カラン、カラン。  
 
ドアの呼び鈴が甘く乾いた音を立てた。風と共に雑踏のざわめきが吹き込み、  
一瞬息づいたホールをすぐにもとの静寂が満たす。  
外界と中を隔てる扉の前に立つ人影は両脇に大きな袋を抱え、いったいこの男は  
このなりでどうやって入ってきたんだろうと、少し可笑しくなった。  
「せっかちなお客さんだこと。定休日の札が見えなかったの」  
「客じゃねぇ。この間の話で、聞きたいことがある」  
ステンドグラスの窓から射し込む夕陽を背に浴びた男の顔には、見覚えがあった。  
つい二日ばかり前、情報屋の紹介を受けて鬼児の話を聞きに来た、奇妙な  
二人連れの一人だ。  
「お連れさんの怪我の具合はいかが」  
「もとから心配する程の怪我じゃねぇ」  
「つれないお友達ね。……その荷物、下ろしたらどう」  
男はカウンターの端とスツールに、抱えた荷物を下ろした。小麦なんて、自分で  
料理をするようにはとても見えないけれど。お使い帰りの寄り道、というところか。  
それとも、此処にも彼に言われて来たのだろうか。  
「聞きたいことは一つだ。この国で鬼児は人の姿をしていないんだろう。なぜ、  
そいつが鬼児だと言える」  
夕闇に呑まれつつある静かな部屋で、しどけないドレスを纏い上目遣いで見上げる  
歌姫を前に、淡々と男は聞きたいことだけを突き付ける。  
途端に興味が失せた。頬杖を付いたピアノの蓋に、血の色の光が照り映える。  
マニキュアの甘い赤と同じ、艶めいて誘うよう。  
今夜は晴れそうだ。金と名誉のために敵と遭遇する僥倖を求め、暗がりに息を殺す  
獲物の姿がよく見えるだろう。  
 
「……おい、聞いてんのか」  
 
苛立たしげな声が耳を打った。甘い夢想に罅が入り、仏頂面の男の面白くもない  
顔が目に入る。そういえば、この男も鬼児狩りだと言ったか。  
 
「客でもないのに相手をする義理はないわ。帰って下さらない」  
ピアノから離れ、カウンタの中に入ってボトルを空けながら告げた。食器棚の  
グラスはどれも曇りひとつなく、綺麗に磨かれている。その中からひとつを選び、  
カウンタに置いた。  
礼を失した態度に今更ながら気付いたのか、男は反駁もせず、かといって  
立ち去る様子も見せなかった。胸の前で腕を組み、眉間に皺を寄せて、こちらが  
口を開くのを待っている。スツールに腰掛け、酒を注いだグラスをひとつ、  
男に向かって差し出した。  
「質問に答えて欲しければ、お飲みなさい」  
男は胡散臭そうに眉間の皺を深め、それでもグラスを一気に呷った。  
「……飲んだぞ。質問に答えろ」  
「飲めば答えるなんて、誰か言ったかしら」  
「ッ、てめぇ」  
男は血相を変えた。なんて直情径行。これじゃあ、会話のし甲斐もない。  
「その子は鬼児を従えていた。鬼児に命じて人を襲わせたの――貴方のような  
鬼児狩りをね。命じる声が聞こえた訳じゃないけれど、私にはそう見えた。  
少なくとも、鬼児はその子を襲わなかったわ。これで答えになって?」  
呆気に取られたように男は頷いた。  
「ああ――酒の代金は」  
「お酒は奢りよ」  
男は眉をひそめた。警戒の色が浮かぶ――良い心掛けだ。  
 
「でも、大事な情報の代価が要るわ」  
 
組んでいた脚を解き、爪先を差し伸べる。足の甲に袴の裾が触れた。そろり、  
そろりと脚を上げてゆく。太腿を半ば覆っていたドレスの生地が滑り、ヒールを  
履いた片脚が剥き出しになった。男は獣の目でこちらを睨む。人気のない夜道で  
狩ってやりたい。その時を想像すると、堪らなく興奮する。  
「ねぇ……」  
辿り着いた其処を、爪先で緩く押し遣った。衣服の奥に感じる確かな肉の感触。  
爪先でまさぐりながら舌打ちが漏れる。靴を履いていなければ良かったのに。  
 
男が低く呻いた。  
「具合が良さそうね、鬼児狩りさん。お友達が見たら、何て言うかしら」  
ギリ、と奥歯を噛む音が心地よい。布越しに嬲り続ける間にそこは徐々に硬さを  
増し、やがてそっと爪先を退いた後にも、内部から袴の前を僅かに押し上げる  
膨らみが残った。  
 
――ああ、あの奥に夕陽と同じ赤い血潮が。  
 
椅子から降りて、男の首に腕を回す。唇を寄せると、男は顔を背けて拒んだ。  
興醒めな仕草が腹立たしく、耳の下に唇を押し当てて吸った。夕陽に劣らぬ紅の色に  
満足の溜息が零れた。  
「ッてめぇ、やめろ……!」  
「キスは嫌いだったかしら。それとも服に紅を付けて帰るのがお好み?」  
男は険しい表情を変えず、けれど内心たじろいだように見えた。  
押し付けた下腹に弾力のある肉が当たる。引き締まった体躯も好み。何より、  
この獰猛な獣の目が良い。騙されたとでも言いたげな赫怒の色。  
「貴方は欲しいと言って受け取ったの。次は私の番よ」  
「この、魔女が……」  
視界の端で握った拳が震えたかと思うと、手荒く抱き寄せられた。手が片脚を  
抱え、スリットから差し込まれた硬い掌が尻を掴む。皮膚を通して男の怒りが  
直に伝わってくる。それと同時に、誤魔化せない劣情の気配が。  
指の腹が下着の濡れた部分に当たるように腰をひねった。一度そこに触れた指は  
躊躇無く肌に張り付いた下着の溝を擦り立てた。性急な動きは、早く終われとでも  
思っているのか、お生憎様。男の指が前後するたびに水音が聴覚を犯し、  
内側で体液が糸を引き泡立つ様が容易に想像されて、脳がひどく興奮した。  
「でも、これでは全然足りないのよ……」  
呻くと同時に、指は布地を引き剥がし中へと滑り込み、潤んだ其処の入り口を  
確かめて一息に犯した。体液が溢れる。皮膚は硬い。骨が太くて節くれ立っている。  
鬼児狩りの剣を握るための指が愛液に塗れ、ぬめる女陰の中を追い立てるように蠢く。  
 
興奮と愉悦に、ひっきりなしに喘ぎ声が漏れる。けれどまだ、まだ足りない。  
袴を押し上げる昂りに体を擦り付ける。  
こんなになっている癖に、指で済ませるつもりじゃないでしょう。  
ゆっくりと焦らすように押し付けた腰を揺らす。苦しげに顔を顰めた男の額に  
うっすらと汗が滲んでいるのを見て、嗤いが零れそうになった。  
「女は初めて? それとも誰かに操立てでもしているの? あまり可愛い真似ばかり  
していると、うっかり羽織に紅が付いてしまうかもしれないわね……」  
口にした途端、噛みつくように唇を塞がれた。肉厚の舌が侵入し、絡みつく。  
息が吸い尽くされるよう。酸素の行き渡らない脳に快楽の電流が突き上げて、  
芯から溶けてしまう。  
これでいい、と思った途端に噛み合った口が離れ、抗う間もなく体の向きを  
返された。軽くバランスを崩し、カウンタに手を突く。後ろから無骨な手が  
ドレスの裾をたくし上げ、下着を乱暴に引きずり下ろした。  
軽く脚を開き、腰をくねらせて誘うように突き出す。息を吐く暇もなく、背後から  
熱い塊が肉襞を割り広げて押し入ってきた。  
「……ッァア、悦い……!」  
想像した以上の圧迫と貫かれる快楽に呻き声が迸る。カウンタに突き立てた爪が  
パシリと欠けた。いつしか突っ張った腕から力が抜け、カウンタに上半身を  
伏せる格好になっていた。  
滑らかな石の表面が吐息で曇る。映る影は滲み出る涙でぼやけ、容赦ない突き上げの  
衝撃に激しく揺れた。  
「其処よ、――ぁ、アァ、……ッ、いい、もっと……!」  
体と体がぶつかり合う。ドレスの前をはだけ、零れ出た乳房を掴んでこね回す。  
熱した肌に触れる石が冷たくて気持ちいい。後ろから手を伸ばして、こんな風に  
触って欲しいのに。  
男の荒い息を背中で聞く。女の腰を押さえ付けて、まるで獣だ。尻を突き出し  
嬌声をあげ、足りぬ刺激に自らを煽り続ける自分もまた、本能のままの獣。  
「…まだ駄目、もっと強くして、あぁ……、だめ、アァ、…ぁ、早く……!」  
銜え込んだ男が中で膨らみ、勢いよく爆ぜた。体の奥で温かい精液が迸る。  
同時に、固く閉じた瞼の裏で閃光が弾けた。男を銜えた其処は一滴も逃すまい  
というように、達したあともゆるゆると蠕動し続けた。  
 
 
「もう行ってしまうの……?」  
乱れた呼吸も整えられぬまま、気怠い上体を起こす。恨みがましく見詰めた先、  
男は衣服を整えながら、こちらを見向きもしなかった。  
「残念だわ。……こんなに楽しんだ癖に」  
スツールの端に腰掛け、片膝を折ってその奥を見せつける。つい先刻まで男に  
蹂躙されていた場所を指で押し広げると、白濁した体液がとろりと流れ出た。  
こんな刺激でさえ、すぐにでも次の熱に繋がるというのに。  
「ねぇ、次は夜に来て欲しいわ。お店が終わる頃に、もちろん一人で……」  
男の視線がちらりと指の蠢く先を彷徨い、逸れる。わざと気を引くように、  
指で濡れた音を立ててかき回し、大仰に喘いだ。男のこめかみがひくりと痙攣し、  
小さな歯軋りが漏れた。……あらあら。  
「二度と来ねぇ」  
その、あからさまな嫌悪の表情も悪くない。  
荷物を拾い上げ、扉を乱暴に蹴り付けるようにして男は出て行った。服に  
香水の香りが移っていなければ良いけれど。  
一瞬かいま見えた空の色は透き通る藍だ。じきに完全な夜が桜の都を覆う。  
爪と牙を持つ異形が腹を空かし、獲物を求めて跋扈する夜が。  
余韻を味わいつつ引き抜いた指先から、生温い水が糸を引いて滴った。  
 
「ねえ、夜道にはくれぐれも気を付けてね……」  
 
灯りひとつ点けない黄昏時の空虚なホール。濃度を増した物陰のそこかしこから、  
人ならぬものの気配が沸々と目を覚まし始めていた。  
<了>  
 

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