―レイチェルは礼儀正しい子ね、賢くて、品が良くて―  
 
 
 
そんな言葉が脳裏に浮かんで、レイチェルは忘れようとするかの様に強く目を瞑った。  
 
 
今すぐ力一杯彼を突き飛ばして“拒絶”したいのに、自分が逃げては“彼女が”再び傷付くことになるだろう―その思いがレイチェルに行動力を与えず、彼女はどうにも出来ないまま弱い抵抗ばかりを続けていた。  
 
 
 
「どうしたんですか、ミス・ブレナン?抵抗なさらないのですか?」  
 
 
 
「離しなさい、ウィリアム君!やめて、お願い!」  
 
 
 
「…なら、どうして僕をはっきり拒絶なさらないのですか?兄の時の様に、“誰か”に助けを求めて、拒絶なさればいいじゃないですか」  
 
 
 
それを聞いてレイチェルは身を強張らせ顔を背け、それを見たウィリアムは嬉しそうに口端を上げて歪んだ笑みを浮かべた。  
 
 
 
「貴女はどうせ今、扉の外にいる“彼女”のことでも考えていたのでしょう?自分が助けを求めては、また彼女が僕に傷付けられる、だから彼女に助けを求めることはできない―、と、そう、考えているんじゃないですか?」  
 
 
 
「ミス・ブレナン、貴女はそうやって自己犠牲という美徳のもとに、『私が彼女を助けた』という自己満足に浸っているんでしょう?  
『彼女は私に助けられた、彼女は私がいなかったら傷付けられていたのを私が助けた』、という思いに。そうして、自分を作り上げている。“善良なミス・ブレナン”の“自己犠牲の精神”という要素に、彼女を利用して」  
 
 
 
「違う、違います、私は―」  
 
 
 
「そうやって周囲の人間を利用して、今まで貴女は善良なミス・ブレナンを作ってきたんでしょう?心の中では彼等を見下し、同情し、憐れんで。  
…それを否定なさるおつもりなら、助けを呼んではどうですか?あれは口もきけないし、読み書きも出来ないけれど、助けくらいなら呼べることは貴女だってわかっているのでしょう?」  
 
 
 
レイチェルは、必死に考えていた。―そう、彼女に助けを呼んでもらったって、彼女をもう傷付かせない方法は他にもあるかもしれないわ。…考えるのよ、レイチェル、落ち着いて―  
 
 
 
そこで彼女はある結論が頭に浮かび、愕然とした。体から力が抜けていく。  
 
 
 
―もし、私が彼女に助けを呼んでもらって、助け出されて…伯爵がこのことをお知りになったら…  
 
 
 
私は、「解雇」される。たとえ、ウィリアム君がこのことを認めても、認めなくても。  
 
 
 
 
…どうしようもなかった。伯爵が私を守ろうとしてでも、私を疑ってでも、解雇になるのならば理由はもはや何の意味も持たない。それでは、私に残された道は―  
 
 
 
 
 
「ねぇ、ミス・ブレナン。貴女が“救って”くれるんでしょう?」  
 
 
 
止めを刺すかの様に降ってきたウィリアムの言葉に、レイチェルはもはや何を言うことも出来ず、静かに眼を閉じた。  
 
 
 
 
 
 
 
「ミス・ブレナン、どうしたんですか?何も言わないんですか?言えないんですか?」  
 
 
 
 
行為の最中にもウィリアムは喋ることを止めず、レイチェルは耳を塞ぎたい衝動に駆られた。  
 
しかし、そんな小さな行動すら、ウィリアムの気に障ったら、と思うと何も出来なかった。  
 
 
 
「ねぇ、ミス・ブレナン。どうですか?」  
 
 
 
そんな、何でもないような台詞さえ、レイチェルを翻弄した。様々な思考と、ウィリアムの言葉と行為に伴う反応とが頭の中で入り乱れ、彼女から正常な思考と冷静な判断力を完全に奪い取っていた。  
 
 
 
それと、ウィリアムは一度も彼女を「ミス・ブレナン」以外では呼ばず、そのことが二人は教師と生徒であることを再確認させられているようで、呼ばれるたびにレイチェルは背徳感で死んでしまいたくなった。  
 
 
 
悪夢の様な時間が終わり、レイチェルはぐったりとしていた。涙は乾いて髪の毛は頬に張り付き、口許に付着した涎を気にすることもできずにぼんやりと虚ろな目で天井を見ていた。  
 
 
 
「それでは、僕はもう行きますので」  
 
 
 
格好を整えたウィリアムが、扉に手をかけた様子が視界に入った。  
 
彼は何事もなかったかのように平然を眼鏡を掛け直し、普段通りの優雅なしぐさで扉を開けると、ふとレイチェルのほうを振り返って、こう言った。  
 
 
 
 
 
「愚かですね、レイチェル・ブレナン」  
 
 
 
それは、彼にとってレイチェルがもはや教師でもなくなったことの証であり、これからの関係を暗示するものでもあった。  
 
 
 
 
 
 
 
 
やがて扉が閉まり、レイチェルは一人、絶望的な闇の中に閉じ込められた。  
 
その闇は、これから何が起ころうとも決して晴れることのない闇だ、とレイチェルには思えた。  
 
 
 
―それでも、自分は家庭教師だ。授業もある。心配されるわけには、いかない。  
 
 
 
先程僅かな間に見えた向こうの部屋の灯りは、今のレイチェルには悲しすぎるほどに眩しかったが、レイチェルはゆっくりと体を起こし、光の方へと一歩足を踏み出した。  
 
 

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