宮守夏音は高校を卒業してから、海洋学者になるために島外の大学に入学した。  
故に当然のことであるのだが、夏音はその居所を島にある自宅から大学に通うことが容易なアパートに変更している  
あえて言うほどの事でもないが、今まで慣れ親しんでいた環境から離れて一人で新たな生活を始めるということには  
決して少なくない数の苦労がある。家族との相談、大学入学や新居に住まう上での様々な手続きetc  
そして何よりもこれからは全てを自分ひとりでせねばならないということ。  
炊事選択等の基本的なことに始まり、学校、バイト先など様々な場所で負う苦労ごとは全て自分一人で賄わねばならない。  
それは、これまで家族とともに様々な事を分担して生活してきた若者にとっては特に厳しいことと言え……いや  
本当のところは、そういった現実的問題よりも、精神的な問題の方が大きいのかもしれない。  
母親はもちろんのこと、友人や小さな頃から慣れ親しんだ島の人間たちに会えない、話せないということは  
本人が自覚していようとしまいと、またその大小の違いはあれどもその人間の心にのしかかってくるものだ。  
とまあここまで前を置いて結局何が言いたいのかといえば、彼女、宮守夏音は寂しかった。  
島を出るとき、都や鈴木や大島……そして小島と埠頭で別れたときに覚悟はしていたが、それでもやはり実感してみるとそれは想像を大きく凌駕していて  
自分がこんなにも人恋しい人間だと思わなかったと少し驚いたぐらいである。  
余談だが、自分がそんな風に素直に思えるようになったのも『彼女』のおかげなのだろうなということも改めて感じた。  
閑話休題。  
繰り返して言おう、宮守夏音は寂しかった。  
そんな夏音なのだから、学校が終わり、バイトからも帰宅しひと段落ついてごろごろしていたところにかかってきた  
現在絶賛遠距離恋愛中の小島からの電話をコール1回半目で嬉々として取ってしまうことも  
電話を介してのこの会話が、もうすぐ終わってしまうのだろうなと感じ始めた夏音の表情が  
親に見離されておいていかれそうになっている幼い子供のようになってしまうのも、いたし方のない事である。  
 
『じゃあ、夜も遅いし、そろそろ……』  
「ち、ちょっと待って!」  
『え?』  
 
というやり取りを既にこれで何度繰り返したことだろう。  
時間にして夜の0時をやや回ったところ。そろそろ諸々の準備を整えて床につかなければまずい。  
元々、夏音はよく食べよく寝るを自認している人間だ。  
そんな彼女がこの時間帯まで起きて何かしているということが既に島で済んでいた頃から考えれば異常なのだが  
それを認めた上でも尚、夏音はまだ電話を切りたくない、会話を終わらせたくないと願っている。  
その様はまさに上記した子供のそれで、小島(とおそらくは鈴木も)が見れば、強く胸を打たれたことであろうが  
電話越しに姿が伺えない今の状況ではそれも詮無きこと、彼氏であるところの小島の小さな不幸と呼べるだろう。  
 
『けど、宮守、もう時間も遅いし、そろそろ寝ないと宮守もまずいんじゃないのか?』  
「わた……しは……」  
 
ああ、分かってる。小島は自分のことを想って言ってくれているのだ。  
彼が自分のことをとても理解した上での提言を今してくれているのだということには言いようのない喜びを感じるし  
それでなくとも、自分を案じてくれているのだとそれだけで分かる彼の声は、無条件に夏音の心をくすぐる。  
しかし、それでも、やっぱりまだ話していたい、切りたくない……さりとて、だからと言って何を言えばいいのか分からない  
そんな状態が続いてもうそろそろ30分、いや一時間になろうというところだろうか。  
 
プツリ  
 
その音を境に、携帯から聞こえてくるのはもはや『ツー、ツー』という電子音だけとなった。  
説明するまでもない、通話が切れたのだ。  
自分があえて話すようなことがなくなるまで自分に付き合い、切るときには優しい声で諭してくれた小島の声に比べると  
なんとも無味乾燥すぎて、意味もなく余計に悲しくなってしまう。  
 
「…………寝よ」  
 
なんだか電話を終えてドッと疲れてしまった気がする……いや、少し違うか  
元々かなり疲れてはいたのだ。しかしそこに小島からの電話がかかってきて、彼と会話してる間はそんな疲労もどこかへ飛んでいた、と。  
 
(…………っ!)  
 
そう思うとなんだか無性に恥ずかしくなって、布団にもぐりこんだ瞬間に頭まで掛け布団をかぶってしまった。  
多分、今自分はとても人に見せられないような顔をしているのだろう。そう考えるとますます顔が布団の中に沈んでいく。  
瞼をぎゅっと強く閉じ、布団を握った手でその布団ごと耳を塞ぎ、光も音も、外界から齎される物は全て遮ると言わんばかりだ。  
そうしていれば、まるで今の恥ずかしい気持ちを抑えこんですぐに眠れるとでもいう風に。  
 
そんな状態の夏音が、布団の外に放置しっぱなしの自分の携帯電話に小島からのメールが入っていた事に気づかなかったのは、あまりにも当然の事と言えるだろう。  
翌朝、目が覚めた夏音がそのメールの内容を確認し、嬉しさと恥ずかしさのあまりしばらくの間、携帯の液晶を見つめたままで硬直してしまい  
最終的に我に帰った後で慌てて大学に行く支度を始めるまで、 残すところあと数時間である。  
 

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