あの時、ぼくが風呂で寝ていなかったらどうなっていただろう。  
今でも時々考える。  
 
 ぼくと里伽子が東京で再会したのは、あの日吉祥寺でとなりのホームに立つ里伽子を  
見た時からしばらく経ってからのことだった。  
「あれぇ、杜崎くんじゃない」  
 先に声をかけてきたのは里伽子の方だった。「ああー、武藤かぁ、久っさしぶりやなぁ」  
ぼくは手に取っていたCDを陳列棚に戻し、里伽子と向かい合った。  
 里伽子はまたさらに大人びた印象で、化粧や髪型も手伝ってか、どう見てもぼくより  
3つか4つ年上に見えた。  
「ね、時間あるならどっか入らない?」という里伽子の一言で、ぼくたちは  
喫茶店に入って話をすることになった。里伽子の友達が吉祥寺に住んでいるので、  
それでよく来るのだと里伽子は言った。  
「へえ、杜崎くんって阿佐ヶ谷に住んでるんだ」  
まるで近況報告会のようだったけど、ぼくは高知にいた頃から、里伽子とこういう  
どうでもいい話をたくさんしたかったのだ。  
「ねえ、阿佐ヶ谷って今度お祭りあるよね?」  
「ああ、七夕祭り?駅前の商店街でやるよ。どこの店も書入れ時だから必死」  
「行こうよ、一緒にお祭り」  
「ええ?」  
「東京の友達みんな家が遠くて、それにやっぱり地元の人に案内してもらうのが一番じゃない」  
ぼくは里伽子の予想だにしない発言に「案内するのは別に構わないけど・・・」しどろもどろ答えた。  
ぼくの戸惑いを知ってか知らずか、里伽子の顔がとたんにぱっと輝いた。  
「じゃ、決まり!来週の土曜日の1時に駅前ね!」  
あっという間に決まってしまった。  
これだから里伽子は、気が強いなんて言われるんだ。ぼくは高知にいたころの里伽子を思い出していた。  
 
 
 七夕祭りの日が来て、ぼくはきっかり1時に、駅に里伽子を迎えにいった。  
里伽子はなかなか来なかった。ぼくは駅の時計と、時刻表をちらちら見比べていた。  
「何やってんだ・・・」やっぱり里伽子は自分勝手な女だ。次、来なかったら帰ろうと  
人の波が下車するたびに思い続けて待つこと1時間、里伽子はようやく姿を見せた。  
里伽子は涼しげな浴衣姿で、長い髪をアップにしてまとめていた。  
「さ、行こう」  
謝りもせずに先を歩く里伽子の白いうなじに、否応なしにぼくの視線は止まった。  
自分の遅れたのは棚に上げ、里伽子はぼくのTシャツにジーンズといういでたちを  
言い始めた。「何よ、その格好。お祭りなんだからもっとお祭りらしいもの着ればいいのに」  
「余計なお世話だよ」  
「あれ、訛り、直したの?」今気付いたように、里伽子が言う。  
「東京にいる間はね。怒ったりしたときは、バリバリの高知弁になっちゃうけど」  
それを聞いて、里伽子は大声を上げて笑った。  
「やっぱりそうなんだぁ。パパの恋人もね、北海道の人なんだけど、あたしが  
怒らせるといっつも北海道弁になっちゃうの。相手は怒ってるのに、それがもうおっかしくって」  
里伽子は楽しそうに笑ってるけど、「地方出身者」のぼくにとってそれはむっとくる言葉に他ならなかった。  
 
 でも、ここで言い返したら高知弁が出て、里伽子にさらに笑われるだけだと思い、  
こらえた。  
「お父さんとは最近どう?」ぼくは話題を変えようとした。  
「うん、パパはまだ恋人と付き合ってるけど・・、もう吹っ切れちゃった。だって、  
あたしが何やってもどうなるわけでもないじゃない」  
里伽子の横顔が揺れた。あの東京の夜から何年も経って、ぼくと里伽子を取り巻く環境は変わっていたのか。  
「金魚すくいやりたい」  
里伽子がぱたぱたと屋台に小走りで入っていった。さっそく器と和紙を張った輪っかを  
受け取り、里伽子はたらいの中で裸電球に照らされた赤い金魚をじっと見つめた。  
「杜崎くん、お金払って」たらいから目を離さず言った。  
「おれが?何でだよ」  
「あたしカードしか持ってないの」  
混んだ屋台でそれ以上の言い合いはできず、ぼくはしぶしぶ支払った。  
里伽子は真剣に金魚を追いかける。その横顔を見つめる。電気に照らされて  
きらきら光る金魚より、ぼくの目には里伽子がきらきら光っていた。  
やっぱり好きなんだ。里伽子に気付かれまいと、視線をたらいに移した。  
「あっ!」小さな金魚が紙の上で跳ね、紙を破いてたらいへ落ちていった。  
「なーんだ。一匹も取れないじゃない」里伽子はつまらなそうに立ち上がったが、  
「おまけ」の一匹を受け取らずに店から出た。  
「金魚なんていらない。あたし、金魚すくいたくないの」  
何言ってるんだと思って横から顔を見ると、里伽子は続けて言った。「おとなしく  
つかまる金魚見てると、悲しくなるの。生きるのを諦めちゃったみたいじゃない。  
小さいのに、尾ひればたつかせて、何とかして逃げようとする金魚見てるのが好き」  
「武藤は変わってるなぁ」ぼくは一度もそんな風に考えたことはない。  
 
「杜崎くーん」里伽子が笑顔で走ってくる。その手には大きなスーパーの袋。  
「得しちゃった。商店のおじさんが、かわいい娘にはサービスだって、2本も  
おまけしてくれちゃった」袋の中身は、缶ビールだった。  
「おれはもう腹減ったよ」ぼくは疲れ気味に里伽子に言った。  
「じゃ、どっか入ろうか。さっきイタリア料理があったよ」  
里伽子がきびすを返してすたすた歩いていく。  
「カード使えるところにしてくれよ・・・」ぼくはつぶやいて、小銭だらけのさいふを  
開いた。なぜ、里伽子に頼まれると聞いてしまうのか、ぼくは・・・。  
残りの少ない小銭を目で数えていると、どよめきが起こった。顔を上げると、人だかりが  
できている。「倒れたよ」「大丈夫か」人の声が飛び交う。  
ぼくはさいふをジーンズのポケットに突っ込み、人だかりへ走った。  
「誰か付き添いはいないのかー」  
「救急車呼んだ方がいいんじゃない?」  
ざわつく人だかりをかき分けると、そこに倒れて商店の人に寝かされていたのは里伽子だった。  
「武藤!どうしたんだ」ぼくは里伽子の傍に駆け寄った。  
「にいちゃんこの子の連れかい」  
「はい」  
「貧血だ貧血。ちょっとここで仰いでいてやれ」  
「はい」ぼくは言われるままに、店先で手渡されたうちわで里伽子を仰いだ。  
「ちゃんと寝かせたほうがいいな。うちの奥でよければ、休ませてあげるよ」  
だんだん人だかりは解けていった。ぼくは少し考えたが、店のおじさんに答えた。  
「大丈夫です。家、すぐそこですから」  
 
ぐったりとした里伽子を背中にしょって、ぼくはとぼとぼ家へ歩いた。  
缶ビール入りのスーパーの袋は重く、ぎりぎりと指に食い込んだ。  
 
 里伽子の息を感じた。体重をぼくに預け、何もわからず眠る姿は幼い子どものようだ。  
背中に感じる里伽子の胸のふくらみの奥で、とっく、とっくと里伽子の心臓が脈を打つ。  
そしてこの同じ胸に、里伽子は何度悲しみを刻んできたのだろう。  
ふわりと風が流れ、里伽子の髪が香った。その体温と、脈打つ身体。  
会わなかったこの数年間も、里伽子は泣いたり、笑ったり、ぼくの知らない人生を生きていたのだ。  
そしてその、ぼくの知らない里伽子を知っている男が、たぶんいる。  
 シギシギと蝉が鳴き、日はオレンジ色にあたりを照らした。ぼくと里伽子の長く伸びた影が  
細い路地に映し出される。ぼくと言えば、暑さと里伽子の体温で、体中汗だくになっていた。  
 一旦止まって、里伽子をしょい直す。体を揺すって背負い上げると、里伽子が  
一瞬頭を持ち上げた。  
「・・武藤」肩越しに振り返ったが、里伽子はぼくの呼びかけに答えずに、再び背中に伏した。  
「・・・パパ・・」やっと聞き取れるくらいのか細い声でつぶやく。  
「なんだ、吹っ切れてないじゃないか・・」ぼくも、心の中でつぶやき返す。  
 
ぼくはアパートに着くと、ベッドに里伽子を降ろした。石神井から引っ越して半年、  
家賃6万のアパートは以前よりもさらに古く、里伽子に見られるのが恥ずかしいほどだった。  
ぼくは腰に両手を当てて大きく伸びをし、傍らの里伽子に目をやった。  
 浴衣はよれて色白の脚があらわになり、あきれるほど無防備に、里伽子は目を閉じていた。  
(これがあの里伽子と同じ人とはわからんな)  
ふと枕もとの棚を見ると、高校時代の里伽子の水着写真が飾ってある。ぼくはあわててそれを伏せた。  
(汗だくになっちゅうがや)ぼくはもう一度、里伽子が眠っているのを確認して、  
さっとTシャツを脱いだ。そのTしゃつで脇と首をぬぐい、顔をぬぐって顔を上げ、ぎょっとした。  
 里伽子はとっくに目を覚まし、じっとぼくを見ていた。  
「なんだよ、起きてたならそう言えよ」ぼくは動揺を隠せず言った。  
「うん・・」里伽子はまだはっきりしない様子で、のっそり起き上がった。  
「おれ、シャワー浴びてくるき。鍵、開けたらいけんぞ」  
やっぱり、動揺すると土佐弁になる。里伽子はまるで子どものように、こっくりうなずいた。  
 
(おれ また風呂で寝るんかなあ)シャワーを浴びながら考えた。あの夜、なぜぼくは  
里伽子を誘わなかったのか。他に誰もいなかったのだし、誘おうと思えば誘えた。  
なにせ里伽子のあの状態じゃ、そういうムードじゃないなと思ったのか。  
それとも、高知の友達に知れるのが恐ろしかったのか・・・。  
 それではなぜ、里伽子は自ら、松野にぼくたちが同じホテルに泊まったことなど  
わざわざしゃべったのだろうか。わざとぼくたちの間に何かあったような物言いをしたせいで、  
松野とぼくの仲が険悪になったというのに。  
 
 里伽子も、それを望んでいた・・?互いに想っていたのに、すれ違っていたのか――  
 
 ふいに切なくなって、シャワーの湯を切った。目の間に垂れた前髪の先から、水が次々滴り落ちる。  
服を着て部屋に戻ると、里伽子は消えていた。スーパーの袋が、メモを踏んでいた。  
 
 帰ります ビールはあげる リカコ  P.S この変態!  
 
あわてて枕もとの棚を見た。ぼくが伏せた写真は、元通りに立てられていた。   
 
 ぼくはビールを一本抜き、ベッドに腰かけて一気に飲んだ。  
なんとなく落胆していた。今日ここで決めようと決心していたわけじゃないが、  
二人きりだったのだから意識はしていた。ずっと否定しようとしていたが、  
やっぱりぼくは、里伽子を抱きたかったのだ。  
 こんな写真を見られたのでは、戻ってくるはずもない。連絡先は知っているが、  
電話をする用事もないからこれきりだろう。  
 会えないことがこれほどまでに苦しいとは。ぼくはそれを振り落とすように、  
タオルで頭をがしがしこすった。  
 きっと里伽子にだって、彼氏がいるに違いない。あの顔立ちだから、想っている  
男は他にもいるだろう。ぼくが里伽子をものにできるわけないじゃないか。  
 倒れこむようにベッドに寝転び、空の缶を頭の上に置いた。がたっと音がして、  
何かが落ちた。里伽子の写真だ。拾い上げて、にらむように写真の中の里伽子を見る。  
 反らそうとするのに、視線がどうしても、胸と脚にいってしまう。あの脚にさわりたい、、そして。  
息があがってしまう。酒のせいだろうか。鼓動が早まるのがわかる。引き出しに写真をしまった。  
 誰かがドアをノックしている。(助かった)「はーい」玄関に素足を片方出して、  
「どちらさんですか」  
「開けてくれる?・・あたしよ」  
その声は、他でもない里伽子の声だった。  
 
 ぼくは言われるままにドアを開け、  
「どうかしたんか?」里伽子の顔をのぞき込んだが、なんのことはなかった。  
里伽子は何も言わずに入ってきて、「ちょっとシャワー貸してくれない?変な汗かいちゃった」息をついた。  
「・・おお、使ったらえい」ぼくは大人しく道をゆずった。すたすたぼくの脇をすり抜ける里伽子の背中に  
「大丈夫か?風呂で倒れられても知らんぞ」  
「・・大丈夫よ」間髪入れずに答えるも、まだ里伽子は全快というわけでもなさそうだった。  
 里伽子が風呂場に入り、ぼくはシャワー音を聞きながら高校時代の東京の夜を考えていた。  
あの頃思っていたほど、あの旅行は最低だっただろうか。少なくとも、里伽子とあれほど一緒にいて、  
寂しさまでも垣間見た時間は、ほかにはなかった。里伽子に振り回された感はあるとはいえ、  
あの時ぼくと里伽子との距離は確実に近かった。  
 なんともいえず切なくなって、ぼくは思わず脱衣所との間のカーテンを開けた。  
ぐっとシャワー音が近くなった。さらに、ぼくの足は勝手に、しかし音を立てないように、  
脱衣所に踏み入っていた。くもりガラスの向こうに、人肌色の影が見える。  
 ぼくはかがんで、換気穴に目を近づけた。俗に言う、「覗き」ってやつだ。  
――始めて見る、里伽子の裸だ。湯気でよく見えないけれど、浮かび上がる輪郭は  
明らかに女性のそれだ。ぼくは頭が上気する気配を覚えた。  
 里伽子はぼくに見られていることなど知らずにシャワーを浴びている。横を向いた里伽子の  
乳房が、腕を動かす度にかすかに揺れる。ぼくは矢も盾もたまらず上着を脱ぎ捨て、  
続けてジーンズも下ろして下着をも脱いで、ついに浴室の扉を引いた。  
 
「ちょっ・・なに・・」里伽子はあからさまに不審な顔を向け、とっさに背中を向けて  
体を隠そうとした。かまわずぼくが浴室に入って扉を閉めると、今度はシャワーを向けて  
抵抗をはじめたが、一応ぼくは男だし、あいにく里伽子より力もあった。  
 ぼくは里伽子の手から湯を出し続けているシャワーを奪い取って壁にかけ、そのまま  
両腕をつかんでバンザイの体勢を取らせた。里伽子はなおもぼくの足を蹴ってきたが、ここまできて  
ぼくも食い下がるわけにもいかない。なにしろ、すでにぼくのあれは反り返って硬直して  
いるのだから、ここでやめたらこいつがかわいそう過ぎる。  
「好きなんだ」ぼくは半ば強引に体を寄せた。ぼくの胸板で、里伽子のやわらかい乳房がつぶれていく。  
その奥で、里伽子の心臓も激しく鼓動を打っている。ぼくは息の荒くなるのを押さえられず、  
そのふっくらした唇に自分のそれを押し付けた。里伽子の吐息とぼくの呼吸が溶け合った。  
「おねがい、やめて・・」ぼくの唇に、里伽子の抵抗がかすかに伝わる。  
「・・やめないよ」ぼくは唇を少し離して答えた。そして、バンザイしていた左手を  
ゆっくりほどいて里伽子の身体をなぞった。  
 里伽子はもう抵抗しなかった。目を閉じて解放された右手をぼくの肩に置き、むしろ  
なぞるぼくの手に身体を押し付けてきているように感じる。そして乳房も。  
ぼくの左手は、濡れた体の上をぎこちなく降下し続けた。背中、胸の脇、そこから一気に腰へ滑り降り、  
確かに女性の輪郭をしたくびれから腰下へ、やわらかい体温を刻み付けるようにゆっくり滑らせた。  
 耳元で、里伽子が吐息をふるわせた。ぼくは残った右手も離して、里伽子の左の乳房をつかんだ。  
乳首が硬くなっていた。頭がじんじんと熱くなっていく。里伽子は左手でぼくの腰を自分の腰に引き寄せた。  
ぼくのあれが、直に里伽子の身体に押し付けられ、ぼくは激しく高ぶった。  
「っはあっ・・!」たまらず声をあげ、腰を引こうとしたが里伽子は離さなかった。  
シャワーで濡れた里伽子の顔が、すぐそばにある。里伽子は、ぼくの首に両腕をかけ、もの凄く艶めかしくつぶやいた。  
「私の・・・あそこに触って・・・・」  
 

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