新しい世界、マラスの発見が報じられて数ヶ月。
ブリタニアでは太古に禁忌とされた技術、ネクロマンシーを学ぶことに成功したあたしは、実地での訓練を兼ねてデスパイスに赴くことにした。
まだ剣術のスキルもそう高いわけではないし、しばらくは机に向かっての資料漁りだったから盾を扱う腕もなまっている。
リザードマンあたりを相手にして、「魔人化」の呪文の使い勝手を試してみようと思ったのだ。
武具の準備もそこそこに愛馬を厩舎に預け、デスパイス入り口行きへの詠唱を唱える…成功。
ネクロマンシーを学ぶために魔法の技術を少し落としたので心配だったが、何とかリコールは成功。
同じように魔法抵抗も下げてしまっているが、デスパイスの浅い階層には魔法を使う厄介なモンスターなど生息しないので問題ないだろう。
周囲の景色が一瞬ぐにゃりと歪み、次の瞬間あたしは地下へと続く大きな穴蔵の入り口にいた。
ここから少し下るとちょっとしたスペースになっていて、上と下に向かう階段がある。
下は狂った土の精霊や双頭の巨人がうろついていて今のあたしにはちょっと荷が重い。
お目当ては、上。適度な弱さのリザードマンだ。
…しかし。
デスパイスの入り口から辺りを見回す。
「ここって、こんな殺風景な場所だったっけ?」
と独りごつ。
普段は洞窟前で話し込んでいる初心者や、戦利品を山分けしているパーティが話し込んでいるのを見かけるのだが、その姿もない。
まさか、と思いルーンブックからファセット確認をするが、あたしが詠唱指定したのはトランメルのデスパイス前に間違いない。
わずかな不安を胸に感じつつも、あたしは眼前の暗闇へと飲み込まれていった。
「In Lor」
力の言葉を唱えると、少し周囲が明るくなった。
バックパックからネクロマンシーに必要な秘薬を取り出すと、今度は「魔人化」の詠唱を開始。
「Res Xen」
前半の二小節で早くも肉体が薄い闇のヴェールに覆われ、変化を始める。
「Vas Bal」
後半の二小節、自分がなろうとする「魔人」をイメージ。
強壮なる肉体を持つ、荒ぶる魔人となりつつも自分を失わないために意識を集中する。
ボッ、と闇のヴェールが晴れると、あたしの姿は人ではないモノに変じていた。
しかし、全身を見回したあたしは一瞬で赤面した。
「な!?」
全体にやや筋肉質となり、腕は4本に。
側頭部からは雄羊かブルを思わせる角が生え、異界の意匠をあしらった首輪と腕輪、そしてイレズミの走った青みがかった肌。
確かに人間離れした、というか比較的人間に近いモンスターと言って通りそうな外見にはなっている。
ただ、その………まともな、服を身に着けていないのだ。
胸はやたらと、乳の張った牛のように大きくなってやや垂れ下がりつつも、乳首はつんを上を向いている。
普段のあたしとは比べものにならない…変身によるものというのが妙に癪なぐらいの見事な乳房。
扇情的な拘束具を思わせるベルトは体を隠す役目など持っていないに違いない。
あげく、前垂れは本当に垂れているだけだ。
お尻も、…そ、その、大切なところも外気に晒されてすーすーしている。
前と後ろから手で隠してしまうと、これじゃあせっかく増えた腕も意味がない。
……鎧や下着は何処に行ったんだろう。
案外、このことがネクロマンシーをブリタニアにおいて禁忌指定させた事柄なんじゃ?と妙なことでいぶかしんでしまう。
そうして、しばらく悩んでもじもじしていたが、折角の変身。
知り合いに会ってもあたしだとばれるわけがないと思い立った以上、気を取り直してリザードマンを相手にしに行くことにした。
「せいっ!」
ウロコもものともせず、あたしはカトラスを振り抜き、リザードマンを肩口から一刀のもとに屠る。
横合いから別の個体が踏み込んでくるが、あたしも左手には盾を構えている。一本増えた余分な腕を補助として斬撃を軽くいなす。
この「魔人化」とやらはやはり近接戦闘においてかなり使える呪文らしい。
頭の中で魔術式を組み立てようとしても上手くいかないのはどうも副作用らしいが、この程度のリザードマン相手なら魔法など必要ない。
調子に乗ったあたしは、一度に3匹も、4匹も相手にして次々斬り伏せつつ深部へと向かう。
すると、小さな池のある場所に出た。周囲のリザードマンはほぼ全滅させたようで、その影は見えない。あたしはちょっと休むことにした。
「ふぅ…んぐ、ごく、ごく」
池の水は澄んでいて、岸からちょっと離れたところでは水が湧いているらしい。
「でも、おかしいな?」
そう、おかしい。全く人の姿を見ないのである。
マラスが発見されて以来、いやそれ以前からここデスパイス、リザードマンの巣は、駆け出し戦士達にとって御用達の場だったはずである。
最近はリザードマンの皮も高く売れるらしく、脱初心者の戦士達も小遣い稼ぎに出向いてきているぐらいで、ここまで人に会わないのははっきり言って不自然である。
「まぁ、ライバルがいないってことは訓練しやすいってことなんだけどね」
そう、人がいないのならこんな事もできる。
ただでさえ裸同然なのもあったし、リザードマンの返り血もいい加減に気になる。あたしは、ちょっと水浴びをすることにした。
荷物は岩陰に隠し、武器と盾は水辺に。あまり岸から離れないようにして池に身を浸す。
鉄というよりは銅臭いリザードマンの血を洗い流すと、かなりすっきりとした気分になれた。
しばらく水浴びを満喫していたあたしの耳は「がさっ」という枯れ草を踏むような音を水音から拾い上げ、岸を振り向かせた。
見ると、そこらの岩陰にリザードマンの目が爛々と輝いていて、何やら好色そうな目でこちらを見ているのもいる…あたしが、モンスター同然の姿だからだろうか?
その数は10匹以上。どうも見回りの集団に見つかったらしいが、こちらが気付いたとは向こうもまだ思っていないようである。
そこで、こちらもまだ気付かないふりをして、自然な仕草で岸へ。素っ裸で戦うことになりそうだが、やむを得ないだろう。
それを見たリザードマンたちが岩陰から躍り出るが、遅い。あたしはすでにカトラスとシールドに手を伸ばしている。
咄嗟に水を跳ね上げて目眩ましにすると、一匹の口腔にカトラスを叩き込んだ。そいつは絶叫を上げ果てる。まずは一匹。
死体が後ろに倒れ込むのをひっ掴み、左手側から襲ってくる二匹に叩き付けて制止する。「魔人化」の面目躍如、筋力強化のたまものだ。
だが、さすがにこの数相手では限界があった。死体を投げつけた隙をみて叩き付けられたメイスを回避できず、咄嗟に頭を庇って腕で受けてしまったのだ。
ごきん、と嫌な音がした腕の感覚が無くなる。どう考えても、これは折れただろう。
腕を庇うあたしを見たリザードマンたちは逆に攻勢を緩め、こちらを囲むような体勢を取り始めた。確かに、壁際に追いやられるほど回避は困難となる。
だが、あたしには策があった。わざとよろけてカトラスを取り落とし、座り込んで苦痛の声を上げるとリザードマンの一匹があっさり油断して近づいてくる。
そこでその間抜け面に一閃。隠し持っていたナイフを折れていたはずの腕で持ち、地面に落としていたカトラスの刃先を踏んで宙に舞わせるとそれに持ち替える。
そう、「魔人化」最大のメリットはこの異常なまでの回復力。これがある限りにおいて、リザードマン相手に遅れを取ることなど、無い。
「はぁっ!」
裂帛の気合いと共にまた一匹、さらに一匹とリザードマンは死体に転じていく。と、暗闇にいくつか松明の明かりが見えた。
「うっ、新手?!」
いくら何でもこれ以上増えられたら相手にするのは面倒すぎる。さっさと荷物を回収して今日は切り上げよう、と思ったときだった。
「Corp Por」
「Por Corp Wis」
「Vas Ort Flam」
「えっ?!」
聞こえてきたのは男達の詠唱。あたしを囲んでいたリザードマン達は次々に焼かれ、凍らされ、地に伏せていく。
松明の主は、3人の冒険者だった。いずれも身軽そうな皮鎧━━だが、随所にルーンが彫り込んでありかなりのマジック効果が予想される━━を着込んでいる。
全員が全員、かなりの腕を持ったメイジなのだろう。
「あ、ありがと……きゃぁぁああぁ!!」
あたしは、自分が完全に素っ裸だったことを思い出してあわてて屈み込んだ。
いくら変身していても、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。
岩陰に飛び込んでから、改めて礼を言った。
「ああああ、ありがとう!敵の数が多くって…助かったよ!」
やや引きつった笑みだったかも知れないが、今現在明かりは男達が持っている松明だけだ。あまり良く見えなかったに違いない。
……だが、こちらからも相手の表情を伺えないことにはたと気付き、身を固くする。
いや、まさか、ここはトランメルだ。悪徳の支配するフェルッカとは違う。
ロード・ブリティッシュの加護により人間同士が争い、傷つけあうことは不可能なはず!
勝手に悩み、勝手に安心したあたしをよそに、男の一人が口を開いた。楽しげな声で告げたのは、
「An Ex Por」
「………え?」