僕が彼女に出会ったのは、中学3年の短い冬休みを利用して  
苫小牧の親戚の叔父の家に厄介になっていた頃だった。  
 
「うん、大丈夫。冬休みが終わる頃にはちゃんと帰るよ…  
お母さん、そんなに心配しなくてもいい。僕は以前とは違うから」  
 
そう、去年の夏休みの後の事件で、僕は生まれ変わった。  
あの日本中、いや、世界中を恐怖の渦に陥れた白面の者の恐怖をも乗り越え  
真っ直ぐに立ち歩む勇気を手に入れた。  
……いや、そんな大それたものじゃあないな。  
ただ、人並みに歩み出せるようにはなったつもりだ。  
以前の僕は俗に言ういじめられっ子だったのだから、  
その頃に比べると遥かに成長していると思いたい。  
 
「わかった…うん、おじさんにも伝えておくよ。じゃあ、また」  
 
そう言って会話を切り上げ受話器を置く。久しぶりの母親の声が名残惜しくはある。  
しかし、もうすぐ高校受験だ。  
息抜きを兼ねての北海道滞在とはいっても勉強を欠かすわけにはいかない。  
それに、市外電話じゃ電話料金もバカにならないし。  
さて、おじさんが用意してくれた勉強部屋にでも篭るかな、と考えてたところ…  
 
「ピンポ〜ン♪」  
「おじさんたち出掛けて居ないのにお客さんかなあ…集金とかだったらどうしよう?」  
 
「どちら様ですかー」  
玄関先から訪ねる。  
 
「隣の檜山ですけど、回覧板です」  
おそらく僕と同じ年頃と思われる女の子の声だ。  
「はいはい、いま開けま……わわわっ!?」  
濡れた玄関の床は寒さで氷が張っていて、僕は足を滑らせてしまった。  
そのまま扉に突撃し、なんとか転ぶことだけは回避できた、が…  
 
ぽふっ。  
 
あ、なんか柔らかくて心地良い感触が、顔と右手に。  
あまりも触り心地が良いので思わずそれをまさぐってしまったり。  
 
「はっ!?ゴメ…」  
「ちょっと…アナタねえっ…!」  
 
その子との出会いは最悪だった。  
痴漢呼ばわりされて殴られるわ蹴られるわ…。  
用事から帰って来たおじさんたちは  
僕の顔についた平手の跡と話を聞いて笑ったけど、まったく冗談じゃないよ…。  
 
 
──翌日  
 
 
気分転換の散歩に出たところで  
昨日の女の子とばったり出くわしてしまった。  
彼女はこちらの姿を目に留めるなり睨んできた。激しく。  
 
「あ、あのさ…昨日のことは悪かったけど、あれ、わざとじゃ……」  
誤解を解こうとしどろもどろで言い訳をする。  
「わかってるわよ、そんなこと!でもね、女の子があんなことされて、  
はいそうですかって許せると思う?」  
「確かに…ゴメン」  
 
まだ睨んでる。  
そこで僕はこの、ちょっと元気の良さそうなこの女の子の名前を知らないことに気がついた。  
 
「ええっと、君は檜山さん、でいいんだよね?」  
「檜山勇よ」  
「ありがと」  
「私が名前を教えたんだから、貴方もさっさと教えなさい」  
「冬休みの間の短い付き合いだけど、よろしく。僕は…」  
 
そこで初めて彼女、檜山勇の笑顔を見た。  
素直に、可愛い。そう思った。  
性格にはちょっと激しい部分があるみたいだけど…  
 
僕の名前は野村信一。  
青函トンネルの妖怪事件で蒼月潮という少年に会い僕は生まれ変わった。  
そして、先生のような、生徒と正面から向き合える教師になると決意したんだ。  
 
 
「ふう…雪ってこんなに重たいんだな」  
 
僕は昨夜の大雪で積もりに積もった雪を除雪している。  
これは受験勉強で篭りっきりでの生活からの運動不足の解消も兼ねて  
自ら申し出たことだった。  
それに思った通り…隣の家の軒先に目をやる。  
 
「ようやく、半分ね」  
 
そう言って勇ちゃんが笑いかけてくる。  
微かに疲労の色と汗が浮かんだ熱っぽい表情と視線に思わず手を止め  
見とれてしまうが、はっとして笑い返す。  
 
「ひょっとして、いい感触なのかな…」  
 
そこで受験のことを思い出し、いかんいかんと首を振る。  
女の子のことより、今は勉強第一だぞ、野村信一!そう自分に言い聞かせる。  
 
「なにやってるの?」  
「わあああああああああああああああああああっ!!!!」  
 
脳内で苦闘していることろをいきなり話しかけられ  
本気で驚いていまった…話し掛けた勇ちゃんもびっくりして尻餅をついている。  
 
「き、急にどうしたのよ?あ〜あ…濡れちゃったじゃない!」  
 
不機嫌そうに頬を膨らませ睨んでくる。  
でも、もうこの間みたいな敵意のある視線じゃない。  
その表情に、またぼうっと見とれてしまった。  
 
確かに可愛い子だけど…溜まってるのかなあ  
そういやこっちに来てから…なんてことを考えてたら  
また顔を覗き込まれてるのに気がついて我に返った。  
しまった、今の妄想を考えると思い切り気まずいじゃないか。  
 
「そ、そういやさ、北海道ってやっぱり相当に雪降るんだね。  
 こんな一面白銀の世界なんて生まれて初めて見るよ」  
「う〜ん、私は去年苫小牧に来たばかりでよくわからないんだけど…」  
「元々ここが地元じゃないんだ?」  
「うん」  
 
話題をそらすのに成功して内心ほっとしていた僕は、  
おそらく悲しげな表情をしていただろうその時の彼女の様子には気が回らなかった。  
 
「でも、北海道では苫小牧は雪が少ない方で、こんなに積もることは  
 滅多にないらしいよ。札幌やうしお君のおじさんの家がある旭川はもっと雪が深いらしいけど…」  
「えっ、なんだって?」  
「あ、ゴメン。うしお君ってね、私のお友達で──」  
「その『うしお君』てひょっとして、あの、蒼月潮?」  
 
母さん、世間は広いようで狭くもあり…なんてことを考えたりもした15歳の冬でした。  
 
 
 
「私、うしお君が好きだったんだ。でもね、彼にはずっと昔から…  
私と会う、ずぅ〜っと前から好きな人が居てね…」  
 
雪ハネを終えると、僕の勉強部屋に勇ちゃんを呼んで色々な話をした。  
勇ちゃんを連れて家に帰った時はおじさんたちに冷やかされたが。  
 
「そうなのよ、信ちゃんったら受験が控えてるのに女の子を連れ込んでね  
うん、うん、その子が隣の家の勇ちゃんて子なんだけどね」  
 
階下から嬉し気な話声が…まる聞こえだよおばさん。  
電話の相手は、僕の実家か。  
こりゃあ、後でなにを言われるやら。  
勇ちゃんと2人して真っ赤な顔を見合わせたのは  
気恥ずかしくも嬉しいことであるが。  
 
「じゃあ、その衾って化物にお父さんを殺されて…大変だったんだね」  
「その衾や白面のせいで亡くなった人、親が死んで残された子供も多いんだし、  
私だって特別じゃないよ」  
「勇ちゃんは、強いなあ…」  
 
以前は妖怪の存在も、身近な人が死ぬなんてことも考えすらしなかった  
僕からしてみたら、勇ちゃんは本当に強い子なんだと思えた。  
人は死を身近に感じて、より成長できる。  
もちろんそうではない人も多いだろうが、僕はそうだった。  
運が悪ければ、初めて出会った死の予感にあのままあの世まで連れて行かれてしまっただろう。  
僕も勇ちゃんも、妖怪の餌食になりかけたところを  
運良く不思議な槍を使う少年、蒼月潮と同席したが為に命拾いをしたのだ。  
2人の内どちらかの運命の歯車がちょっとズレていたら…  
すでにこの世にはなく、こうして出会うこともなかっただろう。  
蒼月潮は2人の、いや、今生きている日本中の人々の恩人なのだ。  
 
「で、神居古潭での話なんだけどみんなでうしお君をね〜」  
 
そう考えると、勇ちゃんがこうして繰り返し蒼月の名を口にするのも  
悔しくはないと思える。  
蒼月潮の名を声にするときの勇ちゃんの目は輝いている。  
その時の視線はすぐ側にいる僕なんて目に入らないようで、  
憂いを帯びた表情はなんとも表現し難い。  
……やっぱり、ちょっと悔しいかなァ。  
 
「勇ちゃん」  
「え?あ、ああ…ごめんネ。私ばっかり話すのに夢中になっちゃって」  
「僕じゃ、蒼月の代わりになれない、かな?」  
 
時間が止まった。  
僕は勇気を振り絞って勇ちゃんに顔を寄せる。  
僕以上に勇ちゃんの鼓動も高鳴っているのが感じられる。  
 
「でも、まだ私たち会って数日しか経ってないよ…」  
「関係ないよ。僕、勇ちゃんを好きになっちゃったみたいなんだ」  
「べ、勉強だって、受験だって…あるし……」  
「それも、関係ない」  
「わ、わからないよそんなの、急に…信一君は、いい人だけど…」  
 
ドクンドクンドクン…と、僕達の感情の高まりなど知らず  
CDコンポから呑気に流れ続ける音楽さえ掻き消すように、  
まるで2人の鼓動が空間に響き渡っているかのようだ。  
彼女は、怯えて震えている。  
それは今までと違う男の僕が恐ろしくてなのか、  
僕の想いを受け入れる事で彼女の中の蒼月が消えてしまうのが怖いのか、それはわからない。  
ただ、身を縮こませて震える勇ちゃんは、  
僕が知っている明朗快活な姿からは想像できないほどに小さく弱弱しく見え、  
守ってあげなくてはという想いが強烈に芽生える。  
 
( 蒼月潮…男ならさ、こんな勇ちゃんを、ひとりぽっちにさせちゃあいけないだろ? )  
「あっ!?」  
 
勇ちゃんへのいとおしさが弾け、我慢できなくなった僕は彼女の肩を掴みグッと身を寄せた。  
互いの震えと鼓動、そして温もりが伝わり理性が崩壊しそうになる。  
彼女は僕の目から視線を逸らさない。いや、逸らせないのだろう。  
その潤んだ瞳に吸い込まれるように僕は顔を近づけた。  
 
「だっ…だめだよ…」  
「なにが?」  
 
更に顔を近づける。  
僕の中で、性欲が彼女への純粋な愛情を凌駕し、膨れ上がって爆発しそうだ。  
もう我慢できない…。  
頭の中が真っ白で勢いに任せてこのまま勇ちゃんを押し倒してしまいそうだ。  
ふと、彼女が視線を落とす。  
 
「ゴメンネ…」  
 
勇ちゃんのその一言で、切れてしまいそうだった理性を取り戻した。  
僕は、何をしようとしていたんだ…欲望のままに彼女を汚してしまうところだったのか。  
そう思うと情けなくて涙が出てくる。  
 
「僕こそ、ゴメン。勇ちゃんを怖がらせて、傷つけて…」  
「ううん、いいよ。……信一君」  
「え?」  
 
頬に柔らかい、優しい感触。  
 
「今日はこれで、許して、ネ?」  
 
勇ちゃんが恥ずかしそうに微笑む。  
何が起こったか一瞬理解できなかったが、釣られて僕も笑い返す。  
はっとして頬に触れ、彼女の唇の感触を思い起こし、顔を見合わせて再び微笑み合う。  
許すも許さないもないじゃないか。  
その笑顔で許されたのはむしろ、僕の方なのだから。  
 
そうして我に返り、自信の行動と言動を思い返し、そして、止めに頬へのキス…。  
僕の頭の中は完全に舞い上がっていた。  
 
「じゃ…じゃあ受験勉強の続きでも、しししようかあ〜!」  
「ちょっ、とォ…信一君っ!?」  
ズてテ〜ンン!!  
 
「イタタタタ…」  
 
ロクに前見ないで狭い部屋を歩くもんだから  
お約束っぽく勇ちゃんに突撃をかましてしまった…。  
もつれて倒れ込む2人。  
更にお約束っぽく。  
「はれ?」  
手にふにふにと柔らかな感触。  
「ゴッ…ゴメ…」  
「…っ、きゃ…!」  
 
ガシャーン  
 
なにやら後方で物を落としたような音が。  
最悪の事態ってやつ、そこには差し入れを持って来たらしいおばさんが。  
「し…信ちゃん、貴方…なななななああああああああああああああああああっ!!!!!!」  
「わわっ、わわああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!」  
「きゃああああああああああああああああああああああああっ!??????????」  
 
がっしゃーン、ドーソ、ばっしゃーん  
訳も分からず3人で部屋を走り回る。  
ご近所まで響き渡る迷惑な悲鳴を上げながら。  
いろいろと賑やかな、1日、で、した…はあ〜あ。  
 

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