子の刻。そろそろ人間どもが夢の世界へ行く時間だな。  
うしおも腹出してぐうぐう寝てらぁ。  
こいつ…またげりチビになりそうだな…。  
ま、正露丸にせいぜい助けてもらうんだな。  
妖にとっちゃあこれからが本格的な活動時間よ。  
わしはこれから夜の散歩と洒落込むかね。  
わしはうしおの部屋の窓からふわりと外へ飛び立った。  
ほう、今晩はまたえらく月がきれいだな。  
わしも「てれぴん」で今の世の中に詳しくなったのよ。  
こういう晩、人間どもはススキ飾って酒を飲みつつ、  
団子をつまみにして月見をするんだと。  
ふーん、月見ねぇ。月は見られるが酒と団子がねぇな。  
団子は「でざぁと」だな。そうとなれば行き先は…。  
 
『マユコ』  
窓の外から声を掛けた。  
「とらちゃん!どうしたの、こんな時間に」  
からからと軽い音がして、マユコの部屋の窓が開いた。  
『バーカ、妖には時間なんぞ関係ねぇのよ』  
「うふふ、そうだったね」  
こいつはいつだってわしの姿を見れば嬉しそうな顔で笑いやがる。  
チョーシくるうぜ、ちったぁ怖がれよ。  
「ごめんねぇ、今日はハンバーガーの買い置きがないんだ。  
明日買ってあげるね」  
マユコはわしを部屋へ招き入れつつ、申し訳なさそうな口調でそう言った。  
はんばっかは美味いが、今日はいいんだよ。  
マユコは「べっど」とかいう寝具の乗っかったやつの上に腰掛けると  
自分の隣を手でぽんぽんと叩く。  
わしに隣へ座れと言っているらしい。  
このわしの隣に喜んで座る奴なんざぁ、  
世界広しと言えどもおそらくこいつくらいだろうぜ。  
まったくこのわしを何だと思ってんだか。  
…わしがそこに座るまで、そうやってにこにこしながら寝具を叩き続けるのか…?  
ちっ…。しゃーねーなぁ。わしはふわりとマユコの隣に座った。  
 
『マユコ。わしは今日、おめぇを喰いに来たんだぜ』  
「わぁ、本当に?」  
おい、何つー顔してんだよ。何だその満面の笑みは。  
『今晩みたいな月の晩、人間どもは月見をしたりするんだろ?』  
「あ…。わぁ、キレイなお月様…」  
マユコが窓の外にぽっかりと浮かぶ月を見て感嘆の声を上げる。  
『それでよ、今宵はわしも酒を飲みつつ団子を食べるのよ』  
「うん」  
『酒はともかく、団子は「でざぁと」だよな』  
「うん」  
『わしにとって「でざぁと」と言えばおまえのことよ。  
だから今夜はおまえを喰いに来たのよ』  
「そっかぁ。うん、分かった。とらちゃん、美味しく食べてね」  
『おい…。おめぇ、本当に分かってんのか?  
わしに喰われるってのに何でそんな嬉しそうなんだよ』  
「だって…。その…とらちゃんになら、食べられてもいいから…」  
わしはマユコの白くて、でもすんなりとした細い腕を掴むと  
胸元にぐっと引き寄せた。  
『今日はイノチまでは喰わねぇよ』  
そんなことしたら、またちび槍人間のくそうしおにどつかれるからな。  
マユコは不思議そうな顔でわしの顔を見てやがる。  
 
「…どういうこと?美味しく食べてくれるなら…」  
あー、もう。こいつは全然分かっとらんな。  
『いいか、今日わしが喰うのは、おめぇのその美味そうな身体よ』  
「え…?あ…」  
ははは、やっとわしの言ってることが通じたようだな。  
耳まで真っ赤になってやがる。  
「でざぁと」はこうでないと喰いでがない。  
『それともうしおに喰われたいか?』  
マユコの耳元でそう囁いてみる。  
「えっ…。ううん、そんなこと…。とらちゃん、あの…」  
真っ赤な顔で俯いたまま「…優しく、してね」と来たもんだ。  
やっぱりこいつは何にも分かっちゃいないようだ。  
でも、まあ「でざぁと」は繊細なものと相場は決まってらぁな。  
ここはひとつマユコの言うことを聞いてやるかね。  
『ばぁか、妖に優しくしてくれとか言ってんじゃねぇよ』  
わしは指先でマユコの頭をくしゃくしゃと撫でる。  
赤い顔のまま、それでも真っ直ぐにわしの目を覗き込んだマユコは  
わしの鼻先を両手で包むとそっと口付けた。  
「でも、とらちゃんはいつも優しいよ」  
ふうわりとした笑顔。こいつはいつだってそんな風に笑いやがる。  
ったく。マユコといる時のわしはどうもチョーシが出ねぇ。  
分かっちゃいるのに、何でわしはこいつに会いに来ちまうんだろうなぁ。  
 
 
マユコの小さな身体を引き寄せる。  
おーおー、また随分とこわばってやがるなぁ。  
これじゃ喰っても美味かねぇ。  
『…おめぇよぉ、本当は怖いんじゃねぇのか?』  
マユコはわしの胸元に顔を埋めたままふるふると頭を振る。  
「違うよ。私、とらちゃんのこと、  
今までいちども怖いと思ったこと、ないよ」  
『はぁ?』  
凶悪の妖怪と人から畏れられ、  
この国の妖の内で無敵を誇ったわしを「怖くない」だとぉ?  
マユコはわしの胸元に埋めていた顔を上げると、  
妙に真剣な顔できっぱりとこう言った。  
「いつもいつも、とらちゃんだってぼろぼろに傷付くのに、  
それでも絶対私のこと助けてくれるでしょう?だから…」  
 
『おい、ちょっと待て。  
おまえはいつもそうやってカン違いしてんだよ。  
おまえはわしの「でざぁと」だから、他の妖にゃ喰われたかねーんだよ』  
「うふふ…。うしおくんもそうなの?」  
大きな瞳をきらきらさせながら、わしにそんなことを聞いてきやがる。けっ。  
『うしお?あのくそちびにゃあさんざん苦労させられてるからな。  
あいつは絶対わしが喰うんだ。そう簡単に他の妖に喰われてたまるかよ』  
「そっかぁ…。うん、やっぱりとらちゃんは優しいねぇ」  
あーあ、こいつわしの話なんかちっとも聞いちゃいねぇな。  
『そうかいそうかい。  
そんならこれからわしの怖ろしさをせいぜい味わうんだな』  
そんじょそこらの妖ならあっという間に逃げ出すほどの  
とっておきの怖ろしい声色で凄んで見せたはずなのに。  
「うん。これから私しか知らないとらちゃんが見られるんだねぇ」  
嬉しそうにわしの腕の中でくすくす笑っているマユコ。  
はぁ…。つくづく…話がカミ合わねぇ…。  
 
このままじゃいつまで経っても「でざぁと」を味わえねぇ。  
わしはわしのやり方でマユコを喰ってやる。  
わしの腕の中、今はわしに背中を向けてちんまりと座っているマユコ。  
わしの指先を物珍しそうに眺めたり、細っこい指先で撫でたりしている。  
視界に映るマユコの白いうなじを後ろからぺろりと味見。  
おおお、こりゃあ…。極上の舌触り…。  
「ひゃ…!とらちゃん、くすぐったいよ…」  
首をすくめてわしの舌をかわそうとするが、そうはいくか。  
マユコの桜色に淡く色付いた右の耳に軽く息を吹きかけてみる。  
「あっ…」  
びくりと身体を震わせて、一瞬マユコの身体から力が抜ける。  
ほぉほぉ、なるほどなるほど。では今度は左の耳に…。  
ふぅー。  
「ん…ふぅ…。だ、だめだよ、とらちゃん…」  
マユコの身体からくたりと力が抜けて、  
わしに寄り掛かってきた一瞬を逃さずに、再びその白い首筋を舐め上げる。  
 
「あぁっ…。と、とらちゃん…!や…っ」  
わしの舌が触れる度、マユコの上げる声が艶を増す。  
「とらちゃん…。私、おいしい…の…?」  
舌に触れるこの肌のなめらかさといい、白さといい申し分ねぇな。  
『わしが見込んだ「でざぁと」よ。うめぇに決まってらぁ』  
「う、うん…。あり、がと…。  
私、とらちゃんに食べられるの、すごく、すごく嬉しい…よ…」  
マユコは消え入りそうな小さな声でそんなことを言いやがる。  
『ふーん。じゃあもっと別の場所も味見させな』  
はっと息を呑む気配。一瞬の間の後、マユコはふるふると肩を震わせる。  
「…とらちゃんの、とらちゃんのばかぁ…」  
『はぁ?このわしをバカ呼ばわりするのかよ』  
わしの腕の中でマユコはくるりと身体の向きを変える。  
頬を朱色に染めたマユコが、わしを見上げながら  
恥ずかしそうに口を開く。  
「だって…、そんなの…。いちいち聞かなくても…」  
わしは別にこいつを喜ばせるためにしてるんじゃねぇんだ。  
わしはわしがしたいように…。  
 
『まだ分かってねぇのかよ。あのなぁ…』  
「あのね。私…、とらちゃんになら何されてもいいんだよ」  
早口でそう言うと、マユコはいきなりわしにぎゅっと抱きついてきた。  
そのまま伸び上がって、マユコはわしの耳元にその小さな顔を寄せる。  
『おい、何する…』  
「私ね、とらちゃんのこと…好きだよ…」  
『なっ…!』  
ことり、と音を立てて。マユコの言葉はわしの耳の中に落ちてきた。  
…こいつ…。こんなに小せぇくせに、やっぱりわしを喰らいてぇのか?  
わしの耳元から離れて、マユコはわしの目をまっすぐに見つめると  
その大きな瞳に涙を浮かべながら  
わしの耳の中に落とした言葉を再び口にした。  
『ふん。そんなのわしの知ったこっちゃねぇ』  
そっぽを向いて言ったわしの言葉なのに。  
大粒の涙をぽろぽろと零しながら  
マユコはそれでも幸せそうな顔で笑っていやがる。  
あー、もう、ちくしょう!!  
ぼりぼりと頭を掻いた後で、  
わしはマユコの薄い肩を傷付けないようにそっと掴む。  
驚いて目を見開いたマユコを胸元に引きつけながら、  
わしはぺっどの上に仰向けに寝転んだ。  
「とらちゃん…」  
マユコがわしの胸の上で零した涙は、わしの毛に次々と吸い込まれていった。  
 
 
 

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