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 自室のベッドで静かに寝息を立てる真由子に布団を掛けてやる。 
潮は先程の真由子の風呂場での話を聞いて、『彼女』が無差別では無く、明らかに真由子を狙って取り憑いている事を確信していた。 
だが、自分にはどうしてやる事も出来ない。今、自分が握ってやっている彼女の掌は、こんなにも小さく、頼りないと言うのに、 
自分は何の助けにもなってやれないのだ。 
「畜生……」 
潮は悔しさに歯軋りし、槍を握る片手に力を込める。だが、槍は相変わらず何の反応も示さなかった。その時、 
「潮ー」 
「とらっ!」 
真由子の部屋の窓からとらが入り込んで来た。 
「こーんな処に居やがったかよ。あのよ、今ビョーインでよ……」 
とらは病院での事を、潮は真由子の事をそれぞれ話し、情報を交換する。 
「……って事は、麻子は……」 
「あぁ、ヤベえかもな」 
「とら!真由子に付いてやっててくれ!俺は麻子の処に行って来る!」 
潮は思い詰めた顔で槍を取り、井上宅を後にした。 
「おーい!何でわしがおめーの言う事聞かなきゃなんねーんだ!」 
背中にとらの声が刺さるが、構っていられない。潮は病院に向かって全力で走り出した。 
残されたとらは、渋々眠っている真由子の傍らに立ち、呟いた。 
「人の話も碌に聞かねーでよ。わしがこの娘喰っちまったら、どーすんのよ? 
っつっても、今のこいつは、不味い事この上無さそうだな」 
その時、 
ピクッ 
とらの耳が何かに気付いたかの様に動く。 
「ほう……潮にゃビビって、わしにはビビらねーとは、わしの恐ろしさを知らねえと見えるな」  
 
「あの、済みません。昨日こちらに入院した、中村麻子の見舞いに来たんですけど……」 
「はい、中村さんですね。少々お待ち下さい……あぁ、中村さんでしたら、昨日から外科から皮膚科に移転されてますよ」 
「へ?皮膚科?」 
「はい。病室は203号室。個室ですね」 
潮は病院の受付に礼を言うと、内科病棟へと向かおうとした。 
すると、待合室で麻子の友人が数人集まっているのが目に入る。 
彼女等は、[迷子犬探してます]だとか[家庭教師やります]と言ったチラシが貼られた掲示板に目をやっていて、潮に気付く様子は無い。 
「よぉ、おめーら、どうしたのよ?」 
「あっ!蒼月君!私達、今来た処なんだけど、麻子が誰にも会いたくないって…お父さんやお母さん、先生迄病室から追い出しちゃって。 
あ、でも蒼月君なら会ってくれるかも」 
「判った。行ってみるよ」 
皮膚科に移ったと聞いた時点で嫌な予感はしていた。 
二階への階段を駆け上がると、病室の前で米次、麻沙子、野崎が困った様な顔をして話をしていた。 
「おじさん!おばさん!先生!どうしたんだい?」 
「蒼月か。御前、今日学校抜け出したろ。ま、今はそんな事はどうでも良い。中村がな……」 
米次が野崎の言葉を引き継ぐ。 
「麻子の奴、全身に疣みてえのが出来て、誰にも会いたがらねえんだよ。病院の先生も、今何の病気か調べて下さってる」 
「あの子ったら、親にも見せたくないってんだから。でも、罹ったのが病院の中で良かったかもねえ」 
暢気な事を言って、気楽に構えているのは麻沙子。だが、潮には判っていた。 
これは病気などでは無い。槍の反応こそ無いものの、何等か超常的な悪意を持ってなされた症状に違い無い。 
そう思って、病室の扉に手を掛けると、物凄い大声が病室から返って来た。 
「潮ね!入って来ないで!」 
潮はその声を無視して、扉を開け放つ。病室の中は、暗く、病院独特の臭気が籠っている。 
その中で頭迄布団を被っている麻子。 
「お、おい、中村?」 
「来ないでって言ってるでしょ!駄目!来るな!!来るなーっ!!」 
それは何時もの麻子ならば絶対にしない様な抵抗だった。 
潮が近付いて来る気配を感じると、全身をベッドのシーツで包んで部屋の隅へ逃げようとする。 
「うぅ…来ないで。来ないでよぅ……」 
麻子の声は泣いていた。潮はその声を聞いて、少々強引過ぎたかと反省し、説得する方向へ向かった。 
「なぁ、皮膚の病気なら、見せたくないのは解るけどよ。皆心配してるぜ。うちのクラスの女子だって、 
下の待合室で御前が面会許してくれるの待ってんだよ。先生やおじさん、おばさんだって……」 
「それでも嫌な物は嫌!あの子達には悪いけど、帰る様伝えといて」 
変わらぬ涙声。気丈な麻子がこんなに泣くのを、潮は何年振りに見ただろうか。 
「おいおい、そりゃ酷えぜ。それに……だったら、俺やおじさん達だけでも。 
ほら、御前が蕁麻疹で寝込んだ時だって、見舞ったじゃねえか」 
「うっうっ……私の姿を見ても…嫌わないでくれる?」 
普段の麻子ならば、こんな気弱な言葉は絶対に吐かない。 
だが、潮は麻子の心情を察して、 
「何言ってんだ?病気だろ?嫌うとかそんなの在る訳ねえじゃねえか」 
と答え、米次達の承諾を得て、病室の扉に鍵を掛けた。 
「ほら、鍵掛けたからよ。うじうじしてるなんて、御前らしくねーぞ」 
「うん。潮、助けて」 
麻子は纏っていたシーツをはらりと落とした。  
 
 「!?……う…あ……」 
潮の全身に鳥肌が立つ。麻子の姿を見ても、絶対に動揺しない。 
そう決めていたのに、潮は驚きの余り絶句していた。 
麻子の頭の先から足の先迄を細かい赤紫色の吹き出物が隙間無くびっしりと覆い、所々それが破れて膿が滲んでいる。 
そこには、校内一の美少女の面影は全く無かった。 
「驚いてもしょうがないわ。私だってそうだったから……」 
ベッドの端に腰掛け、落胆した声で語る麻子。顔を覆う吹き出物で表情は全く読み取れないが、潮の反応がショックだったのだろう。 
その目には涙が浮かんでいた。 
「いや……わりい。なーに、病院の先生も調べてくれてるっつーし、すぐに治るさ」 
潮は極めて明るく努めて微笑みかける。 
「そうね。潮に相談して良かった。早く学校に行きたいな……」 
病気の所為だろうか。麻子は力無く微笑み返すと、その侭ベッドに倒れ、気を失った。 
「麻子?麻子!!」 
驚いた潮が呼びかけるも、反応は無い。どうした物かとうろたえていると、 
「紫暮!」 
「紫暮さん!」 
「蒼月さん!」 
病室の外から米次、麻沙子、野崎の三者三様の声が聞こえて来た。 
「親父?」 
正直な処、麻子に何もしてやれず、独りが心細かった潮は、ふらふらと病室のドアへ向かった。 
今朝迄快晴だった空は夕闇の中に徐々に分厚い雲が立ち込め始めていた。 
 
 
 ぎりっ 
静まり返った家の中に、とらの歯軋りが聞こえる。 
とらは真由子を庇う様にベッドの前に立ち、『それ』が訪れるのを待った。 
バチバチッ! 
額の上で小さな稲妻が爆発する。彼は苛立っていた。『それ』の気配は玄関の前から動いていない。 
まるで、家の中の様子を探ろうとしているかの様に、只そこに立っていた。 
「えぇい!来ねえならこっちから行くぜ!」 
真由子の部屋の窓から闇の中へと飛び出し、玄関を見下ろす。 
そこには、街灯に照らされた『彼女』が、とらの方をじっと見上げていた。 
「くたばれやぁ!」 
ズシン!!!! 
とらが右手を振り下ろすと同時に、『彼女』の立っていた場所に稲妻が落ちる。 
だが、稲妻の硝煙が消えると、そこには何も残ってはいなかった。 
「あ?何しに来たんだ?」 
とらはそう言って、真由子の部屋へと戻った。  
 
 
「親父!麻子を助けてやってくれよ!」 
「先ず落ち着け。外に聞こえては事だ」 
麻子の病室には、気を失っている麻子、それを見守る潮と紫暮の三人。 
潮は麻子の気持を酌んで、米次達には待合室で待って貰い、紫暮に麻子のこの奇怪な症状を何とかして貰おうとしていた。 
紫暮は先程から麻子の赤紫色の凸凹した額に手を当てていたが、何かに気付いた様に手を離し、潮の目をじっと見詰めた。 
「御前が家に残して来た書置きを見た時から、もしやと思ってはいたが……これは、『呪詛』だな。それも素人の業じゃない」 
「じゅそ?何だよそりゃ?」 
聞き慣れぬ言葉では在ったが、潮は父親が麻子の症状の正体を見抜いた事に安堵の表情を浮かべ、目を丸くし尋ねる。 
「我々法力僧が使う、法力の様な物だ。この場合は真言と修験道の様だが。 
法力を妖では無く、人に向けて使えばこの様な事になってしまうのだ」 
「ちょっと待てよ親父!だったら何だ?麻子が誰かに恨まれる様な事したってのかよ!?」 
いまいち事態が飲み込めず、苛立った潮は、父に当たってもどうにもならないとは解りつつも、紫暮に食って掛る。 
「人間、何処でどの様な理由で恨みを買うか分かったもんじゃないだろ。恐らく、獣の槍が何の反応も示さなかったのも、それが理由だ。 
人の怨みが込められたその槍は、御前の危機か妖の害意にのみ反応するのだろう?同じ匂いを持つ、人の怨みに気付く訳が無い」 
「じゃ、じゃあどうすんだよ!?」 
紫暮は潮を落ち着かせる為、片目でウィンクして微笑んで見せる。 
「心配するな。私はこれでも一応、専門家だぞ。原因が判れば対処も容易い」 
鞄の中から藁で編んだ人形(ひとがた)を取り出し、麻子の髪の毛を一本抜いて、その中に押し込み、麻子の傍らに置いた。 
「藁人形?何でこんなもん……」 
「スケープ・ゴートって奴さ。こいつが麻子ちゃんへの呪いを代わりに受けてくれる。 
感染呪術と言ってな。以前一つだった物は分かれても超的な繋がりを保ち続ける。髪の毛は、その為さ。それとな……」 
紫暮は和紙と筆を取り出し、下の様な図を描き始めた。 
 
 
 兵者陣在 
臨╋╋╋╋臨 
闘╋╋╋╋闘 
皆╋╋╋╋皆 
列╋╋╋╋列 
前╋╋╋╋前 
 兵者陣在 
 
「『九字法』と言う。呪いを防ぐ、最も一般的な方法だ。何しろ今回は、相手さんの出方が判らんからな」 
その紙を麻子の枕元に置き、低く力強い声で九字を唱え、印を切る。 
「臨!兵!闘!者!皆!陣!列!在!前!……!!」 
バシィッ! 
その時、先程作った人形の胸の部分が真っ二つに裂けた。  
 
 緋崎憧子は暗い部屋の中で、以前本人に気付かれぬ様撮影した、中村麻子の写真を見詰めていた。 
もうすぐだ。もうすぐこの憎い女を呪い殺してやれる。先程、自分の生霊に愚かにも向かって来た妖の姿も目に焼き付け、念写した。 
こちらもすぐに滅してやろう。 
類感呪術――霊格の高い物が、対象に似た物に呪いを掛ける事で、遠くからでもその想念を伝える事が出来る方法である。 
彼女の両親は、父親こそ普通のサラリーマンだったが、母親は旧派真言宗の尼で、結婚後は父も在家で修行する事となった。 
だが、先天の才なのだろうか。父は異常な程の力を誇る法力を身に付けて行き、今では僧正へと伸し上がっていた。 
その為、家には莫大な財産が入ったが、両親は家に帰って来る事は滅多に無かった。父は僧正で家には殆ど帰らないし、 
母は旧派真言宗の法力僧で、日々、妖を滅する為に全国を飛び回っていた。 
後ろめたさを感じた両親は、憧子の欲する物は何でも買い与えたし、家に居る時は出来る限り彼女の要求を聞いてやった。 
だが、それでは彼女が本当に欲しいものは手に入らなかった。そして、彼女はそれを自分の力で掴もうとしていた。 
彼女は、一年前の自分の事を思い出す。 
 
***** 
 今日も入りたくもない1年7組の教室に入る。誰も声を掛けてくれる者は居ない。 
机の中を覗くと、ここの処連日の様に投函されている、中傷の手紙。 
「死ね」、「臭い」、「学校来んな」、「気持悪い」 
そんな言葉が綴られた手紙。差出人は書いていないが、大体の見当は付いていた。 
憧子はもう、それを見ても何も思わなくなっていた。 
内向的な上に、同じ小学校から上がって来た友達がクラスに一人も居ない憧子は、 
夏休みからこちら、クラスの女子グループの団結を図る為の苛めの恰好の対象となっていた。 
初めの頃は何故自分が、と悔しくなったりもした。だが、担任の教師に相談しても、担任は嫌々話を聞くだけで、 
何もしてくれない。自分で何とかしようと、苛める女子生徒に対して反抗しても、苛めは益々非道くなるばかり。そして、憧子は心を閉じた。 
こうすれば、クラスで邪魔者扱いされても痛みは和らぐ。それが、彼女に唯一残された防衛手段だった。 
「おっはよー、緋崎!」 
ハッとして振り向く。そこには、先日席替えで隣の席になった、蒼月潮が立っていた。 
彼は自分とは違い、友達も沢山居たし、クラスのムードメーカーだった。 
「あ……お、お早う、蒼月君」 
憧子は慌てて中傷の書かれた手紙を隠す。こんな物を見られては、彼迄苛めに加わりかねないと思った。 
彼女は、何故か彼に苛められる事だけは耐えられないと感じていた。 
「あれ?緋崎、今何か机に隠したろ?ラブレターかぁ?」 
「いや、何でも無いの……」 
両腕で机の引き出しを塞ぎ、隠し通そうとする。 
「隠すなって。別のクラスに俺の幼馴染の真由子って言う、緋崎そっくりな奴が居るんだけどよ。 
そいつ、クラスじゃかなりモテてるみてーだぜ。緋崎も可愛いんだから、ラブレターくれえ不思議じゃねえって」 
ニヤニヤと笑い、諦める様子が無い潮。憧子は今の潮の言葉を反芻する……そして、その意味を理解した時、 
憧子の全身が真っ赤に紅潮した。体が火の様に熱い。彼は自分を女として見てくれているのだ。 
憧子の頭を様々な考えが巡り、思わず両手の力が抜けてしまった。その隙に潮は、 
「もーらい!」 
と、彼女の机の中から例の手紙を抜き取った。  
 
 「これ書いた奴ァ出て来やがれ!!!!」 
朝の騒がしい教室の中に、一際大きな声が響く。クラス中が一気に静まり返り、皆驚いた顔で潮の方を見た。 
元々感情の起伏が激しい潮だったが、クラスメイトの誰もが、ここ迄激昂した潮は見た事が無かった。 
潮は激怒していた。確かに今朝、憧子に声を掛け、話をしようと努めたのは彼女がクラスで余り話し相手が居ないと思ったからだ。 
だが、潮はその真相を今初めて知ったのだ。 
「蒼月君!良いの!もう良いから!」 
憧子は何時に無い大声で、潮を引き止めようとする。今迄なるべく苛めの被害を最小限に抑えていた彼女は報復が怖かった。 
確かに不器用な潮が取った行動はスマートとは言えない方法だ。だが、潮の心は治まらなかった。 
「群れてねえと、苛め一つ出来ねーのかよ!?」 
更に煽る様な事を言い出す潮。すると、潮を取り囲む輪の中から、クラスのリーダー格の女子が前に出た。 
「私が書いたわ。鈍いみたいだから言っとくけど、それに気付いてないの、クラスであんただけだから」 
彼女が言い終わるが早いか、潮は彼女の方へと飛び掛る。 
「冗談事じゃねえぞ!この野郎!!」 
ガツッ!! 
潮の力強い拳が彼女の顔面を殴り、彼女は後ろへと倒れ込んだ。 
「ちょっとあんた、女に手を上げるなんて最低ね!」 
「あんた以外、皆知ってて放っといたのよ!」 
彼女の取り巻きが口々に潮に反論する。 
「煩えっ!そいつはそれだけの事をしたってんだ!悪いのに男も女も無えだろ!!」 
潮はそこ迄言うと、漸く落ち着いたのか、息を整え、 
「御前等も御前等だ!こんな事して楽しいのかよ!?」 
と、クラス全体に向けて言い放った。担任がホームルームの為に、教室へやって来た事でその場はどうにか治まったが、 
潮の心は晴れなかった。そして、例の女子生徒が潮に殴られた事を告げ口する事は無かった。 
 
「へえ、緋崎の親も坊さんか。実は俺も親父が坊主でよ。家が寺なんだ」 
「潮の家、広いもんなぁ」 
「私の家、お寺じゃないから、そんなに広くないよ」 
「嘘ばっか。俺、こないだ緋崎の家の前通ったんだけど、物凄い豪邸だったぜ」 
潮、横尾、厚池等と談笑する憧子。 
あの日以来、憧子は潮やその友達と話をする様になっていた。苛めは無くなりこそしなかったが、潮が怖いのだろう。 
明らかに以前よりもその頻度も程度も落ちていた。それからの5箇月間は、憧子にとっては楽しくて仕方の無い日々が続いた。 
だが、そんな日々の終りは予想通りの形で訪れた。  
 
 二年生への進級による、クラス分けの日。 
「お早う、緋崎!俺、7組なんだけど、何組になった?」 
それを聞いて、憧子は一気に辺りが暗くなったかの様な錯覚を覚える。 
「緋崎?どうしたんだ?」 
「い、いや、何でも無いよ。私は3組。随分離れちゃったね」 
「そうだな。ま、新しいクラスで友達も……」 
と潮が言い掛けた時、 
「潮ー!早くしないと、先生来るよー!今度の担任、怖いみたいよー!」 
彼の頭上――2年7組の窓から一人の少女が身を乗り出して潮を呼んでいた。 
「あぁ!今行くよ!じゃな!」 
潮は憧子に背を向けて走り出した。 
少女の名は、中村麻子。憧子が何時も潮から聞かされていた、幼馴染の女性の二人の内の一人だった。 
 
 新しいクラスで待っていたのは地獄だった。例の苛めグループの中心的なメンバーが同じクラスになってしまったのだ。 
しかも、そのリーダーの彼氏とその友達が加わった事で、苛めは性的、暴力的な物迄含まれる様になった。 
ある時は、顔が腫れ上がり、暫く学校に来られぬ程に殴られたし、ある時はトイレの中で陰毛をライターで焼かれ、 
「汚えから掃除してやる」と、膣にモップを詰め込まれたりもした。 
憧子は怖かった。明らかに以前の苛めとは程度が違う。逆らったりしたら、殺されるかも知れないと思った。 
男の名は、倉本豪。彼女は苛めグループの中でも、一番キレていて、何をするか解らない彼の事が最も怖かった。 
 
 潮に相談しようと思ったのは、それから1箇月程経っての事だった。 
別のクラスの彼が、自分を助けてくれる義理は無い。だが、彼ならきっと何とかしてくれそうだと思った。 
ある日、憧子は登校中の潮の姿を見た。だが、その両隣に居たのは学校でも1,2を争う二人の美少女。 
確か、麻子と真由子と言っただろうか。潮は、麻子と同じクラスになった事で、1年生の頃には無くなり掛けていた、 
幼馴染としての親しさを取り戻していた。そして、憧子が見る彼の姿は、とても楽しそうに思えた――自分が彼と居た時よりも……。  
 
 コイツラミンナコロシテヤル 
頭の中にそんな声が響いたのは、夏休みも近付いた放課後、豪達にロッカーの中に閉じ込められた時の事だった。 
放課後、帰りのホームルームからそわそわし、トイレに行こうとしていた憧子を捉まえた豪達は、 
彼女をロッカーの中に押し込め、それを抱え上げて、扉を壁にくっ付けた。 
憧子は必死で扉を開けようとするが、苛めグループの力自慢数人がロッカーを押さえ付けている為、 
非力な彼女の腕ではどうにもならなかった。 
「お願い!出して!お願いだから!」 
「へへへ…えらく焦ってんなぁ、どうしたのぉ?」 
「まさか、『一人で真っ暗は怖いでちゅ』ってかぁ?」 
暗闇の中、彼等の嘲笑が聞こえて来る。解っている癖に……彼女はそう思いながら、迫り来る尿意と闘った。 
だが、トイレに行こうとしていた処を閉じ込められたのだ。そう長く我慢出来る筈も無かった。 
スカートの中、力一杯股間を抑えていた両手が熱くなる。一度流れ始めたそれを止める事はどんなに頑張っても無理な事だった。 
「お?やけに静かになったじゃねえか?」 
「もしかしてこいつ……」 
その時、女子生徒の一人がロッカーの周囲の床が濡れている事に気が付いた。 
「汚ーい!この子おしっこ漏らしてる!」 
嘲笑の中、ロッカーから解放される憧子。だが、周囲の予想に反して、その目に涙は全く無かった。 
呆気に取られる彼等を尻目に、憧子は荷物を纏め、すぐに教室を後にした。 
 
 失禁でぐっしょりと濡れたスカートも気にせず、憧子は家迄の道を独り歩き続けた。 
憧子は潮以外の全てが憎かった。自分を玩具の様に弄ぶ彼等も、自分の苛めを知っておきながら、何もしてくれなかった教師も、 
両側から潮を挟み、自分の入る余地を無くした麻子と真由子も……その全てを殺してやろうと思った。 
何時だったか、潮が自分に言い聞かせた。 
「緋崎も苛められっ放しじゃ駄目だろ。自分で闘わなきゃよ!」 
その言葉を思い出した憧子は、全てを呪おうと思った。彼女は力が欲しかった。 
その日以来、彼女が学校に姿を見せる事は無かった。  
 

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