サクラちゃんの誕生日は、今日らしい。  
らしい、というのはこの国の暦を見て、小狼君がそう言ったからだ。  
「王が毎年、姫の好きな料理をたくさん作らせて、皆でお祝いを  
したんです」  
 
それから小狼君は、おれも小さい頃姫に誕生日を貰ったんです、と  
小さな声で呟き、姫は勿論覚えていないことですけど、と苦笑して  
付け足した。  
 
二人で一緒に歳月を重ねる約束をしたという。  
大事な鍵を握り締めている間に開けるべき扉が喪われてしまって、  
それが役目を果たす日は永遠に訪れない。  
 
昼食の席で、「今日は子供たちの誕生日だから、夕飯は腕によりを  
かけて作りまーす」と宣言した。  
自分の誕生日の記憶は戻っていたらしいサクラちゃんは、小狼君も  
一緒の誕生日なんだね、と嬉しそうに笑った。  
おめでとう小狼君、いえ姫の方こそ、と互いに耳を赤くする二人は  
まるで幼い恋人同士で、オレなんかからすれば少しむず痒いような、  
それでいてなにかひどく羨ましいようなワンシーンだった。  
モコナが「今夜はパーティなの!」と声をあげて飛び回る。  
少し呆れた顔でテーブルに頬杖を付く黒い人は、何が面白いんだと  
言いたげに顔を顰めた。  
「俺は甘いモンは要らねぇぞ」  
それだけが、『お父さん』の付けた注文だった。  
 
「ファイさん、小狼君に何かプレゼントしたいんですけど、なにか  
良いアイディアはありませんか?」  
 
サクラちゃんがこっそり耳打ちしたのは、夕飯の買い物のために  
外出し、雑踏の中を歩いているときだった。  
「お金が掛かるものじゃなくて、喜んで貰えそうなもの……」  
「サクラちゃんが小狼君を思ってすることなら、何でも喜んで  
くれそうだけどねぇ」  
そう返すと、サクラちゃんは少し困った顔をした。それはそうか。  
「じゃあ、デザートを一緒に作ってくれる?」  
「はい!」  
「あとはやっぱり、サクラちゃん自身――かな」  
 
路線バスがオレのセリフに重ねるように警笛を鳴らして通り過ぎた。  
振り返ったサクラちゃんは、ぽかんと口を開け、なんだか微妙な表情で  
オレを見詰めていた。  
「あ、よく聞こえなかったー? 言い直そうか?」  
「いえっ、結構です!」  
サクラちゃんはほっぺを真っ赤にして、勢いよく頭を振った。栗色の  
髪が空気を孕んで少しクシャクシャになった。  
なんだろう。サクラちゃん自身の笑顔、がそんなに赤くなること?  
 
「ファイさん、私……やっぱりちょっと不安です」  
蚊が鳴くような声で、俯いたサクラちゃんは呟いた。  
「そりゃ大丈夫だよー。心配しなくても相手があの小狼君だもの、  
サクラちゃんの気持ちはちゃんと解ってくれるよ」  
サクラちゃんは、またまた不可解な表情でオレを見た。  
「ファイさんって……やっぱり大人なんですね」  
「オレだってね、何もできない子供時代はあったんだよ」  
 
誕生日パーティ、と銘打った夕飯の席は、クラッカーを鳴らすでもなく  
大袈裟な贈り物の交換があるでもなく、しごく穏やかに、けれど朗らかな  
空気で始まった。  
色々な食材を使って作った料理の大皿は見る見るうちに空になり、  
誰かが話すたびに明るい笑い声が弾けた。  
「おい、ガキどもの飲み物に酒は入れてねぇだろうな」  
「心配しなくても、そんなことしないよー。モコナにもちゃんと、  
釘刺しておいたし」  
 
そうは言いながら、サクラちゃんの様子だけが、オレは少し  
気掛かりだった。  
小狼君と目が合えば、頬を染めて黙り込む。心ここに在らずの風情で  
グラスを持つ手をとめ、思い付いたように話し出す。  
「おまえ……姫に何か吹き込んだんじゃねぇのか」  
「……心当たりはないんだけどねぇ……」  
 
その後、ケーキを切り分ける段になって「俺は食わねぇ」とそっぽを  
向く人が一人いたのだけれど、可愛い娘が苦労して切り分けた小さな  
一切れはどうしても無視できなかったらしく、少し崩れたラム酒  
たっぷりのケーキも全員で綺麗に片付けて、パーティは終わった。  
心配も杞憂だったかと胸を撫で下ろし、片付けも終えて、子供達は  
寝室に引き取りソファーでモコナも眠ってしまった頃、カタリと  
階上で何かが鳴った。  
 
続いて、言い争うような、押し殺した声。  
――喧嘩? 小狼君とサクラちゃんが、まさか。  
 
先を争うように階段を駆け上がり、声の漏れる部屋のドアを開いた  
途端、オレたちはそろって硬直した。  
灯りを落とした部屋のベッド、その足下には小狼君がこちらに背を  
向け、尻餅を付いたとしか表現しようのない格好で座り込んでいた。  
 
ベッドの上には、一糸纏わぬ姿でぺたりと座り込むサクラちゃんが。  
露わになった未発達の膨らみの頂には小さな乳首が影を落とし、細い  
腰のラインは幼いなりに、なかなか艶めかしくはあった。  
 
「小僧!」  
『お父さん』の大喝に、サクラちゃんは首を傾げ、「にゃあ?」と  
それはそれは愛らしく鳴いた。  
――酔っ払ってる。何故だか知らないけど。知りたくも、ないけど。  
「ち、違いますおれ、何もしてません……!」  
後退る小狼君に向かい、サクラちゃんが猫科の身軽さで飛びついた。  
「小狼君、逃げちゃイヤにゃん! サクラのプレゼントは、サクラにゃん!」  
 
――ああ。くらりと眩暈がした。何となく、全容が掴めた気がした。  
思わず戸口に寄りかかったオレを、鬼のような形相が振り返った。  
「おい……」  
「あー、そんなつもりはなかったんだけど、発言が誤解を招くような  
状況はあったかも……ね?」  
漆黒の大魔神はオレの目をじっと見て、静かな静かな口調で言った。  
 
「いいな、てめぇが自分で始末つけろ」  
 
「はーい……」  
『お父さん』が荒い音を立てて閉めていったドアを振り返り、オレは  
二人と同じように床に座り込んで溜息を吐いた。  
このままサクラちゃんの願いを叶えてやれ――って、そういう意味  
じゃないよね? やっぱり。  
小狼君がすがるような目でこちらを見ている。  
 
ベッドサイドには、小さなラム酒の瓶。  
とんでもない勘違いの結果必死に悩んで、酒精の力を借りなければと  
思い詰めただろうその過程がなんだか馬鹿馬鹿しくも愛おしく、もう  
腹の底からの笑いしか出てこなかった。  
 
「ファイさん……」  
「おでこにチュー。それだけ許しまーす」  
 
小狼君の服にしがみついたまま、うとうとと舟を漕ぎ始めた少女を  
見遣ってオレは投げ遣りに手を振った。  
「でも……」  
「サクラちゃんはね、自分にしかあげられない特別なものを  
あげたかったんじゃないかな、多分ね」  
小狼君は何とも言えない顔になって、腕の中のサクラちゃんを  
見下ろした。ひそりと呟く声が耳に届いた。  
 
「――おれは、気遣ってくれる姫の気持ちだけで十分なのに」  
 
「終わったら声をかけてね。服着せて、寝かさなきゃ」  
それだけ言い置いて、部屋を出た。  
廊下で膝を抱えて漆黒の闇に目を閉じ、扉が再び開く時を待った。  
(End)  
 

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