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山腹は霧掛かり幽玄さを湛えて、秋雨が躰の芯を凍えさす支度に入ろうとする
季節。男女(おめ)は出逢った。ひとつの出来事をきっかけとして、約束の盃を
極内々の者の間で交わした。当初は夫婦固めの盃としていたものを、修行と
妖魔の討伐に躰を置く身なればと、紫暮が伏して願い出たのだった。未熟故、
今しばらくの猶予をというのが名目。男の本心はどこにあったのか定かではないが、
紫暮は須磨子の元にじっとしていたかったわけではなかった。
「かりにも、須磨子が清姫になったとしたら、いかがいたします」と訊かれても、
紫暮はひたすら頭を下げていた。それでも須磨子は、出立するまでの数日間を
いっしょに過し、紫暮の情愛に包まれて大きな倖せを感じていた。その半年後に
夫婦固めを執り行う。それが須磨子と紫暮の最初の一年となった。
「紫暮さま。お久しゅうございます」
深く頭を下げ、臀にとどく素直な垂れ髪が揺れて華奢な両肩に掛かり、腰の
ところでは綺麗に切り揃えた髪裾がふわっと散ると、それから須磨子のやさしい
陽が紫暮へと昇る。
卵型の輪郭に、きりりっとした濃い目の眉。その瞳は須磨子の精神のように
大きく深い黒色を湛えて、小さくぽてっとした愛らしい唇が笑みを見せて言葉を
紡いだ。
「今日は泊まっていっていただけるのですか」
出逢いの季節よりも僅かばかり先をいってしまい、今日は牡丹雪が降っていた。
須磨子は金茶地の着物姿に、利休ぼかし(薄い灰緑色)の地に縦縞柄の二部式
道行着を上に着ていた。
「いかがしょうかな」
着物衿とおなじ道中着よりも、四角い額衿から着物の衿許が覗く道行着の方が
色っぽいと紫暮は思う。須磨子の道行着の胸元には、同色の正絹の菊結びの紐、
二組飾ってあった。雨降る里で須磨子を見た時も、雨コートではなく、やはり
道行着だった。
「綺麗だな」
「なにか、おっしゃりましたか」
「あ、いや。なにも」
「なにもとは」
「だからなにもだ」
「いじわるなのですね」
「そうかな」
「そうですよ。ふふっ」
「はははっ。さてと。それでは、お供でもしようか」
「よろしいのですか」
「ん」
「ごいっしょされても」
「よろしいもなにもないだろう」
「夫婦ですものね」
白くしなやかな指が揃えられて、須磨子は口元の綻びをそっと隠した。
「あっ、いや……」
「なにか」
「先刻は綺麗だといった」
「はい。ありがとうございます」
須磨子はにこりとして、また丁寧に礼をして(垂れ髪の前髪を胸の長さで切り込んで
二組の房にして前に掛けていた)、黒髪はサラッと揺れていた。
ただ須磨子の貌を観によったわけで、さしたる用事があるわけでなく、愉しそうな
須磨子の気分に水を差すようで、あえて同行しようと言ったまで。修行の身の男が
女の笑顔を観に寄ったなど口が裂けても、と思ったが閨でいってみるのもいいかも
しれないと紫暮は考えていた。
須磨子の雨下駄を鳴らして寄り添ってくる音も軽やかに、パンと小気味良い
音をさせて、傘が開き差し向けられる。須磨子のつま先を被った雨下駄の前皮の
臙脂が灰色の石畳に映えていた。紫暮の貌もつられて綻んでいた。
「ああ、日本傘ではないのだな」
「これでも和傘なのですよ。見てくださいな」
須磨子が手先を上に向ける。紫暮が仰ぎ見ると傘の骨が洋傘のものより多く、
紫の布の質感も落ち着いていて、紙に近い風情があった。
「しかし、すこし派手ではないのかな」
須磨子に妙な間が出来たことに紫暮は気づいた。
「どうした」
「どうもしません」
「そうなのか。ちゃんといって」
「しりません」
須磨子は直ぐに応えて、唇をツンと尖らせて顔を逸らした。
「いったい、どうしたというのだ」
「どうもいたしません」
「なにか、幼くなっていくように見受けられるが」
逢うたびごとに、須磨子が幼く見えるようになったと口元まで出掛かるのを慌てて
濁そうとするが、次の言葉が思いつかない。
「紫色は私に似合いませんか」
「幼く見せるのにも使われるというし。あ、いや。子供っぽいと言っているのではないぞ。
そうだ。物腰を和らげる色だな。うん。着物にも似合っているし」
「紫暮さま……」
「はい」
「お気づきになりませんか」
「ああ。紫……ということか」
「はい」
須磨子がにこりとした。紫暮の頸がなんとか繋がった。
「どれ、己(おれ)にそれを貸してみろ」
「あっ」
紫暮は須磨子から傘の柄を奪い取る。須磨子の肩口が雪に濡れないようにと
紫暮は肩を抱き寄せて傘を差した。須磨子とこんな時をいっしょに分かち合い、
あとどれくらい過してゆけるのだろうかと思う。暦で見れば、それは容易いことだが。
「紫暮さま」
「ん……」
「紫暮さまは、千宝輪をお持ちになられていますでしょう」
須磨子の横顔を見ると、まだ頤を引いて俯いている。
「ああ。いつぞやの説教のつづきだな」
「説教だなんて、おっしゃらないでください」
須磨子の顔があがって視線が絡み合った。
「……」
「怒ったのか」
「……いえ。怒っただなんて。……紫暮さま」
「なんだ」
「もう判りなのでしょう」
「なにがだ」
「千は無限の己の力を示すものではないことを」
「それは聞き捨てならんな」
須磨子の問い掛けを紫暮は意図的にはぐらかしていた。無論、忘れていた
ことではない。
「そうでしょうか」
紫暮が妖魔を討伐することは、秀でた法力に驕ったというわけでもなかった。
力の極めは、その精神によるところが大きい。残酷なようで、それが真実。
力を極めれば、強いものが必ずや勝つという世に身を置いている。
力量の差において、弱者が強者と対峙しての偶然の勝機などはあり得ぬことと
紫暮は熟知した。それが武道の理でもあった。無慈悲といえども、力量の差異に
針穴ひとつの勝機もそこには無い。端から見切られているのだから、手出しなど
できるはずもなく。
それが、人と蟻ほどの差があるというのなら、大妖・九尾狐(きゅうびこ)と
人との対峙になにが可能なのかと焦らずにはいられなかった。だが端から負けると
思うつもりも紫暮にはない。紫暮の心情というのは、幼き頃に培った愚直にも近い
勧善懲悪だった。
獅子と蟻ではないが、多勢に無勢で襲うは、勝負事ではないような気も実際
していて気分のいいものではなかった。ひとりの男として対峙してみたい
という闘争本能が、欲とでもいうべきものが紫暮を駆り立てていた。そして、
世情の変化が紫暮の精神をいつしか歪ませてもいた。
それが獣の槍への紫暮の驕りだったのかもしれない。それとも人としての、
大妖に臨む古よりの残された唯一の矜持だったのかもしれない。
須磨子と逢うまでの紫暮は苛立っていたに等しい。焦りが、いつしか恐怖に
変容していた。それは、ある意味、成長の証拠(あかし)でもあったのだが。
だから紫暮は無意識だったにせよ、恐怖に打ち勝つ為の槍を心底欲した。
力に縋ろうとしたが、それで己一人でなんとかなるとも思ってはいない。
時雨に打たれて彷徨っていた。須磨子に声を掛けられるまで。
「さあな」
「確かに御仏のお力は千。すなわち無限なるもの。しかし、それは慈悲の心で衆生を導く
ためにあるといいます」
「須磨子。やはり、出掛けるのはよそう」
「私、差し出がましいことを……申してしまい……」
須磨子の中の童女は泣きそうになっていた。
「部屋で寝(やす)みたい。己は須磨子を抱きたくなった。おま×こがしたい」
紫暮の戦いと鍛錬の節くれ立った大きな手が、たおやかな須磨子の手をきつく
握り締めていた。
「まだ……陽が高いと……存じます」
須磨子の動悸が早くなる。あけすけな紫暮の物言い。瞼がぼうっと朱にけぶる。
「十分暗い」
「これは」
「嫌か」
「私の話はつまりませんか……」
「ああ、つまらん。つまらんな。だから、己ともっと愉しいことをしよう」
「そんな……」
須磨子の貌が見る見る曇っていて、黒く吸い込まれそうな精神(こころ)の
眼(まなこ)はあふれそうなくらいに涙を張って濡れていた。何か紫暮が
ひとことでも言葉を掛けてしまえば、壊れそうなくらいに須磨子は儚くなって。
卑猥さではない。粗野なまごころといったところなのかと思った。真摯さも
紫暮に感じてもいて、それをどううけとめてやればよいのかの術を知らない
須磨子だった。すると……。
「からかっただけだ。精進怠らず、天に通ぜよ。須磨子はそう言いたいのであろう」
「……あんまりです」
哀しみに声が顫えている。私も紫暮さまと、おま×こをしたい……。須磨子も
お役目に命を賭けるのとおなじ、紫暮も妖魔討伐に日々命を張る。ぎりぎりの狭間で
命を燃やす。
紫暮は素直な気持ちを口にしただけだということを感じていた。柄は悪かろうが、
誠に生きている。羞かしいと感じた自分のほうが羞かいとさえ思える。自分もみだらを
口にしてみたい。欲望は募る。おんなとしての強い子孫を残したいという本能なのか。
「拗ねるのもまた可愛いな」
久しぶりの逢瀬に愛と春情が縺れて捻れていた。
「拗ねているのではありません。私は紫暮さまを……怒っているのです」
「赤紫蘇の粉は……、縁(ゆかり)と言うそうだ」
「いかが……されました……」
須磨子は訝る。
「己の名だ」
「……むらさき」
「そうだ。紫が暮れると書いて、ゆかりが喪失する。そういうことだ」
「紫暮さま……」
「わたしはずっと独りだった。確かによいものだな。こういう時が持てる
ということは」
紫暮は華奢な丸い肩を強く掴んで須摩子の躰を曳き寄せる。
「……夫と子への責務を考えれば、私はひどいおなごと言うより他ありません」
これも、人の素直な欲のひとつだと思う。そう感じれば感じるほど、普通で
いることが、人としていかに大切なことかを、須磨子はお役目として生きることの
おなごに痛みを感じていた。
「ながいかみじかいかではないということは頭ではわかっていても、どこかで
拒んでいる己がいるんだ……。須磨子」
この痛みは、迷い。ほんとうに我を通すというところから来るものなのでしょうか。
「はい」
「己は、須磨子と出逢え、一緒になれて十分に倖せだ」
そうなのですよね。きっと。……紫暮さま。
「でも……」
紫暮は須磨子の黒い大きな瞳を眩しがらずに真直ぐにみつめていた。須摩子は
長い睫毛を震わせながらも、応えていた。
「私も倖せです。ごめんなさい」
「それでいい」
「はい」
「須磨子」
「はい」
「己は、その時に笑えたらいいと思う。だから、奥ゆかしさが、須摩子の
すべてとは思っていない」
「私は……、わたくしは……」
「ん」
「このお役目を辛いと思ったことはござりません」
それは須摩子の決意でもあり、紫暮に送った愛の言葉。
「強いな。須磨子は。誠の武士の精神を持っている。それでいい」
「紫暮さまこそ」
「言葉ではなんとでも言えるしな」
「……」
「あっ、いや、須摩子のじゃなくてだな……。己は力だけに縋って生きてきた。
なにが力かも分からずにな。須摩子もそれに気づいて己を観ていたのだろう」
だから、あの時の涙はこころに鋭く刺さって来た。顫えるほどにな……。
「それを気づかせてくれた」
「いいえ。紫暮さまは強いお方です。私が保証いたします」
「そういうことは、先代に言ってもらいたいな」
「は……」
須摩子は紫暮の言葉が数瞬理解できないで、間の抜けた返答をしていた。
「あの梅干婆さんだよ」
「なっ、なんという」
「大それたなんて言わなくてもいいぞ」
「紫暮さま……」
「あの婆さんには、いまでもお前呼ばわりだからな」
「そ、そうなんですか」
「ん、なんか、こころなし口調が変わっておるな。さては己の正体に驚愕したか」
「あっ、いえ。なにもそのようなことは……」
着物の胸元で掌を立てて、慌てて左右に振って見せていた。
「よろしいですよ。でしたら、私に任せて下さい」
「冗談だよ。ほんとに須磨子は面白い」
「もう、紫暮さま」
語気を荒げて恋人を言い名付けて、須磨子は歓びを感じていた。なにげない
倖せを感じても肩に掛かった雪のように消える。しかし、喪失したのではなく、
精神に深く滲み込んでいって、須摩子のこれからの人生を、明日を信じる
生きるかがり火になる。
「紫暮さま……」
須磨子なりに、励まそうとしていることは、紫暮にはもちろんわかっていた。
紫暮は遠くをみつめるような眼差しをする。あしたは来るのだろうかと。
「己は……」
「紫暮……さま」
雪にふたりの足跡を残し、紫暮の逞しい肩に須摩子は頭を寄せる。逞しい
死線を潜り抜けてきた腕に、労わるように抱きついて、眼は潤みを見せていた。
かつては金色の体毛を纏っていた獣。此処大和に渡来して、玉藻前(たまものまえ)と
名乗りし者、人心を惑わし内丹を貪った。秀でた先人の力と知恵によって討伐
されたという。そのはずだった……。
しかし、大妖は難を逃れただけで、彼の地に深く眠り続けていた。その者は時の
流れ共に白面と呼ばれ、結界の懐で眠りながらも強大な妖力を……今も尚蓄えている。
その力の開き、どのように縮めればよいのか。こうしていても、紫暮はその
歴然とした力の差をひしひしと感じて皮膚感覚がぴりぴりとしていた。須摩子は
それ以上に体感しているのだと知って、強きおなごのほうをチラッと盗み観る。
伝承の槍に縋るだけでほんとうによいのかと紫暮は逡巡する。須摩子は熱い
眼差しを感じてどぎまぎしていたが、童女のように腕にしがみ付いて。守りたい。
守らねばならぬものがある。
「で、おま×こはするのか」
「ええっ。なっ……」
真っ赤に貌を染めて抱きついた手を離して俯いている。
「やはり、可愛い。さあ、行き先はどこなのかな。用事を済ませて掘りごたつにでも
入って、蜜柑でも」
「私は……、かまいません」
「なにが」
紫暮は素で分からずに須摩子に訊いていた。
「だから……」
「だから」
「おま×こです」
蚊の鳴くような顫える声であったが、紫暮の耳にはしっかりと聞こえた。
「ええっ」
「ええって、いったいどういうことですか。私が思ってはいけないのですか」
「だ、誰もそうはいっておらんよ」
「……もう」
「なあ、だったら、もういっぺん言ってはくれないか」
紫暮を掴む須摩子の指に力が籠って爪が立てられていた。次には拳が飛んで
来るものと思い覚悟した。
「紫暮さまと、おま×こが……したいです」
「おおっ。無上の歓び」
「ばっ、ばか……」
「ん」
「どうか……いたしましたか」
「なんか、誰かに見られているような」
「きっと、気のせいです」
「そうかな」
紫暮は人差し指で頬をぽりぽりと意味も無く掻いていた。
屋敷に戻って歳を重ねた年配の女性の付き人が、褥の用意をいたしますと
立ち去るのを須磨子は止めて、私がいたしますから、ときっぱりと言い切って
紫暮に礼をしてから部屋を出て行った。暫らくして須磨子は戻って来て。
「紫暮さま、ご用意ができました。寝所に……連れて行ってください」
「うむ。行こう」
屋敷の奥へとふたりは入っていく。広かった廊下はだんだんと細って、胎内に深く
入っていく心持ちになる。闇に深く分け入るような。そんな紫暮の気分を
察してか、須摩子が声を掛けた。
「紫暮さま」
「なんだ」
「暮れるはなにも、ただそれだけではありませんよね」
「そうだな。暮らすという向きもあるな」
「はい」
しっかりとした須摩子の明るさが発話されて、薄暗い廊下の闇を裂いていた。
――初めて観た須磨子の躰――
まばらに拡がる須磨子の陰毛。柔肉の綴じ目に近づくほどにおんながこゆくは
なっていたが、それでもまだまだ稚く感じる。お役目と躰がなにか関係してと
思うがそれが愛い。
須摩子の乳房も小振りで、量感に乏しいとは思わないが、顫えるさまを
観ていると、紫暮は肉情を駆り立てられるというより、甘くせつなくなっていって
静かに須磨子の肉体に狂っていった。
初交の時、躰を固くしている須磨子に、律動を止めて暫らくじっと抱き締めて
いたときのこと。
「紫暮さま……」
律動で揺さぶられて須磨子はたよりない笹舟になり荒波に揉まれていった。
肉棒の一突き一突きに、白閃光に灼かれる思いに泣いていた。それが
止んだのだった。
救われた思いがした。だのに、愛しい男に突き放された気にもなっていて。
「痛くはないか」
もっとしてください、紫暮さま。
「……はい」
もっと、もっと。
「正直にいってはくれぬか。ほんとに痛くはないのか」
「……ええ」
もっとして。
「そうか」
「紫暮さま。もう、おわりなのでしょうか」
「おわりというわけではないが」
「では、つづきをいたしてください」
「こうしているのは嫌か」
「嫌ではありませんが、じっとされていては……まだあそこは……紫暮さまに
馴染みません。ですから……おねがいいたします」
紫暮は、少し上体を起こした。
「馴染まないとは、なんのことかな」
「……」
下からかるく睨め付け、逞しい腕の筋を撫でていた須磨子の手が、紫暮の頬を
むぎゅっと摘んで捻り上げた。
「痛う……。なっ、なにをする」
「しりません……」
「なら、こうだ」
「あうっ、あ、ああ……」
「どうだ、降参か」
紫暮の指が須摩子の乳首をやさしく摘んでこねまわして引っ張り上げる。
それに吊られて白い柔肉は紡錘形になる。
「降参などと……はっ、はあっ」
「いきなりで、射精そうだったぞ。もっとしょうか」
「一思いに……駆けて来て……ください。あっ、んんっ」
「それでは」
二度三度突いて、須磨子は歯を食いしばりながら呻いていた。
「楽に構えて、己を感じてくれ」
「は、はい。紫暮さまあぁぁぁ……」
瞼を閉じ合わせていても、爛れた美富登に突き入る、紫暮の下腹の黒い茂みから
天上を突くようにそびえていた錆朱の肉棒をまざまざと幻視していた。女性器の
肉粘膜は血を吐きながら、その色を極めて臙脂に近づいて絖っていると。
逢瀬ごとの同衾(どうきん・ともねのこと)の重ねにより、ふたりの想いが交歓されてゆく。
それだけとは言わないが、怯え、非力な者であることを知って、狂おしいまでにお互いが
求め奪い合った。なぜなら、夫婦としてのあたりまえの歳をいっしょに重ねることは
誓約(やくそく)されはしないことだから。
口に出さなくとも、男女(おめ)が春情に悶え狂おしくなるさまが精神に伝播し、渇望を
生むのだった。そして、高みに昇り詰めた時、記憶も無くすほどの歓びに打ち顫えて
深き眠りに落ち紫暮と須摩子は癒されていった。
―そして最後の一年が始まる――
鮮やかな正絹の朱色の帯び締めを落とし、帯を解きに掛かったところで、
堪えきれなくなった紫暮が背中から須磨子を抱き締めていた。華奢な丸い肩に
両手を添えて須磨子の貌を覗き込む。
須磨子は伏し目がちに、ほっそりとした頤を曳いて「紫暮さま……、ずっと
この時を待っていました」とそっと発話した。性愛の残り香は日が経つにつれ、
くすぶっていて、いつしか焔へと変容する。羞恥と春情の間だで春水を芯から
洩らしながら想いを募らせていた。その瞼は朱を極めて長い睫毛を震えさせていた。
それは紫暮もおなじ。もしもかりに、玄関で須摩子に出迎えられていたなら、
須摩子の匂い立つ香にも狂わされて、押し倒して犯していたやもしれなかった。
かたちこそ、最初は拒んでも須摩子は紫暮を受け入れるであろう確信はあったが。
須磨子の臀にまで掛かる濃やかな黒髪は、紫暮に背から抱かれて肉情に妖しく
縺れていった。須磨子の臍の上で組まれていた紫暮の手は離れて、着物越しに
喘ぐ乳房を鷲掴み、烈しく揉みしだく。
「いっ、痛い……」
紫暮のこわばった両手が弛緩すると、須磨子の手が乳房を覆う紫暮の手の甲を掴んで。
「やめないで、くださいまし」
「いいのか」
「はい」
「痣になるかもしれない」
「……ほんとですか」
「うそだ」
「いじわる。でも、構いませんから」
「泣くなよ」
「泣きません……から。早くして」
「わかった。参る」
乳房を強く揉まれて「あううっ」と須磨子の貌に苦悶が走った。凛としたこゆく
太い眉を吊り上げて眉間には縦皺を寄せる。須磨子の精神を反映して黒く棲んでいた
瞳は色に惚け。そして、ぽてっとした愛らしい唇が花を咲かせて白い雫をこぼれさせる。
眦を濡らして。
紫暮は緩んだ帯を落としてから、須磨子の裾を割った。掌は須磨子の右膝小僧を
包んで撫で廻した。羞恥から須磨子は両膝を閉じ合わせようとしたが、ぐいっと
開かされる。
「ああ……堪忍」
「してって、いったじゃないか」
「……もっとして」
須磨子はきゅっと下唇を噛みしめていた。紫暮の掌は膝から離れて、五つの指頭が
その上を這って窄まり、またひらくようにして掌が付いた。
「はっ、はっ、はっ」
「昂ぶっている」
「はっ、はい」
そうだった。素肌を直に愛撫されているわけでもないのに、躰は熾火になっていた。
紫暮の右手は潤い始めた秘園を目指して這い上がってくる。そして、左の乳房を
揉んでいた手は須磨子の濃やかな黒髪を右から束ねて左肩に流す。
晒されたうなじの生え際に唇を付けられて躰をくねらせた。やがて頸筋に廻り込んで
頤を唇で挟まれて、濡れた唾液の痕を残す。
「ううっ、うあ……、ん、んんっ」
舌が差し出されて、白粉を薄く塗った頬を舐め、すうっと耳朶を目指してなめくじが
這ったようなキラキラとした軌跡を残しながら。濡れそぼった秘園を探り当てられ
そうになって、須磨子は両太腿を閉じようとする。
紫暮の手は内腿から膝を跨いで須磨子の臀部に廻り込んだ。そして左の臀肉を
むずんと掴み、裂かれるみたいに外側に引っ張る。須摩子は女陰と菊座が痙攣して
みだらなひくつきをみせていたが、外側へと粘膜が開放されるような幻視を紫暮は
須磨子の躰に強引に刻印したのだった。
「んっ、んっ、んあっ」
それでも閨声を上げまいとして必死に堪える須摩子。その強情さと健気さに
紫暮は惚れて、尤態をみだらに崩すことに躍起になった。
たまらなくなった須磨子は狂ったように躰を揺さぶりだし紫暮の顔を、
その濃やかな黒髪で叩いて嬲っていた。あたかも、臀にあたる紫暮の怒張を
誘っているようにも思えて、金茶地に咲く白椿を摘み取って、薄桜の襦袢に須摩子を
するといっしょに白い寝具へと縺れ落ちる。
「あっ、はあ、はあ、はっ、あっ、あっ」
紫暮はだて締めを緩めに掛かり、裾を割ってしっぽりと濡れている秘園を掌で覆うと、
ぐぐっと須磨子の臍に向かって曳き上げたのだった。
「んああっ、あうっ、ああっ、ああ……」
一度目の衝撃から、数瞬の間隔を置いて、連続して二度三度と繰返した。須磨子は
横たわった躰をびくんびくんと跳ねるように痙攣させてしまう。とうとう泣き出して、
それでも背中にいる紫暮を誘おうと、腕を後方にやり、火照る貌を捻って、紫暮の頬や頭、
背を撫で廻していた。白く細い腕に黒髪が白い波から引き摺られるように揚がって、
尖った肘が肉情に濡れた、せつない美貌のところで揺れた。
紫暮は衿から手を忍ばせて須磨子の胸板の肋の波打つ場所に掌を圧した。須摩子の
烈しい鼓動を確かめた。その所作が須磨子の胸を熱くする。ぬくさが躰に波紋のように
拡がってゆく。
紫暮はもう一方の手で自分の着物を解き、肉棒を寝所の澱んだ気に晒すと、須磨子の
襦袢に覆われた臀部にぐいぐいと擦り付けた。
「美臀だ」
「ひっ、いっ、いやあぁぁぁ……」
「豊穣のあかしだな」
「字が……字がちがいます」
「なぜわかった」
「だっ、だってお臀を、あっ、あ、ああっ」
それでも我を残し、まだ乱れていない須磨子に苦笑しながら美臀を錆朱の尖端で
大雑把に荒く突く。
「おなじだ。田んぼも、おなごの臀も」
「強情なのですね」
「強情なのは須磨子だ」
「……そっ、そんな」
「しかし、痔とはな」
「なっ、なにをもうされて」
「詮索せぬほうが、須磨子のため」
須磨子は薄青を底に湛える白い裸身を、白い波から桜の花弁を散らせた場所に
仰向けにして紫暮を待った。錆朱色にてらてらする紫暮の亀頭が開いた華に近づいて、
女芯を捉えた。
須磨子は両膝を寝具から浮かせて、しなやかな肢体を弓反りにして顔を仰け反らせる。
一時に最奥を極めようと、ずぶっと突き刺した。
「んんっ」
須摩子は仰け反って頤を衝きあげて、そのまま横を向いて唇を噛み締めて、
がくっと迫り上げた閨橋を白い寝具の波に沈めた。灼けるような羞恥から、紫暮の
女陰を愛撫する顔を、須摩子の顫える両太腿の内側で挟み込んで、「いやっ」と小さく
発話した。
両腕を返して敷布を掻き集めていた須磨子は、しなやかな指の握りを開き、
股間で動く紫暮の黒髪を捉まえる。白い小振りの両乳房は内側に搾られて深い谷間を
つくっていた。
「んっ、んん。んんっ」
股間では紫暮の乱れた黒々とした髪と須磨子の白雪の如き柔肌が寝具にのたうつが、
須磨子の甘い嬌声は歯によって阻まれて、開放されずにくぐもった声で寝所を濡らし。
そして、須磨子のあふれさせる春水を啜る音が響いていた。屋敷の奥の寝所は陽光を
阻み、代わりに竹細工のランタンが褥から少し離れた場所に一基設置され、寝所の
四隅に燭台の灯りが掲げられていた。
ほの暗いというには少々趣を異なるものとしてはいたが、それでも絡み合う
浅黒い肌と白雪の肌の二重奏を橙色に妖しく包み込んでみだら絵を描き出していた。
そして、ふたりの嗅覚からも春情はけしかける。香木が焚かれていた。それは
性臭を緩和させるためのものではあったが、須磨子の吐き出した春水と合わさって
甘ったるい芳香を漂わせていた。
けれども、須磨子の月はまだ満ちてはいない。紫暮と須磨子の和合水が吐き出されれば、
薔薇を腐す芳香へとまた変容する。深く蕩けるその刻を躰は身悶えながらも精神は
研ぎ澄まされて静かにその刻を待った。
軋むほど躰を抱き締められて、烈しく喘いでは脾腹に肋を浮かばせ、白い喉を紫暮に
晒して頭を仰け反らせる。律動を繰り出されては、唇を捲って閉じた歯を剥く。眉の上で綺麗に
切り揃えられた前髪が、白い額を露わにして、両頬にはほつれ毛を汗に張りつけ、重い呻きで
褥を濡らしていく。
「んっ、ん、ん、う、う、うっ」
須磨子は閨声を噴かぬようにと堪えていた。紫暮が須磨子を衝きあげると、堰を
切ったように喚いた。
「うっ、うあっ。んあっ、あっ、う、ううっ、うあああぁぁぁ……」
総身を快美感が駆け抜ける。唇をいっぱいに開いて、口周りに皺をつくると眉間には
しっかりと深い縦皺をつくって叫び、紫暮はこれまでにない締め付けに、こめかみに汗粒を
どっと噴き上げた。
その汗は流れて須磨子の喘ぐ乳房の素肌にも滴り落ちていた。更に一突きで須磨子は
橋を描いて乳房をぐんっと迫だしたのだった。紫暮は頤を引いて、須磨子の姿態を
いま一度堪能して見下ろした。
ぷくっと膨らんだ乳暈にしこった乳首が愛しさを募らせ、のたうつような白い蛇に
止めを刺しにゆく。浅く浅く天井をこそげるように衝きあげ、ずぶっと子宮を圧し上げた。
須磨子の嬌声の変容を見極め、紫暮はもう律動に手加減はしなかった。どくどくと
あふれる精液に、須磨子の膣内の肉襞は蠕動を行ないながらひくついていた。
なにもかもが、開放される場所に紫暮はいた。戦いに身を置いた男が初めて味わう
安らぎの刻は限られていた。そして須磨子も狂おしい交媾に排卵を刺戟されていた。
千の慈愛で衆生をみつめて守り、千の手で衆生を救う者。紫暮が抱いたのは、須磨子は
そんなおんなだった。そして、九尾狐を見張る結界の要となったおなごが辿り着いた誠。
「京花紙か」
縦二十六センチ、横二十センチ、高さ六センチの白木の箱の蓋をずらして、
須摩子は京花紙を数枚手に取った。
「お清めいたします」
楮(こうぞ)という桑科の樹皮の細く長い繊維から精製したもので、
おだやかな朝陽のような質感を持つ。そのいのちで、紫暮の柔らかくなった
逸物を須摩子はそっと包んだ。
「繊維束……か」
「どうされました」
「竹だよ」
「あのしなやかな竹ですか」
「ああ。繊維一本は短くて使い勝ってはよくなくとも、繊維束になれば、引っ張る力は
鋼鉄の一・五倍近くにもなるそうだ。三本の矢よりも理に叶っているだろう」
「紫暮さま。私は倖せです」
「そうだな。ならば己は掛かる凶兆に備えよう。もう一度、掌中の玉に逢うことを此処に、
己は誓約(ちか)う」
「紫暮さま、ありがとうございます」
「礼を言うのは、むしろ己のほうだ」
あたえられた二年は紫暮と須磨子を強くしていった。救いの珠を授かることが
そうさせたのではない。お互いを愛しむ精神がふたりを高めていった。
ふたりの世話をしていた付き人の述懐によれば、最初の年と白面との対峙の
はじまりの日(紫暮と須磨子が心を通た期間を経てという意味において)とでは紫暮と
須磨子は別人だったという。
「ありがとう」
どちらともなく、ふたりの声が重なって笑っていた。
「須磨子」
「はい」
「風呂場でも抱きたい」
「……」
「やはり、ダメか……」
「あんまり、無茶はしないでくださいましね」
「大きいし、檜風呂だし、ここのはくつろげる」
「そうではなくて、あまり湯舟に浸かっていたなら」
「のぼせるものな。だったら、すのこで須磨子を抱こう」
「……」
「どうした」
「躰がごりごりして、痛く思います」
「それが、たまらんのだ」
「そうですか」
「そうそう」
「誰かとお試しになられたとか」
「そうそうって……んなわけがあるか」
「あやしいです」
「ほれ、ゆくぞ」
寝具を起きて、京花紙の白木のところで爪先を立てて正座している須磨子を横から
抱きかかえる。
「きゃあっ」
横抱きにされて須磨子は小さく悲鳴を上げた。
「……」
「いかがされました」
「あっ、いやな」
「なにやら、ボキッと音がしたような気が」
「そっ、そうか。やはりしたのか」
「たっ、たいへんです。誰かを呼んできます」
「己はこのまま風呂に行く。須磨子もいっしょに」
「でしたら、降ろしてください」
「ダメ」
「無体な。わらしみたいです」
「それでも構わん。己はゆくぞ」
「もう……勝手にしてください」
紫暮はよく笑う男になったという。夫婦になれば、守りに入るばかりに、攻撃性が
薄れるとはよく言われることだったが、礎を持った男は己に更に厳しくなったという。
ぴりぴりとした余裕のない殺気立った感じは消失していた。
「綺麗でしょう」
紫暮は本尊の軒反りの曲線をじっと眺めていた。
「ああ。須磨子がな」
そういわれて、素で須磨子は悦んでいた。
近況の報告に本尊に出掛ける前のこと――。
「どうですか」
藤色のブラウスに、褐色(かちいろ)のタイトスカートに鳥の子色のシームバック・
ストッキングという出で立ちだった。太腿のシリコンストッパーのレース地には鴇色の
リボンが結ばれていた。
「どうといわれても」
生臭坊主、さすがに妻となった女の姿を見てエロいとは言えない。かといって、綺麗とはつまらない。
「ドラエもんよりはいいかな」
「それだけですか」
「あ、いや」
また、人差し指で頬を掻く。
「いや……だけですか。それはもう、おやめください」
「どうして」
紫暮は須磨子の真似をして唇を尖らせる。
「小ばかにされているみたいです」
「そうか」
「そうです」
「そっか。すごくいい。うん。ドラミちゃんもびっくりだ」
「もう。ドラミってなんですか」
「須磨子はドラミを知らんのか。己はつい最近知り合いになった」
「そうじゃなくて」
「そうじゃなくてって」
「もっと、気の利いたことを聞かせてくださいまし」
「す、すまん。だ、だから……綺麗だ」
ぶっきら棒でも須磨子には紫暮のせいいっぱいの心根が十分にうれしい。
「やはり、着物がいいと思うぞ。どうする」
僧衣と道行着すがたの男女が本尊の軒反りを眺めていた。
「あ、ありがとうございます……」
「うむ。あの繊細な曲線が、こう来てだな。須磨子の裸形を思わせるのだ」
身振り手振りで比較を論じる。
「なっ、なんということを申されるのですか」
「そうは思わぬのか」
「私の裸となんの関係が」
須磨子はほんきで怒っていた。しかし、紫暮の発話はふっとなにかを抜く。
「無駄な美しさではないということだ。凛としているおなごのような気がする」
「……」
「泣くなよ。これから先代に会うのだからな」
「私は泣きません」
「羞かしいといって泣くなよ」
須磨子の貌を覗いて来る。
「だから、泣きませんと言っていますのに。叩きますよ」
「よし。じゃあ、行くとするか」
突然、紫暮は須磨子の手を握り締めて。
「紫暮さま。そんなに、強く引っ張らないで」
「あなたといえば、緩める」
「あ……」
「どうした。ほら、言ってみてくれ」
「……あなた」
「己は先代が苦手でな。物腰はやわらかなのに、隙がまったくといっていいほど無い。
否、全くだ。だから、こうして勢いをつけねば、謁見できぬのだ。言っておくが、
山車にしたのではないからな」
「あなた」
「どうした」
「私に隙はあるのでしょうか……」
「己ぐらいには、もっと隙を見せてもらいたいものだな」
「もっと甘えてもよろしいということなのですね」
須磨子の貌は童女のように、ぱっと華やいでいた。
「そういうことだ」
「あっ、それはドラエもんの口真似ですね」
「ちがう。そっ、そんなことはどうでもよい。ほら、あの婆さんに会いに行くぞ」
「そんなに強く引っ張らないでください」
「でも、先代はきっと」
「……紫暮さま。いかがされました」
「己の力量ではまだまだ先代の足元にも及ばんという事さ。だから隙など
感じることはできない」
紫暮の先代に寄せる苛立ちでもましてや嫉妬でもなくて、男の垣間見せた余裕が
須磨子の躰をふわっと包み込む。
そんなことを言う紫暮は須磨子に笑っていた。ほっとしたと同時に胸にぬくいものが
サァアッと拡がっていった。
九百九十九の荒事をして、ひとつだけの穏やかな心内を見せるは、卑怯な兵法では
ありませぬか、と申したのは、夫婦の近況を本尊にふたりして報告に赴いたときの、
紫暮に掛けた先代のお言葉。
「おまえのしたことは須磨子には、千にも勝るものに映ったのやもしれませんね」
先代と須磨子は愉しそうに笑う中で、紫暮だけは蚊帳の外で憮然としていたらしい。
「さて、おまえ。婆さんとは誰のことかな」
「須磨子」
「私はなにも、申してなどは」
「須磨子を触媒として様子を窺っていたのです」
「げっ、まさか」
「なにか、須磨子によからぬことでもしたのですか」
「こっちが訊きたいくらいだわな。なにを見ていたのか」
「なにをぶつぶつ申しておる。はっきりと申しなさい」
「いっ、いえ。なにも申しておりません……です。はい」
紫暮は畳に額を擦りつけた。
―――― 『むらさき』――― 終わり