淡い燐光を放つ奇怪な菌類に覆われた谷底の渓流。
浅瀬の水を撥ね立てながら疾走する、ヴァリスの戦士・優子。
背後からは、無数のヴォーグが唸り声を上げつつ追走する。
時折、故意に速度を落し、ヴォーグの突出を誘っては、
剣先から必殺の閃光を浴びせ、一匹ずつ、確実に仕留めていく優子の姿を、
麗子は、渓谷を形作る急峻な断崖の上から見下ろしつつ、薄く笑った。
「斬り合いの呼吸が掴めてきたようね。もう、ヴォーグ共では相手不足かしら・・・・フフッ」
数体のヴォーグが、刀身から放たれる白い雷光に身を焼かれ、断末魔の叫び声を上げるのを無表情に眺める。
「ご苦労様。もう少しの辛抱だから。
このまま優子を、少し先の沼沢地まで誘導して頂戴。そうすれば、貴方達の役目は終わりよ」
踵を返すと、谷底へと続く急な坂道を、俊敏な身のこなしで一気に駆け下りていく。
「・・・・あとは、あの化物に任せて、安心してくたばりなさい」
「・・・・はぁ、はぁ」
最後のヴォーグが崩れ落ちる。
しかし、優子は、呼吸を整えながら、油断無く周囲の気配を窺う。
「・・・・まだ、いる」
ヴァリスの剣の柄に嵌め込まれた紅い宝玉に視線を下ろすと、やはり、警告の光を発し続けていた。
改めて、周囲の様子を確認する優子。
目の前には、三方を急斜面に囲まれた、少し大きめの池ほどの面積の沢が広がっており、
その奥の方の水面には、何か得体の知れない生物の黒々とした巨大な影が見え隠れしている。
「・・・・あそこね」
ちらりと背後に視線を送り、追っ手の存在がないことを確認した上で、ゆっくりと沢に近付く。
試しに、手近にある小石を拾い、投げ込んでみると、ぽちゃん、と軽い水音がして、水面に波紋が広がっていった。
(・・・・あまり深くはなさそうだけど、水の中で闘うとなると、動きが鈍るのは避けられないわね)
冷静に状況を分析する優子。
(どんな相手なのか分からない以上、接近して戦うのは危険だけど・・・・
沢の外から攻撃するには、ちょっと距離があり過ぎるわね。
石を投げ込んだぐらいでは反応がないところをみると、ある程度の知能はありそうだし、
後ろは、今のところ、安全そうではあるけれど、追っ手が現れないという保証はないわ
・・・・こちら側に誘い出すのも考え物ね)
無論、引き返すという方法もあるが、ここまでの間は、ほぼ垂直に切り立った断崖絶壁の連続で、
谷から外に抜け出せそうな場所は皆無だったことを思い出す優子。
時間をかけて探せば、あるいは、抜け道が見付かるかもしれなかったが、
その間に、新手に遭遇する可能性は高く、必ずしも安全策であるとは言い難い。
対して、目の前の急斜面は、確かに険しくはあったが、登攀不可能という程では無い。
「危険ではあるけれど、ここは前進した方が良いみたいね・・・・」
意を決して、沢の中に入る優子。
なるべく斜面に沿って、水深の浅いところを選びながら歩を進め、慎重に間合いを詰めていく。
――――――――その刹那。
轟音と共に水面が大きく泡立ち、急激に水かさが増し始める。
同時に、青白くぬめる粘膜に覆われた、巨大なミミズを思わせる奇怪な生物が、
粘液にまみれた目も耳も鼻もない頭部をもたげると、優子に向かって何かを吐き出した。
激流に足を取られ、姿勢を崩しながらも、何とか身をかわす優子。
素早く体勢を立て直すと、ヴァリスの剣を正眼に構え、第二撃に備えて身構える。
しかし、優子の予想に反して、巨大ミミズは、再攻撃よりも、まず獲物の退路を断つことの方を優先し、
長大な身体をうねらせながら、沢の入り口へと移動する。
「・・・・くっ、迂闊だったわ・・・・」
おのれの判断の甘さを悔やむ優子。
その耳朶に、ゴウゴウという地鳴りのような響きが流れ込む。
どうやら、これまで、その巨体を利用して沢の底に栓をしていたらしく、
巨大ミミズが抜け出した後の穴からは、大量の地下水が流入し、
つい先程まで踝を浸す程度だった水位は、一気に膝まで上昇し、更にせり上がってくる。
(・・・・このままだと、身動きが取れなくなってしまう・・・・)
外見に似合わず知能犯的な攻め口に、切歯扼腕する優子。
・・・・既に、その不安は現実のものとなりつつあった。
水流によって俊敏な動作を封じられ、思うように移動することも叶わなくなった優子を狙い、
巨大ミミズの口から再び何か得体の知れない塊が撃ち出される。
すんでのところで、脇に跳びのき、直撃はかわしたものの、
ヴァリスの剣を持った右腕に、鈍い衝撃が走る。
「・・・・ううっ!」
呻き声を上げ、右腕を下げた優子の目に飛び込んできたもの
・・・・それは、赤色と黄色がだんだらに混じり合ったような毒々しい体色の、
体長数○センチほどもある、ヒルのような軟体生物の姿だった。
「・・・・ひぃっ・・・・」
その醜悪さに、生理的な嫌悪感が先に立ち、肌を粟立たせる優子。
軟体生物は、不定形の身体をうねらせながら、優子の腕に絡みつき、
繊毛に覆われた口からネバネバとした半透明な体液を吐き出して、その白い肌を穢していく。
「い、いやぁぁっっ!!」
皮膚から伝わる、ヌメヌメとした感触に、思わず悲鳴が口をついて出る。
何らかの毒性を帯びているのか、粘液を塗りたくられた右腕から急速に力が抜けていく。
為す術も無く、ヴァリスの剣を手から滑らせ、水中に落下させてしまう優子。
愕然として、沈んでいく剣を目で追う優子は、そこで、更に表情を凍りつかせた。
既に、太ももの辺りまで水かさを増した沢のそこかしこに、無数のヒルに似た軟体生物が蠢き、
ビチャビチャと不快な水音を立てながら、優子に迫っていた。
慌てて周りを見回すが、いつの間に湧き出したものか、数百匹にも達しようかと思われる軟体生物の群れが、
優子の周囲を完全に包囲し、もはや逃げ場は何処にも無かった。
「・・・・い、いや・・・・いやぁ・・・・っ・・・・」
信じられないような光景に、半ば茫然自失の体で、
ふるふると弱々しくかぶりを振りながら、後ずさる優子。
ヴォーグの群れと対峙している時とは比べ物にならない焦燥感が全身を駆け巡り、
冷静に思考する余裕を奪い取っていく。
勿論、ほんの数歩も後退すると、優子の背中はよじ登るのがやっとの急勾配にぶつかって止まってしまう。
その上、岩肌には、巨大ミミズの攻撃から身を隠せるような場所は何処にも無い。
無事な方の左手を使って、ヴァリスの剣を拾おうとするが、時すでに遅く、
剣を落とした辺りには、一群の軟体生物がひしめき、水面も見えないくらいである。
「・・・・ううっ・・・・うぐぅぅ・・・・」
我知らず、絶望の呻き声を洩らす優子。
いまや戦うことも逃げ出すことも叶わず、震えの止まらない体を岩肌に張り付かせながら、
迫り来る軟体生物の軍団を、怯えと嫌悪に満たされた視線で見つめる事しか出来ない。
その無力な姿を嘲笑うかのように、ヒルに似た生物の群れは、じわりじわりと包囲の輪を狭めていく。
――――そして。
「きゃあぁぁぁっっっ!!」
耳をつんざくような少女の悲鳴が、周囲の断崖に木霊して、幾重にも響き渡る。
一斉に殺到した軟体生物の群れが、優子の全身に、粘液まみれの身体を絡みつかせる。
膝から下の脚や肘、肩など、ヴァリス・スーツに覆われている部位は、かろうじて、そのおぞましい感触を免れることが出来たものの、
柔肌を無防備に露出させている、太ももや腕、腹部などは、そういう訳にはいかなかった。
「・・・・あぁっ・・・・いや・・・・いやぁ・・・・うぅ・・・・ふあぁぁぁっ!!」
半透明な体液を分泌しながら、ヒルに似た生物は、優子の身体に絡みつき、這いずり回る。
原初的な恐怖の感情に、端正な目鼻立ちの顔をクシャクシャにして、泣きじゃくる優子。
ほとんど本能的な動作で、岩肌にしがみつき、よじ登ろうとするものの、
何とか膝の辺りが水面から抜け出せた辺りで、
軟体生物の体液に含まれる麻痺成分がその効き目を発揮し始め、ズルズルと力なく水の中に滑り落ちてしまう。
「・・・・うぅっ・・・・来ないで・・・・ひぃっ・・・・お願い・・・・」
力を失い、思うように動かすことも出来なくなった手足を弱々しくばたしかせながら、哀訴の言葉を口にする優子。
・・・・元より、軟体生物に人語を理解する知能などありはしない。
そんな単純な事にすら考えが及ばない程に、今の優子は混乱の極みに追い上げられている。
一方、優子の肌を、ひと通り陵辱し終えた軟体生物は、
これまでヴァリス・スーツの守りに阻まれて侵入を果たしえなかった部位へと攻撃の矛先を転じ始める。
ヴァリス・スーツ自体が如何に堅牢であろうとも、その下の優子の肉体は、十分に柔らかく、弾力に富んでいる。
しかも、麻痺毒の働きにより、各所の筋肉が弛緩しきっている状態では、
ほんの少し力を加えるだけで、鎧の各部との間に隙間を生じさせる事が可能だった。
たちまちのうちに、ヒルに似た生物は、鎧の内側への侵入を果たし、最後まで残った手つかずの柔肌を蹂躙し始める。
「・・・・ふぁっ・・・・あぅぅっ・・・・だ、だめぇ・・・・」
しなやかな太ももに絡み付いていた数匹の軟体生物が、不定形の体を巧みに変形させながら、
水に濡れて肌に張り付き、丸みを帯びたヒップラインをくっきりと浮かび上がらせている純白のスカートの中へと這い上がる。
そうかと思えば、程好くくびれたウェストに吸い付き、やや縦長の臍の穴に繊毛をなすりつけていた一匹が、
金無垢のベルトと下腹部との間に生じたほんの僅かな隙間を目ざとく見つけ出し、
粘液まみれの体を滑り込ませてくる。
更に、もう一匹が、背中に回って、腰椎の真上辺りに出来た小さな窪みに身体の一部を突き入れると、
そのまま、ズルズルッと、尻たぶの間に抜けてくる。
「・・・・あぁ・・・・だめ・・・・もう・・・・うぅ・・・・だめぇ・・・・」
下半身を襲うぞっとするような感覚に、徹底的に打ちのめされていく優子。
もはや、悲鳴すらも、力を失い、時折、息も絶え絶えに喘ぐような声しか出せなくなってしまう。
やがて、目の前が、フッ、と色彩を失ったかと思うと、糸の切れた操り人形のように、力が抜けて、感覚が薄れていく。
(・・・・わたし・・・・ここで・・・・死んじゃう・・・・の・・・・?)
・・・・ゆっくりと水の中に崩れ落ちる優子の身体。
その時には、もう意識は無く、全身を覆い尽くした軟体生物の感触も、暗く濁った水の中へと沈んでいく重く詰めたい感覚も、
何もかもが溶け合って、慈悲深い闇の中へと吸い込まれていった・・・・。
――――――――TO BE CONTINUED.