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翌朝。夏特有の打ち付ける様な激しい雨。砂浜は昨日とは打って変わった、閑散とした様子を見せていた。
「あーん…もう、嫌になるわね。これじゃ泳げないじゃないの」
「昨日の内に泳いどくべきだったよなぁ」
麻子と横尾が空に向かって届く筈の無い不満を漏らす。
勿論、彼女達とて、一週間の内に雨が降らぬと思っていた訳では無く、
こんな日は皆で夏休みの宿題を進める事にしていたが、それでも二日目からこれでは、気が滅入るのも仕方が無かった。
皆で一階の大部屋に集まり、互いに教え合い、わいわいと喋りながら宿題をこなして行く。
タツヤも朝食を済ますと直ぐにかがみ屋の霧雄を訪ね、
二人で「何処が『夏の友』だ?」と言いたくなる様な問題集を唸りながら解き進めていた。
「引狭君、ボートに乗る約束してたのに御免ね」
「中島君の所為じゃ無いよ。残念だけど、晴れたら乗ろうよ。あ、真由子お姉ちゃんも一緒に良いかな?」
「うん。今、洞窟に秘密基地作ってる処だから、引狭君も一緒に手伝ってね」
大量の問題も友達と一緒にやれば進みも早い。だが、一方では……
「いや、だからこれ、反比例のグラフだろ?」
「あんたねぇ、式見てる?どうして『y=5x^2』が反比例に見えるのよ?」
「もう判んねえよ!そんな事より答え見せてくれよ〜」
「駄ー目!何でも人に頼らないの!」
麻子は飽く迄自分の解答を潮に写させる様な事はさせず、噛み砕いて教える積もりだ。
国語と体育以外の教科は満遍無く苦手な潮には、この朝の宿題タイムは苦痛でしか無かった。
「みんな、マッシュポテトが出来たよ。ちょっと休憩しないかね?」
麻子の祖母の言葉で漸く苦痛から解放された潮。他の者達も一旦ペンを置き、休憩に入る。
古ぼけたジュークボックスから流れる音楽に耳を傾け、
皆それぞれに西瓜やマッシュポテトに齧り付きながら、口々に雨への不満を述べる。
「雨、止みそうにねえな」
「日付が変わる迄は綺麗に晴れてたのにね」
「僕達昨日はすぐ寝ちゃったのに、お兄ちゃん達昨夜外に出てたんだ?何してたの?」
間崎と礼子の会話に霧雄が口を挟む。子どもは知ってはならぬ事だと言うのに……。
「え、えっ!?……あー、いや、何でも無えよ」
「そ、そう。暑くて寝苦しいから、ちょっと夜風にね」
「え?だって、冷房の無い外の方がよっぽど暑いよ?」
二人が必死で誤魔化しているのに、霧雄は尚も食い下がる。勿論、彼とて悪気が在る訳では無い。
「霧雄君、ちょっと来な。あのな……」
見兼ねた米次が霧雄を呼び、真実を伝えようとする。
「男と女ってのぁ、好き合うと…ンゴッ!」
ゴスッ★
「小学生に下らん事教えちゃ駄目でしょ!」
気が付けば背後に怒りと羞恥で顔を真っ赤に染めた麻子が立っており、米次の肩にその踵が沈んでいた。
その遣り取りを見た霧雄も何だか怖くなり、それ以上突っ込むのを止めた。
「便所行って来る」
何をしても気分が晴れないと言うのに、更に苦手な勉強迄強制されたのでは堪った物では無い。
耐え切れなくなった潮は、トイレに行くと嘘を吐いて、その場を抜け出した。
もう、今は嘘を吐く事にすら何の抵抗も無い。自分は変わったな、と思わざるを得なかった。
トイレへと続く廊下の縁側に腰を下ろし、降り続く雨を虚ろに眺めていた。
ジャー…カチャ
潮は誰かがトイレから出て来る音に、そちらへ目を向ける。
「あぁ、緋崎か」
「西瓜食べ過ぎちゃった」
憧子はぺロッと舌を出し、興味無さそうに外を眺める潮の隣に腰を下ろした。
「何?サボり?麻子さんに怒られるよ」
「何かもう、何でも別にどうでも良いよ……」
潮は憧子の方へ顔を向ける事すらせず、面倒臭そうに答える。
憧子も潮の方を見ずに潮に話し始めた。
「とらさんってさ……きっと寂しがり屋だったんだよね」
「?唐突に何の話だよ?」
話の流れからは在り得ない話題に、潮は憧子の横顔を不思議そうに見た。だが、憧子は構わず話を続ける。
「そして、蒼月君も寂しがり屋だよね」
「はぁ?さっきから聞いてりゃおめえ何言ってんだよ!?俺が寂しがり屋な訳――」
「聞いて!」
彼女の何時に無い強い口調に、潮は驚いて口を噤んでしまう。憧子は一変して元の穏やかな口調で続けた。
「私も寂しがり屋。麻子さんや真由子さん、横尾君や厚池君だって……きっと、みんな寂しがり屋なんだよ。
だから、独りじゃ歩いて行けない。でも、誰かと一緒なら何処迄だって歩いて行ける。
それで、みんなその事に何と無く気付いてるから、誰かと一緒だと楽しいと感じるんじゃ無いかな?」
憧子は昔、潮が誰も話し掛けてくれなかった孤独な自分に声を掛けてくれた時の事を思い出していた。
潮はそんな話をする彼女に苛立ちを覚え、
「けっ!説教かよ。んな事解りたくもねえ。もう御前、あっち行けよ!」
と、隣に座る彼女を乱暴に突き飛ばした。
「解った。御免ね。でも、麻子さんもきっと寂しがってるんだよ」
憧子は静かに立ち上がり、皆の待つ大部屋へと戻って行った。
潮は再び独り、雨を眺めていた。
『第二章・二日目朝』一時閉幕
厚池は皆で宿題をしている時からどうにも落ち着かなかった。
昼食を済ませると直ぐに、「ちょっと用事在るから」と、かがみ屋を抜け出し、雨の降る中を傘を手に駅へと歩き出す。
厚池はシステムエンジニアの父の影響で、最近インターネットを始め、そこで一人の女性と知り合い、親しくなった。
彼女は優しく、メールに添付されて来た写真はとても美しかった。
電話こそした事は無かった物の、メールやチャットでの遣り取りで彼の頭は彼女の事で一杯になった。
そして先日、彼が今回の旅行の事を話すと、彼女は静岡の夜波町に住んでいるので、是非会おうと言ってくれたのだ。
その約束に厚池は舞い上がり、周囲にはその様子は見せなかった物の、今日と言う日を心待ちにしていたのだ。
駅へ到着すると、まだ彼女の姿は無かった。時計を見ると、約束の時刻の10分前。
暫く待とうと彼が駅のベンチに腰掛けたその時――
パシャッ!
カメラのシャッターを切る音とフラッシュの明り。
「うわ…こいつマジで来ちゃったよ」
「釣り、乙でした〜」
駅の傍の繁みから数人の大学生位の男性が姿を現し、厚池を取り囲んだ。
何が何だか解らない厚池に、男達が声を掛ける。
「バーカ、『由美ちゃん』が御前みたいなリア厨相手にするかよ」
「っても、『由美ちゃん』演じてたのは俺なんだけどね〜」
「今迄気付かずに釣られてたおまいはキモイ!」
由美と言うのは、厚池がインターネットで知り合った女性の名前だ。次第に厚池にも事態が飲み込めて来る。
「いや、ここ迄馬鹿正直な奴も珍しいよなぁ」
「あれ?泣いてんの?キショッ!」
「泣くなって。心配しなくても、御前にゃ一生彼女出来ないから。ハハハハハ!」
悔し涙を流す彼を囲んで大声を上げて笑う男達。
ガコッ!
突然、カメラを持っていた男が厚池に向かって倒れ込んで来た。
「おめーら、俺の友達にそんな事して楽しいのかよ!?」
「……オタクの御前等の方がよっぱど気持悪いぜ」
倒れた男の後ろに立っていたのは、横尾と間崎。男達は間崎が一睨みすると蜘蛛の子を散らす勢いで逃げて行った。
「厚池、御前、隠してるなんざ人が悪いよなぁ」
「御免……」
横尾がベンチでガックリと項垂れる厚池の肩を叩く。
「ま、今回は運が悪かったのさ。ここは海だし、一緒に来た女子はみんな美人。
この一週間で新しい出会いが在るかも知れねえぜ〜」
飽く迄も前向きな横尾の考えに、落ち込んだ厚池の心にも光が射し込んだ。
「そうだな……でも、今は良いや。親友が居ればそれで充分。有難うな。
間崎さんも、有難う御座いました」
間崎はそんな二人を見て、何も言わずに微笑んだ。
『第三章・二日目昼』一時閉幕