彼はもう居ない。刄を交えたあの感触も消えた。
彼はもう居ない。あの、意志の強い瞳も今は亡い。
彼はもう居ない。なのに彼は今日も月の城に現れたのだ。
決着を着けるべく、意を決し彼を刺し貫いた。
正に一瞬の出来事だった。彼に抱き締められた。
唐突に、だった。
その瞬間。
彼が――夜叉王が――死んだ、そして私が初めて夜叉王と刄を持たず肌に触れた、蘇る筈の無い、あの日の夜が蘇ってきた―――。
その日の夜。うっすら夜叉王の病の事を考えつつ、私は床に入る。
互角の筈の夜叉王に、傷を付けた日の事も考える。
そしてやはり、夜叉王自身の事。夜叉族の主、敵で有りながら、この上なく愛しい男(ひと)――。
そんな想いを募らせながら、眼を閉じ―――ようとした。
不意に、覚えの有る気配を感じ取り、私は窓の外を視た。彼は其処に居た。何時もと同じ瞳を湛えて。
彼がそのがっしりした腕を私の方に延ばしてきた。私はその腕に手繰り寄せられるかの様に、その腕に躰を収めた。温かい、夜叉王の感じ。私は、彼の頬に手を添えた。でも、おかしかった。月の城でのみ合間見える筈の夜叉王が何故此処に居るのか。
そして気付く。彼は亡くなった。死んだのだ。認めたくなかった。嘘だと、嘘だと言って欲しかった――
だが彼は、悲しそうに首を振り、私を抱き締めた。魂のみの、幻となって。触れる事がままなったのは、強い魔力を秘めた、羽根の力だった。
私は、夜叉王の唇に口付けを落とした。軽く、擦っただけの子供のような口付け――。そして私は、夜叉王に、躰を委ねる事にしたのだった。
躰を委ねてしまった。
敵で有る彼に。
躰を委ねる事が出来た。この世で最も愛しい男に。
悲しい葛藤。
愛してはいけないのに、愛しい男。
――この世は皮肉だ。どうして好きな者ほど失うのだろうか。――
私の秘かな葛藤に気付いたのか、夜叉王は包み込む様にふわりと肩を抱いた。 彼が悲しそうに私をその瞳で視る。その瞳の美しさに、私は見惚れた。
その時、ぐら、と躰が傾いた―と、気が付けば、私は押し倒されていた。紛れもない、彼、夜叉王――の魂に。
魂は、夜叉王そのもの。だが、私は少し虚しかった。嬉しい。筈なのに。でもその虚しさも、瞬時に掻き消えた。
夜叉王からの、温かい口付け。
私の虚しさは、彼に全てを委ねる、決意と甘えに為ったのだった。
唯事ではない、淫美な喘ぎ声。それを発しているのは、私だった。
夜叉王によっての愛撫で、間違いなく絶頂に導かれている。
「…………っ!」
突然の刺激。腰ががくがく揺れる。夜叉王が触れた、――いや、摘み上げた、と言った方がいい。――場所は、恥部の奥にある肉芽。恥ずかしながら、私が最も感じてしまう場所だった。 「…あっ…はぁ…ぅ…や……夜叉王…っ!ああぁ!」
舌を入れてくる。ねっとりとした感触が、さらなる快感を生み出していく。
自分で、もう大分湿っているのがわかる。
いい…そう感じていた時、彼が舌と手の動きを止め、口を開いた。
何事かと、話を聞く。
…本当は内心不満だった。このまま続けて絶頂を迎えさせてくれればいいのに――。
「…阿修羅、済まなかった。先に、先に死んでしまって」
深い悲しみを湛えた彼の声。
静寂。
そして、私の中に沸き上がる、悲しみ。
彼から、この言葉を聞いた時、流す筈の無かった涙が一筋、線を描いて
落ちた。
嗚咽して上下する私の背中を、申し訳なさそうにゆっくり擦ってくれる。
申し訳ないのは、私の方なのに――。
その、逞しい身体に寄り添っていたら、唐突に彼が愛撫を再開した。
「ちっ…ちょっと…まっ…て…ん、…はぁ…ん…!」 彼に慰められて、涙は乾いた。今の私にあるのは、愛する者に抱かれる悦び。
唐突な再開の仕方に、私は喘ぐしかなかった。
只、愛しい男に抱かれる悦びに溺れていった。
つん、と何かが恥部に触れる。恐る恐る見ると、夜叉王のソレだった。
初めて夜叉王のソレを目の当たりにし、改めて赤くなる。夜叉王も、顔を朱に染めていた。
いつもとあまりに違う、子供のような彼の顔。
私は心から彼を堪らなく愛しいと思った。
意を決し、彼の上にまたがる。そして、腰を落とし、彼のソレを私の中に挿入ていく。
強烈な快感の波。無意識に私は腰を振っていた。
すると、夜叉王も合わせる様に腰を振り始めた。
頭がぐらぐらする。あまりの気持ち良さに、失神しそうにもなる。いつしか、息は両方共に荒くなり、表情も恍惚とした物になっていた。
「…や……叉…王……んぅっ!……ああぁん!……ひぁっ…ん…もう…だめぇっっ!」
「あ…修羅…お…俺も……もう………っ…」
高みに昇っていく感覚。それは、ずんとのしかかってくる。
もう、だめ。喘ぎながら思う。
そして私は、いや、私達は同時に、快感に溺れた。
―――朝。
私は、乱れた床の上で目を開けた。陽の光が眼に眩しい。
私は慌てて夜叉王の姿を探す。誰よりも大切な、夜叉王の姿を。
―――だが、彼は居なかった。居るはずが無かった。解っていた筈なのに。
私は、弱い。夜叉王を想うと、枯れた筈の涙が、また溢れてくる。
やっぱり、貴男が居ないと私は――
とても弱い、と弱音を吐こうとした。そしたら、それを遮るように、声が聞こえた。
「阿修羅、お前は充分に強い。辛いときは、俺が居ると思え。お前はその強さで自分の配下の者達を護れ。」
確かに、聞こえた。私は彼が居るであろう、空に向かい、涙で潤んだ瞳で、笑いかけていた。
―――それなのに、私は今此処に居る夜叉王を刺し貫いている。
そして、夜叉王の幻に抱き締められている。
もう永遠に感じる事の無い夜叉王の包容を、彼が消えるまでの僅かな時間、精一杯、感じていた――
終)