入ってきた。  
 そのままベッドの脇の椅子に腰掛け、コップに口をつける。  
「コーヒー、飲むかい?」  
 そう言って、コップを差し出してくる。それに頷いて受け取ると、レイグレットはそれに小さく口をつけた。  
 これが夜明けのコーヒーとか言うものだろうか――甘味のない黒い液体を飲み込んで、そんなことを考える。  
 そこでふと、彼女はあることを思いついた。  
「三ヶ月分、だったっけ?」  
「……僕の給料だと結構な額になるぞ」  
 何を指し示す数字なのか、彼もすぐに理解してくれたようだ。  
 さすがは幼馴染ということだろうか。何となく嬉しい気持ちになる。  
「じゃあ、いいものが期待できそうね」  
 ふふ、と微笑む彼女に、ヴァルは気が早いものだと苦笑した。  
「それより、早く仕度したほうがいい。もう完璧に遅刻だぞ」  
 そう言われ、ふと時計を見る。なるほど確かに遅刻は確定のようだ。  
 だが彼女はいつものように――どこからそんな自信が出て来るんだというような不敵な笑みを浮かべた。  
「いいじゃない。二人で腕組んで遅刻して、皆を驚かせてやりましょう?」  
「面倒ごとは避けたいんだがね」  
 そう言って肩をすくめるヴァルに、レイグレットは、嘘ばっかり、と返してやった。  
 さて、今日のお祈りは、何に感謝しようかしら――  
 

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