「宮守の指って細くて綺麗だよねー」
昼休みの昼食時、屋上で共に昼食を摂っていた鈴木が唐突に夏音の手を見ながら呟いた。
「え、なに急に」
夏音もやや面食らったような様子で繭を顰め
目を丸くしながら何か面白いようなモノを見るような目で自分の指を見つめてくる友人に問い返す。
しかし鈴木はその質問に対して答えを返すことはなく、さらにじっくりと、嘗め回すように夏音の指を様々な角度から検証するように見る。
流石に夏音も妙なくすぐったさを背中に感じ、急いで手に持っていた箸ごと右手を背中に引っ込めた。
「あ」
「いや、あ。じゃなくて、なんなのよ鈴木ってば」
「えへへ、ごめんごめん、思ったことそのまま口と行動に出ちゃってたみたい?」
「みたい、って」
夏音はこういう鈴木の臆面もなく自分の気持ちを素直に(平たく言えば恥ずかしげもなく)表現できるところが羨ましいと思う。
しかしその反面、そういった事があまり得意でない自分にとって、その接し方はやや対応に困るところもあり
好ましい、嬉しいと感じながらも、同時に以前から苦手とするものでもあった。
それはあの事件以降の、多少人とも素直に接することのできるようになった今の夏音にとっても同様で
そんな事を言われたりした時には決まって夏音は頬を朱に染めて顔を反らすしかない。
鈴木はそんな夏音の表情を見ると、満足げにえへへといたずらっぽい笑みを浮かべる。なんか癪だ、と少し夏音は思う。
「いやね、実は結構前から思ってたんだよ ホラ、宮前が占いやってる時とかさ
水晶をこう……撫でるみたいな動作するじゃん? あの時の宮守の指がさ、すっごい綺麗だな〜って」
「……占いの途中でなに変なとこ注目してるのよ」
「いやいや本当なんだってば、どうせなら宮守に占ってもらいに行く人はそこをこそ見て欲しいって私は広めたいね」
「ちょっとやめてよ? そんな妙なこと考えてるお客を正面に占いなんかしたくないし」
「なるほど、これは私だけの特権だと」
「そうじゃなくて!」
「ね、隠さないでちゃんと見せてよ! ね、ね」
「ちょっ、鈴木」
夏音が鈴木にこのような積極的なからかわれ方をするのは、実は最近になってからのことである。
彼女らは幼稚園からの旧知の仲で、いわゆる幼馴染というものと言っても間違いではないぐらいなのだが
このようにどこからどう見ても仲の良い友達、と言えるような関係になれてからの期間はそれに比べるべくもない。
というのは、夏音がこれまで、そのように気兼ねなくできる友達づきあいの可能性をその前に経ってきたからであり
その原因であるところの人を寄せ付けない邪悪オーラがなくなった時期からが、今のこの二人の光景が定着し始めた頃になるだろう。
すると鈴木は長い間何かを溜め込んでいた反動が来たのだろうか、これまで以上に夏音を気にかけ、構うようになってきてしまった。
夏音としては最初から鈴木に対して悪い感情などほぼなく、彼女と本当の意味での友達付き合いを始められた事は素直に喜ばしい事だったのだが
今まで体験したことがなかった鈴木の強すぎる押しには、度々たじろいでしまうのだった。
「何? アンタら付き合ってんの? じゃあ私が小島くんもらってもいい?」
そんな二人の、ともすればやや入りがたい雰囲気にそれでも躊躇いなく切り込んでくる人物がいた。
「大島、購買どうだった?」
「あんまり良いの残ってなかった。やっぱり行くのちょっと遅かったみたいね。っていうかあたしの台詞は無視なの」
と、鈴木の問いに対して両手にタマゴサンドとイチゴ牛乳を抱えながら答えた大島は
遠慮なしにのしっと夏音の隣に座り込むと、慣れた手つきでイチゴ牛乳のストローを剥がして差し込む。
「あんたら、周りから見ると結構異様だよ」
「え?」
「女子二人が超密着して指が綺麗だの見せてだの私だけの特権だの」
「あっはは、耳年増だぁ、大島」
「年増言うな! ……鈴木、あんたホント最近いい性格なったよね、一度はっきりさせよーか?」
「何が? アンタが小島くんに脈ナシってことを?」
「ちげーっつの! ていうか、このタイミングで今更さっきの話持ってくんな!」
ああ、鈴木のスキンシップ同様、大島と鈴木のこんなやり取りももう何度めかなぁ
そう思いながら、夏音は果てしなく青い空を見上げならが、どこか遠くの海にいる友人のことを……
「なに一人だけ現実逃避して話に入らないようにしてんの、宮守」
どうやら逃げられないようだ。
最近ではすっかり慣れたもので、この三人で昼食を摂る時はこんな光景がもはやお馴染みになっている。
故に本気で逃げ切れるとも思ってはいなかったが、流石にこう毎度同じ展開もな、と天を仰いでみたがやはり無駄だったらしい。
仕方ない、観念するかと息をついて大島に向きな直ろうとしたその時だった
「ひゃっ」
突然、背中に回していた自分の手を何かが掴んだかと思うと、結構な力で体の正面に引きずりだされる。
言うまでもないが掴んできたのは鈴木の手だ。
大島に気を取られて作ってしまった隙を彼女は見逃さず、その無駄に力強い両手で夏音の手をしっかと握っていた。
「ちょ、ちょっと鈴木!?」
「ほぅほぅ、やっぱり私の目に狂いはなかったね、細くてすべすべで白くて」
「へ、変な触り方しなっ……ひぅ」
補足説明しておくと、夏音が鈴木の攻勢から脱する事ができていないのは、夏音が片手であるのに大して鈴木が両手である他にも
夏音は右手に箸、左手に弁当箱を持っているため(鈴木はというといつの間にか上手い具合に脇に置いていた)
うまく手を動かして振りほどけないという理由がある。
そんなさながら特殊な条件付けで拘束されているかのような状況を利用し、鈴木がその手をさらに動かす
指の間、それぞれの間接、果ては手のひらの何本ものラインをなぞるようにして撫でられ、得も言えぬ妙な感覚に襲われる夏音。
「ここか? ここがええのんか?」
「す、すず……へぅ、ひ……」
「……なに? そんな大したもんなの」
「あ、大島も触る?」
この場にいたのが鈴木の暴走を止めに入ってくれるような人物であったなら、それは夏音にとってまさに救いの手だったのであろうが
鈴木の他に自分の傍にいた人間が大島ではそんなものは期待するべくもない。
内心、実は触りたかったのであろうか、大島が鈴木の言葉を受けると、鈴木のそれと同じようにして夏音の手を掴もうとする。
しかし、流石にこれ以上は色々とまずいことを夏音は感じていた。
「スッ……トップってば!」
大島の指が夏音の手に触れるか触れまいかというその瞬間、ようやくのことで夏音が右手を鈴木の指から引き抜く。
鈴木、大島がともに呆気にとられたような顔になっている間に、夏音は残り僅かだった弁当の残りをかきこみ
一気にしまってから両手をまた掴まれぬよう懐に隠した。この間実に5秒未満。神業である。
「あー、もうちょっと触ってたかったなー」
「いや、もういいから」
「はんっ、何よ宮守、結局人に触らせるようなもんじゃなかったってことじゃない、まあそんなもんよねアンタの手なんて」
「いやもうホントそれでいいからそれで勘弁して」
大島が心なしか微妙に残念そうなのを隠すために強がってるように見えない気がしないでもないが
まあ恐らく気のせいであろうし深く追求して愉快な方向に話が広がりそうでもなかったので放置することに決めた。多分この選択は間違ってない。
「ゆ、指っていうならさ、小島の方がすごいよ?」
しかしその次に繰り出したこの「小島の話を振って話題をそらす」という選択肢は明らかなミスであったことを
夏音が知るまではあと少しばかりの時を要する。
自分が決定的な墓穴を彫っていたと気づかないまま、夏音はとにかく話を反らそうと話し続ける。
「小島くんの?」
「そ、そうっ、あいつって男のくせにやたら繊細で綺麗な指してるんだって」
夏音が自分の失敗に気づくまで後……15秒。
「なんていうかもうこれ手!? みたいなさ、触るとなんか陶器みたいでね、やったらすべすべなのよ
いや、手の大きさはさすが男って感じなんだけど、大きいくせにゴツゴツはしてないっていうか」
10秒。
「皮も人より薄いんじゃない? みたいな感じでさ、血の流れとかも分かるような気がして
あと、多分あいつって人より体温低いんだと思うんだよね、手とか基本ちょっと冷たいし」
5秒。
「とにかく、私の手なんかに興味持つぐらいだったら小島の方がよっぽど…………ぁ」
0秒。
「「…………」」
夏音がようやくそれに気づいたのは、一言も言葉を発さず、じっとこちらを見つめてくる二つの視線に気づいたからに他ならない。
言うまでもなく鈴木と大島だ……しかし、同じ視線でもその質は大きく異なる。
鈴木のニヤついた口元と強調し合うように細められた眼は、まるで子どもをからかって楽しむようなおかしくて仕方ないというような視線。
大島の引きつった口元がより一層にそれを強めるような、不愉快の色を前面に押し出した……所謂『ジト目』から送られる視線。
その二つの視線が、これから二人が口にするであろう夏音にとって好ましくない質問の内容を
それこそこの数秒後に二人の口から発せられる言葉よりも雄弁かつ確実に、夏音に伝えてきた。
『なんでそんなことを知ってるの?』
と。
「あ、宮守」
校門で待っていてくれた小島の屈託のない笑顔をなんだか直視できない理由は、十中八九昼休みの会話のせいだ。
夏音は脳内で鈴木と大島(特に前者)への恨み言を脳内で囁きながら、やや視線を伏せ気味に小島に手を振って返す。
対する小島は、そんな夏音の違和感には気づかなかったのか、大きなリアクションもなく「掃除ご苦労様」と労いの言葉をかけてくれた。
恐らく、やや空が茜色に染まっていたおかげで、微妙に赤みがかった頬や表情をうかがい知ることができなかったせいだろう。
夏音は今現在、初秋という季節に感謝しながら、小島の隣に並んで歩き始めた。
余談だが、今日夏音は自転車に乗っていない。小島と同じ徒歩だ。
ほんの少し前に、夏音はそれまでずっと通学の手段としていた自転車を使わなくなった。
いや、使わなくなったというのは語弊があるだろうか、単に『学校まで自転車で行かなくなった』というだけで
今でも自転車は普通に日常で使うし、現にこれから歩いて向かう先には自分が朝の内に停めておいた自転車がある。
要するに、夏音は自宅からしばらくしたところに自転車を駐車し、そこから徒歩に切り替えて学校に通っているのである。
(毎日ではなく、バイトやその他の外せない用が放課後に入っている時はそれまで通りに自転車で学校まで行く事もあるが)
何故そんな一見して面倒くさいとしか思えないようなことをあえてしているのか。
その理由は夏音の、彼女の左側を歩く彼、小島の右手にしっかりと繋がれている左手を見れば一目で察せられることだろう。
(……私って、もしかして頭悪いのかな)
まったく学習しない女だなと自分でも思う。
昼休みにあんなことがあって、さんざ『コレ』のせいで恥ずかしい思いをさせられたというのに
自分の中で、彼のその手を掴まずに帰途につくなどという選択肢が在りえなかった。これを学ばないと言わずしてなんと言おう。
でも、後悔はない。反省してこれからは自粛しようなどという考えも、やはりない。
だって、好きなのだから仕方ないではないか。この陶器のように滑らかで、大きくて、少し冷たいこの手を
私は……空いている方の手で、求めずにはいられないのだから。
「……ねえ、小島」
「ん?」
「アンタの手って……なんか不思議だね」
「? そっかな、俺は宮守の手の方が好きだけどな」
「…………バカ」
「はは」
ああ、二人が別々の帰り道に分かれなきゃいけない、自分の自転車が停めてあるところまであとどれぐらいだっけ
できるだけ長く握っていたいな……
ぎゅう
と知らず知らずの内に手に力が篭ってしまう。
それに答えるようにして握り返してくれるのが嬉しいと感じてしまう自分は……やはりどうしようもなくバカなのだろうな。